<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編

<日本灯台紀行 旅日誌>網走編

 

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

 

11灯台旅 網走編

 

2021年10月5.6.7.8日

 

一日目 #1 プロローグ

七月の、男鹿半島旅から帰ってきて、三か月ほどたった。入道埼灯台の写真補正や長文の旅日誌は、さほど苦労もせず、八月中に終えた。九月に入ってからは、懸案だったベケットの<マロウンは死ぬ>朗読#1に取りかかり、こちらも、ほぼ一か月で終了した。

その間、首都圏を中心に、<コロナ感染>が爆発的に広がり、緊急事態宣言などが、全国的に発出されていた。とはいえ、ワクチン接種もかなり浸透して来て、自分も八月下旬には二回目の接種を完了した。これで、安心して、どこへでも行けるようになったわけで、気分的にかなり楽になった。

ところで、男鹿半島の入道埼灯台は、自分的にはかなり気に入っている。その主なる理由は、これまでに見たことのない白黒の灯台だったからだろう。雪が降ると、白一色になり、白い灯台は見えなくなってしまうらしい。そこで、白と黒に塗り分けた。たしかに、その方が、海上からは見えやすいのだろう。ちなみに、雪国などには、白と赤に塗り分けられた灯台もかなりある。だが、こちらは、いまいち、<渋さ>に欠ける。好みではないのだ。

ふと、きまぐれに、白黒灯台の画像をネットで検索した。と、その中で、特に目を引いたのが、<能取(のとろ)岬灯台>だった。この灯台は、北海道網走付近の能取岬にあり、大きさ的には中型灯台だが、周囲のロケーションがとてもいい。広々した、緑の芝草広場の中に、八角形の白黒灯台がポツンと立っている。この風景は、かなり好きだ。だが、場所が北海道だ。よくは知らないが、気候的に、遅くとも、十月の中旬までが写真撮影の限界だろう。

マロウン>朗読#1にケリをつけ、能取岬灯台の下調べを始めたのは、九月の下旬だった。まず、最初に調べたのは、天気だ。最低、中二日晴れなければ、撮影の予定はたたない。なにしろ、場所は北海道だ。はい行きました、はい曇りでした、ではすまないのだ。金も時間も気分も、すべてを台無しにしないためにも、十日間天気予報をしょっちゅう見ていた。

ところがだ、ころころころころ、天気予報が変わる。ひどい時には、半日おきに変わる。これでは、予定が立てられないではないか!とはいえ、そのほかのこと、飛行機とかレンタカーとか宿とかの下調べはした。飛行機は、羽田から女満別まで、エアドゥー。レンタカーは女満別空港でNレンタカー、宿は網走駅付近の大手ビジネスホテル、とまあ、ほぼ決まった。あとは天気なのだ。

十月になった。なぜか、コロナの感染者数が激減したので、緊急事態宣言が全国的に解除されることになった。これはいい、堂々と旅行ができる!それに、天気予報も、なぜか、奇跡的に、晴れマークが並び始めた。当然だろう、だいたい、十月になれば、運動会の季節だ。天気が安定し始める、秋晴れの季節なのだ。

待ってましたとばかりに、飛行機、レンタカー、宿の予約をした。出発は、四日後の週半ば、三泊四日の日程だ。直前に予約があっさり取れたのは、やはり、北海道観光としては、季節が遅すぎるのだろう。でも、まだ、凍えるほどの寒さではないはずだ。

観光としては、いわゆる、オフシーズンに入っている。目星をつけていた、飛行機と宿とがセットになった旅行プランに空きがあり、別々に予約するよりは、一万円ほど安い。それに、これまたなぜか、レンタカーも割安、ま、一気に事が進展したわけだ。

木曜日の深夜に、すべての予約を取った。普通に行くより一万五千円ほど<お得>になった感じで、気分はいい。来週火曜日、午前十一時の羽田発の飛行機だからと、逆算して、明日からの旅行準備の日程を、頭の中で算段した。

あとは、北海道網走方面の、今の時期の気温が気になった。天気予報によれば、旅中の昼間の最高気温は20度前後、最低気温は10度前後だ。さほど心配することはない、と思ったものの、一応、防寒着など、寒さ対策をしていくことにした。

金、土、日で、やりの残したこと、といっても、たいしたことではない、階段や庭の掃除だ。これは、かがむ姿勢がきついので、何回か分けてやっていたのだ。ま、どうでもいいことだが、一応のけじめをつけた。そして、月曜日の午前中には、カメラや衣類のパッキングも終わり、キャリーバッグとリックサックを、玄関先に持って行った。準備完了というわけだ。

あと、今回は、灯台周りの撮影ポジションについては、さほど念入りには調べなかった。なにしろ、灯台の周りは広い広場で、どこが<ベストポジション>なのか、などという問題は、設問自体、意味をなさないような気がした。要するに、現場に行ってみなければ、確定できる問題ではないのだ。

それに、灯台の立っている岬の左右に、でっぱりというか、別の岬はないわけで、いわゆる横から撮ることもできない。さらに、灯台は、目のくらむような断崖絶壁のうえに立っているので、下の波打ち際に下りていくことなども到底できない。

以上のことから、現地に入って、灯台の周りを撮り歩きしながら、<ベストポジション>を探るしかない、と結論した。いや、実を言えば、すでに、この<ベストポジション>という考え方は、なかば放棄している。というのは、太陽の位置次第で、<ベストポジション>も変化する、ということを経験したからだ。つまり、<ベストポジション>などというのは、灯台の写真撮影では、まさに机上の空論で、役に立つ概念ではないのである。

それよりは、灯台が目視できる場所を、いわば、ローラ―作戦的に、すべて撮り進めていく方がいいような気がしている。撮影後に、その中から、気にいったものを選べばいい。要するに、<下手な鉄砲数撃ちゃ当たる>といったことか。

全ての準備が終わり、月曜日の午後は、網走付近の観光地を少し調べた。時間があったら、寄ってみようというわけだ。有名なところは<網走監獄>だ。ただ、これは数十年前に一度行ったことがある。今回、あえて行く気にもなれない。あと目ぼしいものは、<メルヘンの丘>。これは、通る道沿いにあるのだから、当然、寄れるでしょう。

<大曲湖畔地、ひまわり畑><フラワーガーデン・はなてんと>というのもあるぞ。ひまわり畑にお花畑か、イマイチ気持ちがうごかない。あと<卯原内サンゴ草群落地><網走海岸>、このふたつは、時間があったら、寄ってもいいなと思った。

さてと、明日は朝の七時前に家を出て、七時十六分の電車に乗る。ということは、六時前に起きる必要がある。いつも通り、夜の六時半頃に夕食を食べ、八時にはベッドに入った。一応、目覚ましをセットした。眠れないと思ったが、消燈すると、すぐに眠ってしまったようだ。

一日目 #2 出発

数時間おきに、夜間トイレで目が覚めた。これはいつものことだから、ほとんどストレスは感じない。朝の五時、目覚ましの鳴る前に目が覚めた。あと一時間寝ていてもいいのだが、すでに覚醒している。ベッドでぐずぐずしている理由は何もない。スパッと起きた。

ゆるゆると、時間を気にせずに、洗面、朝食(お茶漬け)をすませ、着替えた。排便は少量。六時過ぎにはすべてが完了していた。予定では、七時十六分の電車に乗ることになっている。だが、七時台からは通勤ラッシュが始まる。それに比べて、六時台の電車は、かなり空いているようだ。昨晩、ふと気になって、ちょっとネット検索したのだ。

重いキャリーバッグと大きなリックサックを背負っている。できれば満員電車に乗りたくなかった。早めに出て、早めに着いて、空港ロビーで、居眠りすればいい。案の定、電車は、まだ空いていた。次の次の駅で、前に座っている人が降りたので、座れたほどだ。

その後も、終点まで、混みあうことはなかった。時間に余裕があったので、気持ち的にも余裕が生まれ、乗り継ぎ駅での、エレベーターやエスカレーターの位置を覚えておこうと思った。なにしろ、カメラ二台の入っているキャリーバッグが重い。それを片手で持って、駅の長い階段を登るのが、やや負担なのだ。今回覚えてしまえば、この先、さらに体力がなくなっても、羽田空港への電車移動は、それほど苦にはなるまい。

山手線外回りの電車も、さほど混んでいなかった。そして、最後の乗り換え駅、浜松町のモノレール乗り場の改札を通ったのは、午前八時過ぎだった。エスカレーターに乗ってホームまで行くと、電車(モノレール)待ちの長い行列だ。この時間帯、こんなに混んでいるのかと思った。ま、満員になるほどではないが、座席はそこそこうまってしまった。

電車(モノレール)の中央には、腰高の荷物置き場がある。そこに重いキャリーバッグとリックをおろした。周りを見回した。座れないこともない。が、荷物置き場の横に立っていた。ここまで、ずっと電車で座ってきたのだ。座るのにも多少飽きている。それに、モノレールの座席は窮屈そうだ。

モノレールは多少揺れていた。手すりにつかまりながら、立っていたので、窓外の写真は撮らなかった。いや、出雲旅の際に一度撮っているので、撮る気になれなかった。何度も撮るような景色ではないのだ。

羽田空港に着いた。まだ八時半だった。出発まで三時間ほどある。早すぎるな、と一瞬思ったが、空いている電車で、のんびり来られたのだから、やはりこの方が正解だろう。だだっ広い出発ロビーを見回した。おそらく、エアドゥーの搭乗口は、一番左端で、ここからはよく見えない程遠い。念のためというか、すぐ横に案内所があったので、そこの若い女性に、搭乗に必要なQRコードのコピーを見せた。彼女は、丁寧に案内してくれた。搭乗口は、思った通り、一番左端だった。

向き直って、正面左端の搭乗口カウンターへ行き、改めて、QRコードを見せた。名前と座席の確認をされ、保安検査へと進んだ。キャリーバッグとリックサックを、それぞれ、平べったいプラのかごに入れた。ポシェットはリックの上に重ねた。これは、そのあとすぐに、係員によって直された。すなわち、ポシェットは別のかごに入れられた。

金属感知器の前に進んだときに、腕時計はいいんですかと、脇に立っていた職員に、間抜けな質問をしてしまった。にべもなく、大丈夫ですと言われて、そうだ、前回も大丈夫だったのだと思った。

そのまま進んで、コンベアーの先端まで行き、流れて来るであろう荷物を待った。黒いゴムのような仕切り板の中から、まずキャリーバッグが出てきた。それを下におろし、続いて出てきた、リックとポシェットをその場で身につけた。その際、出口のところで、黒っぽい若い奴が、係の女性から、何か言われていて、持ち物検査をされていた。バールのようなものが、金属探知機に察知されたようだ。脇には、警官がいた。ちらっと見た感じでは、アウトドア用の小さな万能ナイフのようなものだった。

さあてと、エアドゥーの二番搭乗口はと言えば、これまた、一番左端にあるらしい。途中、ところどころ<動く歩道>があるものの、かなり歩かされた。<エアドゥー>が<ANA>より格下なのは知っていたが、これほど冷遇されているとは思わなかった。

これまで、と言っても二度ほどだが、格安航空は使わないで、<ANA>と<JAL>を使ってきた。<格安航空>という言葉に、何となく不安を覚えたのだ。しかし、今回、女満別までの直行便は、<エアドゥー>しかないのだ。いやこれは思い違いだ。<JAL>にも女満別行きの直行便はある。今ネットで確かめた。ではなぜ、<JAL>を使わなかったのか?出発時間や料金の問題なのだろうか?ま、いい、忘れてしまった。

九時前には、エアドゥーの搭乗口前のロビーに着いた。ほとんど人はいなかった。出発時間までには、まだ二時間半くらいある。ゆっくりしよう。自販機で、ボトルの缶コーヒーを買って、窓際の席に陣取った。着くのが早すぎたことについては、反省も後悔もない。なにしろ、時間ギリギリで、いらいらすることが、一番嫌いなのだ。それに、時間は、とりあえず、山ほどある。

それにしても、早すぎるな。あと一時間くらい遅くても問題はない。と思ったそばから、電車が遅延したらどうするのだ、という不安がよぎった。そんな時に対処するためにも、このくらいの余裕があった方がいい。利用している私鉄は、しょっちゅう人身事故で不通になっているではないか!

小心で、臆病で、用心深い。不安神経症的な性格が、年を経て、さらに鮮明になってきた。いや、受け入れられるようになった、と言っておこう。

一日目 #3 コンテナ搬出作業

窓の外では、飛行機から小型コンテナの搬出作業が行われていた。それが、すぐ目の前だ。作業員の表情が手に取るようにわかる。何気なく見ていると、作業員のひとりが女性だ。作業員は、全員お揃いの紺の作業着に帽子をかぶっているので、よく見ないとわからない。少し興味を持った。どう考えても、女性のするような仕事には思えなかったからだ。

彼女の仕事というのは、飛行機の胴体から運び出された、長方形の小型コンテナを、自身が運転するコンテナ牽引車の六両の荷台に、一つずつ乗せ換え、所定の場所に持っていくことだ。ひとつの荷台の長さは、二メートルほどだが、六両連なっている。まずもって、十トン車並みの長さになっているわけで、回転する際には大きく弧を描く。空港内で、これを縦横無尽に走らせるようになるには、かなりの練習が必要だろう。

むろん、それだけではない。その長いヘビのようなコンテナ牽引車を、仮設コンベアーの真横に、三十センチくらいの間隔をあけて、横付けしなければならい。この作業もかなり難しいとおもう。というのは、横付けする荷台は、前から二番目の、真ん中あたりの右横、と決まっており、運転席からは、かなり離れていて、確認しづらいからだ。

もちろん、そこにぴたりと横付けしなければならない理由があるのだ。小型コンテナは、二台ずつ、飛行機の腹から出てくる。出てくるといっても、自然に出てくるわけではない。タラップの上に作業員がいて、出てきた二台のコンテナを、コンベアーの上を滑らしながら、昇降機へと移動し、なにかのボタンを押して、下におろすのだ。その際、同時にカラになった昇降機が上に登ってくる。エレベーターの原理だな。つぎに、下におろされた二台のコンテナは、地上の仮設コンベアーの上に移される。地上の作業員が、そのコンテナを一台ずつ、人力で押しながら、横付けされたコンテナ牽引車の荷台の横まで移動させる。コンテナの下には滑車がついていて、仮設コンベアーの上を滑らすことができるのだ。

コンテナ牽引車の荷台は、三十センチほどの間隔をあけて、仮設コンベアーと垂直に向かい合っている。と、例の女性が、荷台を人力で90度回転させた。あれっ、動くんだと思った。荷台の向きを変えて、コンベアーと接続しようというわけだ。三十センチの間隔は、そのために必要だったのだ。

それにしても、縦方向の荷台の向きが、横方向に、くるっと変わるとは、よく考えたものだ。だが、問題というものは、いつ何時でも起きるものだ。仮設コンベアーから、横向きになった荷台の上に、たしかにコンテナは移動できた。さて次は、このコンテナの乗った荷台を、元の縦方向に戻す作業だ。

ところが、それが、きちんと元に戻らない。押せども引けども、彼女一人の力では、びくともしない。何かが阻害している。下を覗いても、それが何なのかわからない。見るに見かねて、コンベアー担当の作業員が、手伝いに来た。こちらは男だ。しかし、二人して、押しても引いても、荷台に乗ったコンテナは動かない。

そのうち、タラップに居る昇降機担当の作業員の動きが止まった。飛行機の腹から次々と出てくるコンテナを下へ下せなくなり、見物状態だ。地上では、中途半端にずれてしまったコンテナを荷台の正常な位置に戻そうと必死だ。コンテナ搬出の作業が、この女性の、ちょっとした不手際で、すべてストップしてしまったわけで、これは、かなり焦るだろう。

どうなるのかと、こっちも気が気でない。すると、飛行機の尾翼辺りで、荷物の搬出作業していた作業員が、走って応援に来た。これで、荷台の周りには、三人の作業員がいる。力を合わせて、荷台を正常な位置に戻そうとしている。おそらく、コンテナの滑車が、荷台のレールの上にちゃんと乗っていなかったのだろう。その結果、荷台が不均衡になり、うまく回転しなくなったのだ。

三人の作業員が、力を合わせて、コンテナの端を持ち上げている。と、直方体の、非人間的なジュラルミンは、なんとか、荷台のレールにおさまったようだ。女性の作業員が、応援に来てくれた男の作業員たちに頭を下げている。尾翼の作業員は、また走って、自分の担当部署に戻り、コンベアー担当の作業員も、仮設コンベアーの横に戻った。

小型コンテナが、またコンベアーの上を動き始めた。搬出作業が再開されたのだ。その間、五分くらいあったろうか。しかし、今度は、失敗できないだろう、といらぬ心配をしながら、女性作業員を見ていた。問題は、やはり、くるっと横向きにした牽引車の荷台と仮設コンベアーとの接続だろう。その接続がうまくいけば、コンテナはすんなり牽引車の荷台のレールの上に移動できる。

だが、そこに、隙間があきすぎていたり、牽引車の荷台とコンベアーとが一直線でなかったりしたら、齟齬が起きる。つまりは、一番最初の、コンテナ牽引車の横づけがポイントだ。あの時点で、ぴたりと正確な位置に横付けできていれば、牽引車の荷台とコンベアーの接続は、ほぼ成功したようなものだ。しかし、前に書いたように、それには、かなりの熟練がいるように思える。

プレッシャーの中、果たして、彼女は、今度は、うまくできるのかな。横向きになった牽引車の荷台とコンベアーの間に、少し隙間があるぞ。あれで、コンテナが、すんなり、牽引車の荷台に乗るのかな。だが、あにはからんや、コンテナはガクンと動いて、横向きになった牽引車の荷台に移動した。そして彼女は、その荷台の上のコンテナを、両手で、くるっと90度回転させ、元の位置に戻した。

さらに、コンテナをぐいぐい押して、荷台の一番前まで移動し、固定した。ちなみに、六両編成の荷台は、つながると、いわば一本のレールになり、二番目の荷台を起点にして、コンテナを前にも後ろにも積み込むことができるようになっている。毎回、二番目の荷台を、横にしたり縦にしたりする必要はあるが、ま、すぐれものだ!

そのあとの作業は、順調だった。六個のコンテナを荷台に積み終え、彼女の運転する長いヘビはにょろにょろと、所定の位置に移動した。たしか、ヘビは三匹いた。そうだ、竹細工のヘビのおもちゃのようだと思ったのだ。

そいつは、たしか、緑色していて、目が赤かった。いくつかのみじかい節で接続されていて、ぎこちなく動く。にょろにょろした感じに造形することもできた。面白いような、それでいて、気味が悪いような気もした。誰に、どこで買ってもらったのかは思い出せない。ただ、小学校へ入る前で、三軒長屋のうす暗い納戸の中で、この緑のヘビと遊んだ覚えがあるのだ。

一日目 #4 空間移動

羽田発エアドゥー77便は、出発が少し遅れるようだ。空港内の離着陸や清掃作業に手間取っているらしい。緊急事態宣言が全国的に解除されて、乗客の数が一気に増えたからだろう。ふり返ると、出発ロビーには、たくさんの人の頭が見えた。もっとも、遅れるといっても、たかが五分だ。問題はない。

十一時半になると、女満別便の搭乗が始まった。二時間半ほど待ったわけだが、待ちくたびれたという感じはしなかった。まずは、優先搭乗といって、赤ちゃんや小さな子供連れ、それに妊婦などが先に搭乗する。車いすなどもこの部類に入るようだ。その次は、後部座席の窓際の席から案内される。搭乗券に、グループ分けの番号があり、若い番号順に搭乗できる。自分は、1グループだったので、最初に搭乗できた。何事も一番初めというのは気分がいいものだ。

蛇腹の中を通って、機内に入った。中央通路を、キャリーバッグを後ろ手に引いて歩いたが、バッグが何回か、座席の角にぶつかり、歩行が滞った。通路が意外に狭いのだ。もっとも、バッグが縦方向に動けば、すんなり通れるわけだが、自分のキャリーバッグは横方向にしか動かない。四輪のキャリーなら縦方向へも動くが、二輪は横方向にしか動かないのだ。

カメラバックだからと、あえて自在に動く四輪ではなく、安定性のいい二輪にしたのだが、改めて今、押入からキャリーバッグを取り出して、ひっくり返してみた。たしかに車輪は二つで、反対側には、なんというか、細長い大きな手持ちフックのようなものが、底についている。なるほど、これなら、バッグが自立して立っていられるし、両手で持ち上げる時に便利だ。だが、機動性に問題があるとは、購入時には思い至らなかった。

自分の座席を確認して、そのキャリーバッグとリックサックを、頭上の荷物棚に横向きに入れた。ちょっと、重たいと感じだ。と、ちょうど通りかかった女性のアテンダントが、縦向きにできないかと言ってきた。なるほど、その方が荷物はたくさん入るわけだ。荷物の向きをすぐに変えた。そして、大きな蓋を両手で閉めた。出っ張ることはなかった。

その時ふと思った。手荷物の<機内持ち込みサイズ>というのは、おそらく、この荷物棚に収納できるか否かが、基準になっているのだろうな、と。たしか、縦・横・高さ総計が115センチ以内だったかな。それと、個数は二つで、総重量は10キロだ。しかし、自分の場合、重量は多少オーバーしているかもしれない。なにしろ、キャリーバッグが重いのだ。いや、この話はこのへんでやめておこう。ヤブ蛇になるといかん!

平日だが、席は四、五割うまっていたようだ。乗客が全員席に着くかつかないうちに、飛行機が、ゆっくり動き出した。たらたらと空港内を、いいかげん走った後に、大きく旋回して、滑走路に入った、のだろう。そこから、一気にスピードが増した。轟音が響き渡り、車輪のガタガタする音が尋常じゃない。パンクしたまま走っているようにも思えた。

そんなことにはお構いなしに、飛行機は、さらにスピードを増していく。なかなか離陸しない。気のせいか、ガタガタする音が小さくなった。と同時に、機体が浮き上がった。天空へ向け、斜め45度の角度で、有無を言わさず上昇していく。

見る見るうちに、地上の物体が、小さくなっていく。ふと、飛行機事故は離陸時と着陸時に可能性が高いのだ、と思った。それから、自動車の事故は、八十パーセントは交差点で起こる、とも思った。要するに、多少不安になっていたのだ。

窓に額をくっつけて、一心に地上を見下ろしていた。すでに、ちぎれ雲の上にまで到達して、さらに上昇を続けている。もうじたばたしてもしょうがないなと思った。この高さだ、いったん事が起きれば、命はあるまい。少し不安が和らいだ。デジカメを取り出して、窓越しに地上の光景を何枚か撮った。ほぼ平静になった頃には、飛行機はすでに雲の上に到達していて、このうえもない青空の中を水平飛行していた。眼下には純白な雲の層だ。地上などは全く見えない。それでも、退屈まぎれに、窓の外を見ていた。

自分の席は、ちょうど、右主翼の後ろあたりだった。砲弾型のジェットエンジンと、翼がよく見えた。翼をよくよく見ると、なんだか作りがちゃっちいように思えた。ジュラルミン製なのだろうが、こんなんで、高度一万メートルを飛ぶことができるのか!我ながら、恥ずかしいほどの愚問だ。いま、実際に飛んでいるし、世界中で数えきれない飛行機が飛んでいる。しかも、墜落したという話は、めったに聞かない。

それから、これは、帰りの機内ビデオで知ったことだが、高度一万メートルで飛んでいる飛行機の速度は、時速700キロ以上にも達する、ということだ。にもかかわらず、いや、それゆえにか?飛行機は揺れもしないし、窓外の翼も、微動だにしない。雲の上の、真っ青な空の中で、停止しているかのようだ。

不思議な感覚だった。実際は、空の上を高速移動しているにもかかわらず、体感的には静止している。視覚的にも、高速移動している事象は確認できず、窓外には、翼と雲と青空の静止画が、べったり張り付いたままだ。

唐突に、人間は<偉大>でもあるし<不遜>でもある、と思った。<神の目>でしか見ることのできない光景が、眼前に広がっていた。人間は、限り無く<神>に近づこうとしている。しかし、それは<不遜>なのではないのか。おそらくは、近い将来、この人間の<偉大さ>と<不遜さ>が、人類の滅亡につながるにちがいない、とも思った。

やや哲学的なこと、ま、どうでもいいようなことを夢想しているうちに、眼下の雲の状態が変化してきた。雲の層に多少の凸凹があり、それが陰影を作り、まるで、雪原のようだ。そう、雪原の上を飛んでいるような感じだ。ここはどこなのか?南極か?北極か?はたまた、アラスカなのだろうか?なんだか、愉快な気分だ。感動していたといってもいい。何枚か、デジカメで写真を撮ったが、デジカメ画像と脳内の感動との落差が大きすぎる。すぐに撮るのをやめてしまった。

しばらくは、字義通り、雲の上に居るような気分だった。幸せな時間だったと思う。しかし、毎度おなじみで<しあわせ>などというものは長続きしない。機内アナウンスがあり、じきに降下を始めるとのこと。そうなれば、席から立つことができない。トイレに立った。最後部のトイレまではすぐだ。ドアの前に立つと、中から女性アテンダントが出てきて、鉢合わせになった。なんだか、ばつが悪かった。いや、生々しい現実に引き戻された気がした。

狭い密閉空間で用を足し、席に戻った。いくらもしないうちに、シートベルトの点灯ランプがついた。アナウンスがあり、機体が降下し始めた。といっても、いらいらするほどゆっくりだ。高度一万メートルから、徐々に高度を下げながら、着陸するのだから、当然だろう。

そうだ、言おう言おうを思って忘れていたが、二つ前あたりの座席の上の天井から、小型テレビが吊り下がっていたのだ。こいつは、離陸時にも、天井から降りてきて、緊急時の酸素マスクや救命胴衣の説明ビデオを流していた。今、画面には日本地図があり、その上を飛行機のアイコンが刻一刻、少しずつ移動している。むろんこれは、現在位置を明示しているわけだ。その際、時速とか飛行距離とか到着時間とかの情報が、その都度提供される。アニメーションの質も高く、カット割りなども、よく工夫されていて、なかなか面白い。

高度は、6600メートルほどだったと思う。ちょうど、釧路市辺りから北海道の上空に入り、そのまま北上しながら降下し続け、女満別空港に着陸しようとしている。こうしたことの、ほぼすべてがテレビ画面に、アニメーションで映し出されている。ちなみに、これまで飛んだルートも示されている。羽田空港から八戸までは、太平洋岸の陸地の上を飛んで、そのあとは、太平洋の上を飛んで、北海道に来たのだ。

高度が下がってきた。機体が下に傾いている。そのうち、雲の中に入ったのか、まったく何も見えなくなった。また、やや不安になった。前が見えなくても大丈夫なのか?最低な質問だ。<レーダー>というものがあるだろう。

テレビ画面を見た。高度は3000メートルくらいに下がっていた。日本地図上の、飛行機のアイコンも、釧路市網走市の真ん中あたりに移動していた。もうすぐだなと思ったとき、たしか、機長のアナウンスがあった。この先、気流の関係で少し揺れるが心配ないとのこと。

そのうち、窓の外が明るくなった。千切れ雲の間から、地上の事物が見えだした。離陸時の首都圏の光景とは全く違っていた。なだらかな丘に緑や茶色の畑が、うねうねと、きれいに並んでいる。その一角に、オレンジ色や青色の屋根だ。かまぼこ型の大きな建物が見える。まわりには、小さな建物が幾つも寄り添っている。

周辺には、まだ林なども残っていた。この100年の間に、人間が原生林を開墾して、食物の取れる畑を作り出したのだろう。その連綿たる労苦!!!ま、とにもかくにも、眼下には北海道の牧歌的な光景が広がっていたのだ。

飛行距離、約1000キロ。1000キロも北に移動したのか、という感じはしない。ほんの数時間、飛行機に乗っただけだ。だが、空の上から、いわば<神の目>で、いろいろ見られたし、なかなか楽しい空の旅だった。

一日目 #5 地上移動

女満別空港に着陸した。着陸は、離陸に比べて、怖がっている暇もなく、あっという間だった。押し出されるようにして、閑散とした飛行場に降り立ち、ゆっくりと、何の変哲もないコンクリの建物に、吸い寄せられて行った。

あいにくの曇り空だったが、機内の雰囲気は、心持ち熱っぽかった。北海道に着いたぞ、といった感じだな。アナウンスが、前の座席の人から案内するから、そのほかの人は、荷物などは取りださないで、座ってて下さい、と言っているのに、後ろの若いカップルも、斜め前の中年の出張族も、立ち上がって、荷物棚から荷物を取り出しはじめた。すかさず、女性アテンダントが来て、やんわり注意している。なにしろ、最後部には、女性アテンダントが二人いて、機内に目を光らせているのだ。

そのあとは、順番通りだ。狭い通路での小競り合いもなく、粛々と機外に出て、空港内の通路を、さっさと歩いた。エスカレーターを下りると、一階入り口付近に、レンタカー会社の専用カウンターがあった。五、六社あったが、自分の予約していたNレンタカーに、多少、人が集まっている。

カウンターで、名前を言うと、大きな紙の番号札を渡された。<4>と書いてある。つまり、四番目に案内するということだ。ロビーで少し待っていると、出入り口に送迎用ミニバンが来た。運転手に、番号札を渡そうとしたら、営業所で受付するときに出してくださいと言われた。バタバタっとした感じで、車に乗りこむと、車には先客がいて、なんとなくせまっ苦しい。だが、出発すると、すぐにレンタカーの営業所についた。

営業所のカウンターでは、三人体制で、客に対応していた。番号札が<4>なのだから、先の人の受付が終わるまで少し待った。応対したのは、ほんの若い坊やだった。動物との衝突事故が増えているので注意してくださいとのこと。狐かな、と自分が言うと、いや、鹿もいますと彼は答えた。オプションの<保険>に入らせるための営業トークだと思って聞き流した。とはいえ、これは、本当の話だったようだ。実際、夜道で大きな鹿に出っくわした。それも二晩続けてだ。

カードで支払いを済ませ、サインした。そのあと、四十代くらいの女性に先導されて、レンタカーのそばまで行った。シルバーのホンダのフィットだった。ギアシフトが、初めて触るものだったので、操作の仕方を少したずねた。あと、とりあえず、ナビに<のとりみさき>と設定してくれ、と頼んだ。ところが、読み方がどうのこうのと、手元のタブレットなどを見ていて、要領を得ない。すっと設定できないのだ。

ああ~ん、地元のレンタカー会社の従業員が、観光名所の<能取岬>の正確な読み方を知らない、だと~。もっとも、この時、自分も<のとろみさき>を<のとりみさき>と言っていたのだが。とにかく、名称検索ができないなら、画面上で指示することもできるでしょ。女性に画面を操作させた。灯台のアイコンが出てきた。そこだ、と言っているのに、こっちの言うことは聞かないで、中途半端なポイントで設定している。頼りない上に、謙虚さも欠けている。こりゃ、急ごしらえのパートだな。真面目に聞くことをやめた。あとで自分でちゃんと設定しよう。

エンジン始動、正面を見た。営業所は国道に面している。網走は、右か?と窓越しに、パートの中年女性にたずねた。すると、これまた自信なげに、左だと思いますよ、と答えた。おいおい、かんべんしてくれよ。でも、ま、これは信用した。

北海道の道をレンタカーで走りだした。午後の二時前だったと思う。小一時間で、能取岬灯台には到着できるはずだ。それにしても、どんよりした曇り空だ。今日は、撮影地の灯台の下見だけして、早めに宿に入ろう。ナビと道路標識を確認しながら、とりあえずは網走の市街地へ向かった。

途中、<メルヘンの丘>に寄った。ここは、通りすがりの国道沿いにあり、写真スポットになっている。曇り空で、写真にならないが、一応、広くなった路肩に車を寄せて、外に出た。いや~、さむい!空気がひんやりしている。リックサックから、ヒートテックを取り出し、ジーンズの下に穿いた。長袖シャツの上にも、パーカをきっちり着て、フードもかぶった。

さてと、向き直った。手前は、キャベツ畑だろうか?なだらかな丘の上に、樹木が何本か、間隔をあけて並んでいる。そのはるか向こうには、山が見える。なるほどね、お決まりだけれども、北海道らしい良い景色だ。だが、どんよりした曇り空。帰宅日は晴れるだろうから、その時には真面目に撮ろう。そう思って、四、五回、気のないシャッターを押して、すぐに車に戻った。

辺りを見ながら、60キロくらいで走った。交通量は少なく、走りやすい。要所要所で、大きく右方向に曲がって、網走の市街地に到達した。片側二車線の広い道だ。右側に<すき家>があり、宿泊するTビシネスホテルが見えた。その建物沿いに左折して、すぐに橋を渡り、少し行くと交差点の角に<セブンイレブン>がある。<食>と<住>の調達場所は、来る前にグーグルマップで確認済みだった。

そのうち、海沿いの道に出た。弓なりの砂浜が見え、その先端は岬だ。その岬に寄り添うように、大きなホテルが立っている。さらに走っていくと、ホテルの前あたりで、大勢の人が海に向かって竿を振っている。なにが釣れるのだろう?と思いながら、岬の急な坂を上った。

登り切ると、視界が開け、両側は、少し紅葉した森だった。その中を、道路が一直線に走っている。気持ちがいい。ふと、おやっと思った。道路脇に、赤白だんだら模様の電信柱のようなものが等間隔に立っていて、上の方に下向きの矢印が付いている。お初のモノだ。その矢印の先に視線を落とした。歩道と道路の間にある縁石だ。その瞬間、理解した。積雪したときの注意喚起だ。この矢印の下が、道路と路肩の境界を表している。なるほど、北海道らしい。愉快な気分になった。

備考 この矢印は<矢羽根>という。正式には<固定式視線誘導柱>というらしい。

そのあとも、紅葉を楽しみながらの、快適なドライブだった。と、久しぶりに、ナビの案内があって、道を右折した。少し行くと、正面に、おおっと、海を背にした、白黒灯台が見えた。両脇は森で、要するに、道路の先に灯台の上半分くらいが見えたのだ。

あわてて止まった。車から降りて、道路の真ん中に立って眺めた。写真に撮るには、もう少し先の方がいいかな。また走りだした。だが、この判断は間違いだった。道が波打っていたからで、すぐ下り坂になり、灯台は、道のうねりに邪魔されて、さっきよりも見えにくくなった。

一瞬戻ろうかなと思ったが、走り出すと、ぱっと視界が大きく開けた。緑の丘の下に、オホーツク海を背にした、白黒の<能取岬灯台>の全景が見えた。心の中で、おお~っと声をあげた。

一日目 #6 能取岬灯台下見

能取岬灯台に着いたのは、午後の三時頃だった。残念だが、曇り空。写真にはならない。でも、ま、明日の下見だ。気を取り直して、車から外に出た。寒い!真冬の寒さだ。急いで、ウォーマーを上下着用した。念のため、ネックウォーマーと手袋もした。

さほど広くはない駐車場には、二、三台車が止まっていた。だが、人の姿はどこにも見えない。先程の、丘の上からのすばらしい光景は、事前のネット検索では、見つけ出せなかった。ま、あとでゆっくり見に行くとして、まずは、灯台周りだ。カメラを一台首にかけ、歩き始めた。

灯台へと向かう歩道の前には、鉄のポールが何本か立っていた。つまりは、ここからは徒歩で行きなさい、ということだ。車やバイクは進入禁止!広々した、緑の敷地の中を歩いていくと、木製の大きな看板がある。<網走国定公園 能取岬 CAPE NOTORO >。あれま、<のとろ>とちゃんと書いてあるではないか。帰宅するまで、<のとり>だとばかり思っていた。

磁石を見て、方角を確認した、と思う。たしか、灯台の斜め右後ろが東で、斜め左前が西だ。ということは、登る朝日は後ろの山にさえぎられて拝めない。沈む夕陽は、というと、水平線が分厚い雲に覆われている。今日のところは定かではない。もっとも、灯台と落日方向が離れすぎている。絡めて撮ることは不可能だろう。

とはいえ、海を前にした場合、灯台には、右側から朝日が当たり始め、正午前には正面、そして日没時には左側から夕陽があたるのだろう。それに、周囲は、緑の芝草広場になっていて、どの位置からでも撮影できる。ロケーションとしては、やはり、予想していたとおり、最高だ。

ただし、しつこいようだが、今日のところは曇り空だ。いまにも降り出しそうな暗い、鉛色の空だ。それに、寒い。下見、といっても、イマイチやる気が出ない。それでも、ここまで来た以上は、見て回るしかないだろう。

とりあえずは、足元の悪そうな、緑の広場には踏み込まないで、歩道を、灯台に向かって歩いた。左側には、柵に囲まれた背の高い鉄柱が一本立っている。電波塔なのだろうか?その後ろに少し海が見えるが、ほんの少しだけだ。右側は、広場がゆるやかに傾斜しているからなのか?断崖沿いの柵が、多少波打ってみえる。

灯台の正面に来た。手前にえんじ色の一直線の歩道だ。ま、いわば<レッドカーペット>だな。その10メートルほど先に、灯台の入り口がある。灯台の下の方には、細長い長方形の建物があり、屋根の上には、太陽光パネルが、こっちを向いて、ずらっと並んでいる。<レッドカーペット>の上は歩かないで、そのまま、通り過ぎた。近づきすぎると、灯台の全景がカメラの画面に収まらないからだ。

すぐに広場の行き止まりで、断崖沿いの柵だ。その柵沿いに、つまり、北東方向には遊歩道があり、かなり先に、なにかのモニュメント(オホーツクの像)がみえる。灯台から遠ざかるだけで、行ってもしょうがないだろう、と自分に言い訳して、そっちには行かないで、柵にもたれ、正面の海を眺めた。海も、曇り空の時には、何の面白みもない。が、視線を右に移すと、はるか彼方に山並みが見える。それがどこなのか、あとで知ったのだが、知床半島だった。

柵沿いに、今度は、北西方向に歩き出した。ちょうど、灯台を右横から見る位置取りだ。絵面としては、正面よりも、なお悪い。背景は、多少開けていて、広場の東屋が見え、彼方には、幾重となく重なり合った岬が見える。見えるといっても、あまりに遠すぎて、それが垂れ込めている雲なのか、判別し難い。

さらに、灯台の前面、というか、自分が海を背にして灯台を見る位置取りだが、この辺りは、鉄柱を囲んだステンの柵が、灯台の左横、そのうちには正面にまでに出しゃばってきて、まるっきり絵にならない。写真すら撮らなかった。

なおも、断崖沿いの柵に沿って、回り込んでいくと、四人掛けの大きな木製テーブルと椅子のセットが、柵沿いに続いている。ここまでくると、鉄柱を囲んだステンの柵は、灯台の建物から離れ、絵面的には、まずまずだ。背景も、左に少し海が見え、右側は山並みだ。参考に、いったい何のための参考なのか定かではないが、何枚か撮った。だが、まだ、なにか物足りない。

柵から少し離れて、緑の芝草の中に踏みこんだ。灯台までの距離は、二十メートルほどだ。少し傾斜している広場には、木製のベンチが点在している。なかには崩れかかったものもある。多少、見上げた感じになるからだろうか?それとも、芝草の中にベンチが点在しているからだろうか?どことなく、優しい光景だ。

ここが、今まで見た中では、一番いい風景だと思った。数歩ずつ、前に行ったり、左に行ったり、下がったり、そしてまた右に行ったりと、ベストポイントを探しながら、あたりを撮り歩きした。灯台に近づきすぎてもいけないし、遠ざかりすぎてもいけない、などと真面目に考えたりもした。

そうこうしているうちに、最初の場所に戻ってきた。灯台の周りを360度回ったことになる。単に回っただけだが、それでも、今日の予定、やるべきことは果たしたわけだ。いや、まだだ。さっき、丘の上からちらっと見た、オホーツク海を背にした灯台の景観だ。そう、たしか、丘の上には、車を止める場所があったような気がする。

それは、坂の途中の道路際で、牧場への出入り口だった。車を止め、外へ出て、牧場を見渡した。建物はちゃんとしているが、人も馬も、生き物のらしきものは何も見えない。ただ、牧草地は、きれいに刈り込まれていて、青々としている。念のために、牧場の出入り口をたしかめた。ロープが張ってある。しかも、かなり古びた感じで、出入りしている様子はない。たしか看板があり<美岬牧場>と書かれていた。

あの時は、閉鎖されたのだろう、くらいにしか思わなかったが、今ネット検索してみると<網走市営美岬牧場>とちゃんと出てきた。観光牧場らしいが、なぜか、HPは削除されていて、最近の様子はわからない。おもうに、コロナ禍で観光客が激減して、閉鎖されたのかもしれない。

とにかく、牧場への出入り口ではあるが、車の出入りがないのだから、安心して駐車できる。車の後ろに回ってリアドアを開け、中からカメラを一台取り出した。重い望遠カメラの方は、ま、曇り空だしなと言い訳して、持ち出さなかった。

さてと、今度は、灯台の方を眺めた。丘の先端に出れば、眼前に遮るものはなく、ほぼベストポジションだろう。手前は、草深い感じだが、一応除草されている。踏み込めないこともない。それに、都合がいいことに、道路際に柵はなく、溝を渡れば行けそうだ。

だが、いざ踏み込んでみると、かなり歩きづらかった。まずもって、水こそなかったが、溝がけっこう鋭角で深かった。溝から上がると、除草されているとはいえ、低木の幹が、至る所に突き出ていて、足をおろす場所を見つけながら進まなければならなかった。もっとも、丘の先端までは、ほんの二十メートルほどだ。苦労した、というほどでもない。

丘の先端には、なぜか、背丈ほどの細い木が、四、五本かたまって、生えていた。これは、わざと切り残したようにも思われた。ということは、道路と牧場の柵との間の、この20平米ほどくらいの場所は、丘の下の灯台を見るために、誰かが整備したのではないのか?おそらくそうだろう。

また、先端部には、牧場と牧草地とを仕切る長い柵があり、そこから下は、きれいに刈り込まれた芝草の傾斜だ。その緑の傾斜が終わるところに灯台がある。したがって、柵越しに、灯台を見下ろす感じになる。言うまでもないことだが、灯台よりも高い位置取りなので、灯台が、背後の海を背負う形になる。この光景は、なかなか見られるものではない。

灯台よりも高い場所(塔とか展望台、山頂)から、灯台を見ると、これまでの経験によると、だいたいは灯台が小さすぎる。さもなければ、周囲の事物に邪魔されて、見えにくくなる。ところが、能取岬灯台は、違う。なにしろ、肉眼ではっきり見える距離だし、周囲には、空と海と牧草地しかないのだ。現地でこのベストなポジションを見つけた、ということも大きいが、大げさだが、感動していたといってもいい。ただし、だ。曇り空がいただけない。これだけの、いわば<絶景>だが、曇り空では写真にはならないのだ。

それに、今居る場所もベストではない。と、柵沿いに視線を右に移すと、丘の先端部と斜面を区切っている柵が、すぐそこで、開いている。これは、牧舎から馬たちを連れだし、斜面の牧草地へと放牧するための扉なのだろう。馬たちが、いやあるいは、牛かもしれないが、とにかく、彼らがいないのに、扉が開いているのは、ま、不自然だが、こちらにとっては、かなり都合がいい。すんなり、斜面の牧草地に入れるということだ。そここそが、まさに、字義通り、能取岬灯台のベストポジションだろう。

だが、今居る場所を動かなかった。お楽しみは明日だ。明日は午前中から晴れマークがついている。三脚を立てて、じっくり撮ろう。あたりが少し暗くなっていた。腕時計を見たのかもしれない、メモ書きには<16:00 引き上げ>とあった。

二日目 #7 能取岬灯台撮影1

2021年10月6日水曜日。午前五時に目が覚めた。北海道網走市の大手ビジネスホテルの一室だ。<六時に起床 朝の支度>。と、その前に、昨晩、ホテルに着いてからのことを少し書き残しておこう。

能取岬灯台から網走の市街地までは、ほんの二十分ほどだ。途中で、コンビニに寄り、食料調達、次に<すき家>で牛丼の特盛を買った。ホテルの駐車場は、思いのほか混んでいて、平面駐車場はほぼいっぱい。立体駐車場に行ってくれと言われたが、係りのおじさんに、無理を言って、平面駐車場の端の方に止めた。駐車しづらい場所が、一台空いていたのだ。

ホテルのフロントには、何人か客がいた。少し待って、黄色の制服を着た女性の応対を受けた。ビジネスライクで問題はない。鍵をもらって、行こうとしたとき、今日は<カレー>のサービスがありますから、と言われた。午後七時に一階のロビーで、先着40食限定、と張り紙にもあった。

部屋に入ると、たばこの臭いがした。禁煙部屋が取れずに、喫煙部屋なのだ。壁のハンガー掛けにぶら下がっていた<消臭剤>のスプレーを、これでもかというほど、部屋中にふりまいた。

省略しよう。特盛牛丼を食べて、<17:30>昼寝。<18:30>に起き、<19:00>ちょっと前に部屋を出て、一階に<カレー>を取りに行く。その際、エレベーターが混んでいて、待たされる。これだけ大きなホテルなのに、エレベーターが一台しかない!しかも、四、五人乗ればいっぱいだ。ま、いい。管理上の問題で、わざと一台にしているのだろう。

夕食は済ませてしまったので、ゲットした<カレー>は明日の昼食用としよう。いったん外に出て、駐車場の車の中に入れた。このとき、たしか、上下グレーのスウェットだったと思う。というのも、ホテルの部屋着は各自、エレベーター横の棚から持っていくシステムになっていて、先ほど部屋に上がる際、取り忘れたのだ。

もっとも、ホテルの部屋着で、室外に出るようなことはしない。若い頃、ホテルの廊下やロビーは、街中と同じ、と誰かに聞いたことがあり、そのへんはいまだに、お利口さんだ。あとは、これといったこともなかった。部屋に戻り、テレビをつけ、日誌のメモ書きをした。<9時 ねる 眠りが浅い 物音がうるさい>。

朝になった。洗面、身支度など、すべて終え、少し時間調整して、六時半ちょっと前に、一階に朝食弁当を取りに行く。そうだ、昨晩の<カレー>の配給?の時もそうだったが、朝の弁当の時も多少の列ができて、並んだ。ビジネスホテルの宿命だと、端から諦めてはいるが、なんだか、自分が貧乏人のような気がした。事実、貧乏人ではあるが、たまの旅行で、朝食弁当をもらうために、あさっぱらから、並ばされるほど貧乏だとは思っていないのだ。

<7:30 出発 道をまちがえる>。灯台へ行く道は、もう覚えた、と思ったので、ナビはセットしなかった。コンビニの交差点を左折、突き当りを右折、あとはほぼ一本道だ。しかし、これは思い違いだったわけで、実際は、もう少し複雑で、あと一、二回、右左折を繰り返さなければ、ダメだったのだ。

途中で、方向が違うことに気づいた。なんだか元に戻っている。そのうち、とうとう、さっきのコンビニに戻ってしまった。一瞬、キツネにつままれたようだった。自分の思い違いを了解できず、同じようなコンビニが二軒あるのかな、とさえ思った。急いでナビをセットして、案内を仰いだ。再び、大きな道路を左折し、坂を上っていくと、見覚えのある海沿いの道で出た。一件落着。

朝の八時半過ぎに、能取岬灯台に着いた。ほぼ快晴、いい天気だ。まずは、牧場の出入り口に駐車して、丘の下の灯台を何枚か撮った。ま、これはちょっとした下見だ。能取岬灯台のベストポイントが、晴れた日には、どのような感じになっているのか、見たかったのだ。やはり、最高だった。あとでゆっくり撮りに来よう。

長居はせず、すぐに、下に下りた。駐車場に車を止め、さっそく灯台周りの午前の撮影を開始した。能取岬灯台は、八角形をしている。いま見えているのは、そのうちの三面だが、右側の面に日が当たっている。立体的に見え、実にいい。日差しを受け、広場の緑も、空も、海も、周囲に群生しているクマ笹さえもが、美しい色合いだ。

昨日下見した道順で、歩き撮りを始めた。ただし、まったく同じ道順ではなく、灯台に近寄ったり、遠ざかったりしながら、ベストのポイントを探した。いや、探したというよりは、どういうふうに見えるのか、という好奇心の方が勝っていた。

昨日の曇り空とは違い、いい天気だ。位置取りは同じでも、灯台は、全く別物に見えた。とくに、白黒の縞が、目に鮮やかだった。灯台のすぐ近くまで寄って、太陽を灯台の先端で隠してみた。おなじみの、逆光撮りだ。だが、これは、二匹目の、いや、三匹目のどじょうかな、面白くなかった。いわゆる、自己模倣というやつで、やってはいけないことだ。

灯台の正面辺りを、ゆるゆる撮り歩きしながら、北東側の柵まで来た。昨日はここで引き返した。だが今日は、柵沿いの道を、灯台を背にして、さらに歩いた。遠ざかるにつれて、柵はすこし左にカーブする。と、<能取岬>の側景、というか、側面が見えた。荒々しい光景で<絶景>だ。

灯台はと言えば、この<能取岬>の先端ではなく、やや平坦になった陸地側に立っている。したがって、灯台と岬の断崖絶壁との間にはかなりの距離がある。しかも、断崖際の柵が、画面を真ん中で二分割している。構図的には、実によろしくない。それでも、しつこく撮った。だが、やはり、無理だ。この位置取りは写真にならない。

向き直った。オホーツク海に面した、柵沿いの道は、断崖沿いに、さらに北東方向へとのびていた。素晴らしい景色だが、引き返した。これ以上行ったら、灯台が、広大な空と海と大地の中に溶け込んでしまう。おそらくは、灯台、あるいは、灯台の見える風景、という概念にこだわっているのだろう。

自然の風景に美しさを感じる。だが、それを写真に撮ろうとは思わない。むろん、それを写し取る力量も持ち合わせていないが、自分が撮りたいのは、美しい自然の中に屹立している事物だ。その違和な風景、異質な調和に魅かれる。写真に撮りたいと思う。目の前に見えている<能取岬灯台>が、その一例だ。

もどそう。踵を返し、柵に沿って、灯台の右側面、さらには、背面辺りにまで来た。この辺りは、例の、鉄柱を囲んだステンの柵が、灯台とかぶってしまうので、ほとんど写真にならない場所だ。やや撮影モードが緩んだのだろう、後ろを振り返って、海や断崖をスナップした。これは、ちょっとしたスケベ心で、後々の≪名づけえぬもの≫朗読の際に、背景画像にしようと思っている。

さらに、柵に沿って回り込んでいくと、木製の大きなテーブルが並んでいる。灯台背面から左側面にかけての場所は、昨日の下見でも思ったが、比較的いい位置取りだ。小山になった芝草広場に点在しているベンチがポイントになり、構図的にも安定している。おりしも、背景の青空に、大きな雲が流れてきた。左端には、少しだが、海が見え、鉄柱を囲んだステンの柵も、灯台から離れて、おとなしくなった。ここぞとばかりに、撮りまくった。

だが、そのうちには、雲も流れ、灯台の背後は、青空、というよりは、<青>一色になった。こうなると、どことなく間が抜けて、バランスが悪い。引き上げ時だ。それに、少し疲れたよ。車に戻った。十時半頃だったと思う。二時間ほど、灯台の周りで撮っていたわけだ。休憩しよう。

二日目 #8 能取岬灯台撮影2

早めの昼食だ。運転席で、ホテルでゲットした<カレー>と昨晩コンビニで買ったおにぎりを食べた。そのあと、一息入れて、丘の上に移動した。空も海も牧草地も、日差しを受けて、輝いている。三脚に望遠カメラを装着して、肩に担いだ。標準ズームの方は首にかけた。これだけでもかなり重い。溝を越え、切り株だらけの地面を見ながら、伐採地をゆっくり進んだ。

丘のふちには柵がある。扉が一か所あり、開いている。四方八方、人の姿は見えない。躊躇うことなく、牧草地へ入り込んだ。さてと、どこに三脚を立てるべきか。水平線と灯台が垂直に交差する地点がよろしい。たしか、三脚を適当なところにおいて、といっても、斜面になっているので、そのまま置いては倒れてしまう。三本ある足のうち、二本を少し短くして、三脚を安定させてから、手ぶらで、少し右に移動した。

眼下の灯台と水平線をじっと見た。斜面が尽きる所に白黒だんだら縞の灯台があり、その向こうが海だ。だが、かなり距離がある。はたして、水平線と灯台が垂直に交差しているのか、ちょっと、判断に迷った。完全に、100%垂直ではないような気がした。右に少し動いた。しかし、結果は、さらに悪い。元居た場所に戻った。こっちの方がまだましだ。

望遠カメラ付きの三脚は、離れたところにポツンと取り残されていた。カメラとレンズ、それに三脚で、60万以上した。自分の力量にはそぐわない、プロ仕様の道具だが、後悔はしていない。それどころか、見るたび、触るたびに、ある種の満足感を覚える。その三脚を持ってきて、斜面にしっかり固定し、撮り出した。望遠最大値の400mmで、灯台は、画面いっぱいに入る。だが、それだと、何か面白くない。周囲の風景も入れなければだめだ。最小値の80mmにまで、徐々にレンズを回した。う~ん、判断が難しい。もう一度400mmに戻して、アップ、近景、中景、遠景と、段階的に撮っておいた。

さてと、あとは、空の様子が変わるまで、このまま待機だ。といっても、じっとしていたわけではない。三脚から離れて、さらに、右へ左へと、辺りをぶらついた。北東側には、知床半島が見える。いい景色だ。肩掛けした標準ズーム付きの軽いカメラで、ぱちぱち撮っているうちに、ふと、牧草地を縦に区切っている柵が気になった。柵の両側一メートルほどが、枯れ草で茶色になっていて、小道のように見える。

この小道が牧草地の中をうねうねしていたら、気にはならなかったろう。茶色の小道が牧草地を縦に分断しているのが気になったのだ。つまり、牧草地、海、空という横広がりの画面の中で、縦ラインは灯台だけにしたい。強調したいがためだ。

となれば、この茶色の小道は、画面から除外してしまえばいい。ま、そう極端に考えなくてもいい。左に位置取りを少しかえれば、小道は画面に入らないだろう。実際にやってみた。だが、そうすると、くどいようだが、水平線と灯台との垂直交差が崩れてしまう。元の位置に戻った。こうなったら仕方ない。小道を画角操作で画面から除外した。

そうこうしているうちに、待望の雲が出てきた。といっても、背景の空にではなくて、真上の太陽の辺りだ。緑一色の牧草地が、部分的に黒くなったり、また元に戻ったり、なかなか面白い。流れ雲の影が、濃くなったり薄くなったり、大きくなったり小さくなったり、自在に変化しているのだ。そのうち、一瞬、眼下の牧草地は真っ黒になってしまった。照ったり陰ったり、というのは写真的には面白い現象だが、陰りっぱなし、では写真にならない。だが少し経つと、雲は流れてしまい、牧草地の鮮やかな緑が戻ってきた。

あとは、三脚を立てた位置を起点にして、緑の斜面をまっすぐ下りながら撮った。灯台に少しずつ近づいて行ったわけだから、ほとんど画面の構図は変わらない。ただ、丘の上に居た時は、灯台の先端まで海があった。それが、丘を下るにつれて、海の位置が下がってきた。つまり、灯台の先端が、空と海の境にかかるようになってきた。ちょっと考えた。これも悪くはない、悪くはないが、灯台の背後は海だけのほうがいい。また、三脚の置いてある丘の上へ戻った。

正面を見ると、それまでは真っ青だった空に、左から雲がかかり始めた。これは、期待していたことで、真っ青な空もいいが、少し雲があった方がいい。ねばったかいがあったわけだ。だが、じきに、雲の量が多くなり、灯台の上から青空が消えていった。もっとも、まだ陽射しがあったので、写真は撮れた。

左側、つまり西の空を見たのだと思う。巨大な雲の層が、こちらへ押し寄せてくる。そのうちには、日差しがなくなるだろう。丘の上からの、ベストポイントでの撮影は、ほぼ完了していたし、満足していた。日差しのなくなる前に、灯台周りの午後の撮影をしよう。躊躇うことなく、三脚をたたみ、引き上げた。

車で坂を下った。下りきったところに路駐して、灯台を、牧草地を手前に入れて四、五枚撮った。例の、垂直交差の問題からすれば、ベターではないけれど、違ったアングル、という意味では、撮っておいても無駄にはなるまい。いやいや、<無駄>など、この世に一つもない!あるとすれば、<人間>だけだろう。おっと、うっかり、口が滑ってしまった。

灯台前の駐車場に着いた。先ほどは気づかなかったが、駐車場の端にある歩道からのアングルが意外にいい。目の前に、腰高のクマ笹が自生している。クマ笹灯台との取り合わせが、いかにも北海道らしい、でしょ。わざわざ、歩道の一番端まで行って、撮り歩きしながら戻ってきた。

灯台広場に入った。午後の撮影開始、と意気込みたいところだが、何やら、空模様が怪しい。広場に踏みこんで、昨日よりは近い位置取りで、灯台を左側面から撮った。さらに、木製のベンチのそばで撮り、背面からも撮った。この間、いくらもたっていないと思うが、刻一刻と、青空が大きな雲の塊に侵食されていった。とはいえ、いまだ多少の日差しがあり、写真的には面白い。

そうだ、日差しの加減で、極端に寒くなったり暑くなったりした。そのたびに、ウォーマーを脱いだり着たりと、難儀した。寒いなら寒いなりに、暑いなら暑いなりに、対処のしようもある。実際、これまでの写真撮影では対処してきたのだ。だが、日差しの如何で、これほど体感温度が変化するのは、今回が初めてだ。風が冷たすぎる。やはり、北海道に来るには、季節が少し遅すぎた。

そのうち、空は大きな灰色の雲に覆われてしまった。少し明るいところもあるが、写真撮影はもう無理でしょ。ま、予報では、三時過ぎからは曇りマークがついている。予期していたこととはいえ、数日前までは、全日晴れマークだったわけで、やや悔しい。雲の押し寄せてくる方向、すなわち、西の空を見た。雲の層はさらに厚くなり、巨大化している。色も灰色から黒くなっている。

ふと思いついて、灯台の右側面に回ってみた。この不穏な雲を背景に、灯台を撮ってみよう。結果は、まあ~、そんなもんでしょう。白黒だんだら縞の灯台には、やはり、青空のほうがよく似合う。空一面の圧倒的な雲軍団の、白から灰色、灰色から黒への諧調が、どれほどか魅力的であっても、写真がモノクロ写真になってしまうのだ。自分の腕では撮ることのできない世界だった。

二日目 #9 能取岬灯台撮影3

車に戻った。午後の三時頃だった。さほど疲れていなかったので、次の行動はすぐに決まった。ナビに、<網走港>辺りを指示して、灯台を後にした。網走市付近の観光地を事前検索した際、<網走港>には寄ってみようと思っていたのだ。防波堤灯台がいくつかあったし、総じて港の景色は好きだ。それに、灯台からは、ほんの二十分ほどでいける距離だ。

少し走ると、森の中の道が濡れていることに気づいた。雨が降ったわけだ。さらに、岬を下りる際、網走港方面に、なんだか、黒い雲が垂れ込めているのが見えた。雨雲が次々と襲来しているようだ。網走の市街地に下りて、大きく左折していくと、すぐに港が見えた。ナビの案内に従っていると、狭い道に誘導され、ついには岸壁で、行き止まりだ。

パラパラと雨粒が落ちている。車から降りて、周囲を見回した。人影もなく、うら寂しい岸壁だった。なるほど、少し沖合に<帽子岩>が見えた。たが、風が冷たい。寒い上に、うす暗い。写真を撮る気にもなれない。が、一応は記念写真だな。ほかにも、海岸際の消波ブロックに、荒々しい波が押し寄せ、砕け散っている。右手の少し高い岸壁には、真新しいテトラポットがずらりと並んでいる。出番を待っているかな。左手の、広い岸壁の向こうには網走の市街地があり、雨雲が垂れ込めていた。

ま、こんなところに用はない。車を回転して、広い道に戻った。そのあとは、カンを働かせて、だだっぴろい漁港に入り込んだ。ひとっ子一人いない。ぐるっと回り込んで、防波堤灯台が一番よく見える所へ行った。

漁港には、立ち入り禁止の看板があったが、シカとした。たが、高い防潮堤に阻まれて、灯台はよく見えない。しかも、登り階段には鉄条網があり、防潮堤の上に立つこともできない。このまま、一枚も撮らずに、引き返すのも癪だ。鉄条網の間から、さして特徴的でもない、よく見るタイプの防波堤灯台を何枚か撮った。

無駄足だった。今来た道を戻った。岬を登り、森の中を走りぬけ、丘の上で車を止めた。ベストポイントから、眼下の灯台にカメラを向けた。だが、日差しが全くないわけで、完全に露出不足。牧草地は真っ黒だし、灯台だってよく見えん!午後の四時には、灯台の駐車場に戻っていた。行って帰ってきて、一時間。それでも、多少の気分転換はできたなと思った。

さてと、灯台の夕方の撮影に入ろう。ただし、天気が良くない。いや~、よくないどころか、辺りはうす暗くなっていて、いまにも降り出しそうだ。まあいい、まあいい、自分をなだめて、外に出た。寒い。ウォーマーを上下、きっちり着た。一度行きかけたが、あまりの寒さに、すぐに車に戻って、ネックウォーマーと手袋も着用した。これでほぼ完全装備だ。もう言い訳はできない。

撮り歩きしながら、灯台の正面に向かった。見た目のうす暗さより、モニターした撮影画像は、もっと暗い。これじゃ、写真にならんな。0.7くらいプラス補正して、画像全体を少し明るくした。当たり前の話だが、灰色の雲が白くなっている。見た目とのギャップがさらに深刻になり、写真としては完全に破綻している。露出を元に戻した。そもそも、写真が撮れるような天候ではないのだ。

写真を撮ることから、少し解放されたからだろうか、背後のクマ笹の中に小道があるのに気づいた。昨日は、灯台の方ばかり見ていたからな。小道の先に目をやると、あ~、モニュメントが見える。しかし、異様な感じがする。二枚合わせの、細長い物体の真ん中辺に人がいる。物体の間には隙間があって、人間が、その隙間から、オホーツク海を覗いているようなのだ。

こんな天気に、変な奴もいるものだ。あるいは、オホーツク海を覗き見するように仕向けるのが、モニュメントのコンセプトなのかもしれない。そろそろと近づいていく。あれ~、人間の姿勢が、一向に変わらない。不動のままだ。しかし、そのうちには、気づいた。人間じゃない、人間の像だ。疑心、暗鬼を呼ぶ、か。

小道の尽きたところが、モニュメントの正面だった。少し広くなっている。二枚の細長い物体は、打ちっぱなしのコンクリで、その前に、黒っぽい立像が、白い台座に載っている。よく見ると、立像は、左の方を指さしている。オホーツク海を覗いている、などというのは、まったく幻想だった。

おいおい、ぽつぽつ降ってきたぞ。カメラを濡らさないように、ウォーマーの前を大きく開けて、中に包み込みこんだ。作者には失礼だが、立像をろくに見ないで、そくそくとその場を去った。戻り道は、柵で仕切られた、断崖沿いの小道だ。たが、すでに写真の撮れるような状況ではない。一刻も早く、車に戻りたかった。

真っ黒な雨雲が頭上を通過しているのだろう。さらに暗くなり、風が強くなってきた。そのうえ、雨だ。さいわい、ざあ~ざあ~降りにはならなかった。とはいえ、雨粒が、ウォーマーにあたって、ぽつぽつと音を立てている。急ぎ足で、灯台の正面を通り過ぎた。と、西側の雲間から、オレンジ色の光が差し込んできた。振り返って、灯台を見た。背景の空には、灰色の雲が層をなしている。しかし、あろうことか、大きな虹がかかっている。これには我ながら、言葉が出なかった。まさに、千載一遇とはこのことだ。

依然として、雨はパラパラ降っているが、ま、写真が撮れないほどでもない。いや、ざあ~ざあ~降っていたって、関係ない。これほど大きな、天を突くような虹は、見たことがない。そのあとは、夢中になって、シャッターを押しまくった。時々、モニターして、虹の色が写っているのか確認した。

そうこうしているうちに、虹が消え始めた。だが、ベストポジションで、きっちり、虹と灯台は撮れたと思ったので、平静な気持ちでいられた。いや、虹が薄れていく空を幸せな気分で眺めていた。すこし名残惜しかった。

虹が消えた後も、オレンジ色の光は、灯台を照らし続けた。これは、期待していた光景で、写真の位置取りとしては、夕陽と灯台とを結ぶ線上に立てばいい。都合のいいことに、この線上には、屋根付きの休憩所があった。いまだ、多少雨がぱらついていたので、雨よけになる。

灯台を撮りながら後退して、休憩所に着いた。この休憩所には、テーブルや椅子はなく、下は地面だ。六畳間くらいの広さで、四本だったか、五本だったか、太い柱で支えられている。その影が、緑色の広場に写っている。たこ足の火星人のような影で愉快だ。灯台にも、西日が当たっている。あたり一面が、オレンジ色に染まっている。落日の瞬間が近づいていた。

しばらくすると、うす暗くなった。休憩所から出て、西の空を眺めた。夕陽は、厚い雲のかかる彼方の山並みに、落ちたようだ。見届けることはできなかった。灯台も暗くなり、辺りも静かになった。場所移動だ。

灯台の右側に回った。雨雲は流れ去り、雨はほぼやんでいた。だが、依然として、西側の空には、厚い雲が垂れ込めていた。思い通りにはいかないものだ。それでも、雲間から差し込んでくる、わずかな夕陽を入れて撮った。そうだ、この時には、三脚を手にしていた。たしか、さっき休憩所に行ったときに、急いで車に戻って、持ってきたような気がする。

とりあえず、三脚は柵に立て掛けて、手持ち撮影でベストポジションを探した。灯台前の建物、その右側面がしっかり見えるあたりがいい。夕日と灯台を結ぶ線上だ。柵際に三脚を立てた。とはいえ、カメラは首にかけたままだった。いまだ、手持ちで撮れる明るさだったからだ。しかしそのうちには、暗くなり、シャッタースピードが、手持ち撮影の限界値を下回った。カメラを三脚に装着した。

ファインダーを覗いた。背景の西側の空、水平線がわずかに明るい。とはいえ、あとは、ほぼ厚い雲に覆われている。期待していた光景とは言えない。それでも粘っていると、辺りがさらに暗くなり、灯台の目が光り始めた。でも光り具合が弱いんじゃない?ぴかっと来ないのだ。おかしい、おかしいと思いながらも、しばらく撮っていた。だが、そのうちには気がついた。位置取りが悪いのだ。

三脚を抱えて、灯台の目がぴかっと光る地点を探した。それは、やや正面よりの、クマ笹沿いの小道あたりだ。結局、灯台に近すぎて、灯台から出る光線が頭の上を通過していたわけだ。と、その時は思ったが、今思うと、もっと違う理由があるような気もする。ともかく、灯台の目と自分の目とがでっくわす、ぴかっと光る位置を確保した。

辺りはすっかり暗闇につつまれていた。灯台はシルエットになっていて、白黒だんだら縞も見えない。ヘッドランプを頭に装着した。完全に夜間撮影になった。幸いなことに、風が止んだのか、さほど寒さは感じなかった。いや、念のために持ってきた長めのダウンパーカを重ね着したからかもしれない。

ライトアップされていない<能取岬灯台>は、こちら側に光線が回ってこないと、真っ暗でほとんど何も見えない。この日は、背景の空に、厚い雲が覆いかぶさっていたので、なおさら暗かったのだろう。ただ、水平線近くに、わずかな隙間があって、その部分がオレンジ色に染まっていた。

雲がなければ、おそらくは、空一面がオレンジ色に染まっていたに違いない。やや残念に思った。もう二度と訪れることはないのだ。ま、それよりは、ぴかっと光る瞬間を撮ることに集中しよう。チラチラとヘッドランプの光が揺れ動いた。自分の姿すら見えない暗闇の中で、頭だけは活発に活動していた。

三日目 #10 能取岬灯台撮影4

昨晩は、ホテルに<18:30>頃着いた。時間的には夕方だが、夜になっていた。<すき家>で調達した豚丼特盛を食べ、風呂に入った。と、足首の周りが、異常に痛痒い。掻いては、いかん!と思いながらも、思いっきり掻いてしまった。風呂から上がってからは、日誌のメモ書き、撮影画像のモニターなどをしていた。おいおい、足首の周りが真っ赤だぜ。しかも、痒さが尋常じゃない。いつものアレルギー性湿疹だ。医者でもらった塗り薬を探した。間抜けなことに、持参していない。なんてことだ。

そういえば、今日の午後辺りから、足首の辺りに違和感があった。ゴムの裾止めがきつすぎた。その部分が蒸れて、擦れて、汗をかき、湿疹ができた。毎回、程度の違いこそあれ、発症するのだから、今回も、気をつけるべきだった。そのうえ、患部をお湯で刺激して、事態をさらに悪化させてしまったのだ。ま、過ぎたことを後悔してもしょうがない。明日からは、裾止めはやめよう。

三日目の朝も六時前に起きた。夜間トイレや足首の痒みで、一、二時間おきに目が覚めたが、寝不足感はさほどなかった。洗面などを済ませ、六時半ちょっと前に朝食弁当を取りに、一階に下りた。エレベーターがなかなか来ないことには、すでに馴らされていた。

一階には、弁当待ちの宿泊客が何人もいた。それとは別に、五、六人の女の子が窓際に座っている。二十歳前後だろうな、雰囲気からして東南アジア系だ。この子たちは、昨日もチェックインカウンターの辺りで見た。素人ではない。いわゆる水商売系だろう。ただ、コロナ禍で、外国人は入国できないはずだが?と思いながらも、ちらっと視線を走らせた。朝っぱらから、機嫌が悪いというか、みなして暗~い感じだ。これからキャバクラで働かされるのだろうか?不幸な境遇なのだろう。それ以上の詮索はしないことにした。

<7:30 出発>。出る前に、部屋の写真を五、六枚撮っておいた。記念写真だ。いつもは、宿泊の最終日に撮っているが、今回は、というか、前回あたりからは、前倒しして撮影している。なんと言うことはない、最終日だと、なにかと気忙しないのだ。

通り道のコンビニでコーヒーを買って、<8:00>には、能取岬灯台を見下ろす丘の上に着いた。晴れてはいるが、薄い雲が空全体をおおっている。牧草地の緑が、ややさえない。それでも、三脚を担いで丘の上に立った。昨日のポイントよりは、さらに右に移動して、新たなアングルを探した。牧草地の柵の小道が、くの字に曲がっているところまで来た。やはり、よくない。戻りながら、昨日の興奮やら感動やらが、すっかり冷めているのを自覚した。日差しが薄いということも影響しているのだろう。

<9:30>には下の駐車場に下りた。一息入れて、クマ笹の前、灯台の左側面など、昨日見つけたポイントを撮り歩きした。空の様子がいい。斜めになった、青白の太いだんだら縞だ。<青>は青空、<白>は雲。このような雲は、お初ではないが、なかなかお目にかかることはできない。

写真的に言えば、水平と垂直で構成されている画面に、この太い斜めラインは、とても印象的で、動的な効果さえ与えている。昨日の<虹>の出現と言い、今日の<雲=巻層雲>といい、珍しい自然現象に出くわした時には、意味もなく興奮するものだ。しかも、それが撮影中ともなれば、なおさらだ。希少価値、ということなのだろうか。

だが、灯台の正面辺りに来ると、空の様子が変化してしまった。というか、位置取りの関係で、青白だんだら縞が、斜めではなく水平になった。しかも、<白>の占める割合が大きいので、感動するほどの光景ではない。

しかし、さらに動いて、右側面辺りに来ると、背景の青白だんだら縞が、また斜めになった。ただし、その向きが、先ほどは左から右だったが、今度は、右から左に落ちている。この180度の変化は、位置取りの関係によるものなのだろうか?それに、正確に言えば、すでに<だんだら縞>ではなく、雲間に青空が、斜めにくさびを差したような模様になっている。

要するに、位置取りの変化と雲の変化とが、複雑に絡み合って、背景の空の様子は、刻一刻と変わっていった、ということなのだろう。別の言い方をすれば、位置取りや雲が変化するにつれ、自分の目に映る風景も灯台も変化していった、と。そして、そのパノラマの中心には、不動の自分がいる。ただし、もう少し長い目で見れば、その不動の自分すらが、刻一刻変わっている。撮りながら、益体もない妄想に耽っていたような気もする。

最後にもう一つ、<妄想>を書き残して、三日目の午前の撮影を終えることにしよう。灯台の右側面まで到達した。だが、背面へは回り込まなかった。背面からのアングルはよくないのだ。それよりも、今一度、灯台に岬を絡めた写真を撮ろうと思って、北東側の小道を柵沿いに移動した。このままいけば、例の<オホーツクの像>にぶつかる。少し行って、振り返った。やはり、柵が邪魔だな。いや、写真を撮る、ということに関してだけだ。柵は<邪魔>どころか、断崖への転落、という危険から人間を守っている。

写真的には、灯台が岬の先端にあればいい。だが、能取<岬>灯台は、その名の通り、岬の上に立っている灯台であって、岬の先端に立っている灯台ではない。先端に位置していたならば、能取<埼>灯台となっていたはずだ。

どうでもいいことだが、話を続けると、陸地から出っ張った岬の面積が大きいのと、先の方が急坂になっているのとで、灯台は、陸地寄りの平坦なところに設置された、のだと思う。したがって、岬の先端部と灯台との距離が離れている。合理性が優先されるのは当たり前の話だ。

布置的な関係で、そもそもが、灯台と岬とを一つ画面に入れるには、無理がある。それに、画面を縦に分割する<柵>がある。<断崖絶壁に立つ灯台>という魅力的な目論見は、端から破綻しているのだ。それでも、位置移動を繰り返し、柵から身を乗り出してまで、しつこく撮った。

撮ったところで、ざまはない。帰宅後の画像選択で、はかない希望は泡と消えた。灯台に岬を絡めた写真は、すべてがモノにならなかった。合理的判断よりも妄想を優先した結果の、いわば<徒労>だった。これまでにも、かような間違いを、何十回も繰り返してきた。それは、写真撮影の問題であると同時に、人生の問題でもあるような気がする。<徒労>を<あがき>として、自己正当化しているようなのだ。これも妄想だな。

三日目 #11 能取岬灯台撮影5

午前の撮影を終えた。さほど腹は減っていなかったが、昼飯にしよう。メモ書きには<11:30 疲れを感じる>とある。車を、駐車場から道路を隔てた駐車スペースの方へ移動した。正面に海が見える、景色のいい所だ。ゆっくりするつもりだったのだ。ところがだ、リアドアを開けた途端、昨晩ホテルでもらったカレーが、買い物袋の中でこぼれている。ちゃんと蓋をしなかったのが原因だ。いや、プラの蓋はちゃんと閉まらなかったぞ。それよりも、早急に後片付けだ。車の中がカレー臭くてたまらん。

べったりと、カレーのついた買い物袋や、そのへんを拭いて、カレー臭くなったタオルを、トイレに行って水洗いした。そうだ、このトイレについて、少し書いておこう。トイレは、駐車場の後方にあり、コンクリ打ちっぱなしの、ちょっとおしゃれなデザインだった。周囲の素晴らしい景観の中でも、さほどの違和感はない。いわゆる作家の<デザイントイレ>?なのかもしれない。

ドアは一か所で、半自動ドアだった。そのドアに張り紙があった。トイレは16:00になると閉鎖されるとのこと。ふ~ん、と思いながら中に入ると、三畳間くらいの空間があり、右手に手洗い場がある。左手にはドアが二つあり、たしか、男性用と女性用だったか、車いす用と一般用だったか、よくは記憶していない。が、とにかく、手で開けて入ると、やはり、日本全国、おなじみの公衆便所の臭いがした。

このトイレは、滞在中、何度も利用したが、その度、なぜ、<16:00>に閉鎖されてしまうのか、引っかかった。一般的には、観光地、しかも、灯台の駐車場のトイレは24時間営業?だ。だが、そのうち、この三畳間くらいの空間には窓がある、ということに気がついた。

窓というか明り取りかもしれないが、トイレの手洗い場にしては、明るくて居心地がいい。なるほど、これで一件落着、<車中泊>ならぬ<トイレ泊>をする輩がいるのだろう。対抗策として、夜は閉鎖というわけだ。

いや、単に管理上の問題だけなのかもしれないぞ。事実、午後の四時頃、トイレ付近に軽が止まっていた。あれは、トイレ掃除に来た業者で、四時に掃除して、閉めてしまえば、そのあと翌日まで汚される心配はない、というわけだ。ま、それにしても、<16:00>に閉鎖されてしまう公衆便所って、なんか変でしょ。あとは野となれ山となれ、か。

話を戻そう。昼飯のカレーはまずかった。半分くらいこぼれてなくなっていたし、御飯が、変に硬くなっていた。それに、昨日コンビニで買ったカレーパンもまずかった。なんでまた、<カレーパン>なんだ!ま、いい。気分を変えて、午後の撮影を始めよう。

午後の一時頃、丘に上がった。薄い雲が、太陽にかかっている。日差しは薄く、明かりの状態としては、午前中よりさらに悪い。それでも、気のないシャッターを押しながら、小一時間ほど、丘の縁をぶらついた。すばらしい風景も、日差しの具合で、素晴らしくは見えないものだ。

二時半頃には、駐車場に戻った。先ほどから、下っ腹が張っていた。こんな状態では撮影はできない。否応なく、公衆便所で排便だ。温水便座だったかな?スッキリした。とはいえ、<疲労感がひどい>。さほど動き回っていないのにな、と思った。

そのあと車の中で一息入れたような気もするが、三時頃から、灯台周りの撮影を開始した。広場に踏みこみ、左側面からしつこく撮った。背景に青空が見えていたし、能取岬灯台の一番いいアングルだ。ただし、日差しがますます薄くなり、緑の芝草が、黒っぽい。写真としては、あまり期待できない。

<秋の日は釣瓶落とし>、と思ったかは定かでない。とにかく、三時半過ぎたころから、日が傾き始めた。しかも残念なことに、西の空は、ほぼ一面、雲に覆われている。今日も、夕陽は期待できない。ただ、水平線近くに、ほんの少しだけ、雲の間に隙間があって、そのあたりがオレンジ色っぽい。

左側面からの撮影を終わりにして、灯台の右側面へと移動した。西の空が背景となるので、灯台は逆光となり、眩しくて、しかとは見えなくなる。だが、一面の雲が、強烈な西日を受け、やや黄金色に輝いている。その形をなさぬ、いわば<不定形>の空が面白い。

さらに太陽の位置が低くなり、水平線際、少しの部分だけが、茜色に染まっている。海に反射して、きらきらしている。かなり遠いし、範囲も狭いが、カメラを向けて撮っていた。と、駐車場の方から、ばらばらとたくさんの人が、こちらに向かってくる。

これは、午後四時前後に到着する、定期観光バスの観光客たちだ。そう断言できるのは、昨日も、同じ時間に、同じバス、同じ光景を目撃しているからだ。驚いたことに、今日も昨日同様、ほぼ定員いっぱいで、四、五十人は居る。仲のいい者同士が連れ立って、がやがやと広場の歩道を歩いてくる。灯台前で記念写真を撮った後に、一部の者たちは、さらに柵沿いの道を<オホーツクの像>へと歩いていく。

いま自分がいる位置、すなわち、灯台の右側面、断崖の柵沿いからは、北東方向に、知床半島が見える。西の空はほぼ雲に覆われていたが、知床半島の上には、青空が広がっていた。すでに<ゴールデンタイム>に入っていて、これは何という色合いなのだろう、淡い青と白と朱との見事な諧調だ。観光客たちも歩みを止め、柵に寄りかかりながら、写真を撮ったりしている。話し声も聞こえた。大雑把だが、関西弁だ。おそらく、関空から北海道ツアーに来たのだろう。関西弁か、なぜか場違いな感じがした。

そのうち、観光客たちは、潮が引くように消えていった。あたりは、ほぼ暗くなっていて、灯台の目が光り始めた。夜間撮影のために、少し移動した。灯台正面やや右側の歩道の後ろだ。そこには、大きな案内板があり、背後は一面、クマ笹の海だ。風が少し吹いていた。だが、さほど寒くはなかった。もっとも、完全装備で、ウォーマーの上にダウンパーカまで着込んでいたのだ。

三日目 #12 能取岬灯台撮影6

昨晩よりは、今晩の位置取りの方が、ベストだと思った。ただし、背景の空の様子が、昨晩とほとんど変わらない。ほぼ九割がた、雲に覆われていて、水平線際が少しオレンジ色に染まっている。ま、その範囲が、昨日よりは多少横広がりになってはいたが、大した違いはない。

ピカリと光る灯台の目は、昨晩同様、うまく撮れた。ただし、光線は、ほとんど目視できなかったし、したがって、撮れなかった。だが、さほど悔しい気持ちにはならなかった。灯台の光線を撮るのは至難の業だ、とほぼ諦めていからだ。それに、心のどこかで、撮れたとしても、<それがどうした>というような、妙に開き直った気持ちにもなっていた。ありていに言えば、暗闇を照らす灯台の横一文字の光線に面白みを感じなくなっていた。<ロマン>や<幻想>に、多少嫌気がさしているからかもしれない。

とにかく、眼だけが光る、灯台の前で写真を撮っていた。暗闇。あたりに人の気配はない。が、その瞬間、背後で何か鳴声がした。人間ではない。動物だ。熊かな?狐かな?おっかなびっくり振り返った。何も見えない。だが、クマ笹の下を、鳴声が移動している。甘えているような声だ。子狐が母狐を探しているのかな。ヘッドランプを、クマ笹の海に向けた。動くものは見えない。だが、鳴声は、ほんのすぐそばを通り過ぎていく。目と耳と神経とを一点に集中していると、鳴声は、少しずつ遠ざかって行った。

そうだ、昨晩もこの辺りで、びっくりしたことがある。書き忘れたのだ。暗闇の中で、三脚を立てて、灯台を撮っていたら、不意に、左から黒い影が、目の前を横切って行った。人間だ。手に小さな懐中電灯を持っている。若い男だ。あれ~と思って目で追っていると、例の<オホーツクの像>の方へ歩いていく。

カメラでも持っていれば、夜景を撮りに来たのだろうと了解できた。だが奴は、手ぶらだ。というか、スマホと懐中電灯だけだ。真っ暗闇の中、なにしに来たのだろう。伸びあがって見た。<オホーツクの像>が、小さな黒いシルエットになっている。そのあたりで、明かりが、チラチラしている。奴の手にしていた懐中電灯だろう。

そのうち、黒い影が立ち止まって、夜の海にスマホを向けている、ようにも思えた。沖の漁船が煌々としていたし、遠くの漁火もきれいだ。スマホに撮る価値はあるなと思った。なるほど、奴は、夜の海を見に来た旅行者だ。それにしても、真っ暗闇の中、ひとりで夜の海を見に来るなんて、変な奴だ。なにか悩みがあるのかもしれない。余計なお世話だろう。

安心して、また写真撮影に戻った。いいかげん撮って、集中力が切れた頃、右から黒い影が横切った。今度は、驚かなった。奴が戻って来たのだ。さてと、俺も引き上げようかな。三脚を肩に担いで、駐車場へと向かった。歩道を照らす、ヘッドランプの明かりが、やや薄くなったようだ。電池交換の時期なのかもしれない。

真っ暗な駐車場には、車が一台止まっていた。ヘッドライトがつけっぱなしなので、眩しい。若い奴らが乗っているようだ。無視して、自分の車に戻った。エンジンをすぐにかけ、こちらも、思いっきりヘッドライトをつけてやった。

能取岬灯台の撮影も、ほぼ終わった。二日半のうち、まあ、いい天気は一日だった。とにもかくにも、天候が不安定で、気温差に悩まされた。それに、足首周辺のアレルギー性湿疹が悪化してしまい、憂鬱でイライラした気分だ。とくに左足首がひどい。昨晩などは、足首だけ、布団から出して寝ていた。布団に入って、体が温まると、猛烈に痒くなるのだ。まったくもって、特効薬の塗り薬を忘れたのが悔やまれる。

丘を登り終え、やや平坦な岬の上の森の中を走っていた。むろん辺りは真っ暗だ。と、前方に、赤い点が見えた。一瞬で、獣の目だとわかった。スピードを落として近づいていくと、熊ではなく鹿だった。少しホッとした。車を止めると、角の立派な、大きな鹿がヘッドライトに照らし出された。ちらっとこちらを見て、ゆっくり道路を横切り、そしてまたこちらをチラッと見て、闇の中に消えていった。いやいや、これは、時間が逆戻りしてしまった。昨日の晩のことだ。

もとい!真っ暗な森の中を、昨晩同様、ホテルへ向かって走っていた。スピードをやや抑え、慎重な運転だ。<動物との衝突が多い>というレンタカー屋の言葉を、今更ながら思い出していた。満更、ウソでもなかった。何しろ、昨晩、実際に大きな鹿に遭遇したのだ。ちょうど、そのあたりに差し掛かった時、おっと、左側の路側帯に、またしても大きな鹿だ。スピードを緩め、止まろうとした。だが、鹿は、ゆっくりと踵を返し、闇の中に消えかけた。

ああ~ん、ほぼ同じ時間、同じ場所、しかも、角の立派な、大きな鹿!それに、ちらっとこっちを見ていたぞ。そこで、閃いた。餌をもらいに来たのかもしれない。観光客がエサやりしたので、学習したのだろう。車を止めて、何かお菓子でもあげようかな、と一瞬思った。だが瞬時にそれを打ち消した。夜間に大きな鹿が自動車に轢かれる!そんな惨事に自分は加担したくない。

といっても、すでに餌付けされ、夜の道路で待っている鹿がいるのも事実なのだ。割り切れない気持ちが残ったが、どうしようもないではないか。再び、車のアクセルを踏んだ。だが、岬から下りた頃には、鹿のことはすっかりシカとしてしまった。

それよりも夕食の調達だ。三日連続で、ホテルの近くの<すき家>の駐車場に入った。おどろいたことに、<テイクアウト>のラインに、五、六台並んでいる。駐車場にも、かなりの数の車が止まっている。すぐに事態を理解した。人手がなくて、大勢の客に対応しきれない。その場で、しばらく待っていた。

なぜ、昨日一昨日は、ほとんど車が止まってなかったのに、今日だけこんなに混んでいるのか?金曜日の六時過ぎだった。なるほど。ちょうど夕飯時だ。一人か二人の従業員が、店内でてんてこ舞いしている姿が容易に想像できた。とはいえ、かなり待ってるぞ。それなのに、一台も車が動かない。

十分以上待ったと思う。いい加減嫌気がさして。駐車場を出た。近くのコンビニまで車を走らせ、まずそうな弁当を買って、ホテルに戻った。ところが、やはり、時間が遅いせいだろう、平面駐車ができなくて、係員に、否応なしに、立体駐車場の前に誘導されてしまった。おわかりだろうか、シャッターがあくと、車一台が、ぎりぎりおさまるようなスペースに、ゆっくり移動するのだ。なにしろ、入れるところが狭い!慣れないレンタカーだ。神経を使ってしまった。

そのあと、もう一つ、この旅中での、最大の齟齬が待ちかまえていた。いわゆる<カレー事件>だ。ホテルでの、<カレー>待ちでの行列で、俺としたことが、爺とちょっとやり合ってしまった。長くなるので、次回にしよう。すでに、一回分の紙数は尽きている。それにしても、真善美よりは、偽悪醜についての方が、よく覚えていて、すらすら書ける、というのはどういうことだろう。悪い思い出は忘れてしまう、と何かの本で読んだような気もするが、事実は逆なのかもしれない。

四日目 #13 網走観光1

四日目の朝は五時過ぎに目が覚めた。スマホで天気予報を見ると、曇りだったはずなのに、午前中に晴れマークがついている。天気がころころ変わりすぎる。帰宅日だけど、ちょこっと灯台を撮りに行こうかな、迷ってしまった。だが、今日の予定をざっと思い浮かべると、なんだかあわただしい。一時過ぎのフライトだ。十二時過ぎには、空港に着いてなくてはならない。撮影する気がなくなった。

もっとも、撮影する気になれなかったのは、時間的な問題だけでもない。まずもって、足首が、特に左の足首辺りから脛にかけて、真っ赤に腫れあがってしまったのだ。パンパンになった足の違和感が尋常でない。体の不調は気分にも影響していて、写真撮影どころではない。ま、幸い、痛痒さは我慢できる程度だった。

ベッドに寝転がりながら、帰宅日の予定を最終的に決めた。ホテルを八時頃出て、観光しながら、十二時前には空港近くのレンタカー屋に着くようにすればいい。観光は、近くの<サンゴ草自生地>、それに、来るときもちょっと寄った<希望の丘>。目と鼻の先にある<網走監獄>は、ま、以前に一度行ったこともあるからパスだな。

六時前に起きて洗面、身支度。六時半ちょっと前に、朝食弁当を取りに部屋を出た。廊下も隣の部屋もし~んとしている。そうだ、昨晩は、九時頃から、隣の部屋がすごくうるさかった。学生だろう。大きな声でしゃべっていて、寝られやしない。しかも、よりによって、隣の部屋に仲間が集まっている。

誰かが面白い話をしているのだろうか、数分おきに、どっと笑い声がする。そのうちの一人の甲高い声が、ほんとに癇に障る。三十分ほど我慢していたが、怒鳴り込むわけにもいかず、耳栓をした。耳栓をした後は、騒ぎ声もさほど気にならなくなり、そのうち眠ってしまった。夜中の十二時過ぎに目が覚めた時には、さすがに静かになっていた。朝になって、隣部屋のドアの前には、へし曲がったビール缶がいくつか転がっていた。酒を飲んでいたわけで、ま、しょうがねえ!

エレベーターに乗った。昨晩の爺と鉢合わせしなければいいなと思った。そう、例の<カレー事件>の爺だ。<カレー>の配給?時には二番目に並んでいたのだから、朝食弁当だって、朝一番で取りに来る可能性が高い。

時間を戻そう。昨晩のことだ。サービスの限定四十食<カレー>を取りに、七時少し前に食堂に下りた。すでにカウンターの前には、仏頂面した中高年のオヤジが並んでいる。その後ろには、椅子に座った黒っぽい爺がいる。並んでいるのか?判断しかねたが、一応爺の後ろに並んだ。

五、六分そのままの状態で過ぎた。食堂には、かなり人が増えてきた。爺はなかなか立ち上がらない。並んでいるんですか、と声をかけた。ソーシャルディスタンスを取らなきゃね、と言いながら爺がやっと立ち上がった。すでに狭い食堂には人がいっぱいだ。<ソーシャル>もヘチマもあったもんじゃない。ワクチン打ってるんでしょ、と俺。すかさず爺が、ワクチン打っても罹るんだ、と語気を強めた。イラっとして、話さなくていい、と言い捨てた。そっちがしゃべりかけてきたんだろ、と爺は食い下がってきたが、今度は無視した。

ちぇ、サービス<カレー>をもらうために行列してたら、このざまだ。横柄な爺にも腹が立ったが、自分が情けなかった。たいしてうまくもない<カレー>をもらうために、行列が嫌いな自分が、さもしい貧乏人に同化して列を作っている。その場でプイと横を向いて、爺にも、回りの人間にも、そして自分にも、もう相手にしません、という態度を誇示した。

じきに<カレー>の配給が始まった。爺が振り返りながら、お先にどうぞ、と言ってきた。どういうことなんだ?いえ、と言って首をふり、相手にしなかった。人間とは関わりたくないんだ!不機嫌なまま、部屋に戻った。<カレー>なんか、食べる気になれなかった。が、まあ、すんだことだ。まずいなと思いつつ、コンビニ弁当ともども、しっかり完食した。

四日目の朝に戻ろう。さいわい、エレベーターでも食堂でも、爺には会わなかった。部屋に戻って、朝食弁当を食べ、七時半にはホテルをチェックアウトした。立体駐車場に行き、車を出してもらった。出してもらったといっても、外ではない。シャッターのあいた建物のなかだ。目の前には、デカい金属のゆりかごに乗った車が現れた。ちらっと、タイヤの下あたりを見た。<ゆりかご>の縁とタイヤの間が五センチほどしかない。まっすぐ移動しないと脱輪する。少し神経を使って、外に移動した。

その際、係の若者に、駐車場に少し止めさせてくれ、と断りを入れた。そんな必要もないだろうが、昨晩以来の、数々の<齟齬>はすでに忘れていた。多少気分がよかったのかもしれない。若者は愛想よく応答してくれた。車を適当なところに止めて、荷物の<パッキング>をした。キャリーバックとリックサックに、すべての持ち物をぴっしり詰めこんだ。これでいつでも飛行機に乗れる。さあ、観光して、帰ろう。

<8:00 出発>。八時半には<サンゴ草自生地>に着いた。正式には<能取湖サンゴ草群落地>という。サンゴのように赤くなった植物(アッケシソウ)が、湖畔一面に広がっている。残念なことに、時期が少し遅い。色がややさめている。ただ、向うの方に、大きな鶴のような鳥が二羽いる。タンチョウだとすぐに気づいた。ギャア~という鳴声が、思いのほかデカい。

改めて、辺りを見回すと、ウッドデッキが湖の方へと伸びていて、自生地の真ん中あたりまで行ける。観光客が多いのに、意外にも近い所にタンチョウが居る。すぐそばで写真を撮っている人間もいる。あんなに近づいちゃ逃げちゃうぞ、と思っていたら、案の定、鳥たちは大きな鳴声を残して、どこかに飛んで行ってしまった。ほらね!

一応ここまで来たのだからと思って、ウッドデッキを歩きながら記念写真を撮った。日差しが強くて、少し汗ばんだ。引き上げようかなと思ったときに、また大きな鳴声が聞こえた。二羽のタンチョウが元居た場所に戻ってきたのだ。赤いサンゴ草の中に二羽のタンチョウ。これは絵になるでしょう。少し距離はあったが、ぐるっと回り込んで、撮りに行った。

近づきすぎて、鳥が逃げてもまずいので、というのは、手前の岸からデカいカメラを向けている爺さんもいたからだが、遠慮して遠目から撮った。したがって、記念写真とは言え、肝心のタンチョウがよく撮れなかった。そのうちには、また、観光客が、タンチョウのすぐ近くまで来て、スマホを向けている。さらには、自生地の入り口付近の旅館から、ぞろぞろ人が出てきて、タンチョウの方へ向かっている。あの旅館は、サンゴ草とタンチョウが<うり>なのだろう。引き上げよう。

四日目 #14 網走観光2~帰路

<9:30 出発 メルヘンの丘へ向かう>。ナビの指示に従い、運転していた。じきに、丘、というか、なだらかな斜面の上に出た。どこを走っているのか、とにかく、女満別空港へ向かっていることに間違いはない。両側にはキャベツ畑、道はうねうねと続き、ゆるやかに波打っている。時々、かまぼこ型の家がみえる。屋根がオレンジ色だ。

人の姿はない。車も一台もない。じつに広々している。それにいい天気だ。心が緩んだ。楽しい。解放された気分だ。この旅の中では一番幸せな時間だった。北海道の大地を、車でぷらぷらドライブするのもいいな、と思った。いや、ありていにいえば、これからは、灯台の撮影は二の次で、北海道ドライブを最優先にしてもいいなと思った。

足首のアレルギー性湿疹の影響もあるかもしれない。今回は、二日目あたりから、疲労感を覚えた。それに、写真撮影が楽しくないのだ。月並みだが、気力、体力が、あきらかに衰えている。それに比べて、交通量の少ない、道のいい北海道のドライブはじつに心地よかった。

市街地に近づいてきたのだろう、車と行き違うようになった。トイレタイムだ。広い道端に車を止めた。周りには誰もいない。無防備な態勢をとった。目の前には、北海道が広がっていた。新たな楽しみが見つかったような気がした。今度は、自分の車で来よう。その時には、車中泊などもして、天候や時間、灯台にも縛れない旅をしよう。

とはいえ、二年足らずで灯台巡りにも飽きてしまったわけで、多少忸怩たるものがあった。大袈裟に言えば、これまでも変節や転向を、幾度となく繰り返してきたのだ。しかし、これは、今やりたいことをやらないで、忍苦しながら頑張ることの方が、より偽善的だと思っているからだ。

一般的には、努力し困難を克服して、ひとつ事を成し遂げることが求められるだろう。だが、<転向>しないで頑張るより、内なる声に従った方が幸せだ。偉くはないが、その方が、尊いような気がする。むろん、自分を含めて、生き物を傷つけない範囲でだが。もっとも、これも、ひとつ事を全うできない人間の屁理屈、言い訳なのだろう。

見覚えのある街中に入ってきた。十時には<メルヘンの丘>に着いた。広い路肩に駐車して、ゆっくり撮った。時間はまだ十分ある。ところがだ、次々と観光客が、写真を撮りに来た。目の前を横切り、話し声が大きい。ま、これは致し方ない。シカとして、広い路肩を右から左まで、撮り歩きした。緑の丘の上に木が並んでいる、お決まりの風景だが、背景の白い山並みまではっきり見える。それに、雲がいい。晴天。いい記念写真を撮って帰りたいと思った。

Nレンタカーの営業所に着いたのは、<11:00>頃だった。隣がガソリンスタンドになっている。車を返す前に、満タンにした。174キロ走って、ガソリン代は¥1900。妥当なところだ。営業所の女性従業員の応対も、ビジネスライクで問題はない。ワゴン車で、空港まで送ってもらい、あっという間に、女満別空港の出発ロビーだ。まだ十一時半前だった。フライトまでには二時間もある。早すぎるでしょ!

搭乗口の前あたりに陣取って、日誌をつけた。そのあとは、ひまつぶしに、ぷらぷらトイレに行ったり売店を覗いたりした。かなり広いロビーのベンチは、ほぼ八割がたうまっていた。コロナの緊急事態宣言が全国的に解除されて、人の往来が増え、北海道にも観光客が戻ってきたのだろう。自分もその一人だ。そのうち、十二時を過ぎると、ひとつ前の便の搭乗案内のアナウンスが始まり、ロビーの人間たちは、みな搭乗口に吸い込まれていった。広いロビーに、自分だけが残された。

靴を脱いで、足を投げ出して、ベンチで待機していた。フライトまでには、まだ一時間あった。旅が終わったという感傷も、日常に舞い戻る嫌悪感もなかった。言ってみれば、極めて平静だった。ただ、帰宅後の旅日誌の執筆と、千枚以上の写真の選択、補正の作業が、やや億劫に感じられた。以前の旅では、それらが楽しみだったのに、何かが確実に変わってしまった。

失恋や愛猫の死を忘れるために始めた<灯台巡り>の旅は、心の傷が癒えたのだろうか、その根拠が空に帰したことで、輝きを失った。いわば、やる気がなくなってしまったわけだ。それに、体力、気力の衰えを実感したこともある。自分が爺であること、年寄りであることを思い知らされた。旅の仕方も、写真の撮り方も、変更を迫られている。ぼおっと、そんなことを考えていたに違いない。あっという間に時間が過ぎて、羽田行きの搭乗案内が始まった。

お決まりのように、優先搭乗だ。車いすや妊婦、それに子供連れが一番最初に案内される。それが終わって、後方の窓際席から、順番に案内される。自分はグループ<1>だから、いの一番だ。優先搭乗の、子供連れが、ゲートをくぐった。立ち上がって、待ち構えていた。ところが、なかなか案内されない。子供連れは、なぜか、機内に案内されることなく、ゲートの内側の通路で待たされている。それとなく見ていると、係りの男性が、そばに寄ってきて、なにか耳打ちしている。アナウンスがあり、機内清掃の遅延とかで出発時刻が遅れるようだ。

飛行機の多少の遅れなど、こちらにとっては全然問題ではない。たとえ<欠航>になったとしてもだ。なにしろ、帰宅したところで、待っている人もいないし、待ち構えている仕事もない。とはいえ、むろんそういう事態にはならなくて、十分ほどの遅れで、機内に案内された。着席すると、飛行機はすぐに動き出し、あっという間に、女満別空港を飛び立った。

帰りも窓際の席だったが、外の景色にも興味を失っていたので、なんとなく退屈だった。いきおい、天井からぶら下がっているモニターに目がいった。飛行機のアイコンが、徐々に南下し、北海道を離れ、東京へと向かう様子が、刻一刻アニメーションで映し出されている。しかし、それにもすぐ飽きてしまい、ぼうっとしていた。

飛行機がある程度まで上昇して、水平飛行になると、通路を女性のアテンダントが、頻繁に行き来するようになった。お飲み物はと聞かれたので、アップルジュースを頼んだ。紙コップで飲むアップルジュースは、心なし味気なかった。あとは、ふと気まぐれを起こして、機内販売で、オニオンスープとじゃがバタースープの詰め合わせを買った。これは、来るときに機内サービスで飲んで、わりとイケると思ったからだ。顆粒状のもので、本数もかなりある。¥1000なら、安いでしょ。

そのあとは、これといったことはなかったと思う。というか、外界の事物や人間にはほとんど興味を示さずに、飛行機から降り、モノレールに乗り、電車で自宅まで戻った。ただ、足首のアレルギー性湿疹が最悪で、ふくらはぎのあたりまで、真っ赤に腫れあがっている。特に左がひどい。そのことばかりが気になっていた。気分が低調だったのは、そのせいかもしれない。

四日目の、夕方、六時半には自室に戻った。すぐに、皮膚科でもらった湿疹の塗り薬を、赤く腫れあがっている、足首、脛、ふくらはぎに入念に塗った。とんだドジを踏んだものだ。この薬さえ持っていけば、こんなにひどくはならなかったんだ。もっとも、よく効く塗り薬ではあるが、すぐさま効果がでるわけでもない。その晩は、ぱんぱんに腫れあがったままだった。だが、疲れていたのだろう、比較的よく眠れた。

翌朝になって、下肢の腫れは少しひいた。とはいえ、いまだ不快な違和感がある。腫れと赤みが完全に引いたのは、そのあと、数日してからだった。ま、かなりの重傷だったわけだ。

千枚にも及ぶ写真の選択と補正、旅日誌の執筆が、今後の作業だ。とはいえ、両方とも、気が進まない。気力が萎えている。だが、やりっぱなしにするわけにもいかない。自分はたしかに、北海道の網走まで行って、灯台を撮ったのだ、という事実を、どのような形にせよ記録、記述して、脳裏に刻み付けておきたいのだ。生きた証が欲しいのだろうか。しかし、そんな証が、何の役に立つ。爺になっても、いまだに幻想から逃れられない。<虚空に花挿す行為>が尊いと思っているのだ。

2021-10-5.6.7.8日、三泊四日 網走旅の収支。

ANA飛行機往復+宿泊三泊 ¥60800

レンタカー¥12900 ガソリン¥1900

行き帰りの電車賃¥2500

お土産¥1800 飲食等¥3000

合計¥83000 

高かったのか安かったのか、それとも妥当な金額なのか、判断がつきかねる。ま、北海道へ行ったんだ。これくらいかかるのは当たり前なのだろう。

#15 網走旅・エピローグ

<いやいやながら医者にされ>という<モリエール>の喜劇があったな。No Matter、そんなことはどうでもいい。<網走旅>から帰ってきてから、いちおう、いやいやながら、撮影写真の選択をしてフォルダを作った。あとは補正するだけだ。次に<旅日誌>を書き始めた。ほぼ一か月、<忍>の一字で頑張って、十一月の中旬も過ぎ、もう少しで終了というところまで、こぎつけた。まあまあのペースだった。

しかし、先が見えたということで、気が緩んだ。それに、次の灯台旅までには間がある。気分的には、来年の五月の連休明けに、車で北海道に行くつもりになっている。これは、灯台旅というよりは、北海道ぶらぶら旅だ。したがって、旅日誌も急いで仕上げる必要はない。なんという<甘さ>!事あるごとに<楽>をしようという習癖が出ている。とたんに、一行も書けなくなった。言葉が出てこない。気持ちの持ちようということだが、これほどまでに、精神的なことに左右される自分が、不思議ですらあった。

灯台旅―写真の選択・補正、旅日誌の執筆-灯台旅、という循環を、二年間で十一回繰り返した。今後もこの循環は続けるつもりだが、循環と循環の間が長くなるだろうし、灯台写真の撮影流儀も変化するだろう。理由は、前章で記述したので繰り返さない。要するに、これからは、もう少しゆったりした旅をしようということだ。体力と気力の低下を、年寄りの知恵で補うつもりだ。

で、気が緩んだとたんに、向かった先が<PCオーディオ>だった。唐突な話で、なんのことか、おわかりにならないだろうから、少し説明しておこう。

<PCオーディオ>。これは、パソコンにオーディオ機器、つまりアンプやスピーカーを接続して、高音質、高音量で音楽を楽しむことだ。もちろん、パソコンでも音楽は聞ける。だが、音質と音量に、どうしても限りがある。一番簡単なのは、アクティブスピーカーと言って、端子をパソコンのヘッドホンジャックに差し込めば、音質もよくなり、音量も増す。これらの製品は、数千円からあって、とても手軽だ。ただし、デスクトップ周りに置く、小さなスピーカーだから、音楽を本格的に、高音質、高音量で楽しむというわけにはいかない。

となると、どうするか?次に出てきたのが、<DAC>という器具だ。これは、PCのデジタル信号をアナログ信号に変える装置で、パソコンとアンプの間に、この器具をかませて、アンプにつながっているスピーカーから音を出すわけだ。

ただ、これらの製品は、数千円から数十万までの幅があって、その違いがしかと理解できない。むろん、高額な物が音もいいのだろうが、どの程度の違いなのか、比べて実際に聞いたことがないので、なんとも言えない。それに、そんなものに、数十万はおろか、数万円出すつもりもない。金はかけないで、音楽を楽しもうとしている、ケチな爺なのだ。

それに、だいいち、自分はアンプもスピーカーも持っていないわけで、この方法は、すでに<アナログ>の再生装置を持っている人間向けだ。そこで、さらに調べると、<DAC>機能が付いたアンプというものがある。しかも、<USB>端子が付いているものもあり、PCと直接つなぐことができる。素人が、ちょっと考えても、PCとアンプとが、<USB>で<直>につながっている方が、音質がいいような気がする。

ここから、この<USB-DAC付きアンプ>のネット検索が始まった。まったくの門外漢なので、専門用語がわからず、調べるのにかなり苦労した。それでも、しだいに事情が、うっすらとではあるが、理解できるようになった。わかったことは、自分が求めている<USB端子付きの-DAC内蔵アンプ>というのは、従来のオーディオ製品にはないもので、各社が、ここ十年くらいの間、開発にしのぎをけずっている製品らしい。

その背景にあるのが、音楽の<ストリーミング>だ。これは、つまり、一種の<サブスト>で、月額千円ほどで、ネット配信されている数千万曲の音楽をPCで聞けるというサービスだ。こうなると、<CD>を買う必要性が薄れる。しかも、<CD>を出し入れする手間も省け、保管する場所もいらない。それに、<ストリーミング>される音楽の音質が、<CD>の音質と同等、あるいはそれ以上の音質なのだから、<LPレコード>が<CD>にとって代わられたように、今度は<CD>が<ストリーミング>に、とって代わられる時代になったようだ。

はなしを戻すと、この<USB端子付きの-DAC内蔵アンプ>の製品調査と購入に、ほぼ一か月の間、何かに取り憑かれたかのごとく、夢中になっていたのだ。とくに、購入に関しては、<メルカリ>と<ヤフオク>に多大な時間を割いた。結局は、相場より、少し高い物を買ってしまったようだが、損をしたという感覚はない。これまで、ネットで<中古>の物を買ったことがなかったので、これはこれで、ひとつの勉強?になった。あと、どうでもいいことだが、<ヤフオク>の落札方式は、ストレスはたまるが、よく考えられた方式だと感心した。ま、<旅日誌>の完結間近に、とんだ逃げを打ってしまったわけだ。

ところで、スピーカーも入れれば数十万にもなる音響機器を買い入れるほど、君は音楽が好きだったっけ?もっともな話で、その疑問に答えよう。

音楽は、基本的に好きである。小学生の頃から、ビートルズどを、お年玉をためて買ったソニートランジスタラジオで聞いていた。高校生になり、ステレオを買ってもらい、R&BやJAZZを、勉強もしないで、深夜まで、ヘッドフォンで聞いていた。だが、大学に入り<演劇>を志してからは、ぴたっと音楽を聴くのをやめてしまった。というか、聴く時間が無くなった。そのまま、あっという間に四十年以上たってしまい、爺になってしまった。

最近は、ほぼ終日、PCの前に座って作業をすることが多くなり、その気晴らしにと、<ユーチューブ>などで欧米のポップスを流すようになった。これが意外に良くて、かなり癒された。才能のある若い歌手がたくさんいて、みな、いい歌を歌っている。

そんな矢先に、ジャズ好きの旧友と再会した。彼の影響でまたジャズを聴き始めた。彼とのジャズ談義の中で、やはり、PCで聞いているだけでは面白くない、という話になって<PCオーディオ>にたどり着いたわけだ。

たしかに、PCの作業に疲れて、一息入れる時などに、外からも聞こえるほどの大音量で曲を流すと、かなりの気分転換になる。むろん、世間から苦情が来ない範囲でだが。それと、<ストリーミング>という方式での音楽鑑賞は、好きなアーチストの音楽を、BGM代わりに、延々と流し続けることができる、という点でも、とても便利だ。なにしろ、この<ストリーミング>には、世界中の、ほぼすべてのアーチストの、ほぼすべての音源が網羅されているのだ。

いまのところ<ユーチューブ・ミュージック>月額¥1180が高いとは思えない。なにしろ、すでに、数千曲以上を<ライブラリー>に保存していて、瞬時に聞くことができる。朝から晩まで、好きなアーチストのジャズやブルースを、かなりの音質で楽しんでいる。もっとも、その弊害?として、PCでの作業がはかどらない、ということもある。音楽に聞き入ってしまう時間が多くなったからだ。

いや~、それはそれで、いいだろう。なにしろ、灯台撮影の流儀をかえたわけだし、時間に追われることもなくなった。それに、寄り道が、本道になっても構いはしないのだ。結局のところ、ぶらぶら、気ままに、興味の向くままに歩いていく方が、楽しいし、性にあっているのかもしれない。

とりあえずは、<網走旅>の撮影画像の補正と旅日誌を終了させて、<マロウンは死ぬ>の朗読を再開しよう。来年の春には、車中泊しながら、北海道の灯台巡りだ。さてと、好きな音楽を聴きながら、ゆるゆる行ってみるか。あと十年くらいは、この幸せな時間が続いてもらいたいものだ。ちょっと、欲張りすぎかな。

2021-12-10 灯台紀行・旅日誌>網走編#1~#15 脱稿

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

 

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

 

第10次灯台

 

男鹿半島編 #1~#10

 

2021年7月14.15.16日

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#1 一日目(1) 2021年7月14日

 

プロローグ1

 

プロローグ2

 

前回の出雲旅から、ほぼ三か月がたっている。この間、何をやっていたのか?正直に言えば、ほとんど何もやっていない。いや、ちゃんと生活していた、ともいえるだろう。何回か、旧友と日帰りで温泉に行ったし、その旧友に刺激されて、五十年ぶりに、またジャズを聴き始めた。

あとは、前々回の紀伊半島旅、前回の出雲旅の撮影画像の選択、補正だ。旅日誌を脱稿し、撮影画像の補正を終えてから次の旅に出る、という自分で決めた約束事を破って、前回も、前々回も旅に出てしまった結果である。つまりは、灯台旅二回分の撮影画像の補正をしなければならなかったわけだ。ちなみに、この時点ですでに、<旅日誌>の方は、書くことを放棄していた。理由はいろいろあるが、詳細はあとにしよう。

蛇足ながら、もう少し正確に言えば、前々回の紀伊半島旅から帰ってきて、撮影画像の補正だけは、いちおうやったのだ。<いちおう>というのは、いつもの画像編集ソフトを使わないで、PCに付属している簡易的な画像編集アプリを使って、手を抜いたというか、手間を省いたのだ。

実際のところ、時間も短縮できたし、労力も、いつもよりかからなかった。だが、うかつにもその時は気がつかなかったが、画像の解像度が低くて、とてもじゃないが、画像投稿サイトにアップできる代物ではなかった。したがって、ま、それなりの手間をかけた補正作業が、すべて無駄になってしまったわけだ。

このことに、かなりうんざりして、紀伊半島旅の画像補正をほったらかして、いわば、宿題を残したままで、出雲旅に出てしまった。本来ならば、この宿題は、出雲旅から帰宅した後に、いの一番で果たさねばならぬものだったが、帰宅後、一週間くらいは、持病の<痔>が悪化して、PCに向かっての、神経を使う補正作業ができなかった。

宿題の量が、倍増しているにもかかわらず、体力的にそれらに取りかかれない。気力的にも、旅疲れということがあって、あのときは、なんだか、何もかもいやになってしまった。ちょうど、試験で<O点>でもいいや、と開き直った感じだ。なにしろ、宿題などはやりたくない、という気持ちが自分を圧倒していた。

こうなると、元も子もない話になってしまうのが、いつものことだ。灯台撮影そのものに対する、懐疑が出てきた。金と時間と体力とを使って、と言いたいところだが、<時間>に関しては除外しよう。<時間>はいくらでもあるのだ。とにかく、灯台旅、旅日誌、灯台写真に対する熱が少し冷めてしまったようなのだ。これには、ニャンコを看取って、ほぼ一年がたち<ペットロス>からも回復したことが影響しているのだろう。

それと、撮影旅行としては、紀伊半島旅が八泊九日、出雲旅は五泊六日で、日程が長かったこともあり、灯台撮影そのものに対して、体力の限界を感じたことも、<懐疑心>ができきた要因のひとつだと思う。

それならば、これまでの撮影流儀を変更して、手を抜けばよかったのではないか。しかしそれができない。その辺は、融通が利かない、愚図だ。どうしても、ゼロか百か、という思考回路が優勢で、一度決めたことを、状況に応じて変化させるということができない。それが、いまにして思えば、人生の挫折と喪失感につながっている。ま、いい。話がでかくなりすぎた。

前回の出雲旅から、今回の男鹿半島旅まで、三か月空いてしまった理由は、おそらくこうだ。<ペットロス>による心の空白を<灯台旅>に夢中になることで、いちおうは乗り切ったわけで、<灯台旅>の実存的な必要性が後退したのだ、と。悲しみや苦しみから逃れるために、なにかに夢中になる必要がなくなったのだ。撮影画像の補正作業に身が入らずに、たらたら、だらだらと三か月過ごしてしまった所以である。

ところで、目先の課題は見失っていたが、目先の楽しみを見つけたことも確かで、そのことが<灯台旅>への執着をさらに弱めた。高校生の頃に熱中して聞いていた<ジャズ>だ。しかも、今回は、旧友が同好の志であることから、彼とジャズ談義を楽しむことができるようになった。趣味というものは、同好の友だちがいると、余計に面白くなるもので、アマゾンやユーチューブで、終日ジャズを聞くようになってしまった。

それに、高校生の頃もそうだったが、ジャズ関連の本を読むようになった。自分にとって<読書>というのは、一種の<麻薬>と同じで、その時間は<人生の憂さ>を忘れさせてくれる。だが、その<読書>は、二十年前に眼病を患い、目が悪くなってからは、ほとんどしていない。目が疲れるし、実際問題、細かい字が見えにくいのだ。

ところが、眼病が寛解した今、意外にすらすらと、疲れもせずに読むことができた。昔の習慣を取り戻せたわけで、要するに、体力の限界が試されるような、灯台旅に出なくても、ジャズと読書で、その日その日を、やり過ごすことができるようになったのだ。

一時は、灯台旅など、もうやめてしまおうかと思ったりもした。だが、倍増した宿題、すなわち、灯台旅二回分の撮影画像の補正を、まがりなりにも、すべて終えた時、なんだか、宙ぶらりんな気持ちになった。灯台旅を、ここでやめるわけにはいかないだろう。たとえ、灯台熱が冷めたとしても、だ。

というのは、かなり近い将来、おそらく、三年か五年か、あるいは、三か月先かもしれない、体力的な問題で、否応なく、灯台旅ができなくなることが予想されるからだ。まずもって、灯台は辺鄙なところに立っていることが多い。そこまで行くことが大変だし、その撮影となると、急な岩場を登ったり下りたりと、体力勝負という一面もある。この一年の灯台行で、いやというほど実感したことだ。

<健康年齢>という概念があるが、自分の場合<灯台年齢?>はおそらく、あとわずかであろう。それに比べて、ジャズと読書は、灯台旅に行けなくなっても継続できる趣味だ。そんなことを考えているうちに、やはり、また灯台旅に出たくなった。要するに、灯台旅ができるのは、今しかないのだ。しかしながら、旅の当初の動機や目的は、すでに過去のものとなっていた。<ペットロス>は解消していたし、絶景を求めての<写真撮影>にも、さほど魅力を感じなくなっていた。

それよりは、車を運転し、あるいは新幹線や飛行機に乗って、最果ての灯台まで行き、写真を撮ることが、いつまでできるのか?自分の、その体力と気力の限界を見極めたいと思った。灯台旅ができなくなるまで、灯台旅を続けることが、灯台旅の目的となったのだ。

本末転倒と言えないこともない。だが、灯台に魅せられて、灯台を見に行くとか、写真を撮りに行くとか、表層的な、世間向けの言い訳は、もういいだろう。灯台旅を続けながら、灯台の写真を撮り続けることは、すなわち、自分と向き合うことだ。また、話がでかくなりすぎた。能書きはこのくらいして、先に進もうではないか。

 

プロローグ2

 

さてと、世の中、四回目の緊急事態宣言が出されている。自分の住んでいる地域にも、蔓延防止措置が発出されている。コロナだよ!もう一年半以上にもなる。もっとも、こっちは、そんなことにはお構いなしに、灯台旅を九回も敢行している。幸い、感染はしていない。だいいち、感染しそうな所へは行かないし、臆病だから、マスクとか手洗いとか、神経質なほど徹底している。とはいえ、感染しない、という保証はない。

七月の三十日に、コロナの一回目のワクチン接種が決まっている。十回目の灯台旅はそのあとだ、と心づもりしていた。だが、予想に反して、梅雨が早くあけそうだ。次なる獲物?は、すでに決まっていた。男鹿半島の先端にある、入道埼灯台である。白黒の灯台で、ロケーションがいい。それに、秋田県には足を踏み入れたことがないし、<なまはげ>のいる男鹿半島なんて、面白そうじゃないか。

ただし、だ。宿の予約に難儀した。以前にも書いたが、宿は、灯台に近ければ近いほどいい。これは説明する必要ないだろう。で、灯台に近い所に、といっても五、六キロ離れているが、男鹿温泉郷があり、そこの旅館に泊るのがベストだ。

だが、旅館なので、お一人様での予約プランがない。宿泊できない。ただ一軒だけ、お一人様が可能な旅館がある。一泊二食付きで¥11500、ま、安い方だ。しかしながら、天気との兼ね合いもあり、なかなか二泊、三泊といった連泊の予約が取れない。

男鹿半島、入道埼灯台へは、新幹線で秋田駅まで行き、レンタカー移動となる。秋田駅から入道埼までは、約58キロ、一時間半以上はかかるだろう。秋田駅周辺にはビジネスホテルがたくさんあるので、予約は取りやすい。だが、いかんせん、灯台まで遠すぎる。往復三時間、四時間前後の道のりは、限界を超えている。と、思いついて、能代駅の付近も検索してみた。能代から入道埼までは、約50キロ、ネットには、一時間と書いてあるが、一般道なのだから、やはり、一時間半くらいはかかるだろう。

秋田駅能代駅も、ダメ。ほかにないのか?これらの街と灯台の間には、もちろん、何軒か旅館・ホテルのようなものがある。が、お決まりのように、お一人様では泊まれない。まれに、一、二軒、お一人様プランもあるにはあるが、高い!一泊二食で¥18000もする。けち臭い話だが、男鹿半島へ行くには、新幹線とレンタカーで、五万以上かかるのだ。節約できる箇所は、宿泊場所しかない。結局、例の男鹿温泉郷の、お一人様プランのある旅館しかないわけだ。

四月の後半に出雲旅から戻ってきて、あっという間に五月、六月が過ぎ、七月になった。梅雨真っ盛りではあるが、画像補正をなんとか終えると、気持ちが、また灯台旅に向いてきた。旅日誌はと言えば、とうとう書かなかった。もっとも、三月の大旅行、紀伊半島旅に関しては、当初は書く気でいた。が、なんとなく気乗りしないまま、ずるずると時がたち、書こうかなと思ったときには、時間がたちすぎていて、書くことが思い浮かばなかった。

四月の出雲旅では、旅に出る前から、旅日誌は書かないことにしていた。そうだな、旅日誌のことについて、少し触れないわけにはいかないだろう。

何はともあれ、2020年の七回目までの灯台旅に関しては、長文の旅日誌を書いた。まったくもって、精も根も尽き果てるような作業ではあったが、書き抜いた。2021年の八回目の旅、八泊九日の紀伊半島旅に出かけたのは三月だった。前の旅、愛知旅からは、おおよそ四か月くらいたっていた。年初から、コロナの緊急事態宣言が出ていたし、寒い!ということが、旅に出ることをためらわせていた。むろんそればかりでもなかったと思うが、いまでは、よく思い出せない。

とにかく、その間に、ふと思いついて、旅日誌を朗読して、ユーチューブにアップしようとした。試作を作り、聞いてみた。まるっきり面白くない。朗読など、とんでもない!文章そのものが、面白くないのだ。そんな文章のために、何百時間も費やしたなんて、まったくもって、ばかげている。ま、百歩譲って、自分だけの覚書、という意味でなら、冗長な文章も許せるだろう。

しかし、この長文の旅日誌は、ブログにアップし、HPにも掲載するつもりだった。自分のためだけじゃない。人様に見せる、読んでもらう、発表するつもりで、書かれたものだ。だいいち、そうした動因なしには、長文の旅日誌など、書けなかったろう。

自分の文章を、自分で朗読してみて、その浅薄さ、稚拙さを、認めたくなかったが、認めざるを得なくなったのだ。

しょうがないだろう、要するに、書きなぐった文章だ。それをおこがましくも、なにかひと仕事しているような気分になって、アップしていたのだから、バカに付ける薬はない。少しの間、自己嫌悪に陥った。そして、旅日誌は、もう書くまいと思った。

話しを戻そう。七月の初旬に、灯台旅二回分の画像補正を終え、ほっとした。とりあえず、やるべきことはやった。宿題は終わったのだ。しかし、ある意味では、表層的な、目先のやるべきことが終わっただけで、本当にやるべきことは、依然として残っていた。ふん、やるべきことなんか、本当はないんだが、やるべきことがないと、どうにもこうにも、身を持て余してしまう。

本当にやるべきことは、と自分に言い聞かせていることは、<モロイ朗読>の新・改訂版を作ることだ。あるいは<マロウン>の朗読、あるいは<名づけえぬもの>の朗読だ。

いちおう、三つとも、ちょっとは手を出してみた。<モロイ朗読>新・改訂版は、始めの<1-1 書き出し>の録音は完了した。しかし、なぜか、その後が続けられない。<モロイ>新・改訂版は、一番実現可能な<やるべきこと>ではあるが、それとて、今の精神状態では<そこ=モロイ>に戻っていくのが辛いのだ。

マロウン>に関しても<1-1>は朗読して録音した。だが、こちらは、どうにもこうにも、重すぎる。なにしろ、死の床についている爺さんの独白だ。絵空事で、文字を音声化することならできる。だが、言葉=文章を、自分に引き付けて発語=朗読するには、それなりの覚悟というか、感情移入が必要だろう。今の自分には、その覚悟もないし、死の床についている爺さんへの感情移入もできない。ま、いつかは、できる時が来るさ。あと五年もたてば、俺だって、病気や死が現実問題になるんだ。ということで、あっさり保留にしてしまった。

ついでながらに書いておくと、<名づけえぬもの>も、少し朗読した。しかし、こっちは、<マロウン>よりも、なお遠い。雲をつかむような感じだ。朗読なんて、とんでもない!ということで、こちらもあっさり保留にした。

ということで、やはり、目先の課題としては、灯台旅が照準された。旅の準備をし、実際に旅をするとなれば、頭の中の<空白な時間>は霧散するし、ウソでも、偽善でも、何かをやっていれば<やるべきこと>からは解放される。いや、<やるべきこと>をやらない口実にはなる。いや、多少先延ばしすることができるのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#2 一日目(2) 2021年7月14日

 

出発

 

移動1

 

今年の梅雨入りは早かった。五月の下旬あたりから、天気がよくなかったので、梅雨明けは早いだろう、と予想していた。案の定、七月の中旬からは、天気予報に、晴れマークがずらっと並んでいる。一瞬迷った。灯台に行くべきか、行かざるべきか!灯台熱も、以前ほどではなく、それに、金もかかるしな。とはいえ、このまま、ずるずると、なし崩しのような、ジャズと読書の日々もつまらない!

ま、気分転換に、行ってみるか、と決断した。もっとも、気分的なことや金銭的なこと、それに体力的なことも考慮して、旅の日程は縮小した。つまり、灯台旅の流儀を少し変えた。まず、標的としている灯台だけを撮る。そのほかの、近辺の灯台には目をつぶる。次に、実際の撮影期間は、一日にする。前後の日は、予備として考える。

こうすれば、灯台旅は二泊三日に縮小できる。一日目は移動と予備としての夕方撮影、二日目は朝から晩まで撮影、三日目は予備としての午前撮影と移動。期間が短ければ、体力的にも金銭的にも、負担は少ない。これで、ますます気が楽になった。

ということで、七月十二日に、旅の手配と準備を始めた。例の旅館が、ちょうど、14日、15日と連泊できる。新幹線もレンタカーもネットで予約できた。旅の準備も、二時間ほどで終了。前日に、パッキングすればいいだけになった。それに、行くところが一か所なので、事前の調査も、さして時間がかからない。

入道埼灯台の、ネットにあげられている画像をざっと見て、どのあたりがベストポジションなのか検討した。だが、以前のように、綿密には検討しなかった。ま、熱が冷めている証拠だ。それに、実際に行ってみないことには、正確な判断はできないだろう。いや、現地に行っても、正確な判断などできないのだ。

とにかく、入道埼灯台は、周辺が芝生の広場で、その周りを360度見て回れば、何とかなるだろう。あ~あ、いつもの感じだ。かなり<てきとう>になっている。

小学校での担任のY先生に、学級委員でありながら、掃除をさぼったり、適当な学習態度がよくない、というようなことを通信簿に書かれた。なんだか、その時は、叱責されたような感じがして、気持ちが重かった。ややトラウマにもなっていた。だが、いま思えば、一般的な価値観で、人間を一刀両断にしているわけで、いまでは<てきとう>ということが、それほど悪いこととは思えない。むしろ、<てきとう>である方が、よいこともある。ま、思想、哲学的には、昭和の小学校の教員をはるかに超えてしまったわけだ。

灯台撮影に関しては、かなり<てきとう>に考えて、次に進んだ。日程については、少し書き残しておこう。14日9:32分の大宮発、秋田新幹線<こまち11号>に乗る。そのためには、七時過ぎには自宅を出て、最寄り駅から電車に乗らなければならない。さらに、逆算して、五時半に起きれば、七時には出られる。さらにさらに、五時半に起きるということは、前の日、夜の九時に寝ればいいわけだ。

さてと、前置きが長くて、失礼しました。ついに、第十回目の灯台旅、男鹿半島旅が始まる。前の晩は、予定どおり、すべての準備を完了して、夜の九時にベッドに入った。だが、眠くない。当たり前だ。いつもは、だいたい、午前零時前後に寝ているわけで、寝られるはずがない。で、最近の習慣で、ベッドで読書。ジャズ関連の本だ。うかうかと読んでしまい、あっという間に、十一時近くになってしまった。いかん、いかん。消燈。

灯台旅も慣れてきたので、しかも、車で高速運転するわけでもないので、気楽だった。以前のように、遠足の前の小学生みたいに、緊張して眠れないということはなかった。とはいえ、一、二時間おきに、夜間トイレ。これは、ま、いつもの習慣だ。で、ふと目覚まし時計を見たら、すでに午前五時過ぎになっていた。よく寝られた方だ。眠気はない。すっと起きた。

整頓、洗面、朝食・豆腐入りのお茶漬け、バナナ、牛乳。排便は小量。そのあとに、着替えた。どんな<出で立ち>なのか、たまには書き記しておこう。

足元は<ダナー>の灰色っぽい軽登山靴。中に、こげ茶色の厚めの靴下をはいている。ズボンは、おなじみになった<ギャップ>のホワイトジーン。ウェストが少し緩いので、太目の黒いベルトをつけた。上は、中に茶色のTシャツ、羽織るものとして、同じく茶色の長袖シャツ。これは、やや麻っぽい風合いである。あと、首に、浅黄色の綿マフラーを巻いた。ま、これは手ぬぐい代わりだな。自分で言うのもおかしいが、全体的に若作りで、70歳にもなろうとしている爺には見えないかもしれない。頭の毛も黒々としていているしね。

あとは小物。ベルト通しに磁石と腕時計をくっ付けた。<エース>の黒のポシェットを肩掛けし、そのストラップに黒い袋を取り付け、中に<ニコン>のコンデジを入れている。青色スカイのバックパックを背負い、キャスター付きの、飛行機持ち込み可能な黒いカメラバックを手で引きながら移動するつもりである。

いざ、出発。おっと、ニャンコに<行ってきます>というのを忘れた。だが、もういいだろう。<ペットロス>からは回復していたし、ニャンコのことは、ほとんど思い出さなくなっていた。

移動1

 

大宮に着いたのは、八時過ぎだったと思う。通勤時間帯だったので、車内が混んでいた。一応、周りの目を気にして、バックパックを、前に抱えるように背負った。背中でなく体の前面に背負ったわけだ。かなり大きなものだったので、胸が圧迫され、息苦しいような気がした。が、がまんした。

車内でバックパックを、前に抱えるという習慣は、最近のものだ。通勤、通学の際に、手持ちのバックではなく、バックパックを背負うことが常態化した結果で、車内での小競り合いが増えたからだろう。たしかに、自分も、電車の中で、背中をどんと押されるような経験をしたことがある。バックを背負っている奴は、それも、バックが大きければ大きいほど、他人にぶつけていることに気づかないのだ。

狭い車内、他人とぶつかったら、目礼したり、すいませんとか何とか、ちょっとした言葉をかけあえば、全然問題はない。だが、ドカンとぶつかってきて、知らん顔、いや本人は気づいていないのだから、知らん顔ではないのだが、ともかく、シカとされると、やや気分が悪い。小心で、臆病な自分でさえ、虫の居所が悪ければ、文句のひとつでも言いたいところだ。そんなこんなで、多少混んでいる電車では、バックは前に抱えるというマナーが定着したのだろう。自分もそれに従って、朝の通勤電車に乗り、大宮駅に着いた。

大宮の駅は、久しぶりだ。きれいになり広くなっていたので、新幹線の乗り場はすぐにわかった。ポシェットから<PASMO>を取り出し、右手の掌の中に包み込むように持って、改札口の所定の場所に押し当てた。すると、ピッと音がして、小さなゲートが開いた。ほ~、ちゃんと通れたよ。

JR東日本の<えきねっと>というシステムで、事前予約していて、料金もすでに引き落とされている。PCで予約ができ、しかも、手持ちの<ICカード>で改札を通過できるなら、事前に駅まで行って、切符を予約したり、買ったりという手間が省け、かなり楽ちんだ。そういえば、以前、テレビでこのシステムのことを宣伝していたっけ。

だが、疑り深い性質であるからして、新しい物やシステムには、多少の警戒心が働く。心のどこかでは、なにか齟齬があって、通れなかったらどうしようと思っている。出発時刻の一時間以上も前に着いたのは、そうした不安が払拭しきれなかったからでもある。一時間もあれば、たとえ不都合があったとしても、処理できるだろう。

ちなみに、不安の源泉は、普通の切符ではなくて、15%割引の<トクだ値>という切符で予約したからだ。この切符は、列車、日時の変更ができない。しかも、乗り損ねたら、それでおしまい。払い戻しされないようだ。いや、全額ではないらしいが、とにかく、予約した<こまち11号>大宮発9:32には、絶対に乗らねばならないのだ。ま、金のことを考えなければ、絶対に乗らねばならない、ということはない。

もっとも、<PASMO>で改札を通過できたといっても、秋田駅ですんなり出られるという保証はない。まったく疑り深い性質だ。だが、秋田駅まで行ってしまえば、齟齬があろうがなかろうが、そんなことは、たいした問題ではない。

で、案ずるよりは産むがやすし。あっさり、新幹線乗り場へ入った。出発までには、まだ時間がある。ホームには上がらず、待合室のような、広場のような所で、時間調整だ。ぐるっと見まわし、ちょうど、案内板が見えるベンチが空いていたので、そこに腰掛け、くつろいだ。

案内板には、まだ<こまち11号>の文字はなかった。ぼうっとしていると、七、八メートル離れたとここで、爺たちが三、四人、立ち話をしている。それもでかい声で。マスクはしているが、騒々しい。このコロナ禍の中、公共の場所で、なぜあんなにでかい声でしゃべっているのか、やや不快である。思うに、声のでかさと知性とは反比例するようだ。いや、これは偏見だろう。

さてと、九時十分も過ぎた頃、案内板の中の<こまち11号>の文字を、再再度確かめ、長いエスカレーターに乗って、ホームへ上がった。マナーに従って、エスカレーターの左側に立ち、キャリーバックは、立ち位置の一段上に置いた。お行儀がいいことだ。

出発時間には、まだ二十分も早いが、数人すでに待っている。まずもって、日本人は気が早い。並ぶほどでもないので、ベンチに腰掛けた。ふと思いついて、そばの自販機で、アルミボトルのコーヒーを買った。一口、二口飲んで、ちゃんと蓋を閉めた。あとは、車内に持ち込み、飲むつもりだ。

九時二十分頃に、鼻先がひゅっと赤い<こまち>がホームに入ってきた。あわててコンデジを取り出し、一枚撮った。自分の後ろには、大きなバックを抱えた、大学生たちが五、六人いた。おそらく、野球部か何かの合宿だろう。<14号車>と案内のある場所から、列車に乗った。

急かされるような感じで、列車内の通路に立ち入ったが、座席番号をど忘れして、一瞬、通路で立ち往生してしまった。後ろに人の気配がしたので、すぐに座席側に入って、大学生たちをやり過ごした。その後、手帳で座席番号を確かめて、再度通路を歩き出す。と、今度は大学生たちが、通路で、荷物を棚にあげたりしていて、通れない。無理して、横を通り抜けようとしたら、後ろから、すいません、というような声が聞こえた。あたふたしている後輩の非礼に気づいて、先輩がフォローしたわけだ。まあ~、若いのに、礼儀正しい。いや、むしろ、若い奴の方が、中高年より、礼儀正しいような気がする。ただし、若い女は、全くダメだな。いや、これも偏見だね。

窓際の席に落ちついた。あっという間に<こまち11号>は走りだした。黄色っぽい、クッションのいい座席で、足元も広い。ひじ掛けの内側に黒いボタンがあり、押すとリクライニングできた。むろん、リクライニングするときに、後ろを確認した。座っている人がいたら、一言、ちょっと下げます、とか何とか言うのがマナーだろう。ただし、このマナーは、必ずしも守られていないような気がする。いきなり、前の座席が、がくんと倒れて来る、というような経験が、自分にすら、二、三度ある。

今回は、そんな気遣いは無用。コロナ禍での、平日の秋田行きだ。ちらっとうしろをふり返えると、例の大学生のグループのほかは、四、五人しか乗っていない。ガラガラだ。軽登山靴を脱いで、くつろいだ。そのあとは、条件反射的に、窓の外の景色を眺めていた。これから旅が始まる、というようなワクワク感は、まるでなく、気分的には平静だ。ただ、久しぶりの新幹線、やっぱ速いなと思った。前橋ありからは、さらにスピードが上がり、風を切る音が大きくなる。すこし怖い感じがした。

いま調べたら、<こまち>の最大スピードは、320キロくらいあるらしい。どおりで、一時間ほどで仙台に到着してしまうわけだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#3 一日目(3) 2021年7月14日

 

移動2

 

仙台駅では数人降り、数人乗ってきた。次の停車駅の盛岡駅でも、同じような感じだった。と、アナウンスが耳に入ってきた。車両を切り離し、盛岡駅からは、進行方向が逆になるらしい。どういうことなのか?自分が乗った<こまち11号>は実体的には、<はやぶさ11号>と<こまち11号>が連結されたもので、<はやぶさ>の方は、いわゆる東北新幹線で、新青森まで行く。一方<こまち>の方は、盛岡で切り離されて、在来線を走って、秋田まで行く、というわけだ。

と、ここからはいま調べたことだが、本来、新幹線と在来線とでは、線路の幅が違う。これは、たしか、小学生の頃に教わったことがある。となると、新幹線である<こまち>は、盛岡から秋田までの区間、在来線を使うことはできないのではないか?これは、半分は正解で、半分は間違い。在来線の田沢湖線(盛岡~大曲)と奥羽本線の一部(大曲~秋田)のレール幅を改良工事で大きくして、新幹線が走れるようにしているのだ。

時間と空間を戻そう。二時間足らずで、盛岡駅に着き、車内アナウンス通り、列車が反対方向へ動き出した。なんだか変。戻っている感じがする。だが、もっと変なことに気づいた。線路に柵がない。スピードが遅い。待ち合わせとか言って、頻繁に停車する。なんだこりゃ~!車両は新幹線だが、内容的には<特急>だ。しかも<待ち合わせ>ということは、<単線>だ。

秋田新幹線<こまち11号>は、大宮駅から秋田駅まで、およそ三時間半だ。だが、大宮から盛岡まで二時間弱で着いた。となれば、あとの一時間半が、盛岡から秋田までの走行時間となる。これからまだ、一時間半も、たらたら行くのか、と思いながら、窓の景色を眺めた。山間部をぬって走っている感じで、何の面白みもない。雫石、田沢湖、角館、大曲と停車して、秋田駅には、予定通り、一時ちょい過ぎに着いた。

駅構内は閑散としていた。改札は<PASMO>で何の問題もなく、ピッと通過できた。東口から、長い階段を下りて、外に出た。駅前広場は、整備され広々としている。その分、さらに閑散としている。すぐ近くのNレンタカーまで、キャリーバックをごろごろ転がしながら歩いた。梅雨明け十日!雲一つない晴天、こりゃあ~、猛暑だな。

Nレンタカーの事務所に入って、手続きをした。予約は、14時からだから、四十五分ほど早い。その分、追加料金を¥1000、取られた。請求書が出てくる前に、何も説明がなかったので、少しごねた。係の若者は、ではいったん契約解除して、やり直しますかと聞いてきた。だが、この暑い中、時間をつぶす所もないし、すでに現地入りしているわけで、男鹿半島へ向けて、早く出発したかった。そのままでいい。カードで支払いを済ませ、用意してあった車に乗った。

出雲旅の時と同じだ。灰色の<スイフト>だった。ナビの操作などを、ちょっと教えてもらい、すぐに出発した。その際、<入道埼灯台>まで、高速でも一般道でも、あまり変わらない、と係の若者がアドバイスしてくれたので、一般道を選択した。どちらも、ほぼ58キロ、二時間弱の行程だ。

一時間半くらいだと思っていたが、二時間かかるのか!秋田に泊まらなくてよかったよ。それに、高速を使わないのなら、¥1000オーバーしたぶん、差し引きゼロだ。みみっちいことを思いながら、秋田の市街地を走り抜けた。道は広く、きれいな大きな町だった。

その時は思わなかったが、帰路、同じルートを通った時に、ふと思った。市街地に、これだけ大きな道があるのは、<空襲>を受けたんじゃないか、と。いま調べたら、カンが当たっていた。

1945年8月14日の夜から、翌15日にかけて、B29が130機飛来。海岸沿いにある製油施設と、市街地が被害を受け、250人以上が犠牲になった。<土崎大空襲>。大日本帝国が、米軍から受けた、最後の空襲だった。そういえば、自分の住んでいる埼玉県の熊谷も、同日、ほぼ同時刻に空襲を受けている。<熊谷空襲>。1945年8月15日。敗戦の日に、ここでも、多くの人命が失われている。この二つの空襲は、今から76年前だ。かなり前とはいえ、自分の生まれる、ほんの七年前のことだ。自分にとっては、そんなに昔のことじゃない。

市街地を抜けると、左手に海が見えた。海岸沿いに、大きな施設が見える。そう、秋田には、たしか海底油田があったはずだ。となると、あれは製油施設だな。片側二車線の広い道を、気分良く、さらに行くと、巨大な<なまはげ>の立像が二体、目に入った。ハンドルを左に切って、<男鹿総合観光案内所>の駐車場に入った。

車の外に出た。暑い!キャリーバックからカメラを取りだして、巨大な<なまはげ>を何枚か撮った。正面からは、逆光だ。うしろに回って、出刃を振り上げている後姿も撮った。おもしろい!近寄って、どんな材質でできているのか、触ってみた。硬かったが、樹脂のような感じだった。

施設の中に入り、お土産を物色した。小さな<なまはげ>の置物があった。中に何か入っていて、カラカラと音がする。¥770の、手のひらに収まる程度のものを買った。ただ、いま思い出してみると、顔が赤いのと青いのがある。たしか、どちらも出刃と桶を持っていたような気がする?

帰宅後に調べてみると、例の、巨大な<なまはげ>も、ネットで出てくる<なまはげ>の画像も、ほぼすべて<出刃と桶>は青い<なまはげ>が持ち、赤い<なまはげ>は<御幣=ごへい>という棒の先にひらひらした紙がついているものを持っている。ちなみにこの<御幣>は、神様であることの印らしい。

ベッドの背もたれの上を見た。ニャンコの白い骨壺と愛知旅で買った<三毛の招き猫>が並んでいる。その前に、紀伊半島旅で買った那智黒石の小さな招き猫と顔の赤い<なまはげ>がいる。やはり<出刃と桶>を持っている。これは、おかしいだろう?赤い<なまはげ>は<御幣>を持っているはずだ。これは、たんなるミステイクなのか?あるいは、素材的に<御幣>を作るのが難しかったのか?

ヒマなんだから、真相について調べることもできるだろう。だが、めんどくさい。それに、<なまはげ>は地域、地域によって、多種多様らしい。赤い<なまはげ>が<出刃と桶>を持っていることも、許されるのだろう。

なお、この<出刃と桶>は、炉端で低温火傷したときにできる<かさぶた>を削り取って入れるものらしい?しかし、この説明は説得力に欠けるな。<出刃>を振りかざす<なまはげ>は、暴力的で、恐怖を呼び起こす。持っている<桶>は<出刃>で切り刻んだ、人間の部位を入れるものではないのか?怖いもの見たさが、恐ろしいイメージを喚起する。

あと、赤い方が爺、青い方が婆で、二人は夫婦らしい。<なまはげ>が夫婦であったというのも、驚きだが、頭が大きくて、わけのわからないアイテムを持っている姿は、アニメのキャラクターのようで、滑稽味がある。しかし、幼児にとっては、今でも恐怖の対象だし、一方、大人にとっては、郷愁の産物となっている。自分も、<なまはげ>には、なんとなく魅かれるところがある。

巨大<なまはげ>を後にして、男鹿市の手前で<なまはげライン>に入った。その際、どこの港なのか?海に突き出た長い防波堤の先に、灯台が小さく見えた。帰りに寄ろうと思った。(この防波堤灯台は、船川港の<船川防波堤灯台>だと、今調べてわかった)。小一時間、さほど山深くもない山間部を、貸し切り状態で走った。そのうち、点在する民家もなくなり、少し急な登りになった。

さらにナビに従っていくと、道は平らになり、半島の上に上がったようだ。と、<男鹿温泉郷>という看板が見えた。なるほど、宿はあっちの方だなと思いながら、さらに直進。すると、右側にチラッと海が見えた。木立があり展望はよくない。どうやら絶壁になっているようだ。

前を向くと、本格的なキャンピングカーがたらたら走っている。道が狭いから、追い抜くことは危険だし、それに億劫だ。と、道の両側に民家が建てこんできた。灯台が近いなと思った。案の定、正面の建物の上に、白黒の灯台の上半分くらいが見えた。やっと着いたよ。途中、ちょっと寄り道したものの、秋田駅から入道埼灯台まで、やはり二時間ほどかかっていた。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#4 一日目(4) 2021年7月14日

 

入道埼灯台撮影1

 

      入道埼灯台撮影2  

 

男鹿半島の先端、入道埼灯台に着いたのは午後の三時半頃だった。快晴で、空は真っ青だ。陽は少し傾きかけていたが、真夏の太陽が、ギラギラしていた。広い駐車場には、前を走っていたキャンピングカーのほか、二、三台の車が止まっているだけだ。それと、横一列に、五、六軒並んでいる土産物屋は、すでにシャッターを下ろしていた。閑散としている。だが、さびれた感じはしない。広々していて、気持ちのいいところだ。

灯台の周辺は、芝生広場になっていて、緑が鮮やかだった。正面には、海があり、少し上に、まともに見られないほど眩しい太陽があった。車から出て、さっそく磁石で方位を確認した。灯台は、やや北西方向にあり、夕陽と絡めて撮るのは難しいかもしれない。つまり、灯台と夕陽の間には、かなりの距離があり、自分のカメラの画角では、両者を一枚の写真におさめることはできそうにない。ま、これは、予期していたことだ。ネットには、そうした、夕陽と絡んだ入道埼灯台の写真は、ほぼ一枚もなかった。これは、灯台と太陽の位置関係からして、物理的に無理なのだろう。

駐車場と芝生広場の間には道路があった。といっても、通る車はほとんどない。左右を気にせず道を渡り、広場に入った。芝生だと思った緑のじゅうたんは、少し背の高い牧草のような草(芝草)で、ところどころにアカツメグサが群生している。白黒の灯台との距離は、そうだな、70~80mくらいかな?思ったほど巨大ではない。

左側には資料室のような平屋の建物が立っている。右側にも、何とも形容しがたいが、骨だけになった雨傘を逆さに立てたような、無線アンテナ(中波無線標識か?)がある。さらにその横に、灯台よりも大きなレーダー塔(無線方位信号所)が立っている。景観という観点に立てば、邪魔といえば邪魔だな。だが今日日、これらの鉄の構造物は、灯台付近に、必ずといっていいほど併設されている設備で、致し方ない。

カメラ一台を首にかけ、撮り始めた。念のために、予備の電池を一個、黒いポシェットの中に放り込んだ。ためし撮りなので、すぐには、灯台の正面にはいかず、広場の中の遊歩道を歩きながら、五、六歩行っては、立ち止まり、灯台にカメラを向けた。遊歩道の先には、なにか黒っぽいモニュメントが立っている。広場の中にも、それよりは小さい物体が点在している。ま、これらは、眼前に広がる、緑のじゅうたんと灯台と空との、いわば全体的な布置の中では小さなもので、ほとんど気にならない。

遊歩道からそれて、草深い中を、海へ向かって少し行くと、断崖になっているようだ。用心して、三、四歩前で立ち止まる。臆病で、爺になっているので<断崖>を覗きこむようなことはしない。行き止まりだということを確認して、こんどは<断崖>沿いに、モニュメントの方へ行く。

ちなみに、広場に足を踏み入れた時から、灯台の全景は見なくなり、資料室の屋根越しとなる。しかも、灯台と水平線を一つ画面におさめるには、<断崖>に近づきすぎてもよくない。広場の真ん中あたりが、一番マシ、ということだ。

撮り歩きしながら、モニュメントに到着した。自分の背丈以上あり、黒い石の立派な構造物だった。回りに円形状の腰掛もあり、そばに、むろん、案内板もあった。だが、気持ちが急いていたので、案内板は見なかった。とういうのも、灯台周りの探索を早く済ませ、いったん宿に入って、再度、日没の一時間前くらいから、撮影したかったからだ。いわゆる<ゴールデンタイム>だ。

なんというか、瑣末なことばかりが気にかかる。例えば、今回の場合、宿の夕食は、七時からということになっている。部屋に持ってきてくれるそうだが、それにしても、チェックインが七時過ぎるのはまずいだろう。ちょうどこの日、日没は午後七時十分ころだ。夕食と日没の時間が重なっている。どっちか取れ、というなら、最初で最後の夕陽のきれいな男鹿半島に来ているんだ、日没の撮影を取る。ま、旅館の夕食も、楽しみではあるが、千載一遇、夕陽に染まる入道埼灯台を逃すわけにはいかないだろう。

とにかく、早く、灯台周りの探索を終えねばならない。いま居るモニュメントの位置は、灯台から50m位離れた断崖沿いだ。ということは、海に背を向けている。構図としては、灯台が真ん中にあり、その左側に、資料室の建物、雨傘の骨組み(無線標識)、巨大なレーダー塔が横並びしている。快晴だから、空は<青>。要するに、水平線が見えない分、奥行き感、遠近感がなく、平板な構図だ。

最近は、写真の奥行き感、遠近感にこだわっている。というのも、自分で撮った灯台写真を選別する際、そこに、水平線があるかないかで、写真の見え方が全然違うのだ。写真の中に水平線があると、単純に言って、開放感がある。灯台の垂直は視線を上下させ、海の水平線はそれを左右に動かす。さらには、焦点距離が伸ばされ無限大になる。左右上下、遠近の、この目の動きが、奥行き感、遠近感、さらには解放感といったことの身体的根拠なのかもしれない。

それはともかく、最近の撮影では、構図的、絵面的な<ベストポイント>に、さほどこだわらなくなってきた。灯台という構造物と付近の景観が、あるていど調和しているなら、ベスト、ベターは、事後の選別の際に決めればいい。むろん、これまで通り、撮影の際は、いちおう灯台の周りを360度撮り歩くが、やみくもに全方位的に撮りまくることはなくなった。つまり、灯台と水平線がひとつ画面におさまる場所を重点的に撮るようになった。構図や絵面の美しさよりも、写真の中にある遠近感や開放感の方が面白いと感じているわけだ。

したがって、海を背にしてしまうと、とたんに、撮影テンションが下がった。空の景色がよければ、まだましだが、<青>一色だ。とはいえ、灯台の裏側も見て回らないわけにはいかないだろう。断崖に沿って、撮り歩きを始めた。おそらく、一時間以上はたっている。猛暑だ。体力的には、もう限界に近かった。うんざりしたのを覚えている。

 

入道埼灯台撮影2

 

入道埼灯台は、地形的に280度くらいの展望=明弧があるらしい。つまり、海から見た場合、灯台の光が見える範囲が広い。陸地から見た場合は、要するに、ぐるっと海が見わたせるわけだ。したがって、西側だけでなく、北側の展望もいい。目を細めると、はるか遠くに、細長い陸地が見え、そこに、巨大風車が等間隔に並んでいる。それがどのへんなのか、頭の中で考えた。能代あたりだろうか?ま、いい。

北側からの、灯台はといえば、こんもりした林にさえぎられて、上半分が見えるだけだ。まるっきり写真にならない。林に沿って、遊歩道のような道がある。このままいけば、灯台の正面に出られるだろう。と、断崖の下に遊覧船が止まっているのが見えた。そばに看板もある。<遊覧透視船>。なるほど、海がきれいだから、船底から海底を覗くような仕掛けになっているのかもしれない。ただし、<欠航中>。

断崖に近寄って、下を覗きこんだ。渡船場があり、その先端に遊覧船が係留されている。手前には、大きな建物があり、オレンジ色の屋根に<遊覧船待合所>と書いてある。炎天下の中、ひとっ子一人いない。船も看板も建物も、ふるびて時代がかっている。さびれた観光地だ。だが、ここからの景色が絶景であり、海の色が驚くほどきれいであることに、間違いはない。

こんもりとした樹木に沿って歩いた。そこが唯一日陰になっている。すぐに、灯台の正面側、つまり、駐車場の北側にでた。右を向くと、広めの遊歩道の先に、灯台資料館が見えた。トイレがすぐそばにあったので、用を足した。

さてと、灯台は資料館の右側にある。だが、距離が近すぎる。それに、周辺に巨大なレーダー塔など、いろいろごちゃごちゃしていて、まるっきり写真にならない。とはいえ、一応、灯台を見に行った。

資料館の受付は閉まっていた。灯台内部に入れるのは、午後四時までらしい。もっとも、暑さでぐったりしていたので、登るつもりもなかったが。灯台周りにも、いろいろな案内板があった。だが、目を通す気力もなく、とにもかくにも、灯台の入口の前まで行った。

ここまでは、比較的遠目から見ていたので、灯台のその巨大さに、ちょっとびっくりした。見上げると、ぶっとい白黒の胴体の先、つまり灯台の頭部は、死角になってよく見えない。したがって、いわゆる<灯台>のフォルムではない。むろん、写真も撮らなかった。とはいえ、あした体調を整えて登ってみようと思った。いや、ここまで来たんだ、登るべきだと思った。

灯台に背を向け、駐車場沿いに歩いていくと、シルバーの小さな車がポツンと止まっているのが見えた。自分のレンタカーだ。ふと、気まぐれを起こし、また、広場に踏みこんだ。灯台に正対した。同じ構図だが、さっき来た時とは、明かりの具合が違う。念のためだ。まだ、気力、体力に余力が残っていたのだろう。

車に戻った。午後五時少し前だったと思う。宿までは、十分足らずだ。チェックインだけ済ませ、夕方の撮影のために、すぐに戻ってくる、という予定を立てた。遅くとも、午後六時過ぎには撮影を再開できるだろう。一息入れて、駐車場を出た。意外に疲れていない。新幹線で来たからな、と思った。高速道路を何百キロも運転してきたのではない。疲労度が全然違うのだ。

<男鹿温泉郷>に入って、突き当りを右に行くと、十階建てくらいの大きな旅館がいくつもある。その一角に、予約した旅館があった。外見はそんなに悪くない。それに、受付の女性が、おもいのほか愛想がよくて、ま、美人だった。ところが、エレベーターに乗って、部屋に入ると、とことん老朽化している。畳こそ、すり切れていないが、壁はシミだらけ、縁がめくれている。さらに洗面所も、風呂も、かなり汚い。二泊だから、我慢だな。それに今は急いでいる。部屋の汚さにこだわっている場合ではない。

すぐに下に下りて、受付の女性に、戻ってくるのが午後七時半過ぎになることを伝えた。部屋に食事を運んでおいてくれるとのこと。これで安心して、出かけられる。ビジネスライクだが、それにしても、愛想がいい。

予定通り、午後の六時過ぎに、入道埼灯台に戻った。黄色っぽくなった太陽は、水平線の三十センチくらい上の辺りまで下がっていた。だが、依然として、まぶしくて、まともには見られない。日没は午後七時過ぎだ。

遊歩道の入口から、芝草広場に足を踏み入れた。すぐに道からそれて、草深い中に入った。灯台と水平線が一つ画面に入る場所を、カメラで確認しながら、ぶらぶら撮り歩きした。断崖に近づきすぎても、よくない。灯台が見切れてしまうのだ。流石に、暑さはおさまってきて、辺りが、なんとなくオレンジ色っぽい。

芝草広場には、アカツメクサのほか、名前の知らない白い花なども咲いている。お花たちを踏まないように歩いた。だが、ま、ここは勘弁してもらう、おそらく踏んづけているだろう。

さてと、太陽がかなり下がってきた。今や水平線のほんの少し上にある。その夕陽と灯台とをひとつ画面に収めたいのだが、両者に距離がありすぎて、構図的なバランスが悪い。ま、それでも、道路際の広場への入口辺りがベストだろう。三脚を車に取りに戻った。その際、ふっと辺りを見回すと、なんとなく人影が増えたような気がした。入道埼は、夕陽の名所だから、観光客たちが、日没の時間に集まってきているのだ。

沈む夕陽と灯台を一つ画面入れる。入道埼灯台の、そんな写真は見たことがない。要するに、地理的関係で無理なのだ。だがそうでもないぞ。道路際に並んでいる木の柵沿いに三脚を立てた。そばに、若い女の子が二人、スマホを夕陽に向けている。

夕陽と灯台をひとつ画面に収めることはできる。ただし、夕陽は左端、灯台は右端。構図的には、はなはだ心もとない。とはいえ、ちょっと真剣になって撮った。まさに<ゴールデンアワー>だった。刻一刻と、太陽が水平線に近づいていく。空も海も広場も灯台も、ますますオレンジ色に染め上げられていく。周辺にいる誰もが、スマホやカメラを夕陽に向けていた。妙に静かだった。

夕陽が水平線に到着した。周囲が、少しざわついたような気もする。自分も、灯台をそっちのけにして、その光景を撮った。黄色の丸は、水平線にかかると、あっという間に半円になり、姿を消した。その間五分くらいだろうか?とたんに、神々しい雰囲気は霧散して、ざわざわしはじめた。広場の中、断崖やモミュメント付近にいた見物客たちが戻ってきた。午後の七時十五分頃だった。

この後の<ブルーアワー>は、明日撮ることにして、自分も車に戻った。駐車場の車やバイクは、あっという間に、蜘蛛の子を散らすように引き上げていった。あとには、自分の車と、例のキャンピングカーしか止まっていない。あたりは薄暗くなっていた。キャンピングカーは、今晩ここで車中泊するのだろう。

水平線に沈む夕日は、たしかに美しいし、希少価値がある。ただし、今回は、さほど感動しなかった。写真としても、記念写真の域を出ていない。<日没>は、本当に美しいのか?べつに、それほどでもないよな。いつもの天邪鬼だ。宿へ向かった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#5 一日目(5) 2021年7月14日

 

最果ての温泉旅館

 

ほぼ午後七時半に宿に着いた。受付で、愛想のいい女将からの挨拶を受け、エレベーターに乗った。部屋に入ると、座卓の上に夕食が並べられていた。シャワーでも浴びたい気分だったが、腹が減っている。でも一応、ユニットバスを覗いてみた。先ほど、駆除し損ねた<ヤスデ>が気になっていたのだ。

そうよ、チェックイン時に、ユニットバスを確認した際、桶に隠れていた<ヤスデ>に出っくわしたのだ。え~~~~~!と思った瞬間、奴は、排水溝の中に逃げ込んだ。どうしようもないではないか。ぴたりとドアをしめた。這い出る隙間なないよな、奴を閉じ込め、ユニットバスには絶対入るまいと思った。

ヤスデ>の姿は見えなかった。いや、気持ち悪いので、よくは確認しなかった。ところがだ、夕食の席に着く際、脇にあったポットをどかしたら、黒い影が急に動き出した。畳の上を、たくさんの足が大慌てで動いている。ややパニックになったが、すぐ冷静になり、駆除するものはないかと、辺りを見回した。新聞紙か雑誌があれば最高だが、そんなものはどこにもない。仕方ない、座卓の上にあった茶色い案内冊子を手に取り、狙いを定めた。うまく仕留めた。だが、もうこれ以上書く気がしない。殺生はしたくはなかったのだ。

気持ちを取り直して、夕食の席に着いた。食べるものが山ほどある。ほとんどが魚料理で、量も多い。とくに刺身はうまかった。場所柄なのだろう。完食して、満腹だ。さてと、寝る前に温泉だな。ポシェットとカメラを、備え付けの金庫に入れた。金庫の鍵は、冷蔵庫の上のカップ入れの後ろに隠した。まずもって、小心なのだ。

バスタオルとペラペラの手ぬぐいをもって、エレベーターで二階に下りた。温泉の入り口には、青い暖簾がかかっている。<男>の文字が白抜きしてある。温泉には誰もいなかった。まずまず広くてきれいだ。湯船では、手足を伸ばして、ゆっくりくつろいだ。食事と温泉は、まずまずだが、部屋が汚すぎる。一泊¥11500。値段的に、高いのか安いのか、判断に迷った。

部屋に戻った。座卓の上に、食い散らかした夕食が、置きっぱなしだ。このまま、というわけにもいかないだろう。受付に内線電話をかけると、例の愛想のいい女将が出て、下げに伺いますとのこと。少したって、廊下で音が聞こえた。ドアを開けると、紺の作務衣のような服装の、白いマスクをした<ゆりやん>のような若い女性がいた。

仲居さんというか、旅館の従業員は、婆さんばかりだと思っていたので、やや意外だった。彼女は、アルバイトなのか、ぎこちない感じで、控え目だ。ふと思いついて、財布から、千円札を一枚取り出し、彼女に渡した。別に下心があったわけではない。ある程度の旅館に泊まったら、仲居さんへの心付けは、マナーだろう。昭和の時代には、それが当たり前だった。彼女は遠慮したが、出したものを引っ込めるわけにもいかず、やや強引に受け取らせた。

今の時代でも、仲居さんに心付けをするのがマナーなのか、よくわからないので、ネットで調べた。やはり、<心付け>の習慣は、いまだに活きているようで、とくに、何か特別なことをしてもらったら、感謝の意味で渡した方がいいらしい。ただし、財布から現金をだして、そのまま渡すのはNG。なにかに包んで渡すのが礼儀らしい。急なときには、テッシュでもいい。なるほど、そこまでは気が回らなかった。ま、その点は、勘弁してもらおう。

ゆりやん>は食器類を廊下に出し、ふり返って、丁重に、おやすみなさいといって、部屋から出て行った。マスクをしているので、器量のよしあしは、しかとは判断できない。だが、色は白いような気がした。秋田美人、という言葉が思い浮かんだ。雪国で、陽に当たることが少ないので、色白なのだという。一見もっともらしい話だが、本当なのか?

ちょっと調べてみると、秋田県は日照時間も少ないらしいので多少蓋然性があるようだ。あとは、ウソかホントか、大昔、ロシアやヨーロッパから渡ってきて人達の、白人しかもっていないウイルスの遺伝子が、十人に一人の割合で残っているからだ、という説もある。そのほか、温泉とか食べ物とか、きりもない話だ。

とはいえ、日本三大美人(京美人、秋田美人、越後美人)という俗説の中に、雪国が二つも入っている。そういえば、<雪女>も美人の妖怪だ。雪と美人は、なにか関わりがあるのかもしれない。思えば、受付の女将も美人だった。自分の都合の良いことだけが、脳裏に浮かんできて、勝手に思い込んでいるだけだ。なかば迷信のような、俗説を信じてはいけない。

座卓の横の布団に寝転がった。布団は、温泉に行く前に自分で敷いておいた。横になると、クッションがよくないので、押し入れからマットレスをもう一枚出して二枚重ねにした。枕も、もう一個出して、二つに重ねた。部屋は汚かったが、敷布や布団カバーは、パリッと糊がきいていて、気持ちよかった。一瞬、<ヤスデ>がまだどこかにいるような気もしたが、考えないことにした。

蒲団の上に座りなおして、手帳に、日誌を走り書きした。そのあと、のどが渇いたので、飲み物を買いに、二階に下りた。猛暑での撮影と温泉とで、脱水気味なのかもしれない、などと思った。薄暗い館内に、人の気配はなく、なんとなくかび臭い。自販機の前に立った。ビールはあるが、ノンアルビールはない。コーラを買って、戻った。

寝る前に、歯磨きだ。歯ブラシは持参している。歯磨き粉は、面台に置いてあった、アメニティーの白い小指ほどのチューブを使った。その際、破った紙片を捨てようと、下にあった、ゴミ箱を見た。普通、ゴミ箱には内側にレジ袋のようなものがぶせてある。掃除する時に手間がかからず、ゴミ箱も汚れないからだ。そういえば、小さな鏡台の横にあったゴミ箱も、いわば<裸>だった。なんとなく、汚らしい感じがした。

歯を磨きながら、洗面所周りを見た。設備が古いのは致し方ない。だが、掃除が行き届いていない。いや、汚い。それに、壁紙が茶系のストライプ柄、床もこげ茶色なのに、洗面器の色がきれいなピンク色だ。そうだ、便器もピンクだった。なぜ、一般的な白でなくピンクを取り付けたのか、理解に苦しむ。

そう、最高にシュールだったのは、トイレだ。一応、温水便座だから、自分にとっての最低ラインはクリアしている。だが、使用中に、辺りを見回すと、床、天井、壁が、それぞれ、まったく異なった材質のフローリングや壁紙で内装されていて、色合いにも統一感がない。これあきらかに、その都度、劣化した部分を、一か所ずつ交換修繕したからだろう。むろん、その中に、ピンクの便器も入るわけだ。

建物自体は、おそらく、1970年前後に建てられたものだと思う。高度成長時代になり、庶民の団体旅行が流行り出した時期だ。この最果ての<男鹿半島>も、<なまはげ>を売り物にして、<ディスカバージャパン>の波に乗ったのだろう。

とすれば、すでに築五十年以上たっている建物だ。部屋が古くて汚いのは値段相応、ということで、客も我慢する。だが、トイレ、風呂、洗面所など、水回り系の不備にはクレームをつける。旅館側としても、最小限の修繕はせざるを得ない。一気に修理すると修理代がかさむから、不備なところだけを修理する。いきおい、ちぐはぐな感じになる。それが、トイレという狭い空間の中では、ことさら際立ったのだろう。

それにしても、このデタラメな内装は、人間の美的観念を大きく逸脱している。意図してデザインできるものではない。と考えると、居心地の悪かったトイレ空間が、なにやら<シュール>な感じがしてきて、じっと座っていることが、それほど苦痛ではなくなった。生理的な嫌悪感ですら、ある程度は、知性で相殺できる。哲学的知見の実証例のような気がした。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#6 二日目(1) 2021年7月15日

 

大広間で朝食

 

入道埼灯台撮影3

 

時間調整

 

男鹿半島旅、二日目の朝は、最果ての温泉旅館の一室で目が覚めた。すでに朝の六時半だった。昨晩の記憶は定かではなく、<走り書き>にも何時に寝たかは書いてない。だが、おそらく、夜の十時過ぎには寝ていたのだろう。寝不足感はない。夜中に、物音もしなかったし、熟睡できたほうだ。洗面などをすませ、着替えた。七時半に、二階の大広間で朝食、という予定になっている。

七時半少し前に部屋を出て、大広間へ行った。入った途端にカビ臭い。これは、自分が匂いに敏感だから、といったレベルの話じゃない。かなりカビ臭い。ま、文句を言うわけにもいかず、席に着いた。その際、ちらっと大広間を見回すと、かなり遠くに、年配の夫婦連れが一組だけいた。

席に着くと、どこからともなく<ゆりやん>が現れて、ご飯とお茶、味噌汁を持ってきてくれた。目の前のお膳には、朝食とはいえ、かなりたくさんのおかずが並んでいた。ほぼ完食してしまったが、まずくはないが、うまいとも思わなかった。あと、<ゆりやん>のよそってくれたご飯だけでは、ものたりず、すぐ近く置いてあった電気釜まで行って、茶碗に山盛りのごはんをよそった。これだけ食べれば、夕方までもつだろう。

電光石火、あっという間に平らげて、満腹。ただ、添えてあった<ヤクルト>は、部屋で飲もうと思って、手をつけなかった。食後、お茶をのみながら、今一度辺りを見回した。またカビ臭いにおいがしてきた。なるほど、たしかに、大広間だ。半分で仕切ってあるが、それを取り除けば、小さな体育館くらいの大きさはある。

ちなみに、舞台もあった。最盛期には、あそこで<なまはげショー>や<歌謡ショー>が繰り広げられたのかもしれない。経験的に言えば、<ストリップショー>もやっていたはずだ。若い頃、バイト先で、半強制的に連れていかれた社員旅行での出来事だ。ストリッパーや社員たちの俗悪さに、慄然としたものだ。

お茶を飲み終えて、すぐに席を立った。またカビ臭いにおがした。老夫婦は、まだ食べている最中だった。大広間を出ると、横の調理場から、<ゆりあん>が出てきた。<ごちそうさま>と声をかけると、丁重に<お気つけて行ってらっしゃいませ>とか言って頭を下げた。訛りはなかったような気がする。

部屋に戻り、<ヤクルト>を飲んだ後に、出発準備をした。ふと思いついて、カメラで室内の様子を、二、三枚撮った。むろん明日のチェックアウト時でもいいのだが、同じことだろう。だが流石に、ユニットバスの扉は開けなかった。<ヤスデ>がトラウマ?になっている。排便は、多少出たので、気分はよかった。<シュール>なトイレではあるが、温水便座はちゃんと機能していた。

下におりた。受け付けカンターへ行き、金属製のベルを<チン>と押すと、奥からすぐに女将が出てきた。マスクをしているので、表情はよくはわからない。とはいえ、笑顔でお愛想を言っている。鍵をあずけ、美人の声を背中に受け、広い玄関口に立った。下を向くと、自分の軽登山靴が、きちんとそろえて置いてある。さらに少し離れたところに、男物と女物の靴が二足、並んでいる。大広間に居た老夫婦のものだろう。とすると、泊っていた客は、三人だけか!どおりで人の気配がしないわけだ。

 

入道埼灯台撮影3

 

<8:00出発>と手帳に書いてある。外に出た。朝から暑い。今日も快晴、雲一つない。駐車場には、何台か車が止まっていた。宿泊客は、自分のほかには老夫婦だけだから、誰の車なのだろう?ほかにも宿泊客がいたのかな、どうでもいいこと思いながら、車に乗った。ナビはセットしなかった。灯台への道順は覚えている。というか、出てすぐ左に曲がって、突き当りを右に行けばいいだけだ。

<8:30 入道埼 さつえい>。灯台前の駐車場には、一、二台、車が止まっていた。土産物屋はまだ閉まっている。閑散とした感じだったが、朝から陽射しが強く、すでにげっそりするほどの暑さだ。灯台はといえば、東からの斜光を受けて、いい塩梅だ。まだ太陽が低いので、広場の緑も鮮やかだった。

<撮影は午前中>と、なにかで読んだ覚えがある。たしかに、陽が昇るにつれて、地上の色合い、とくに緑色が、黒っぽくなっていく。きれいには撮れない。とはいえ、自宅から700キロも離れた、この最果ての地に来て、午前中だけしか撮らない、なんてことはあり得ないだろう。

写真がきれいとか汚いとか、そんなことは問題ではない。午前、昼、午後、夕方、夜と、最低限、このバリエーションだけは撮るつもりでいた。時間とともに変化する灯台と、その風景を、この目で確かめたいと思った。なぜだかわからない。とにもかくにも、丸一日、灯台と向き合うつもりで、ここまで来たのだ。カメラは、その行為をサポートしてくれる相棒だし、写真はその行為の記録なのだ。

まずはじめに、道路際から、灯台の正面を撮った。次に広場の遊歩道に入って少し撮り、そのあと、遊歩道から草深い中に入った。みな、構図的には、昨日とほぼ同じだ。だが、明かりの具合で、写真が全然違う。なにしろ、広場の緑が鮮やかだ。これは、東からの斜光のおかげだ。なので、断崖に近づけば近づくほど、つまり西側に移動していくと、いきおい逆光気味になり、緑の鮮やかさが失われる。太陽が東側にある時に、西側から撮れば逆光になる。おわかりいただけるだろうか。

したがって、二日目午前の撮影は、広場入口から、ほんの50mほど移動しただけだった。とはいえ、同じルートを戻ったのではない。復路は、往路よりは、灯台に対して、遠目を歩いた。見え方が多少はちがうだろう。もっとも、構図的にはたいして変わらないから、ほとんど意味はなかった。そうはいっても、同じ道を戻るわけにはいない。それが、自分で決めた撮影流儀だからだ。しかし、暑いということもあり、やる気がでない。とりあえずは車で休憩だな。まだ<9:30>だった。小一時間の撮影だが、むせかえるような暑さに、げんなりしていた。

 

時間調整

 

車に戻った。エアコン全開で、水分補給をしたような気もする。靴と靴下を脱ぎ、さてと、これからの予定を考えた。少なくとも、あと一、二時間、お昼までは、この明かりの延長上の情景で、見え方に劇的な違いはあるまい。終日、入道埼灯台で粘るつもりでいたものの、あまりに暑すぎる。それに日陰もない。

そこで、日程の都合でカットした男鹿半島の南側、<塩瀬埼灯台>と、その付近にある<ゴジラ岩>を見に行くことにした。距離的には往復で一時間半くらい。遅くとも午後の一時には戻ってこられる。移動中は、車のエアコンがきいているから涼しいだろう。一息つけるし、男鹿半島の縁をたらたら走るのも一興だ。<10:00 出発>、駐車場を後にした。

男鹿半島は、地図で見る限り、何とも形容しがたい形をしている。半島の首根っこには、干拓されてしまった<八郎潟>がある。半島自体は、親指を立てたような形で、西側の日本海に突き出ている。親指の先っちょに入道埼灯台があり、今走ろうとしている<塩瀬埼灯台>と<ゴジラ岩>は、その下側の小指あたりにある。その間の距離はおよそ25キロ、時間にして三十分くらいらしい。ちょこっと行って帰って来るにはちょうどいい。なにしろ、昼過ぎには入道埼灯台に戻ってきて、一応は、太陽の一番高い時間帯にも、写真を撮っておきたいのだ。

走りだした。山が急角度で、海に落ち込んでいる。右側は海で、道路の下は断崖絶壁だ。左側は、剥き出しの、垂直に切り立つ岩場で、つまり、なんというか、山の斜面に道路を作ったのだろう。素人目にも、難工事がうかがえる。幸い、ほとんど車は走っていない。時速40キロくらいで、ゆっくり走りながら、景色を楽しんだ。

道路わきには、ところどころに展望スペースがあった。帰りに寄ってみよう。そのうち、下り坂になった。下りきったところは、漁港になっていた。真っ青な空と海。少し沖合の消波提に、赤い灯台戸賀港南消波提灯台)が立っている。すごく目立つし、いい感じだ。ただ以前のように、写真として、モノにしてやろうという気にはならなかった。最近は、写真的に見栄えのいい、大型灯台の撮影に重きを置いているからだ。とはいえ、この海景は、撮っておきたい。

道路沿いに、細長い駐車スペースが目に入ったので、ハンドルを左に切った。公園というほどでもないが、なぜか、縁にアジサイがたくさん植えられている。満開だ。海とアジサイの取り合わせが新鮮だった。外に出て、道路を渡り、道路際の防潮堤に寄りかかりながら、湾の中の赤い灯台を見た。あまりにも遠目過ぎる。それよりも、左の方に、白い灯台(戸賀灯台)がある。こちらのほうは、やや近目だが、まるっきり絵にならない。

写真はほとんど撮らず、すぐに出発した。海岸沿いに大きな施設が見えた。<男鹿水族館>だ。横に、広い駐車場もある。ここも帰りに寄ってみよう。道は、ここからまた上り坂になる。山深いというか、秘境だな。さらに行くと、左側の切り立った岩場に、落石除けのフェンスとか鉄のアーチとかが目立ってくる。そのうち、がけ崩れの補修工事なのか、片側通行になる。そういえば、二、三日前、秋田県には大雨が降ったのだ。

ま、ヤバイ場所であることに間違いはない。と、また道が下り坂になり、砂浜が見えた。目的地が近い。きょろきょろしながら、ゆっくり行くと、岩場の上に灯台らしきものが見えた。あれだな。ただし、道路際の駐車スペースを改修工事しているようで、止められない。あれ~、という間に、通り過ぎてしまった。しかも、いけどもいけども、駐車できる場所がない。

猛暑だった。長い距離は歩きたくない。いい加減行き過ぎて、Uターンした。ふと見ると、工事用フェンスの横に、<ゴジラ岩はここから>という案内板があった。だが、周りに、駐車場がないのに、どうやってここまで来るのか?それに、灯台へと至る岩場の降り口にも、<立ち入り禁止>の看板がある。車を止められたとしても、灯台に近づくことはできないのだ。あきらめよう。工事中の灯台をチラッと横目で見て、来た道を引き返した。

復路は、来る時に目星をつけておいた、水族館の駐車場や道路際のアジサイの咲いている小さな駐車スペース、さらには、山道の展望スペースなどに、何回も止まりながら、防波堤灯台や海景を撮った。観光気分になっていて、ま、記念写真だね。

坂道の途中にあった展望のいい駐車場には、大きな<なまはげ>がいた。比較的きれいなトイレもあり、用を足したあとに、カンカン照りの中、<なまはげ>を撮った。漁港を見下ろす断崖の柵際には、色の褪めたパラソルが二つ並んでいて、その一つの下に、大きな日除け帽子をかぶったおばさんが座っていた。どうやら、サザエなどを売っているようだ。

そのうち、どこからともなく黒い軽のバンがやってきて、黒シャツの中年男がおばさんに、なにか盛んにしゃべっている。はじめは客かなと思ったが、かなり気安い感じだ。知り合いなのかもしれない。男は大声でしゃべっているが、早口であるうえに、訛りがきつい。話の内容はよく理解できない。一方、おばさんの方は、訥々とした感じで、言葉少なげに応対している。

おばさんをちらっと横目で見た。大きな日除け帽子で、少し影になっていたが、色白で顔立ちがいい。漁師の女将さんなのだろうか、<秋田美人>だ。とっさに、あの野郎、おばさんに気があるなと思った。この最果ての地でも、色恋沙汰が進行中だ。おばさんはともかく、声の大きい、あつかましい中年男に、心の中で舌打ちした。すぐに女にちょっかいを出す、どこにでもいるタイプの男だ。軽薄な野郎だ。いや、ひょっとしたら、やっかんでいるのかもしれない。気軽に女性を口説ける男が羨ましいのだろう。ここでもう一度、舌打ちした。今度は自分に、だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#7 二日目(3) 2021年7月15日

 

入道埼灯台撮影4

 

休憩

 

入道埼灯台撮影5

 

入道埼灯台には、十二時半頃に戻ってきた。十時に出たのだから、往復で約二時間半かかったわけだ。ま、行って帰って来ただけだ。車の中で、一息入れて、昼の撮影を開始した。暑い。だが、昨日ほどではない。多少風があるのだ。位置取り、撮り歩きのコースは、基本的には午前中とほぼ変わらない。つまり、灯台をやや右手に見ながら、草深い広場の南西側を歩いて、断崖の縁まで行く。ただ、午前中より、さらに、50mほど遠目を歩き回った。

すると、黒い石のモニュメントが、等間隔に並んでいるのがよく見えるようになった。結果、緑の広場に点在する、このモニュメントたちを画面に取り込みながら写真を撮った。

あとで知ったのだが、このモニュメントたちは、<北緯40度>のラインを示しているらしい。あの時は、まるっきり気にも留めなかったが、この<北緯40度>のラインは、北朝鮮とか中国とか、さらには中東、エーゲ海や地中海、イタリア、スペイン、そして大西洋を横切って、アメリカにまで到達するらしい。う~ん、モニュメントを背にして、海を見ながら、多少の感傷に耽ってもよかった筈だ。とはいえ、暑いということもあったが、完全に撮影モードになっていて、それどころじゃなかった。心に余裕がなかった。いいや、そんな余裕などいらない。灯台と向かい合うために、最果ての地に来ているのだ。

小一時間、草深い広場の中を歩き回って、駐車場に戻ってきた。車の中で休憩したかったが、腹が張っている。かなりきつい便意だ。駐車場の北側にあるトイレに入った。温水便座付きで、きれいだ。腰かけたとたんに、どっと出た。そういえば、昨晩も、今朝も、ろくに出ていない。それに、朝飯をごってり食べたので、腹がややゆるくなったのかもしれない。トイレを出た時には、体調が戻り、元気が回復していた。休憩する必要もない。そのまま、灯台へと続く遊歩道を撮り歩きした。だが、構図的には、どうもよろしくない。

<資料館>らしき建物まで来た。今回は、なぜか、灯台にのぼる気分になっていた。灯台の<参観料>¥300を払って、受付を済ませた。二、三段、コンクリの階段を登って、灯台の敷地に入った。灯台は巨大で、すでに、写真の画面にはおさまらない。中に入ると、螺旋階段がある。すぐ登り始めた。割と広くて、すれ違いできる感じだ。それに、さすがに、外よりは涼しい。今回は、重いカメラバックは背負っていない。カメラ一台を肩に掛けているだけだ。ほとんど息も切らさず、一気に登った。それでも、最後の二十段くらいは、多少ハアハアした。

小さな扉をくぐって、ドーナツ型の展望スペースに出た。誰もいない。風が心地よい。それに、ほぼ300度の視界がある。いや、270度くらいかもしれない。展望スペースをぐるっと一周することはできないのだ。とはいえ、左回りの行き止まりと、右回りの行き止まりとの間に、あまり距離がないから、展望的には、360度見回せる。

いい眺めだ。駐車場の、自分のレンタ―を眼で探した。ゴマ粒ほどの大きだ。あとは、緑色の広場全体を見下ろした。例のモミュメントへ向かって、ちょろちょろと、人が行ったり来たりしている。ああなるほど、自分もあの辺を歩き回ったわけだ。

海も水平線も、すべてのアングルを撮った。そのうち、人が登って来た。しょうがない、場所移動だ。また、左回りの行き止まりまで行った。そこで、柵に肘をかけながら、広大な空間をしばらく眺めていた。ま~~、これといった感動もないが、高くて、見晴らしのいい所は、やはり気持ちがいい。

かなり長居した。いや、ほんの十分ほどだろう。螺旋階段を降り始めた。登るときにも気づいていたが、壁(胴体の内側)に、灯台の、色の褪めた写真が、べたべた貼ってある。写真コンテストで、賞をもらった写真らしい。構図的には、ほぼ自分も撮っている写真が多い。ただ一枚だけ、これは、どこから撮ったのだろうか、という写真があった。

それは、灯台の立っている岬を、横位置で、別の岬から撮ったものだ。したがって、かなり遠目ではあるが、断崖などが左側に写っていて、なかなか面白い。螺旋階段を下りながら、頭の中で考えた。灯台の位置関係からして、南西側の広場の後方だ。しかし、あの辺に<別の岬>などなかった筈だ。いや、ちゃんと確かめたわけじゃない。それに、入道埼灯台は、岬の先端に立っているのではなく、陸地側に入り込んでいる。したがって、灯台の立っている岬を横から撮るには、それよりも、さらに海に突き出ている岬からでないと、灯台と断崖は、ひとつの画面におさまらないはずだ。

なんだかよくわからないまま、灯台を後にして、広場の南西側のはずれまで行った。断崖のすぐ手前で立ち止まった。向き直って、つくづくと白黒の灯台を見た。やはり、断崖などは見えしない。と、さらにうしろにも、もっと草深い、膝あたりまで草の生い茂った、やや海側にせり出した空間がある。背伸びしてみた。行っていけないこともない。

草が、腰のあたりまで生い茂っていたら、さすがに、前進する気にはなれなかったろう。だが、膝の辺りなので、思い切って、その未踏の地に踏みこんだ。ヘビは居ないだろうな。でも、なにか、わけのわからない虫だのクモだのダニだのが、靴やズボンにくっつくかもしれない。やや気持ち悪かったので、ささっと早歩きして、断崖の一、二メートル前あたりで止まった。向き直って灯台を見た。たしかに、灯台の立っている岬の断崖が見える。ただし、断崖の下の海はほとんど見えない。さっきの写真には、断崖の下の海と岩場が写っていた。撮ったのはこの場所ではない。それに、構図的にも、あまりよくない。

そのまま引き返そうと思ったが、見回すと、さらに後方に、やや海に突き出た草深い空間がある。この際だ。何も考えず、草を踏み倒して進んだ。なるほど、ここまでくると、断崖の下の岩場が見える。ただし、その岩場は、灯台の立っている岬の岩場ではなく、手前に見える、幾重にも連なる断崖の岩場だ。

つまり、いま目にしている断崖の連なりが、左カーブしているので、残念なことに、灯台の立っている断崖は、その陰に隠れて見えないのだ。もうこれ以上は、後ろに下がっても意味がない。あきらめた。展示されていた写真の位置取り、すなわち、灯台と断崖と海とが、ひとつの画面におさまる位置取りは、とうとう見つけられなかった。

ただ、新たな発見があった。なぜかチャリが一台、断崖際に止まっていた。あれと思って、辺りをよく見ると、下の岩場へと降りる階段があったのだ。しかし、猛暑の中、小一時間撮り歩きして、やや疲れていた。熱中症にも警戒しよう。草深い坂を、植物たちを踏み倒しながら、足早に戻った。車の中で一息入れよう。

 

休憩

 

<15:00 車で休けい 日誌をつける>、とメモにあった。今その時のことを思い出すと、二つの情景が浮かんでくる。ひとつは、夕食が遅くなるので、今のうちに何か腹に入れておこうと、土産物屋の前に行って、店先のメニューなどを見たことだ。<うに丼>とか<海鮮丼>とか、写真的にはきれいで、うまそうだ。ただし、高い!たしか¥2500くらいしたと思う。まずそうなラーメンでさえ¥800くらいした。

隣の店のメニューも見た。同じようなものだ。それに、店の中には誰もいなくて、おばさんが、もう閉店の準備をしている。そばで客がメニューを見て、迷っているのに<いらっしゃいませ>のお愛想もない。腹も、それほど減っていない。高いし、愛想はないし、わざわざ食べることもないな、と思って車に引き返した。

二つ目の情景は、車の中で、手帳にメモ書きしている時だ。ふと前を見ると、ほとんど車のいなくなった駐車場に、でかいバイクが一台止まっていた。いや、爆音を轟かして、どこかからやってきたのかもしれない。とにかく、黒ずくめのライダーが、バイクを下りて、フルフェイスのヘルメットを頭から外した。長い髪が見えた。首を斜め後ろにふって、髪をかき分けている。女のしぐさだ。年齢的には三十代の、大柄な、すこし太めの女性ソロライダーだった。

あれ~と思って、見ることもなく、チラチラ見ていた。黒ずくめの女性のソロライダー、やはり、勝ち気で気の強い、姉御タイプの女性なのかな。ま、あの堂々とした態度は、けっして、おとなしいタイプじゃない。メモ書きしながら、妄想をたくましくしていたが、そのうち、ヘルメットをバイクのサイドミラーにかぶせ、ほとんど手ぶらで、灯台の方へ行ってしまった。

不用心だな。バイクの後ろには、黒いバックが結びつけてあるし、ヘルメットだって、ちょっと失敬、簡単に持ち去ることができる。とはいえ、駐車場にはほとんど車も止まってないし、こんな最果ての灯台まで来て、わざわざ悪事を働く奴もいないだろう。彼女も、そう思ったにちがいない、と思った。その後は、メモ書きに少し集中していた。

そんなに長い時間ではない。そのうち、姉御ライダーが戻ってきた。すぐには出て行かないで、バイクの下をのぞき込んだり、うしろの黒いバックを点検したり、なんだかんだと時間をつぶしている感じだ。なるほど、せっかくここまで来て、すぐに立ち去るというもの、もったいない。男鹿半島<入道埼灯台>に来たことを、じっくり味わい、記憶にとどめておこうというわけだ。

俺が若くて、ライダーだったら、声をかけただろうな、と絶対あり得ないことを思った。いいや、爺のライダーだとしても声をかけたろう。とはいえ、自分がライダーだったら、という仮定は、ほぼ1000%あり得ない。というのも、バイクのスピード感が死ぬほど怖いからだ。高校生の頃、友達のバイクの後ろに乗せてもらったことがある。まさに、比喩ではなく、生きた心地がしなかった。ライダーのカッコよさには憧れている。だがバイクに乗りたいと思ったことは、正直、これまで一度もない。<カッコよさ>よりは恐怖心の方がはるかに勝っている。臆病なのだ。

さてと、メモ書きも終わったし、そろそろ行ってみるか。そうだ、断崖の下に下りて、海岸の岩場から灯台を見てみる、という課題が、夜の撮影の前にまだ残っていた。姉御ライダーはといえば、長い髪をかき上げて、ヘルメットをかぶっている最中だ。仕草は女だが、一見、そうと知らなければ、男のようにも見える。女性の体のラインを、黒皮のライダールックが消しているからだ。と、彼女がバイクにまたがった。ブルルンとエンジンが始動した。目の前を、黒いバイクが爆音を轟かせて横切って行った。どこへ行くのだろう、ま、俺の知ったことではないな。

 

入道埼灯台撮影5

 

<15:45 さつえい>開始。広場の一番はずれにあるモニュメントを目印にして、草深い中を歩いて行った。断崖際のチャリは、まだそこにあった。数メートル左に、岩場に下りる階段がある。だいぶ老朽化している。ゆっくり下りて行った。

断崖の下に下りた。目の前には、大きな岩が海の中に幾つも並んでいて、水平線を遮っている。砂浜はほとんどなく、岩が凸凹していて、その間に石がごろごろ転がっている。歩きづらい。断崖は、下から見ると、かなり高くて、そうだな、二、三十メートルはある。ところどころ岩が露出しているものの、ほぼ緑に覆われていて、柔らかな感じがする。

ただし、灯台は、どこにも見えない。なるほど、このうねうねとした緑の断崖の影に隠れている。とにもかくにも、前に進むほかない。午後の四時前後だと思うが、日差しが強くて、暑い!できれば、無駄な歩行はしたくないと思った。でも、灯台の見える所までは行く、という意志が勝った。下を向き、平らなところを探しながら歩いた。

うねうねした断崖の波が切れた。と、そこには、別の断崖が連なっていた。見上げた。灯台は見えない。断崖との距離が近すぎるのだ。海の中にある大きな岩の上に登って、伸びあがった。だが、それでも灯台は見えない。ややうんざりしていたが、さらに進んだ。もういいだろうと思い、また海の中の、さらに大きな岩に登った。たしかに、灯台は見えた。ただ、上の方がちょこっとだけだ。まったくもって、写真にならない。

あ~~あ、まったくの無駄足だった。だいたいにおいて、<入道埼灯台>は、岬の先端に立っているわけじゃない。かなり陸地側あるのだから、断崖の下から見えるはずがないのだ。ちょっと考えればわかることだろう。チェ!

戻った、ま、辺りの景観は、それなりに素晴らしいので、多少の慰めにはなった。と、彼方向こうの岩場の上に、人影が見えた。誰だかは、すぐに分かった。自分の後から、階段を下りてきた熟年の男女だ。彼らのことは、何度も目撃している。一番初めは、<ゴジラ岩>からの帰り道、展望のいい駐車スペースで。不釣り合いなカップルで、夫婦でも恋人関係でもなさそうだなと思った。

二回目は、灯台の駐車場だった。二人して土産物屋で食事をした後、灯台の方へ向かっていった。男の方は、俺と同じくらいの爺で、それ用のベストを着こみ、手にドローンを持っている。女の方は、爺よりはやや若い感じで、品のいい格好をしている。雰囲気的には、付き添いというか、ドローン撮影の見物、といった感じだ。

ようするに、<入道埼灯台>をドローンで撮りに来た男女だ。これ以上の詮索は無用。どうということもない。勝手にやってくれ。そんなことを思いながら、階段を登った。下りる時はなんでもなかったが、一気には登れず、途中で一息入れた。と、階段下の大きな岩陰に、身を隠すような感じで、やや若めの男が座っていた。

はは~~ん、あいつが断崖際に置いてあったチャリの持ち主だな。それにしても、あんなところで、何をやっているんだ。一瞬、<クスリ>でもやっているのではないかと思った。ま、それも、どうでもいいことだ。とにかく、車でひと休みしよう。駐車場へと向かった。暑い中、灯台や断崖を上り下りしたにもかかわらず、さほど疲れていなかった。自分のことながら、これは意外だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#8 二日目(2) 2021年7月15日

 

入道埼灯台撮影6

 

入道埼灯台撮影7

 

遅い夕食

 

<16:40 休ケイ>。断崖の下まで行って帰って来ただけで、それでも一時間くらいかかっていた。車のドアを半分くらい開け放った。熱中症対策だ。ペットボトルの水を飲んだ。ぬるくなっていて、まずい。太陽はだいぶ傾き始めていたが、まだまだ明るかった。このあとの夜の撮影についてすこし考えた。昨日の道路際のポイントがベストではある。だが、二日連続で同じ場所、というのも能がない。

暗くなるにつれて、灯台はシルエットになってしまう。ということは、灯台が資料室の陰に多少隠れても、さほど問題ではない。撮るべきは、灯台のシルエットを含みこんだ夕空、あるいは夜の空なのだ。となれば、広場なかばあたりの位置取りが、構図的にはバランスがいい。

<17:00 たらたら さつえい開始>。日没までには、まだ二時間もある。辺りは明るかった。だから、車の中でもう少しくつろいでいてもよかったのだが、日差しが弱まり、外の方が風が吹いていて涼しい。わざわざ狭い車の中にいる必要はない。三脚を手に持ち、<たらたら>と草深い広場の中に入って行った。

夜の撮影ポイントの目星はついていた。広場のやや後方、真ん中あたりに段差がある。その上辺りだろう。草深い中を、アカツメグサの、赤紫色のお花たちを踏みつけないように歩いた。だが、足元は多少暗くなり、よくは見えなくなっていた。たぶん、かなりの数、踏みつけているだろう。勘弁してもらうしかない。

段差の上の撮影ポイントに着いた。カメラのファインダーを覗いて、構図を確かめた。う~ん、バランス的には、灯台の右横に、例の、無粋な無線アンテナが入ってしまう。できれば、画面から外した方がいい。だがそうすると、灯台が右端により過ぎて、構図的なバランスが崩れる。

ま、昨日の夜は、ほぼベストの構図で撮っている。それに、今日も雲一つない快晴。空の様子も全く変わらない。ならば、多少冒険して、ベターな構図で勝負してもいいのではないか。決まりだな。今立っているベターな撮影ポイントを記憶しようと、目印になるものを探した。適当な物がなかったので、周辺の布置をしっかり記憶した。

さてと、<ゴールデンアワー>には、まだ時間があった。今一度、灯台を右に見ながら、ゆるゆると、広場の中をひと回りした。ベストポジションの道路際にも行って、念には念をと、ダメ押しとでもいうべき写真を撮影した。そうこうしているうちに、辺りがオレンジ色にそまってきた。ふと、この場所に、もう一度来てみたいと思った。今度は、季節のいい時期に、だ。車からチェアーを持ち出し、広場の真ん中や断崖際に座って、灯台の写真を撮ったり、海を眺がめたりしながら、地球の動きを感じるのも、いいなと思った。だが一方では、もう二度と、この場所に来ることはないだろうとも思った。

夕刻、六時過ぎに、広場中央の段差に戻ってきた。あたりを見回し、先ほど記憶した場所に三脚を立てた。昨日は、灯台と沈む太陽とを一つの画面に入れようと頑張った。だが、構図的に破綻していたので、モノにはならなかった。したがって、今日は、沈む太陽は無視して、灯台のシルエットと、その背景の夕空を主題にするつもりだ。

三脚にカメラを取り付け、アングルを決めて、撮り始めた。広場と灯台が、夕日に染まり始めた。昼間の暑さがウソのようで、海風が心地よい。だが、しだいに、辺りがざわざわし始めた。バイクや車のエンジン音、ドアの開け閉め、人の声。人影が急に多くなり、目の前を行ったり来たりしている。この雰囲気、この情景は、昨日と同じだ。観光客たちが夕陽を見に来たのだ。

そのうち、道路際に白いミニバスが止まった。なかから、熟年の女性が二人降りて来た。運転手も降りてきて、その場で、夕陽がどうのこうの、あとで迎えに来るだの、大きな声でしゃべっている。おそらく旅館か何かの送迎車だろう。そのうち、女性たちは、広場の遊歩道を歩いて、モニュメントの方へ行ってしまった。送迎バスは、いったんどこかへ消えたが、すぐに同じ場所に戻ってきた。年配の運転手が降りてきて、バスに寄っかかりながらタバコをふかしている。夕陽見物の女性たちを待っているのだろう。

送迎バスは、昨日、自分が三脚を立てた歩道の前に止まっている。そこが、灯台を撮るベストポイントなのだ、などとは、運転手が知る由もないから、おそらく、広場に入る遊歩道の真ん前、という理由で車を止めているのだろう。客へのちょっとした気遣い、サービスだな。ま、それにしても、昨日撮っておいてよかったよ。楽しみにしていた<ゴールデンアワー>の灯台撮影だ。すぐ後ろにバスが止まっていて、運転手がタバコをふかしている、なんてことは、許されないだろう。退屈まぎれに、運転手が話しかけてくるかもしれない。神々しくも美しい、静寂だ。俗世界とは一切関わりたくない。解放されたいのだ。

夕陽でオレンジ色に染まる<芝草>の広場、その後ろに、白黒の灯台が屹立している。まさに千載一遇の情景だった。だが、またしても雑念だ。目の前にちょろちょろと、さっきの<ドローン男女>が登場した。まだいたのか!なんとなく忌々しい気持ちで、眺めていると、なぜか広場からなかなか立ち去らない。写真の画面に入り込んでしまう。邪魔だな。とはいえ、彼らもまた、夕陽に染まる<入道埼>の光景を撮りに来たわけで、これは致し方ない。あきらめて、しばらく、ファインダー越しに、彼らの行動を見るともなく見ていた。やはり、服装や雰囲気からして、不釣り合いな熟年の男女だ。どういう関係なのか?いやいや、今はそんなことに関わっている場合じゃない。<ゴールデンアワー>の灯台撮影に集中しよう。

ゴールデンアワー>の入道埼灯台は、昨日撮っていた。構図は多少違うが、今日も昨日同様、快晴で雲ひとつない。ゆえに、空の様子もほとんど変わりない。さほどの感動はなかった。

日没前後の撮影に関しては、歳なのか?カメラ操作の細かい事を全く忘れてしまった。測光ボタンくらいは、いじくりまわしたが、それ以上の操作ができない。ただ、モニターした段階では、まずまず撮れている。それに、画像編集ソフトで、空の色など、いかようにも補正できるわけで、<白飛び>してない限り、何とかなる。撮影に関して、かなり安易になっている自分を感じた。

そうこうしているうちに、黄色い小さな太陽が、水平線に近づいてきた。今日もきれいな日没だ。とはいえ、日没には多少飽きている。どこでも、だいたい同じ感じだ。昨日撮ったから、今日はいいだろうと思っていた。だが、いざ、この光景を目の前にすると、なぜか、撮っておきたくなった。

三脚のカメラは、灯台を狙っている。はずすのも面倒だ。もう一台のカメラを車に取りに行った。ふと気になって振り向くと、薄暗くなった広場の真ん中に、カメラ付きの三脚がポツンと立っている。不用心だなと一瞬思った。だが、辺りに人影なない。それに、車はすぐそこだ。少し早足になった。

もう一台のカメラには、重い望遠ではなく、軽い60mmのマクロレンズをつけてきた。多少でも荷物を軽くしたかったのだ。ただ、水平線に沈む太陽を撮るには、60mmのマクロレンズでは、遠目過ぎる。多少後悔したが、致し方ない。

二台のカメラで、一方は灯台を、一方は日没を撮った。そのほんの十分くらいの間は、さすがに、撮影に集中していた。なにものにも煩わされなかった。ただ、灯台の方はまだしも、日没の方は、なんだか色合いがよくない。レンズのせいなのか、カメラ操作のせいなのか、よくわからない。もっとも、太陽が小さすぎて、日没写真としては、モノにはなるまい。そもそものところ、日没写真をモノにしようとも思っていない。記念撮影、記念写真として、楽しめればいいんだ。

黄色い小さな太陽が、少しずつ少しずつ、水平線に沈んでいく。じれったいような、それでいて、なにかが終わってしまうかのような、郷愁が漂う光景だ。この時、広場に居たすべての人間が感じたにちがいない。神々しくも美しい時間だった。何枚も何枚も写真を撮った。

入道埼灯台撮影7

 

日没は、午後七時十五分頃だった。その瞬間、昨日と同じように、ため息と安堵感が広場に広がった。しかしすぐに、ざわざわしはじめ、人影が目の前を行ったり来たり、甲高い人の話し声や、車のエンジン音などが聞こえてきた。夕陽見物の熟年女性たちも、送迎バスに戻ってきた。運転手に、感動したとかなんとか、大きな声でしゃべっている。

太陽が水平線に消えた後は、一瞬、しらけた雰囲気になる。明かりが消えた瞬間、目の前が暗くなるのに似ている。だが、暗さに目が慣れると、しだいに回りが見えるようになる。瞳孔が、ニャンコの目のように大きくなるのだ。そのおかげで、いわゆる<ブルーアワー>が体験できる。日没後の残照で、空が水色から青、さらには紺碧に変わっていくのだ。もっとも、この<ブルーアワー>も昨日経験したので、さほど感動せず、ありがたみも感じなかった。

今日は、さらにその後、<ブルーアワー>が終わり、辺りがほぼ暗くなって、灯台の目が光り始めたところを、撮りたいのだ。ところが、空の色合いも消えて、さらに薄暗くなり、観光客が、三々五々、引き上げていったのに、灯台の目は光らない。写真に撮るような情景でもなく、妙にしらけた<待ち>の時間だ。ポシェットからヘッドランプを取り出し、額に巻いた。

駐車場の街灯が、オレンジ色にともっていた。夕暮れから夜に移行する半端な時間、早く帰らなければと急き立てる声が聞こえてくるような気もする。と、ほとんどシルエットになった灯台の目が光った。おっ、と思って、カメラのレリースボタンを指先で押した。ただ、光がむこう向きだ。ぴかりとは来ない。

灯台は、海に向かって光を投げかけている。当然だ。自分の位置する場所は、灯台の斜め左うしろであるからして、灯台の目はこちらまでは向かない。ただし、目が一番左側に来る時には、光っているのがちゃんと見える。それで十分だろう。なにしろ、目からの光線を撮るのは、至難の業で、かなり以前から諦めている事柄だ。とにかく、暗くなった広場で、目の光っている灯台を撮った。ま、写真の出来不出来は別として、課題は達成したわけだ。

日没からすで小一時間たっていた。空と海との境が見えなくなり、あたりは、ほぼ漆黒の闇だ。いや、灯台の資料室や駐車場の街灯で、真っ暗というわけでもない。時計を見たのだろう、夜の八時を過ぎていた。そろそろ引き上げだ。最後に、もう一度、ファインダーを見て、慎重にレリースを押した。

その際、左端に、なにか、針先ほど小さな白いものがはっきり見えた。先ほどからなんとなくは気づいていたが、あえて意識することはなかった。何しろ小さいからね。カメラから目を放して、実眼?で、そのあたりを見た。ああ~、灯台前の岩礁に立っていた物体だ。光を発するものでないことは、昼間、灯台の上から確認している。

その時、あっ、と思った。灯台から、斜めに光線が出ていて、この物体を照らしている。だから、闇の中でも見えたわけだ。ちょっと混乱した。灯台の目は、左右に移動しながら、海を照らしているのだろう。而して、古い言い回しだな、いま目にしている光線は、灯台から一直線に岩礁に向かっている。しかも、位置的に、灯台の目から発せられているのではない。では一体なんなんだ?

不明、わからなかった。いや、わかろうとしなかった。すでに、理解しようとする気力が失せていた。<入道埼灯台>の夜の撮影は完了したのだ。正直に言えば、早く宿に戻って、夕食にありつきたかった。朝から何も食べていないので、かなり腹が空いていたのだろう。体内のアドレナリンが低下した結果、血糖値の減少が意識された、というわけだ。

ちなみに、今この<不明>を調べた。入道埼灯台には、<入道埼水島照射塔>が併設されている。<照射塔>とは、陸地に近い所にある岩礁や暗礁を船舶に知らせる航路標識で、今問題になっている岩礁(水島)の物体は、その標柱である。つまり、入道埼灯台には、海を照らす動く目と<標柱>を照らす固定された目があったわけだ。たしかに、灯台正面?の写真には、動く目の下に、四角い窓があり、その奥に大きな照射器が鎮座しているのだ。カメラで例えるなら、二眼レフだ。いや、違うだろう。上の目が横に180度以上移動するのだから、機能的には<三つ目小僧>に近いかもしれない。

ヘッドランプで、地面を照らした。忘れもの、落し物がないか、確認した。大丈夫だろう。カメラを装着した三脚を肩に担いで、広場を後にした。一仕事終えた気分だった。駐車場には、一、二台、車が止まっていた。うち一台は、自分のレンタカーだ。そしてもう一台は、また遭遇?したよ、例の<ドローン男女>だった。まだいたのか!結局のところ、灯台に明かりがともり、一文字の光線が、漆黒の海を照らすところを撮影したかったわけだ。みるともなく見ていると、そのうち、二人して車に乗り込み出て行った。その後のことは想像しまい。

 

遅い夕食

 

宿に戻ったのは、八時半少し前だった。受付で美人の女将に、食事はいちおう用意しておきました、生ものなどがあるので八時半までに終わらせてください、と婉曲的な感じで言われた。だから、朝出かける時に、戻るのは八時半過ぎるかもしれない、と言ったではないか。少しカチンとした。だが、現に、部屋には夕食が用意されているのだし、女将の態度も、腹を立てるほどでもない。心の言葉は口にださなかった。それに腹ペコだったのだ。

部屋に入ると、座卓の上に、夕食がずらっと並んでいた。脇に敷いてあった蒲団のシーツや枕カバーなども、きちんと取り換えられていた。八時半を過ぎていた。<ゆりやん>が食事を下げに来るかもしれない。着替えもせずに、食べ始めた。食べ始めて気づいたのだが、おかずの数は、昨日と同じだが、その分量が多少多いような気がした。刺身もひと切れ二切れ、切り身の焼き魚もひと切れ、たしかに多い。昨日の<チップ>がきいて、サービスしているのかもしれない、と思った。

一皿ずつ完食していった。ので、しだいに腹が苦しくなってきた。最後の方は、なかば、意地になって爆食した。出された食物を残すことに、いまだに抵抗があるわけで、なにも頑張る必要などないのに、頑張って、すべてを完食した。やっぱ、ちょっと食べすぎたな!

八時半はすでに回っていた。内線電話で、食事の終わったことを伝えた。浴衣に着替えて、温泉へ行く準備をしていると、<ゆりやん>が食器類を片付けに来た。態度は昨日と全く同じ。控え目で、どことなくぎこちない。自分としては、こうした娘に、話しかけたり、お愛想を言ったりするのは苦手だ。ただ、好意だけは示そうと、お膳運びを手伝おうとした。だが、そのお膳が意外に重い。下手に持ち上げると、上に重ねてある食器類が崩れ落ちそうだ。躊躇していると、すかさず<ゆりやん>がそばまで来て、重いお膳を、少し腰を落として、ぐいと持ち上げた。なるほど、やはり慣れている。非力な爺が見栄を張ったわけで、恥ずかしかった。

二階の大浴場は、今日も貸し切りだった。癖のない温泉で、温度もちょうどいい。広い湯船でゆったりした。部屋戻って、<21:45 日誌 くつろぐ>。今日は自販機でコーラなどは買わなかった。というのも、冷水入りの小さなポットが、座卓の下にあったからだ。昨日はなかったのだから、おそらく、<ゆりやん>が部屋を掃除した際、コーラの空き缶などを見つけて、気を利かせたのだろう。

性格的に、だろうが、彼女は、そんなことは、おくびにも出さなかった。ふと、東北の女性を感じた。しかしこれは、一般化しすぎだ。東北の女性が、押しなべて<控え目>などということはない。ま、百歩譲って、そうした傾向があるような気もするが、やはり、おかずの増量や冷水ポットは、<チップ>の効能だろう。あるいは、<ゆりやん>を含めた、これらすべてのことが、まったくの勘違いかも知れない。十分あり得ることだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#9 三日目(1) 2021年7月16日

 

朝食

 

入道埼灯台撮影8

 

鵜ノ崎海岸 観光

 

男鹿市船川港 観光

 

男鹿半島旅、三日目の朝は、<6:30 起きる>。夜中に物音で起こされることもなく、ゆっくり寝られた方だ。洗面、着替え、出発の支度など、七時半前に完了した。そのあと、部屋を出て二階の大広間へ朝食を食べに行った。

大広間に入った途端、またかび臭かった。見回すと、五、六組の泊り客がいて、すでに食べ始めていた。<ソーシャルデスタンス>をかなりとって、それぞれの場所に、背丈ほどの間仕切りが一枚たてられている。ま、<蜜>という感じではない。

席に着くと、すぐに、坊主頭の高校生くらいの男の子がご飯とみそ汁を持ってきた。きちっと、紺の作務衣のようなものを着ている。てっきり、今朝も<ゆりやん>が給仕に出てくるものと思っていたので、ちょっと肩すかしをくらわされた感じだ。

彼に、<ゆりやん>はどうしたの?なんてことは、聞けるはずもない。ま、いい。朝食のおかずは、十分すぎた。だが、昨日と似たりよったりだ。もっとも、<うまい>とか<まずい>とかはどうでもいい。エネルギー補給ということで、超特急で完食した。

お茶をすすって、そのあと、すぐに大広間を出た。と、横の調理場から、例の、坊主の高校生が姿を現した。客慣れしない感じではあるが、丁寧に<ありがとうございました>と少し頭を下げた。<ゆりやん>と同じように、この<坊主>にも好感が持てた。<ごちそうさま>と少し大きな声で応えた。

部屋に戻った。ひと息入れて、排便を試みた。ほんの少し出た。だが、それ以上の努力はしなかった。前回の旅では、無理な排便で肛門に負担をかけ<痔>を悪化させてしまったのだ。<排便時間を短くする>、これが<痔>の予防に役立つ。<T肛門病院>の、強面の、感じの悪い先生のアドバイスだ。

部屋を出る時、忘れ物がないか、もう一度室内を見回した。大丈夫だ。下に下りて、受付で支払いを済ませた。二泊二食付きで¥23300。安いとも高いとも思わなかった。玄関口には、昨日同様、軽登山靴が、きちんと置かれていた。そばに、女将の父親と思しき老人がいて、丁寧に<ありがとうございました>といわれた。女将の声も後ろから聞こえた。

 

入道埼灯台撮影8

 

さて、行くとするか。三日目の朝も、雲一つない晴天だった。朝から陽射しが強くて、暑い。帰りの新幹線は、秋田駅発16:00だから、Nレンタカーには、遅くとも15:00までに入ればいい。まだ、朝の八時だ。入道埼灯台へ向かった。念のために、もう一回撮っておこうというわけだ。

 

入道埼灯台の駐車場には、一、二台、車が止まっていた。車から出て、広場に入った。東からの陽を受けて、灯台の白が目に眩しい。朝っぱらから、くらくらする暑さだ。とたんに、やる気がなくなった。この明かりの状態は昨日も撮ってるしな、と<やる気のなさ>を正当化した。しかも、われながら驚いたことには、すでに、帰宅モードになっていることだ。

これは、最終日は帰宅日、というこれまでの灯台旅の習慣を引きずっているだけだ。と思い直して、遊歩道を歩きながら、撮りだした。だが、目の前に広がる光景が、目にというか、頭に入ってこない。昨日、一昨日と、あれほど感動的に見えた風景が、しらっちゃけて見える。しかも、極端に暑くて、不快だ。

今写真のラッシュを見ると、この時は二十分ほどで車に戻っている。昨日見つけた、よさげな構図だけを、ちょこちょこっと撮っただけだ。すでに戦意喪失、撮影モードには戻れなかった。

まだ朝の九時前だ。帰りの新幹線は午後の四時。それまでの間、どうする?頭の中で予定を立てた。ま、寄ってみたいところは、来るときに見た、海の中に突き出た防波堤の先端にある灯台だ。あれは、どこなのだろう?ナビで調べてみた。男鹿市の船川漁港の辺りだ。ぶらぶら行ってみるか。完全に観光気分になっていた。

<9:00 入道埼出発>。灯台を後にした。と、少し走って、ふと気まぐれで、車を路肩に止めた。右手の緑の断崖、小山の上に、お地蔵さんなのか、海難供養碑なのか、小さな石の物体が見える。この物体は、昨日、ここを通った時に気づいていた。いや正確に言えば、一昨日、広場から目にしていた。付近に駐車スペースがないので、素通りしたのだ。

断崖沿いの道は片側一車線で、路駐すると、やや通行の邪魔になる。が、車なんて通っていない。それに小ぶりなレンタカーだ。大丈夫だろう。車の外に出た。ちょっと、様子を見てくるだけだ。それでも、いちおう、ハザードランプをつけておいた。

道路から、草に覆われた断崖際へ踏み出そうとした。が、なにか、道らしきものがある。そろそろと辿って行くと、なるほど、小山の縁を回っている道だ。はは~ん、海難碑?にお参りするための道だな。さらに行くと、はるか彼方に、白黒の灯台が見えた。左側には、断崖と岩場、それに海が見えた。

昨日見た、灯台の中に貼ってあった写真の構図に、極めて近い。なるほど、この辺りから狙ったのか。比喩でなく、腰高の草むらをかき分けて、断崖際まで行った。間違いない、ここだ。カメラを構えた。ただし、灯台と、断崖やその下の岩場や海とが、離れすぎているので、構図的なバランスが悪い。ま、<灯台のある風景>ということなら、許容できるが。

白黒の灯台は、風景の中の点景になっていた。見ようによっては、それでも存在感がある。しかし、自分の撮りたい灯台写真ではない。もう少しましな位置取りはないものかと、さらに、断崖際の草むらを歩き回った。暑かった。それに、ヘビとかクモとか虫とかがいるようで、何となく気持ち悪い。撮影モードに入っていれば、さほど気にならないが、すでに気持ちは切れていた。ま、じっくり撮るのは次回だな、と思いながら足早に引き上げた。果たして<次回>はあるのか、いやはや、なんとも答えようがない。

 

鵜ノ崎海岸 観光

 

車に戻った。のんびり行くか。四、五十キロのスピードで、断崖際の道を走った。前にも後ろにも、車の影すらない。男鹿半島の<秘境感>を楽しみながら、<塩瀬埼灯台>を通り過ぎ、平場に下りてきた。海岸沿いの道を、さらに行くと、道路際に整備された駐車場があった。海水浴場の駐車場のようで、トイレやシャワーもある。車もかなり止まっている。小一時間走ってきたので、トイレ休憩だ。

ここは、男鹿半島の首根っこにある<鵜ノ崎海岸>らしい。案内板には、<日本渚百選>とか<日本奇石百選>とか<鬼の洗濯板・小豆岩>とかある。狭い砂浜には、家族連れの海水浴客が何組かいて、泳ぐというよりは水遊びしている。遠浅らしく、彼方向こうの方にも、人影が見える。

この海岸の風景は、たしかに珍しい。遠浅の海に、石ころをばらまいたような感じだ。これらの石というか岩は、海底の地層が隆起したもので、干潮になると、水面に顔を出す。その波打つ地層が<鬼の洗濯板>と呼ばれている。さらに、一抱えもある大きな<丸い岩>が点在していて、これは<小豆石>というらしい。たしかに、いま、撮った写真を拡大してみると、遠浅の海の中に、巨大な饅頭のような岩が、いくつか見える。

まったくの観光気分になっていた。初めて見る、<鬼の洗濯板>を気分良く写真におさめた。さらに、ナビによれば、すぐ後ろに<鵜ノ崎灯台>があるらしい。振り返って見ると、こんもりした小高い丘になっている。だが、それらしいものは見当たらない。ナビをさらに拡大してみると、灯台へ行く道がある。ま、いってみるか。

<鬼の洗濯板>を後にして、<鵜ノ崎灯台>を探しに行った。海岸沿いの道から、狭い道に入った。ゆっくり走りながら、この辺りだろうと、窓越しに左側のこんもりした林を見上げた。樹木の間から、赤白の灯台の胴体がちらっと見えた。あそこか。とはいえ、車を止める場所がない。狭い道なので路駐はできない。そのまま、うかうか走っていくと、道はさらに細くなり、このまま行くと、行き止まりの可能性が高い。

適当なところでUターンした。ほとんど展望のない灯台で、しかも、到達することが容易でない。それに駐車できないのだから、とあっさり諦め、海岸沿いの道に戻った。左折して、次なる目的地、というか時間調整場所、男鹿市の船川防波堤灯台へと向かった。

 

男鹿市船川港 観光

 

午前十時ころに<鵜ノ崎海岸>を後にして、男鹿市に入った。市街地を、ナビに従い走っていくと、海が見えた。さらに行くと、埋め立て地のような、だだっ広い所だ。大きな病院があり、周辺が公園になっている。行き止まりまで行くと、駐車場があった。カンカン照りなので、松の枝で、ちょっと日陰になっているところに車を止めた。

外に出た。信じられないような暑さだ!駐車場のすぐ目の前には防潮堤があった。さらにその先に短い突堤があり、真新しい赤い灯台(船川東防波堤灯台)が立っている。高さは、そうだな、背丈の二倍くらいかな。ただし、円筒形をしていて、頭に何か、電子機器がついている感じだ。目指していた灯台とは違うが、ここまでせっかく来たんだ、写真を撮りながら、そばまで行った。

新型?の赤い灯台の根本に立って、海を眺めた。目指している灯台は、はるか彼方、海の中に、横一文字に突き出た突堤の先に見える。突堤の付け根には、巨大風車が一基建っている。視線をさらに右に移動すると、何やら、倉庫のような資材置き場のような、雑然とした港湾施設といった感じになっていて、赤白の煙突が四本ほど見える。まあまあ、好きな風景だ。

赤白の煙突をポイントにして、海景というか、港の風景を何枚か写真に撮った。そして、ふと思いついて、ポーチにくっ付けている<コンデジ>を引っ張り出し、最大望遠800ミリで、いま目で見た場所を確認した。なるほど、巨大風車の辺りが、緑の芝生になっている。あそこまでは、入り込めるかもしれない。さらに、港湾施設に目を転じると、岸壁に材木などが野積みされている。船が出入りしている感じだが、船は見えない。要するに、防潮堤沿いにぐるっと左に回り込めば、目指している灯台に近づけるわけだ。

車に戻って、一応、ナビで確認してみた。いま目で見た、横一文字の突堤の先に、なぜか灯台のアイコンがない。が、手前の岸壁に灯台アイコンがあった。それを指で軽く押して、到着場所に指定した。

カンカン照りの駐車場を出た。ナビの指示に従い、うねうねと走って、広い岸壁に入り込んだ。たしかに、岸壁の先端には灯台があった。しかし、これも、目指していた灯台ではない。さらに近づいていくと、この灯台(船川南平沢防波堤灯台)は、先ほど見た新型?の赤い灯台と瓜二つだ。しかも、あろうことか!灯台の真ん前に車が止まっていて、そばで若い奴が二人、釣りをしている。

よくあることだ。なぜか、釣り人は、先端部にある灯台の根本を好む。荷物を置くのに便利だからか、少しでも沖の方が釣れるのか、灯台が日陰、風よけになるからか、ま、どうでもいいことだ。とにかく、奴らと二十メートルくらいの距離をとって、防潮堤の前に車を止めた。

外に出て、あらためて回りを見ると、けっこう車が止まっている。釣り人が、防潮堤の上や、その下の波消しブロックの上で釣りをしている。赤い灯台はといえば、真ん前に黒い車が止まっているのだから、まるっきり絵にならない。ので、証拠写真?を一枚だけ撮って、防潮堤沿いぶらぶら歩きながら、右手の海を見た。

海と陸地の間に、防潮堤と波消しブロックが、ずうっと続いている。背景には、山並みがあり、鮮やかな緑の斜面などが、手に取るように見える。そして、超巨大な雲が、その上に乗っかっている。まさに、真夏の光景だ。

カメラを構えた。ポイントは、何と言っても、もくもくした巨大な雲だ。と、画面下に豆粒ほどの赤い灯台が見えた。あれは、先ほど根元まで行った新型?灯台(船川東防波堤灯台)なのか?レンズを望遠側にして、確かめた。短い突堤の背後には、樹木の影が見える。あの下に車を止めたんだ。移動距離が短い割には、はるか彼方だったので、すぐにはピンと来なかった。それに、布置的なものもある。はじめは陸側の至近距離から、今は海側のはるか彼方から見ているのだ。

とにかく、目の前には、赤い灯台が点景となった、広大かつ雄大な空間が広がっていた。真夏の雲と山と海だ。少し慎重にシャッターを押した。三、四枚撮ったと思う。今日で夏休みが終わってしまう。ちょっと甘酸っぱい気持ちになった。だが、すぐに、ここが男鹿半島で、自分が爺だということを思い出した。幼い感傷が、気恥ずかしかった。

移動。広い岸壁を後にした。ナビには、先端に灯台アイコンのない突堤を指示した。すぐに、そのあたりに着いた。だが、道の先には、守衛所付きの門があり、これ以上進めない。少し手前の路肩に車を止めて、よくよく見た。どうやら、門から向こうは会社だな。ということは、目指している灯台は、企業の敷地内にあるのか?

守衛に、灯台を撮らせてくださいと言ってみることもできる。ただし、<ノー>といわれる可能性が強い。その筋の紹介状でも持っていれば、話は別だろう。だが、どこの馬の骨ともわからない人間をシャットアウトするために、守衛所があるのだ。もっとも、ぜひとも撮りたい灯台なら、そのくらいの手間は惜しまない。だが、違うだろう。観光気分の時間調整的な撮影だ。駄目とわかっていて、守衛に頭を下げる必要はない。

Uターンした。まだ十二時前だ。さっき目にした<道の駅>で休憩だ。しかしね~、そもそも<灯台>というのは、海上保安庁とか、要するに国が管理しているものなのではないか?一企業の敷地内にあるのはおかしい。あの時は、会社が<海保>から灯台の管理を委託されているのかもしれない、あるいは、<私設>灯台なのかもしれないと思った。

だがそうじゃない。今、地図で確認すると、この場所は<石油備蓄基地>だった。民間企業の施設とは言え、半公共的な重要な施設だ。一方、灯台は、やはり<海保>が管理しているのだろう。<海保>の職員は、守衛に身分証を見せて<石油備蓄基地>の中を通り抜け、灯台の点検管理に向かうのだ。おそらく、そうなのだろう。

道の駅に着いた。駐車場は、ほぼ満車に近い。え~と、日陰はないよな。カンカン照りの駐車場だ。エアコン全開の車内にいるより、施設の中の方が涼しいだろう。そう思って、入口に向かった。施設(物品売り場)の一角に、観光案内所のような、休憩室のような所がある。中に入った。意外にも人が大勢いる。<蜜>な状態だ。それに、ホームレスっぽいオヤジが、床に倒れ込んで寝ている。暑い時には、誰しもが考えることだ。地元の人間も観光客も、涼しい所に退避しているのだ。

座る場所もないので、すぐに出た。時計を見たのだろう、まだ十二時前だった。レンタカーの返却は二時だから、ここを十二時に出れば、十分だ。時間調整だな。物品売り場へ入った。ここも、人が多い。<おみやげ>はすでに買っているから、別にほしい物もない。が、時間調整だ、店内をぶらぶら見て回った。

ほぼ、普通のスーパーと変わりない。とはいえ、多少、観光客にとっては珍しい、地元の物産なども陳列されている。なにか、手に取ってみたような気がするが、忘れてしまった。ただ、鮮魚コーナーの魚介類は新鮮で安かった。大きなカニが千円とか、山盛りの刺身が五百円とか、それに、何と言っても、ケースの中に並べられている魚たちが、色鮮やかできらきらしていた。種類も豊富で、みな、目が真っ黒だった。

今朝、その辺の海で捕れた魚たちだろう。秋田県男鹿半島の首根っこに居るんだ。遠くへ来ていることを実感した。だが、店内が盛況のせいか、<最果て感>はなかった。そう、首都圏の人間が<秋田県男鹿半島>に<最果て感>を感じるのは、やはり、一種の偏見なのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#10 三日目(2) 2021年7月16日

 

帰路1

 

帰路2

 

二泊三日の男鹿半島の旅は、もはや、実質的には終了していた。レンタカーを返すまでの時間調整で寄った<道の駅おが=なまはげの里オガーレ>の駐車場は、カンカン照りで、いや~、暑いのなんのって、車の中に入った瞬間、汗が噴き出した。すぐにエアコン全開、運転席側のドアを半開きにした。さ~てと、帰るか。<12:00 出発>、男鹿市を後にした。

すでに、完全に、帰宅モードになっていた。途中、コンビニで、コーラとあんパンを買って、車の中で食した。あとは、秋田市の市街地に入り、セルフで給油をした。レシートを見ると、¥2200ほどだった。リッター¥154で、14Lほど入れたわけだ。ということは、三日間で、どのくらい走ったんだ?車の燃費が、リッター17キロくらいだから、ま、200キロ以上は走ったわけだ。

レンタカー代が約¥13000、ガソリンが約¥2000、合計で¥15000。新幹線が往復で約¥30000、よって、交通費の合計は¥45000。妥当だなと思った。旅の余韻を楽しむのではなく、<せこい>カネ勘定をしながら、秋田駅のNレンタカーへ向かった。

途中、深い緑色の、小高い丘の上に、小さな天守閣のようなものが見えた。秋田にもお城があったのか、とその時は思った。今調べてみると、それは、<千秋公園>内の<久保田城 御隅櫓>を復元したものだった。ちなみに、<久保田城>は、家康に改易された佐竹義宣が築城した、天守も石垣もない平城だ。秋田県江戸幕府開府以来<久保田藩秋田藩>であり、禄高二十万石の大名、佐竹氏が統治していた国だった。この歳になって、ちょっとした<うんちく>を仕入れたわけだ。

さてと、Nレンタカーに到着した。時間的には、13時半前だったと思う。若くて元気な、小柄な女性が応対してくれた。なにやら、現金で¥650 、返金してくれるようだ。それと、東北で今年いっぱい使える、Nレンタカーのクーポン券¥500分をくれた。返却時間がはやかったので、当初の契約をいったん解約して、その後に清算したらしい。とにかく、少し安くなったので、文句はない。

女性の元気な声に送られて、営業所を後にした。いやはや、なんという暑さだ!秋田駅に着いたのは、午後の二時前だった。帰りの新幹線は<16:12分 こまち38号>、まだ、二時間以上もある。時間調整だな。新幹線の改札口の前で、辺りを見回した。東口と西口を繋ぐ、駅構内の広い通路の真ん中に、太い柱が何本か間隔を置いて並んでいて、その下部にはドーナツ状のベンチがある。改札の向かい側は店舗で、ずらっと並んでいる。

そこに、観光案内所のような待合室のような場所があった。これ幸いと、キャスター付きのカメラバックを、ゴロゴロ引きながら中に入った。意外に混んでいる。教室ひとつ分くらいの広さだ。幅広のソファーが並んでいて、窓際はカウンター席、透明の仕切り版がついている。立ち止まった。座る席がないことはない。というのは、<コロナ>を警戒して、ソファー席は、みな、ひとつ置きに座っているからだ。

一方、カウンター席の方は、びっしり埋まっている。若いやつらが、飲み物をそばにおいて、パソコンやらスマホやらをいじっている。今風の光景ではあるが、奴らが列車や新幹線を待っているようには見えない。駅の待合室を喫茶店代わりにしているんだ。少し迷ったが、突っ立っていてもしょうがない。通路際の空いているソファーに腰かけた。

ふ~、まあまあ涼しい。だが、目の前に自動ドアがあり、開いたり閉まったり、人の出入りが激しい。それに、斜め後ろの、中年の太った男が、でかい声でスマホで話し始めた。すぐ終わるのかと思いきや、延々と話している。どういう神経をしているのか!うるさくて、ゆっくりできない。チェッ、舌打ちこそしなかったが、立ち上がって待合室を出た。左手には、階段があり、降りたあたりに<スターバックス>があった。外から店内を覗いてみた。ま、座れないこともない。だが、そうだ、<スタバ>の腰掛は窮屈なんだ。それに、コーヒーを飲みたいわけでもない。引き返した。

階段を登って、先程、ちらっと見た、通路のドーナツ状のベンチに近づいた。幸い、誰も座っていないベンチがあった。ただ、腰かけるところが、木製なので、座り心地はよくない。むろん背もたれもない。が、真ん中のぶっといコンクリの柱に木片が巻き付けられている。寄りかかれないこともない。それに、通路が広いので、そばを人が通ることはない。待合室より静かだし、解放空間だから<コロナ>の心配もない。

軽登山靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。両足を投げ出し、くつろいだ気分で、回りを見ることもなく見ていた。すぐ目の前には、立ち食い蕎麦屋があった。匂いがしてきたので、食べたいような気もした。が、いましがた脱いだ靴をまた履くのが億劫だった。首を垂れ、目を閉じていると、しだいに、体の力が抜けていくのがわかった。

ふと気づくと、右横背後で、何やら話し声が聞こえた。ドーナツベンチだから、ふり返らないと、誰なのか見えない。姿勢をかえるフリをして、ふり返った。婆さんが三人いた。手荷物が床に置いてあるので、列車待ち、新幹線待ちだなと思った。場所移動するのも面倒なので、先ほどの体勢に戻って、目を閉じた。

婆さんたちは、たがいに、ひっきりなしに話していた。だが、話し声が気に障るほど大きくはない。聞くともなく聞いていた。と、ああ~、これが秋田弁なのか?いわゆる<ズーズー弁>ではなく、どことなく、品がある。とはいえ、話している内容が、ほとんど理解できないので、話し声を<音>として聞いていた。

補注:<ズーズー弁>は、東北方言の俗称らしい。ただし、差別的な意味合いがあり、いわゆる<差別用語>だ。たしかに、東北六県の方言を<ズーズー弁>の一語で括るのは、乱暴だろう。青森と福島とでは、言葉の聞こえ方がかなり違う。おそらく、これは、都市民の地方民への根拠のない優越感や差別意識が根っこにあるような気がする。

婆さん三人が、すぐ隣、というか後ろで話しているにもかかわらず、うとうとしてしまった。・・・初めてのひとり旅。若い頃だ。夜行列車で上野から青森、さらに、陸奥まで行った。目的地は、<恐山>。季節は二月の半ば、真冬だった。・・・<恐山>行きのバスは運行中止になっていた。このまま帰るわけにもいかず、予定を変更して、当時のバス路線の終点<佐井>まで行くことにした。・・・朝の八時頃だったのだろうか、蒸気で濛々としている駅の待合室だ。木のベンチに腰掛け、うとうとしながらバスを待っていた。・・・ほっかぶりした婆が多い。しかも、喋っている言葉が、まったく理解できない。興味半分に、そばに座っている婆の顔を覗いた。婆じゃない!色白のふくよかな中年女性だ。唇がうっすら赤い。厳しい自然と辺境の生活が、女性をすぐに婆にかえてしまうのだ。

意識が遠のいていた。いい気持ちだった。窮屈な姿勢なので座りなおした。と、婆さんたちが立ち上がって、あいさつを交わしている。荷物を手に持って、改札口のほうへ向かっていく。なるほど、新幹線待ちではなく、列車待ちだったのだ。

秋田駅からは、能代五所川原弘前・青森へ行ける。あるいは、南下して、酒田・鶴岡、さらには村上・新発田・新潟にまで行ける。秋田駅は、いわば、日本の豪雪地帯の交通の要なのだろう。はたして、三人の婆さんたちは、それぞれ、どこへ向かうのだろうかと、一瞬間、思った。

 

帰路2

 

婆さんたちが立ち去った後も、なおしばらく、ベンチに座っていた。だが、目をつぶっても、頭がはっきりしている。腕時計を見たのか、改札口の時刻表示板を見のか、まだ三時過ぎだった。三時半になったら、新幹線のホームへ行こう。そのあいだ、通路を行き交う人間たちを眺めていた。

若いおしゃれな女性が多い。グループの女子高生なども、どことなくあか抜けている。むろん、観光客もいたが、こっちは、老若男女、みな観光スタイルだ。あとは、ワイシャツ姿の出張族だな。と、先ほど、スタバに入って行った男女が、何か話しながら、また、目の前を通り過ぎて行った。男はやや太り気味の中年の上司で、女は二十代の部下だろう。多少、情が通い合っているようにも思える。ま、すべからく、見ていて楽しいのは、人間の女性だ。本能なのだろう。

さてと、時間だ。新幹線の改札を通った。階段を下りて、ホームの先端の方へ歩きながら、座るところを探した。人間はほとんどいない。乗車口番号を確認して、そのすぐ近くのベンチに腰をおろした。靴と靴下を脱いで、くつろいだ。吹き抜けていく風が涼しくて、気持ちがいい。

目の前の、線路際の道沿いには、駐車場あり、時々、車が出入りしている。おそらく、右手の大きなビルの駐車場だろう。目の端にちらっと、ジグザグに上昇する非常階段、その踊り場に、ワイシャツ姿の人間が見えたような気もする。

静かだった。旅が終わった、という感傷よりは、今回も無事に旅を終えられた、という安堵感の方が強かった。それに、日常生活に戻るのが嫌でもなかった。涼しい風が足元を流れていく。また、うとうとしたようだ。

ホームのアナウンスが、はっきり聞こえた。そろそろ出発の時間だ。靴を履いていると、階段の方から、ワイシャツ姿の出張族が、四、五人、やってきた。がやがやしながら、陽のあたる、ホームの先端の方へと歩いて行った。立ち上がってバックを背負った。じきに<16:12分 こまち38号>がすうっとホームに入ってきた。

座席番号<14号2番D>をたしかめ、窓際の席に着いた。通路を、乗客が通り過ぎていく。意外にたくさん乗ってくる。なるほど、金曜日の遅い午後だから、出張族が都会に戻るんだ。途中、大曲駅でも、けっこう乗ってきた。人間が隣に来なければいいなと思っていると、真後ろに爺が座ってしまった。気が弱いので、座席のリクライニングを戻した。うしろから、なにか声が聞こえたが、口ごもってしまい、ちゃんとした返事は返さなかった。

爺には、何人か仲間いて、それぞれ、窓際の席に陣取っているようだ。そのうち、後ろでガサガサ、ガサガサ、音が聞こえる。駅弁でも食べているのか、それとも、新聞でも読んでいるのか、やけに長い。

かなりの時間がたち、やっと静かになった。座席のリクライニングを戻したので、やや窮屈な感じがしてきた。とはいえ、また下げるわけにもいかず、我慢していた。と、携帯の着信音が列車内に響き渡る。ああ~ん!うしろの爺だ。大きな声でしゃべり始めた。ちょっと、こみ入った内容だ。すこし声を潜めたが、ほとんど筒抜けだ。しかも、これまた、くどくどと長い。相手も年寄りなのだろう。

ようするに、仲間の一人が、部屋から何も言わずに出て行った、とか何とかで、グループ内でのいざこざだな。聞きたくもない、他人の痴話話を聞かされている。まったく!と思いながらも、じっと耳をすませていた。そのうち、やっとのことで長電話が終わった。やれやれ。と、おもむろに、爺が立ち上がった。こんどは、通路に突っ立って、後ろの連れに、話の内容、事の顛末を、これまた、くどくど話し聞かせている。もう勘弁してくれよ。無視して、目をつぶっていた。そのうち、さすがに遠慮したのか、二人して、トイレのある連結部の方へ行ってしまった。列車内は静かになり、新幹線の走行音しか聞こえなくなった。

その後は、窓の外の、流れる景色をぼうっと眺めていた。途中、何度かうとうとしたのかもしれない。まもなく盛岡駅に着いた。一時間半かかっているはずだが、気分的には、あっという間だった。盛岡では、何人かが降り、何人かが乗ってきた。

走りだすと、これまでとは比べ物にならないほどのスピードだ。<こまち>の最大速度に近い、時速300キロくらい、出ているのかもしれない。陽はしだいに傾き始め、山並みの上に、巨大な積乱雲が現れた。その雲が、オレンジ色に少し染まっている。だが、<こまち>は、恐ろしいほどの速さで、巨大雲たちを次々と追い越していく。

少し赤みを帯びた太陽が、少しずつ少しずつ、山の端に近づいてきた。そのあたりが、きれいに染まっている。お~、車窓から、夕陽が眺められる。初めての体験かもしれない。はじめのうちは、夕陽は、窓枠の中央にあった。時速300キロだ。しだいしだいに、夕陽は窓枠の右側に移動していく。一緒に、首も右にまわっていく。

見た目には、地球の動きをはるかに超絶した速度だ。だが、なにか、引っかかった。このスピードは、手放しで感動できない。むしろ、うしろめたい、ような気もした。地球の表面に生息している以上、地球の動きは、生存の大前提だろう。だが、人間だけが、その大前提を踏み越えている。その行き着く先は、もはや明白だ。といっても、自分も人間だ。どうしようもないではないか!諦念と憤怒。<時速300キロ>で移動しながら、ちと哲学的になった。

すでに窓枠の中に夕陽はなかった。態勢をかえて、後ろを振り返った。夕陽が、まさに、山並みに沈む瞬間だった。旅が終わった、と思った。

 

2021-14.15.16日、二泊三日 男鹿半島旅の収支

 

新幹線往復¥29160 ニッポンレンタカー¥12738

 

男鹿萬世閣¥21700 ガソリン・走行距離約230キロ・¥2200

 

観光¥300 お土産¥770 飲食等¥2130

 

総支出¥69000

 

以上

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

潮岬灯台

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

第8次灯台

紀伊半島編 #1~#17

2021年3月20.21.22.23.24.25.26.27.28日

 #1 一日目 2021年3月20日(土)

プロロ~グ 出発

#2 二日目 2021年3月21(日)

時間調整

#3 三日目(1) 2021年3月22(月)

梶取埼灯台 撮影

#4 三日目(2) 2021年3月22(月)

メモ書きの説明 

潮岬灯台撮影1

#5 四日目(1) 2021年3月23(火)

樫野埼灯台撮影1

#6 四日目(2) 2021年3月23(火)

寄り道 潮岬タワー 

灯台参観

#7 四日目(3) 2021年3月23(火)

潮岬灯台撮影2

#8 五日目(1) 2021年3月24(水)

潮岬灯台撮影3

#9 五日目(2) 2021年3月24(水)

樫野埼灯台撮影2 

橋杭岩観光

#10 六日目(1) 2021年3月25(木)

移動 大王埼灯台撮影1

#11 六日目(2) 2021年3月25(木)

安乗埼灯台撮影1

#12 七日目(1) 2021年3月26(金)

大王埼灯台撮影2

#13 七日目(2) 2021年3月26(金)

麦埼灯台撮影

#14 七日目(3) 2021年3月26(金)

安乗埼灯台撮影2 

大王埼灯台撮影3

#15 八日目(1) 2021年3月27(土)

安乗灯台撮影3 

安乗漁港散策

#16 八日目(2) 2021年3月27(土)

大王埼灯台撮影4 

波切漁港散策

#17 九日目 2021年3月28(日)

帰宅 エピローグ

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#1 一日目 2021年3月20日(土)

プロロ~グ 出発

2021年3月20日土曜日。午後9時。今いる場所は、新名神鈴鹿パーキングエリア。これから車中泊。外は土砂降り。

なんで、こういうことになったのだろう。少し説明しておこう。

紀伊半島灯台巡りの実現、実行を本気で考え始めたのは、3月に入ってからだった。当初は、新幹線・電車・レンタカーの旅を考えていた。何しろ、紀伊の国は遠い。500~600キロある。だが、依然として、年初からのコロナ感染による<緊急事態宣言>が解除されない。それに、寒いしな~。

とはいえ、月一回の灯台旅を心づもりしているのに、前回の旅からは、すでにまる3か月以上たっている。多少、うずうずしている。名古屋までの新幹線の時刻表や運賃、それに近鉄電車の鳥羽へのルート、駅近くのレンタカーやホテルなどをネットで調べた。調べているうちに、実際の行程が、まざまざと目に浮かんできた。と、なんだか、電車旅がめんどくさくなってきた。

やはり、自分の車で行くのがいい。荷物もたくさん持っていけるし、何しろ自由度が全然違う。500キロだろが600キロだろうが、途中で一泊すればいいわけで、ケチな話、その宿代を考えても、レンタカーを借りるよりは安くあがる。それに、車で行くなら<コロナ感染>のリスクも下がる。

車で行くのが一番いいのだけれども、何しろ距離が、と運転体力に関して弱気になっていたのだ。それに、運転時間が長くなれば、その分事故の可能性も増えるわけで、万が一のことも考えられないこともない。いや、これは、ちょっと思っただけだ。

ごちゃごちゃ考えていても、埒が明かない。快に流れる有機体の傾向に身をゆだねよう。紀伊半島の旅、今回も車で行こう、ということに相成った。

決断した後は早かった。すぐに、実際の行程を詳細に検討しだした。これまでの高速走行の経験から、まあ、1日400キロくらいが限度だろう。一時間に60キロ移動するつもりで走るなら、高速運転もさほどきつくはない。つまり、1日8時間運転して、480キロ進めるわけだ。今回の場合<津>がそのあたりだ。いや正確に言えば、<津>までは400キロだ。

<津>で一泊して、次の日に200キロ移動する。このうち半分は一般道で、検索によれば、約4時間かかる。ということは4時間半とみればいい。ちょうど昼頃、通り道の<梶取岬灯台>に寄る。この灯台は目的地の30キロ手前、那智勝浦辺りにある。ネット画像で見る限り、ロケーションがよい。ここで、2時間ほど寄り道をしたとしても、紀伊半島の先端、潮岬灯台には、日没前の3時か4時頃までには到達できるだろう。何しろ、お目当ての<潮岬灯台>は夕日がきれい、らしいのだ。

ところで、今回の旅の計画は、天候の問題などもあり、二転三転、いや四転五転している。その経過は、もういいだろう。思い出して何の得になる!決定事項となった最終計画だけ書き記そう。

21日・日曜日は雨、この日に400キロ走って<津>まで移動、ホテルに泊まる。次の日から二日間は晴れそうなので、紀伊半島の東側?を200キロ南下、和歌山県へ移動。<串本>駅付近のビジネスホテルに三泊して、<潮岬灯台><樫野埼灯台>の撮影。25日の木曜日、午前中は雨予想。この間に、200キロ北上して、三重県伊勢志摩方面へ移動。<鵜方>駅付近のビジネスホテルに三泊。<大王埼灯台><安乗灯台><麦埼灯台>の撮影。最終日は500キロ走って、自宅に戻る。

出発の前々日の金曜日には、すべての手配を済ませ、念入りな現地マップシュミレーションも終了。むろん、車への荷物の積み込みも完了していた。

出発前日、土曜日になった。雨はまだ降っていないが、いまにも降り出しそうな空模様。昨日来から、なんとなく胸騒ぎがしていて、出発日の天候を、しょっちゅうスマホで確認していた。実を言うと、御殿場付近からの箱根の山越えが気になっていたのだ。三時間降水量が16mmくらいあり、かなり多い。雨の日に出発する、というのも気が重いが、高速道路で強い雨風に出っくわすのは、もっと嫌だ。以前、若い頃に暴風雨の中、東名を名古屋から東京まで走った経験がある。あれはかなりきつかった!

時刻は、午後の一時半だった。このまま、ぐずぐずしていてもしようがない。決断した。出発を一日前倒しして、雨の降らないうちに箱根の山を越えてしまおう。宿は、いまから予約できるはずもないので、今から、走れるだけ走って、高速のパーキングで車中泊だ。天候的には、暑くもなく、それほど寒いということもないだろう。

幸いなことに、と言うべきか?旅の用意はすべて完了していた。あとは着替えだけだ。何と言うか、せっかちというか、小心というか、当初の計画をあっさり反故にして、前日の午後二時に出発してしまった。この辺は、かなり気ままで、多少小気味よかった。

五、六時間、曇り空の中、高速を走った。東名から伊勢湾岸道に入る辺りで、雨がパラパラ降ってきた。同時に暗くなってきたが、夜間運転が目に眩しいこともなかった。ふと、二十年ほど前の、眼発作を思い出した。あの時は、車のヘッドライトが異様に眩しくて、夜間運転など、まったく不可能だった。失明の危機を脱して、今こうして、自在に車を運転できる自分が、不可思議であり、奇跡のようだと、内心ニヤリとした。

というわけで、これから、土砂降りの鈴鹿パーキングで車中泊をしようというわけだ。おもえば、この車で車中泊をしたことは、一度もない。いわば初体験だが、食事、洗面、就寝、排尿などのシュミレーションは、ちゃんとしている。問題はない。

と思ったが、歯磨きの際に、ちょっとした齟齬を感じた。コップを持参するのを忘れたのだ。ま、今日のところは、歯磨き粉は使わずに、歯ブラシを水にぬらして、口の中でごしごしして、その後は、飲み込んでしまった。汚いと思えば汚いが、ま、臨機応変、そんなこともできるんだ。

その後は、まだ眠くなかったので、ちょっと長いメモ書きをした。30分ほどして、それにも飽きて、21時15分、耳栓をして消燈。しかし、23時半ころ、車の野太いエンジン音に驚かされて、目が覚めた。もっとも、おしっこタイムでもあり、おしっこ缶にイチモツの先っちょを差し入れて、粗相の無いように排尿した。この行為も、なんだか滑稽で面白いとさえ思えてきた。

オシッコ缶は、この時のために、4、5本、持参している。問題ないと思っていたが、あにはからんや、なぜか、1時間おきくらいの排尿で、朝になるまでには、すべての缶がいっぱいになってしまった。・・・こんなに水分を取ったのかと思った!

ほぼ1時間おきのおしっこタイムに加えて、例の、野太いエンジン音が、一晩中、やはり、1時間おきくらいに聞こえてきた。しかも、かなりの時間、駐車場内でアイドリングしていて、その振動が不快でもあり、気になり寝付けない。そのうち、爆音を轟かせて、遠ざかっていく。同じようなことが、4、5回あったような気がするが、あれは、幻聴だったのか?いや、そうではないだろう。何しろ、ここは<鈴鹿>だ。その種のスポーツカーが集まってくる場所だったのかもしれない。翌朝、ふとそう思った。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#2 二日目 2021年3月21(日)

時間調整

2021年3月21日、日曜日。昨晩は、慣れない車中泊で、ほとんど熟睡できなかった。それにしても、真夜中の断続的な野太いエンジン音と爆音が、想定外だった。どこの誰だか知らないが、忌々しい感じがした。

朝の6時過ぎには目が覚めていた。だが、もう少し寝ていようと思った。何しろ今日は小一時間走って、午後の3時過ぎに<津>インター近くのホテルにチェックインするだけだ。

日除けシェードの隙間から外を見ると、まだ薄暗くて、土砂降りだ。午後の3時まで、どこで暇をつぶすかな?雨だし、写真も無理だろう。もっとも、<津>付近の灯台などは調べていなかった。というのも、当初の計画では、<津>インター付近のホテルに夕方着き、一泊して、翌朝すぐに移動を開始するつもりだったからだ。

雨音や車の出入りの音、人の声などを聞くともなく聞きながら、小一時間、横になったまま、寝ているでもなく、起きているでもなく、なんとも中途半端な、しかし、なぜか懐かしい、平安な時の流れに身をゆだねていた。

<津>か~~?海が近いし、港がある筈だ。港があれば、そこには必ず灯台がある。雨降りだから、写真は撮れないまでも、海岸縁でぼうっとしているのも一興だな。だんだんと意識がはっきりしてきた。

7時半に起きた。車内で朝の支度をした。細かくは、書かない。まずおしっこ缶に排尿。これですべての缶が満杯になった。次に、ブラシで髪をとかし、洗面桶に少し水を入れ、手ですくって、顔を何度か洗った。さらに、口に少し水を含み、歯磨き粉をつけない歯ブラシで、歯を磨いた。そのあと、口の中にある水を、洗面桶に、ぺっと吐き出した。朝食は、昨日買っておいた牛乳と赤飯おにぎり、それに菓子パンだ。まったく食欲がなく、しかも、赤飯握りは、バサバサで食えたもんじゃない。半分残した。

そのうち、かすかな便意を感じ、トイレに行きたいような気がしてきた。だが、外は土砂降り。濡れネズミはごめんだな。とたんに、便意が消えてしまった。そうだ、<津>付近の灯台だ。ナビで調べてみた。あ~、<贄埼灯台>。漢字が読めないので、名前がわからない。とはいえ、ネットの<灯台サイト>で何度か目にした名前だ。ま、行ってみるか。

午前9時前、雨の中、鈴鹿パーキングを出発。やっぱり、この歳になって、車中泊なんて無理だよな。とはいえ、無理なことがわかったわけで、後悔はなかった。

<津>の市街地を通り抜け、ナビの案内に従った。ものの一時間もたたないうちに、現地に着いた。<贄埼=にえさき灯台>は、通行禁止の防潮堤の終点に立っていた。ま、<通行禁止>ではあるが、車が通れる。しかも、都合がいいことに、終点に車一台分くらいの駐車スペースがある。念のため、防潮堤の上で、何度か切り返して、車の向きを変えておいた。すぐに逃げられるように、だ!

外に出た。<残念>が二つ重なった。ひとつ目は雨。土砂降りではないものの、降っている。車に常備している大きめのバスタオルでカメラを保護した。頭は、パーカのフードをかぶった。これで撮影できないこともない。だが、ふたつ目の残念だ。灯台は小ぶりながら、石垣の上にのっかっていて、昔の木製の<灯明台>のような形をしている。造形的に面白い。ただし、ロケーションが最低。うしろは民家、そばに電柱と電線があり、緑色の網フェンスできっちり囲まれている。これでは、撮りようがないではないか。

防潮堤を下りた。そこは海岸ではなく、道路だった。目の前に大きな施設があり、高速船のような船が止まっている。なんなのかよくわからない。海沿いに大きな駐車場もあった。ちなみに、この施設は<津エアーポートライン>。対岸の愛知県<中部国際空港>との間を高速船で往復しているらしい。HPには、コロナでずっと休止していたが、19日から再開と書いてあった。

防潮堤の下の道路も、行き止まりで、Uターンするようになっていた。振り返って、灯台を見ると、今度は、反り返った防潮堤が目の前にど~んとある。写真にならん!だが、しつこく、防潮堤の先端まで行って、灯台の全体像を画面におさめた。と言っても、空は空白、電線が斜めにかかった灯台は、まったく絵にならない。石垣の上に立つ<灯明台>的なフォルムが面白いだけに、残念だと本気で思った。

雨は、依然として降っていた。だがまだ、かろうじて写真が撮れる状態だった。向き直って、海のほうを見ると、三角形の赤い防波堤灯台が見えた。近くに白い防波堤灯台も見えたが、こちらの方は、灯台の形を成してない。単なる白い鉄柱のような感じだった。この、雨に煙る名も無き小さな灯台たちを、写真に撮れたらなあ~、とちらっと思ったような気がする。バスタオルで、雨からカメラを保護しながら、何枚かは撮った。

雨足が少し強くなってきた。引き上げ時だ。車に戻った。まだ午前中の十時過ぎだった。昨晩の車中泊のせいだろう、眠気が差してきた。車を止めて、ゆっくり仮眠できる場所をナビで探した。近くに<ヨットハーバー>があり、海岸沿いに車を止められそうだ。行ってみるか。

来た道を、ぐるっと戻る感じで、川ひとつ渡り、海岸沿いの広い駐車場に着いた。車が数台止まっている。隣が<ヨットハーバー>だ。しずかな場所で、仮眠場所にはぴったしだ。窓にシェードを貼りつけ、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。持ち込んだ厚手の布団を一枚掛けたような気もする。暑くもなく寒くもない。横になった途端、眠ってしまったのだろう。目が覚めた時には、昼の十二時を過ぎていた。

頭がすっきりしていた。雨もやんでいた。外に出た。カメラを手にして、目の前にある防潮堤に近づいた。都合がいいことに、階段があり、砂浜におりられた。空も海も鉛色。風が強くて、波が荒い。

視界の左方向に、先ほど見えた三角の赤い防波堤灯台が見えた。距離があるので、ポシェットに括り付けているデジカメの超望遠などでも撮った。天気が悪く、そのうえ逆光気味だから、きれいには撮れない。記念写真にしかならない。それでも、しつこく撮っていたのは、きっと、いまいる場所、時間、気分などが気に入ったからだろう。意味もなく、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。

車に戻った。ホテルのチェックインまでには、まだ時間がある。再度、ナビを見て、付近に何かあるか探してみた。目と鼻の先に<海浜公園>がある。行ってみるか。防潮堤沿いの細い道を少し走ると、道沿いに、なにやら、それらしき場所があった。ただし、海に面しているわけでもなく、普通の駐車場だ。いったん中に入って、すぐにUターンした。

細い道をさらに行くと、なんとなく行き止まり。いや、右直角に道があり、防潮堤の上に出てしまった。防潮堤の上は、というか、正確には、防潮堤の下の道は、かなり広くて、海岸沿いに、ずっと伸びている。車は一台も止まっていない。いや、一台だけ黒いワンボックスカーが止まっていたな。看板があり、むろん、通行禁止だ。景色はいいが、ここに車を止めるわけにもいかないだろう。そのままバック、何回か切り返して戻った。

その後は、また先程のヨットハーバー隣の駐車場へ行って、二度目の昼寝をしたのだと思う。目が覚めた時には、雨は上がっていた。3時少し前だと思う。

・・・唐突だが、ここで言い訳をしておこう。というのは、今現在の日時は、2022年1月2日だ。どういうことなのか、要するに、この旅日誌は、昨年の春先、旅後に、ここまで書いて、放棄してしまったものなのだが、多少の時間が過ぎて、やはり完成させようと思いなおして、書き始めたものなのだ。

旅後の旅日誌の執筆を、灯台旅の約束事としていたにもかかわらず、あっさり反故にした理由は、今となっては、こまごま書くのも煩わしいが、苦労の多い割には実りの少ない駄文にすぎない、とある時確信したからであり、その結果、何かが書けていたように思っていた自分と駄文に嫌気がさしてしまったのだ。ま、ケツをまくったわけだ。

ところがだ、時間の経過とともに、気分も変わり、この<紀伊半島旅>と次の<出雲旅>の旅日誌の執筆は断念したものの、そのあとの<男鹿半島旅><網走旅>の旅日誌は、ちゃんと脱稿した。こうなると、ますます上記二つの旅日誌が書かれていないのが、気になる。整合性がないではないか!いや別に、そんなことはどうでもいいのだけど。

とにかく、気分的には、この二つの、<紀伊半島旅>と<出雲旅>の旅日誌を完成させたいという気持ちが強くなってきた。とはいえ、今更、その当時のことが、思い出せるのか?ま、やってみるしかないな。さいわい、メモ書きと撮った写真が残っている。それを頼りに、頭の中の暗闇を歩き始めてみよう。

・・・午後三時になった。ホテルにチェックインできる時間だ。ナビで見つけた<すき家>で夕食を調達して、幹線道路沿いの大きなビジネスホテルに入った。といっても、細かい事はもちろんのこと、断片的なイメージすら浮かんでこない。まあ、勘で書いていこう。すぐに<風呂、日誌、くつろぐ>。おそらく<牛丼>だろうが、どのタイミングで食べたかも、今となっては、忘却の彼方だ。

なにも、そんなことを思い出すために、苦労することはないだろう。だが、そうした事どもをないがしろにすると、そもそものところ、記述することが、なにもなくなってしまうかもしれない。ま、いい。<明日からの写真撮影 花粉症がひどい はなづまり すでに450キロ以上走っている>。いちおう、メモ書きは転記しておこう。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#3 三日目(1) 2021年3月22(月)

梶取埼灯台 撮影

紀伊半島旅、三日目の朝は、津市内の、大手ビジネスホテルの部屋で目が覚めた。

<5:45 起床 昨晩もほぼ一、二時間おきにトイレ 眠りが浅い>。<>=山カッコ内は、メモ書きからの転用なので、いちおうは事実なのだろう。事実というものが、この世に存在するとしての話だが。

さてと、<6:45 朝食 二階の食堂 バイキング形式 ビニール手袋でトングをつかむ さほど混雑もなく 気分よく自室に戻る 便は出ない>。この大手ビジネスホテルは、朝食バイキングがウリで、何回か利用している。仕事とか出張できている人が多くて、ほとんどは作業着の男たちだ。観光客は少ない。雰囲気的には、ま、好きな方だ。

<7:30 出発 車庫から出る時 左側の(路駐している)車に視界をさえぎられ 車が来るのがわからなかった あわやぶつかる所だった でかいランクルで 狭い道なのにスピードを出しすぎ ヒヤッとする>。自分の不注意よりも、路駐の車とランクルにイラっとした覚えがある。ランクルに乗っている奴にロクな奴はいない。ま、これも、偏見であることに間違いない。

県庁などが見える大通りを抜けて、<津>インターへ向かう。そうか、三重県の県庁所在地は<津>だったのか!どうでもいいことに感心しながら、高速に入る。<伊勢道紀勢道―有料道路>と乗り継いで、熊野市からは一般道に入り、さらに、新宮、那智勝浦方面へと向かう。

途中、きれいな<道の駅>のようなところに寄り、トイレ休憩。ついでに、那智黒石の招き猫を買う。大きさ的には、大中小とあったが、ケチって一番小さいものにした。ま、これは亡きニャンコへのお土産だな。あとは、般若心経が胸に印刷されている黒のTシャツを買った。こっちは、そのうちまた四国巡礼をするときに着るつもりだ。場所柄的に、熊野、新宮、那智とくれば、いまだに山岳信仰のメッカで、自分にも、多少の信仰心が蘇ったのかもしれない。まあ~、一種の衝動買いだな。ちなみに、般若心経の黒Tシャツは、帰宅後すぐに袖を通した。まったく似合っていなかった。むしろ、悪趣味だ。はたして、これを着て、四国の札所を巡る日が来るものなのか、いまのところ定かではない。

熊野古道にも那智の滝にも寄らず、結局は、バカげた妄想の中を漂いながら<ほぼ予定通り、11:30頃に梶取埼(かんとりさき)灯台に着く>。港(太地漁港)を左手に見ながら、急な坂を上り、ナビの案内に従い、うねうね行くと、行き止まりに小さな駐車場があった。

梶取埼灯台は、きれいに手入れされた公園の中にあった。緑の芝生はきっちり刈りこまれ、驚いたことに、二、三本、桜が咲いている。灯台に桜、これは、めったに見られる光景ではあるまい。そばにあったトイレで用を足し、気分良く、撮影開始だ。

そう、距離的には100メートルほどだろうか、真正面に灯台があり、背後には海が見える。灯台の右側は多少広くなっているので、横からも撮れる感じだ。歩き出すと、すぐ右手に大きなクジラが鎮座している。<鯨供養碑>。いちおう記念写真だ。そういえば、さきほど入ったこぎれいなトイレの前にも、捕鯨を主題にした大きなレリーフがあった。それに、灯台のてっぺんの<風見鶏>が、<風見鯨>になっている。これは面白い。

後々になって、気づいたのだけど、ここ太地町は、昔から捕鯨が盛んな土地で、最近では、イルカの追い込み漁が問題になり、反対派などが押しかけ、ひと騒動あったところだ。そんなこととはつゆ知らず、灯台巡りの道すがら、通り道にロケーションのいい灯台があるので、たまたま寄ったまでだ。なんとも脳天気な話だ。

自然保護や環境保護捕鯨やイルカ追い込み漁については、あまりに問題が大きくて複雑なので、ここでは、ノーコメントとしたい。賛成、反対、どちらの人たちも、いわば体を張って闘っているわけで、部外者が、ちょろっと無責任な発言をするような問題じゃない。それが良識というものだろう。いや、良識もヘチマもない。ここは黙って、通り過ぎよう。

…いつものように、撮り歩きしながら灯台に近づいていった。さほど巨大な灯台ではないが、これまでに見たことのない、ちょっと変わった形をしていた。というのは、頭というか顔というか、とにかくてっぺんの方に、海の方へ突き出たベランダがあり、そのベランダの先端部には大きなレンズが設置してあった。つまり、この灯台は、海を照らすレンズを二つ持っているのだ。

その時は、わけがわからなかったが、今調べると、それは、<梶取埼ナミノリ礁照射灯>という、ほとんど読めないような名称だが、要するに、付近の岩礁を照らして、船舶の安全航行に寄与している、ま、灯台のような機能を持つ設備だった。<灯台>に<照射灯>が併設さている結果、いわゆる、一般的な灯台の形が変則的になっている。変った形、いや、個性的な形になっている、と言い換えておこう。

それと、灯台付近にはソテツ?のような植物があって、南国ムードが漂っている。思えば、三月にしては、かなり暖かくて、快適だった。和歌山といえば、すぐに紀州みかんを連想するのは、かなり貧しい想像力と言わねばなるまいが、温暖な気候であることに間違いはない。

灯台の根本に到着した。登れる灯台ではないので、回りをぐるっと歩きながら、かなりの仰角で写真を撮った。もっとも、東側は、ほとんど<引き>がないので、撮らなかった。いずれにしても、近すぎて写真としてはモノにはならない。

と、何やら案内板だ。なになに、と読む前に、まず写真を撮った。あとでゆっくり読めばいい。要するに、さらに海に突き出ている一段低くなった岬の先端部に、鯨を捕っていた頃の<狼煙場>があるようだ。好奇心を多少刺激され、加えて、灯台を海側から撮れるので、ここは行くしかあるまい。

たしか、階段状の小道を十段くらい降りて、また登った。と、両脇が木立になり視界がなくなる。したがって、灯台を、海側から撮る位置取りとしては、小道を少し登ったあたりがよい。梶取埼灯台の全景が見える。ただし背景は空、右側に、少しだけ断崖と海が見える。この時はここで引き返した。<狼煙場>よりも来るときに見かけた漁港の防波堤灯台が気になっていたのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#4 三日目(2) 2021年3月22(月)

メモ書きの説明 潮岬灯台撮影1

紀伊半島旅、三日目の午後から夜にかけてのメモ書きに、少し説明を加えた。

梶取岬灯台の撮影を終えて、岬を下りた。途中で<落合博満・野球記念館>の案内板がまた目に入った。なぜこんなところに?と今度は思った。 いま調べると、ここ和歌山県太地町は、落合博満の故郷らしい。なるほど!長い坂を下り切ると、右手に、閑散とした漁港がある。ハンドルを右に切って、中に入る。広々とした係船岸壁に車を止めた。坂の途中から見えた、赤い防波堤灯台が、すぐ近くに見える。だが、手前の高い岸壁に邪魔されて、写真にならない。

周りを見回すと、沖の方に小島があり、そこに何やら小さな灯台が立っている。さらに目を細めると、はるか沖合にも、同じような小島があり、その上にも、同じような形の灯台が立っている。400ミリ望遠では勝負にならない。ポーチにくっ付けているデジカメを構えて、光学800ミリズームで見てみた。たしかに灯台だ。ま、言ってみれば、ミニ灯台だ。それも二つも。長閑な海景に心が和んだ。

で、この光景をもう少しちゃんと写真に撮っておきたいと思い、場所を移動した。要するに、多少なりとも高い位置からがよろしいのではないか。漁港を出て、少し坂を上り、道路際の駐車スペースに車を入れた。外に出て、重い400ミリ望遠カメラを肩に掛け、えっちらおっちら、坂を登り始めた。車で上がった時は、坂の傾斜など全然気にならなかった。だが、いざ自分の足で登るとなると、この坂はかなり急だ。それに長い。

要するに、平場の漁港から、岬の上へと上がる坂だ。半分くらい登って、息が切れた。もういいだろう。海側には歩道がないので、崖際のガードレールに体を寄せて安全を確保した。そして、海を見た。お~、いい景色!小島のミニ灯台もちゃんと見える。ただ、距離があるだけに、写真的には、なかなか難しい。

新兵器?のデジカメの光学1600ミリズームでも撮ってもみた。だがこれは、解像度があらすぎて、モノにならないことが、帰宅後にわかった。でもこの時は、なんとなく撮れたような気がしていて、六万円で買ったデジカメが役にたった、と気分良く坂を下りた。そうそう、この坂の山側には歩道があり、車を気にすることなくゆっくり歩けるのだ。ぶらぶら行くと、歩道上に鯨がデザインされたマンホールがあった。立ち止まって、つくづく見た。<ご当地マンホール>だな。面白いと思った。

<1:30 このまま 串本町のホテルへ行くか それとも もう一度 梶取灯台を撮って そのまま潮岬灯台の夜の撮影に入るか迷う とにかく まだ時間はある 梶取は二回目 さして時間はかかるまい ということで梶取へ行く 明かりの様子がさきほどとは全然違う 撮りにきてよかった>。

付け加えることがあるとすれば、午前中に比べて、観光客や、犬の散歩をする人が目に付く。次から次へとなので、画面に入り込んでしまう。だが、これはいつものことで、致し方ない。頓着せずに撮った。あとは、きれいに刈り込まれた芝生の上に、大量の糞が、一塊ずつ、ところどころにあった。黒くてコロコロしていたから、これはヤギとか羊とかのものだろう。しかし、辺りに、そうした動物の姿は見えない。意味が分からなかった。

が、そのうち、どこからともなく作業服を着たおじさんが現れて、箒と塵取りを使って、糞をきれいに取り除いていた。今思えば、この公園に隣接するホテルのような、老人ホームのような、きれいな建物と関係があるのかもしれない。そこで飼っている動物を散歩させに来た、ということかな、となると、作業服のおじさんは、その施設の従業員なのか、いや、あの作業服は町役場の臨時職員のようでもあった。ますます訳が分からない。

だが、とにもかくにも、この灯台は、よく整備された、見通しのいい、素晴らしい場所であることに変わりはない。天気もいいし、桜もちらほら咲いていたし、立ち寄ったことに、十分満足していた。

<3:00 いちおう潮岬灯台へ向かう が 途中で気が変わって ビジネスホテルに荷物をおき 撮影に行くことにした なにしろ ホテルは灯台へ行く前に 目の前を通るのだ>。メモ書きの最後のほうが、日本語として成立していない。ようするに、ホテルは灯台へ向かう途中にあるので、寄ったとしても時間的に問題はない、という意味だ。

<3:30 ホテル着 チェックインして 荷物を部屋にはこぶ 受付の女性の応対はよい 自分より一回りくらい若いだろうか やや四角張った面立ち 美しいタイプ 自分の好みかもしれない ま そんなことはいい>。JR串本駅近くの、場末のアパートのような、このビジネスホテルについては、あとで記述することにして、先に進もう。

<3:45 灯台までは15分 (灯台付近はマップ)シュミレーション済みなので (迷わず)有料駐車場に入り ¥300払う 夜おそくまで置いておくが大丈夫かと聞く 耳が遠いいのか 二回ほど聞き返される 75歳(くらいの)後期高齢者のじいさん(だった)>。潮岬灯台の根本に到達するには、ここに車を止めて、小道を百メートルほど歩くようだ。ただし、敷地が狭いので、写真的には難しいだろう、と調べはついている。それに、今日のところは、灯台に夕陽を絡めて撮るつもりなので、灯台には背を向け、道路を歩いて、東側の見晴らしスポットへ直接向かった。

<4:00 撮影開始・・・>。この見晴らしスポットは、正式には<和歌山県朝日夕陽百選(潮岬)>と言って、夕陽が見える観光名所だ。道路際に位置していて、断崖際には柵がちゃんと設置してある。海と灯台に向かって、木製のベンチがいくつかあり、先端の方には小さな東屋が立っている。道の向かい側にはホテルなどが見える。

<陽はまだ高い ゆっくり(撮影)ポジションなどをさぐる 五時すぎても陽が高い 五時半ようやく陽が傾きはじめる と いきなりバイクの音 じじいが三脚をうしろにくっつけて写真を撮りにきたようだ 一瞬 あいさつして 夕日の落ちるポジションを聞こうとおもった だがやめた 白髪の意地の悪そうなじじいだ>。<そのうち ミケ(猫)がどこからともなくあらわれる 人になれていないようで 近づくと逃げていった すこしたって ベンチに座っていると ミケが目の前を走りぬけていった 道路のむこうに民家がある そこでかわれているのだろう>。

<じじいの友達がきた 大きな声でしゃべりはじめた 6:00 もうひとり じじいの知り合いがきた。要するに 夕陽を撮りにくるのが日課なのだろう 6:15 水平線近くに雲があり日没は(見え)ない じじたちは帰っていった そのあとのブルーアワーもたいしたことなかった 灯台の光線 あかりが見えはじめる7:00頃までねばる 寒い 防寒対策は十分にしてきた ただしダウンパーカでなく ダウンベストを持ってきてしまった それでも十分あたたかかった>。

見晴らしスポットには街灯がない。すでに真っ暗だ。写真も、十二分に撮ったし、引き上げよう。額につけたヘッドランプの明かりを頼りに、滑らないように、転ばないように、慎重に歩いて、道路に出た。そのままガードレールに沿って少し歩いて、駐車場に着いた。広い駐車場には、自分の車しか止まっていなかった。料金徴収の小屋も無人だった。

朝っぱら動き回っていたわりには、疲れてもいなかったし、なぜか、さほど腹も空いていなかった。途中で、何か食べたのだろうが、今となっては思い出せない。あたりはうす暗く、人の気配もない。だが、どことなく腹がすわった感じだ。怖くもなく、寂しくもなかった。いわば、平常心だ。いや、限り無く<自由>だったのかもしれない。

追 

読み直してみると、夕暮れの潮岬灯台の撮影をしていながら、その記述がほとんどない。肝心なものが抜けていませんか?おそらく理由はこうだ。<肝心な物=灯台>は、写真に山ほど撮ったわけで、記述する必要性を感じていない。どのような位置取りで、どのようなカメラ操作をして撮ったか、そんなことは、今となっては、思い出すのも、記述するのも億劫だ。百歩譲って、写真の勉強、写真の腕をあげるという意味では、<記述>も多少役に立つかもしれない。だが、最近はその情熱も下火になっている。

もう一つは、灯台撮影時の文学的記述だ。これは、<旅日誌>の執筆当初から、かなり頑張って挑戦してきた事柄だ。だが、苦労が多い割には、たいして面白くならない。風景描写や情景描写、さらには、内面心理の動きや感情の色彩を記述することは、自分にとっては、かなり難しい。至難の業、といってもいい。ありていに言って、小説家のようには書けない。ま、書けたら面白いだろうなとは思うが、目指すところはではない。穴をまくってしまったわけだ。

もっとも、撮影記録にしても、文学的記述にしても、衒いなくすらすら書ければ、書くことにやぶさかではない。だが、脳髄から絞り出さねばならない情況では、やはり、シカとして通り過ぎたほうがいいだろう。でっちあげた文章ほど、胸糞悪い物はない。・・・最後の文章は削除したほうがいい。<あのブドウは酸っぱい>。自己正当化の、最たるものだ!

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#5 四日目(1) 2021年3月23(火)

樫野埼灯台撮影1

紀伊半島旅、四日目の朝も、半島の先端、串本町の駅前ビジネスホテルで目を覚ました。

<6時前後に目がさめる 1、2時間おきにトイレ ひと晩中眠りが浅い>。さてと、昨日は<(夜の)7:00 引き上げ 途中ファミマで夕食調達 7:30 ホテル着 ざっと風呂 食事 日誌 9:15 このあとモニターしてねる>。要するに、記述する事柄はほとんどなかったようだ。先に進もう。

<6時半起床 朝の支度 朝食・パン 赤飯にぎり 牛乳など ウンコはでない 7時半出発 樫野埼灯台(へ向かう) 30分くらいかかる。駐車場からけっこう歩く。疲労を感じる。灯台はおもった通り ほとんど撮影ポイントがない。360度周囲を歩く>。

<帰り(戻り)道 トルコ(の)みやげ物屋による 絵皿を見ていると 奥から主人がでてくる。大きなもので1万以上 中ぐらいのものでも7、8千円する。きれいな色合いが、なんだかふ(腑)におちない 主人に製作(方法)などを聞く 答えはあいまいな感じ 値段のことを言うと つぎたし(継ぎ足し)た皿なら2000円ほどだと見せてくれたが、そもそも商品ではないだろう ていよくことわり(店を)出る それにしても朝から徒労。トルコの海難事故とか 天皇が見にきたとか そんなことはどうでもいいのだ>(そのようなことにはさほど関心がないのだ、と読み換えていただきたい)。

灯台は個性的な形(をしていた) なんと形容していいのかわからない>。まったくもって、情景描写は苦手だ。だが、撮った写真がある。それを参考にして、この時の撮影情況を多少なりとも思い出してみよう。

立派な橋(串本大橋)を通過して、島(紀伊大島)に渡った。大きな島で、森の中をかなり走った。その行き止まりに、駐車場がある。トイレやちょっとしたカフェもあり、定期バスの停留所もあった。駐車場の先は、車両進入禁止の道路で、カメラを一台、肩から斜め掛けして、ぶらぶら歩きだした。たしか軽い方のカメラだったと思う、望遠カメラも三脚も必要ない、と事前の下調べで判断していた。

広々した道の両側には、大きな碑や土産物店が点在していた。そうだ、たしか、桜の木があって、満開だった。道の行きつくところは、広い芝生広場になっていて、二百メートル位先に<樫野埼灯台>が見えた。見えたと言っても、灯台の敷地は背丈ほどの塀にがっちり囲まれている。灯台の頭が少し見えた程度だ。

芝生広場の入口左側にトイレがあった。たしか、大きな案内板もあった。念のために用を足す。というか、公衆トイレを見ると、尿意がなくても、なんとなく入ってしまう。いわば、ワンちゃんの<マーキング>に似ていないこともない。

灯台へと続く、この芝生広場の小道の両側にも、碑や銅像などが点在していた。観光地の雰囲気だな、と思った。ま、いい。目指す灯台は、すぐ目の前だ。灯台の敷地の前で立ち止まった。<樫野埼灯台>と墨守された大きな木の表札?が、門柱の左側にかかっていた。

敷地に足を踏み入れると、右側にガラス張りの資料館のような建物があった。係員の姿は見えず、建物には入れない。ということは、敷地内は入場無料ということだな。向き直ると、思った通り、というか下調べしたとおり、ロケーションが非常に悪い。二階建てくらいの高さの灯台だが、手前左側には大きな木があり、右側には案内板がある。灯台の全景を撮るとすれば、この樹木と案内板が、どうしても画面に入ってしまう。右に振っても、左に振っても、敷地が狭いので、いかんともしがたい。

それに、灯台の左横に、かなり大きな、筒状の螺旋階段が併設されている。灯台の首のあたりまで登れるようだが、こんなに大きな構造物を灯台の横にわざわざ作って、歴史的にも価値のある、美しい灯台の景観を台無しにしている。

とはいえ、登れるのなら登ってみよう。タダだしね。高い所に登りたいのは、自分だけでもあるまい。鉄製の白い螺旋階段を登る。たしかに、見晴らしがいい。観光客にとっては、日本最古の石造り灯台より、太平洋を一望できるこの光景の方が<ごちそう>だろう。気分がいい。

眼下、右手下には、資料館の黒っぽい瓦屋根が見える。瓦の継ぎ目がところどころ白い漆喰?で補修されているのだろうか。いま写真で見ると、その補修跡が幾何学模様になっている。屋根のデザインだったのか?ともかく、なぜか<沖縄の民家>を想起した。<南国>を感じた。さらに、視線を飛ばすと、遥か彼方に岬があって、あっちからもこっちが見えるような位置取りだ。なるほど、あそこが<海金剛>だな。右側面から、樫野埼灯台の全貌が見える唯一の場所だ。下調べで見つけた景勝地で、この後、当然ながら、寄ることになっている。

その前に、いちおう、灯台の周りを360度回ってみた。海側の塀の前には、一つ二つ、崩れかかった木のベンチ置いてあった。灯台は、かろうじて画面におさまるものの、新緑の低木などに邪魔され、ほとんど写真にならない。要するに、この灯台は、前からも後ろからも、むろん左右からも、写真はあきまへん!

灯台の敷地を出た。今一度、門柱の<樫野埼灯台>の表札を見た。その表札を画面左にいれて、敷地の奥にちらっと見える灯台を撮った。灯台写真というよりは、記念写真だね。それから、念のために、塀の外回りを歩いた。樹木が繁茂していて、鉄柵のある断崖からは、ほとんど何も見えなかった。

ただ、西側からは、塀越しに灯台が多少見える。海も少し見える。とはいえ、このアングルだと、灯台よりは、塀の方が主役になってしまう。黒ずんだ、長方形の大きな石を積み上げた塀は、その重厚さ、堅牢さにより、<時代>を<昔>を強く感じさせる。存在感がある。写真を撮り始めた。位置取りを変え、かなりしつこく撮った。ま、絵になる構図だったのだ。

無駄足だったな。駐車場までの長い道を、たらたら歩いて戻った。途中、ひやかしで、トルコの土産物屋に寄ったり、銅像に近づいて、案内板に目をやったりした。やや観光気分だった。

駐車場のトイレで用を足して、車に乗り込んだ。すぐそばの定期バスの停留所に、若い女性がいた。サングラス越しにちらっと見たような気もする。ナビの画面で一応は確認して、<海金剛>へ向かった。分かれ道に案内板があり、すぐに着いた。途中、道の両側に民家並んでいたが、人の姿はなかった。多少広めの駐車場で、トイレがあり、資料館(日米修好資料館)のような建物が正面にあった。

樹木が覆いかぶさった、アーケード状の遊歩道をぷらぷら行くと、海側に凹んだ、人一人が展望できるようなスペースがあった。三脚を担いだまま、二、三歩、踏み込んだ。下は断崖絶壁だが、柵があるので安全だ。なるほど、ここの海景は素晴らしい。三角形の岩が、いくつも海から突き出ている。あとで撮りに来よう。この時は、一枚だけ撮って、遊歩道に戻った。

さらに少し行くと、視界が開けた。展望スペースらしき場所に出た。一段高くなったところには東屋もあった。ちなみに、遊歩道に覆いかぶさっていた樹木は椿だ。一、二輪咲いていたので、あっと思ってよくみると、幹がすべすべだ。椿のアーチとはオツなものだ。帰りに何枚か写真を撮った。

さてと、展望スペースからは、遥か彼方、岬の先端に<樫野埼灯台>が豆粒くらいに見えた。望遠カメラを持ってきたから、早速、断崖際の柵沿いに三脚を立てて撮り始めた。明かりの状態もまずまず、素晴らしい展望である。が、いかんせん、距離がありすぎる。400ミリの望遠では、勝負にならない。

ま、それでも、柵沿いに移動しながら、ベストのアングルを探しながら撮っていた。だが、ここにも観光客だ。見晴らしのいい柵沿いの展望スペースは、ほんの七、八メートルしかない。夫婦連れが、自分のすぐ隣にまで来て、そこをどかんかい!といった雰囲気だ。遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。

となれば、移動せざるを得まい。先ほどちょっと寄った、遊歩道沿いの、極小の展望スペースへ移動して、観光客をやり過ごした。だがしかし、そのあとも、観光客が入れ替わり立ち代わりやって来る。そのたびに、重い三脚を担いで、極小展望スペースへ退避したり、後ろの東屋のあたりへ行って、反対側の海景などを眺めたりした。

天気はいいし、明かりの具合もいい。最高の海景だった。だが、肝心要の、灯台写真が撮れたような気はしなかった。あまりにも遠い。樫野埼灯台が小さすぎる。デジカメの800mm超望遠でも撮ったが、解像度が粗くて、写真にならない。あきらめきれない。明日、もう一度来てみよう、と折り合いをつけた。まったくもって、きりもない話だ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#6 四日目(2) 2021年3月23(火)

寄り道 潮岬タワー1 灯台参観

紀伊半島旅、四日目は、樫野埼灯台の撮影を午前中に終えて、ちょっと寄り道をしてから、灯台の根元、潮岬タワーなど、潮岬灯台の撮影ポイントを回った。

<11時30(分) 岬をおりる。串本大橋のたもとに駐車スペースとトイレがある 海のなかに(も)灯台が二つある。遠目から撮る。昼どき、昼食を食べにきた若い男二人 ネコが何匹も どこからともでてきて 鳴いている エサをねだっているようだ ほかにも熟年夫婦 漁師など あっというまに狭い駐車場がいっぱいになる>。

この情景は比較的よく覚えている。付け加えよう。串本大橋のたもとの駐車スペースは、先ほど<樫野埼灯台>へ行くとき、車の中から見えたので、帰りに寄ってみようと思っていた。車は五、六台しか止められないが、トイレがあり、東屋らしきものもあった。

・・・日陰の急な坂道を下りきったところに駐車場があった。まさに橋のたもとだ。この時は、ほかに車は止まっていなかった、と思う。軽い方のカメラを肩にかけ、まずはトイレで用を足した。そのあと、ちょっと周りを見まわし、すぐに見晴らしのよさそうな東屋へ行った。

はるか沖合の海が、眼に痛いほどキラキラしていた。岩礁(鵜島)には、小さな灯台が立っていた。むろん、遠目過ぎてよくは見えない。眼下、右側にも灯台があった。串本大橋の下から突き出ている岩場(苗我島)の上に立っているもので、ま、これは肉眼でも見える。今調べると、前者は<鵜島灯台>、後者は<苗我島灯台>といって、ちゃんとした名前がある。間違っても<名もなき灯台>などと口走ってはいけない。

眼下の灯台はいいとしても、沖合の灯台は、やはり望遠カメラで撮る必要がある。というか、ちょっと撮ってみたくなった。逆光の中、灯台の横を漁船が通りぬけていく。白くて長い波筋が海面に描かれる。開放的で、明るくて、どことなく長閑な、自分にはほとんど縁のない海景だ。それに、岩礁に立つ灯台の形を、この目ではっきり見たかった。

で、車に戻って、望遠カメラを持ち出し、東屋の断崖沿いの柵際で、盛んに撮っていた。しばらくすると、うしろで何やら話し声が聞こえた。ちょっと振り返ると、若い男が二人、東屋のベンチに腰かけて、弁当を食べ始めた。たしか、駐車場の方には、清掃車のような車が止まっていた。邪魔だとばかり、すぐに引き上げるのも、バツが悪いので、柵際を少し右に移動して、眼下の灯台を、ちょうど、彼らにはお尻を向けて撮っていた。

じきに、集中力も切れた。撮影モードが解けて、少し周りのことが見えてきた。<・・・猫が何匹もどこからともなく出てきて 鳴いている (弁当を食べている男たちに)エサをねだっているようだ>。一人の男が、無造作に、箸につまんだおかずを猫の方へ放り投げている。猫たちが、ぱっと、エサに飛びつく。ふ~ん、猫たちはここでエサがもらえると思って、集まって来たわけか。黒シャツのたくましい男は、猫が好きなのかもしれない。

ただ、ちょっと、割り切れないものが残った。野良猫たちに、気の向いた時に、弁当のお裾分けをするのは、さほど咎めるべきことでもない。猫たちも、欲しがっているのだからね。だが、このあと、猫たちは、どうやって生きていくのだろう。野良猫の生き死にまで頓着していられない。けれども、猫好きな自分は、ついそんなことまで考えてしまう。いや、ちらっと思っただけだ。

引き上げよう。車に戻ろうとしたら、駐車場が、なんだか急に騒がしくなっている。熟年の夫婦づれが車から降りてきて、大きな声で会話している。都会風の、多少あか抜けた格好をしている。車も、大衆車ではなかったと思う。 かと思えば、軽トラが入ってきて、小柄な爺の漁師が荷台を整理している。狭い駐車場だから、もういっぱいだよ。

そくそくと駐車場を出た。橋を渡り、潮岬へ向かった。途中、鄙びた漁港の脇を通り過ぎた。岩礁の上に立つ灯台がふと目に入った。これは、あきらかに、さっきの展望スペース(くしもと大橋ポケットパーク)から見た、海の中の灯台だ。あれ~と思いながら、適当なところに車を止め、見に行った。

見る位置取りが90度ちがう。展望スペースから見た位置を基準にすれば、三時の方向だ、つまり、真横から見ているから、同じ灯台だとは思えなかった。それに、すぐ目の前にある。写真としては、入り組んだ岩礁の奥にあり、手前には防波堤や漁船などがある。ちゃんとは見えない。ロケーションが非常に悪い。ま、いいだろう。ムラサキダイコンの花が崩れた岸壁に咲いていた。画面の一番下に入れて、彩を添えた。記念写真だ。

<橋を渡り 潮岬に向かう 潮岬タワー(¥300)にのぼる 強風 しかも寒い 撮影にならず すぐにおりる 受付の若い女性の応対がつっけんどんだ>。付け加えよう。串本大橋から潮岬までは、ほんの十分ほどだったと思う。灯台前の駐車場をやり過ごして、左カーブすると、道路左側に、かなり巨大な<潮岬タワー>が見える。道路際が、広い駐車場になっていて、けっこう車が止まっている。雰囲気的には、昭和の観光地といった感じだが、このタワーは、潮岬灯台を、見下ろせる唯一の場所だろう。

いちおう、望遠カメラと三脚をもって、エレベーターで展望室まで上がった。円形の展望室はガラス張りだった。だが、やはり、ベランダに出ないことには、写真は撮れない。しかしながら、ドアが外側に開かないほどの強風だ。それでも、むろん出たが、今度は風が冷たくて寒い。肝心の、潮岬灯台はと言えば、手前に建物などがあって、構図的には、やや期待外れだった。ただ、天気はよかった。見渡す限りの海。素晴らしい海景であることに間違いはない。

まあ~、こんな状態では、ゆっくり写真も撮れないので、下見程度で、引き上げることにした。まだ、明日一日ある。そうそう<受付の若い女性の応対がつっけんどんだ>というのは、たしか、再入場できるかと聞いた時、やや納得のいきかねる説明をされて断られたからだろう。今となっては、その時の具体的なやり取りは思い出せない。肉付きのいい、世慣れた感じの、男好きするようなタイプの女性だったような気がする。

さてと、タワーの駐車場の端にあったトイレで用を足し、灯台前の駐車場に移動した。<潮岬灯台 駐車場着 ¥300払って 再入場できるか じいさんに聞く 大丈夫だという 歩いて灯台へ向かう 観光客がひっきりなし (ここでも)¥300とられる ただし ここも 敷地がせまく 引きがとれない 写真にならない>。

潮岬灯台は<登れる灯台>ではあるが、この時も、自分は登らなかった。灯台に登らない理由は、以前にも書いた。灯台に登ってしまえば、灯台は撮れないのだ。屁理屈だよな~。いま思うと、灯台に登らないで、狭い敷地の中をちょっと回っただけで、¥300は高い!むろん、灯台に登らないのは、こっちの都合だが。

それと屁理屈ついでに言ってしまおう。そもそも、灯台の入場料を<参観寄付金>というのが解せない。理由はいろいろあるらしいが、イマイチすっきりしない。<寄付金>なら、果たして、払わなくてもいいのだろうか?良くも悪くも、日本人特有の<曖昧>さだ。何事にも白黒をはっきりさせないのは、世界的に見れば、それも一つの見識なのだろう。たが、それにしても<参観寄付金>というのがひっかかる。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#7 四日目(3) 2021年3月23(火)

潮岬灯台撮影2

移動。灯台の敷地を出て、東側の展望スペースの方へ行く。途中、道沿いに、浜に下りる坂がある。舗装されていて、車が通れるようになっている。車で行けないこともないなと思った。だが、レンタカーだったし、浜の状態なども不明だったので、歩いていくしかないだろう。ちなみに、この浜は、潮岬灯台の立っている岬と、展望スペースのある岬に挟まれていて、岩だらけ、砂利だらけの、プライベートな感じのする砂利浜だ。

坂の降り口に<密漁がどうのこうのというような看板があった>。私有地じゃないだろうな、と少し用心しながら坂の真ん中を歩いた。道が、急角度で右に曲がる。正面に、岬の上に立つ潮岬灯台が見えた。パチリと一枚撮った。だが、遠目過ぎる。ここからは、お得意の?撮り歩きだ。数メートル行っては立ち止ってパチリ、多少左右に動いて、右側から突きでている岬と、左側の水平線との並行関係を調整した。

坂を下りきると、左側に係船岸壁がある。細い入り江になっていて、小型船なら、着岸できるだろう。その手前に、乗用車が四、五台止まっている。釣り人の車だろうと直感した。ということは、ここから釣り船に乗って、海に出ているというわけだ。だが、ひとの気配は全くしなかった。

さらに、撮り歩きしながら前進した。砂利浜は、歩きづらかった。多少よろけもした。軽登山靴を履いていたが、一歩進むごとに、石の中に足の力が吸い取られるようだった。いい天気だったので、多少汗ばんだ。と、なぜか、砂利浜の真ん中に、巨大な岩が佇立している。違和感がある。立ち止まって、つくづく見た、と思う。波打ち際には、大きな岩がごろごろしているのに、ようするに、君は取り残されたわけか?

灯台の立っている岬は、もう目の前に迫っていた。これ以上近づくと、画面から海が消えてしまい、岬だけになってしまう。<灯台の見える風景>としては<不可>となる。前進するのをやめた。立ち止まって、改めて、周りを見回した。漁具の残骸などもあった。人間が立ち去ってから、かなりの年月が経っているのだろう。明るくて、静かだった。

それにしても、岬に立つ灯台を、横から撮るという構図は、いささか飽きたし、マンネリだな。百歩譲って、構図はいいとしても、周辺の、たとえば、海とか空とか雲とか夕陽とか、そうした美しい自然事象を、臨機応変に画面に取り込んで、演出するしかないんだろう。波打ち際の岩場へ歩き始めた。大きな岩に砕ける波しぶきを、画面に取り入れようと思ったのだ。

だが、この思いつきの実現は、おもいのほか難しかった。なにしろ、波しぶきを撮るにしても、波しぶきは、浴びないようにしなければならない。カメラを濡らすわけにはいかないのだ。この段階で、すでに腰が引けている。波しぶきがかからないところで、波しぶきを撮っても、臨場感がない。波しぶきのディテールは撮れない。かといって、ズームでよれば、肝心の岬の灯台が、ぼけてしまう。波しぶきが主題ではないのだ。

あとは、位置取りの問題もある。波しぶきは、横から撮るのがベストだろう。だが、それだと、足場の悪い岩場に入り込み、姿勢を低くしなければならない。こうした態勢も年寄りには堪える。良い波しぶきが来るまで、待つのも辛い。ようするに、気力的にも、技術的にも、体力的にも、灯台に波しぶきを絡めて撮るのは無理、なのだ。

ならばと、往生際が悪いじじいだ、でかい岩がごろごろしている、この波打ち際を前景にして、岬に立つ灯台を撮ろう。この目論見は、ま、身体的には楽で、実現可能だった。ただ、当初の、<波しぶき>の発想から比べると、はるかに保守的で、ダイナミックさに欠ける。それでも、多少の工夫はしたわけで、この枠組みの範囲内では、かなり集中して写真を撮ったつもりである。

何事にしても、集中するということはいいことだ。時間を忘れられるし、成果が得られていなくても、ある種の充足感が得られる。この時もそうだった。タバコをやめていなかったら、間違いなく、この瞬間、タバコに火をつけて、海に向かって、煙を吹き出していただろう。ふ~~、酒も飲んでいないのに、自分に酔っている。

<行きはよいよい 帰りはこわい 長い急な坂を一歩一歩ゆっくり登った 息も切れず といっても 登り切った時にはぜいぜいしていた 足が重いということはなかった 運動公園での 軽ジョギングとウォーキングを想った やはり有効だった>。

<駐車場にもどった 2時すぎだった ちょっと考えた ホテルに戻り 仮眠をとる 3時前にホテル着 きれいに掃除してあった 小一時間仮眠 四時過ぎに目がさめ 四時半に(部屋を)出る 狭い通路 エレベーター前に老年夫婦が出てくる 奥さんの方が マスクをしていない と自分の顔を手でおおう 旦那は いったんは車の中にあると言ったものの こっちに向かってマスクしてなくてすいません と声に出した ていねいに言葉をかえす>。

<5時前に(潮岬灯台の)駐車場(につく) じいさんはいない 駐車場は空 風が強く 寒い 冬支度 完全装備で 東側展望スペースへ行く 昨日と同じ場所に三脚を二本立てる 5時すぎ 陽が傾きはじめる 雲ひとつない夕空 水平線に沈む夕陽が見えるはずだ また きのうのバイクの爺がくるのかと思っていると 爺はこない>。

そのうち<老若男女 いろいろな人間が夕陽の落ちるのをながめにきた 6時すぎ 日没後(の) ブルーアワー イマイチな感じ 灯台点灯 きのうよりは 空が赤く染まる さらに (灯台からの)横一文字の光線を撮るためにねばる そのかいあって 撮影成功 7時引きあげ>。

この時の、夜の撮影について、少し付け加えておこう。水平線に、オレンジ色の火の玉が、今、まさに沈まんとするとき、なぜか、その時間を知っていたかのように、おそらくは、付近に泊まっていた観光客が、展望スペースの柵沿いに、何人も並んでいる。その光景を、写真を撮りながら、ちらっと見た。まるで、映画で見たような、UFOの到来を仰ぎ見ている人間たちだ。なるほどね、落日というものは、なぜか人間を引き付ける。妙な納得の仕方をして、撮影に集中しなおした。

灯台の目から放たれる<横一文字の光線>を撮り終え、引き上げる時のことだ。忘れ物はないかと、ヘッドランプで辺りを照らした。ランプの明かりが、意外に暗くて、よく見えん。それに、三脚二本に、カメラが二台だ。荷物が多い上に、冬場の防寒着で、体が膨れ上がっている。何度も、腰をかがめて、忘れ物はないかとたしかめた。爺の習性だ。

それでも安心はできなかったが、これ以上の長居は無用だ。展望スペースから、道路に出るために、階段状の段差を登った。その登り切ったところあたりで、右足だったか、左足だったか、忘れたが、なにしろ、靴の下でぬるっとした。この感触は、何回か経験している。そうだ、嫌な予感が的中した。犬の糞を踏んでしまったのだ。おいおい、勘弁してくれよ!

迂闊だった、とは言えないだろう。なにしろ、真っ暗で、足元は見えない。見えないことはないが、ヘッドランプの明かりだから、はっきりは見えていない。それに、よりによって、人が歩くところに、犬のウンコを見捨てるものなのか!誰だか知らないけど、かなり頭にきたぜ。道路に出て、靴裏を見ようと、片足立ちになった。だが、手一杯の荷物と着ぶくれで、すぐによろけてしまった。

だが、これは確かめなくても、まちがい、犬の糞だ。靴裏を何度も何度も、道路のアスファルトにこすりつけた。それでも、気が済まないので、再び、展望スペースに足を踏み入れ、地面に足裏をこすりつけた。気分が台無しだ。暗い道をそくそくと車に戻って、すぐに靴を脱いだ。よせばいいのに、匂いを嗅いだ。間違いなかった。

さて、そのあとは、ティッシュで、入念に拭きとった。とはいえ、穿いていたのは軽登山靴だ。裏は、不規則な深い溝が刻まれている。その溝の中に、おぞましいものが入り込んで、なかなか拭き取れないのだ。・・・あ~~、もうやめよう。書いているうちに<臭い>がしてきた。

なんの因果か、落日の崇高な光景ではなく、犬の糞を踏んだという与太話になると、すらすらと言葉が出てくる。おそらくは、そう望んでいるにもかかわらず、人間が、芸術的でも文学的でもない。畢竟<崇高>にはできていないんだ。

<7時引き上げ >。たしか昨日の夜も寄ったファミマで、今晩も夕食の弁当を買った。ホテルに着いてからは、おそらく、先に弁当を食べて、そのあとに風呂に入ったのだろう。なにしろ、朝から、ほぼ飲まず食わずだ。腹が空いていたはずだ。そしてメモ書きの最後には<9時日誌 10時消燈>とある。小一時間も日誌を書いたわけだ。だが、最後の方は疲れてしまい、かなりいい加減になっている。そのことが、あからさまに、文章や筆跡にあらわれていた。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#8 五日目(1) 2021年3月24(水)

潮岬灯台撮影3

紀伊半島旅、五日目の朝も、串本町の駅前ビジネスホテルで目が覚めた。

<2021年3月24日水曜日 晴れ 雲が多い 照ったり陰ったり あたたかい 7時に起きる 比較的よく眠れる 朝の支度 朝食・食パン、牛乳 排便・でない 昼頃 出先で少し出て すっきりする>。この日は、何時ころホテルを出たのか、記述されていない。だが、ファミマで朝のコーヒーを買い、スタンドで給油し、そのあと、はじめに<潮岬タワー>へ行ったようだ。この日の撮影画像を確認すると、九時ちょっとすぎに、タワーから潮岬灯台を撮った写真があった。

<昨日とはちがった受付の女性(だった) 再入場できるかと聞くと 申し訳なさそうに ダメだという 雲が多く ダメもとで登る 風がないので寒くはない タワーの最上階 屋上みたいなところに登って撮る 400ミリ(望遠)を三脚にセット ポジションとしては 水平線と灯台の垂直を考えると ほぼ一か所しかない 何度も迷いながら 確定する (ま、)ベターな場所だから あとはズームでアングルを変えるだけ 照ったりかげったり 多少イライラしながら 陽のさす瞬間を待つ>。

思い違いなのか?いやそうではない。タワーへの再入場ができないのは、昨日聞いてわかっていたのだ。だから、冷やかしはんぶんで、聞いたのだろう。いや、今日の女性は、どう反応するのか、見たかったのかもしれない。たしか、昨日の女性よりは愛想のいい、かわいい娘だったような気がする。

あとは<そうだ タワーの駐車場のトイレで用便をすませた 外観はやや古びていたものの きれいにそうじしてあった 温水便座 多少の抵抗>。少し説明しよう。最近は、観光地の公衆トイレでも、温水便座によくお目にかかる。<痔>持ちの身にとってはありがたいことだ。だが、便座にじかに腰掛けることに、やや抵抗を感じている。

もっともこれは、温水便座に限らず、洋式トイレでも同じだろう、とおっしゃるのかな?それが、若干違う。温水便座の場合、当たり前のことだが、便座が温かい。この暖かさが、曲者だ。誰だか知らないが、不特定多数の人間が座っていた、ということを、この、ほど良い暖かさは、思い起こさせてくれる。人間の肌のぬくもりだ。そんなことは、正直なところ思い出したくない。便座が冷たくて、ひえ~~としながら、さっと用をすませば、いらんことを思い出さなくても済むのだ。痛しかゆしとはこのことだろう。

次に進もう。<潮岬駐車場 今朝は昨日の爺さんとは別の爺さん(だった) 歩いて(東側)展望スペースへ 犬のクソを踏んだ場所をたしかめる 昼間なら見えたが 夜だったので不覚をとった それにしても 飼い主の不始末に腹がたつ 柵際を位置移動しながら、撮り歩く>。

そのあと<犬のウンコを横目で見ながら、浜へ下りる 道端(坂の途中)にいろいろな花が咲いている 名前の知らない花 見たことはあるが名前の知らない花 ムラサキカタバミ カタバミ 西洋タンポポが目立つ 桜も満開 ただし 色の白い桜が多い><浜には7~8台 車が止まっている 漁船もない 無人 これさいわいと 小さな船溜まりと 岩場の間にある防潮堤の上に登り すこし(海)の方へ歩く はば70センチほど 昨日は強風で歩くのが はばかられた>。

<岬の上の灯台と 波しぶきがあがる岩場が視界に入る 新しいポジションだ うしろから船が来る 振り向きもせず 防潮堤を歩いて岩場へ行く 何か言われやしないかと思った がやがやするので振り返ると 釣り人らしき装備の男たちが 6~7名 船からおりて めいめいの車へ向かっていく なるほど 釣り船だったんだ 非合法の禁漁区と(立て看板に書いて)あったような気がする(が)>。

<そのあと 岩場でゆっくり写真を撮る 波の音がいい ・・・ 岩場の水たまりに 10センチくらいの黒い魚が 取り残されていた 死んでいるようだった。灯台の上には ひっきりなしに人影 今回も灯台に登らなかった 疲労(と) 密になるのが嫌(だった) 三百円払ったのに>。

潮岬灯台の撮影ポイント三か所、すなわち、潮岬タワー、東側展望スペース、東側の岩場で律儀に撮って、樫野埼灯台へ向かった。どのポイントも二回目なので、さほど心は動かなかった。

<移動 樫野埼へ向かう (その前に)海金剛(へ寄る) (遠目から樫野埼灯台を狙う) 三脚を立てる 元気が少し回復 すばらしい海景 (まさに筆舌に尽くしがたい!うまい言い訳の言葉を知っているではないか) 灯台はかなり小さい しずか 途中 ひとりだけ ボウズ頭の 白髪 魚屋のような男がきた 防寒靴をはいていたから バイク野郎かも(しれない) すぐにいなくなったか(と思ったら) うしろの東屋のベンチで ひざをたてて ひっくり返っていた もう一人は 小柄な女性 ちょっとこちらに会釈して 海をスマホでとって すぐにいなくなった ここでも少し粘る>。

海金剛から樫野埼灯台が見える場所は、前にもちょっと触れたが、椿小道の途中にある、ひと二人しか?立てない極小展望スペースと、行き止まりの展望スペースの海沿い柵際、七、八メートルしかない。したがって、この日は、まず極小スペースで撮って、そのあと、海沿いの柵際で粘ったというわけだ。したがって、ボウズ頭も小柄な女性も、海沿いの柵際で粘っていた時に見たのだろう。極小スペースの方は、小道から海側に突き出した場所だから、振り返らない限り、人の姿は見えない。ま、うしろで人の気配がすれば、振り向きもしようが、撮影に集中していたのだろうから、気づいたとしても無視したと思う。

撮影を終え、展望スペースから下りて、椿の小道を戻った。<日米修好館の前に また この(小柄な)女性がいた こちらに気づいて ちょっと会釈して 館にはいって行った なるほど 学芸員なのかもしれない 知的な感じだった 駐車場には おそらくは 彼女のうす緑の軽と 自分の(車)だけだった と 原チャリに乗ったじじいが なにしにきたのか 海を見にきたのか(小道の入り口で) 夏ミカン?がなっているのを発見し その辺りを動き回っている>。

少し付け加えよう。おそらくは、小一時間、はるか彼方に見える樫野埼灯台を、望遠カメラなどで撮って、駐車場に戻ってきたのだろう。失われたというか、忘却の彼方にあった、記憶が少し蘇ってきた。駐車場の海沿いの柵際に、無人販売用の、小さな、崩れかかった台が置いてあった。前の日だと思うが、気まぐれに、近寄って、覗いてみた。こぶし大の、ごつごつした夏ミカンのようなものが、幾つか置いてあった。こんなものを、こんなところで買う人間がいるのだろうか?と思ったような気がする。

比較的きれいな公衆トイレで用を足し、さてと、出発しようとしたとき、駐車場の出入り口の方から、乳母車を押した、腰の曲がった老婆が、やってきた。一直線に、無人販売の台へ向かっている。あの婆さんが、庭木にでもなっている、ごつごつの夏ミカンを、乳母車に載せて、持ってきているのだろう。婆さんは、台の辺りで、ちょっと間、何かごそごそしていた。そしてまた、ゆっくり戻って行った。

きっと、この日課が、彼女の生きがいなのだろう。最果ての岬無人販売用の崩れかかった台、色の褪めた乳母車、ごつごつした、見るからにすっぱそうな夏ミカン、もうこれだけで十分だった。感傷の波しぶきを避けるようにして、<海金剛>の駐車場を後にした。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#9 五日目(2) 2021年3月24(水)

樫野埼灯台撮影2

橋杭岩観光

 紀伊半島旅、五日目の午後は、樫野埼灯台を、ダメ元でもう一度撮りに行き、ホテルに戻る前に、<橋杭岩>を観光した。

樫野埼灯台-2回目 照ったり陰ったり 灯台に上る人が多い (撮影ポイントで)何枚も撮る 昨日よりは 空に変化があるのでよい それに (灯台に)陽のあたる感じも やはり 午後のほうがよい (敷地内に一か所、冬枯れた花壇のようなところがあった) その中に分け入って 写真を撮った形跡がある 自分も踏みこんで 撮った なにしろ引きが取れない場所なのだ>。しかしながら、これはよくないことだ。気が引けていたから、腰も引けている。当然、写真もモノにはならなかった。

あとは、敷地から出て、灯台の周りを、塀沿いにぐるっと一周しながら、撮り歩きした。昨日と同じだ。ただ今日は、海側の、断崖の<柵際に、カゴ付きの原チャリ(があった) 無人 下に降りてなにかとっているのかもしれない>。柵から身を乗り出して、下をのぞいてみた。樹木が生い茂り、険しい断崖だ。とうてい人が上り下りできる場所じゃない。と、そばの比較的太い木に、ロープが巻いてあって、下に垂れ下がっている。なるほど、これで、上り下りしているのか。そうまでして、いったい何が採れるのだろう。ま、深くは考えずに、その場を後にした。

灯台の正面に戻って来た。たしか、もう一度<樫野埼灯台>と書かれた、門柱左側にかかっている、立派な表札を眺めた。そして、これが今生の見納めと思ったのだろうか、今一度、灯台の敷地に入った。すでに、写真は撮り終えている。まともな写真が一枚も撮れていないことを、ほぼ確信していた。立ち去り難い気分になったのは、多少の未練も影響していたようだ。

戻り道。<トルコの土産物店(の前)を通る際 なんとなくバツが悪い 主人がでてきて 声でもかけられたらどうしよう 明日来るって言ったでしょ!>。さいわいにも、店の前はひっそりしていて、主人が通りの様子を窺がっているわけでもなかった。いい加減なことを言って、かえってヤブ蛇になることがよくある、と思った。広い通路の真ん中を歩いた。満開の白い桜をチラッと見た。心が軽く、楽しい気分だった。

樫野埼灯台の駐車場を後にした。岬を下り終えたところ、串本大橋のたもとの駐車場は、車がいっぱいだった。<だが無人 密漁か?>寄り道するつもりだったので、肩すかしを食わされた感じだ。そのまま橋を渡って、右折して串本駅の方へ向かった。潮岬灯台の夕景は、すでに二回撮っているので、今日は行かない。そのかわり、ホテルの部屋から見えた、白い防波堤灯台を見に行くことにした。

いちおう、ナビに、その辺りの地点を指示したので、近くまでは行けた。低い防潮堤沿いの道だ。近くに車を止めるスペースはない。路駐した。防潮堤際まで行って、何枚か撮った。ホテルの部屋から見た時は、そこはかとない哀愁を感じた。だが、近くで見ると、なんということはなかった。ただ、湾の出口、海の奥に 串本大橋の全景が見えた。自分がいまさっき通った橋だ。<この橋は 一連アーチの銀色 なんか好きだな>。

執着せずに、移動。<橋杭岩に行く 奇岩が連なる 天然記念物>だ。おとといの日、串本町に入った時、道沿いに大きな駐車場があり、変な形の岩が、海の中にずらっと並んでいるのを、ちらっと見た。時間があれば、寄ってみようと思った。樫野埼灯台はダメだったが、潮岬灯台の方は、まずまずの写真が撮れたような気がしていた。多少なりとも、気分が楽になっていたわけで、観光する余裕ができたようだ。案内板には<串本から大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。吉野熊野国立公園地域にあり、国の天然記念物に指定されています。>とあった。

たしかに、面白い光景であることに間違いはない。スケベ心が出て、モノにしてやろうと写真を撮り始めた。だがなかなか難しい。照ったり陰ったりの天気で、奇岩たちに明かりが当たらない。それに、駐車場の柵際から撮っている限り、海の中に並んでいる奇岩たちとは平行関係にならない。いわば<ねじれの関係>だ。構図的にどうもよろしくない。

駐車場の右端の方へ移動した。係船岸壁が、海に突き出ているので、多少は、奇岩たちとの平行関係がつくれそうだ。でも、それでも不十分だった。浅瀬の岩場の浜だから、下に下りることもできる。位置取りとしては、奇岩たちに近づける。だが、自分と奇岩たちの布置そのものは変わらない。ま、ここで、写真を撮るのをあきらめた。

ただ、奇岩たちの岩肌の質感くらいは、写真におさめたいと思い、陽が当たる瞬間を待った。午後おそくのオレンジ色っぽい西日が、かっと、奇岩たちにきた。何枚か夢中で撮った。だが、モニターすると、結果は最悪で、奇岩たちは、変な感じに赤っ茶けて並んでいた。これなら、まだ、陽のあたらない写真の方がましだ。あ~あ、引き上げよう。

駐車場の柵沿いに歩いて、車に戻りかけた。と、ふと思って、売店のある建物の方へそのまま進んだ。お決まりの<マーキング>だ。売店の中をチラッと覗いて、トイレに入った。きれいに掃除してあった。そういえば、売店の床を掃除している人もいたし、柵沿いの花壇をきれいにしている人もいた。就業時間の終わりに、みなして掃除をするのが、ここの決まりなのか。

いいや、そうじゃないだろう。働いている人が、都会のコンビニの従業員のような不機嫌な顔じゃなかった。おそらく、みなして、この観光資源と施設を大切にしているのだろう。<橋杭岩>、素晴らしい自然の景観だったし、気持ちよく観光できたな、と思った。

ホテルへ帰ろう。来た道を戻った。夕食の調達だが、たしか、駅前の道沿いに<ぎょうざの王将>があったはずだ。寄ってみようかと、左側を注意してみていると、店は休店しているようだった。少しがっかりだ。コンビニ弁当ばかりで飽きていたのだ。でもしょうがない、ファマミマによって食料を調達、4時半にホテルに着いた。

ホテルの受付には、老年の女性が座っていた。毎日、受付の人が変わっている。これで三人目だ。みなパートのおばさんなのだろう。<風呂 頭を洗う 相撲を見ながら弁当 鳥唐チャーハン そのうち 隣から 鼻歌が聞こえる 若い奴が一人で歌ってるようだ>。<18時 昼寝 21時に起きる お菓子類を食べる 日誌をつける 22:45分 再度寝る 花粉症がひどい 鼻づまり!!!>。

若い奴の鼻歌、まったく記憶にございません!メモ書きに書いてあるのだから、たしかに聞いたのだろう。それよりも、この時は、遅い昼寝の前に、窓を開けて、外の景色を撮った。泊まっていた部屋が、四階?だったので眺めがよかった。建物の屋根越しに港が見えた。防波堤灯台があり、串本大橋まで見通せた。そこに、おりしも、夕陽が差してきた。本州最南端の港町がオレンジ色に染まった。窓から身を乗り出して、視界に入る風景すべてを写真におさめた。左端に、樫野埼灯台が、小さく見えたのも予想外で、なぜか、うれしくなった。

旅が半分終わった。体力的には、全然問題はなく、明日は200キロ北上して、伊勢志摩の灯台を撮りに行く。多少の感傷と多少の気合いが入り混じった、ほど良い心持だった。窓を閉めるとき、眼下のビルの駐車場が目に入った。車が四、五台止まっていた。ホテルの隣は、さびれたパチンコ屋だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#10 六日目(1) 2021年3月25(木)

移動

大王埼灯台撮影1

紀伊半島の旅も、折り返しに入り、半島の先端部から、反時計回りに東側の海沿いを200キロほど北上して、三重県伊勢志摩地方に入った。

<2021年3月25日 木曜日 朝から雨 夕方にやむ 6時半起床 7:30分出発 小雨 (国道を)那智勝浦 新宮 熊野と走って 尾鷲から高速 といっても 途中(で) ほぼ高速っぽい 有料道路を乗り継ぐ 今日はなぜか¥300取られなかった 平日だから係員をおかないのか?途中で何度も休憩 紀北PAではおみやげを買う 那智の黒あめ ¥1000 (高速道路を)伊勢西で降りてからが長かった 疲労を感じる とくに峠越えが疲れた そのあと なかなか大王埼灯台に着かない 着いたのは 12:00時 ほぼ4時間30分!>。

和歌山県串本駅近くのビジネスホテルには三泊した。このホテルの駐車場は、二か所あり、一か所は、ホテルの向かい側、住居を壊した後の更地だ。五、六台は止められるだろう。もう一か所は、歩いてすぐの、駅前ロータリーに隣接している、ちゃんとした?駐車場だ。十五、六台は止められるだろう。

できれば、車はホテルに近い、向かい側に止めたい。誰しもがそう思っているから、潮岬灯台の夕景を撮った日は、二日とも帰りが遅くなったので、駐車場はすでいっぱいだった。で、駅前ロータリーの方に止めた。ま、たいした距離ではないので、ぼやくほどのことでもないが。

もっとも、昨日は、夕方の五時前にホテルに着到したから、近い方の駐車場に止められた。二列縦列の駐車場だから、奥に入れては、朝出られないこともある。ので、すぐに出られるようにと、手前にとめた。当然、後ろが空いているわけで、変な止め方だ。あとから来た人が、自分の車が邪魔になって、駐車しにくいのが、車から降りた時、まざまざとわかった。ちょっと考えたものの、シカとした。不都合があれは、部屋に連絡してくるだろう。初日の日に、車のナンバーは教えたのだ。

そのあと、その日の夜の、向かい側の駐車場の状態が、どうなっているのか、<あっしには かかわりないことで ござんす>。まったく、気にもしなかった。朝になった。昨晩受付に居た、老年女性の、ビジネスライクな<ありがとうございました>の声を背にうけ、ホテルを出た。はす向かいの駐車場を見た。止まっているのは、自分の車だけだった。いや、あと、一、二台、止まっていたかもしれないが、とにかく駐車場はスカスカだった。些細なことに、気を回した自分がアホに思えた。

さてと、出発だ。小雨だったとメモ書きにはあるが、まったく覚えていない。記憶が蘇ってくるのは、高速道路の乗り口を間違えないようにと、熊野の市街地を過ぎたあたりからだ。あの時は、雨はやんでいたように思う。そして、無事に高速に乗ってからは、運転も楽になり、一息つけた感じだった。

小一時間、走ったのだろうか、伊勢西で高速を降りた。このまま一般道を南下すれば、目的地の大王埼灯台だ。途中、伊勢神宮の横を通った。道沿いには、<赤福>の立派な店舗が見えた。寄ってみたい気もしたが、寄るとしても、帰りだな。帰りもこの道を通るわけだしと思った。ちなみに、帰りは帰りで、三重県から一気に帰宅すること、高速を500キロ走破することで、頭がいっぱいで、伊勢神宮赤福も素通りしてしまった。

赤福>を通り過ぎて、先が見えたと思ったとたん、気が緩んだのか、このあとの峠越えがきつかった。道が狭いうえに急カーブだ。それに、旅疲れ、運転疲れも重なっていたのだろう。かなりの緊張を強いられた。とはいえ、時間的には、そう長くはなかった。じきに、下りになり、視界が開けてきた。両脇に民家が立ち並んでいる。どこかで見たような光景だ。下調べで、グーグルマップで見た坂道だった。

さらに行くと小さな漁港が見えてきた。突き当りを右に曲がると、灯台に一番近い有料駐車場がある。ガラガラだ。料金所はなく、カネはどこで払うのかと思っていると、正面の小屋から<爺さんが顔を出す 愛想がいい>。駐車料金300円を払って、灯台撮影に出発。曇りだったが、条件反射的に、重いカメラバックを背負った。前を見た。少し上り坂になっている。車が通れる道で、両脇には、土産物屋や旅館などが立ち並んでいた。

だが道は、すぐに高い防潮堤にぶつかって行き止まり。たしか、休憩用の小さな東屋があった。右手は、防潮堤沿いに海が広がっている。左手は、片側に<真珠屋がならぶ>急な小道で、少し上ると、右側に、細い分かれ道があり、展望スペースに続いていた。ここが、大王埼灯台の、おそらくはベストポイントだ。ネットにあがっている写真は、ほとんどが、ここから、岬に立っている灯台を横から撮ったものだ。

展望スペースは、正式には<八幡さん公園>という名称だ。東屋があり、比較的きれいなトイレあり、しっかりした柵で囲われている。ベンチもあり、断崖に立つ、大王埼灯台が見える。あと、なぜか<絵描きの銅像>が、狭い公園の真ん中に設置されている。あとで知ったことだが、大王町は、昔から絵描きの町として有名だったらしい。なにしろ、ここからの景色は、絶景と言って間違いない。

おもくるしい、憂鬱な曇り空だった。だが、明日からは晴れの予報が出ている。だから今日は下見だ。柵沿いに撮り歩きながら、岬に立つ灯台のベストポジションを探していた。と、おそらくは父親と息子だろう、高校生っぽい息子が、ドローンを飛ばしている。そのうち、ぽつぽつ、雨粒が落ちてきたような気もする。

下見を終えて、東屋のベンチに置いた、カメラバックを取りに行くと、ドローン父子もそこにいた。なんとなく、目が合って、会釈しあうことになってしまった。そのあと、二、三言、世間話をした。父親が言うには、この場所は、ドローン撮影ができることを市役所で確認済みだという。なるほど、写真を撮っていた人間に対しての、配慮というか、言い訳だな。

普通?の観光客にとって、景観の前で、三脚を立てて写真を撮っている輩は、目障りだろう。一方、写真を撮っている者にとっては、頭の上でドローンが飛び回っているのは、目障りであると同時に、身の危険を感じる。ドローン父子は、その辺の事をわきまえていたのだろう。以前の話だが、知多半島の先端で写真を撮っていた時、狭い展望スペースの真上で、これ見よがしにドローンを飛ばしていた、生意気そうな、若造の歯科医とは、おお違いだと思った。

<八幡さん公園>をあとにして、急な小道をさらに登ると、<灯台がある (敷地)入口の手前が(ちょっとした広場になっていて)開けている こぎれいなトイレなどもある 引きがなく まわりに建物もあり 写真にならない (これは)織り込み済みだ 灯台の敷地には入らない そのまま 急な階段を下りる>。

ここですこし、灯台へと至る急な小道について書き足しておこう。海側は断崖絶壁なので、小道をはさんで、陸側?だけに建物が並んでいる。ほとんどが真珠の土産物屋だ。だが、八割がたシャッターが閉まっていて、開いているお店も、昭和の匂いがする。ま、ほぼ崩れかかっているといってもいい。それでも一、二軒は、きれいに改築している店もあった。高級な真珠を販売しているようで、店の体裁を整える必要があったのだろう。

団体旅行が盛んだった、おそらく昭和四十年以降、ここにも、観光バスで、多くの観光客が訪れたのだろう。なにしろ、伊勢志摩というのは、日本人なら誰もが知る観光地で、とくに、英虞湾の養殖真珠と海女は有名だった。灯台などはどうでもよくて、女性たちは、旅先の開放感からか、お土産に、高価な真珠のブローチやネックスレスを買い求めていったのだろう。狭い小道に、人々の陽気な笑い声があふれかえる。真珠も飛ぶように売れたにちがいない。それも、今は昔。痕跡だけを残して、時代は21世紀になってしまった。

たとえば、自分が女性だったなら、安物の真珠のイヤリングくらいは、お土産に買ったかもしれない。いいや、今思えば、男、女に関係なく、記念に、きれいな真珠の一玉くらい、買ってもよかった筈だ。身に沁み込んだ、ケチくさい、貧乏人根性が、いまだに抜けていない。ま、それでいいのだ。真珠のタイピンをして出かける場所など、思い浮かばない。

話を進めよう。大王埼灯台の、敷地の門柱の前に立ち止まって、塀の間から灯台を見上げた。空が、たしか、鉛色だった。そのあと、広場のこぎれいなトイレに入った。観光地では、尿意など感じなくても、ほぼ条件反射的に、公衆トイレに入ってしまう。人間も<マーキング>をするわけで、ワンちゃんとの違いは、電柱とか、塀とか、植え込みとかをクンクンして、片足をあげたりしないことだ。

灯台を背にして、急な階段を降り始めた。ほぼ一直線で、かなりの長いぞ。下りは楽だが、上りは大変だなと思った。要するに、灯台の立っている岬を断崖沿いに下っているのだ。もっとも、海側には、高い防潮堤があり、安全は確保されている。誇張なく、ここからの景色は絶景だ。だが、この日は曇り空で、そうした感動はなく、階段を踏み外さないように、一段一段、ゆっくり下りた。

階段を下りきったあたりに、崩れかけた旅館が防潮堤沿いの道に建っている。その奥は平地になっていて、民家が見える。平場になった防潮堤には、一か所、階段がついていて浜に下りられる。いわゆる砂利浜で、えらく歩きづらかった。見上げると、おなじみの構図だ。手前は、少し弧を描いた浜で、右手からは岬が突き出して来る。断崖絶壁の岬に灯台の白い胴体が見え、左手は海、水平線が見えた。

今日はあくまでも下見だ。砂利浜からのベストポジションを、軽く確かめただけで、長居はせず、防潮堤沿いの道に戻った。さてと、回りを見回すと、小さな東屋があり、さらに行くと、道沿い左手に、ほとんど廃屋に近い二階建てがある。朽ち果てた看板には<旅館>の文字が読み取れる。その横には、りっぱな石の鳥居があった。

防潮堤沿いの道は、ここで行き止まり。振り返ると、岬の上に灯台が見える。かなり小さい。だが、まあ、ここも、撮影ポイントだろう。改めて、今歩いてきた道を眼で追った。断崖沿いの急な階段が、かなり長い。戻るには、あれを登るしかない。うんざりだ。できれば、登りたくない。一方、鳥居の中にも、いきなりの急な石段だ。上に神社があるのだろう。行くも戻るも、急な階段、か。瞬時に判断した。断崖の階段よりは、鳥居の階段の方が短い。

鳥居をくぐった。上を見上げた。大した段数じゃない。登り始めた。半分くらいで息が切れた。思いのほか傾斜がきつい。重いカメラバックを背負っているんだ。一息入れた。少しハアハアしている。気持ちを取り直し、さらにゆっくり階段を上った。

展望はない。だが、登りきったところには、なんというか、静寂が支配していた。人の姿は見えないが、人間の気配を感じた。左側に社務所があり、突き当りが、塀に囲まれた立派な神社だった。境内には入らず、塀に沿って、右へ行く。ちらっと見て、左は行き止まりだと判断したのだ。比較的広い、踏み固められた土の道だった。椿の花が、どっさり落ちていた。

うっそうとした林の中を少し行くと、右手に鉄の門があった。なんでこんなところにと思って、歩み寄ると、門の向こうには、多少起伏のある緑の平地が広がっていた。ぽつんと、白壁の、なにかの施設のような建物が立っている。<大王埼無線方位信号所>と門柱にあった。鉄門の格子の間にカメラのレンズを入れ、中の風景を一枚だけ撮った。

土の道に戻り、さらに進むと、いきなり視界が開ける。ちょっとした広場公園になっている。入口脇に、お決まりかのように、外からでも臭ってきそうな公衆便所があり、広場の中には朽ち果てた木のベンチが間隔を置いて、幾つかあった。断崖際には柵があり、眼下に、不自然ほど海の中にせり出した防波堤が見えた。がっちりと波消しブロックに守られている。いやむしろ、覆われているといってもいいが、その先端に灯台が立っていた。曇り空で、写真を撮ってもしょうがない。わかってはいたが、カメラバックを下ろして、カメラを向けた。海という大自然の中では、人間の作った膨大な工作物も、やけにちっぽけに感じられるものだ。

柵際で、この光景を、しつこく撮っていると、うしろで声がした。振り向くと、家族連れの観光客だった。中学生の男の子と中年の夫婦だったと思う。たしか、自分とは少し離れた柵際まで来て、そのあとは、海をちらっと見て、なにか話しながら、行ってしまった。また、静寂が戻った。柵際を左手に少し移動して、今度は眼下の漁港を眺めた。係船岸壁に灯台が立っていたので、何枚か写真に撮った。距離があるので、望遠でも撮った。ファインダーの中で人間がうごめいている。まさに、神の目で下界の人間を見ている感じだった。

ここでも、さほどの長居はせず、広場公園を立ち去ろうとした。と、林の中から、声が聞こえてきて、先ほどの家族連れが現れた。意外だった。というのも、てっきり引き返したものと思っていたからだ。来た道を戻るつもりだったが、気が変わった。汚い公衆便所で用を足して、家族連れが現れた方へ歩き出した。見通しのない、薄暗い岬の下り坂だった。

頭の中で、この周辺の地形を思い出そうとした。つまりはこうだ。大王埼灯台の立っている岬に、まず登って、そのあと、海沿いに移動して、神社の立っている隣の岬に登ったわけだ。そして、おそらくは、このまま下っていけば、漁港に出るはずだ。有料駐車場は漁港の右端にあったのだから、要するに、左回りに、二つの岬を上り下りしたことになる。ぐるっと一周したわけだ。

岬のうす暗い坂道を下りながら、さっき砂利浜から見上げた、大王埼灯台へと至る急な階段道を想った。戻らなくて正解だった。だが、伏兵というのは、どこに隠れているのかわからない。坂道が終わって、目の前に海が見えてからが長かった。かなりの距離を歩かされた。というのは、下りてきたところは、神社の立っている岬のほぼ先端部で、岬の根本にある漁港までは、その縁をずっと歩かなければならなかったのだ。下りたところが漁港だと思っていた分、落胆?は大きい。とはいえ、これは否応がない。遠かろうが近かろうが、自分の車までは、歩かねばならないのだ。

先程、<神の目>で眺めた漁港が見えてきた。カメラバックが、ずっしりと重い。それでも、首にかけているカメラで、雑駁な、というか、わびしい漁港の風景を歩きながら撮った。ま、これは、趣味の写真で、人に見せるつもりはない。さらに、岬の縁を回り込むと、前方に、車を止めた駐車場などが見えた。下界に下りてきた感じがした。

右手の入り江には、小型漁船が、何隻も停泊していた。近くで見ると、わりと大きい。左手は、切り立つような岬だ。たらたら歩いていくと、大きな石の鳥居が見えてきた。通りすがりに、腰をかがめて、鳥居の中を覗いた。と、一見して登りたくないような、極端に急で長い石段が、岬のどてっぱらに、梯子のようにかかっていた。

なるほどね。おそらく、海岸の石段から神社に登ったた場合、塀に沿って左に行けば、この階段に到達するわけだ。さきほどの判断は、間違いだったわけで、右に行った俺は、かなりの遠回りだ。灯台撮影の下見のついで、とはいえ、重いカメラバックを背負って、無駄な体力を使ったような気もした。ま、いいだろう。これまでも無駄なことばかりしてきたのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#11 六日目(2) 2021年3月25(木)

安乗埼灯台撮影1

紀伊半島旅の六日目の午後は、昼頃、大王埼灯台から安乗埼灯台へと移動した。

<移動 安乗埼(あのりさき)灯台へ向かう 30分ほど(かかる) けっこうある 最後は 防潮堤の上を走り 狭い道をうねうね行った (その)つきあたりに広い駐車場=これも了解済み 小雨の中 下見 芝生広場 柵沿いに東屋 こじゃれた建物 芋スイート店 有名なのか 中にけっこう人がいる 車(に戻る) 腹がへり 菓子パンをむさぼり食う>。

このメモ書きを書いたのは、むろんこの日の夜である。かなりいい加減になっている。少し書き足しておこう。

ナビを安乗埼灯台にセットして、大王崎を後にした。そのあと、どこをどう走ったのか、よく思い出せない。イメージが出てくるのは、海岸沿いの比較的広い道だ。右手に防潮堤があって、砂浜は見えない。道路沿いに駐車スペースがあったので、車を寄せる。外に出ると左手に岬が見えた。岬のどてっぱらに道があり、両側に民家が並んでいる。あの坂を登った先に、灯台があるのだろうと思った。灰色の空だ。海を見ることはせず、すぐにまた車を走らせた。

海岸沿いの道から、ナビの指示に従い、右方向へとハンドルを切り、防潮堤沿いの道に上がった。かなり狭い。さらにその先には、短い橋のようなものがあり、対面通行はできない。橋の前でスピードを落として通過。要するに、これで、安乗埼灯台のある岬に渡ったということなのだろう。

一気に坂を登る。ほぼ登りあがったあたりからは、さらに道が狭くなり、両脇民家の、くねくね道だ。退避する場所もないし、向うから車が来たらどうするんだ。ひやひやしながら走っていると、案の定、目の前に車が現れた。このままいけば、正面衝突だ。あわててブレーキを踏んだ。多少広くなった所があったので、車を端に寄せると、何とかすれ違いができた。

こんな狭い道の先に灯台の駐車場があるのだろうか?それがあるのだ。事前にグーグルマップで検索、了解済みだった。目の前に、こんもりした駐車場が見えた。松の木などが周りに生えている、かなり広い。しかも無料なのだ。平日にもかかわらず、車がけっこう止まっていた。どこに止めようかな?と思いながら、入っていくと、正面突き当りに建物が見えた。

実を言うと、この後の、安乗埼灯台の下見については、ほとんど何も思い出せない。だが、時間軸にそった撮影画像のラッシュがある。それらの画像を参考にしながら、この日の下見を再構成してみる。

軽い方のカメラだけ持って、建物の裏手に回った。がけっぷちに柵がしてある。その並んだ柵の先に、灯台が、ちょこっと見えた。柵を乗り越えて、がけっぷちに踏みこめば、もう少し灯台がよく見えるだろう。だが、やめた。というのも、建物はレストランのようで、今自分の居る場所は、その窓際の席から丸見えなのだ。人目を気にしたわけだ。それに、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。写真にならない。危険を冒してまで踏み込む場所じゃない。そもそもが、今日は下見だろう。

それよりも、柵の向こうの海の中に、陸地側から海側へと、不自然なほどに突き出した防波堤が見えた。その先端には灯台が立っている。さきほど、大王崎の神社の岬で見たのと同じような仕様で、防波堤は、波消しブロックでがっちり覆われている。曇り空ということもある。なんとなく物悲しい、寒々とした、すっからかんな風景だ。カメラを向けた。

対岸は、入り組んだ地形になっていた。こんもりした岬が折り重なっている。おそらく、懐の深い入り江になっているのだろう。したがって、今見えている、防波堤灯台は、漁港(安乗漁港)に入る船のためのものだ。となれば、対岸にはペアの赤い防波堤灯台がある筈だ。

目を細めて探す。たしかにあるが、遠すぎてよく見えない。横着して、望遠カメラを持ってこなかったことを少し悔いた。いや、800ミリ望遠が利くデジカメを、ポーチにくっつけて、いつも携帯しているのだから、それで見たのかもしれない。ただ画面が小さいから、なおさらよく見えなかったのだろう。まあ、いい、とにかく、明日は望遠カメラも持ってこようと思った。

下見を続けよう。灯台を目指して、柵沿いに歩き始めた。灯台は、岬の先端部に位置している。途中、左側に花壇のような場所があり、何かの記念碑が立っていた。灯台の入口の前にも小さな花壇があり、八重桜が満開だった。曇り空だから、色合い的には、イマイチだが、濃い紅色に心が和んだ。向き直ると、敷地の門柱の前に小さなプレハブがある。なるほど、受付だな。入場料=参観料を払うのだろう。むろん、この日は、灯台に登る気も、敷地の中に入る気もなかったので、素通りした。

灯台に背を向けて、さらに柵際を歩いていくと、東屋があった。ちょうど断崖際に立っていて、左手の展望がいい。海だ。むろん灯台も見える。おそらく、ここからのアングルが、安乗埼灯台のベストポイントだろう。ただ、先ほど<八幡さん公園>から見た大王埼灯台の景観と、酷似している。おそらく、灯台手前の断崖の補強された法面が、ほぼ同じ位置にあることが、その主なる理由だろう。

もっとも、この二つの灯台とかぎらず、岬に立つ灯台を横から見た場合、岬が右からせり出しているか、それとも左なのか、の違いがある程度で、それほど大きな違いはない。と、最近では思っている。とはいえ、灯台そのものの形は、唯一無二のもので、安乗埼灯台と大王埼灯台に関して言えば、前者は四角柱、後者は円筒型だ。まあ、自分にとって、灯台巡りの旅の楽しさは<灯台のある風景>を見つけることが、第一義的ではあるが、灯台の歴史を知り、その造形の美しさを堪能することも、楽しみの一つではある。そういった意味では、安乗埼灯台の造形は、なんか面白い感じがして、確実に記憶に残りそうだ。

芝生広場を突っ切りながら、横目でちらっと灯台を見て、そんなことを思ったのかもしれない。いや、これはウソだろう。おそらく、この時思ったことは、芝生広場からは、写真にならない、ということだ。つまり、樹木が邪魔で、灯台の上半分くらいしか見えない。それに遠目過ぎる。雨がぽつぽつ落ちてきた。引き上げよう。

<3時 (安乗漁)港の防波堤灯台に寄るつもりが 道をまちがえる 行き着けない めんどうなので 明日にして帰路 ナビどおりに走っているのに、なんか道がちがう 新しい道(なのでナビが認識できない) 買いかえる決心をする>。ちなみに、いまだにナビは更新していない。二万以上かかると言われたので、我慢することにした。不便なのは旅に出た時だけだ。ケチだなあ~!

<16時過ぎ ファミマで食料(の調達) 筋向いのビルが(今日泊まるホテルだ) 2階が受け付け エレベーターがない 荷物が多いのでちょっとしんどい 中高年の女性 ビジネスライク(の応対) 書くことはない ただ部屋に電気ポットがない 温水便座でない 天井にライトがない うす暗い 窓の外は隣のビル ガラス窓越しに机などが見える これで6000円は高いな! いわゆる安ホテルだ ま いい 風呂 ビール 昼寝 18時すぎに起きて夕食 そのあと日誌・・・>。

朝っぱらから、動き回っていたわりには、さほど疲れていなかった。こんな安ホテルに三泊もするのかと思って、ややうんざりしたような気もする。ただ、非常に静かなホテルだった。それに、目の前にコンビニがあるのも便利だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#12 七日目(1) 2021年3月26(金)

大王埼灯台撮影2

紀伊半島旅、七日目の朝は、近鉄志摩線の鵜方駅近くのビジネスホテルで目が覚めた。

<6時半起床 7時半出発 8時大王埼灯台>。おそらくは、旅も後半になり、疲れてきて、詳細なメモを書くのが嫌になったのだろう。したがって、今からは、思い出す、という精神的な労力が、多少必要となる。面倒ではあるが、ボケ防止のために、頭を使ってみよう。

近鉄志摩線の鵜方駅近くのビジネスホテルは、国道に面していた。大王埼灯台までは、この道をほぼ一直線に南下(正確に言えば南南東下)すればいい。かなりいい道で、走りやすかった。しかし、普通の市街地走行とほぼ変わらないので、面白みはない。書き残しておくことがあるとすれば、<甲賀>という地名のことだ。たしか、公園かなにかの名前になっていて、大きな案内板が目に付いた。

<甲賀>といえば、条件反射的に<伊賀>だろう。<忍者>だね。その忍者の里が、ええ~、この辺なのかと思った。しかしこれは、まったくの勘違いだったことが、先ほど調べてわかった。徳川家康の<伊賀越え>で有名な、甲賀衆は現在の滋賀県甲賀市付近が本拠地だったらしい。敵対関係にあったとされる<伊賀衆>は、その少し南の三重県の西部だ。それと、甲賀は<こうが>と発音するものとばかり思っていたが、<こうか>とも読み、この方が一般的らしい。したがって、眼にした案内板の甲賀の文字も<こうか>と読む。要するに、二重の勘違いをしていたことになる。ま、それにしても、子供の頃に夢中で読んだ、忍者漫画は面白かった。<伊賀の影丸>が最初で、そのあとの、白土三平の<サスケ>と<カムイ外伝>が特に好きだった。比較的幸せな時代だった。

ジジイに戻ろう。8時過ぎに大王崎の有料駐車場に着いたのだろう。たしか正面の小屋に料金を払いに行ったような気がする。愛想のいい爺が出てきたので、再駐車できるかと聞くと、領収書のような紙切れを渡され、それ見えるところに置いてくれと言われた、のかな?よくは思い出せないが、いい天気だったことは確かだ。

昨日の下見で、撮影ポイントは二か所だけだとわかっていた。一か所目の<八幡さん公園>に登った。もろ、逆光で写真にならない。とはいえ、いちおうは撮ってみた。またあとで来よう。あっさり公園から下りて、うす暗い急な遊歩道を上った。灯台の前を通り過ぎ、今度は、急な階段を下った。防潮堤沿いの崩れかかった旅館をちらっと見て、砂利浜に降り立った。ここが二か所目の撮影ポインドだ。明かりもほぼ順光、灯台に当たっている。砂利浜を歩き撮りしながら、灯台の立っている岬へと向かっていった。

狭い砂利浜で、背後には防潮堤がそびえたっている。さらに行くと、砂利浜はなくなり、かわりに、テトラポットが防潮堤の前にゴロゴロと寝そべっている。なるほどね、すぐ上には例の旅館があった。波しぶきをテトラが防御しているわけだ。この先は、行けないこともないが、じきに法面加工の断崖で行き止まりだ。

それに、岬のほぼ真下あたりに来ている。すでに灯台も見えない。引き上げようかな、と思ったが、浜の行き止まりに、羊羹のような形をした巨大なコンクリートがある。これは、明らかに、防潮堤を波しぶきから守っている代物だ。いわば、テトラのかわりに設置したのだろう。それにしても、中途半端な感じで、不自然さが際立っている。

なにかの衝動に駆られたようだ。テトラに足をかけ、羊羹コンクリートの上に登った。別にどうということもない。周りを見回した。海がきれいで、広々していて気持ちがいい。ただ、弧になった砂利浜の反対側の断崖が、無残に崩れていて、赤肌をさらしている。しかも規模が大きい。それに、長い間、放置されたままなのだろう。ま、復旧工事の法面加工も並大抵じゃない。予算がないんだな。

滑らないように、というのは、羊羹の上は時々波しぶきに襲われ、濡れていたからだが、慎重に巨大コンクリートの上から下りた。前を見ると、波打ち際に、テトラが一基、砂の中にほとんど埋まりかけている。これまた不自然な光景だと思った。ほとんどの仲間は、防潮堤際でごろごろしている。したがって、このテトラ君だけが猛烈な波しぶきに耐えきれず、波打ち際まで転がり落ちたのだろうか?いや、ひょっとすると、犠牲者はもっといて、砂の中にたくさん埋まっているのかもしれない。

とにかく、波打ち際に太い腿が一本、天に向かって突き出している。近づいてみると、コンクリの表面が風化していて、中の砂利が見えている。貝なども付着している。記念にと、いちおう、周りの風景も入れて写真を撮った。さらに、おもしろ半分でテトラ軍団に近づくと、最前線の兵士たちも、かなり風化している。のっぺりした、不愛想な灰色のコンクリが、いい塩梅にオブジェ化している。灯台と絡めて、撮れないものかと、少し真面目になってアングルを探った。だが、無理だった。背景の灯台が小さすぎる。それに、浜辺の風化したテトラポットなどは、よほどの思い入れがない限り、いくらなんでも、写真にはならないだろう。

砂利浜に足をとられながら、防潮堤の上に戻った。いまさっき下りてきた急な階段を見上げた。また<八幡さま公園>に戻って、灯台を撮ろう。例の崩れかかった旅館の横を通り過ぎた時、ガラスの引き戸越しに、中をチラッと覗き見た。誰もいなかったが、いい感じで日が差し込んでいる。日向ぼっこには最適だなと思った。

防潮堤が終わる所からは、急な階段だ。左手は海、絶景!右手は断崖で、石を積んだ壁で補強してある。この石の壁には、なぜか、ところどころに大きな暗渠があり、それがドクロの目と鼻のように見えて面白かった。それと、コンクリで塗り固めた壁よりも、趣があり、きれいに積みあげられた石たちには、どこか人間的な温かみがあった。職人の技が、人間の生活を守り、違和感なく、自然の風景の中に溶け込んでいるように思えた。

階段を登り切ったところには、桜の木が一本あって、白い花が咲いていた。少し手前で立ち止まって、記念に一枚だけ写真を撮った。この<記念に一枚>というのも、わけのわからない衝動のひとつで、やや<マーキング>に似ていないこともない。

そのあとは、灯台の敷地に入った。入場料を払い、灯台の正面に回ってみた。というのも、大王埼灯台の特徴として、正面、というか、海側から見た造形が独特なのだ。何本もの柱で支えられた回廊?が灯台の底部を構成している。それが、タコが八本の足で立っているように、自分には見えるのだ。ただ、惜しいかな、引きがない。自分のレンズでは、タコ足を含めた灯台の全景が、画面におさまり切れなかった。

灯台にも登ってみた。上からの眺めは最高だった。南側は、まさに大海原。西側には、<八幡さま公園>。展望スペースの全景が見えた。さらに、北側には、上半分に錆のでている電波塔があり、その背後には、思いのほか、人間の住居が密集していた。大海原とマッチ箱のような住居との対比が、なぜか小気味よかった。やはり、これもいわば<神の目>なのだろう。自分が、ちっぽけな住居で生活している、ちっぽけな人間だということを一瞬、忘れさせてくれる。

灯台内部の大きなレンズや、どてっぱらのガラス窓から見える外の景色などを、冷やかし半分に撮りながら、極端に急で狭いらせん階段を降りた。そのあとすぐに灯台の敷地を出た。太陽がだいぶあがってきていて、薄暗い遊歩道の、ところどころに、日が差し込んでいる。再度<八幡さん公園>に上がった。岬に立つ大王埼灯台を横から狙った。天気もいいし、ちょうど灯台の右半分に明かりが当たっている。今が勝負時だと思って、気合が入った。

断崖の柵際を行ったり来たりしながら、右側の水平線と灯台の垂直が確保できるベストポジションを探した。だが、そもそものところ、水平線と、灯台の立っている岬は、<ねじれ>の関係になっている。水平線の水平を確保すれば、灯台が傾くし、灯台の垂直を確保しようとすれば、水平線が傾く。

とはいえ、このジレンマは、おなじみのものだった。もっとやさしい条件、たとえば、灯台だけを撮るときにも、水平線だけを撮るときにも、このジレンマは出現してくるのだ。つまり、ほとんどの場合、自分の立ち位置と、地上の事物が、正対していることはない。<ねじれ>の関係だ。ならば、そういう時にはどうするか、カメラを少し傾けて、画面内での灯台の垂直とか水平線の水平を確保するのだ。

ただし、こうして撮った写真は、画面内のほかの事物に<不自然さ>を強いる。ので、最終的には、画像編集ソフトを使って、画面内にあるすべて事物の、水平、垂直を補正せざるを得なくなる。ようするに、その時自分の見たものが<本物>だとすれば、シャッターを押した瞬間から、ウソがはじまり、さらには、補正作業で、ウソの上塗りをしていることになる。

しかしながら、こうも考えられる。そもそものところ、果たして、自分がその時見たものが<本物>だったのか?そう思っているだけなのではないか?<知覚>そのものを懐疑すると、真偽の境は曖昧になる。実際には存在しえない、写真の中の<風景>を何度も見ていると、それが<本物>に思えてくる。そのうちには、カメラやソフトでウソにウソを重ねた風景が<本物>になってしまう。実視から幻視を錬金する行為とは、ある意味では<イカサマ>だろう。だが、<空中に花挿す行為>だとロマチックに語ることもできるのだ。

大王埼灯台が見える、断崖の柵際で、行ったり来たりしながら写真を撮っていた。そのうちには、どこがベストポジションなのか、よくわからなくなった。だが、<ローラー作戦>よろしく、ほぼ一メートル間隔で撮っているのだから、なんとかなるだろう。それよりも、柵際に群れ咲いている<ムラサキダイコン>に、やや感傷的になっていた。お花たちをこの風景の中に取り込むことができないだろうか。何枚も何枚も、同じような構図で撮った。岬も灯台も断崖も、海も空も太陽も、そして風も光も、全ての物が、紫色の小さなお花たちの脇役にまわった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#13 七日目(2) 2021年3月26(金)

麦埼灯台撮影

七日目の二か所目の撮影地は、大王埼灯台から南西方向へ20キロほど下った麦埼灯台だ。地理的には、伊勢志摩地方の最南端である。

<10:30 移動 11時 麦埼灯台着>。ナビに、麦埼灯台を指示してから、そのあと、どこをどう走ったのか、ほとんど思い出せない。しっかりとしたイメージが出てくるのは、民家の立ち並ぶ細い道を、うねうねと走った先にあった、日当たりのいい漁港だ。その(片田)漁港は、幾本もの防波堤に守られていて、浜沿いに、係船岸壁がずっと続いている。広々しているわりには、漁船の数が少ない。人の姿も見えない。静かな場所だった。

麦埼灯台は、観光灯台ではないので、付近に駐車場はない。道が狭くて、路駐もできない。これは、事前の下調べでわかっていた。とはいえ、車はどこかに止めなければならない。グーグルマップで調べていると、灯台のかなり手前に漁港があり、その係船岸壁の一番端に駐車できそうだ。というか、ここしかないのだ。だが、私有地だろう、無断駐車が可能なのか?とやや不安であった。

漁港の入り口には、関係者立ち入り禁止の看板もなく、ロープも張ってない。自由に出入りできそうだ。これ幸いと、ゆるゆると岸壁に入り込み、行き止まりまで行った。目の前には海に突き出た防波堤があり、背後の防潮堤には、都合のいいことに、うえの道に上がる階段がついていた。大きなワゴン車も一、二台止まっていて、あきらかに釣り人の車だ。ここなら、駐車しても、とがめられることはないだろう。

少しやる気になっていた。身体が、いわゆる、撮影モードに入っている。防潮提の階段を登り、道に上がった。灯台など、どこにも見えない。だが、カンを働かせて、灯台があるであろう方向へと、防潮堤沿いの道を歩き出した。しかし、じきに道は行き止まり。さてと、見回すと、左手の方に、ゴミの集積所があり、民家が見える。近づいてみると、<麦埼灯台>の案内板があった。

案内板の矢印に従って、進んだ。すぐに分かれ道になるが、そこにも案内板があり、矢印に従って、右に曲がった。民家が点在する林の中の細い道だ。少し坂になっている。あれ~と思って、進んでいくと、なんとなく、行き止まりになってしまった。

間違ったかな。今来た道を戻った。と、庭の手入れをしている女性がいたので、道をたずねた。教えてくれたのは、さらに林の中に入っていく、道なき道だ。半信半疑で、教えられた方向へ進む。軽自動車一台がやっと通れるほどの坂道だ。両脇には背の高い竹が鬱蒼としていたが、木洩れ日がいい感じだ。そんなことよりも、この先に本当に灯台があるのかと少し疑った。だが、方向的には間違いないとも思った。

さして長い坂でもなかった。登りきったところは、当然ながら、少し高い位置だ。正面少し下、竹林に挟まれた視界の真ん中に、白い灯台がちらっと見えた。その向こうには、水平線があった。やっと見つけた、というほどの感動ではない。だが、文字通り、目の前がパッと開けた感じがして、気持ちが明るくなった。

どれどれどれ、灯台に近づいていった。お決まりのように、灯台の近くには、小さな公衆トイレがあり、剥げかけた案内板があった。(文飾的にはこの方がいいが、これは間違いだ。最近設置した感じの立派な案内板だった。)

とにかく、まずもって、裏?からは、まったく写真にならなかった。中型灯台だが、地上部に四角い建物が付属していて、灯台の底部を隠している。ほかにも、電信柱が横にあり、その電線が、灯台の胴体にかかっている。見た目、なんとなく、雑然としている。

裏がだめなら正面だ。岬の突端部、海側に回ってみた。海側には、小さな東屋があり、休憩できそうだ。もっとも、休憩している場合でもない。向き直って、灯台に正対した。だが、これまた、お決まりのように、引きがなく、灯台の全景は撮れない。さてと、見回すと、海女の姿をかたどった白い看板のようなものが目についた。なるほど、記念撮影用だ。で、海女さんをパチリと一枚撮ったのか?いま撮影ラッシュを見直すと、このちょっとあと、海を背景に、シナを作った、ややセクシーな海女さんの看板を一枚だけ撮っていた。よほど気分がよかったのだろう。

東屋を囲っている柵の下には、断崖沿いに、コンクリの小道があり、防潮堤に付帯している階段まで続いていた。ということは、下の海岸に下りられるということだ。階段に近づき、下を覗き見た。岩場になっている。下りないわけにはいかないだろう。とはいえ、写真的には、ほぼ無理だった。画面の下半分はコンクリの反り返った防潮提で、その上に、灯台がちょこんと見えるだけだ。これでは、完全に、防潮堤が主役だ。別に、防潮堤を撮りたいわけではないのだ。もっともこの場所は、観光で来た家族が、磯遊びするには最高の場所だろう。見渡す限り、穏やか海だった。

念のために、岩場づたいに、左手に回り込んでみた。灯台は死角になり、ほとんど何も見えない。ついでに、右手というか東側にも回り込んだ。岩場はさらに狭くなり、首が痛くなるほど見上げても、灯台は見えなかった。そのあと、また東屋まで戻って、気晴らしに、海女さんの看板を撮ったのだろう。そして、最後の望みとも言うべき、というのは、これまでに麦埼灯台の、まともな写真は一枚も撮れていないわけで、灯台の西側にある広場へ行った。

断崖沿いの、雑草の繁茂した細長い広場だった。柵沿いに、崩れかけたベンチが、いくつかあった。もろに陽が来ていて、眩しい。この広場は、灯台の斜め右後ろに位置しているものの、灯台が、わりとかっこよく見える。アングルとしては、こうだ。中央やや左寄りに灯台、右側には海があり、水平線が見える。ま、お決まりの構図だな。断崖沿いの柵とベンチを入れて、雑草で緑に染まっている手前の広場から垂直にパンする。明かり的には、やや斜光気味で、申し分ない。

だが、ここでも、例の<ジレンマ>に悩まされた。お馴染みの、灯台の垂直と、水平線の水平の両立だ。ま、今回は、岬と水平線との<ねじれ>関係がきついので、両立どころか、水平線を画面に取り込むことさえ、かなり難しい。つまりは、灯台が、画面の左寄りではなく、中央寄りになり、広場左側のなんということもない木立が、やけに目立ってしまう。

こうなれば、ベストポジションもヘチマもない。<ローラー作戦>開始だ。ほぼ一メートル間隔で、広場の周囲を撮り歩きした。あとは、例の<ジレンマ>から逃れるために、灯台だけをアップで撮ったりもした。しかし、これは、その場でモニターした時、一目で、モノにならないと思った。

時間にして、どうだろう、三、四十分集中して撮影していたのだろうか、<ローラー作戦>を終了して一息入れた。日差しがきついが、柵沿いのベンチに座って、今一度撮影画像のラッシュを見た。すべてが、箸にも棒にもかからない、と言う程ではなかった。少し安心した。

さてと、立ち上がった。目の前の海が広々している。キラキラしていてきれいだ。目を細めると、はるか彼方に、小さな島が二つあり、その右側に、灯台らしきものが見えた。先程、漁港の防潮堤沿いの道から見えた、海の中に浮かんでいた灯台だ。デジカメの望遠を利かせて、確かめた。岩礁に立つ深緑色のロケットのような形をした灯台だった。

カタチが、ごつくて、いかにも時代を感じる。なんであんなところ一基だけ立っているのか?と思いながら、デジカメで何枚も撮った。そのうちには、ロケット灯台の横を、小さな漁船が真一文字に疾走していく。三角の高波を次々と乗り越え、波しぶきをあげている。勇ましいというか、爽快だね。でも、あんなことは、俺にはできないな、と思った。

引きあげだ。その際、色とりどりのお花をつけて、広場一面に咲き乱れている雑草たちに、多少心が動いた。観光客が大勢来る広場だったら、雑草も生えないだろう。だが、ここには、ほとんど誰も来ない。雑草の繁茂がそれを証明している。そういえば、こんなにいい天気なのに、人の姿が全くない。虫や草や木、青空や太陽の息づかいが聞こえる。いや、これは比喩だ。それほど、静かだった。

東屋の下のコンクリの小道を歩いて、戻った。ダメもとで、というか記念写真のつもりで、見上げるような感じで、灯台を撮った。むろん、手前に、東屋や柵が入ってしまう。そればかりか、このとき、改めて気づいたのだが、幟をたてるような、かなり長い竿が立っていた。竿は先のほうで直角に曲げられていて、その曲げられた棒の先端は紐で、柵に固定されている。どのような用途で使用されているものか、その時も、今も正確にはわからない。ただ、写真的には、非常に邪魔だ。灯台の左横での存在感が強すぎる。人間の気配、漁民の雄々しい生活を直感したのかもしれない。

少し坂になった小道を登り、灯台を追い越した。公衆トイレの手前あたりだっただろうか、立ち止まって振り返った。もろ、逆光だ。視界が暗くなり、灯台はよく見えなかった。名残惜しい、とは思わなかった。その場を立ち去るときに、忘れ物はないかと振り返る、いつもの癖に近かった。忘れ物はない。向き直って、竹林の中の坂を下りた。木漏れ日というよりは、背後から陽が差し込んでいて、妙に明るかった。

竹林の坂を下りきって、少し視界が開けた。道をたずねた女性の姿を眼で探したが、ひとっ子一人いない。突き当りを左に曲がり、からっぽのゴミの集積所をチラッと見て、防潮堤沿いの道に出た。途中で止まって、海の中の緑色のロケット灯台を、またデジカメで撮った。構図的にも距離的にも、無理だとわかっていたが、写真にしたかった。未練だな。

さらに行くと、防波堤の先端に赤い灯台が見えた。ちょうど、車を駐車したあたりだ。出発するときは、前へ前へと、気持ちも体も急いていたのだろう、赤い防波堤灯台のことは、ほとんど目に入らなかった。だが、今は、気分的にはフラットになっていたし、そのうえ、いやおうなく目の前に見えるのだ。反射的に、カメラを向けた。

そのあとは、防潮堤の上を、撮り歩きしながら、自分の車へと向かっていった。防潮堤の下は浅瀬の岩場で、海の色がコバルトブルーだ。驚くほど透明で、瑞々しい。撮れないとわかっていても、カメラを向けないではいられなかった。

防潮堤の階段を下りた。そばに、白いワゴン車が何台か止まっていた。明らかに仕事車で、作業着を着た男たちが三、四人、防波堤の上に居る。何か話しながら、赤い灯台の方へ向かっていく。灯台の見回りだなと思った。

車に乗った。ナビに<安乗埼灯台>を指示して、出発した。広い岸壁をゆるゆる走って、漁港を後にした。いや、気まぐれだ。ユーターンして、少し戻った。中途半端な所に車を止め、カメラをもって外に出た。逆光の中、防波堤の赤い灯台が、何か言っている。いや、そんなことはない。だれかに促されて、そのハードな光景を撮っただけだ。撮っておかないと、あとで後悔するような気がしたのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#14 七日目(3) 2021年3月26(金)

安乗埼灯台撮影2

大王埼灯台撮影3

紀伊半島灯台巡りの旅、七日目の午後は、安乗埼灯台の二度目の撮影と、大王埼灯台の三度目の撮影だった。

<12:30 移動 13:30 安乗埼灯台>到着。この日の安乗埼灯台の撮影画像を見直してみた。というのは、まったくなにも思い出せないからだ。もっとも、画像を見ても、その時の実感やら、その場の空気感やらは蘇ってこなかった。したがって、書き記すことは、何もない。いや、ひとつだけ、浮かび上がってきたことがある。足取りと、この唯一のイメージだけを書き記して次に進もう。

昨日下見したので、撮影ポイントは、ほぼ押さえていた。ひとつ目は、レストランの裏手だ。天気は、昨日とはうってかわって、さわやかな快晴だった。今日は、ためらうことなく、柵を乗り越え、崖に斜めに立った。この場所だけが、樹木が伐採されているのだ。おそらくは、柵際から、灯台がよく見えるようにする配慮なのだろう。

そのおかげで、アングル的には、左側に大きく海を取り込んで、岬に立つ四角柱の灯台をしっかりと撮ることができた。自分的には、ここが、安乗埼灯台のベストポイントだと思う。ちなみに、撮影画像からは、柵際の、伐採を免れた二本の松の木を、どんな感じで、画面に取り込むか、苦労した様子が記録されていた。

次に向かったのは、灯台の正面だ。受付小屋の前にある八重桜が満開で、鮮やかだった。受付小屋は、灯台の敷地外、門柱の左脇にあった。入場料を払うと、仕切り板の向こうに居る人から、<ありがとうございました>と丁寧な言葉が返ってきた。

老年の男性の、穏やか声だった。この声の感じが、この日の安乗埼灯台での、記憶にしっかりと刻まれている唯一の(音声的)イメージだ。たかが、三百円の入場料を払って、これほど感謝の念がこもっている<ありがとうございました>を聞いたのは、初めてだ。受付の老年男性は、おそらくは、パートだろう。なおのこと、人間として立派だと思った。

入場料を払って、狭い門柱の間を通り抜け、敷地に入った。廊下のような通路の先に、灯台が聳え立っていた。これは、写真的には難しい。灯台の垂直を、この直線的な通路が邪魔している。灯台と通路とが一直線にならないように、通路を右に左にと寄りながら、撮り歩きして、灯台前の階段に到達した。灯台の全景は、これ以上進むと撮れない。ということは、ま、ここからは観光だ。気楽な気分で、その五、六段のコンクリ階段を登り、扉のぽっかり開いている灯台の中に入った。

いやその前に、いつもの癖で、灯台の周りをぐるりと回ったような気がする。裏側、というか北側には、灯台に付帯している機械室のような建物があり、その白壁に、安乗埼灯台の絵が描かれていた。むろん、落書きなどではない。灯台の特徴を見事にとらえている。絵心のある画家の作品だと思った。

あとは、デジカメの望遠を使って、はるか彼方の岬に立っている灯台を撮った。あんなところにも灯台があるのか、と意味もなく感心した。その時も、今になっても、その灯台の名前はわからない。…追 どうやら、<鎧埼灯台>だったらしい。

灯台の中に入った。内側の壁には、色の褪めたポスターやら写真やらが、べたべた貼ってあったような気もする。いちいち写真に撮らなかったので、あるいは、ほかの灯台だったかもしれない。螺旋階段は、中型灯台だから、それほど長くなく、さして息切れすることもなかった。小判型の扉をくぐって、展望デッキ?に出ると、まさに絶景で、ほぼ360度、海が見回せた。ここでも、なんか気になる、北側の、海の中に突き出た防波堤の灯台にカメラを向けた。あとは、眼下の、これから行くつもりの西側の東屋などを眺めた。意外に高いので、少し怖いような気がした。高い所は苦手なのだ。

螺旋階段を下りて、灯台の中から出た。コンクリ階段を下り、通路を後退しながら、撮り歩きして、敷地の外に出た。受付の前を通り過ぎる時、ちらっと中を見ると、シルエットになった人間の上半身が見えたような気がした。と同時に、<ありがとうございました>と、穏やかな老年男性の声が聞こえた。通り一遍の<ありがとうございました>ではなない。またしても、感謝の念というか、心がこもっていた。

灯台の正面を去るときに、今一度振り返って、左側の満開の八重桜と、手前の小さな花壇、それに、狭い門柱の間から見える灯台を撮った。ごちゃごちゃしていて、灯台写真にはならないが、記念写真としてはいいと思った。

あとは、断崖際の柵沿いの小道を、振り返りながら、撮り歩きして、東屋へ行った。左側から岬がつき出しているので、先ほどの、レストラン裏手からのアングルとは、なんと言うか、正反対になる。それに、そう、ちょうど、大王埼灯台の<八幡さま公園>からのアングルに酷似している。手前の断崖の分厚いコンクリ補強なども同じような感じだ。ただ、安乗埼灯台は四角柱、大王埼灯台は円柱、という違いはある。ま、とにかく、<デジャブ=既視感>に似た感覚を一瞬、味わったような気がする。

やはり、レストラン裏手からのアングルがベストだな、と思ったのだろうか、東屋からの撮影は、さほど粘りもせず、あっさり終わりにした。芝生広場を横切りながら、樹木の上に半分くらい見える灯台を何枚か撮って、車に戻った。一息入れて、ナビに<大王埼灯台>を指示し、安乗埼灯台をあとにした。午前と午後では、明かりの状態が違う、明日は、午前中に来よう、と思った。

<15:00 移動><15:30 大王埼灯台>。どこをどう走ったのか、ほとんど思いだせない。ま、とにかく、大王埼灯台に一番近い駐車場に、再入場した。料金受領書の紙切れをダッシュボードにおいて、フル装備で出発した。フル装備というのは、カメラ二台、三脚一台、予備の電池すべて、防寒着、ペットボトルの水、お菓子類、と言ったところだ。

撮影ポイントは、ほぼ決まっていた。すなわち、まず西側の<八幡さま公園>に登り、午後の明かりで灯台を撮る。次に、灯台の前を通り過ぎ、撮り歩きしながら階段を降りて、防潮堤の終わりまで行く。神社の鳥居があるところだ。さらに、砂利浜の海岸に下りて、西日を受けた岬の灯台を狙う。日没前に、この日の日没は午後五時半頃だったと思うが、<八幡さま公園>に戻って、夕陽の撮影、日没後には明かりの灯った灯台を撮る。朝っぱらから動き回っている割には、かなり元気で、やる気十分だった。

すでに二回、回っているルートだが、快晴の日の午後の明かりは柔らかくて、景色が優しく感じられた。とくに、<八幡さま公園>からの、灯台を主題にした風景には、郷愁、とでも言っておこうか、ある種のせつなさを感じた。だが、東側の階段、防潮堤、さらには、砂利浜からの風景は、逆光のため、画面が黒っぽくなり、あまりよろしくない。それでも、この日は、目の前に広がる海や、打ち寄せる波にも、しばしばカメラを向けた。マリンブルーやコバルトブルーが入り混じった海には、西日が差し込んでいたし、波打ち際の砂利たちが立てる音が、心に響いてきて、心地よかった。

<八幡さま公園>に戻って来たのは、午後の四時半過ぎだった。日没が、五時半過ぎだったので、一時間前からスタンバイだ。この時、太陽は、すでに西に大きく傾いていた。風景全体が、オレンジ色っぽくなっていて、灯台も、やや茜色に染まっていた。崖際の柵沿いで、ひと通り撮って、反対側の崖際の柵へ行った。はるか彼方、画面右から岬がせり出している。そのシルエットの少し上に、目視できないほど眩しい光の塊があった。要するに、太陽は、水平線にではなく、この岬の横腹の中に落ちていくのだ。

そのあとの、日没までの時間は、かなりせわしないものだった。灯台側と落日側との柵の間を行ったり来たりしながら、太陽の落下にともない、刻一刻と変化していく眼前の光景を、逐一撮影した。だが、太陽が赤い球となって、岬のすぐ上辺りに見え始めてからは、落日側の柵際に張り付いて、火の玉がゆっくりと、それこそ、じれったいほどゆっくりと落ちていくのを、数十秒おきに撮った。

そんなものを撮っても、しょうがないだろう、などとは思わなかった。なにか、厳粛な雰囲気の中で、撮らずにはいられなかった。<感動>を安売りしたくないが、毎度のことながら<落日>には、無条件に感動する。これは、<類>としての古い<DNA>なのだ、とでも言っておこう。

さてと、火の玉が岬の下に落下した後は、灯台側の柵の前に移動した。夕空がほのかに青い。その青が、少しずつ、深い紺色に変わっていく。そして、点灯。意外なことに、大王埼灯台の目は真っ赤だった。世界が、紺碧の天空に支配されていく中で、色彩的にはきれいだな。ちなみに、大王埼灯台のレンズは、<閃白赤互光 毎30秒に白1閃光 赤1閃光>ということで、今になって思えば、たしかに三十秒に一回くらい、赤い目がこっちを向いて、ぴかっと光っていた。

ただし、白い光は、まったく見えず、横一文字の光線も、確認できなかった。もっとも、これまでの経験からして、灯台の発する光線を撮るのは至難の業で、撮れたためしがない。すっかり諦念していて、漆黒の闇を照らす横一文字の光線に挑戦しよう、などとは思わなかった。点灯している、しかも、しっかりと目がこちらに向いている夜の灯台が撮れればいいのだ。

長い一日が、終わろうとしていた。あたり一面、暗闇になり、下からのライトで、多少明るくなった灯台の輪郭が見えるだけだ。数十秒おきに巡ってくる、灯台の赤い目にも慣れっこになり、これ以上粘っても、この光景が夜明けまで続くわけで、意味がないだろうと思った。引き上げだな。大きくため息をついた、かどうかはさだかではない。ただ、撮影モードが解けて、脳が少し弛緩したのだろう、中天に満月が見えた。

おお~、灯台と満月の取り合わせもいいね。とはいえ、両者は離れすぎていた。広角で、一つ画面に入れると、灯台も満月も極端に小さくなり、灯台などは、完全に傾いている。これでは写真にならない。理想を言えば、灯台の横とか、少し上に満月があれば、構図的にはベストだ。だが、明かりの問題もある。<夜空=闇>と<満月=光>とには露出差がありすぎる。月を撮るのもまた至難の業なのだ。

撮るのを、あっさり諦めた。ただ記念にと、いったい何の記念なのだろう、満月だけにカメラを向けた。月の微妙な色合いなどは、端から期待していない。とはいえ、モニターすると、完全に白飛びしていて、ただの白色の円になっている。やっぱり、こうなるよな。何度か経験しているので、さほど残念でもなかった。

さてと、引き上げだ。向き直って<八幡さま公園>から降りようとした時だ。陸地側に、点々と明かりが見えた。それが意外に多い。やさしい光景だった。と同時に<モロイ>の一節を思い出した。≪夕方になると・バリーの明かりの方を向いて、それが次第に輝きを増していき、それからほぼ全部が・一度に消えてしまうのを眺めたものだ。怯え切った人間どもの、まばたく小さなけち臭い明り。そして思うのだった。もしもこんな不運に遇わなかったら、今頃はあそこにいたかも知れないのに、などと!≫。備考 著者・サミュエルベケット 訳者・安藤元雄 筑摩世界文学大系82モロイ 筑摩書房1982

もちろん、思い出したのは、この文章そのものではなく、文章によって喚起された、読者としての自分の情感的なイメージだ。それは、いってみれば、追放された者のわずかばかりの郷愁だ。たまには、俺にもカッコをつけさせてもらおう。

こうして、長い一日が終わった。2021年3月26日の金曜日の夜だった。この時、紀伊半島の、とある岬の、とある展望公園に自分が居たなんて、誰が信じるだろうか。これが<奇跡>というものなのだろう。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#15 八日目(1) 2021年3月27(土)

安乗灯台撮影3

安乗漁港散策

<2021.3/27(土)晴れ、午後から雲が多い 照ったり陰ったり 6:30起床 8:00出発 8:30 安乗埼灯台>。

近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで、二回目の朝を迎えたが、詳細なメモ書きを放棄しているので、昨晩から、この時まで、いったい何をしていたのか、何があったのか、ほとんど思い出せない。ということはつまり、書き記しておくようなことは、何もなかったということだ。だが、今にして思えば、朝、何を食べたかくらいはメモしておくべきだった。その日のはじまりを思い出す、ヒントくらいにはなったかもしれない。

さてと、撮影画像を見直すと、この日の一枚目の写真は、浜辺からすぐの海中にあった、波消しブロックの隊列だ。弓なりのきれい浜だったので、不自然な感じがして、気になったようだ。そうそう、駐車したのは、海沿いの道で、初日にも駐車した、道路沿いの駐車スペースだ。海がきらきら光っていた。それから、これから登りあがる、左手の岬を眺めた。岬の斜面には、おもちゃのような民家が点在していた。

細い坂道を、うねうね登って行った。行き止まりは松林の中で、細長い駐車場に着いた。これで三回目だ。たしか、カメラを二台、それぞれ首掛け、肩掛けして、レストランの裏手に回った。柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、午前の明かりの安乗埼灯台を撮った。灯台に日が当たってなくて、イマイチな感じだ。と、遠慮がちな、心配するような感じの声が聞こえた。<おちないように気をつけなよ>。

カメラから目を放して、声の方を向くと、乳母車を引いた、小柄な、腰の曲がった老婆だった。柵を乗り越えていることを、やんわり諌められた、と思ったので、すぐに柵から出た。そのあと、柵沿いの小道を歩きながら、老婆と少し世間話をした。毎朝の散歩だという。海難碑の前に来ると、老婆は立ち止り、その前を素通りしていく観光客たちを、やや激しい調子で揶揄した。いつも思っていたことなのだろう。

海難碑について尋ねると、謂れなどを、いろいろ教えてくれた。かなりの物知りで、耳もさほど遠くない。ただ、碑を無視する観光客たちへの怒りはおさまらず、これ以上話し相手になっていても時間の無駄だ。灯台の前を通り過ぎ、東屋へ向かうところで、老婆に別れ告げた。

東屋には寄らないで、というのは、老婆がしつこく話しかけてきそうだったからだが、さらに奥の松林の中へ入った。木漏れ日の中、崩れかけた建物があり、門の前に、これは何だろう?<灯台の目>が、鉄枠にがっちりと保護され、ランタンのような形になって、台座の上に立っていた。

建物は、<旧灯台資料館>らしい。新しい資料館は芝生広場側にあり、その裏手に、ひっそり残されたままになっている。<灯台の目>は、案内板によれば<・・・300ミリ灯ろうと300ミリレンズを組み合わせたもので、防波堤灯台や鎧埼、石鏡(いじか)灯台等、岬にある小型灯台に使われているもの・・・>。とある。

あの時は、案内板を写真に撮っただけで、よく読まなかったわけで、てっきり、安乗埼灯台の、交換されたレンズだと思った。ま、それにしても、少し錆がきている、このオブジェの風格に恐れ入って、何枚も写真を撮った。ほぼ打ち捨てられた物なのに、存在感が半端ない。

そのあとは、今来た道を戻る形で、撮り歩きしながら、レストランの裏手に戻った。その際、芝生広場をチラッと見回した。例の老場の姿はどこにも見えなかった。そして再度、性懲りもなく、柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、安乗埼灯台のベストショットを狙った。陽が高くなり、明かりが少し回ってきていた。先ほどに比べて、灯台の左側が明るい。四角柱に陰影がついている。海と空、岬と灯台、それと、右端に伐採を免れたひょろっとした松を一本だけ入れて、慎重にシャッターを押した。

これで、安乗埼灯台の撮影は終わった、と思った。引き上げ際に、レストランに付帯しているトイレに寄った。おしゃれできれいなトイレだった。だが、自分には、ちょっと場違いな感じがした。それは、レストランも同様で、せっかくなのだから、記念に<芋スイーツ>を食べてもよかったのだが、若い家族づれや女性が好みそうな、こじゃれた雰囲気の中で物を食するのは、今の自分には似つかわしくないと思った。

車に戻った。ナビの地図画面に、行き先の<安乗漁港>を指先でポイントした。<安乗漁港>には、赤と白の防波堤灯台があり、下調べの段階でも寄ることにしていた。もっとも、昨日も行こうとしたが、なぜか、ナビが道を間違え、行きつけなかった。今日は時間もあるし、必ず行き着くつもりでいた。

岬の狭い坂をゆるゆる下り始めた。天気がいいのと、この日が土曜だったので(これは今気づいたことだが)、登ってくる観光客の車が意外に多い。そもそもが、すれ違いの難しい狭い坂道だ。何回か、止まったり、端に寄せたりして、対向車をかわしていると、眼の先に、例の乳母車の老婆が見えた。狭い坂道の端で、ややあぶなげだ。

助手席の窓を開け、サングラスを取って、老婆に<元気でな>と声をかけた。老婆は、一瞬、驚いたような顔でこちらを見たが、すぐに声の主が、先ほど広場で立ち話をした男だと気づいて、窓の方へ寄ってきた。そして<あんたもな>と応じた。愛想のない、少しケンのある声だった。年寄り扱いされたことに、少しイラっとしたのかもしれない。あの婆さんなら、ありそうなことだ。

旅中に、自分としては珍しく、人間に話しかけたわけで、おそらくは、かなり気分がよかったのだろう。いい天気だったからな。それに、いくぶんかは、狭い坂道を、車の往来を気にしながら、乳母車に縋って歩く老婆への、いたわりの気持ちがあったのかもしれない。いや、まてよ、優越感だったのかもしれない。

そのあとは、運転に集中した。ナビの細かい指示に忠実に従い、脇道に入り込み、狭い坂を下って、漁港らしきところに出た。だが、赤い防波堤灯台はどこにも見えない。複雑な地形で、入り江がいくつも重なっている。係船岸壁に沿って細い道が曲がりくねっていて、道路際には民宿や民家が軒を連ねている。長閑かな漁港の光景と言えないこともない。だが、人の姿が全くない。このままで行きつけるのか、多少不安になった。そして、無情にも、なぜか、ナビの案内が終了してしまった。

とはいえ、ここは行くしかないでしょう。速度を落とし、身を乗り出すように前方を見ながら走った。行き止まり、ということもありうるな。最悪の場合は、狭い道をバックで戻ってくるしかない。思っただけで緊張した。だが、幸いにも、彼方先に、赤い防波堤灯台がちらっと見えた。道もまだ続いている。そして、道の切れたところが終点で、比較的広い係船岸壁になっていた。車が何台も止まっていて、なるほど、釣り場になっている。やっと着いたわけだ。

適当なところに車を止めて、外に出た。両腕を天に突き上げて、少し伸びをしたのかもしれない。そしてすぐに、散歩がてら、カメラ一台を肩掛けして、撮り歩きを始めた。少し離れた、向かって左手の防波堤の先には赤い灯台、右手のすぐそばには白い灯台があった。セオリー通りで、これは外海から入り江に入ってくる船舶から見れば、右舷が赤、左舷が白、ということになる。いずれにしても、昼は紅と白との色で、夜は赤と緑との点滅光源で、必ず、お出迎えしてくれるペアの防波堤灯台だ。

しかしながら、両者ともに、形がいまひとつだった。むろん、布置の関係もある。絶対にものにするという覚悟があれば、異なったベターな、ないしはベストな位置取りを探しただろう。だが、この時は、その気になれなかった。いや、防波堤灯台の造形に関しては、最近は、やや淡白になっている。写真的な主題が、いわば<防波堤灯台のある風景>に横滑りしているのだ。とはいえ、やはり主役の灯台の姿形は気になるものだ。

ちなみに、赤い灯台は<安乗港沖防波堤東灯台>という名前で、海中に設置された<消波提>の先端にある。形は、ここから見る限り、吉田拓郎の<赤燈台>という曲で歌われている<胴長ふとっちょ>型だ。一方、白い灯台は<安乗港弁天防波堤灯台>という名前で、係船岸壁の先端にある。鉄骨やぐら型で、言ってみれば<火の見櫓>のような形をしていて、灯台らしくない。それと、なぜか、係船岸壁の灯台の根本には、必ず釣り人がいる。この時もそうだった。

風もなく、穏やかで、いい天気だった。しかし、カメラを持って歩いている以上、どんな灯台にしろ、どんな風景にしろ、撮らないわけにはいかないだろう。なにしろ、そのためにわざわざ、自宅から500キロ以上離れたところに来ているのだ。

さてと、赤と白の灯台を、ひとつ画面に入れると、あまりに普通すぎて、写真にならない。かといって、個別に撮ってみても、背景が、やはり何気なさすぎる。海があり、彼方に黒々した岬が見えるだけだ。そのうえ、灯台の造形そのものに、さほどの魅力を感じていないのだから、手の打ちようがない。とはいえ、いつもの習慣で、可能な限りは、灯台に近づいた。しかし、この時は、距離的に近づけば近づくほど、灯台は、というか、灯台の垂直感からは遠ざかってしまった。まったく写真にならん!

あっさり、写真はあきらめた。あとは、ぶらっと散歩だな。岸壁を歩きだした。すると、変な物たちが目に入ってきた。打ち捨てられた錆びた錨とか、ぶっとい友綱とか、漁船の舳先にあるレーダーのような機械とか、さらには、対岸のがらんとした倉庫や水揚げ場などだ。面白半分、興の向くまま、また写真を撮った。撮ったところで、意味のないことは百も承知していた。<不在>を撮ることは、俺の腕では無理なのだ。だが、なにしろ、いい天気だった。気分がよかったのだろう。記念写真だよ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#16 八日目(2) 2021年3月27(土)

大王埼灯台撮影4

波切漁港散策

ナビに、大王埼灯台を指示して、安乗漁港をあとにしたのは<11:00>頃だった。岬を上り下りして、海岸に出た。防潮堤際の、ちょっとしたスペースに車を止め、目の前に広がる弓なりの浜辺を見回した。逆光でまぶしかった。手前の砂浜の、すぐ先の海中には、一文字の消波堤が、幾本も横並びしている。景観的には、あまりよろしくない。この時は、なぜこんなところに波消しテトラが並んでいるのか、よくわからなった。今思えば、自分が立っていた防波堤もかなり高かった。高波が押し寄せ、防潮堤を乗り越え、道路際の民家に被害が及ぶかもしれない。いわば、危険個所だ。生命財産を守るため、景観の問題は度外視して、海中に消波堤を設置したのだろう。

さらに、視線を、弓なり海岸の、はるか彼方に向けると、海の中に、黒い点々がたくさん見えた。半端な数じゃない。あきらかにサーファーたちだ。ヒマな奴が大勢いるなあ~、と思いながら記念写真を一枚だけ撮った。調べてみると、やはりサーフィンの名所で<国府(こう)の白浜>とあった。

<大王埼灯台 11時半着>。灯台に一番近い有料駐車場には、けっこう車が止まっていた、ような気がする。気丈夫な漁師のおかみさんといった感じのおばさんが、次々に入ってくる車から、料金を徴収していた。

スカッとした青空ではなく、なんとなく、ぼんやりした空だった。弱い日差しだったが、撮影には問題ない。この日も、重いカメラバックを背負ったのだろうか、この男のことだから、おそらくは、背負ったに違いない。灯台へと至る、細い遊歩道を登り、まずは<八幡さま公園>だ。岬の灯台は、明かりの状態がイマイチだったので、断崖の柵際でひと通り撮って、粘らずにすぐ移動した。灯台の正面を通り過ぎ、防潮堤沿いの階段を一段一段、ゆっくり下りた。別に疲れていたわけじゃない、眼下の海が、あまりにもきれいだったからだ。

よく見ると、浅瀬に岩礁があって、海の色がコバルトブルーだ。岩礁は、かなり広範囲で、ところどころに岩の頭が露出している。そこに沖からの波が押し寄せ、砕けて、白いしぶきが上がっている。天然の防波堤といった感じで、漁船なども、この浜へは近づけまい。人間の出入りがない分、海の色が、なお一層きれいなのかもしれない。

階段を下りきって、崩れかけた旅館の前を通り過ぎ時、ガラスの引き戸のむこうに、黒っぽい人間の上半身が見えた。ちらっと見ると、髪を後ろに結んだ三十代くらいの女性だった。一見してサーファーだとわかった。じろじろ見ることはしないで、すぐに視線を戻した。いまだに、臆病というかシャイですな。少し笑って、会釈したっていいじゃないか。それができれば、もっといろいろな女性と付き合えたかもしれないぜ。爺の繰り言だ。目の前の浜にサーファーはいない。岩礁だらけで、サーフィンなどはできまい。女性サーファーだと思ったのは、勘違いかも知れない。

防潮堤の行き止まりまで来た。振り返って、岬の灯台を撮った。今おりて来た長い階段も、しっかり画面におさまっていた。ただし、逆光になっていて、写真にはならない。それに午後になると、日陰になってしまうのだ。それでも、神社の鳥居などを脇に入れ、すこし構図を探った。だが、無理だった。

さて、どうしようかと、目の前の長い石段を見上げた。今日は写真撮影の最終日だ。この上の、見晴らし公園から、今一度、海中の防波堤灯台を撮ってみようか。思い切って、石段を登り始めた。途中で、足が重くなり、息が切れた。とはいえ、これしきの階段でと、すこし意地になって一気に登った。やはり、重いカメラバックは背負っていたのだ。

登り切って、一息入れて、神社の方へ歩き出した。今日は明るい雰囲気の、陽気な静けさが漂っていた。突き当りを右に曲がって、木立の中を進むと、椿がたくさん落ちていた。その赤が、むき出しの地面の上で生々しかった。見晴らし公園からの眺めは、予想に反し、イマイチだった。というのは、薄い雲が出てきて、青空が少ししかない。これでは、曇り空の先日とあまり変わらない。海に突き出た長い防波堤も、その先端にある灯台も、青空と光り輝く海があってこそ、写真になるわけで、二、三枚撮って、あっさり引き上げた。ま、それでも、先日の曇天の写真よりは、多少陽射しがある分、ましだろう。おしよせる徒労感を払いのけた。

ながい石段を、ゆっくり下りた。鳥居をくぐって、防潮堤の上から、岬の灯台を眺めた。当然ながら、日陰になっていて、写真を撮る気にはなれない。ただ、海の方に、多少日が当たっているところがあり、コバルトブルーがきれいだ。夕暮れまでにはまだ時間がある。最後にもう一度、浜に下りてみようか。向き直った。

防潮堤の、浜へと下りる階段付近に、若い女性が二人、互いに記念写真などを撮ったりしているのが見えた。人気のない、日陰の海岸で、しなやかな生き物が、声を発しながら動き回っている。俺が若者なら、近づいて行って、声でもかけたいくらいだ。だが、爺ではあるし、自分の性格からいって、旅先で女の子をナンパする度胸などない。

わざと、女の子たちを無視するようにして、浜に下りた。砂利浜を歩きながら、灯台の立っている岬へ向けて、最後の記念写真を撮った。崩れかかったテトラポットも撮った。打ち寄せる波も撮った。そうこうしているうちに、背後が静かになった。女の子たちがいなくなった日陰の海岸は、波と戯れる、無数の砂利たちのざわめきで満たされた。

旅の最後の日、やや感傷的な気分になったのだろう。自分へのお土産として、いわゆる<那智黒石>を拾い始めた。中指の爪くらいの大きさがいい。つるつるしていて、流線型の、形のいいものを探した。最初は<16個>だけ拾うつもりだった。だが、興に乗って、手のひら一杯ほどの石を拾い上げ、ポケットに入れた。そのうちの一つを取り出し、口の中に入れた。<モロイ>の言うように、この<おしゃぶり石>は、飢えと渇きを、不安と孤独を、癒してくれるのだろうか?石は、すこし苦くて、しょっぱくて、埃っぽい味がした。ただ、口の中で転がすと、滑らかで、気分が落ち着くような気がしないでもなかった。

再度、<八幡さま公園>に戻った時には、陽が傾きはじめていた。灯台と岬にもろ西日が当たっていて、全体的にオレンジっぽい変な色合いになっていた。それに、空の色合いも、上空に薄い雲にかかっているのだろうか、さえない水色だ。もっとも、さほど残念でもなかった。この位置取りからの写真は、すでにゴマンと撮っている。なかには、わりとよく撮れているのもあったような気がしていたからだ。

それよりも、断崖の柵際に群れ咲く、ムラサキダイコンが気になった。これまでは、灯台の前景としてしか画面に入れていない。お花たちを主役にしてみよう。背景は、海と空だけだ。おりしも、画面左側から貨物船が現れた。船体が、きれいなミントグリーンだった。布置的には、西日を横から受ける形となり、色かぶりが減少して、花の紫、葉の緑、海の青、空の水色などが、見た目に近い感じで、撮れていた。それに、岩礁に砕ける波なども入っている。全体的にさわやかな感じで、自分の好きな抒情的な光景だ。もっとも、写真的にはたんなる記念写真だ。すでに、本筋の灯台写真の撮影は終わっていて、観光気分で写真撮影を楽しんでいたのだろう。

さらに陽は傾き、灯台とは反対側の、はるか彼方の岬の上に、目視できない、巨大な光の塊が出現した。落日までは三十分くらいだろう。さてと、ここで引き上げだな。今日は夕陽や夜の撮影はしないで、早めに引き上げることにしていた。明日が、帰宅日ということもあるが、夕陽にしろ、夜の灯台にしろ、昨日、十二分に撮っている。たとえ今日粘って撮ったとしても、昨日以上のものが撮れるとも思えなかった。それに、今日は薄い雲がかかっている。きれいな夕焼けにはならないだろうし、だいいち、すでに頭も体も弛緩していて、やる気が起きない。意識しなかったが、長旅で、体力、気力ともに、限界だったのかもしれない。最後に、今一度、太陽が沈む方角を見たような気がする。水平線近くの海がきらきらと銀色に光っていた。

<八幡さま公園>を立ち去る時、何回この公園を上り下りしたのだろうかと思った、ような気もする。遊歩道を下りきった所には、ちょっとしたスペースがあり、顔をあげると、防潮堤沿いに弓なりの浜が広がっていた。落日間近の銀色の海が、さざめいている。若者四人の黒いシルエットが、その狭いスペースを占拠して、海を眺めながら話をしていた。男だけで旅行に来ているのだろう、<青春>がちょっとだけ羨ましかった。

海に背を向け、なだらかな坂をぶらぶら歩いて、有料駐車場に向かった。両側には民宿や土産物屋がならんでいる。まずは機材を車におろし、軽登山靴をサンダルに履き替えた。まだ明るかったので、再び、カメラを一台首にかけ、駐車場の周辺を探索した。土産物屋の店先には、青い金網の上に、アジがひらかれて、きれいに並んでいた。一瞬、土産に買っていこうかと思った。ま、アジの干物は好物だ。だが、即座にその考えを打ち消した。まずもって、明日帰るわけだし、一晩、アジの干物を車の中に置くわけにもいかんだろう。生臭いにおいが、車内に充満したら、目も当てられない。

次に目についたのは、<海女専用>と書かれた表示板だ。そこは係船岸壁の奥まった一角で、コンクリの敲きが、海に向かって斜めに打ってある。サザエをたくさん獲った海女さんたちの船が陸付けされるのだろうか、あるいは、海女さん専用の駐車場ということなのだろうか、判断に迷った。ま、どっちでもいいけど、周辺には、植木鉢なども置かれていて、使用しているとも思えなかった。<海女>>いう文字に対面するのは久しぶりなので、一瞬、昭和の時代へ戻ったような気がした。

向き直って、その場を立ち去ろうとしたとき、コンクリの敲きと道路との隙間に、ピンクの小さなお花をたくさんつけた、一塊の植物が目に入った。二十センチほどの高さで、どこかで見たような気がした。そばにしゃがみこんで、よくよく見たものの、名前は思い出せなかった。だが、けなげな美しさに打たれて、謙虚な気持ちになった。二、三枚、位置取りを変えながら、写真を撮った。いま調べてみると、どうやら<ヒメキンギョソウ>らしい。海女には姫金魚草がよく似合う、なんてね。

車からは、さらに離れて、道の曲がり角まで来た。小さな漁港だが、防波堤が入り組んでいて、その先端にそれぞれ、白い小さな灯台が見えた。二つとも、先ほど、岬の上の見晴らし公園から見たものだ。ただ、位置取りが全く違うので、同じ灯台とは思えなかった。あと、防波堤には、三々五々、釣り人の姿が見えた。岬の上から見た時は、人間の姿など、ほとんど気にならなかった。平場に下りて来たとたん、同類が気になるらしい。

曲がり角に立ち止まって、さらに念入りに辺りを見回した。小さな漁港の風景だ。対岸には、お寺らしきものがあり、自分がさっき歩いた岸壁沿いの道を、人間が幾人か連れ添って境内の中へ入っていく。神社に登る急な石段も見える。背後は、三角おにぎりを二つ並べたような地形になっていて、左手は神社のある岬、右手は大王埼灯台のある岬だ。意外なことに、その三角おにぎりの谷間辺りに大王埼灯台が少し見えた。しかし、残念かな、ここからでは、位置取りが悪すぎる。<灯台の見える風景>とまでは言えない。

今一度、辺りを見回した。岸壁沿いの道を、このままずっと歩いていくと、道路際に空地のようなものがみえる。<灯台の見える風景>は、布置的には、あそこしかないだろう。ただ、サンダル履きで歩いていくには、ちと遠い。すぐに車に戻った。有料駐車場をあとにして、空地に車を乗り入れた。思った通り、いい感じで、岬に立つ大王埼灯台が見えた。カメラのファインダーを覗き、構図を探りながら、灯台が、漁港とそこに暮らす人間の家々を見守っている、と思った。そこはかとない郷愁を感じた。

ただ、ここは自分の場所ではない、とも思った。自分の場所は、ここから車で高速を500キロ走った、関東平野の西側だ。海もなければ灯台もない、マッチ箱のような家がひしめく住宅街のアパートの一室だ。そのことを時々忘れてしまう。忘れてしまって、息苦しくなる。広い所に飛び出したくなる。だが、飛び出したものの、じきに自分の場所が恋しくなって、戻りたくなるのだ。

八泊九日の、紀伊半島の旅が終わろうとしていた。今の関心は、明日、高速道路を500キロ走破して、無事に自室へと戻ることだ。体は紀伊半島東岸にあったが、心はすでに関東平野へと向かっていた。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#17 九日目 2021年3月28(日)

帰宅

エピローグ

帰宅日の朝も、近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで目が覚めた。このホテルにも三連泊したことになる。

<6時起床 7時出発 13時30分自宅着>。帰宅日のことで、まず思い浮かぶことは、<伊勢神宮>前の道路を通過したときのことだ。ふと、寄ってみようかな、と思った。そう思っただけで、結局は寄らなかったが、千載一遇の機会なのに、なぜ寄らなかったのか?帰宅することに気が急いていたからだろう。べつに早く帰っても、待っているのは、骨壺の中のニャンコだけだが、ともかく、観光気分にはなれなかった。それと、<伊勢神宮>に限らず、神社仏閣を見学することが、いまいち億劫な気がしている。要するに、つまらないのだ。

旅の最後のメモ書きにも、行間には<つまらない>という心情が流れていた。懐疑的な言葉が書きなぐられているのだ。<・・・従来通りの<旅日誌>を書くことに懐疑的 ・・・変更(して)<灯台のある風景>として、スナップを入れることにする。・・・ホテル到着後のモニター、灯台写真もスナップも枚数だけ多くてロクなものはない。・・・あるいは<大王埼灯台物語><安乗埼灯台物語>として、日誌風のエッセー(にしようか、しかし)物語は大げさだろう>。<旅日誌>を書くことを、この時点で、ほぼ断念していたようだ。で、結局、この<灯台紀行 旅日誌 紀伊半島編>は、帰宅後には書かれなかった。流石に、撮影画像の選択、補正はしたけれどね。

話しを帰宅日のことに戻そう。<伊勢神宮>には寄らぬまでも、道路沿いの<赤福>の立派な店舗を見て、お土産に買っていこうか、とも思った。だが、まだ時間がはやくて、店は閉まっているようだった。そのあとの記憶は、ほとんどない。スナップ写真も一枚もない。思いだそうとしても、思い出せない。

ただ、かなりの蓋然性をもって言えることは、高速に乗ってからは、ほぼ一時間おきにトイレ休憩をした、ということだ。高速走行に関して、一時間走ったらトイレ休憩、と自分の中で決めていたからだ。それから、そうだ、眠気に襲われることもなかったし、極端な疲労感もなかった。東名から圏央道に入った時には、もう一息だ、と思ったような気もする。そして、最寄りの圏央道のインターで降りて、見慣れた一般道に入った時には、ほっとしたにちがいない。

たしか、比較的明るい曇りの日だった。駐車場に車を入れて、荷物や機材を一階のアトリエに運び入れた。紀伊半島から、意外に早く戻ってこられたし、身も蓋もないほどには疲れていなかった。やるべきことを終え、手荷物だけ持って、階段を登り、二階の自室のドアを開けた。その際、誰にというわけではないが、いわば、虚空のニャンコに、ただいま、とやさしい声でつぶやいた。そのあとは、とにもかくにも、昼寝だ。旅の気分を一掃して、日常に戻るのだ。

・・・自分としては、八泊九日の旅は、これまでで最長かもしれない。二、三日は、何もしないでぼうっとしていた、と言いたいところだが、この男の性質上、そうもしていられない。翌日から、撮影画像の選択と、補正の作業を始めた。なにしろ、期間が長かった分、撮影枚数も多い。1000枚は軽く越えていたと思う。かなりしんどかった。

それでも、<旅日誌>を書くことは断念していたので、その分、気は楽だった。なにしろ、画像の選択、補正の作業には、かなり慣れていて、なかば自動的にできるようになっていたからだ。多少、語弊はあるが、頭をそれほど使わなくても済む作業で、そのかわり、集中力と判断力、それに忍耐力とが求められる。ま、短期決戦ならば、頭を使う作業よりは得意かもしれない。

ともかく、この作業は、二、三週間くらいで完了したと思う。先が見えてきた段階で、心は早くも、次なる灯台旅へと向かっていた。飛行機で出雲まで行って、そのあとはレンタカー、日本一高い<出雲日御碕岬灯台>へ行く計画だ。島根県は、埼玉から陸路で行くには、あまりに遠すぎる。

ただ、画像編集の作業を終えた後に、ふと、何か物足りないような、もの忘れをしたような気分になった。若い頃に勉強した心理学の用語を借りれば、<超自我>が疼いている感じだ。やるべきことをやらずに、遊び呆けている時に、どこからともなく滲出してくるものだ。たいていの場合、そんなものは無視して、<自我>に身をゆだねて、<快>に流れてしまう。それで済んでしまえばいいのだが、往々にして、自分の場合、そうはいかないようだ。

というのは、精神力というか、気力がないので、長文の<旅日誌>は書けないが、メモ書きにちょっと毛が生えたくらいのものなら書けるだろう。旅の記録として、そのくらいは残しておこうかと思ったのだ。そして、実際に、すこしだけ書いてみた。しかしながら、これとて、多少の精神力は必要で、一度弛緩した神経細胞を復元するのは容易なことではない。すぐに頓挫してしまった。<もの>を書く、という精神状態からは、程遠い所に居たわけで、気持ちが<内>ではなく、<外>へと向かっていた。内省よりは行動だ。いわば<物狂い>の状態が<超自我>を圧倒していた。

で、結局は、<旅日誌>どころか、<旅の記録>もろくに記述しないまま、一か月後には、いそいそと<出雲旅>へと出かけてしまった。比較的楽な、画像の選択補正という作業だけは終わらせて、最低限のことはやったのだと、自分に言い聞かせたのだ。<自己欺瞞>というには、言葉が大仰すぎる。だが、<なにか>に言い訳して、べつの<なにか>に身を委ねたような気がする。これだけは確かだ。

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編 #1~#17 終了。

 

<灯台紀行 旅日誌>犬吠埼灯台編

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<日本灯台紀行 旅日誌>2020年 犬吠埼灯台編 #1~#15

見出し

#1 プロローグ1 #2 プロローグ2 #3 往路

#4 飯岡灯台撮影

#5 犬吠埼灯台撮影1

#6 犬吠埼灯台撮影2

#7 犬吠埼灯台撮影3

#8 犬吠埼灯台撮影4

#9 ビジネスホテル~飯岡漁港

#10 犬吠埼灯台撮影5

#11 <地球が丸く見える丘公園><銚子タワー>撮影

#12 犬吠埼灯台撮影6

#13 少し高いビジネスホテル #14 君ヶ浜~復路 #15 エピローグ

 灯台紀行・旅日誌>2020犬吠埼灯台編#1 プロローグ1

 2020-3-24 十三時

おそらく、これが最後のひとり旅になるだろう。というのも、あと五年か十年経てば、体力的にも精神的にも、車を運転しての長旅は無理っぽいからだ。いや、わからんけどね。

 直接のきっかけは、十五年くらい一緒に暮らしてきたニャンコが、慢性腎不全でいよいよ危なくなってきて、死んでしまう日が迫ってきたことだ。いわゆる<ペットロス>。悲しいことだが、寿命ということか。

 ・・・旅のことを考えている。このパソコンが使い物になるのか?撮った写真を見ること、日誌をつけること、それにネット検索で情報を得ること。旅中は、おおよそ、この三つだろう。

 午後四時、安比奈運動公園・中央駐車場。小一時間車の中で横になる。今日は比較的快適だった。リアウィンドを少し開け、耳栓、これでだいぶ良くなった。途中、暑くなりエアコンをつけた。持参した少し長い棒でブレーキペダルを押し、運転席に身を乗り出しては、指で始動ボタンを押してエンジンをかけた。横着な、楽なことを考えたわけだ。ま、これなら、高速パーキングでの仮眠もいけそうだ。

 今日は、不都合が二つ見つかった。ひとつはナビ、2015年版になっていて、圏央道がまだ完成されていない。ホンダに問い合わせたら、¥22000ほどで更新できるようだ。ただし、今やるよりは、11月のほうがいい、というわけで、保留。よくよく考えたら、新しい地図も買ったのだし、古いナビと併用すれば、何とかなるような気がする。更新する必要性もないなと思い直す。

 二つ目は、車内ではティファールが使えない。パソコンはちゃんと充電できるのに、なぜかだめだ。自宅の駐車場でもう一度試してみよう。例えば、延長コードを使って。…アンペアが絶対的に足りないから使えない、ということが帰宅後のネット検索ですぐに判明。やはり、カセットコンロとケトルだな。あと、チェアとテーブルは、グッド。洗面などもしてみたが、こちらもグッド。問題はない。車内での緊急おしっこは、口広のジュース缶で決まり。

  2020-3-26 十七時。

衝動的に、機内持ち込みのカメラバックを買ってしまった。アマゾンで、ロープロフォトストリームRL150という品物、定価よりもかなり安くなっていた。約二万円。

 はじめは、ふつうのキャスター付きのスーツケースを物色していた。値段的には、安いのは¥5000、高級なのは¥50000以上するのもある。そんなもんはいらない。かといって、あまりに安い物もいかがなものか。いちおうブランド的に<ACE>とか<無印良品>とか調べてみた。ま、¥20000も出せば、いい物が手に入りそうだ。

 と、ここで考えた。今回の旅でスーツケースに入れていく物は何か、パソコン、カメラなどだ。要するに、重いもの、壊れ物で、バックパックに入れて行くには心もとない。もっとも、今思い出したが、2015年の沖縄旅では、カメラをバックパックの中に入れて行った。あのときは、三泊四日で、衣類も少なかったし、三脚も持って行かなかった。だが、今回は、旅の期間も長いし、そういうわけにもいくまい。

 機内持ち込み用スーツケースとバックパック、それにポーチという出で立ちをイメージした。要するに、キャスター付きスーツケースは必須と考えた。が、待てよ、それなら、カメラバックでいいわけで、検索したら、そういう物が、¥20000程度である。普通のスーツケースの中にカメラを入れて持ち運ぶより、こっちの方がより安全だ。というわけで、ま、衝動買いだな。

 ・・・昨日などは、夜遅くまで、福岡県について調べていた。観光スポットでは、平尾台というカースト台地が面白そうだ。あとは筑後川昇開橋、門司港レトロ、福岡観光では屋台ラーメン、それに飯塚・田川・直方などの筑豊炭田の遺構探索などがメインになりそうだ。この後、さらに海岸沿いの風景や灯台についても調べてみるつもりだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#2 プロローグ2

一日目

2020-5-27(水)くもり。

とうとうこの日が来た。およそ十五年間一緒に暮らしたニャンコ、べビちゃんを看取ってから約二か月弱、新しいプロジェクトが始まる。名付けて<日本灯台紀行>。また、大きくでたもんだ!

 重度の慢性腎不全、多臓器不全を起こしている、もう助からないだろうという、ニャンコの約一か月の介護。そして最後の二日間は、それこそ、死ぬ苦しみを味わわせてしまった。絶命時、ニャンと短く鳴いて、息を引き取った。

 苦しませてしまったという後悔、それに伴う罪悪感。深い悲しみ、気持ちが沈んだ。何十年かぶりに涙がこぼれた。だが、底の底まで気持ちが落ちたとき、このままではだめだ、という心の声が聞こえた。その声に励まされて旅の準備を始めた。

 はじめは、九州の筑豊など、炭鉱跡をめぐり歩く旅を思いついた。かなり綿密に調べ上げ、日程表まで作った。例えば、九州国際空港に午後遅く到着して、その日は、近くの東横インに宿泊。翌日、近くのニッポンレンタカーで車を借りる。そのあとは、田川、飯塚、直方の炭鉱遺構や記念館を三日かけてゆっくり回る。旅の後半は、大牟田・三池炭鉱跡を見て、佐賀国際空港から帰宅の途につく、というものだ。

 グーグルマップでシュミレーション走行したり、炭鉱の歴史をネットで調べたりして、ニャンコの辛い介護の日々を耐え忍び、この先訪れるであろう大きな悲しみ、べビちゃんの死を乗り越えようとした。

 ところが、大方、旅のプラン、イメージが固まったところで、これが人生最後の、自分のやりたかったことなのか、とふと思った。

何か、ちがうような気がした。無理して頑張っているようなのだ。むろん、そういうことも必要だろう。だが、もういいではないか、自分を許す方向へと気持ちが流れていった。

  そこで、再び浮かび上がってきたのは、灯台巡り、全国の有名な灯台を撮りに行くという計画だった。この計画は、父親を看取った後に思いついたもので、そのために車を買い替え、実際に、原発近くのビジネスホテルに連泊して、御前崎灯台、掛塚灯台、清水灯台などを撮影した。そして三泊四日の旅の帰りは、高速を約280キロ走って一気に帰って来た。もっとも、新しい車に慣れていないということもあり、かなり疲れた。思い出すだけでも、帰路の運転はうんざりだ。

 …ま、そんなこともあったのだ。その当時は、旅に行くたびに、ニャンコの世話を誰かに頼まなければならず、それのみか、ニャンコのことが気になってしようがない。さっと用を済ませて、なるべく早く帰ってきたかった、というのが正直なところだ。

 それに、そのあともいろいろあって、灯台旅の熱は、いったんさめ、ほとんど忘れかけていた。それが今になって再燃したのには、次のような理由がある。

先日、ユーチューブに<荒川写真紀行2018>というスライドショーをアップした。エリックサティージムノペディを延々、といっても30分ほどだが、繰り返し流しながら、背景に自分の写真を映し出すという趣向だ。

 <荒川写真紀行>の写真は、空と雲と、川の流れなどが主題になっていて、ほぼ三か月間、晴れた日には必ず撮影した。その何というか、写真たちとサティが、自分で言うのもなんだが、よくマッチしていて、かなり満足している。

 ちなみに、サティを繰り返し流すという趣向は、若かりし頃に、影響を受けた太田省吾という演出家が<水の駅>という作品で使っている。当時は、ちょっとルール違反じゃないの、とやや懐疑的だったが、四十年ほどたった今でも、その舞台が脳裏に焼き付いている。やはり、感動していたのだと思う。

 太田さんは、たしか六十台で亡くなってしまい、主宰していた前衛劇団<転形劇場>も、ほぼ忘却の彼方だ。だからパクってもいいのか、というわけでもないが、自分が若かりし頃、唯一、入ろうかなと思った劇団の、尊敬する演出家へのオマージュ、ということにして、勘弁してもらおう。

 話が脇にそれた。五月二十七日水曜日、旅の当日は六時に目が覚めた。さっと起きて軽く食事。そのあと、なんやかんや、いろいろやって、たとえば、家中のコンセントを全部抜いたり、持ち物表をチェックしたりで、ぐずぐずしてしまい、家を出たのは八時すぎだった。

ニャンコを火葬にしたあとは、ベッドの背もたれの上に、白い骨壺を置いて、時々声かけしながら、じっとコロナ騒動がおさまるのを待っていた。足止めを食らっていたのだ。五月中は無理だろうと思っていた。だが、急に政府の<緊急事態宣言>が解除された。といっても、他県への移動は<自粛>。だがもう我慢の限界を超えていた。ちょうど、木曜・金曜と千葉の銚子方面には、晴れマークがついている。ほぼ衝動的に飯岡灯台近くの宿を三泊予約してしまった。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#3 往路

 …かなり前から、日本全国の有名な灯台をネット検索していた。

そのなかで<日本の灯台>というサイトが、質量とも充実していて大いに参考になった。いや~、これだけの灯台巡り、すごい!写真も説明も丁寧、語り口も謙虚、なにしろ<灯台熱>が半端ない。

 ま、それはそれとして、自分の体力を考えると、車で片道200キロ前後の場所までが限界だろう。しかも、ロケーションが素晴らしいところがいい。という基準で、最初に浮かび上がり、二重丸がついたのは、犬吠埼灯台だった。ここは日本灯台50選、世界灯台百選にも選ばれている。それにすぐ近くの飯岡灯台もいい。灯台旅の一発目は、ここしかない!

 泊る場所は、灯台に近ければ近いほどいい。だが、いろいろと条件がある。旅館やペンションなどは、お一人様で泊まることができそうにもないし、素泊まりでも一万円以上する。民宿の乱雑さには懲りているし、となれば、ビジネスホテルしかない。

 最初は、日程も決まらないまま、銚子市内のちょっとお高いビジネスホテルを、念のためのコロナ対策ということで、六月後半に二泊予約した。だが、五月二十五日、急に<緊急事態宣言>が解除になった。そこで、ビジネスホテルを急遽キャンセルして、飯岡漁港近くの安めの宿に三泊することにした。

 ・・・話しがなかなか先に進まない。とにかく、当日は、朝八時に出発、ナビにかなり遠回りさせられ、少しイラついたが、30分ほどで最寄りの圏央道インターに滑り込んだ。道は空いていた。ガラガラ!いや、貸し切り状態といってもいい。

 すぐに菖蒲パーキング、走り始めたばかりで休憩する気にもなれず、そのまま時速90キロ前後で気持ちよく走った。ただ、次の江戸崎パーキングまでが長かった。いま調べたら、菖蒲からは約80キロ近くもあり、小一時間かかる。すでに三、四十分走っているわけで、ここはやはり、菖蒲パーキングで一息入れておくべきだった。ま、次からの教訓だな。

 江戸崎パーキングには、十一時前に着いた。トイレと自販機があるだけの小さなパーキング。人もあまりいない。端っこの方へ行って、体をほぐす。そうそう、トイレ入口の天井近くに、ツバメの巣があり、ヒナたちの黄色の口が見えた。施設内の誰かが大切にしているのだろう。気持ちのこもった張り紙などもあり、気が和む。鳥や花を大切にする人間に悪い奴はいない、というのが持論だ!

パーキングで20分ほど休んで、疲労回復。そのあとは、あっという間に大栄インター。東関道の下りに入り、大栄パーキングを横眼で眺めながら、というのも、いざといときには、ここで車中泊しようという腹だ、帰りに寄ってみよう。

 東関道大栄で降りた。料金は¥3800ほど。自宅からここまで約120キロ、所要時間は二時間。その後はナビに導かれ、東総有料道路に入る。まったくの貸し切り状態、前後に車なし!有料道路だが料金所もなく、気分良く一般道に入る。

 地方の県道なのか国道なのか、ほとんどノンストップ状態で旭市の市街地。ここはさすがに、郊外型の大型店が両側にびっしり。ヤマダ、ニトリイオンモールなどなど。大きな交差点を右折すると、また貸し切り状態。あっという間に飯岡灯台に着いた。十二時を少し回っていた。総距離160キロ、三時間の行程。あまり疲れていない。気を張っているせいかな?

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#4 飯岡灯台撮影

 飯岡灯台下見。小ぶりな、白いタイル張りの灯台で、正面からはどうにも写真にならない。下調べしたように、撮影ポイントは一か所だけ。すなわち、無料の展望台から、手前に灯台を入れ、右側に飯岡漁港の防波堤などを斜めに入れる構図だ。

 ま、いい。灯台敷地の柵によりかかりながら、眼下の飯岡漁港を眺めた。つい二、三日前、飯岡漁港に押し寄せる、あの大震災の大津波をユーチューブで見た。おそらく、撮影者が位置していたであろう所に、いま自分が立っている。津波が白い波しぶきを立て、沖から押し寄せてくる。あっというまに防波堤を越え、船溜まりの漁船をいとも簡単に押し流していく。その光景がまざまざとよみがえった。自然は美しく、かつ残酷だ。厳粛な気持ちになった。

 気分を変えよう。灯台の周りをぶらぶら歩きながら、写真を撮った。灯台の横の方に、海を臨んだ、漫画チックな<力石徹>の石像があった。飯岡は<ちばてつや>が、戦後すぐに大陸から引き揚げて来た頃に生活したところらしい。なぜかちょっと意外な気がした。<あしたのジョー>を夢中で読んだのは、もう半世紀以上前のことだ。

 それからもう一つ、飯岡、と聞いて、思い浮かんだのは<飯岡助五郎>だ。記憶があいまいで、いまネットで調べてみた。あ~、思った通りだ。講談の<天保水滸伝>によれば、笹川繁蔵を闇討ちにした悪親分?だったわけだ。

 …子供のころ、なんで聞き知ったのか、映画なのか?よくわからないが、その後、演劇青年をやっていたころ、三鷹で<黒テント>の<チャンバラ>という芝居を見た。その時<しげぞおぉぉぉ~~~>という役者の絶叫によって、突如、過去の記憶が呼び覚まされた。不思議な体験が、いまだに体に宿っている。そうだ、やくざの親分、飯岡助五郎と笹川繁蔵、それに用心棒の平手造酒。面白おかしく尾ひれをつけて、やくざの抗争を講釈師が語っていたのだろう。その、飯岡助五郎の墓が、この近くにあるらしい。…ちょっと行ってもよかったのだが、いまは灯台熱が高じている。いつか、またそのうちだ。

 三、四十分ぶらついて、飯岡灯台を後にした。ナビを犬吠埼灯台にセットした。目指すは、君ヶ浜の灯台寄りの駐車場だ。ところが、現着してみると、コロナで閉鎖中!これには参ったが、すぐに気を取り直して、灯台下の駐車場へ行く。

 車を止め、まずは灯台の正面辺りをぶらついて、写真を撮る。犬吠埼灯台は登れる灯台だが、むろんコロナで閉鎖中。ま、こちらはどうでもいい。灯台に登ってしまっては、灯台が撮れない。…昼もだいぶ過ぎている。なのに、腹が空かない。缶コーヒーなどを飲んでやり過ごす。

 車に戻り、機材を背負い、浜へ下りた。ちょっとしんどい。撮影ポイントを探しながら、砂浜沿いの護岸縁を歩く。ちょうど、白っぽい腰掛石が五個、等間隔に並んでいる所。背後に、遊歩道があるものの、誰にも邪魔されず、三脚を立てられる。灯台の垂直を出すにも、まずまずの好位置。何枚か試写して引き上げる。

 車の中で時計を見ると、三時半を回っている。飯岡灯台へ戻ろう。日没前の<ゴールデンアワー>それから明かりのついた灯台の夜間撮影。これが初日の、本気を出す撮影だ。

  五時過ぎに、再度飯岡灯台に現着。陽は西に傾き始めていた。といっても、まだまだ明るい。フル装備で、展望台の階段を上る。振り返ると、東側の台地、下総台地に巨大風車が林立している。望遠400mmで何枚か撮った。

 さらに、海の中にも風車が一基ある。これは銚子市が東電と組んだ、洋上風力発電の実証実験だそうだ・・・世界に飛び出すと、まあ~いろんなことに出っくわすものだ。冷やかし半分、パチリと、こやつも一枚撮った。

 階段を上りきると、まずまずきれいな展望室。とはいえ、窓があるわけでもなく、ダイレクトに南西側の海が眺められる。要するに、ベランダ仕様だ。ぐるっと見回して、灯台君を見下ろす位置に三脚を立てた。ところがどっこい、仕切り壁から乗り出さないと、灯台と防波堤が画面におさまらない。

 う~ん、しかたない。手持ちでベストポジションを確認、何枚か、かなり慎重に撮った。ちなみに、このポジションは、ネットで見た写真の中では最高のもので、多くの人が撮っている場所だ。むろん、同じ場所から撮ったとしても、自分がそれ以上の写真が撮れるとは、正直思わないが、ま、この場所しかないのだ。

 さてと、そうこうしているうちに、ますます陽は傾き、空の色が徐々に変わり始めた。写真の世界でいうところの<ゴールアワー>だ。どの場所がいいのか、うかつにも、夕景のベストポジションは調べていない。

 とりあえず、灯台正面に出た。西側の空が染まっている。まさに夕日が落ちつつある。あ~、そうだ、ここは夕日がきれいなところだったんだ。われながら、マヌケな感想だ。問題は、灯台をその夕日に絡めて、どの位置に三脚を立てるか、ということだ。

 あたふたしながら、何とか灯台と夕日を画面におさめた。さあ、予行演習していた、日没の撮影だ。え~と、マニュルモード、F値8、ほぼ無限大にピント、ISOオート、ホワイトバランスオート、シャッタースピードの調整で、露出を沈む前は三分の二アンダー、沈んだら適正にする、だったかな?なんだか、頭が真っ白になっていた。おぼつかない。

 おりしも、まさに<ゴールデンアワー>なんだか人影が一気に増えてきた。だれもが夕陽を見に来たわけか!なかでも、若いカップルが多いような気がする。ま、そんなことはどうでもいい、集中だ。ファインダーをのぞきながら、ほぼ初めての夕景の撮影を開始した。

 その時は、気分が高揚していて、モニターなどもろくにしないで、リモコンのシャッター音に酔っていた。もっとも、辺りが暗くなってきて、モニターそのものがかなり難しい。そしてついに日没。おっと、灯台の頭にあるライトがうっすら点灯。今度は<ブルーアワー>だ。

 シャッタースピードを落として、カメラ内のインジケーターを、適性のゼロに合わせる。ほぼ暗い。それでも、かなりの人影。<ブルーアワー>とは日没後の数十分のこと、こっちの方が、空がきれい撮れているように感じた。気持ち的に、少し余裕が出てきたので、ホワイトバランスをいろいろ試してみた。晴れマークのところが一番きれいだな、と判断できるようになった。

 そのうち、陽は完全に沈んで、空の色は紺碧から漆黒へと変わっていった。とはいえ、周辺を見回すと、展望台の照明などでさほど暗くはない。と、灯台の頭にある照明が点灯したままで動かない。おやっと思った。が、すぐに得心した。この灯台の役目は、飯岡港に入ってくる漁船の目印だ。光線をぐるぐるさせる必要はない。

 ちなみに、灯台のレンズには<閃光レンズ>と<不動レンズ>があるようだ。閃光の方は、レンズが回っていて、結果、光線がぐるぐる回っているように見える。一方、不動の方は、ついたり消えたりするだけらしい。飯岡灯台の仕様は<不動フランネル式300㎜・明三秒・暗三秒>ということになっていた。

  初陣の夜間撮影を夢中でやっていると、展望台前の、ちょっとした広場で、何やらうるさい物音が聞こえる。カメラから目を放して、ちょっと見に行く。はは~~ん、若者がスケボーで遊んでいる。わざわざこんなところで、しかもこんな時間に、といってもまだ夜の七時だが、なんなんだ!ま、そのうちやめるだろう。

 三脚に戻り、ほとんどわけもわからないまま、カメラをいじくりまわして、その都度モニターした。ま、勉強だな。時間のたつのも忘れ、頭の片隅では、スケボーがうるさいと思いながら、これ以上はもう、うまく撮れないと思えるまで粘った。

 ふ~と一息ついた。周りを見回した。展望台などに人影を確認して、その場を後にした。ちなみに、スケボーの若者も、どういうわけか、一緒に終了。目で追うと、端の方に止めてあった、白い軽のバンに乗り込んだ。仕事帰りか、時間調整か、ま、もうどうでもいいが。車に乗り込み、高台の灯台から、坂を下った。バックミラーに、ヘッドライトが見える。灯台の駐車場はどんづまりだから、灯台にいた車であることは間違いない。ひょっとしたらスケボー野郎かも知れない。帰りまでご一緒だ!

 名前は伏せる。宿泊したビジネスホテルだ。なぜかというと、文句しか出てこないし、それを書けば、営業妨害になるやもしれぬからだ。そこまでの恨みはない。とはいえ、一言だけ言い添えておこう。汚かった!一泊¥4500、安いとはいえ、これはないよな、という感じだった。畳が擦り切れていたのだから、あとはご想像にお任せする。

 それからもう一つ。食料調達したコンビニのおにぎりが、これほどまずいのか、と思うほどだった。もっとも、食欲がまるっきりなくて、さほど腹は立たなかったが。とはいえ、朝食用に買ったブドウパンは、まあまあ食べられた。一晩冷蔵庫に入れたにもかかわらずだ。・・・疲れた。かなり疲れた。もう寝よう。宿に八時過ぎについて、十時には布団の中に入った。

 一日目の出費・高速¥3820、食事等¥1200、宿泊三日分¥12900。

灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#5 犬吠埼灯台撮影1

 二日目。

四時過ぎに目が覚める。西側の障子が明るくなり、寝ていられない感じ。それでも、もう少し眠ろう、ということで六時前まで布団の中でぐずぐずする。

 六時起床、洗面、朝食・昨晩買っておいたおにぎり、持参したカップ麺。食欲がないせいか、どっちも、うんざりするほどまずい!排便・小。むろん、ぼろホテルに温水便座などはない。…痔持ちの自分にとって、温水便座は必須。だが、ま、非常時ということで、流水で肛門をさっと洗う。

 身支度をして、八時前に出発。ナビを犬吠埼灯台にセット。途中、長崎鼻のぬぼっとした照射塔を何枚か撮る。さらに、海沿いの道に路駐して、東側から、遠方の犬吠埼灯台を狙った。

 胸の高さほどのコンクリの護岸、その上に、重い望遠レンズを置いて撮影。要するに、三脚を立てるほどの景色ではないが、VRを利かせたところで、手持ちではブレてしまうからだ。とはいえ、あまりに遠目過ぎる。それに、空の色もさえない。今日は朝から晴れの予報なのだが、チェ!

 ほとんど貸し切り状態の、右手に海が見える景色の良い道を、気持ちよく走り、九時前に犬吠埼灯台に到着。駐車場に車を止め、灯台周りの散策。一応、正面、周囲、それから海岸沿いの遊歩道など、スナップしながらぶらつく。

 撮影ポイントは二つ、正面やや右側、灯台の窓が少し左側に見えるあたりがいい。もう一つは、遊歩道の終点、白いホテルへ通じる道に上がる鉄階段の踊り場。ただし、画面左下に青い電線がぶら下がってしまう。

 この場所には、どう考えても三脚は立てられない。とはいえ、遠目だが、緑の断崖にちょこんと頭を見せている白い灯台、望遠なら何とか絵にできるかもしれない。横着して、望遠レンズを持ってこなかったことを少し悔やんだ。

 帰路は、遊歩道を戻らなかった。可能な場合は、復路は、往路とは違う道を歩くことにしている。それに今回の場合、特に、遊歩道にある辛気臭いトンネルが嫌だった。それに、違った道を歩けば、違った景色に出会える可能性も高い。

 海岸沿いに建つ白いホテルをちらっと眺めた。場所的に最高。だが、オヤジのひとり旅、しかも撮影旅行には不向きだ。むろん宿泊費も高い。豪華な夕食など必要ないし、素泊まりで¥10000はいくら何でも高すぎるだろう。

 だらだらと坂をのぼった。すこし息が切れた。そこは海の見える高台だった。目の前を一般道が走っている。その先に灯台が見える。右側は、大げさに言えば太平洋だ。柵のある歩道を少し行くと、なんだか、陶芸店のようなものがあり、さらにその先に、一抱えもする大きな菱形の石に、何やら文字が見える。

 立ち止まって、じっくり眺めた。高浜虚子の句碑らしい。<犬吠の 今宵の朧 待つとせん>。最後の<待つとせん>が読めなかったが、案内板があり、了解。口の中で何回か唱え、覚えようとした。例の海岸沿いのホテルに泊まって、部屋からぼうっと霞んだ灯台の明かりが見えたのかもしれない。向き直って、太平洋の水平線を見た。すこしばかり、文学っぽい気分になった。

  駐車場に戻った。布の大きめなトートバックに、飲料水などを放り込み、重いカメラバックを背負った。長い階段を下って浜へおりた。もう暑くなり始めていた。下見しておいた場所へ一直線に向かい、石の腰掛に荷物を置いた。柵沿いに三脚を二本立て、犬吠埼灯台にカメラを向けた。

 三脚は二本持参している。一本はジッツオの使いやすいもの。もう一本はベルボンの、やや使い勝手が悪いもの。それぞれに望遠ズーム、標準ズームつけて撮影するつもりだ。要するに、柵沿いに三脚を二本並べ、近目と遠目で撮るわけだ。

 が、いざ実際、二台のカメラで灯台をモニターすると、ベストアングルというものは、ほぼ一か所なので、当たり前だ<ベスト>なのだから、多少の近い遠いはあるものの、画面は似たり寄ったりだった。それよりも、正面の海。空があって、雲が流れて、水平線があって、たゆたゆと波が押し寄せている。この風景を撮らないということはない!

 というわけで、三脚は一本にして、望遠を手持ちで、浅はかにも、海と、ちょっと遠目の灯台を撮ることにした。そして、来る前から計画していた、五分間隔のインターバル撮影の手順に従った。

 時計を見た。五分経った。三脚につけているカメラのファインダー覗いて、リモコンのボタンを慎重に押す。取って返して、望遠カメラを、後ろの石の上に置いてあるトートバックから取り出す。ぶれないように、柵に肘をしっかりつけて、まず、海を撮り、ほぼそのままの姿勢で、少し体を右にひねり、灯台を撮った。

 この作業を、十一時半から、およそ二時半まで続けた。本当は、体力と気力が続いたのならば、日没後までやるつもりでいた。ところがどっこい、そうはいかない。久しぶりのアウトドア、しかも海岸だ。

 セッティング作業のうちは、暑さをそれほど感じなかった。太陽の位置を、手のひらを天にかざして確かめ、ほぼ真上だな、などと思った。まだ余裕があった。

 ところが、作業がひと段落して、一息ついたら、いきなり息苦しいほどの暑さを感じた。まず、足の甲が、焼けるように熱い。厚手の靴下をはいていたのだ。薄手の物に替えたかったが、車の中だ。パーカも厚手のもので、これにも参った。だが、薄手はこれまた車の中だ。撮りに行くことなど、到底無理だろう。

 …サンダルも車の中にあるが、この強烈な紫外線、直射日光を、直接浴びることになる。どうしようか?海辺にフードのついたパーカは必須、だが絶対、薄手でなければだめだ。撮影の手順を正確に守りながら、次回の教訓だな、などと思った。

 何しろ、フードですっぽり、頬の真ん中まで覆い、サングラス、そのうえマスクだ。自分の風体を気にする余裕もなかった。が、夕方になり、ふと車のウィンドーガラスで、自分を見た。まるでコンビニ強盗だ!どおりで、遊歩道を行き来する人から、話しかけられなかったわけだ。怪しすぎる。

 …正直いって、海辺の暑さ、要するに紫外線と直射日光は、老人には、自分では老人とは思っていないが、かなりきつくて長時間の滞在は無理だ。もっとも、日陰で寝ているならば話は別だ。ところが、自分の場合は、五分ごとに、写真を撮らねばならず、悪いことに、その際には、サングラスを外さざるを得ないという不幸?も重なった。

 だが、眼をやられたら最後だろう。二十年前、失明に瀕した時のことを、ちらっと思った。あの時以来、サングラスを手放したことはなく、外出する際には、財布と鍵と同様、必ず身につけている。念のため、今回も、替えのサングラスを用意してきたほどだ。

 話を戻そう。カメラのファインダーをのぞく際には、どうしても、サングラスを外さなければならず、その時の紫外線が、やりきれないほど、きつい。こんな体験は今までになく、ほとんど苦行に近い。でも、これはまずいだろう。何しろ目を守らねばならないのだ。と、あろうことか、サングラスを掛けたまま、ファインダーを見ることにした。ま、窮すれば何とやらで、むろん色が変わって見えるが、一発撮りとは違い、ほぼどんな感じに撮れているかは、了解済みだ。空や雲や波が、五分間で、どの程度変化しているかを確かめるだけでいい、のではないか。

眼は、これでだいぶ楽になった。熱中症を警戒して、頻繁に持参した水を、ペットボトルから飲んだ。また、手のひらを太陽にかざした。真ん中より少し西に傾き始めた。足の甲は、撮影中は、柵の陰に置くようにした。休憩中は、靴を脱いで、自分の体の影に入れるようにした。

 御影の石に腰かけて、うつむいて、苦行にも似た時間を、じっと全身で受け止めた。五分ごとの撮影が、なんだかなおざり、モニターもしっかり確認していなかったぞ。それに四、六時中、パーカの背中が、焼けるように熱い。なんだか頭がすこし痛い。熱中症予防のために、水はたくさん飲んでいるのに、少し気分も悪い、むかむかする。

 ぼうっとした頭で、明日もあるぞ、ここで体調を崩すわけには行かないぞ。そうだよな、もう、限界だろう。そう思ったら、急に弱気になった。時計を見た。二時半だった。三時間頑張ったわけだ。迷うことなく、撮影を中止した。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#6 犬吠埼灯台撮影2

 浜辺から、長い階段を登って、駐車場へ戻った。足が重い、しんどかったような気もする。車の中は、蒸し風呂!すぐにエアコン全開、窓にシールド。パーカやズボンを脱いで、倒れこむように横になった。ちなみに、後部座席は、体を伸ばして仮眠できるようにカスタマイズされている。ご丁寧に、布団も枕も持ち込んでいた。

来る前にシュミレーションしたように、耳栓をした。犬吠埼テラステラスの裏側、この駐車場は一般道に面していたが、なんと正面は老人ホームだった。車の出入り、騒音は、ほとんど気にならなかった。耳栓のおかげか、それとも体が参っていたせいか、すぐに寝ているとも覚めているともつかない状態に陥った。エアコンの温度や、車内の不愉快な暑さなどを意識しながらも、ひたすら、だと思うが、体の回復を願っていたような気もする。

 ひと眠りしたのだろうか、夢うつつの状態から覚めた。たしか、四時半少し前だったような気もする。が、はっきりとは覚えていない。

 うん、少し気分がよくなったような気がする。身支度。サンダル履きで、そう、カメラを首にかけ、というのは、2020年5月28日4時46分に、西日の当たっている灯台を、広場右側から撮った写真が残っているからだが、その前に、午前中同様、トイレ、そうだ、トイレにも行ったのだ。観光地のトイレとしては、比較的奇麗だった。だが、コロナ感染を意識して、すぐに出てきた。

 そのトイレの向かい側、休業している土産物屋の赤い自販機で、午前中と同じ、アルミボトルの缶コーヒーを買って、歩き飲みした。まずくはなかった。たしか¥130、安いなと思った。朝、貧しい朝食をとったきりで、その後、ビスケットを少し齧った程度だった。とはいえ、腹は空いていなかった。

 右側は海だった。大げさに言えば、太平洋だ。1枚撮った。あとは、灯台の正面辺りを、観光客気分でぶらついて、これみよがしに写真などを撮ったのだろう。もっとも、コロナ感染の自粛は続いていて、いまだ県をまたいだ移動は制限されていた。かまうものかとシカとして、川越ナンバーで千葉県に乗り込んだものの、灯台付近の車は、ほとんどが千葉ナンバーだった。まあ、いちゃもんをつけられることもないだろう。そうなったら、すぐに<すいません>と謙虚に謝ってしまおう。生意気なくせに、小心で臆病な性格が、年を取れば取るほど際立ってきた。

 灯台前にある、テラステラスというこぎれいな施設に、このとき入ったのか、よく記憶していない。きれいなトイレで、しかも温水便座で排便して、さらに気分がよくなったような気もする。その後、この施設には旅の3日目、4日目にも立ち寄って、カレーを食べ、トイレにも必ず寄って、気持ちよく排便した。

 気分がよくなった。頭がすっきりした。これなら夜の撮影ができそうだ。そう思いながら、車に戻った。装備を整え、といっても、午後の不覚を教訓にして、薄手のパーカ、薄手の靴下、トートバックには、ペットボトルの水、ビスケット、念のためにダウンパーカ、それにおしっこ缶、それだけだ。

 …おしっこ缶というのは、アルミのやや口径の大きいボトル缶のことで、車内や撮影中、トイレに行くのがめんどくさいときに使用する、いわば、携帯用の尿瓶だ。つまり、したくなったら、イチモツの先っちょをその中に突っ込んで、用を足すわけだ。イチモツ、などと大きな口をたたいているが、息子の頭は小ぶりだから、ちょうどいい。ま、どうでもいいことだな。

 あとはカメラバックに三脚二本。こっちは、かなりの重さだ。が、苦にはならなかった。もっとも、下り階段だ。浜に下りると、辺りは薄暗くなっていた。午後の五時半を回っていた。まっすぐ、例の撮影場所へ向かった。海風が心地よかった。

  三脚を立て、カメラをセットしかかったとき、後方から、マウンテンバイクに乗った若者が数名、大きな声で話しながらやってきた。あれ~、と思っていると、自分から四メートルくらい離れた柵のところで、釣りを始めた。ほぼ等間隔に並んで、四人ほど、かがみこんで釣り針にえさをつけ、大きく竿を振って、海の中へ投げ込んでいる。

 薄暗がりだった。だが、話声と顔つきで、外国人、それも中国人でも韓国人でもなく、東南アジア系の若者だと思った。嫌なことに、その中でも体格の一番いい奴が、俺の隣にいる。ふと、集団で、あるいは、あいつに襲われたら勝てないなと思った。もっとも、状況から判断して、いちゃもんをつけられる可能性は低い。シカとして、五分間インターバル撮影を続けた。若造に、根拠もなく、びくびくしている自分が情けなかった。

 次第にあたりが暗くなった。灯台の真ん中あたりが、下からの照明で照らされ、そこだけが楕円形に明るくなった。用意してきた、アウトドア用のヘッドランプをつけて、ほとんど初めての夜間撮影に挑戦した。アジア系の若者たちは、予想に反して、暗くなっても立ち去らなかった。それどころか、懐中電灯を持参していて、手元を照らしながら、盛んにエサを交換しては、大きく竿を振っている。夜釣りに来たんだ!浜風の中、何語なのかな?タイとかベトナムとか、そんな感じの語音が飛び交っていた。

 インターバル撮影の合間には、若者たちの行動を横目でちらちら追いながらも、刻一刻と表情を変えていく、灯台周辺の光景を全身で感得していた。午後の、あの暑さと比べて、いまはかなり心地よい。むしろ、寒いほどだ。ヒートテックのタイツをはき、長めのダウンパーカを羽織った。これでちょうどいい。ビスケットを少し齧り、水を飲んだ。腹の調子も少し良くなっていた。こんな時間に、こんなところで、写真を撮っている。念願がかなっている。世界の前に立っている。自分の人生を生きていると思った。

 海と空が、漆黒の闇に覆われ、灯台が光を発し始めた。そう、問題は、あの光線を写真に撮ることだ。ネットで、犬吠埼灯台の画像を、いやというほど検索したが、左真横、一直線の光線をとらえた写真は、わずか一枚にすぎない。しかも、その写真は<写真素材>として、有料で貸し出されていた。

天と海の間の暗闇を、一直線に走る灯台の光線。なんとまあ、ロマンがあるではないか。前に言った<作品>というのは、この五分インターバルで撮った写真群を、編集してスライドショーにする心づもりだったわけで、ラストは、いや、ラス前あたりに、この一直線の灯台の光線が、ぜひとも欲しいものだ。

 ところが、丹念な検索の結果にもかかわらず、灯台の光線を撮る方法は、見つけられなかった。星空とか、夜景とか、それから、近いものでは、光線を多重撮影して、灯台の周りにぐるっとめぐらす方法とかはあった。もっとも、多重撮影は自分の頭と腕がついていかないわけで、試すことすらしていない。というよりも、灯台から光線が放射状に出ているというのは、いかにも、作り物の感じがして、いささか趣に欠ける。

 だが、いちおう、灯台の光線を撮る方法を、自分なりに調べ上げ、メモしていた。手順はこうだ、モードはM、f値2.8、ss一秒から二分の一秒、ISO8000、いや、ほかにもメモがある。シャッタースピードssが長ければ長いほど光跡の幅が広がるとか、光線がカメラレンズに向かないタイミングをはかるとか、要するに、切れ端のネット知識だ。

 実際はすべて、役に立たなかった。これらのやり方では、むろんその場でいろいろ試したが、光線は撮れなかった。そもそも、何秒かおきに、ぐるぐる回っている光線を、左真一文字に来た時に写し撮ろうとするならば、シャッタースピードは、かなり早いものでなければなるまい。そんな瞬間は、あっという間に過ぎてしまう。

今思ったのだが、光線が動かず、不動のまま、海を照らしているならば、上記の方法は有効なのかもしれない。いや、これも試していないので、わからない。要するに何もかもわからず、いや、今日の段階では、光線は撮れない、ということが分かったわけだ。得心した。気持ちが覚めた。引き上げようと思った。カメラを三脚から外し、バックに収納した。

 少し前に、二、三人仲間が加わった、アジア系の若者たちは、その後もまじめに?釣りを楽しんでいた。新たに加わった連中は、柵を乗り越え、三メートルほど下の、波消しブロックに降り立ち、座りこみ、釣り糸をたらしている。自分の隣の大柄な若者は、なかでも、釣りがうまいのか、何匹も釣り上げていた。

 彼らが、どこから来たのか、何をしているのか、すぐには思いつかなかった。食いつめたような様子もないし、みな立派なマウンテンバイクを持っている。留学生なのかもしれない、あまり深くは考えなかった。考える必要もなかった。ただ、いちゃもんをつけられるのではないかと、最初、びくびくした自分を少し恥じた。

 カメラバックを背負う前に、柵に両肘をついて、暗闇に浮かぶ灯台をつくづく眺めた。たしかに、光線は出ている。ある間隔をおき、右の方から光り始め、こちらに向かってピカリ、そのあとは、例の左真一文字の光線を、茫漠とした闇の中に放って、左うしろに消える。この循環を、一晩中続けているわけだ。

 ただねぇ~、その闇に放たれる、左一文字の光線は、すごく薄くて、かすかに見える程度のものだ。しかも一瞬!あれを写真に撮ることなど、土台無理なのではないか、自分がネットで見た写真は、何か細工したものではないのかとさえ疑った。ま、いい、光線は撮れなくても、写真はたくさん撮った。撮れたはずだ!

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#7 犬吠埼灯台撮影3

 夜道を宿へ向かった。三十分ほどで、さしたる疲労も感じないで現着。途中、昨晩も寄ったコンビニで食料を調達した。朝食用に、ブドウパンと牛乳、夕食用には、おにぎり三個とからあげクンを買った。部屋に入って、すぐ着替えて温泉に入った。麦茶を煮込んだような色の、ぬるぬるの温泉だ。湯船は一つで、三畳ほどの広さ、四方がジャグジーになっている。ゆっくりと腰をほぐした。

独特の匂いが立ちこめていたが、道路側のサッシの窓を開けると、涼しい風が入ってきて、心地よかった。脱衣場、その他いろいろなことには目をつぶって、この貸し切り温泉を楽しんだ。そう、湯船に入るとき、足の甲、手の甲が染みた。見ると、真っ赤になっている。顔も焼けた、鼻が赤くなっていた。

 部屋に戻って、冷蔵庫に入れておいた、冷えたノンアルビールを飲んだ。うまかったとおもう。というのも、何しろ疲れていたので、いや疲れていたのだろう、そのまま倒れこむように寝てしまったのだから。九時前に着到して、十時すぎにはもう寝ていたと思う。幸いも、周りは静かで、物音で目が覚めることもなかった。二、三回、夜間トイレで起きたような気もするが、よく眠れた方だ。

 今日の出費、食品・飲み物¥980。

 三日目。

朝の四時過ぎに目が覚めた。朝日に照らされた、オレンジ色の障子がまぶしかった。十時に寝たのだから六時間は寝たわけか、と思ったような気もする。すっと起きて、障子をあけ、ついでに重いサッシ窓も開けた。目の前には飯岡漁港、釣りの名所らしく、防波堤の手前に車がたくさん止まっている。

 その向こうには刑部岬・ぎょうぶみさきと読むらしい。絶壁になっていて、その上に飯岡灯台と展望台のシルエットが見える。こちらからは逆光だが、輪郭が朝日に照らされ、ほんのり朱色に染まっている。絶壁の中ほどまで、うっすら霧が立ち込めていて、早朝の神々しい光景が広がっていた。写真には撮らなかったが、というのも、埃だらけのベランダに出るが嫌だったし、だいいち、そんな余裕も時間もなかった。

 日の出は撮れないとしても、朝日をうけた犬吠埼灯台の前に一刻も早く行きたかった。さっと身支度をして、ブドウパンを牛乳で胃の中に流し込み、部屋を出た。その際、スーパーで使うような、黄色のプラかごに、使用済みバスタオルなどを入れ、小さなごみ箱と一緒に廊下に出した。

 これが、この宿における連泊者の唯一の義務らしい。帰ってくると、ドアの横にそのかごが置いてあり、中に新しいタオルと歯ブラシセットが入っている。連泊者の部屋の掃除などは論外というわけか!ま、三日くらいだから問題はない。だが、これが一週間とか、長期間になったら、どうするのだろう。受付に言えばやってくれるのかもしない。ま、どうもいいことだ。こっちは忙しいんだ。

 ドアの鍵を閉めた。もっとも、鍵のくっついているプラの透明な棒を触るのも、ドアノブも、エレベーターのボタンも、なんか嫌な感じがした。コロナ菌がついていないだろうか?そういうことに関しては、かなり神経質らしい。一階の薄暗い受付には誰もいなかった。半自動ドアの玄関は、24四時間開いているようだ。その点は便利だ。いや、考えようによっては不用心だろう。

 車に乗り込んだ。なぜか、少しホッとした。この中にはコロナ菌などいない。それが、安心の多少の理由になっていたのかもしれない。時計を見た。四時に起きたのに、もう五時すぎだ。一応、念のため、ナビを<犬吠埼灯台>にセットした。

 平日だが、道は空いていた。当たり前だ、まだ早朝の五時すぎだ。ほとんど貸し切り状態で、多少見知った、今日で三回目の道を気分良く走った。途中、屏風ヶ浦の高台に差しかかると、長い直線の道路が波打っていて、朝日に照らされている。右側にはちらちらと海が見え、左側には巨大風車が林立していた。飯岡灯台の展望台から見た、東総台地を走っているわけだ。なんだか自分が映画の主人公になった気分だった。

 五時半過ぎに、犬吠埼灯台の商業施設、テラステラス裏側の駐車場に着いたはずだ。ここは、昨日車を止めた、道路沿いの駐車場よりは一段と高くなっている。浜への上り下りがすこし大変になる。いや、大した距離じゃない。ここを選んだのは、今日の午後、正確には十一時半から二時半までだが、車の中で仮眠をするためだ。こっちの駐車場の端っこが、代較的静かだろうと思ったのだ。真昼間の浜辺の暑さと日射には懲りていた。

 誰もいないかと思いきや、その、浜が見下ろせる駐車スペースには先客がいた。黒っぽい車で県外ナンバーだったかな、窓に日よけなどをしている。ちらっと車内で仮眠している姿が見えた。一瞬で、日の出を撮りに来たアマチュアの、しかもオヤジカメラマンだなと思った。ま、別にいいさ、目くじらを立てることもない。一台あけて、柵際の狙っていたスペースに車を止めた。

 装備をととのえ、浜へ下りた。昨日の教訓を生かして、薄手のパーカ、薄手の靴下、ペットボトルの水も二本持った。とはいえ、昨日来の疲れが残っていたのだろう、カメラバックが肩に重かった。トートバックも腕に食い込んで痛かった。

 少し砂地を歩いて、お決まり撮影場所についた。カメラを三脚にセットした。昨日と同じ場所に、というのも小石で目印をつけておいたのだが、どうもよろしくない。下が砂地で三脚の足が食い込んでいる。同じアングルが作れない。・・・なにか、三脚の足に敷くものを用意するべきだなと思った。

 時計を見た、六時を回っていた。下の浜では、十代の男女が数人、海に入って戯れている。早朝の誰もいない浜辺で、大きな声を出して騒いでいる。どういうつもりなのか。カメラと灯台の間にいるので、否応なく、画面に入ってしまう。ま、いいか。変化があって。

 二台のカメラのうち、望遠の方は、海に向けた。ちょうど、朝日が昇ってくる方向だ。今はもう、立派な?太陽になっていて、その光を受けた海面がきらきらしている。まともに見ては、眼がやられる。

 そうそう、今朝は雲一つない快晴だ。こりゃ~暑くなるなと思った。だが、実際には、浜風が強く、直射日光をもろに浴びているものの、さほど暑さは感じない。もっともまだ朝の六時台だ。それよりも、特記すべきは快晴、雲一つない青空。天気予報を検討して、この二日しかないと決断して出てきた撮影行だ。まさにどんピシャリで、昨日は多少の雲があり、照ったり陰ったりの空。今日は、朝からおそらく終日、100%の快晴!

 ま、野外撮影に、青空があることは、それだけでOKだ。欲を言えば、多少雲が流れている方が絵になる。そんな贅沢は言ってられないだろう。晴れただけでも感謝するべきだ。年間、字義通り、雲ひとつない青空が、何日あると思う。正確には知る由もないが、経験で、いや、カンで、いや、あてずっぽうで言えば、二十日以下だと思う。月に一回あるかないか、そんな感じだろう。

 …今ネットで調べた。快晴率。快晴とは、雲が青空に占める割合が0~15%くらいの状態と定義される。全国平均すれば、驚いたことに28日前後だった。もっとも、かなりの開きがあり、埼玉県などは全国最高の61日!ま、どうでもいいことだ。快晴だからといって、必ずしもいい写真が撮れるわけではない。率は高いけどね。ちなみに、千葉県は年間で20日だった!

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#8 犬吠埼灯台撮影4

 その快晴の直射日光を受けながら、五分間インターバル撮影を続けた。いつしか、浜の若者たちもいなくなっていた。きらきらと光る海面は、しだいに右の方へ遠のいていき、海は静かになっていった。ただ、水平線の手前、沖を行き来する船が多くなったような気がする。いろいろな船影があり、速度もそれぞれで、見ていて飽きない。

 と、いきなり、背後から声がした。今回の四泊五日の撮影旅行では、二人の男から話しかけられた。その一人、ほぼ爺に近いチャリに乗ったオヤジだ。「昨日も撮っていたよな、仕事か?」高圧的な感じでもなく、普通の感じだったので、その後、しばらく雑談した。内容は、ま、ほとんど忘れたが、覚えていることは、沖を行き来する船についての、爺の話だ。

 「望遠で見てみな、あの船止まってるのか?動いているか?」そう言われたので、しかたなしにカメラを覗いた。大きな船影、フェリーだった。「かすかに動いる」と答えた。あとは「あの二艘の船、巻き網漁をしているんだ」と爺が聞かれもしないのにしゃべっている。一応話を合わせて「今は何が捕れるんですか?」。「びんちょうマグロ、知ってるだろ」。<びんちょう鮪>と聞いて意外だった。マグロなどは、もっとずっと沖の太平洋の真ん中にいるような気がしていたのだ。

そもそも、この爺は何者だ。乗っているは汚いチャリ、早朝の散歩者なのだろうか。その爺との雑談もじきに終わって、後姿を目でおった。…なるほど、沖を頻繁に行き来していたのは、漁船なのか。朝っぱらに、仲間と魚を捕って、すぐ近くの銚子港へ売りに行く。漁師、自分のまったく想像もつかない生活をしている人間たちだ。世界は不可解、でも、俺の知ったことではない!奴らだって、俺の生きている世界は不可解なのだ。

 御影の腰掛石の前にしゃがみこんだ。柵に両肘をついて、顎を両手の手のひらに、あるいは、手の甲にのせたりしながら、少年の気分になって、沖を眺めた。辺りを見回しながら、少しぶらぶら歩いたり、ビスケットを齧り、ペットボトルの水を少量ずつ飲んだ。人影がないのを見計らって、おしっこ缶に用を足したりもした。退屈なような、無駄なような、意味のないような、それでいて、かけがえのない貴重な時間なのではないかと思ったりもした。

 時計を見た、十時半だった。十一時半までは粘るつもりでいた。その一時間が長かった。要するに、六時から撮り始めて四時間半以上すぎている。体力的にも気力的にも、長時間過ぎる。精神が散漫になっていたのだろう。撮影画像のモニターも、かなり雑、おざなりになっていた。撮影しているのか、時間を消化しているのかよくわからない状態。要するに、最後の方は、ぼうっとしていたのだろう。

雲一つない青空、快晴の浜辺で五時間半、写真を撮りながらも、とりとめのない時間を過ごした。昨日のような暑さ、不快は感じなかった。まずもって、海からの風がかなり吹いていて、暑さを和らげてくれた。日射は最大限に厳しかったが、準備と心構えが違った。なんとかやり過ごした。

 三脚をたたみ、カメラバックを背負った。五、六歩行きかけたところで、振り返った。忘れ物はないな、念のための行動が自動化している。忘れ物の確認をしないで、一度ならず痛い思いをしているのからだ。砂地を歩いて、高台の駐車場へ向かった。これが意外に体力を消耗する。長い急な階段がきつかった。疲れている。四時起きして動き回っているのだから、当然だ。

 車の中は蒸し風呂状態だった。すぐにエアコンを入れて、窓にシールドを張った。ズボンやパーカなども脱ぎ、すぐに横になった。一応、耳栓もした。車のエンジン音が小さくなった。眠ろうと思った。苦労せずに、そのうち、起きているのか寝ているのかよくわかない状態に陥ったようだ。夢心地。…蒸し暑くて不快、エアコンを強くした。またうとうとした。

 目が覚めた。二時過ぎだったかもしれない。とたんに大きなくしゃみ、五連発。これは、アレルギー性鼻炎の発作で、非常によくない。というのも、自宅なら<ザイザル>を飲むという選択肢もあるが、眠気とだるさがきついので、旅の間はできるだけ飲まないようにしたいわけだ。ま、さいわい、世の中、マスク着用が常態化しているので、最悪の場合は、テッシュで鼻栓をして、しのぐこともできる。

 さっと身支度をして、サンダル履きで車の外に出た。疲労が少し回復している。一応、カメラを一台首にかけた。犬吠埼灯台を、広場やや右からスナップするつもりだ。時間的には、午後の光になっていて、思ったとおり、やや赤っぽくなっている。ま、いい、これも一興だ。

 <テラステラス>に入った。窓際のカウンター席に座って、昨日と同じカレーを食べた。と、斜め後ろで、中国人か、大きな声でしゃべっている。振り返ると、ソフトクリームをほおばった、間抜けな面の若者だ。むろん、咎めるつもりなどはない。が、その後すぐ静かになり、いつの間にか、その一団はいなくなっていた。

 すぐに食べ終えて、トイレに寄った。少し排便して、温水で洗浄してすっきりした。ただ、コロナ菌のことが頭から離れず、念入りに手を洗った。きれいな施設だが、トイレに関しては、話は別だ。この時期、外で排便はしたくなかった。神経質なところがある。それに、同じ行動を繰り返す習性もある。同じものを、同じ場所で食べることがよくあった。

 さあ、午後の撮影の開始だ。一番暑い時間帯は、昨日撮った。今日は、そのあと、二時半から日没前の五時半までにしよう。三時間の撮影が関の山だ。それ以上は冗長、散漫になってしまう。都合のいい理由をでっち上げた。

 ほぼ予定通り、午前と同じ場所に、同じように二本の三脚を立て、五分間インターバル撮影を始めた。太陽は西に傾き始め、暑いというほどでもなく、アウトドアが快適だった。カメラと灯台の間にある波打ち際は、大賑わいだった。次から次へと、登場人物が入れ替わった。

 小さな子供連れの家族が多かった。それにカップル。ときには高校生の男子だけの集団、小学六年生くらいの仲良し少女たちもいた。真っ白な灯台が、徐々に西日に照らされ、染まっていくことを期待した。が、そういう現象は起こらず、海を撮っている望遠の方も、快晴ゆえに、空にもまったく動きがない。

 いきおい、写真撮影よりも、波打ち際で遊んでいる人間を見ていることが多くなった。記憶に残っているものだけでも、記しておこう。小さな女の子、赤いボールが波にさらわれた。思い切って自分で取りに行こうとして、波の中に沈んだ。すぐさま、メタボ体形の父親が、意外にも俊敏な行動で海の中に走りこみ、幼い娘を救い上げた。

 小型犬を散歩している女性。寄せ波に、ワンコは逃げようともせず、そのまま波につかる。そして、引き波の中、しゃがみこんで気持ちよさそうだ。それを幾度となく繰り返す。飼い主の女性が笑っている。大きなストローハットをかぶった若い女性、二人連れ。ひとりは、ヒールを手に持ち素足で波打ち際を歩いている。そのほか、あとからあとから、小さな男の子や女の子が走って登場、波打ち際で歓声を上げている。孫を見守るじいちゃんたち。

 一番絵にならないのは、若い男の二人連れ、さらにいただけないのは、男の若者が一人。波打ち際は、やはり女性や子供たちの場所だ。・・・そう言えば、地元の老サーファーが、波間に浮いていたな。一、二回、波に乗ったものの、すぐに見えなくなり、また波間に浮いている。良い波を探しているようにも見えるが、なにせ、サーフィンをするような波じゃない。この、やや長髪の爺は、昨日、遊歩道を散歩していた。さばけた爺さんがいるなと記憶に残っていた。サーファーだったのね。

 ・・・陽もだいぶ傾いてきた。陣取っている柵の下、波打ち際に、先ほどの女の子仲良しグループが、インスタにでもあげるのか、スマホで自分たち写真を撮っている。距離的にも近く、要するにすぐ目の前なので、いやでも目に入ってくる。確か四人いたと思う。体つきからして、中学一年生くらいか。海を背にして、三人が並んでポーズを取り、ひとりが撮る。これを交互に繰り返している。写真が撮れたら、ワッと走り寄って、みなでスマホを囲む。実に楽しそうだ。

 そのうちは、白っぽい風船を膨らませて、それぞれが手に持つ。シャッターチャンスの、念入りな打ち合わせをして、全員で指を立ててカウントする。と、ひとりの風船が割れて、中から何やら、小さな金色の星のような物が、ぱっと飛び散る。なるほど、面白い演出だ。これを交互に繰り返す。時間なんか関係ない。今の彼女たちに時間は存在しない。見ているだけで、こっちまで楽しくなった。

 とはいうものの、それが、妙な具合になってきた。女の子のうちの、誰かのお姉ちゃんなのか、茶系チェックのスカートに白ワイシャツ、痩せ気味の女子高生がどこからとも現れた。女の子たちを並ばせ、スマホで写真を撮ろうとしている。ポーズの注文など、こまかく指図している。そのあと、スマホを覗いて何やらやっている。その時間が、いやというほど長い。その間、女の子たちはおしゃべりするでもなく、シーンと、神妙に待っている。先ほどの快活な雰囲気がなくなり、白けた感じだ。

 女子高生の方は、そんなことにお構いなし。ようやく、スマホから顔を上げ、またあれこれ長い指図をして、スマホを覗きこむ。その繰り返しだ。このあとどうなるのか、すこし気になったが、これといった動きもない。次第に飽きてしまった。こんな状態がかなり続いたのだと思う。あたりがだいぶ暗くなってきた。

今日は、灯台に灯がともる前に引き上げようと思っていた。灯台からの光線が撮れない以上、夜の灯台と対峙する意味はない。ふと下を見ると、女の子四人が、うす暗くなってきた海を背にして、まだ座っている。が、ひとりの子が、最後の風船を、合図とともに割ろうとしている。また、快活な声が浜に響いた。女子高生と一緒に指を折りながら、ついに風船が割れた。金色の星屑が、彼女たちの頭に降りかかった。この瞬間を撮りたかったわけだ。それにしても、写真一枚撮るのに、何十分かかってるんだ。ま、余計なお世話だな。

 女の子たちは、ワッと女子高生のもとに走り寄り、スマホを覗きこんで、歓声を上げる。うまく撮れたのだろう。やっと解放されたと思ったのは自分だけではなかった。みなして風のように砂浜を走り、灯台の方へ消えて行った。そうそう、立ち去る前に、飛び散った金色の星屑を拾っていた。浜を汚さないような躾がされている。やはり、地元の子たちだ。ちなみに、この<君が浜>は<日本渚・百選>に選ばれているようだ。

 人生の、一番楽しくて、美しい、高貴な時間を、今この瞬間、自分たちが生きているなどとは、おそらく思わなかったにちがいない。だが、少女たちよ、いずれそのことがわかる時が来る。それが年を取るということだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#9

ビジネスホテル~飯岡漁港

 …浜に人影がなくなり、灯がともる前の灯台も、薄暗がりの中で佇んでいた。五時半だ、引き上げよう。三脚をたたみ、カメラをバックへおさめた。そうそう、書き忘れていたことがある。午後の休憩のあと、高台の駐車場から浜を見下ろした時のことだ。車が何台か閉鎖されているはずの浜の駐車場に入りこんでいる。あれ、駐車場の開放は、明日からだったはずだ。ようするに、<30日より開放>と告知されているので、早めに開けたのだろう。職員がわざわざ、午前零時に開けに来ることもない。その辺は柔軟というか、お役所仕事だ。ま、こっちにとっては都合がいい。機材を運ぶ手間が省けるわけだ。

 昨日、一昨日と、夜の八時近くまで写真を撮っていた。今日はまだ六時前、気が楽だった。途中、旭市の市街地で、ガソリンを補給。旅に出る前に満タンにしてきたが、もう半分以上使っている。値段的には、さほど安くもなかったので¥1000だけ入れた。これで十分だ。けちくさい根性は一生なおらないだろう。

 宿に着く前に、コンビニに寄った。同じ店に、今日で三回目だ。まず、ブドウパンに牛乳、それにカツ丼弁当を買った。初日は食欲がなかった。だが、今日は腹が空いたような気がする。宿に着いたのは七時前。いつものようにすぐ着替えて、温泉に入った。こちらも今日が三回目だ。一応どうでもいいことだが、もっとも、どうでもいいこと以外に、書くことがあるとも思えないが、とにかく、一日目は、こちらに背中を向けた若い男が、湯船につかっていた。自分が入っていくと、それまでは寛いでいた感じなのに、そくそく出て行った。ま、こっちも一人の方がいい。

 二日目は、風呂場の入口、下駄箱のところで、おばさんにばったりでっくわした。黒っぽい服を着て、愛想のないのっぺりした顔、猜疑心が目に出ている。よく出くわす人間の表情で、要するに警戒心や嫌悪感が丸出しだ。目礼もしないですれちがった。

 他人を嫌な感じにさせる表情は、それだけで罪だと思う。自分もそういう時期があった。まずもって、額にしわを寄せ、目が険しい。人生が不幸なときだ。ある時そのことに気づいて、なるべく、<愁眉>を開くように心がけた。少しはニュートラル表情になったのか、ま、今はそれほど不幸でもないので、嫌な表情はしていないと思う。

三日目は、誰にも会わず、ゆっくり温泉につかった。湯船はさほど気にならなかったものの、さすがに、ドライヤーを使う時には、コロナ菌が気になった。もっとも、あたり一帯、足ふきのバスマットも、脱衣カゴも、安全とは言えないだろう。

 なるべく、物に触れないようにして、部屋に戻った。ノンアルビールを飲み、カツ丼弁当を食べた。レンジでチンすれば、もう少しうまかったかもしれない。だが、風呂場へ行く途中の、うす暗い物置のような場所に鎮座ましますレンジを、使う気にはなれなかった。

 食事が終わり、布団にごろっと横になって、小さな画面のテレビを眺めた。まったく興味が持てず、八時になったので、部屋の電気を消した。あっという間に眠ったのだと思う。ま、静寂だけがこの宿の取り柄なのだ。

 四日目。

翌朝は、四時に目覚めた。昨日、八時に寝たのだから、八時間寝たわけだ。そういえば、体も軽い。疲れが取れたような気がした。すぐに支度をして、部屋を後にした。と、その前に、一応、忘れ物がないか、冷蔵庫の中、クローゼットの中などをのぞいた。むろん、というか、性格だろう、布団もたたんで、そのうえ、流し周辺なども軽くふいて、部屋の原状復帰を果たした。

 …宿から立ち去るときに、よく思い出すことがある。もっとも、今回は思い浮かばなかったが。二二六事件の兵士たちが、一晩泊った宿を去る時、布団もちゃんとたたんで、部屋をきれいにして立ち去ったという、ウソかホントか定かでない逸話だ。

 …その後、極秘事項の漏洩を防ぐためだろう、兵士たちの、軍隊内における処遇は過酷を極めた。ということは、後になって知るのだが、逸話を聞いた時には、皇軍兵士とは、そのようなものかと思って、印象に残っている。だが、いま思えば、上官の命令だったのかもしれないし、あるいは、残酷、残忍な内務班で、整理整頓を徹底的に教育されていたからかもしれない。ま、今更、興奮しても仕方ない。老人の繰り言だ。

 例の黄色のプラカゴに、使用済みのタオルなどを入れて、部屋を出ようとした。ふと思いついて、室内の写真を数枚撮った。旅の記念だ。連泊の最後の日だから、鍵は掛けなかった。もう来ることもあるまいと思いながら、エレベーターで一階に下りた。

 まだ朝の五時すぎだというのに、受付には、穏やか感じのばあさんがいて<ありがとうございました>と言われたような気がする。鍵をカウンターの上の小さな箱に戻して、自分も口の中で<ありがとうございました>と言ったような気がする。

 車に乗り込んだ。今日が最後だと思うと、朝っぱらから元気が出てきた。そうだ、飯岡漁港をちょっとのぞいてみよう。先日行ったときはコロナの影響で立ち入り禁止だった。

 少し走ると、大津波で立ち往生した自動車から映した、道沿いの民宿が見えた。外観はあの時のままだったような気がする。と、手前を左折して、すぐ左手に<いいおか公園>。前方には高い堤防が見え、その上に人がたくさんいる。釣りをしているのだ。

 車をどこに止めようかなどと思いながら、行き過ぎてしまい、ユ-タ-ン。堤防近くの広い道に路駐。カメラを取り出し、付近の風景などをスナップした。とくに、刑部岬の断崖の上に立つ、飯岡灯台と展望台を、しつこく撮った。モノにはならなかったけどね。

 少し歩いて、堤防に斜めに掛けてある、たしかアルミ製だったかな、危なっかしい梯子を数段上る。と、そこはかなり幅広の道?堤防の上に出た。あとで知ったのだが、この場所は釣りの名所らしい。それにしても、写真を撮る場所がないほど盛況。まだ朝の五時過ぎだぜ!

 釣り人たちの間を歩いて、空いているところを探した。柵越しに太平洋の、何もない海と空を一枚撮った。あの向こうから、大津波が押し寄せてきたのか、という感傷に浸れるような状況でもなかった。要するに、朝っぱらから活気があって、みんな釣りに夢中だ。

 これといった収穫もないまま、車に戻った。だが、往生際が悪く、またしつこく、逆光の刑部岬、豆粒みたいな灯台と展望台を撮った。撮れた気もしなかったが、なぜか気分は上々だった。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#10 犬吠埼灯台撮影5

 ナビをセットした。犬吠埼灯台、君ヶ浜、東側駐車場へ向かった。ちなみに、ここは初日に下見していて、ぜひとも撮影しようと思った場所だ。つまり、灯台の先端から、弓なりに広がっている君ヶ浜の、ちょうど反対側で、距離はあるが灯台に正対できる可能性があるのだ。何を言っているのか?要するに、灯台の垂直を出すには、灯台に正対するしかないし、そうでない場合、灯台は、必ず傾いでしまう。

 そういう場所で、無理に灯台を垂直にすれば、今度は天地が傾いてしまう。…人間の目は、実際には傾いでいる灯台を、あるいは、斜めになっている水平線を、頭の中で修正して、垂直、水平にしてしまう習性がある。写真を撮るときには、要注意だ。

 その点カメラは、律儀すぎるほどの正確さで、傾いているものは傾いたまま、斜めになっているものは、斜めのまま、写し撮る。とはいえ、カメラは、レンズ口径や性能に影響され<収差>という専門用語すらある。

 要するに、水平線に直立する灯台などというのは、頭の中ででっち上げたイメージで、厳密にいえば、実際には存在しないような気もする。ただ、懲りない抵抗として、被写体に正対すれば、垂直は取り易いということだ。これは経験値ですな。

 …灯台写真を、最近はネットでたくさん見ている。灯台が<ピサの斜塔>のように傾いている写真が数多くある。自分としては、かなりの違和感がある。とはいえ、それは、人それぞれの感覚的なことで、たとえ傾いていても、その人にとっては、問題がない場合もあるのだろう。ただ、自分の場合は、屹立する灯台、垂直に、すっと立つ灯台の姿に魅力を感じるわけで、それなくしては、灯台を撮る意味がなくなってしまう。

 だから、ま、あとで書くが、撮った後の落胆が大きい。つまり灯台が傾いているのだ!その結果、その後の綱渡りのような修正作業が、半端なく膨大になる。かなりうんざりだが、傾いたままの灯台を許せない。念のために言っておくと、これはあくまでも、自分だけの問題であり、他人様の写真を、とやかく言っているのではない。それほど偉くない!

 さてと、話が、きわどい感じになってしまった。四日目の旅日誌を続けよう。…君ヶ浜の、東側駐車場はさほど広くもなく、下は砂場。高さ1mくらいのコンクリ護岸の前に、ぴたっと車の鼻面をあわせた。そこは、護岸が切れたところで、脇から砂浜へと入ることができる。

 できることなら、そうだな、砂浜よりは波の打ち寄せる岩場まで進攻したいところだ。例の垂直の話で、弓なりになっている浜の、灯台とは反対側の頂点が最高なわけだ。だが、そうもいくまい、カメラに波しぶきでもかかったら終わりだ。だから、ぎりぎりのところを選択して三脚を立てた。

 そばに転がっていた、丸くて黒いプラスチック、これはブイだろう、ちょうどいい、腰掛に使える。三脚の後ろに置いて、インターバル撮影の合間、そこに腰かけた。幸運なことに、今日も晴れの予報だった。はるか彼方の灯台を見ながら、誰にも煩わされず、撮影を続けた。

 といっても、九時を過ぎたころから、浜遊びをする人が増えてきた。小さな男の子を連れた楚々とした感じの女性、子供と一緒に砂浜の貝殻を拾っている。ほかにもいたが、よくは思い出せない。そう、あとは海の中、波間に例の老サーファーが見えた。

 …今調べたら、四日目の撮影は、七時半からになっていた。五時に宿を出て、飯岡漁港に寄って、それからひと走りして、いまここにいるわけだ。もっと早くに着いたと思っていた。のんびり、時間に関係なく動いていたとみえる。

 ふと思って、携帯で楽天トラベルを検索。保険として最初に予約して、そのあとキャンセルした銚子市内のビジネスホテルをみた。お、今日、空いている。迷うことなく予約した。というのも、この後、まだ見るべきところが残っていたのだ。

<地球が丸く見える丘展望台>それに<銚子タワー>。午後から、それらの施設を回って、そのあと190キロの道のりを帰るのか、と思うとちょっとうんざり、無理だよな。ニャンコもいないし、もう一泊していこうという気持ちになったわけだ。ちなみに、連泊した宿の方は検索もしなかった。もう泊まるつもりはない。

 …旅の日程を変更したことは、おそらく今回が初めてだ。<自由>を感じた。カネのことも日程のことも二の次で、思いつきで旅を楽しんでいる。そう今にして思えば、算段して旅に出ても、いつもカネと時間に縛られていたのだ。

一応、娘にだけは、もう一泊すると連絡しておいた。泊まるホテルの名も伝えた。と、そばに、ちょっと前からたたずんでいた中年男性に話しかけられた。少し前から気配は感じていたのだ。

 携帯が終わるのを待っていたかのように、丁寧な感じで、写真のことについて聞きたいと言う。お、と思い耳を傾ける。最近ニコンの5600を買ったものの、どうも使いこなせない感じなんです。なるほど、こっちがニコンのカメラを二台、三脚に立てているのを見て、話しかけてきたんだな。

 ま、それから、いろいろと、小一時間話した。こっちも暇だったし、インターバル撮影にも多少飽きていたのだ。彼の方も、駐車場が解禁されたので、久しぶりに一人で海を見に来たのだ、とか言っていた。自分から、五十過ぎとちらっと漏らしたが、独身かどうかはわからない。仲間とバイクでツーリングなどもしていて、行った先の景色をきれいに撮りたいらしい。

 ま、偉そうに、少し初歩的な写真のテクニックを伝授した。とはいえ、あとでよく考えてみると、でたらめを教えたような気がする。申し訳ない!この場をかりて、丁重に謝りたい。

 帰り際に、彼が、いまここで撮っている写真が、ネットにアップされるんですね、楽しみです、というようなことを遠慮がちに言った。おっと思い、名刺の裏に、投稿サイトの名前とハンドル名を書いて渡した。白っぽいシャツに黒っぽいズボン、地味な感じの少し小太りの、人のよさそうな男だった。

 時計を見た。十時半だった。十一時半まで粘るつもりだったから、あと一時間かと思った覚えがある。撮影を続けながら、今日の午後、そして明日の予定を、頭の中で考えた。

ここを、十一時半に撤収して、<地球が丸く見える丘展望台>へ行く。すぐ近くだから、移動にさほど時間はかからない。問題はそのあと、展望台からの撮影だ。撮影場所はワンポイントだろう。要するに、そこから犬吠埼灯台が見下ろせるかどうかにかかっている。ま、それでも、行って帰ってきて、二時間あれば十分だろう。

 戻ってきたら<テラステラス>でカレーを食べる。それから<銚子タワー>へ行き、望遠で灯台を狙う。五時前に引き上げ、ここに戻ってきて、夜の撮影。撮れなかった灯台の光線に、もう一度挑戦してもいい。それから、明日の午前中には晴れマークがついているから、帰る前に君ヶ浜を少し散策してみよう。ざっとこんな感じだ。

 …午前中の撮影は、どこか集中力に欠けていたな。だが、もういいだろう。少し観光気分になっていた。三脚をたたみ、機材を車の中に収め出発した。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#11 

<地球が丸く見える丘公園><銚子タワー>撮影

 灯台を見下ろす高台にある<地球が丸く見える丘展望台>には、すぐに着いた。コロナ禍でずっと休館していて、今日から再開。駐車場がずっと下の方だから、重いカメラバックを背負い<ふれあい公園>の中をうねうね歩きながら、展望台を目指した。

 施設の中に入ると、思った通り、と言うのは駐車場に車が二、三台しか止まっていなかったからだが、閑散としていた。売店に人影はなく、受付の女性が一人いるだけだ。生年月日を言って、シニア割¥360。高いのか安いのかよくわからない。エレベーターに乗って、展望ラウンジへ行った。休憩所のようなものがあり、長い机に椅子がたくさん並んでいた。人影はない。ベランダに出ると、たしかに、太平洋が一望だ。

 とはいえ、お目当ての灯台は、なんとも間抜けな話で、黄色っぽい二階建ての民家にさえぎられ、ほとんど見えない。なんで、と言いたいほど、ベストポジション?にその大きな家はあって、故意に、灯台を見せまいとしているかのようだ。

 だが、せっかくだ。望遠を取り出し、ベランダの仕切り壁に寄りかかりながら、撮り出した。まったくもって、写真にならん!灯台の白い頭だけが、ちょこんと民家の横から飛び出ている。その向こうは太平洋、そして水平線だ。

 撮っているあいだ、二、三組、若いカップルや家族連れがそばまで来たような気もする。が、やや機嫌が悪かったので、よく覚えていない。こりゃだめだな、とすぐに諦めた。観光気分でベランダを半周し、太平洋を眺めた。HPのうたい文句通り、水平線が少したわんでいる。だからと言って、どうということもない。

 徒労だったな、と思いながら、エレベーターに乗ったのだろうか、施設の外に出て、公園の階段を下りた。…今この施設のHPを見た。海を背にした、犬吠埼灯台の写真が掲載されている。これは空撮か?それとも民家ができる前の写真なのか?そう、たしかにこの写真を来る前に見てはいる。だから行ったのに、いっぱい食わされた!

 広い駐車場は、日差しが強くて、車の中はひどく暑かった。もしかしたら、と思いながら、高台を下りながら、辺りをきょろきょろした。どこか、民家の下に、見晴らしのいい場所はないのか。…なかった。

 朝から、ブドウパンと牛乳しか腹に入れていない。昼食の時間はとっくに過ぎている。そうだ<テラステラス>でカレーを食べるんだ。ひと息入れて、次の行動へ移ろう。今日は夜の八時頃まで写真を撮るつもりだった。

 犬吠埼灯台前の商業施設<テラステラス>は、できたばかりなのか、きれいで、混んでなくて気持ちがいい。たが、昨日に比べ、灯台周辺の広場には人影が多い。県外ナンバーもちらほらで、観光地の雰囲気が戻ってきた感じだ。

 この旅の習慣。昼食にカレーを食べ、きれいな温水便座で用を足す。さてと、今度は<銚子タワー>だ。ナビをセットした。…そう、銚子タワーに関しては、行く前から、さほど期待していなかった。HPに掲載されている、民家の屋根越しの写真は、どう見ても超望遠で、自分の400mmでは無理だろうと思っていたからだ。

 浜での午前の撮影でも、その合間に、真後ろを振り返り<タワー>を目視、そのまま回れ右をして、今度は灯台を目視。なるほど、<タワー>展望台の右端からなら、左端かな?灯台が見えるはずだ。ただ、距離がかなりある。今でさえ、かなり遠目の灯台だ。期待はできない。だが、一度は行ってみるべきだよな。

 <銚子タワー>にも、ナビ通り、すぐに着いた。さして広くはない駐車場に、数台の車が止まっている。施設に入ると、薄暗い売店、そして受付の女性が一人だけ。ここでも、さっきの<地球・・・展望台>とおなじく、生年月日を言って、シニア割り¥360。両方とも市の施設なのだろうか、何もかもよく似ている。

 エレベーターで、かなり高いところまで登った。展望室は、ぐるっとガラス張りで、360度見渡せる。あ、あった。犬吠埼灯台だ。でもねえ~、あまりに遠すぎる。いちおう、来場者に気をつけながら三脚を立てた。遠目とはいえ、撮影ポイントは、この場所以外にない。HPの写真も、この位置から撮られたものだろう。何枚か撮った。ガラス越しの撮影は<スカイツリー>で経験積みだった。

 しかしながら、灯台は民家の屋根越し。それに、思った以上に遠い。ま、あとは、トリミングと補正と修正でどのくらいできるかだが、帰宅後に、何をやっても、全然モノにならないことが判明した。やはり、400mm程度の望遠では無理だったのだ。惨敗。

 あっさり、犬吠埼灯台はあきらめた。ほかに何かないかと、展望室をぐるっとひと回りした。銚子漁港とか、古い船とか、いい眺めだ。それに、西側の方に、防波堤灯台などがいくつか見える。中でも、その時は名前を失念していたが<銚子港一の島灯台>というのが、小ぶりながら存在感がある。

 …再度、今調べてみると、灯台マニアのサイトには、地上からの写真もある。丁寧なサイトで撮影場所まで明記してあった。それに、出所は忘れたが、この灯台が大波を受けている写真があったはずだ。いい写真で印象に残っている。

 というわけで、時間もあるし、この灯台と、そばにある防波堤灯台なども撮ろうと、ガラス越しに三脚を立てた。ところがだ、その場所の後ろにはベンチのような腰掛があり、ま、それはそれでバックなどを置くには便利なのだが、通路が狭くなってしまい来場者の邪魔になる。

 不運?は重なるもので、さほど混んでもいなかったのに、にわかに、次から次へと人が通り過ぎる。そのたびに道をあけたり、場所を移動したりした。おちおち写真など撮っていられない。いま思えば、夕日に海が染まるのを期待して、インターバル撮影を試みたが、しょせん、場所的にも、時間的にも無理があった。

 ま、その時は、そのことには気づかないで、子供連れの家族が大声で話しながら、二回も巡ってきたことに、やや不機嫌になった。しかも、あろうことか、三脚の横にあった、有料の双眼鏡を子供が覗きたがり、駄々をこねているのだ!

 ま、いい。話を灯台のことに戻そう。まさに高みの見物撮影だった。だが、写真的には、これもあとで思ったことだが、あまりよろしくない。端的に言って、平板になる。今回の場合、望遠という要素も加わるので、ちなみに望遠レンズでは画像が圧縮され距離感がなくなる、より一層奥行き感のない、のっぺりした写真になってしまった。

 これは、遠近感が重要な、風景写真では致命的だろう。理想は35ミリくらいで、被写体に近づけるだけ近づいて撮ることだ。誰の言葉か、どこで読んだのか忘れたが、奥行き感ということに関して言えば、35ミリ前後が、自分の貧しい経験からしても、一番有効だと思う。

 ま、それはさておき、こう人が多くちゃ、三脚なんか立てていられない。いうわけで、そばにある赤い防波堤灯台や、その隣の白い突堤灯台なども、手持ちで撮り出した。撮れているのか撮れていないのか、なんだか、かなりでたらめな、乱暴な撮影になってしまった。

 ・・・その<一の島灯台>の後方、というか斜め右上から、一台のモーターボートが現れた。海の上を疾走している。灯台を横切る瞬間、少し左側に行ったところなどでシャッターを切った。ありきたりの構図だ。…<荒川>を撮っていた時も、よくモーターボートを見かけた。モーターボートに乗ったことは一度もないし、乗りたいと思ったこともない。が、ふと、ああいう乗り物に乗っている人間のことを思ったことがある。金持ちなのだろうか?それとも遊び人なのか?いずれにしても、自分とは違う種族だ。とはいえ、心の底では羨望と嫉妬が微かにうごめいていた、というのが正直なところだ。だが今日は、疾走するモーターボートを見て、アホやな、とは思わなかった。低俗な人間にはなりたくないが、自分だって、そんなに高尚な人間じゃない。大して変わらない。

灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#12 犬吠埼灯台撮影6

 さあ、時間だ。ひきあげよう。エレベーターに乗って下まで降りた。車に乗り込んだ。五時前だった。これから、夕方の撮影が始まる。念のため、ナビを犬吠埼灯台にセットして出発した。

 途中、道沿いの、海の見える、ちょっとした駐車スペースに車を止めた。なにをしたんだっけ?夜の寒さに備えて、ヒートテックでも着込んだのか、それとも、腹ごしらえに、何か持参していたお菓子でも食べたのか、しかとは思い出せない。ただ、フロントガラスの向こうに広がる、少し暗くなった海を見て、一瞬、こんな光景、前にも見たことがあるな、と思った。

  君ヶ浜の東側駐車場に戻ってきた。辺りは少し暗くなっていた。車が数台止まっている。朝方の撮影の際に現れた、耐えがたい騒音の、族っぽい二台のバイクが、またやってきた。朝方は、狭い砂地の駐車場を我が物顔で走り回っていた。今回は、あっさり、すぐに行ってしまった。うるせいなあ~と思ったものの、ひょっとしたら、奴らの縄張りだったのかもしれない。

 撮影機材を車から下して、護岸の切れたところから、浜辺に入った。午前の撮影同様、岩場と砂浜の境あたりに三脚を立てようと思った。だが、気が変わった。

 護岸の下は、コンクリの段々になっている。そこに腰をおろして、三脚を短めにセットした。要するに、段々に腰かけたまま、撮影しようというわけだ。立ったり座ったりする必要もないから、これは楽だ。もっとも、ずっと腰かけてもいられないので、インターバル撮影の合間に、立ち上がったりもした。

 それはともかく、カメラを構える位置が、灯台から少し右にずれた。灯台の垂直だとか正対だとか、厳密にいえば、位置取りが甘くなった。暗くなってきた辺りの景色同様、頭の中も暗くなっていたのだろう。

 ただ、よく覚えていることは、灯台からの光線を写真に撮ること。メモしてきたことはほぼ無効で、完全な真横一文字は望むべくもないが、何とか工夫して、光線をモノにしようという、ある種の意気込みだ。朝五時に起きて、一日中動き回り、それでもなお元気だった。完全にハイになっていた。

 五時半過ぎから撮影したのだから、あっという間に暗くなってきた。灯台に明かりが灯った。ちらちらと、光線が見え始めた。じきに辺りは真っ暗。持参したヘッドランプを頭に装着した。こうしていれば、暗がりでごそごそしていても、他人に怪しまれることはないだろう。小心者!よけいなことを考えすぎだ。

 バタバタと、カメラ操作などしているうちに、ついには漆黒の闇。下からの照明を受けた灯台だけが、ぼうっと浮かび上がっている。その明かりの影が、暗い夜の海を微かに照らしている。時々、灯台正面の駐車場に出入りする、車の赤いテールランプが点滅する。

どう考えても、一秒では、光線はとらえきれない。ためしにと、十五分の一秒、続いて三十分の一秒、さらには五十分の一秒とした。お、かすかに写っている。調子に乗って、八十分の一秒にする。やや物足りない。なるほど、五十分の一秒か。ホントなのか?

 しかし、これでは光線が短すぎる。イメージとしては、灯台の目から暗闇へと、長い光線が欲しいのだ。でもね~、そんな光線は目視できない。だからこそ、何か特別な方法が必要なのだろう。それが技術というものだ。

 だが、ありていに言えば、その技術を習得するには、あまりに年を取りすぎてはいないか?いや、年など関係ない。是が非でも、という強い気持ちがあるなら、やれるはずだ。きれいごとじゃないのかな?

 とここまできて、灯台からの、真横一文字光線が是が非でも必要だとは思えなくなってきた。つまり、光線は一種の絵面でもあるわけだ。問題は絵面ではなく、心意気が欲しいのだ!言葉に酔っている。いまの段階では、光線は撮れない。それだけでいい。

 変な納得の仕方だった。とはいえ、気持ち的にはすっきりした。今やれることはやったのだ。何と言われようと、ま、後悔はない。こうして四日目の夜の撮影が終わった。灯台からの、少しばかりの光線が撮れたことに、十分満足していた。

灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#13

少し高いビジネスホテル

 お決まりのようにナビをセットして、銚子市内のビジネスホテルへ向かった。暗い夜道を、どこをどう走ったのか、じきに広々とした市街地に出た。銚子市のメインストリートみたいだ。

 ご丁寧なことに、ホテル近くのコンビニもナビで調べていた。道沿いにあるのですぐにわかった。おにぎり三個、唐揚げ、牛乳、ブドウパンなどを買った。ホテルの駐車場は有料パーキングのようになっていた。とはいえ、通行フリーになっているので、バーは上がったまま。建物が大きい割には、車はさほど止まっていない。

 明るい、きれいな入口、受付には若い女性が二人いて、ビジネスライクな応対、前金で¥7700払う。カードをもらい、エレベーターに乗った。部屋は二階、廊下も広い。

連泊した宿とは、何もかもが違う。キーじゃなくてカードだ。ま、今日日、当たり前だろう。そのカードをドアノブの下に当て、部屋に入る。明かりをつけようとして、壁際のスイッチを押した。反応がない。…なるほど、壁にカードを差し込むポケットがある。

 電気がついた。きれいだ、それに広い。喫煙ルームだったのだろうか、空気清浄機があり、つけると、こもっていたタバコの臭いが消えた。テレビもでかい。ベッドに横になりながら、見られる配置になっている。コロナ対策もされている。コップは紙で包まれていた。ま、これも当たり前だけどね。

 値段だけのことはあるな、と思った。すぐに着替えて、広めの、きれいなユニットバスでシャワーを浴びた。むろん、温水便座だ。最初に入ったときに確認している。こうでなくちゃな、少し常識的な気分になった。

 唐揚げをつまみに、ノンアルビールを飲んだ。おにぎりも三個食べた。おにぎりの味がした。名前を出してもいいだろう、街中のセブンだから、品物の回転が速く、その分、おいしいのだ、と納得した。

 そのあと、ノートにメモを取った。要するに、何時に起きて、何をしたか、という程度のことだ。それだけでも、帰宅後の日誌にはずいぶん役立つ。細かい、数字的なことがまったく思い出せないことがしばしばあるのだ。

 三十分くらいメモっていたら、なんだか眠くなってきた。夜の八時過ぎにチェックインしたことは、間違いない。だが、何時に寝たのかは定かではない。メモにも書いていない。ま、十時前には、確実に寝てしまったのだろうと思う。

 そうそう、車に積んであったノートPCは一度も持ち出すことがなかった。何しろ、パソコンに向かう気に全然なれなかったのだ。それどころか、いつもの撮影旅行なら、宿での画像モニターは決まり事なのに、バックからカメラを取り出すことすらしなかった。かなり疲れていたんだろうな。

 ベッドに斜めに横になり、テレビ画面を眺めていたような気がする。むろん、テレビなんか見ていない。うす暗くなった広い室内を見回し、ここを定宿にして、また撮りに来よう。春夏秋冬、季節ごとに同じ場所から撮る。犬吠埼灯台のロケーションは、予想をはるかに超えて、素晴しかった。

 夜中に、何回がトイレに起きた。ジジイの習性だ。もう慣れっこになっている。はっきりと目が覚めたのは、朝の五時だった。茶色の分厚いカーテンを開けると、なんと曇り空!昨日の予報では、午前中は晴れマークがついていたに。ため息をつきながら、空の様子をうかがった。雲は厚く、どう考えても晴れるような気がしなかった。

 となれば、今日の撮影は無理だろう。もう少し寝ていようかな。いったんはベッドに戻った。が、完全に覚醒していて眠くない。ままよ、さっと起きて朝の支度。洗面、食事、排便。六時には、フロントにカードキーを返していた。もっとも、朝早いせいか、受付は、黒っぽい背広の中年男性だった。やはり、ここは、若い女性の<ありがとうございました>の声が聞きたかった。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#14 君ヶ浜~復路

 車に乗り込んだ。心づもりはできていた。要するに、君ヶ浜の散策だ。撮影場所が、今回の二か所以外にはないのか、例えば、弓なりになっている浜辺の中間点はどうなのか?ナビをセットして、浜へ向かった。道はガラガラで、ほとんど貸し切り状態だった。

 浜のほぼ中間地点に、道路を挟んで、広めの駐車場がある。車が何台か止まっている。空の様子は、いまにも降り出しそうな鉛色。写真は全く無理。だが、いちおう下見だ。軽い方のカメラを首にかけて、浜へ向かった。

 朝早いのに、それに天気も良くないのに、浜の遊歩道には、ちらほら人影が見える。ふ~ん、朝の散歩かな。護岸のコンクリ段々で立ち止まり、一息ついて、じっくり辺りを見回した。ふむ、眼の先、少し右側、そこだけ岩場になって、海に突き出ている。

 近づいていくと、自然の岩場ではなくて、人工的なものだとわかった。なぜこんなところに?防波堤としては小さすぎるだろう。意味をなさない。そのうち、これは灯台を眺めたり、記念写真を撮ったりするための場所だ、ということがわかった。

 事実、三脚に都合のいい平な場所を探したり、しゃがみ込みこんで灯台をスナップしたり、要するに撮影の下見を終えた後、おそらく退くのを待っていたのだろう、若い女性が二人、今さっきまで自分のいた場所で、灯台を背に記念写真などを楽しそうに撮っていたのだ。

 灯台との正対、ということに関しては、この人工岩場は、かなりいい。というのも、弓なりになっている浜の中間地点ではあるが、海に数メートル突き出ている分、少なくとも、西側の第一撮影場所、二日目・三日目と粘った場所よりも、灯台の傾度が修正されるはずだ。

 ただし、構図としては、第二撮影場所、つまり灯台の反対側と同じで、画面の下半分、ないしは三分の一は海になってしまう。ま、構図的には、波打ち際が写る、第一撮影場の方がよい。だが、何事にも一長一短はある。この場所を第三の撮影場と決めよう。

 砂浜を少し歩いた。予想外に疲れる。歩くたびに、足の力が砂地に吸い取られるようだ。時計を見た。七時前だった。ほぼ一時間、撮影の下見をしている。急にぐったりした感じで、足が重い、体が重い。しかも眠い。駐車場へ向かいながら、この状態では運転できんな、と思った。

 考えるまでもなく、すぐに車の窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。車の出入りもなく、静かな駐車場だ。が、念のため耳栓もした。横になった途端、ふうっと、意識が遠のいた。旅の五日目、朝っぱら頑張りすぎたのだ。

 うとうと、少し眠ったようだ。時計を見ると、九時ちょっとすぎていたと思う。う~ん、一時間以上眠ったわけだ。窓のシールドなどを外しのだろう、車の外に出たのかもしれない。ともかく、思った以上に元気が回復していた。これなら、一気に帰れそうだ。

 お決まりのように、ナビをセットした。到着地を自宅にしないで、東関道の大栄インターにした。つまり、圏央道が途切れている古いナビなので、来た道とは別の道を案内されてしまうからだ。ま、用心のためだったが、これが、ちょっとした失敗を招いた。

 一般道をナビどおりに一時間ほど、うねうね走った。単調で、いささか飽きた。料金所のない元有料道路を過ぎ、そろそろ高速だ。広い道に出て少し行くと、左側に大栄インターの緑がかった看板、あれと思った。ナビは無言。

 ナビが大栄インターまで導いてくれるものだと思い込んでいた。だから、まだ、高速に乗り損ねたとは思っていない。が、少し行って、広い道から、山の方へと続く狭い道に左折させられた。はは~ん、Uターンするのか、いやちがった。だんだんだんだん、道は細くなっていく。疑いながらも、ナビの音声に従った。

 そしてついに、行き止まり。<目的地に到着、案内を終わります>だって!なるほどそうか、やっと事の次第を理解した。到着地に指定したつもりの場所は、実は大栄インターではなく、その付近の山里だったのだ。…タッチパネルで操作したのがまずかった。ちゃんと文字で入力して確認すべきだった。

 あとの祭り、とはこのことだ。少し坂になったところで身動きできない。このままバックで、Uターンできるところまで戻るしかない。車幅ぎりぎりの、少しカーブしている坂道、こういうのが、いちばん苦手なんだよ!緊張した、こんなところで脱輪するわけにはいかない。車に傷もつけたくない。慎重に、何回か切り返しながら、坂道をおりた。

 単調な道の運転で、少しぼうっとしていたようだ。だが、これで目が覚めた。少し広くなった場所を利用してUターン、今来た道を戻った。やはりあの看板が正解なのだ。

 白いSUVが山里から、のこのこ出てきた。目の前には、さっきの広い道路。むろん右折すれば、高速に入れるはずだ。幸い信号があり、青になるのを待った。長い信号だ。走り出すと、予想どおり、すぐに高速入口の緑の看板。ほっとした。・・・今回の旅で、道を間違えたのはこの一回だけ。帰路、少し気が緩んだのかな。

 高速に入ってしまえば、こっちのもんだ。もう、ナビなんかいらない。おとなしくしてもらった。来た時の教訓を生かして、律儀にパーキングごとに休憩をとった。東関道の大栄パーキング、圏央道に入って江戸崎パーイング、だが、ここからが長い。この先小一時間、パーキングはない。

 とはいえ、100キロ未満の、のんびり高速走行。おかげさまで?眠くなることもなく、それほど疲れもせず、すんなり菖蒲サービスエリアに到着。県を二つまたいで、地元の埼玉だ。

 菖蒲サービスエリアには、コロナ自粛中とはいえ、たくさんの車が止まっていた。トイレ、それに少し体の屈伸。見回すと、ほとんどが埼玉県ナンバー。無事に戻ってきたわけだ。当たり前だ。たかだか、千葉の銚子までだ。これしきの旅で、参る筈がない。いや、まだ、参るわけには行かないだろう。

 すこし気持ちを引き締めた。最後の数十キロの高速走行。今日は一つ手前のインターで降りよう。出口での料金が、少しだけ安くなっていた。そう、初日こそ、出費について書いたが、そのあと、ほとんどカネの出入りについて触れていない。気にも留めなくなっていたのだ。

 高速を降りた。見知った一般道だ。自宅はもうすぐそこだ。時計を見た、一時を少し回っていた。仮眠した犬吠埼の駐車場を九時半ころ出発したのだから、四時間半かかっている。ま、何時間かかろうが、問題はない。疲労困憊していたわけでもないし、運転が苦行になっていたわけでもない。ちゃんと帰って来たのだ。

 一時半には、自宅に戻った。玄関ドアを開けたとき、<帰ってきたよ、ただいま>と、もうお迎えすることも、足元でゴロゴロすることもないニャンコに呼びかけた。

 室内は変化なし。当たり前だろう。ベッドの背もたれに置いてある、ニャンコの白い骨壺に向かって、もう一度<ただいま>と言った。骨壺についている白いふさふさを、眉間をなでてやるように、軽く、やさしく撫でた。

 やっぱり疲れた!後片付けは、明日だ。カメラバックと手に持てるだけの荷物は部屋に入れた。ベッドに倒れこんだ。だが、後ろをふり返って、いま一度、骨になったニャンコが入っている、白い骨壺をなでた。寂しい気持ちと自由な気持ちとがないまぜになった。

 そのあと、口の中で<おやすみ>とつぶやいて、すぐに寝入ってしまったようだ。目が覚めた時には、もうあたりが暗くなっていた。

 灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編#15 エピローグ

 2020-6-22(月) 雨。本格的な梅雨だ。

 五月の末日に帰ってきて、いまはもう、六月の二十日過ぎ。この間、いったい何をやっていたのか、ちょっと書き残しておこう。

帰宅後、二、三日は、使い物にならなかった。というのも、旅の最中に発作を起こした<アレルギー性鼻炎>が悪化して、ザイザルを飲むようになったからだ。要するに、薬の副作用で、もちろん体も疲れていたからだろう、ひどい倦怠感に眠気だ。

何となく、ぼうっとしたまま、その後何日もかけて、旅の片付けや、それに何を思ったか、室内の整理だ。つまり、こたつ布団を片付けたり、夏用の衣類を出したりと、こまめに動いた。

 帰宅後一週間ほどは、かような散文的な生活だった。だが、体の疲れも取れ、薬の副作用にも慣れてきて、次第に頭がはっきりしてきた。これからの予定、作業などを算段し始めた。

 まずしなければならないことは、写真の整理だ。およそ1000枚撮っている。いつもの旅なら、モノになりそうな写真を選択、補正するだけで、ま、それでも手間はかかるが、それほど嫌だなと思ったことはない。むしろ、それが楽しみでもあった。

 今回は話が違う。撮った枚数が多い。加えて、選択、補正する画像が、おそらく数百枚になるはずだ。というのも、前にも書いたが、五分毎のインターバル撮影を、二台のカメラで、ほぼ三日もしているわけで、なぜそんなことをしたのか?つまり、それらの写真をスライドショーにして、ユーチューブにアップするという野心?があったのだ。

 …しけた野心だが、およそ100枚の写真の、30秒間隔のスライドショーなら、約三十分の動画になる。これは<荒川写真紀行>と題して、エリックサティーを流したスライドショーで経験積みだった。

 ということはつまり、どういうことになるのだろう?今回撮影した写真は、そのほとんどがインターバル写真だ。少なく見積もっても700枚はあるぞ。要するに、三十分スライドショー七本分だ。

 ・・・どう考えたって、ここ数週間で、700枚の写真の補正・加工は無理だろう。ま、むろん、一か月とか、二か月とか、時間をかければやれないこともない。だが、こっちにも予定があるんだ。つまり<モロイの朗読>もあるし、月一回ペースと心づもりしている、次なる灯台旅もある。

 写真の補正・加工に明け暮れるのは、二週間が限度だろう。ということで、今月の二十日をメドに、六月二週あたりから、本格的に取り組んだ。…そんなにあせらなくたって、ゆっくりやればいいじゃん、と言われそうだが、そうはいかない。

 写真の補正・加工も大変だ。だが、それに並行して、旅日誌も書くつもりだ。こっちの方は写真と違って、新しい経験が脳に上書きされると、消えてしまいかねない。だから、次の旅に出る前に、ぜひとも書き上げておきたいのだ。

 写真を補正していると、その撮った日のことが、なぜか頭に浮かんでくる。日誌を書くときに、写真は、非常に助かる。だが、これもできるだけ早い方がよい。五、六年続けた<入間川写真紀行>での経験だ。

 …あの時は、ほぼ毎日撮影、その日のことはその日に書き記す、というかなりきついルールを自分に課していた。だが、そのおかげで、今があるわけで、文字を打つことが、さほど苦にならない。そればかりか、多少はこの<ディスクール>の時間を楽しんでいる。

 ま、とにかく、心づもりしたのは、六月の三週までに、今回の旅の写真、日誌を仕上げること。そして、四週目に<モロイ#15の朗読>。そして、六月の後半、ないしは七月の初めには、二回目の灯台旅に出る、というプランだ。

 と、ここまで書いてきて、ふと思った。<エピローグ>なのに、長すぎないか?そうだな、要点だけを書き記して、次に進もう。

 ・・・日程沿って、作業を始めた。大まかにいえば、飯岡灯台27日夕方、犬吠埼灯台28日午後・夕方、29日午前・夕方、30日午前・夕方、の計七回の写真群の補正と加工だ。もっとも、犬吠埼の方は二台のカメラだったから、厳密にいえば、十三群のインターバル写真ということになる。

 撮影は五分毎で、だいたいワンセット三時間、長いものは五時間だったから、それぞれ36~60枚ほどの枚数になる。これを一枚一枚、補正・加工していくのだ。

 イメージとしては、灯台あるいは海の中の岩は不動で、その周りの、波とか雲とか空とか人か、そういったものだけが変化していく、という感じのものだ。

 ところが、そう甘くない。まず、補正だが、灯台はほとんど傾いているし、水平線はゆがんでいる。これを垂直に、あるいは水平に補正する。まずここで、引っかかった。一枚ずつ補正したにもかかわらず、写真ごとに、傾きやゆがみが、いくらか微妙に異なる。

 今回の一番の発見は、垂直も水平も絶対概念ではなく、相対的な概念だ、ということだ。つまり、周りの状況によって、垂直に見えてしまうこともあれば、本当はゆがんでいるのに水平に見えてしまうこともあるのだ。

 さらに言えば、その時の気分や体調も、影響してくるのかもしれない。真っすぐになった、あるいは、水平だ、と思って補正を完了する。ところが、同一写真群を見比べてみると、微妙に、なかには、明らかに、灯台が傾いていたり、水平線がたわんでいたりする。

 そういった写真を、もう一度補正しなおす。が、今度はトリミングが微妙に違っているので、連続させると、灯台そのものが、少しずつ動いてしまう。

 色彩やシャープの問題も重要だ。だが、この垂直、水平の問題はさらに深刻で、当初のイメージを現出させることができない。のみならず、何回補正を繰り返しても、確実には、灯台や岩の不動が担保されない。

 …参った、要するに、補正・加工の枚数が多いのに、そのほとんどが<垂直・水平>問題で失敗している。したがって、もう一度、さらにもう一度と補正を繰り返さなければならなくなったわけだ。お手上げだった。

 そのうち、六月三週に入った。時間切れ、体力切れ、気力切れ。スライドショー用の写真の補正・加工をあきらめた。自分に、こう言いわけした。スライドショーを作るのは、まだ先の話だし、その時やればいいや、と。

 ま、もっとも、旅日誌の方は、いまも書いているわけだが、さほど妥協もせず、字数も時間も関係なく、正直に言えば、最後の方は少し端折ったが、自分的には、ある程度は記録できたという納得感がある。

 それと、<ツイッター>に関しては進展があった。というのも、旅日誌は、ほとんど読まれることのない<ブログ>にだけ掲載されるはずだった。それが、たとえ三行の抜粋とはいえ<ツイッター>でつぶやくことができるようになったからだ。

 やはりね~、書いたものを机の中にしまっておくより、誰も見ないとしても、誰かが見てくれる可能性を信じたり、あるいは、世界を意識したり、自己開示したり、といった自分の、いや人間の姿勢が、うれしいではないか。

 家にこもって、もう何も発しないまま、朽ち果ててもいいわけだけど、まだ力が残っているような気がする。まだ、世界に飛び出す元気があるような気がする。

 ニャンコがオヤジに残してくれた、つかの間の<自由>を、精いっぱい生きることができれば、文字通り、死ぬ苦しみを味わわせてしまったニャンコも、オヤジのことを許してくれるかもしれない。

 …二回目の灯台旅は、いちおう、新潟県の角田岬灯台に決めている。が、天候次第で、もう少し近場の灯台を撮りに行くかもしれない。犬吠埼灯台は、そのうちまた、季節がよくなったら行くつもりだ。泊まるところは、例の一泊¥7700のビジネスホテルにしよう。

灯台紀行・旅日誌>2020犬吠埼灯台編#1~#15 終了。