<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編

<灯台紀行 旅日誌>犬吠埼灯台編

f:id:sekinetoshikazu:20200726143134j:plain

<日本灯台紀行 旅日誌>2020年 犬吠埼灯台編 #1~#15

見出し

#1 プロローグ1 #2 プロローグ2 #3 往路

#4 飯岡灯台撮影

#5 犬吠埼灯台撮影1

#6 犬吠埼灯台撮影2

#7 犬吠埼灯台撮影3

#8 犬吠埼灯台撮影4

#9 ビジネスホテル~飯岡漁港

#10 犬吠埼灯台撮影5

#11 <地球が丸く見える丘公園><銚子タワー>撮影

#12 犬吠埼灯台撮影6

#13 少し高いビジネスホテル #14 君ヶ浜~復路 #15 エピローグ

 灯台紀行・旅日誌>2020犬吠埼灯台編#1 プロローグ1

 2020-3-24 十三時

おそらく、これが最後のひとり旅になるだろう。というのも、あと五年か十年経てば、体力的にも精神的にも、車を運転しての長旅は無理っぽいからだ。いや、わからんけどね。

 直接のきっかけは、十五年くらい一緒に暮らしてきたニャンコが、慢性腎不全でいよいよ危なくなってきて、死んでしまう日が迫ってきたことだ。いわゆる<ペットロス>。悲しいことだが、寿命ということか。

 ・・・旅のことを考えている。このパソコンが使い物になるのか?撮った写真を見ること、日誌をつけること、それにネット検索で情報を得ること。旅中は、おおよそ、この三つだろう。

 午後四時、安比奈運動公園・中央駐車場。小一時間車の中で横になる。今日は比較的快適だった。リアウィンドを少し開け、耳栓、これでだいぶ良くなった。途中、暑くなりエアコンをつけた。持参した少し長い棒でブレーキペダルを押し、運転席に身を乗り出しては、指で始動ボタンを押してエンジンをかけた。横着な、楽なことを考えたわけだ。ま、これなら、高速パーキングでの仮眠もいけそうだ。

 今日は、不都合が二つ見つかった。ひとつはナビ、2015年版になっていて、圏央道がまだ完成されていない。ホンダに問い合わせたら、¥22000ほどで更新できるようだ。ただし、今やるよりは、11月のほうがいい、というわけで、保留。よくよく考えたら、新しい地図も買ったのだし、古いナビと併用すれば、何とかなるような気がする。更新する必要性もないなと思い直す。

 二つ目は、車内ではティファールが使えない。パソコンはちゃんと充電できるのに、なぜかだめだ。自宅の駐車場でもう一度試してみよう。例えば、延長コードを使って。…アンペアが絶対的に足りないから使えない、ということが帰宅後のネット検索ですぐに判明。やはり、カセットコンロとケトルだな。あと、チェアとテーブルは、グッド。洗面などもしてみたが、こちらもグッド。問題はない。車内での緊急おしっこは、口広のジュース缶で決まり。

  2020-3-26 十七時。

衝動的に、機内持ち込みのカメラバックを買ってしまった。アマゾンで、ロープロフォトストリームRL150という品物、定価よりもかなり安くなっていた。約二万円。

 はじめは、ふつうのキャスター付きのスーツケースを物色していた。値段的には、安いのは¥5000、高級なのは¥50000以上するのもある。そんなもんはいらない。かといって、あまりに安い物もいかがなものか。いちおうブランド的に<ACE>とか<無印良品>とか調べてみた。ま、¥20000も出せば、いい物が手に入りそうだ。

 と、ここで考えた。今回の旅でスーツケースに入れていく物は何か、パソコン、カメラなどだ。要するに、重いもの、壊れ物で、バックパックに入れて行くには心もとない。もっとも、今思い出したが、2015年の沖縄旅では、カメラをバックパックの中に入れて行った。あのときは、三泊四日で、衣類も少なかったし、三脚も持って行かなかった。だが、今回は、旅の期間も長いし、そういうわけにもいくまい。

 機内持ち込み用スーツケースとバックパック、それにポーチという出で立ちをイメージした。要するに、キャスター付きスーツケースは必須と考えた。が、待てよ、それなら、カメラバックでいいわけで、検索したら、そういう物が、¥20000程度である。普通のスーツケースの中にカメラを入れて持ち運ぶより、こっちの方がより安全だ。というわけで、ま、衝動買いだな。

 ・・・昨日などは、夜遅くまで、福岡県について調べていた。観光スポットでは、平尾台というカースト台地が面白そうだ。あとは筑後川昇開橋、門司港レトロ、福岡観光では屋台ラーメン、それに飯塚・田川・直方などの筑豊炭田の遺構探索などがメインになりそうだ。この後、さらに海岸沿いの風景や灯台についても調べてみるつもりだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#2 プロローグ2

一日目

2020-5-27(水)くもり。

とうとうこの日が来た。およそ十五年間一緒に暮らしたニャンコ、べビちゃんを看取ってから約二か月弱、新しいプロジェクトが始まる。名付けて<日本灯台紀行>。また、大きくでたもんだ!

 重度の慢性腎不全、多臓器不全を起こしている、もう助からないだろうという、ニャンコの約一か月の介護。そして最後の二日間は、それこそ、死ぬ苦しみを味わわせてしまった。絶命時、ニャンと短く鳴いて、息を引き取った。

 苦しませてしまったという後悔、それに伴う罪悪感。深い悲しみ、気持ちが沈んだ。何十年かぶりに涙がこぼれた。だが、底の底まで気持ちが落ちたとき、このままではだめだ、という心の声が聞こえた。その声に励まされて旅の準備を始めた。

 はじめは、九州の筑豊など、炭鉱跡をめぐり歩く旅を思いついた。かなり綿密に調べ上げ、日程表まで作った。例えば、九州国際空港に午後遅く到着して、その日は、近くの東横インに宿泊。翌日、近くのニッポンレンタカーで車を借りる。そのあとは、田川、飯塚、直方の炭鉱遺構や記念館を三日かけてゆっくり回る。旅の後半は、大牟田・三池炭鉱跡を見て、佐賀国際空港から帰宅の途につく、というものだ。

 グーグルマップでシュミレーション走行したり、炭鉱の歴史をネットで調べたりして、ニャンコの辛い介護の日々を耐え忍び、この先訪れるであろう大きな悲しみ、べビちゃんの死を乗り越えようとした。

 ところが、大方、旅のプラン、イメージが固まったところで、これが人生最後の、自分のやりたかったことなのか、とふと思った。

何か、ちがうような気がした。無理して頑張っているようなのだ。むろん、そういうことも必要だろう。だが、もういいではないか、自分を許す方向へと気持ちが流れていった。

  そこで、再び浮かび上がってきたのは、灯台巡り、全国の有名な灯台を撮りに行くという計画だった。この計画は、父親を看取った後に思いついたもので、そのために車を買い替え、実際に、原発近くのビジネスホテルに連泊して、御前崎灯台、掛塚灯台、清水灯台などを撮影した。そして三泊四日の旅の帰りは、高速を約280キロ走って一気に帰って来た。もっとも、新しい車に慣れていないということもあり、かなり疲れた。思い出すだけでも、帰路の運転はうんざりだ。

 …ま、そんなこともあったのだ。その当時は、旅に行くたびに、ニャンコの世話を誰かに頼まなければならず、それのみか、ニャンコのことが気になってしようがない。さっと用を済ませて、なるべく早く帰ってきたかった、というのが正直なところだ。

 それに、そのあともいろいろあって、灯台旅の熱は、いったんさめ、ほとんど忘れかけていた。それが今になって再燃したのには、次のような理由がある。

先日、ユーチューブに<荒川写真紀行2018>というスライドショーをアップした。エリックサティージムノペディを延々、といっても30分ほどだが、繰り返し流しながら、背景に自分の写真を映し出すという趣向だ。

 <荒川写真紀行>の写真は、空と雲と、川の流れなどが主題になっていて、ほぼ三か月間、晴れた日には必ず撮影した。その何というか、写真たちとサティが、自分で言うのもなんだが、よくマッチしていて、かなり満足している。

 ちなみに、サティを繰り返し流すという趣向は、若かりし頃に、影響を受けた太田省吾という演出家が<水の駅>という作品で使っている。当時は、ちょっとルール違反じゃないの、とやや懐疑的だったが、四十年ほどたった今でも、その舞台が脳裏に焼き付いている。やはり、感動していたのだと思う。

 太田さんは、たしか六十台で亡くなってしまい、主宰していた前衛劇団<転形劇場>も、ほぼ忘却の彼方だ。だからパクってもいいのか、というわけでもないが、自分が若かりし頃、唯一、入ろうかなと思った劇団の、尊敬する演出家へのオマージュ、ということにして、勘弁してもらおう。

 話が脇にそれた。五月二十七日水曜日、旅の当日は六時に目が覚めた。さっと起きて軽く食事。そのあと、なんやかんや、いろいろやって、たとえば、家中のコンセントを全部抜いたり、持ち物表をチェックしたりで、ぐずぐずしてしまい、家を出たのは八時すぎだった。

ニャンコを火葬にしたあとは、ベッドの背もたれの上に、白い骨壺を置いて、時々声かけしながら、じっとコロナ騒動がおさまるのを待っていた。足止めを食らっていたのだ。五月中は無理だろうと思っていた。だが、急に政府の<緊急事態宣言>が解除された。といっても、他県への移動は<自粛>。だがもう我慢の限界を超えていた。ちょうど、木曜・金曜と千葉の銚子方面には、晴れマークがついている。ほぼ衝動的に飯岡灯台近くの宿を三泊予約してしまった。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#3 往路

 …かなり前から、日本全国の有名な灯台をネット検索していた。

そのなかで<日本の灯台>というサイトが、質量とも充実していて大いに参考になった。いや~、これだけの灯台巡り、すごい!写真も説明も丁寧、語り口も謙虚、なにしろ<灯台熱>が半端ない。

 ま、それはそれとして、自分の体力を考えると、車で片道200キロ前後の場所までが限界だろう。しかも、ロケーションが素晴らしいところがいい。という基準で、最初に浮かび上がり、二重丸がついたのは、犬吠埼灯台だった。ここは日本灯台50選、世界灯台百選にも選ばれている。それにすぐ近くの飯岡灯台もいい。灯台旅の一発目は、ここしかない!

 泊る場所は、灯台に近ければ近いほどいい。だが、いろいろと条件がある。旅館やペンションなどは、お一人様で泊まることができそうにもないし、素泊まりでも一万円以上する。民宿の乱雑さには懲りているし、となれば、ビジネスホテルしかない。

 最初は、日程も決まらないまま、銚子市内のちょっとお高いビジネスホテルを、念のためのコロナ対策ということで、六月後半に二泊予約した。だが、五月二十五日、急に<緊急事態宣言>が解除になった。そこで、ビジネスホテルを急遽キャンセルして、飯岡漁港近くの安めの宿に三泊することにした。

 ・・・話しがなかなか先に進まない。とにかく、当日は、朝八時に出発、ナビにかなり遠回りさせられ、少しイラついたが、30分ほどで最寄りの圏央道インターに滑り込んだ。道は空いていた。ガラガラ!いや、貸し切り状態といってもいい。

 すぐに菖蒲パーキング、走り始めたばかりで休憩する気にもなれず、そのまま時速90キロ前後で気持ちよく走った。ただ、次の江戸崎パーキングまでが長かった。いま調べたら、菖蒲からは約80キロ近くもあり、小一時間かかる。すでに三、四十分走っているわけで、ここはやはり、菖蒲パーキングで一息入れておくべきだった。ま、次からの教訓だな。

 江戸崎パーキングには、十一時前に着いた。トイレと自販機があるだけの小さなパーキング。人もあまりいない。端っこの方へ行って、体をほぐす。そうそう、トイレ入口の天井近くに、ツバメの巣があり、ヒナたちの黄色の口が見えた。施設内の誰かが大切にしているのだろう。気持ちのこもった張り紙などもあり、気が和む。鳥や花を大切にする人間に悪い奴はいない、というのが持論だ!

パーキングで20分ほど休んで、疲労回復。そのあとは、あっという間に大栄インター。東関道の下りに入り、大栄パーキングを横眼で眺めながら、というのも、いざといときには、ここで車中泊しようという腹だ、帰りに寄ってみよう。

 東関道大栄で降りた。料金は¥3800ほど。自宅からここまで約120キロ、所要時間は二時間。その後はナビに導かれ、東総有料道路に入る。まったくの貸し切り状態、前後に車なし!有料道路だが料金所もなく、気分良く一般道に入る。

 地方の県道なのか国道なのか、ほとんどノンストップ状態で旭市の市街地。ここはさすがに、郊外型の大型店が両側にびっしり。ヤマダ、ニトリイオンモールなどなど。大きな交差点を右折すると、また貸し切り状態。あっという間に飯岡灯台に着いた。十二時を少し回っていた。総距離160キロ、三時間の行程。あまり疲れていない。気を張っているせいかな?

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#4 飯岡灯台撮影

 飯岡灯台下見。小ぶりな、白いタイル張りの灯台で、正面からはどうにも写真にならない。下調べしたように、撮影ポイントは一か所だけ。すなわち、無料の展望台から、手前に灯台を入れ、右側に飯岡漁港の防波堤などを斜めに入れる構図だ。

 ま、いい。灯台敷地の柵によりかかりながら、眼下の飯岡漁港を眺めた。つい二、三日前、飯岡漁港に押し寄せる、あの大震災の大津波をユーチューブで見た。おそらく、撮影者が位置していたであろう所に、いま自分が立っている。津波が白い波しぶきを立て、沖から押し寄せてくる。あっというまに防波堤を越え、船溜まりの漁船をいとも簡単に押し流していく。その光景がまざまざとよみがえった。自然は美しく、かつ残酷だ。厳粛な気持ちになった。

 気分を変えよう。灯台の周りをぶらぶら歩きながら、写真を撮った。灯台の横の方に、海を臨んだ、漫画チックな<力石徹>の石像があった。飯岡は<ちばてつや>が、戦後すぐに大陸から引き揚げて来た頃に生活したところらしい。なぜかちょっと意外な気がした。<あしたのジョー>を夢中で読んだのは、もう半世紀以上前のことだ。

 それからもう一つ、飯岡、と聞いて、思い浮かんだのは<飯岡助五郎>だ。記憶があいまいで、いまネットで調べてみた。あ~、思った通りだ。講談の<天保水滸伝>によれば、笹川繁蔵を闇討ちにした悪親分?だったわけだ。

 …子供のころ、なんで聞き知ったのか、映画なのか?よくわからないが、その後、演劇青年をやっていたころ、三鷹で<黒テント>の<チャンバラ>という芝居を見た。その時<しげぞおぉぉぉ~~~>という役者の絶叫によって、突如、過去の記憶が呼び覚まされた。不思議な体験が、いまだに体に宿っている。そうだ、やくざの親分、飯岡助五郎と笹川繁蔵、それに用心棒の平手造酒。面白おかしく尾ひれをつけて、やくざの抗争を講釈師が語っていたのだろう。その、飯岡助五郎の墓が、この近くにあるらしい。…ちょっと行ってもよかったのだが、いまは灯台熱が高じている。いつか、またそのうちだ。

 三、四十分ぶらついて、飯岡灯台を後にした。ナビを犬吠埼灯台にセットした。目指すは、君ヶ浜の灯台寄りの駐車場だ。ところが、現着してみると、コロナで閉鎖中!これには参ったが、すぐに気を取り直して、灯台下の駐車場へ行く。

 車を止め、まずは灯台の正面辺りをぶらついて、写真を撮る。犬吠埼灯台は登れる灯台だが、むろんコロナで閉鎖中。ま、こちらはどうでもいい。灯台に登ってしまっては、灯台が撮れない。…昼もだいぶ過ぎている。なのに、腹が空かない。缶コーヒーなどを飲んでやり過ごす。

 車に戻り、機材を背負い、浜へ下りた。ちょっとしんどい。撮影ポイントを探しながら、砂浜沿いの護岸縁を歩く。ちょうど、白っぽい腰掛石が五個、等間隔に並んでいる所。背後に、遊歩道があるものの、誰にも邪魔されず、三脚を立てられる。灯台の垂直を出すにも、まずまずの好位置。何枚か試写して引き上げる。

 車の中で時計を見ると、三時半を回っている。飯岡灯台へ戻ろう。日没前の<ゴールデンアワー>それから明かりのついた灯台の夜間撮影。これが初日の、本気を出す撮影だ。

  五時過ぎに、再度飯岡灯台に現着。陽は西に傾き始めていた。といっても、まだまだ明るい。フル装備で、展望台の階段を上る。振り返ると、東側の台地、下総台地に巨大風車が林立している。望遠400mmで何枚か撮った。

 さらに、海の中にも風車が一基ある。これは銚子市が東電と組んだ、洋上風力発電の実証実験だそうだ・・・世界に飛び出すと、まあ~いろんなことに出っくわすものだ。冷やかし半分、パチリと、こやつも一枚撮った。

 階段を上りきると、まずまずきれいな展望室。とはいえ、窓があるわけでもなく、ダイレクトに南西側の海が眺められる。要するに、ベランダ仕様だ。ぐるっと見回して、灯台君を見下ろす位置に三脚を立てた。ところがどっこい、仕切り壁から乗り出さないと、灯台と防波堤が画面におさまらない。

 う~ん、しかたない。手持ちでベストポジションを確認、何枚か、かなり慎重に撮った。ちなみに、このポジションは、ネットで見た写真の中では最高のもので、多くの人が撮っている場所だ。むろん、同じ場所から撮ったとしても、自分がそれ以上の写真が撮れるとは、正直思わないが、ま、この場所しかないのだ。

 さてと、そうこうしているうちに、ますます陽は傾き、空の色が徐々に変わり始めた。写真の世界でいうところの<ゴールアワー>だ。どの場所がいいのか、うかつにも、夕景のベストポジションは調べていない。

 とりあえず、灯台正面に出た。西側の空が染まっている。まさに夕日が落ちつつある。あ~、そうだ、ここは夕日がきれいなところだったんだ。われながら、マヌケな感想だ。問題は、灯台をその夕日に絡めて、どの位置に三脚を立てるか、ということだ。

 あたふたしながら、何とか灯台と夕日を画面におさめた。さあ、予行演習していた、日没の撮影だ。え~と、マニュルモード、F値8、ほぼ無限大にピント、ISOオート、ホワイトバランスオート、シャッタースピードの調整で、露出を沈む前は三分の二アンダー、沈んだら適正にする、だったかな?なんだか、頭が真っ白になっていた。おぼつかない。

 おりしも、まさに<ゴールデンアワー>なんだか人影が一気に増えてきた。だれもが夕陽を見に来たわけか!なかでも、若いカップルが多いような気がする。ま、そんなことはどうでもいい、集中だ。ファインダーをのぞきながら、ほぼ初めての夕景の撮影を開始した。

 その時は、気分が高揚していて、モニターなどもろくにしないで、リモコンのシャッター音に酔っていた。もっとも、辺りが暗くなってきて、モニターそのものがかなり難しい。そしてついに日没。おっと、灯台の頭にあるライトがうっすら点灯。今度は<ブルーアワー>だ。

 シャッタースピードを落として、カメラ内のインジケーターを、適性のゼロに合わせる。ほぼ暗い。それでも、かなりの人影。<ブルーアワー>とは日没後の数十分のこと、こっちの方が、空がきれい撮れているように感じた。気持ち的に、少し余裕が出てきたので、ホワイトバランスをいろいろ試してみた。晴れマークのところが一番きれいだな、と判断できるようになった。

 そのうち、陽は完全に沈んで、空の色は紺碧から漆黒へと変わっていった。とはいえ、周辺を見回すと、展望台の照明などでさほど暗くはない。と、灯台の頭にある照明が点灯したままで動かない。おやっと思った。が、すぐに得心した。この灯台の役目は、飯岡港に入ってくる漁船の目印だ。光線をぐるぐるさせる必要はない。

 ちなみに、灯台のレンズには<閃光レンズ>と<不動レンズ>があるようだ。閃光の方は、レンズが回っていて、結果、光線がぐるぐる回っているように見える。一方、不動の方は、ついたり消えたりするだけらしい。飯岡灯台の仕様は<不動フランネル式300㎜・明三秒・暗三秒>ということになっていた。

  初陣の夜間撮影を夢中でやっていると、展望台前の、ちょっとした広場で、何やらうるさい物音が聞こえる。カメラから目を放して、ちょっと見に行く。はは~~ん、若者がスケボーで遊んでいる。わざわざこんなところで、しかもこんな時間に、といってもまだ夜の七時だが、なんなんだ!ま、そのうちやめるだろう。

 三脚に戻り、ほとんどわけもわからないまま、カメラをいじくりまわして、その都度モニターした。ま、勉強だな。時間のたつのも忘れ、頭の片隅では、スケボーがうるさいと思いながら、これ以上はもう、うまく撮れないと思えるまで粘った。

 ふ~と一息ついた。周りを見回した。展望台などに人影を確認して、その場を後にした。ちなみに、スケボーの若者も、どういうわけか、一緒に終了。目で追うと、端の方に止めてあった、白い軽のバンに乗り込んだ。仕事帰りか、時間調整か、ま、もうどうでもいいが。車に乗り込み、高台の灯台から、坂を下った。バックミラーに、ヘッドライトが見える。灯台の駐車場はどんづまりだから、灯台にいた車であることは間違いない。ひょっとしたらスケボー野郎かも知れない。帰りまでご一緒だ!

 名前は伏せる。宿泊したビジネスホテルだ。なぜかというと、文句しか出てこないし、それを書けば、営業妨害になるやもしれぬからだ。そこまでの恨みはない。とはいえ、一言だけ言い添えておこう。汚かった!一泊¥4500、安いとはいえ、これはないよな、という感じだった。畳が擦り切れていたのだから、あとはご想像にお任せする。

 それからもう一つ。食料調達したコンビニのおにぎりが、これほどまずいのか、と思うほどだった。もっとも、食欲がまるっきりなくて、さほど腹は立たなかったが。とはいえ、朝食用に買ったブドウパンは、まあまあ食べられた。一晩冷蔵庫に入れたにもかかわらずだ。・・・疲れた。かなり疲れた。もう寝よう。宿に八時過ぎについて、十時には布団の中に入った。

 一日目の出費・高速¥3820、食事等¥1200、宿泊三日分¥12900。

灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#5 犬吠埼灯台撮影1

 二日目。

四時過ぎに目が覚める。西側の障子が明るくなり、寝ていられない感じ。それでも、もう少し眠ろう、ということで六時前まで布団の中でぐずぐずする。

 六時起床、洗面、朝食・昨晩買っておいたおにぎり、持参したカップ麺。食欲がないせいか、どっちも、うんざりするほどまずい!排便・小。むろん、ぼろホテルに温水便座などはない。…痔持ちの自分にとって、温水便座は必須。だが、ま、非常時ということで、流水で肛門をさっと洗う。

 身支度をして、八時前に出発。ナビを犬吠埼灯台にセット。途中、長崎鼻のぬぼっとした照射塔を何枚か撮る。さらに、海沿いの道に路駐して、東側から、遠方の犬吠埼灯台を狙った。

 胸の高さほどのコンクリの護岸、その上に、重い望遠レンズを置いて撮影。要するに、三脚を立てるほどの景色ではないが、VRを利かせたところで、手持ちではブレてしまうからだ。とはいえ、あまりに遠目過ぎる。それに、空の色もさえない。今日は朝から晴れの予報なのだが、チェ!

 ほとんど貸し切り状態の、右手に海が見える景色の良い道を、気持ちよく走り、九時前に犬吠埼灯台に到着。駐車場に車を止め、灯台周りの散策。一応、正面、周囲、それから海岸沿いの遊歩道など、スナップしながらぶらつく。

 撮影ポイントは二つ、正面やや右側、灯台の窓が少し左側に見えるあたりがいい。もう一つは、遊歩道の終点、白いホテルへ通じる道に上がる鉄階段の踊り場。ただし、画面左下に青い電線がぶら下がってしまう。

 この場所には、どう考えても三脚は立てられない。とはいえ、遠目だが、緑の断崖にちょこんと頭を見せている白い灯台、望遠なら何とか絵にできるかもしれない。横着して、望遠レンズを持ってこなかったことを少し悔やんだ。

 帰路は、遊歩道を戻らなかった。可能な場合は、復路は、往路とは違う道を歩くことにしている。それに今回の場合、特に、遊歩道にある辛気臭いトンネルが嫌だった。それに、違った道を歩けば、違った景色に出会える可能性も高い。

 海岸沿いに建つ白いホテルをちらっと眺めた。場所的に最高。だが、オヤジのひとり旅、しかも撮影旅行には不向きだ。むろん宿泊費も高い。豪華な夕食など必要ないし、素泊まりで¥10000はいくら何でも高すぎるだろう。

 だらだらと坂をのぼった。すこし息が切れた。そこは海の見える高台だった。目の前を一般道が走っている。その先に灯台が見える。右側は、大げさに言えば太平洋だ。柵のある歩道を少し行くと、なんだか、陶芸店のようなものがあり、さらにその先に、一抱えもする大きな菱形の石に、何やら文字が見える。

 立ち止まって、じっくり眺めた。高浜虚子の句碑らしい。<犬吠の 今宵の朧 待つとせん>。最後の<待つとせん>が読めなかったが、案内板があり、了解。口の中で何回か唱え、覚えようとした。例の海岸沿いのホテルに泊まって、部屋からぼうっと霞んだ灯台の明かりが見えたのかもしれない。向き直って、太平洋の水平線を見た。すこしばかり、文学っぽい気分になった。

  駐車場に戻った。布の大きめなトートバックに、飲料水などを放り込み、重いカメラバックを背負った。長い階段を下って浜へおりた。もう暑くなり始めていた。下見しておいた場所へ一直線に向かい、石の腰掛に荷物を置いた。柵沿いに三脚を二本立て、犬吠埼灯台にカメラを向けた。

 三脚は二本持参している。一本はジッツオの使いやすいもの。もう一本はベルボンの、やや使い勝手が悪いもの。それぞれに望遠ズーム、標準ズームつけて撮影するつもりだ。要するに、柵沿いに三脚を二本並べ、近目と遠目で撮るわけだ。

 が、いざ実際、二台のカメラで灯台をモニターすると、ベストアングルというものは、ほぼ一か所なので、当たり前だ<ベスト>なのだから、多少の近い遠いはあるものの、画面は似たり寄ったりだった。それよりも、正面の海。空があって、雲が流れて、水平線があって、たゆたゆと波が押し寄せている。この風景を撮らないということはない!

 というわけで、三脚は一本にして、望遠を手持ちで、浅はかにも、海と、ちょっと遠目の灯台を撮ることにした。そして、来る前から計画していた、五分間隔のインターバル撮影の手順に従った。

 時計を見た。五分経った。三脚につけているカメラのファインダー覗いて、リモコンのボタンを慎重に押す。取って返して、望遠カメラを、後ろの石の上に置いてあるトートバックから取り出す。ぶれないように、柵に肘をしっかりつけて、まず、海を撮り、ほぼそのままの姿勢で、少し体を右にひねり、灯台を撮った。

 この作業を、十一時半から、およそ二時半まで続けた。本当は、体力と気力が続いたのならば、日没後までやるつもりでいた。ところがどっこい、そうはいかない。久しぶりのアウトドア、しかも海岸だ。

 セッティング作業のうちは、暑さをそれほど感じなかった。太陽の位置を、手のひらを天にかざして確かめ、ほぼ真上だな、などと思った。まだ余裕があった。

 ところが、作業がひと段落して、一息ついたら、いきなり息苦しいほどの暑さを感じた。まず、足の甲が、焼けるように熱い。厚手の靴下をはいていたのだ。薄手の物に替えたかったが、車の中だ。パーカも厚手のもので、これにも参った。だが、薄手はこれまた車の中だ。撮りに行くことなど、到底無理だろう。

 …サンダルも車の中にあるが、この強烈な紫外線、直射日光を、直接浴びることになる。どうしようか?海辺にフードのついたパーカは必須、だが絶対、薄手でなければだめだ。撮影の手順を正確に守りながら、次回の教訓だな、などと思った。

 何しろ、フードですっぽり、頬の真ん中まで覆い、サングラス、そのうえマスクだ。自分の風体を気にする余裕もなかった。が、夕方になり、ふと車のウィンドーガラスで、自分を見た。まるでコンビニ強盗だ!どおりで、遊歩道を行き来する人から、話しかけられなかったわけだ。怪しすぎる。

 …正直いって、海辺の暑さ、要するに紫外線と直射日光は、老人には、自分では老人とは思っていないが、かなりきつくて長時間の滞在は無理だ。もっとも、日陰で寝ているならば話は別だ。ところが、自分の場合は、五分ごとに、写真を撮らねばならず、悪いことに、その際には、サングラスを外さざるを得ないという不幸?も重なった。

 だが、眼をやられたら最後だろう。二十年前、失明に瀕した時のことを、ちらっと思った。あの時以来、サングラスを手放したことはなく、外出する際には、財布と鍵と同様、必ず身につけている。念のため、今回も、替えのサングラスを用意してきたほどだ。

 話を戻そう。カメラのファインダーをのぞく際には、どうしても、サングラスを外さなければならず、その時の紫外線が、やりきれないほど、きつい。こんな体験は今までになく、ほとんど苦行に近い。でも、これはまずいだろう。何しろ目を守らねばならないのだ。と、あろうことか、サングラスを掛けたまま、ファインダーを見ることにした。ま、窮すれば何とやらで、むろん色が変わって見えるが、一発撮りとは違い、ほぼどんな感じに撮れているかは、了解済みだ。空や雲や波が、五分間で、どの程度変化しているかを確かめるだけでいい、のではないか。

眼は、これでだいぶ楽になった。熱中症を警戒して、頻繁に持参した水を、ペットボトルから飲んだ。また、手のひらを太陽にかざした。真ん中より少し西に傾き始めた。足の甲は、撮影中は、柵の陰に置くようにした。休憩中は、靴を脱いで、自分の体の影に入れるようにした。

 御影の石に腰かけて、うつむいて、苦行にも似た時間を、じっと全身で受け止めた。五分ごとの撮影が、なんだかなおざり、モニターもしっかり確認していなかったぞ。それに四、六時中、パーカの背中が、焼けるように熱い。なんだか頭がすこし痛い。熱中症予防のために、水はたくさん飲んでいるのに、少し気分も悪い、むかむかする。

 ぼうっとした頭で、明日もあるぞ、ここで体調を崩すわけには行かないぞ。そうだよな、もう、限界だろう。そう思ったら、急に弱気になった。時計を見た。二時半だった。三時間頑張ったわけだ。迷うことなく、撮影を中止した。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#6 犬吠埼灯台撮影2

 浜辺から、長い階段を登って、駐車場へ戻った。足が重い、しんどかったような気もする。車の中は、蒸し風呂!すぐにエアコン全開、窓にシールド。パーカやズボンを脱いで、倒れこむように横になった。ちなみに、後部座席は、体を伸ばして仮眠できるようにカスタマイズされている。ご丁寧に、布団も枕も持ち込んでいた。

来る前にシュミレーションしたように、耳栓をした。犬吠埼テラステラスの裏側、この駐車場は一般道に面していたが、なんと正面は老人ホームだった。車の出入り、騒音は、ほとんど気にならなかった。耳栓のおかげか、それとも体が参っていたせいか、すぐに寝ているとも覚めているともつかない状態に陥った。エアコンの温度や、車内の不愉快な暑さなどを意識しながらも、ひたすら、だと思うが、体の回復を願っていたような気もする。

 ひと眠りしたのだろうか、夢うつつの状態から覚めた。たしか、四時半少し前だったような気もする。が、はっきりとは覚えていない。

 うん、少し気分がよくなったような気がする。身支度。サンダル履きで、そう、カメラを首にかけ、というのは、2020年5月28日4時46分に、西日の当たっている灯台を、広場右側から撮った写真が残っているからだが、その前に、午前中同様、トイレ、そうだ、トイレにも行ったのだ。観光地のトイレとしては、比較的奇麗だった。だが、コロナ感染を意識して、すぐに出てきた。

 そのトイレの向かい側、休業している土産物屋の赤い自販機で、午前中と同じ、アルミボトルの缶コーヒーを買って、歩き飲みした。まずくはなかった。たしか¥130、安いなと思った。朝、貧しい朝食をとったきりで、その後、ビスケットを少し齧った程度だった。とはいえ、腹は空いていなかった。

 右側は海だった。大げさに言えば、太平洋だ。1枚撮った。あとは、灯台の正面辺りを、観光客気分でぶらついて、これみよがしに写真などを撮ったのだろう。もっとも、コロナ感染の自粛は続いていて、いまだ県をまたいだ移動は制限されていた。かまうものかとシカとして、川越ナンバーで千葉県に乗り込んだものの、灯台付近の車は、ほとんどが千葉ナンバーだった。まあ、いちゃもんをつけられることもないだろう。そうなったら、すぐに<すいません>と謙虚に謝ってしまおう。生意気なくせに、小心で臆病な性格が、年を取れば取るほど際立ってきた。

 灯台前にある、テラステラスというこぎれいな施設に、このとき入ったのか、よく記憶していない。きれいなトイレで、しかも温水便座で排便して、さらに気分がよくなったような気もする。その後、この施設には旅の3日目、4日目にも立ち寄って、カレーを食べ、トイレにも必ず寄って、気持ちよく排便した。

 気分がよくなった。頭がすっきりした。これなら夜の撮影ができそうだ。そう思いながら、車に戻った。装備を整え、といっても、午後の不覚を教訓にして、薄手のパーカ、薄手の靴下、トートバックには、ペットボトルの水、ビスケット、念のためにダウンパーカ、それにおしっこ缶、それだけだ。

 …おしっこ缶というのは、アルミのやや口径の大きいボトル缶のことで、車内や撮影中、トイレに行くのがめんどくさいときに使用する、いわば、携帯用の尿瓶だ。つまり、したくなったら、イチモツの先っちょをその中に突っ込んで、用を足すわけだ。イチモツ、などと大きな口をたたいているが、息子の頭は小ぶりだから、ちょうどいい。ま、どうでもいいことだな。

 あとはカメラバックに三脚二本。こっちは、かなりの重さだ。が、苦にはならなかった。もっとも、下り階段だ。浜に下りると、辺りは薄暗くなっていた。午後の五時半を回っていた。まっすぐ、例の撮影場所へ向かった。海風が心地よかった。

  三脚を立て、カメラをセットしかかったとき、後方から、マウンテンバイクに乗った若者が数名、大きな声で話しながらやってきた。あれ~、と思っていると、自分から四メートルくらい離れた柵のところで、釣りを始めた。ほぼ等間隔に並んで、四人ほど、かがみこんで釣り針にえさをつけ、大きく竿を振って、海の中へ投げ込んでいる。

 薄暗がりだった。だが、話声と顔つきで、外国人、それも中国人でも韓国人でもなく、東南アジア系の若者だと思った。嫌なことに、その中でも体格の一番いい奴が、俺の隣にいる。ふと、集団で、あるいは、あいつに襲われたら勝てないなと思った。もっとも、状況から判断して、いちゃもんをつけられる可能性は低い。シカとして、五分間インターバル撮影を続けた。若造に、根拠もなく、びくびくしている自分が情けなかった。

 次第にあたりが暗くなった。灯台の真ん中あたりが、下からの照明で照らされ、そこだけが楕円形に明るくなった。用意してきた、アウトドア用のヘッドランプをつけて、ほとんど初めての夜間撮影に挑戦した。アジア系の若者たちは、予想に反して、暗くなっても立ち去らなかった。それどころか、懐中電灯を持参していて、手元を照らしながら、盛んにエサを交換しては、大きく竿を振っている。夜釣りに来たんだ!浜風の中、何語なのかな?タイとかベトナムとか、そんな感じの語音が飛び交っていた。

 インターバル撮影の合間には、若者たちの行動を横目でちらちら追いながらも、刻一刻と表情を変えていく、灯台周辺の光景を全身で感得していた。午後の、あの暑さと比べて、いまはかなり心地よい。むしろ、寒いほどだ。ヒートテックのタイツをはき、長めのダウンパーカを羽織った。これでちょうどいい。ビスケットを少し齧り、水を飲んだ。腹の調子も少し良くなっていた。こんな時間に、こんなところで、写真を撮っている。念願がかなっている。世界の前に立っている。自分の人生を生きていると思った。

 海と空が、漆黒の闇に覆われ、灯台が光を発し始めた。そう、問題は、あの光線を写真に撮ることだ。ネットで、犬吠埼灯台の画像を、いやというほど検索したが、左真横、一直線の光線をとらえた写真は、わずか一枚にすぎない。しかも、その写真は<写真素材>として、有料で貸し出されていた。

天と海の間の暗闇を、一直線に走る灯台の光線。なんとまあ、ロマンがあるではないか。前に言った<作品>というのは、この五分インターバルで撮った写真群を、編集してスライドショーにする心づもりだったわけで、ラストは、いや、ラス前あたりに、この一直線の灯台の光線が、ぜひとも欲しいものだ。

 ところが、丹念な検索の結果にもかかわらず、灯台の光線を撮る方法は、見つけられなかった。星空とか、夜景とか、それから、近いものでは、光線を多重撮影して、灯台の周りにぐるっとめぐらす方法とかはあった。もっとも、多重撮影は自分の頭と腕がついていかないわけで、試すことすらしていない。というよりも、灯台から光線が放射状に出ているというのは、いかにも、作り物の感じがして、いささか趣に欠ける。

 だが、いちおう、灯台の光線を撮る方法を、自分なりに調べ上げ、メモしていた。手順はこうだ、モードはM、f値2.8、ss一秒から二分の一秒、ISO8000、いや、ほかにもメモがある。シャッタースピードssが長ければ長いほど光跡の幅が広がるとか、光線がカメラレンズに向かないタイミングをはかるとか、要するに、切れ端のネット知識だ。

 実際はすべて、役に立たなかった。これらのやり方では、むろんその場でいろいろ試したが、光線は撮れなかった。そもそも、何秒かおきに、ぐるぐる回っている光線を、左真一文字に来た時に写し撮ろうとするならば、シャッタースピードは、かなり早いものでなければなるまい。そんな瞬間は、あっという間に過ぎてしまう。

今思ったのだが、光線が動かず、不動のまま、海を照らしているならば、上記の方法は有効なのかもしれない。いや、これも試していないので、わからない。要するに何もかもわからず、いや、今日の段階では、光線は撮れない、ということが分かったわけだ。得心した。気持ちが覚めた。引き上げようと思った。カメラを三脚から外し、バックに収納した。

 少し前に、二、三人仲間が加わった、アジア系の若者たちは、その後もまじめに?釣りを楽しんでいた。新たに加わった連中は、柵を乗り越え、三メートルほど下の、波消しブロックに降り立ち、座りこみ、釣り糸をたらしている。自分の隣の大柄な若者は、なかでも、釣りがうまいのか、何匹も釣り上げていた。

 彼らが、どこから来たのか、何をしているのか、すぐには思いつかなかった。食いつめたような様子もないし、みな立派なマウンテンバイクを持っている。留学生なのかもしれない、あまり深くは考えなかった。考える必要もなかった。ただ、いちゃもんをつけられるのではないかと、最初、びくびくした自分を少し恥じた。

 カメラバックを背負う前に、柵に両肘をついて、暗闇に浮かぶ灯台をつくづく眺めた。たしかに、光線は出ている。ある間隔をおき、右の方から光り始め、こちらに向かってピカリ、そのあとは、例の左真一文字の光線を、茫漠とした闇の中に放って、左うしろに消える。この循環を、一晩中続けているわけだ。

 ただねぇ~、その闇に放たれる、左一文字の光線は、すごく薄くて、かすかに見える程度のものだ。しかも一瞬!あれを写真に撮ることなど、土台無理なのではないか、自分がネットで見た写真は、何か細工したものではないのかとさえ疑った。ま、いい、光線は撮れなくても、写真はたくさん撮った。撮れたはずだ!

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#7 犬吠埼灯台撮影3

 夜道を宿へ向かった。三十分ほどで、さしたる疲労も感じないで現着。途中、昨晩も寄ったコンビニで食料を調達した。朝食用に、ブドウパンと牛乳、夕食用には、おにぎり三個とからあげクンを買った。部屋に入って、すぐ着替えて温泉に入った。麦茶を煮込んだような色の、ぬるぬるの温泉だ。湯船は一つで、三畳ほどの広さ、四方がジャグジーになっている。ゆっくりと腰をほぐした。

独特の匂いが立ちこめていたが、道路側のサッシの窓を開けると、涼しい風が入ってきて、心地よかった。脱衣場、その他いろいろなことには目をつぶって、この貸し切り温泉を楽しんだ。そう、湯船に入るとき、足の甲、手の甲が染みた。見ると、真っ赤になっている。顔も焼けた、鼻が赤くなっていた。

 部屋に戻って、冷蔵庫に入れておいた、冷えたノンアルビールを飲んだ。うまかったとおもう。というのも、何しろ疲れていたので、いや疲れていたのだろう、そのまま倒れこむように寝てしまったのだから。九時前に着到して、十時すぎにはもう寝ていたと思う。幸いも、周りは静かで、物音で目が覚めることもなかった。二、三回、夜間トイレで起きたような気もするが、よく眠れた方だ。

 今日の出費、食品・飲み物¥980。

 三日目。

朝の四時過ぎに目が覚めた。朝日に照らされた、オレンジ色の障子がまぶしかった。十時に寝たのだから六時間は寝たわけか、と思ったような気もする。すっと起きて、障子をあけ、ついでに重いサッシ窓も開けた。目の前には飯岡漁港、釣りの名所らしく、防波堤の手前に車がたくさん止まっている。

 その向こうには刑部岬・ぎょうぶみさきと読むらしい。絶壁になっていて、その上に飯岡灯台と展望台のシルエットが見える。こちらからは逆光だが、輪郭が朝日に照らされ、ほんのり朱色に染まっている。絶壁の中ほどまで、うっすら霧が立ち込めていて、早朝の神々しい光景が広がっていた。写真には撮らなかったが、というのも、埃だらけのベランダに出るが嫌だったし、だいいち、そんな余裕も時間もなかった。

 日の出は撮れないとしても、朝日をうけた犬吠埼灯台の前に一刻も早く行きたかった。さっと身支度をして、ブドウパンを牛乳で胃の中に流し込み、部屋を出た。その際、スーパーで使うような、黄色のプラかごに、使用済みバスタオルなどを入れ、小さなごみ箱と一緒に廊下に出した。

 これが、この宿における連泊者の唯一の義務らしい。帰ってくると、ドアの横にそのかごが置いてあり、中に新しいタオルと歯ブラシセットが入っている。連泊者の部屋の掃除などは論外というわけか!ま、三日くらいだから問題はない。だが、これが一週間とか、長期間になったら、どうするのだろう。受付に言えばやってくれるのかもしない。ま、どうもいいことだ。こっちは忙しいんだ。

 ドアの鍵を閉めた。もっとも、鍵のくっついているプラの透明な棒を触るのも、ドアノブも、エレベーターのボタンも、なんか嫌な感じがした。コロナ菌がついていないだろうか?そういうことに関しては、かなり神経質らしい。一階の薄暗い受付には誰もいなかった。半自動ドアの玄関は、24四時間開いているようだ。その点は便利だ。いや、考えようによっては不用心だろう。

 車に乗り込んだ。なぜか、少しホッとした。この中にはコロナ菌などいない。それが、安心の多少の理由になっていたのかもしれない。時計を見た。四時に起きたのに、もう五時すぎだ。一応、念のため、ナビを<犬吠埼灯台>にセットした。

 平日だが、道は空いていた。当たり前だ、まだ早朝の五時すぎだ。ほとんど貸し切り状態で、多少見知った、今日で三回目の道を気分良く走った。途中、屏風ヶ浦の高台に差しかかると、長い直線の道路が波打っていて、朝日に照らされている。右側にはちらちらと海が見え、左側には巨大風車が林立していた。飯岡灯台の展望台から見た、東総台地を走っているわけだ。なんだか自分が映画の主人公になった気分だった。

 五時半過ぎに、犬吠埼灯台の商業施設、テラステラス裏側の駐車場に着いたはずだ。ここは、昨日車を止めた、道路沿いの駐車場よりは一段と高くなっている。浜への上り下りがすこし大変になる。いや、大した距離じゃない。ここを選んだのは、今日の午後、正確には十一時半から二時半までだが、車の中で仮眠をするためだ。こっちの駐車場の端っこが、代較的静かだろうと思ったのだ。真昼間の浜辺の暑さと日射には懲りていた。

 誰もいないかと思いきや、その、浜が見下ろせる駐車スペースには先客がいた。黒っぽい車で県外ナンバーだったかな、窓に日よけなどをしている。ちらっと車内で仮眠している姿が見えた。一瞬で、日の出を撮りに来たアマチュアの、しかもオヤジカメラマンだなと思った。ま、別にいいさ、目くじらを立てることもない。一台あけて、柵際の狙っていたスペースに車を止めた。

 装備をととのえ、浜へ下りた。昨日の教訓を生かして、薄手のパーカ、薄手の靴下、ペットボトルの水も二本持った。とはいえ、昨日来の疲れが残っていたのだろう、カメラバックが肩に重かった。トートバックも腕に食い込んで痛かった。

 少し砂地を歩いて、お決まり撮影場所についた。カメラを三脚にセットした。昨日と同じ場所に、というのも小石で目印をつけておいたのだが、どうもよろしくない。下が砂地で三脚の足が食い込んでいる。同じアングルが作れない。・・・なにか、三脚の足に敷くものを用意するべきだなと思った。

 時計を見た、六時を回っていた。下の浜では、十代の男女が数人、海に入って戯れている。早朝の誰もいない浜辺で、大きな声を出して騒いでいる。どういうつもりなのか。カメラと灯台の間にいるので、否応なく、画面に入ってしまう。ま、いいか。変化があって。

 二台のカメラのうち、望遠の方は、海に向けた。ちょうど、朝日が昇ってくる方向だ。今はもう、立派な?太陽になっていて、その光を受けた海面がきらきらしている。まともに見ては、眼がやられる。

 そうそう、今朝は雲一つない快晴だ。こりゃ~暑くなるなと思った。だが、実際には、浜風が強く、直射日光をもろに浴びているものの、さほど暑さは感じない。もっともまだ朝の六時台だ。それよりも、特記すべきは快晴、雲一つない青空。天気予報を検討して、この二日しかないと決断して出てきた撮影行だ。まさにどんピシャリで、昨日は多少の雲があり、照ったり陰ったりの空。今日は、朝からおそらく終日、100%の快晴!

 ま、野外撮影に、青空があることは、それだけでOKだ。欲を言えば、多少雲が流れている方が絵になる。そんな贅沢は言ってられないだろう。晴れただけでも感謝するべきだ。年間、字義通り、雲ひとつない青空が、何日あると思う。正確には知る由もないが、経験で、いや、カンで、いや、あてずっぽうで言えば、二十日以下だと思う。月に一回あるかないか、そんな感じだろう。

 …今ネットで調べた。快晴率。快晴とは、雲が青空に占める割合が0~15%くらいの状態と定義される。全国平均すれば、驚いたことに28日前後だった。もっとも、かなりの開きがあり、埼玉県などは全国最高の61日!ま、どうでもいいことだ。快晴だからといって、必ずしもいい写真が撮れるわけではない。率は高いけどね。ちなみに、千葉県は年間で20日だった!

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#8 犬吠埼灯台撮影4

 その快晴の直射日光を受けながら、五分間インターバル撮影を続けた。いつしか、浜の若者たちもいなくなっていた。きらきらと光る海面は、しだいに右の方へ遠のいていき、海は静かになっていった。ただ、水平線の手前、沖を行き来する船が多くなったような気がする。いろいろな船影があり、速度もそれぞれで、見ていて飽きない。

 と、いきなり、背後から声がした。今回の四泊五日の撮影旅行では、二人の男から話しかけられた。その一人、ほぼ爺に近いチャリに乗ったオヤジだ。「昨日も撮っていたよな、仕事か?」高圧的な感じでもなく、普通の感じだったので、その後、しばらく雑談した。内容は、ま、ほとんど忘れたが、覚えていることは、沖を行き来する船についての、爺の話だ。

 「望遠で見てみな、あの船止まってるのか?動いているか?」そう言われたので、しかたなしにカメラを覗いた。大きな船影、フェリーだった。「かすかに動いる」と答えた。あとは「あの二艘の船、巻き網漁をしているんだ」と爺が聞かれもしないのにしゃべっている。一応話を合わせて「今は何が捕れるんですか?」。「びんちょうマグロ、知ってるだろ」。<びんちょう鮪>と聞いて意外だった。マグロなどは、もっとずっと沖の太平洋の真ん中にいるような気がしていたのだ。

そもそも、この爺は何者だ。乗っているは汚いチャリ、早朝の散歩者なのだろうか。その爺との雑談もじきに終わって、後姿を目でおった。…なるほど、沖を頻繁に行き来していたのは、漁船なのか。朝っぱらに、仲間と魚を捕って、すぐ近くの銚子港へ売りに行く。漁師、自分のまったく想像もつかない生活をしている人間たちだ。世界は不可解、でも、俺の知ったことではない!奴らだって、俺の生きている世界は不可解なのだ。

 御影の腰掛石の前にしゃがみこんだ。柵に両肘をついて、顎を両手の手のひらに、あるいは、手の甲にのせたりしながら、少年の気分になって、沖を眺めた。辺りを見回しながら、少しぶらぶら歩いたり、ビスケットを齧り、ペットボトルの水を少量ずつ飲んだ。人影がないのを見計らって、おしっこ缶に用を足したりもした。退屈なような、無駄なような、意味のないような、それでいて、かけがえのない貴重な時間なのではないかと思ったりもした。

 時計を見た、十時半だった。十一時半までは粘るつもりでいた。その一時間が長かった。要するに、六時から撮り始めて四時間半以上すぎている。体力的にも気力的にも、長時間過ぎる。精神が散漫になっていたのだろう。撮影画像のモニターも、かなり雑、おざなりになっていた。撮影しているのか、時間を消化しているのかよくわからない状態。要するに、最後の方は、ぼうっとしていたのだろう。

雲一つない青空、快晴の浜辺で五時間半、写真を撮りながらも、とりとめのない時間を過ごした。昨日のような暑さ、不快は感じなかった。まずもって、海からの風がかなり吹いていて、暑さを和らげてくれた。日射は最大限に厳しかったが、準備と心構えが違った。なんとかやり過ごした。

 三脚をたたみ、カメラバックを背負った。五、六歩行きかけたところで、振り返った。忘れ物はないな、念のための行動が自動化している。忘れ物の確認をしないで、一度ならず痛い思いをしているのからだ。砂地を歩いて、高台の駐車場へ向かった。これが意外に体力を消耗する。長い急な階段がきつかった。疲れている。四時起きして動き回っているのだから、当然だ。

 車の中は蒸し風呂状態だった。すぐにエアコンを入れて、窓にシールドを張った。ズボンやパーカなども脱ぎ、すぐに横になった。一応、耳栓もした。車のエンジン音が小さくなった。眠ろうと思った。苦労せずに、そのうち、起きているのか寝ているのかよくわかない状態に陥ったようだ。夢心地。…蒸し暑くて不快、エアコンを強くした。またうとうとした。

 目が覚めた。二時過ぎだったかもしれない。とたんに大きなくしゃみ、五連発。これは、アレルギー性鼻炎の発作で、非常によくない。というのも、自宅なら<ザイザル>を飲むという選択肢もあるが、眠気とだるさがきついので、旅の間はできるだけ飲まないようにしたいわけだ。ま、さいわい、世の中、マスク着用が常態化しているので、最悪の場合は、テッシュで鼻栓をして、しのぐこともできる。

 さっと身支度をして、サンダル履きで車の外に出た。疲労が少し回復している。一応、カメラを一台首にかけた。犬吠埼灯台を、広場やや右からスナップするつもりだ。時間的には、午後の光になっていて、思ったとおり、やや赤っぽくなっている。ま、いい、これも一興だ。

 <テラステラス>に入った。窓際のカウンター席に座って、昨日と同じカレーを食べた。と、斜め後ろで、中国人か、大きな声でしゃべっている。振り返ると、ソフトクリームをほおばった、間抜けな面の若者だ。むろん、咎めるつもりなどはない。が、その後すぐ静かになり、いつの間にか、その一団はいなくなっていた。

 すぐに食べ終えて、トイレに寄った。少し排便して、温水で洗浄してすっきりした。ただ、コロナ菌のことが頭から離れず、念入りに手を洗った。きれいな施設だが、トイレに関しては、話は別だ。この時期、外で排便はしたくなかった。神経質なところがある。それに、同じ行動を繰り返す習性もある。同じものを、同じ場所で食べることがよくあった。

 さあ、午後の撮影の開始だ。一番暑い時間帯は、昨日撮った。今日は、そのあと、二時半から日没前の五時半までにしよう。三時間の撮影が関の山だ。それ以上は冗長、散漫になってしまう。都合のいい理由をでっち上げた。

 ほぼ予定通り、午前と同じ場所に、同じように二本の三脚を立て、五分間インターバル撮影を始めた。太陽は西に傾き始め、暑いというほどでもなく、アウトドアが快適だった。カメラと灯台の間にある波打ち際は、大賑わいだった。次から次へと、登場人物が入れ替わった。

 小さな子供連れの家族が多かった。それにカップル。ときには高校生の男子だけの集団、小学六年生くらいの仲良し少女たちもいた。真っ白な灯台が、徐々に西日に照らされ、染まっていくことを期待した。が、そういう現象は起こらず、海を撮っている望遠の方も、快晴ゆえに、空にもまったく動きがない。

 いきおい、写真撮影よりも、波打ち際で遊んでいる人間を見ていることが多くなった。記憶に残っているものだけでも、記しておこう。小さな女の子、赤いボールが波にさらわれた。思い切って自分で取りに行こうとして、波の中に沈んだ。すぐさま、メタボ体形の父親が、意外にも俊敏な行動で海の中に走りこみ、幼い娘を救い上げた。

 小型犬を散歩している女性。寄せ波に、ワンコは逃げようともせず、そのまま波につかる。そして、引き波の中、しゃがみこんで気持ちよさそうだ。それを幾度となく繰り返す。飼い主の女性が笑っている。大きなストローハットをかぶった若い女性、二人連れ。ひとりは、ヒールを手に持ち素足で波打ち際を歩いている。そのほか、あとからあとから、小さな男の子や女の子が走って登場、波打ち際で歓声を上げている。孫を見守るじいちゃんたち。

 一番絵にならないのは、若い男の二人連れ、さらにいただけないのは、男の若者が一人。波打ち際は、やはり女性や子供たちの場所だ。・・・そう言えば、地元の老サーファーが、波間に浮いていたな。一、二回、波に乗ったものの、すぐに見えなくなり、また波間に浮いている。良い波を探しているようにも見えるが、なにせ、サーフィンをするような波じゃない。この、やや長髪の爺は、昨日、遊歩道を散歩していた。さばけた爺さんがいるなと記憶に残っていた。サーファーだったのね。

 ・・・陽もだいぶ傾いてきた。陣取っている柵の下、波打ち際に、先ほどの女の子仲良しグループが、インスタにでもあげるのか、スマホで自分たち写真を撮っている。距離的にも近く、要するにすぐ目の前なので、いやでも目に入ってくる。確か四人いたと思う。体つきからして、中学一年生くらいか。海を背にして、三人が並んでポーズを取り、ひとりが撮る。これを交互に繰り返している。写真が撮れたら、ワッと走り寄って、みなでスマホを囲む。実に楽しそうだ。

 そのうちは、白っぽい風船を膨らませて、それぞれが手に持つ。シャッターチャンスの、念入りな打ち合わせをして、全員で指を立ててカウントする。と、ひとりの風船が割れて、中から何やら、小さな金色の星のような物が、ぱっと飛び散る。なるほど、面白い演出だ。これを交互に繰り返す。時間なんか関係ない。今の彼女たちに時間は存在しない。見ているだけで、こっちまで楽しくなった。

 とはいうものの、それが、妙な具合になってきた。女の子のうちの、誰かのお姉ちゃんなのか、茶系チェックのスカートに白ワイシャツ、痩せ気味の女子高生がどこからとも現れた。女の子たちを並ばせ、スマホで写真を撮ろうとしている。ポーズの注文など、こまかく指図している。そのあと、スマホを覗いて何やらやっている。その時間が、いやというほど長い。その間、女の子たちはおしゃべりするでもなく、シーンと、神妙に待っている。先ほどの快活な雰囲気がなくなり、白けた感じだ。

 女子高生の方は、そんなことにお構いなし。ようやく、スマホから顔を上げ、またあれこれ長い指図をして、スマホを覗きこむ。その繰り返しだ。このあとどうなるのか、すこし気になったが、これといった動きもない。次第に飽きてしまった。こんな状態がかなり続いたのだと思う。あたりがだいぶ暗くなってきた。

今日は、灯台に灯がともる前に引き上げようと思っていた。灯台からの光線が撮れない以上、夜の灯台と対峙する意味はない。ふと下を見ると、女の子四人が、うす暗くなってきた海を背にして、まだ座っている。が、ひとりの子が、最後の風船を、合図とともに割ろうとしている。また、快活な声が浜に響いた。女子高生と一緒に指を折りながら、ついに風船が割れた。金色の星屑が、彼女たちの頭に降りかかった。この瞬間を撮りたかったわけだ。それにしても、写真一枚撮るのに、何十分かかってるんだ。ま、余計なお世話だな。

 女の子たちは、ワッと女子高生のもとに走り寄り、スマホを覗きこんで、歓声を上げる。うまく撮れたのだろう。やっと解放されたと思ったのは自分だけではなかった。みなして風のように砂浜を走り、灯台の方へ消えて行った。そうそう、立ち去る前に、飛び散った金色の星屑を拾っていた。浜を汚さないような躾がされている。やはり、地元の子たちだ。ちなみに、この<君が浜>は<日本渚・百選>に選ばれているようだ。

 人生の、一番楽しくて、美しい、高貴な時間を、今この瞬間、自分たちが生きているなどとは、おそらく思わなかったにちがいない。だが、少女たちよ、いずれそのことがわかる時が来る。それが年を取るということだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#9

ビジネスホテル~飯岡漁港

 …浜に人影がなくなり、灯がともる前の灯台も、薄暗がりの中で佇んでいた。五時半だ、引き上げよう。三脚をたたみ、カメラをバックへおさめた。そうそう、書き忘れていたことがある。午後の休憩のあと、高台の駐車場から浜を見下ろした時のことだ。車が何台か閉鎖されているはずの浜の駐車場に入りこんでいる。あれ、駐車場の開放は、明日からだったはずだ。ようするに、<30日より開放>と告知されているので、早めに開けたのだろう。職員がわざわざ、午前零時に開けに来ることもない。その辺は柔軟というか、お役所仕事だ。ま、こっちにとっては都合がいい。機材を運ぶ手間が省けるわけだ。

 昨日、一昨日と、夜の八時近くまで写真を撮っていた。今日はまだ六時前、気が楽だった。途中、旭市の市街地で、ガソリンを補給。旅に出る前に満タンにしてきたが、もう半分以上使っている。値段的には、さほど安くもなかったので¥1000だけ入れた。これで十分だ。けちくさい根性は一生なおらないだろう。

 宿に着く前に、コンビニに寄った。同じ店に、今日で三回目だ。まず、ブドウパンに牛乳、それにカツ丼弁当を買った。初日は食欲がなかった。だが、今日は腹が空いたような気がする。宿に着いたのは七時前。いつものようにすぐ着替えて、温泉に入った。こちらも今日が三回目だ。一応どうでもいいことだが、もっとも、どうでもいいこと以外に、書くことがあるとも思えないが、とにかく、一日目は、こちらに背中を向けた若い男が、湯船につかっていた。自分が入っていくと、それまでは寛いでいた感じなのに、そくそく出て行った。ま、こっちも一人の方がいい。

 二日目は、風呂場の入口、下駄箱のところで、おばさんにばったりでっくわした。黒っぽい服を着て、愛想のないのっぺりした顔、猜疑心が目に出ている。よく出くわす人間の表情で、要するに警戒心や嫌悪感が丸出しだ。目礼もしないですれちがった。

 他人を嫌な感じにさせる表情は、それだけで罪だと思う。自分もそういう時期があった。まずもって、額にしわを寄せ、目が険しい。人生が不幸なときだ。ある時そのことに気づいて、なるべく、<愁眉>を開くように心がけた。少しはニュートラル表情になったのか、ま、今はそれほど不幸でもないので、嫌な表情はしていないと思う。

三日目は、誰にも会わず、ゆっくり温泉につかった。湯船はさほど気にならなかったものの、さすがに、ドライヤーを使う時には、コロナ菌が気になった。もっとも、あたり一帯、足ふきのバスマットも、脱衣カゴも、安全とは言えないだろう。

 なるべく、物に触れないようにして、部屋に戻った。ノンアルビールを飲み、カツ丼弁当を食べた。レンジでチンすれば、もう少しうまかったかもしれない。だが、風呂場へ行く途中の、うす暗い物置のような場所に鎮座ましますレンジを、使う気にはなれなかった。

 食事が終わり、布団にごろっと横になって、小さな画面のテレビを眺めた。まったく興味が持てず、八時になったので、部屋の電気を消した。あっという間に眠ったのだと思う。ま、静寂だけがこの宿の取り柄なのだ。

 四日目。

翌朝は、四時に目覚めた。昨日、八時に寝たのだから、八時間寝たわけだ。そういえば、体も軽い。疲れが取れたような気がした。すぐに支度をして、部屋を後にした。と、その前に、一応、忘れ物がないか、冷蔵庫の中、クローゼットの中などをのぞいた。むろん、というか、性格だろう、布団もたたんで、そのうえ、流し周辺なども軽くふいて、部屋の原状復帰を果たした。

 …宿から立ち去るときに、よく思い出すことがある。もっとも、今回は思い浮かばなかったが。二二六事件の兵士たちが、一晩泊った宿を去る時、布団もちゃんとたたんで、部屋をきれいにして立ち去ったという、ウソかホントか定かでない逸話だ。

 …その後、極秘事項の漏洩を防ぐためだろう、兵士たちの、軍隊内における処遇は過酷を極めた。ということは、後になって知るのだが、逸話を聞いた時には、皇軍兵士とは、そのようなものかと思って、印象に残っている。だが、いま思えば、上官の命令だったのかもしれないし、あるいは、残酷、残忍な内務班で、整理整頓を徹底的に教育されていたからかもしれない。ま、今更、興奮しても仕方ない。老人の繰り言だ。

 例の黄色のプラカゴに、使用済みのタオルなどを入れて、部屋を出ようとした。ふと思いついて、室内の写真を数枚撮った。旅の記念だ。連泊の最後の日だから、鍵は掛けなかった。もう来ることもあるまいと思いながら、エレベーターで一階に下りた。

 まだ朝の五時すぎだというのに、受付には、穏やか感じのばあさんがいて<ありがとうございました>と言われたような気がする。鍵をカウンターの上の小さな箱に戻して、自分も口の中で<ありがとうございました>と言ったような気がする。

 車に乗り込んだ。今日が最後だと思うと、朝っぱらから元気が出てきた。そうだ、飯岡漁港をちょっとのぞいてみよう。先日行ったときはコロナの影響で立ち入り禁止だった。

 少し走ると、大津波で立ち往生した自動車から映した、道沿いの民宿が見えた。外観はあの時のままだったような気がする。と、手前を左折して、すぐ左手に<いいおか公園>。前方には高い堤防が見え、その上に人がたくさんいる。釣りをしているのだ。

 車をどこに止めようかなどと思いながら、行き過ぎてしまい、ユ-タ-ン。堤防近くの広い道に路駐。カメラを取り出し、付近の風景などをスナップした。とくに、刑部岬の断崖の上に立つ、飯岡灯台と展望台を、しつこく撮った。モノにはならなかったけどね。

 少し歩いて、堤防に斜めに掛けてある、たしかアルミ製だったかな、危なっかしい梯子を数段上る。と、そこはかなり幅広の道?堤防の上に出た。あとで知ったのだが、この場所は釣りの名所らしい。それにしても、写真を撮る場所がないほど盛況。まだ朝の五時過ぎだぜ!

 釣り人たちの間を歩いて、空いているところを探した。柵越しに太平洋の、何もない海と空を一枚撮った。あの向こうから、大津波が押し寄せてきたのか、という感傷に浸れるような状況でもなかった。要するに、朝っぱらから活気があって、みんな釣りに夢中だ。

 これといった収穫もないまま、車に戻った。だが、往生際が悪く、またしつこく、逆光の刑部岬、豆粒みたいな灯台と展望台を撮った。撮れた気もしなかったが、なぜか気分は上々だった。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#10 犬吠埼灯台撮影5

 ナビをセットした。犬吠埼灯台、君ヶ浜、東側駐車場へ向かった。ちなみに、ここは初日に下見していて、ぜひとも撮影しようと思った場所だ。つまり、灯台の先端から、弓なりに広がっている君ヶ浜の、ちょうど反対側で、距離はあるが灯台に正対できる可能性があるのだ。何を言っているのか?要するに、灯台の垂直を出すには、灯台に正対するしかないし、そうでない場合、灯台は、必ず傾いでしまう。

 そういう場所で、無理に灯台を垂直にすれば、今度は天地が傾いてしまう。…人間の目は、実際には傾いでいる灯台を、あるいは、斜めになっている水平線を、頭の中で修正して、垂直、水平にしてしまう習性がある。写真を撮るときには、要注意だ。

 その点カメラは、律儀すぎるほどの正確さで、傾いているものは傾いたまま、斜めになっているものは、斜めのまま、写し撮る。とはいえ、カメラは、レンズ口径や性能に影響され<収差>という専門用語すらある。

 要するに、水平線に直立する灯台などというのは、頭の中ででっち上げたイメージで、厳密にいえば、実際には存在しないような気もする。ただ、懲りない抵抗として、被写体に正対すれば、垂直は取り易いということだ。これは経験値ですな。

 …灯台写真を、最近はネットでたくさん見ている。灯台が<ピサの斜塔>のように傾いている写真が数多くある。自分としては、かなりの違和感がある。とはいえ、それは、人それぞれの感覚的なことで、たとえ傾いていても、その人にとっては、問題がない場合もあるのだろう。ただ、自分の場合は、屹立する灯台、垂直に、すっと立つ灯台の姿に魅力を感じるわけで、それなくしては、灯台を撮る意味がなくなってしまう。

 だから、ま、あとで書くが、撮った後の落胆が大きい。つまり灯台が傾いているのだ!その結果、その後の綱渡りのような修正作業が、半端なく膨大になる。かなりうんざりだが、傾いたままの灯台を許せない。念のために言っておくと、これはあくまでも、自分だけの問題であり、他人様の写真を、とやかく言っているのではない。それほど偉くない!

 さてと、話が、きわどい感じになってしまった。四日目の旅日誌を続けよう。…君ヶ浜の、東側駐車場はさほど広くもなく、下は砂場。高さ1mくらいのコンクリ護岸の前に、ぴたっと車の鼻面をあわせた。そこは、護岸が切れたところで、脇から砂浜へと入ることができる。

 できることなら、そうだな、砂浜よりは波の打ち寄せる岩場まで進攻したいところだ。例の垂直の話で、弓なりになっている浜の、灯台とは反対側の頂点が最高なわけだ。だが、そうもいくまい、カメラに波しぶきでもかかったら終わりだ。だから、ぎりぎりのところを選択して三脚を立てた。

 そばに転がっていた、丸くて黒いプラスチック、これはブイだろう、ちょうどいい、腰掛に使える。三脚の後ろに置いて、インターバル撮影の合間、そこに腰かけた。幸運なことに、今日も晴れの予報だった。はるか彼方の灯台を見ながら、誰にも煩わされず、撮影を続けた。

 といっても、九時を過ぎたころから、浜遊びをする人が増えてきた。小さな男の子を連れた楚々とした感じの女性、子供と一緒に砂浜の貝殻を拾っている。ほかにもいたが、よくは思い出せない。そう、あとは海の中、波間に例の老サーファーが見えた。

 …今調べたら、四日目の撮影は、七時半からになっていた。五時に宿を出て、飯岡漁港に寄って、それからひと走りして、いまここにいるわけだ。もっと早くに着いたと思っていた。のんびり、時間に関係なく動いていたとみえる。

 ふと思って、携帯で楽天トラベルを検索。保険として最初に予約して、そのあとキャンセルした銚子市内のビジネスホテルをみた。お、今日、空いている。迷うことなく予約した。というのも、この後、まだ見るべきところが残っていたのだ。

<地球が丸く見える丘展望台>それに<銚子タワー>。午後から、それらの施設を回って、そのあと190キロの道のりを帰るのか、と思うとちょっとうんざり、無理だよな。ニャンコもいないし、もう一泊していこうという気持ちになったわけだ。ちなみに、連泊した宿の方は検索もしなかった。もう泊まるつもりはない。

 …旅の日程を変更したことは、おそらく今回が初めてだ。<自由>を感じた。カネのことも日程のことも二の次で、思いつきで旅を楽しんでいる。そう今にして思えば、算段して旅に出ても、いつもカネと時間に縛られていたのだ。

一応、娘にだけは、もう一泊すると連絡しておいた。泊まるホテルの名も伝えた。と、そばに、ちょっと前からたたずんでいた中年男性に話しかけられた。少し前から気配は感じていたのだ。

 携帯が終わるのを待っていたかのように、丁寧な感じで、写真のことについて聞きたいと言う。お、と思い耳を傾ける。最近ニコンの5600を買ったものの、どうも使いこなせない感じなんです。なるほど、こっちがニコンのカメラを二台、三脚に立てているのを見て、話しかけてきたんだな。

 ま、それから、いろいろと、小一時間話した。こっちも暇だったし、インターバル撮影にも多少飽きていたのだ。彼の方も、駐車場が解禁されたので、久しぶりに一人で海を見に来たのだ、とか言っていた。自分から、五十過ぎとちらっと漏らしたが、独身かどうかはわからない。仲間とバイクでツーリングなどもしていて、行った先の景色をきれいに撮りたいらしい。

 ま、偉そうに、少し初歩的な写真のテクニックを伝授した。とはいえ、あとでよく考えてみると、でたらめを教えたような気がする。申し訳ない!この場をかりて、丁重に謝りたい。

 帰り際に、彼が、いまここで撮っている写真が、ネットにアップされるんですね、楽しみです、というようなことを遠慮がちに言った。おっと思い、名刺の裏に、投稿サイトの名前とハンドル名を書いて渡した。白っぽいシャツに黒っぽいズボン、地味な感じの少し小太りの、人のよさそうな男だった。

 時計を見た。十時半だった。十一時半まで粘るつもりだったから、あと一時間かと思った覚えがある。撮影を続けながら、今日の午後、そして明日の予定を、頭の中で考えた。

ここを、十一時半に撤収して、<地球が丸く見える丘展望台>へ行く。すぐ近くだから、移動にさほど時間はかからない。問題はそのあと、展望台からの撮影だ。撮影場所はワンポイントだろう。要するに、そこから犬吠埼灯台が見下ろせるかどうかにかかっている。ま、それでも、行って帰ってきて、二時間あれば十分だろう。

 戻ってきたら<テラステラス>でカレーを食べる。それから<銚子タワー>へ行き、望遠で灯台を狙う。五時前に引き上げ、ここに戻ってきて、夜の撮影。撮れなかった灯台の光線に、もう一度挑戦してもいい。それから、明日の午前中には晴れマークがついているから、帰る前に君ヶ浜を少し散策してみよう。ざっとこんな感じだ。

 …午前中の撮影は、どこか集中力に欠けていたな。だが、もういいだろう。少し観光気分になっていた。三脚をたたみ、機材を車の中に収め出発した。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#11 

<地球が丸く見える丘公園><銚子タワー>撮影

 灯台を見下ろす高台にある<地球が丸く見える丘展望台>には、すぐに着いた。コロナ禍でずっと休館していて、今日から再開。駐車場がずっと下の方だから、重いカメラバックを背負い<ふれあい公園>の中をうねうね歩きながら、展望台を目指した。

 施設の中に入ると、思った通り、と言うのは駐車場に車が二、三台しか止まっていなかったからだが、閑散としていた。売店に人影はなく、受付の女性が一人いるだけだ。生年月日を言って、シニア割¥360。高いのか安いのかよくわからない。エレベーターに乗って、展望ラウンジへ行った。休憩所のようなものがあり、長い机に椅子がたくさん並んでいた。人影はない。ベランダに出ると、たしかに、太平洋が一望だ。

 とはいえ、お目当ての灯台は、なんとも間抜けな話で、黄色っぽい二階建ての民家にさえぎられ、ほとんど見えない。なんで、と言いたいほど、ベストポジション?にその大きな家はあって、故意に、灯台を見せまいとしているかのようだ。

 だが、せっかくだ。望遠を取り出し、ベランダの仕切り壁に寄りかかりながら、撮り出した。まったくもって、写真にならん!灯台の白い頭だけが、ちょこんと民家の横から飛び出ている。その向こうは太平洋、そして水平線だ。

 撮っているあいだ、二、三組、若いカップルや家族連れがそばまで来たような気もする。が、やや機嫌が悪かったので、よく覚えていない。こりゃだめだな、とすぐに諦めた。観光気分でベランダを半周し、太平洋を眺めた。HPのうたい文句通り、水平線が少したわんでいる。だからと言って、どうということもない。

 徒労だったな、と思いながら、エレベーターに乗ったのだろうか、施設の外に出て、公園の階段を下りた。…今この施設のHPを見た。海を背にした、犬吠埼灯台の写真が掲載されている。これは空撮か?それとも民家ができる前の写真なのか?そう、たしかにこの写真を来る前に見てはいる。だから行ったのに、いっぱい食わされた!

 広い駐車場は、日差しが強くて、車の中はひどく暑かった。もしかしたら、と思いながら、高台を下りながら、辺りをきょろきょろした。どこか、民家の下に、見晴らしのいい場所はないのか。…なかった。

 朝から、ブドウパンと牛乳しか腹に入れていない。昼食の時間はとっくに過ぎている。そうだ<テラステラス>でカレーを食べるんだ。ひと息入れて、次の行動へ移ろう。今日は夜の八時頃まで写真を撮るつもりだった。

 犬吠埼灯台前の商業施設<テラステラス>は、できたばかりなのか、きれいで、混んでなくて気持ちがいい。たが、昨日に比べ、灯台周辺の広場には人影が多い。県外ナンバーもちらほらで、観光地の雰囲気が戻ってきた感じだ。

 この旅の習慣。昼食にカレーを食べ、きれいな温水便座で用を足す。さてと、今度は<銚子タワー>だ。ナビをセットした。…そう、銚子タワーに関しては、行く前から、さほど期待していなかった。HPに掲載されている、民家の屋根越しの写真は、どう見ても超望遠で、自分の400mmでは無理だろうと思っていたからだ。

 浜での午前の撮影でも、その合間に、真後ろを振り返り<タワー>を目視、そのまま回れ右をして、今度は灯台を目視。なるほど、<タワー>展望台の右端からなら、左端かな?灯台が見えるはずだ。ただ、距離がかなりある。今でさえ、かなり遠目の灯台だ。期待はできない。だが、一度は行ってみるべきだよな。

 <銚子タワー>にも、ナビ通り、すぐに着いた。さして広くはない駐車場に、数台の車が止まっている。施設に入ると、薄暗い売店、そして受付の女性が一人だけ。ここでも、さっきの<地球・・・展望台>とおなじく、生年月日を言って、シニア割り¥360。両方とも市の施設なのだろうか、何もかもよく似ている。

 エレベーターで、かなり高いところまで登った。展望室は、ぐるっとガラス張りで、360度見渡せる。あ、あった。犬吠埼灯台だ。でもねえ~、あまりに遠すぎる。いちおう、来場者に気をつけながら三脚を立てた。遠目とはいえ、撮影ポイントは、この場所以外にない。HPの写真も、この位置から撮られたものだろう。何枚か撮った。ガラス越しの撮影は<スカイツリー>で経験積みだった。

 しかしながら、灯台は民家の屋根越し。それに、思った以上に遠い。ま、あとは、トリミングと補正と修正でどのくらいできるかだが、帰宅後に、何をやっても、全然モノにならないことが判明した。やはり、400mm程度の望遠では無理だったのだ。惨敗。

 あっさり、犬吠埼灯台はあきらめた。ほかに何かないかと、展望室をぐるっとひと回りした。銚子漁港とか、古い船とか、いい眺めだ。それに、西側の方に、防波堤灯台などがいくつか見える。中でも、その時は名前を失念していたが<銚子港一の島灯台>というのが、小ぶりながら存在感がある。

 …再度、今調べてみると、灯台マニアのサイトには、地上からの写真もある。丁寧なサイトで撮影場所まで明記してあった。それに、出所は忘れたが、この灯台が大波を受けている写真があったはずだ。いい写真で印象に残っている。

 というわけで、時間もあるし、この灯台と、そばにある防波堤灯台なども撮ろうと、ガラス越しに三脚を立てた。ところがだ、その場所の後ろにはベンチのような腰掛があり、ま、それはそれでバックなどを置くには便利なのだが、通路が狭くなってしまい来場者の邪魔になる。

 不運?は重なるもので、さほど混んでもいなかったのに、にわかに、次から次へと人が通り過ぎる。そのたびに道をあけたり、場所を移動したりした。おちおち写真など撮っていられない。いま思えば、夕日に海が染まるのを期待して、インターバル撮影を試みたが、しょせん、場所的にも、時間的にも無理があった。

 ま、その時は、そのことには気づかないで、子供連れの家族が大声で話しながら、二回も巡ってきたことに、やや不機嫌になった。しかも、あろうことか、三脚の横にあった、有料の双眼鏡を子供が覗きたがり、駄々をこねているのだ!

 ま、いい。話を灯台のことに戻そう。まさに高みの見物撮影だった。だが、写真的には、これもあとで思ったことだが、あまりよろしくない。端的に言って、平板になる。今回の場合、望遠という要素も加わるので、ちなみに望遠レンズでは画像が圧縮され距離感がなくなる、より一層奥行き感のない、のっぺりした写真になってしまった。

 これは、遠近感が重要な、風景写真では致命的だろう。理想は35ミリくらいで、被写体に近づけるだけ近づいて撮ることだ。誰の言葉か、どこで読んだのか忘れたが、奥行き感ということに関して言えば、35ミリ前後が、自分の貧しい経験からしても、一番有効だと思う。

 ま、それはさておき、こう人が多くちゃ、三脚なんか立てていられない。いうわけで、そばにある赤い防波堤灯台や、その隣の白い突堤灯台なども、手持ちで撮り出した。撮れているのか撮れていないのか、なんだか、かなりでたらめな、乱暴な撮影になってしまった。

 ・・・その<一の島灯台>の後方、というか斜め右上から、一台のモーターボートが現れた。海の上を疾走している。灯台を横切る瞬間、少し左側に行ったところなどでシャッターを切った。ありきたりの構図だ。…<荒川>を撮っていた時も、よくモーターボートを見かけた。モーターボートに乗ったことは一度もないし、乗りたいと思ったこともない。が、ふと、ああいう乗り物に乗っている人間のことを思ったことがある。金持ちなのだろうか?それとも遊び人なのか?いずれにしても、自分とは違う種族だ。とはいえ、心の底では羨望と嫉妬が微かにうごめいていた、というのが正直なところだ。だが今日は、疾走するモーターボートを見て、アホやな、とは思わなかった。低俗な人間にはなりたくないが、自分だって、そんなに高尚な人間じゃない。大して変わらない。

灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#12 犬吠埼灯台撮影6

 さあ、時間だ。ひきあげよう。エレベーターに乗って下まで降りた。車に乗り込んだ。五時前だった。これから、夕方の撮影が始まる。念のため、ナビを犬吠埼灯台にセットして出発した。

 途中、道沿いの、海の見える、ちょっとした駐車スペースに車を止めた。なにをしたんだっけ?夜の寒さに備えて、ヒートテックでも着込んだのか、それとも、腹ごしらえに、何か持参していたお菓子でも食べたのか、しかとは思い出せない。ただ、フロントガラスの向こうに広がる、少し暗くなった海を見て、一瞬、こんな光景、前にも見たことがあるな、と思った。

  君ヶ浜の東側駐車場に戻ってきた。辺りは少し暗くなっていた。車が数台止まっている。朝方の撮影の際に現れた、耐えがたい騒音の、族っぽい二台のバイクが、またやってきた。朝方は、狭い砂地の駐車場を我が物顔で走り回っていた。今回は、あっさり、すぐに行ってしまった。うるせいなあ~と思ったものの、ひょっとしたら、奴らの縄張りだったのかもしれない。

 撮影機材を車から下して、護岸の切れたところから、浜辺に入った。午前の撮影同様、岩場と砂浜の境あたりに三脚を立てようと思った。だが、気が変わった。

 護岸の下は、コンクリの段々になっている。そこに腰をおろして、三脚を短めにセットした。要するに、段々に腰かけたまま、撮影しようというわけだ。立ったり座ったりする必要もないから、これは楽だ。もっとも、ずっと腰かけてもいられないので、インターバル撮影の合間に、立ち上がったりもした。

 それはともかく、カメラを構える位置が、灯台から少し右にずれた。灯台の垂直だとか正対だとか、厳密にいえば、位置取りが甘くなった。暗くなってきた辺りの景色同様、頭の中も暗くなっていたのだろう。

 ただ、よく覚えていることは、灯台からの光線を写真に撮ること。メモしてきたことはほぼ無効で、完全な真横一文字は望むべくもないが、何とか工夫して、光線をモノにしようという、ある種の意気込みだ。朝五時に起きて、一日中動き回り、それでもなお元気だった。完全にハイになっていた。

 五時半過ぎから撮影したのだから、あっという間に暗くなってきた。灯台に明かりが灯った。ちらちらと、光線が見え始めた。じきに辺りは真っ暗。持参したヘッドランプを頭に装着した。こうしていれば、暗がりでごそごそしていても、他人に怪しまれることはないだろう。小心者!よけいなことを考えすぎだ。

 バタバタと、カメラ操作などしているうちに、ついには漆黒の闇。下からの照明を受けた灯台だけが、ぼうっと浮かび上がっている。その明かりの影が、暗い夜の海を微かに照らしている。時々、灯台正面の駐車場に出入りする、車の赤いテールランプが点滅する。

どう考えても、一秒では、光線はとらえきれない。ためしにと、十五分の一秒、続いて三十分の一秒、さらには五十分の一秒とした。お、かすかに写っている。調子に乗って、八十分の一秒にする。やや物足りない。なるほど、五十分の一秒か。ホントなのか?

 しかし、これでは光線が短すぎる。イメージとしては、灯台の目から暗闇へと、長い光線が欲しいのだ。でもね~、そんな光線は目視できない。だからこそ、何か特別な方法が必要なのだろう。それが技術というものだ。

 だが、ありていに言えば、その技術を習得するには、あまりに年を取りすぎてはいないか?いや、年など関係ない。是が非でも、という強い気持ちがあるなら、やれるはずだ。きれいごとじゃないのかな?

 とここまできて、灯台からの、真横一文字光線が是が非でも必要だとは思えなくなってきた。つまり、光線は一種の絵面でもあるわけだ。問題は絵面ではなく、心意気が欲しいのだ!言葉に酔っている。いまの段階では、光線は撮れない。それだけでいい。

 変な納得の仕方だった。とはいえ、気持ち的にはすっきりした。今やれることはやったのだ。何と言われようと、ま、後悔はない。こうして四日目の夜の撮影が終わった。灯台からの、少しばかりの光線が撮れたことに、十分満足していた。

灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#13

少し高いビジネスホテル

 お決まりのようにナビをセットして、銚子市内のビジネスホテルへ向かった。暗い夜道を、どこをどう走ったのか、じきに広々とした市街地に出た。銚子市のメインストリートみたいだ。

 ご丁寧なことに、ホテル近くのコンビニもナビで調べていた。道沿いにあるのですぐにわかった。おにぎり三個、唐揚げ、牛乳、ブドウパンなどを買った。ホテルの駐車場は有料パーキングのようになっていた。とはいえ、通行フリーになっているので、バーは上がったまま。建物が大きい割には、車はさほど止まっていない。

 明るい、きれいな入口、受付には若い女性が二人いて、ビジネスライクな応対、前金で¥7700払う。カードをもらい、エレベーターに乗った。部屋は二階、廊下も広い。

連泊した宿とは、何もかもが違う。キーじゃなくてカードだ。ま、今日日、当たり前だろう。そのカードをドアノブの下に当て、部屋に入る。明かりをつけようとして、壁際のスイッチを押した。反応がない。…なるほど、壁にカードを差し込むポケットがある。

 電気がついた。きれいだ、それに広い。喫煙ルームだったのだろうか、空気清浄機があり、つけると、こもっていたタバコの臭いが消えた。テレビもでかい。ベッドに横になりながら、見られる配置になっている。コロナ対策もされている。コップは紙で包まれていた。ま、これも当たり前だけどね。

 値段だけのことはあるな、と思った。すぐに着替えて、広めの、きれいなユニットバスでシャワーを浴びた。むろん、温水便座だ。最初に入ったときに確認している。こうでなくちゃな、少し常識的な気分になった。

 唐揚げをつまみに、ノンアルビールを飲んだ。おにぎりも三個食べた。おにぎりの味がした。名前を出してもいいだろう、街中のセブンだから、品物の回転が速く、その分、おいしいのだ、と納得した。

 そのあと、ノートにメモを取った。要するに、何時に起きて、何をしたか、という程度のことだ。それだけでも、帰宅後の日誌にはずいぶん役立つ。細かい、数字的なことがまったく思い出せないことがしばしばあるのだ。

 三十分くらいメモっていたら、なんだか眠くなってきた。夜の八時過ぎにチェックインしたことは、間違いない。だが、何時に寝たのかは定かではない。メモにも書いていない。ま、十時前には、確実に寝てしまったのだろうと思う。

 そうそう、車に積んであったノートPCは一度も持ち出すことがなかった。何しろ、パソコンに向かう気に全然なれなかったのだ。それどころか、いつもの撮影旅行なら、宿での画像モニターは決まり事なのに、バックからカメラを取り出すことすらしなかった。かなり疲れていたんだろうな。

 ベッドに斜めに横になり、テレビ画面を眺めていたような気がする。むろん、テレビなんか見ていない。うす暗くなった広い室内を見回し、ここを定宿にして、また撮りに来よう。春夏秋冬、季節ごとに同じ場所から撮る。犬吠埼灯台のロケーションは、予想をはるかに超えて、素晴しかった。

 夜中に、何回がトイレに起きた。ジジイの習性だ。もう慣れっこになっている。はっきりと目が覚めたのは、朝の五時だった。茶色の分厚いカーテンを開けると、なんと曇り空!昨日の予報では、午前中は晴れマークがついていたに。ため息をつきながら、空の様子をうかがった。雲は厚く、どう考えても晴れるような気がしなかった。

 となれば、今日の撮影は無理だろう。もう少し寝ていようかな。いったんはベッドに戻った。が、完全に覚醒していて眠くない。ままよ、さっと起きて朝の支度。洗面、食事、排便。六時には、フロントにカードキーを返していた。もっとも、朝早いせいか、受付は、黒っぽい背広の中年男性だった。やはり、ここは、若い女性の<ありがとうございました>の声が聞きたかった。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#14 君ヶ浜~復路

 車に乗り込んだ。心づもりはできていた。要するに、君ヶ浜の散策だ。撮影場所が、今回の二か所以外にはないのか、例えば、弓なりになっている浜辺の中間点はどうなのか?ナビをセットして、浜へ向かった。道はガラガラで、ほとんど貸し切り状態だった。

 浜のほぼ中間地点に、道路を挟んで、広めの駐車場がある。車が何台か止まっている。空の様子は、いまにも降り出しそうな鉛色。写真は全く無理。だが、いちおう下見だ。軽い方のカメラを首にかけて、浜へ向かった。

 朝早いのに、それに天気も良くないのに、浜の遊歩道には、ちらほら人影が見える。ふ~ん、朝の散歩かな。護岸のコンクリ段々で立ち止まり、一息ついて、じっくり辺りを見回した。ふむ、眼の先、少し右側、そこだけ岩場になって、海に突き出ている。

 近づいていくと、自然の岩場ではなくて、人工的なものだとわかった。なぜこんなところに?防波堤としては小さすぎるだろう。意味をなさない。そのうち、これは灯台を眺めたり、記念写真を撮ったりするための場所だ、ということがわかった。

 事実、三脚に都合のいい平な場所を探したり、しゃがみ込みこんで灯台をスナップしたり、要するに撮影の下見を終えた後、おそらく退くのを待っていたのだろう、若い女性が二人、今さっきまで自分のいた場所で、灯台を背に記念写真などを楽しそうに撮っていたのだ。

 灯台との正対、ということに関しては、この人工岩場は、かなりいい。というのも、弓なりになっている浜の中間地点ではあるが、海に数メートル突き出ている分、少なくとも、西側の第一撮影場所、二日目・三日目と粘った場所よりも、灯台の傾度が修正されるはずだ。

 ただし、構図としては、第二撮影場所、つまり灯台の反対側と同じで、画面の下半分、ないしは三分の一は海になってしまう。ま、構図的には、波打ち際が写る、第一撮影場の方がよい。だが、何事にも一長一短はある。この場所を第三の撮影場と決めよう。

 砂浜を少し歩いた。予想外に疲れる。歩くたびに、足の力が砂地に吸い取られるようだ。時計を見た。七時前だった。ほぼ一時間、撮影の下見をしている。急にぐったりした感じで、足が重い、体が重い。しかも眠い。駐車場へ向かいながら、この状態では運転できんな、と思った。

 考えるまでもなく、すぐに車の窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。車の出入りもなく、静かな駐車場だ。が、念のため耳栓もした。横になった途端、ふうっと、意識が遠のいた。旅の五日目、朝っぱら頑張りすぎたのだ。

 うとうと、少し眠ったようだ。時計を見ると、九時ちょっとすぎていたと思う。う~ん、一時間以上眠ったわけだ。窓のシールドなどを外しのだろう、車の外に出たのかもしれない。ともかく、思った以上に元気が回復していた。これなら、一気に帰れそうだ。

 お決まりのように、ナビをセットした。到着地を自宅にしないで、東関道の大栄インターにした。つまり、圏央道が途切れている古いナビなので、来た道とは別の道を案内されてしまうからだ。ま、用心のためだったが、これが、ちょっとした失敗を招いた。

 一般道をナビどおりに一時間ほど、うねうね走った。単調で、いささか飽きた。料金所のない元有料道路を過ぎ、そろそろ高速だ。広い道に出て少し行くと、左側に大栄インターの緑がかった看板、あれと思った。ナビは無言。

 ナビが大栄インターまで導いてくれるものだと思い込んでいた。だから、まだ、高速に乗り損ねたとは思っていない。が、少し行って、広い道から、山の方へと続く狭い道に左折させられた。はは~ん、Uターンするのか、いやちがった。だんだんだんだん、道は細くなっていく。疑いながらも、ナビの音声に従った。

 そしてついに、行き止まり。<目的地に到着、案内を終わります>だって!なるほどそうか、やっと事の次第を理解した。到着地に指定したつもりの場所は、実は大栄インターではなく、その付近の山里だったのだ。…タッチパネルで操作したのがまずかった。ちゃんと文字で入力して確認すべきだった。

 あとの祭り、とはこのことだ。少し坂になったところで身動きできない。このままバックで、Uターンできるところまで戻るしかない。車幅ぎりぎりの、少しカーブしている坂道、こういうのが、いちばん苦手なんだよ!緊張した、こんなところで脱輪するわけにはいかない。車に傷もつけたくない。慎重に、何回か切り返しながら、坂道をおりた。

 単調な道の運転で、少しぼうっとしていたようだ。だが、これで目が覚めた。少し広くなった場所を利用してUターン、今来た道を戻った。やはりあの看板が正解なのだ。

 白いSUVが山里から、のこのこ出てきた。目の前には、さっきの広い道路。むろん右折すれば、高速に入れるはずだ。幸い信号があり、青になるのを待った。長い信号だ。走り出すと、予想どおり、すぐに高速入口の緑の看板。ほっとした。・・・今回の旅で、道を間違えたのはこの一回だけ。帰路、少し気が緩んだのかな。

 高速に入ってしまえば、こっちのもんだ。もう、ナビなんかいらない。おとなしくしてもらった。来た時の教訓を生かして、律儀にパーキングごとに休憩をとった。東関道の大栄パーキング、圏央道に入って江戸崎パーイング、だが、ここからが長い。この先小一時間、パーキングはない。

 とはいえ、100キロ未満の、のんびり高速走行。おかげさまで?眠くなることもなく、それほど疲れもせず、すんなり菖蒲サービスエリアに到着。県を二つまたいで、地元の埼玉だ。

 菖蒲サービスエリアには、コロナ自粛中とはいえ、たくさんの車が止まっていた。トイレ、それに少し体の屈伸。見回すと、ほとんどが埼玉県ナンバー。無事に戻ってきたわけだ。当たり前だ。たかだか、千葉の銚子までだ。これしきの旅で、参る筈がない。いや、まだ、参るわけには行かないだろう。

 すこし気持ちを引き締めた。最後の数十キロの高速走行。今日は一つ手前のインターで降りよう。出口での料金が、少しだけ安くなっていた。そう、初日こそ、出費について書いたが、そのあと、ほとんどカネの出入りについて触れていない。気にも留めなくなっていたのだ。

 高速を降りた。見知った一般道だ。自宅はもうすぐそこだ。時計を見た、一時を少し回っていた。仮眠した犬吠埼の駐車場を九時半ころ出発したのだから、四時間半かかっている。ま、何時間かかろうが、問題はない。疲労困憊していたわけでもないし、運転が苦行になっていたわけでもない。ちゃんと帰って来たのだ。

 一時半には、自宅に戻った。玄関ドアを開けたとき、<帰ってきたよ、ただいま>と、もうお迎えすることも、足元でゴロゴロすることもないニャンコに呼びかけた。

 室内は変化なし。当たり前だろう。ベッドの背もたれに置いてある、ニャンコの白い骨壺に向かって、もう一度<ただいま>と言った。骨壺についている白いふさふさを、眉間をなでてやるように、軽く、やさしく撫でた。

 やっぱり疲れた!後片付けは、明日だ。カメラバックと手に持てるだけの荷物は部屋に入れた。ベッドに倒れこんだ。だが、後ろをふり返って、いま一度、骨になったニャンコが入っている、白い骨壺をなでた。寂しい気持ちと自由な気持ちとがないまぜになった。

 そのあと、口の中で<おやすみ>とつぶやいて、すぐに寝入ってしまったようだ。目が覚めた時には、もうあたりが暗くなっていた。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#15 エピローグ

 2020-6-22(月) 雨。本格的な梅雨だ。

 五月の末日に帰ってきて、いまはもう、六月の二十日過ぎ。この間、いったい何をやっていたのか、ちょっと書き残しておこう。

帰宅後、二、三日は、使い物にならなかった。というのも、旅の最中に発作を起こした<アレルギー性鼻炎>が悪化して、ザイザルを飲むようになったからだ。要するに、薬の副作用で、もちろん体も疲れていたからだろう、ひどい倦怠感に眠気だ。

何となく、ぼうっとしたまま、その後何日もかけて、旅の片付けや、それに何を思ったか、室内の整理だ。つまり、こたつ布団を片付けたり、夏用の衣類を出したりと、こまめに動いた。

 帰宅後一週間ほどは、かような散文的な生活だった。だが、体の疲れも取れ、薬の副作用にも慣れてきて、次第に頭がはっきりしてきた。これからの予定、作業などを算段し始めた。

 まずしなければならないことは、写真の整理だ。およそ1000枚撮っている。いつもの旅なら、モノになりそうな写真を選択、補正するだけで、ま、それでも手間はかかるが、それほど嫌だなと思ったことはない。むしろ、それが楽しみでもあった。

 今回は話が違う。撮った枚数が多い。加えて、選択、補正する画像が、おそらく数百枚になるはずだ。というのも、前にも書いたが、五分毎のインターバル撮影を、二台のカメラで、ほぼ三日もしているわけで、なぜそんなことをしたのか?つまり、それらの写真をスライドショーにして、ユーチューブにアップするという野心?があったのだ。

 …しけた野心だが、およそ100枚の写真の、30秒間隔のスライドショーなら、約三十分の動画になる。これは<荒川写真紀行>と題して、エリックサティーを流したスライドショーで経験積みだった。

 ということはつまり、どういうことになるのだろう?今回撮影した写真は、そのほとんどがインターバル写真だ。少なく見積もっても700枚はあるぞ。要するに、三十分スライドショー七本分だ。

 ・・・どう考えたって、ここ数週間で、700枚の写真の補正・加工は無理だろう。ま、むろん、一か月とか、二か月とか、時間をかければやれないこともない。だが、こっちにも予定があるんだ。つまり<モロイの朗読>もあるし、月一回ペースと心づもりしている、次なる灯台旅もある。

 写真の補正・加工に明け暮れるのは、二週間が限度だろう。ということで、今月の二十日をメドに、六月二週あたりから、本格的に取り組んだ。…そんなにあせらなくたって、ゆっくりやればいいじゃん、と言われそうだが、そうはいかない。

 写真の補正・加工も大変だ。だが、それに並行して、旅日誌も書くつもりだ。こっちの方は写真と違って、新しい経験が脳に上書きされると、消えてしまいかねない。だから、次の旅に出る前に、ぜひとも書き上げておきたいのだ。

 写真を補正していると、その撮った日のことが、なぜか頭に浮かんでくる。日誌を書くときに、写真は、非常に助かる。だが、これもできるだけ早い方がよい。五、六年続けた<入間川写真紀行>での経験だ。

 …あの時は、ほぼ毎日撮影、その日のことはその日に書き記す、というかなりきついルールを自分に課していた。だが、そのおかげで、今があるわけで、文字を打つことが、さほど苦にならない。そればかりか、多少はこの<ディスクール>の時間を楽しんでいる。

 ま、とにかく、心づもりしたのは、六月の三週までに、今回の旅の写真、日誌を仕上げること。そして、四週目に<モロイ#15の朗読>。そして、六月の後半、ないしは七月の初めには、二回目の灯台旅に出る、というプランだ。

 と、ここまで書いてきて、ふと思った。<エピローグ>なのに、長すぎないか?そうだな、要点だけを書き記して、次に進もう。

 ・・・日程沿って、作業を始めた。大まかにいえば、飯岡灯台27日夕方、犬吠埼灯台28日午後・夕方、29日午前・夕方、30日午前・夕方、の計七回の写真群の補正と加工だ。もっとも、犬吠埼の方は二台のカメラだったから、厳密にいえば、十三群のインターバル写真ということになる。

 撮影は五分毎で、だいたいワンセット三時間、長いものは五時間だったから、それぞれ36~60枚ほどの枚数になる。これを一枚一枚、補正・加工していくのだ。

 イメージとしては、灯台あるいは海の中の岩は不動で、その周りの、波とか雲とか空とか人か、そういったものだけが変化していく、という感じのものだ。

 ところが、そう甘くない。まず、補正だが、灯台はほとんど傾いているし、水平線はゆがんでいる。これを垂直に、あるいは水平に補正する。まずここで、引っかかった。一枚ずつ補正したにもかかわらず、写真ごとに、傾きやゆがみが、いくらか微妙に異なる。

 今回の一番の発見は、垂直も水平も絶対概念ではなく、相対的な概念だ、ということだ。つまり、周りの状況によって、垂直に見えてしまうこともあれば、本当はゆがんでいるのに水平に見えてしまうこともあるのだ。

 さらに言えば、その時の気分や体調も、影響してくるのかもしれない。真っすぐになった、あるいは、水平だ、と思って補正を完了する。ところが、同一写真群を見比べてみると、微妙に、なかには、明らかに、灯台が傾いていたり、水平線がたわんでいたりする。

 そういった写真を、もう一度補正しなおす。が、今度はトリミングが微妙に違っているので、連続させると、灯台そのものが、少しずつ動いてしまう。

 色彩やシャープの問題も重要だ。だが、この垂直、水平の問題はさらに深刻で、当初のイメージを現出させることができない。のみならず、何回補正を繰り返しても、確実には、灯台や岩の不動が担保されない。

 …参った、要するに、補正・加工の枚数が多いのに、そのほとんどが<垂直・水平>問題で失敗している。したがって、もう一度、さらにもう一度と補正を繰り返さなければならなくなったわけだ。お手上げだった。

 そのうち、六月三週に入った。時間切れ、体力切れ、気力切れ。スライドショー用の写真の補正・加工をあきらめた。自分に、こう言いわけした。スライドショーを作るのは、まだ先の話だし、その時やればいいや、と。

 ま、もっとも、旅日誌の方は、いまも書いているわけだが、さほど妥協もせず、字数も時間も関係なく、正直に言えば、最後の方は少し端折ったが、自分的には、ある程度は記録できたという納得感がある。

 それと、<ツイッター>に関しては進展があった。というのも、旅日誌は、ほとんど読まれることのない<ブログ>にだけ掲載されるはずだった。それが、たとえ三行の抜粋とはいえ<ツイッター>でつぶやくことができるようになったからだ。

 やはりね~、書いたものを机の中にしまっておくより、誰も見ないとしても、誰かが見てくれる可能性を信じたり、あるいは、世界を意識したり、自己開示したり、といった自分の、いや人間の姿勢が、うれしいではないか。

 家にこもって、もう何も発しないまま、朽ち果ててもいいわけだけど、まだ力が残っているような気がする。まだ、世界に飛び出す元気があるような気がする。

 ニャンコがオヤジに残してくれた、つかの間の<自由>を、精いっぱい生きることができれば、文字通り、死ぬ苦しみを味わわせてしまったニャンコも、オヤジのことを許してくれるかもしれない。

 …二回目の灯台旅は、いちおう、新潟県の角田岬灯台に決めている。が、天候次第で、もう少し近場の灯台を撮りに行くかもしれない。犬吠埼灯台は、そのうちまた、季節がよくなったら行くつもりだ。泊まるところは、例の一泊¥7700のビジネスホテルにしよう。

灯台紀行・旅日誌>2020犬吠埼灯台編#1~#15 終了。