<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編

<日本灯台紀行 旅日誌>網走編

 

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

 

11灯台旅 網走編

 

2021年10月5.6.7.8日

 

一日目 #1 プロローグ

七月の、男鹿半島旅から帰ってきて、三か月ほどたった。入道埼灯台の写真補正や長文の旅日誌は、さほど苦労もせず、八月中に終えた。九月に入ってからは、懸案だったベケットの<マロウンは死ぬ>朗読#1に取りかかり、こちらも、ほぼ一か月で終了した。

その間、首都圏を中心に、<コロナ感染>が爆発的に広がり、緊急事態宣言などが、全国的に発出されていた。とはいえ、ワクチン接種もかなり浸透して来て、自分も八月下旬には二回目の接種を完了した。これで、安心して、どこへでも行けるようになったわけで、気分的にかなり楽になった。

ところで、男鹿半島の入道埼灯台は、自分的にはかなり気に入っている。その主なる理由は、これまでに見たことのない白黒の灯台だったからだろう。雪が降ると、白一色になり、白い灯台は見えなくなってしまうらしい。そこで、白と黒に塗り分けた。たしかに、その方が、海上からは見えやすいのだろう。ちなみに、雪国などには、白と赤に塗り分けられた灯台もかなりある。だが、こちらは、いまいち、<渋さ>に欠ける。好みではないのだ。

ふと、きまぐれに、白黒灯台の画像をネットで検索した。と、その中で、特に目を引いたのが、<能取(のとろ)岬灯台>だった。この灯台は、北海道網走付近の能取岬にあり、大きさ的には中型灯台だが、周囲のロケーションがとてもいい。広々した、緑の芝草広場の中に、八角形の白黒灯台がポツンと立っている。この風景は、かなり好きだ。だが、場所が北海道だ。よくは知らないが、気候的に、遅くとも、十月の中旬までが写真撮影の限界だろう。

マロウン>朗読#1にケリをつけ、能取岬灯台の下調べを始めたのは、九月の下旬だった。まず、最初に調べたのは、天気だ。最低、中二日晴れなければ、撮影の予定はたたない。なにしろ、場所は北海道だ。はい行きました、はい曇りでした、ではすまないのだ。金も時間も気分も、すべてを台無しにしないためにも、十日間天気予報をしょっちゅう見ていた。

ところがだ、ころころころころ、天気予報が変わる。ひどい時には、半日おきに変わる。これでは、予定が立てられないではないか!とはいえ、そのほかのこと、飛行機とかレンタカーとか宿とかの下調べはした。飛行機は、羽田から女満別まで、エアドゥー。レンタカーは女満別空港でNレンタカー、宿は網走駅付近の大手ビジネスホテル、とまあ、ほぼ決まった。あとは天気なのだ。

十月になった。なぜか、コロナの感染者数が激減したので、緊急事態宣言が全国的に解除されることになった。これはいい、堂々と旅行ができる!それに、天気予報も、なぜか、奇跡的に、晴れマークが並び始めた。当然だろう、だいたい、十月になれば、運動会の季節だ。天気が安定し始める、秋晴れの季節なのだ。

待ってましたとばかりに、飛行機、レンタカー、宿の予約をした。出発は、四日後の週半ば、三泊四日の日程だ。直前に予約があっさり取れたのは、やはり、北海道観光としては、季節が遅すぎるのだろう。でも、まだ、凍えるほどの寒さではないはずだ。

観光としては、いわゆる、オフシーズンに入っている。目星をつけていた、飛行機と宿とがセットになった旅行プランに空きがあり、別々に予約するよりは、一万円ほど安い。それに、これまたなぜか、レンタカーも割安、ま、一気に事が進展したわけだ。

木曜日の深夜に、すべての予約を取った。普通に行くより一万五千円ほど<お得>になった感じで、気分はいい。来週火曜日、午前十一時の羽田発の飛行機だからと、逆算して、明日からの旅行準備の日程を、頭の中で算段した。

あとは、北海道網走方面の、今の時期の気温が気になった。天気予報によれば、旅中の昼間の最高気温は20度前後、最低気温は10度前後だ。さほど心配することはない、と思ったものの、一応、防寒着など、寒さ対策をしていくことにした。

金、土、日で、やりの残したこと、といっても、たいしたことではない、階段や庭の掃除だ。これは、かがむ姿勢がきついので、何回か分けてやっていたのだ。ま、どうでもいいことだが、一応のけじめをつけた。そして、月曜日の午前中には、カメラや衣類のパッキングも終わり、キャリーバッグとリックサックを、玄関先に持って行った。準備完了というわけだ。

あと、今回は、灯台周りの撮影ポジションについては、さほど念入りには調べなかった。なにしろ、灯台の周りは広い広場で、どこが<ベストポジション>なのか、などという問題は、設問自体、意味をなさないような気がした。要するに、現場に行ってみなければ、確定できる問題ではないのだ。

それに、灯台の立っている岬の左右に、でっぱりというか、別の岬はないわけで、いわゆる横から撮ることもできない。さらに、灯台は、目のくらむような断崖絶壁のうえに立っているので、下の波打ち際に下りていくことなども到底できない。

以上のことから、現地に入って、灯台の周りを撮り歩きしながら、<ベストポジション>を探るしかない、と結論した。いや、実を言えば、すでに、この<ベストポジション>という考え方は、なかば放棄している。というのは、太陽の位置次第で、<ベストポジション>も変化する、ということを経験したからだ。つまり、<ベストポジション>などというのは、灯台の写真撮影では、まさに机上の空論で、役に立つ概念ではないのである。

それよりは、灯台が目視できる場所を、いわば、ローラ―作戦的に、すべて撮り進めていく方がいいような気がしている。撮影後に、その中から、気にいったものを選べばいい。要するに、<下手な鉄砲数撃ちゃ当たる>といったことか。

全ての準備が終わり、月曜日の午後は、網走付近の観光地を少し調べた。時間があったら、寄ってみようというわけだ。有名なところは<網走監獄>だ。ただ、これは数十年前に一度行ったことがある。今回、あえて行く気にもなれない。あと目ぼしいものは、<メルヘンの丘>。これは、通る道沿いにあるのだから、当然、寄れるでしょう。

<大曲湖畔地、ひまわり畑><フラワーガーデン・はなてんと>というのもあるぞ。ひまわり畑にお花畑か、イマイチ気持ちがうごかない。あと<卯原内サンゴ草群落地><網走海岸>、このふたつは、時間があったら、寄ってもいいなと思った。

さてと、明日は朝の七時前に家を出て、七時十六分の電車に乗る。ということは、六時前に起きる必要がある。いつも通り、夜の六時半頃に夕食を食べ、八時にはベッドに入った。一応、目覚ましをセットした。眠れないと思ったが、消燈すると、すぐに眠ってしまったようだ。

一日目 #2 出発

数時間おきに、夜間トイレで目が覚めた。これはいつものことだから、ほとんどストレスは感じない。朝の五時、目覚ましの鳴る前に目が覚めた。あと一時間寝ていてもいいのだが、すでに覚醒している。ベッドでぐずぐずしている理由は何もない。スパッと起きた。

ゆるゆると、時間を気にせずに、洗面、朝食(お茶漬け)をすませ、着替えた。排便は少量。六時過ぎにはすべてが完了していた。予定では、七時十六分の電車に乗ることになっている。だが、七時台からは通勤ラッシュが始まる。それに比べて、六時台の電車は、かなり空いているようだ。昨晩、ふと気になって、ちょっとネット検索したのだ。

重いキャリーバッグと大きなリックサックを背負っている。できれば満員電車に乗りたくなかった。早めに出て、早めに着いて、空港ロビーで、居眠りすればいい。案の定、電車は、まだ空いていた。次の次の駅で、前に座っている人が降りたので、座れたほどだ。

その後も、終点まで、混みあうことはなかった。時間に余裕があったので、気持ち的にも余裕が生まれ、乗り継ぎ駅での、エレベーターやエスカレーターの位置を覚えておこうと思った。なにしろ、カメラ二台の入っているキャリーバッグが重い。それを片手で持って、駅の長い階段を登るのが、やや負担なのだ。今回覚えてしまえば、この先、さらに体力がなくなっても、羽田空港への電車移動は、それほど苦にはなるまい。

山手線外回りの電車も、さほど混んでいなかった。そして、最後の乗り換え駅、浜松町のモノレール乗り場の改札を通ったのは、午前八時過ぎだった。エスカレーターに乗ってホームまで行くと、電車(モノレール)待ちの長い行列だ。この時間帯、こんなに混んでいるのかと思った。ま、満員になるほどではないが、座席はそこそこうまってしまった。

電車(モノレール)の中央には、腰高の荷物置き場がある。そこに重いキャリーバッグとリックをおろした。周りを見回した。座れないこともない。が、荷物置き場の横に立っていた。ここまで、ずっと電車で座ってきたのだ。座るのにも多少飽きている。それに、モノレールの座席は窮屈そうだ。

モノレールは多少揺れていた。手すりにつかまりながら、立っていたので、窓外の写真は撮らなかった。いや、出雲旅の際に一度撮っているので、撮る気になれなかった。何度も撮るような景色ではないのだ。

羽田空港に着いた。まだ八時半だった。出発まで三時間ほどある。早すぎるな、と一瞬思ったが、空いている電車で、のんびり来られたのだから、やはりこの方が正解だろう。だだっ広い出発ロビーを見回した。おそらく、エアドゥーの搭乗口は、一番左端で、ここからはよく見えない程遠い。念のためというか、すぐ横に案内所があったので、そこの若い女性に、搭乗に必要なQRコードのコピーを見せた。彼女は、丁寧に案内してくれた。搭乗口は、思った通り、一番左端だった。

向き直って、正面左端の搭乗口カウンターへ行き、改めて、QRコードを見せた。名前と座席の確認をされ、保安検査へと進んだ。キャリーバッグとリックサックを、それぞれ、平べったいプラのかごに入れた。ポシェットはリックの上に重ねた。これは、そのあとすぐに、係員によって直された。すなわち、ポシェットは別のかごに入れられた。

金属感知器の前に進んだときに、腕時計はいいんですかと、脇に立っていた職員に、間抜けな質問をしてしまった。にべもなく、大丈夫ですと言われて、そうだ、前回も大丈夫だったのだと思った。

そのまま進んで、コンベアーの先端まで行き、流れて来るであろう荷物を待った。黒いゴムのような仕切り板の中から、まずキャリーバッグが出てきた。それを下におろし、続いて出てきた、リックとポシェットをその場で身につけた。その際、出口のところで、黒っぽい若い奴が、係の女性から、何か言われていて、持ち物検査をされていた。バールのようなものが、金属探知機に察知されたようだ。脇には、警官がいた。ちらっと見た感じでは、アウトドア用の小さな万能ナイフのようなものだった。

さあてと、エアドゥーの二番搭乗口はと言えば、これまた、一番左端にあるらしい。途中、ところどころ<動く歩道>があるものの、かなり歩かされた。<エアドゥー>が<ANA>より格下なのは知っていたが、これほど冷遇されているとは思わなかった。

これまで、と言っても二度ほどだが、格安航空は使わないで、<ANA>と<JAL>を使ってきた。<格安航空>という言葉に、何となく不安を覚えたのだ。しかし、今回、女満別までの直行便は、<エアドゥー>しかないのだ。いやこれは思い違いだ。<JAL>にも女満別行きの直行便はある。今ネットで確かめた。ではなぜ、<JAL>を使わなかったのか?出発時間や料金の問題なのだろうか?ま、いい、忘れてしまった。

九時前には、エアドゥーの搭乗口前のロビーに着いた。ほとんど人はいなかった。出発時間までには、まだ二時間半くらいある。ゆっくりしよう。自販機で、ボトルの缶コーヒーを買って、窓際の席に陣取った。着くのが早すぎたことについては、反省も後悔もない。なにしろ、時間ギリギリで、いらいらすることが、一番嫌いなのだ。それに、時間は、とりあえず、山ほどある。

それにしても、早すぎるな。あと一時間くらい遅くても問題はない。と思ったそばから、電車が遅延したらどうするのだ、という不安がよぎった。そんな時に対処するためにも、このくらいの余裕があった方がいい。利用している私鉄は、しょっちゅう人身事故で不通になっているではないか!

小心で、臆病で、用心深い。不安神経症的な性格が、年を経て、さらに鮮明になってきた。いや、受け入れられるようになった、と言っておこう。

一日目 #3 コンテナ搬出作業

窓の外では、飛行機から小型コンテナの搬出作業が行われていた。それが、すぐ目の前だ。作業員の表情が手に取るようにわかる。何気なく見ていると、作業員のひとりが女性だ。作業員は、全員お揃いの紺の作業着に帽子をかぶっているので、よく見ないとわからない。少し興味を持った。どう考えても、女性のするような仕事には思えなかったからだ。

彼女の仕事というのは、飛行機の胴体から運び出された、長方形の小型コンテナを、自身が運転するコンテナ牽引車の六両の荷台に、一つずつ乗せ換え、所定の場所に持っていくことだ。ひとつの荷台の長さは、二メートルほどだが、六両連なっている。まずもって、十トン車並みの長さになっているわけで、回転する際には大きく弧を描く。空港内で、これを縦横無尽に走らせるようになるには、かなりの練習が必要だろう。

むろん、それだけではない。その長いヘビのようなコンテナ牽引車を、仮設コンベアーの真横に、三十センチくらいの間隔をあけて、横付けしなければならい。この作業もかなり難しいとおもう。というのは、横付けする荷台は、前から二番目の、真ん中あたりの右横、と決まっており、運転席からは、かなり離れていて、確認しづらいからだ。

もちろん、そこにぴたりと横付けしなければならない理由があるのだ。小型コンテナは、二台ずつ、飛行機の腹から出てくる。出てくるといっても、自然に出てくるわけではない。タラップの上に作業員がいて、出てきた二台のコンテナを、コンベアーの上を滑らしながら、昇降機へと移動し、なにかのボタンを押して、下におろすのだ。その際、同時にカラになった昇降機が上に登ってくる。エレベーターの原理だな。つぎに、下におろされた二台のコンテナは、地上の仮設コンベアーの上に移される。地上の作業員が、そのコンテナを一台ずつ、人力で押しながら、横付けされたコンテナ牽引車の荷台の横まで移動させる。コンテナの下には滑車がついていて、仮設コンベアーの上を滑らすことができるのだ。

コンテナ牽引車の荷台は、三十センチほどの間隔をあけて、仮設コンベアーと垂直に向かい合っている。と、例の女性が、荷台を人力で90度回転させた。あれっ、動くんだと思った。荷台の向きを変えて、コンベアーと接続しようというわけだ。三十センチの間隔は、そのために必要だったのだ。

それにしても、縦方向の荷台の向きが、横方向に、くるっと変わるとは、よく考えたものだ。だが、問題というものは、いつ何時でも起きるものだ。仮設コンベアーから、横向きになった荷台の上に、たしかにコンテナは移動できた。さて次は、このコンテナの乗った荷台を、元の縦方向に戻す作業だ。

ところが、それが、きちんと元に戻らない。押せども引けども、彼女一人の力では、びくともしない。何かが阻害している。下を覗いても、それが何なのかわからない。見るに見かねて、コンベアー担当の作業員が、手伝いに来た。こちらは男だ。しかし、二人して、押しても引いても、荷台に乗ったコンテナは動かない。

そのうち、タラップに居る昇降機担当の作業員の動きが止まった。飛行機の腹から次々と出てくるコンテナを下へ下せなくなり、見物状態だ。地上では、中途半端にずれてしまったコンテナを荷台の正常な位置に戻そうと必死だ。コンテナ搬出の作業が、この女性の、ちょっとした不手際で、すべてストップしてしまったわけで、これは、かなり焦るだろう。

どうなるのかと、こっちも気が気でない。すると、飛行機の尾翼辺りで、荷物の搬出作業していた作業員が、走って応援に来た。これで、荷台の周りには、三人の作業員がいる。力を合わせて、荷台を正常な位置に戻そうとしている。おそらく、コンテナの滑車が、荷台のレールの上にちゃんと乗っていなかったのだろう。その結果、荷台が不均衡になり、うまく回転しなくなったのだ。

三人の作業員が、力を合わせて、コンテナの端を持ち上げている。と、直方体の、非人間的なジュラルミンは、なんとか、荷台のレールにおさまったようだ。女性の作業員が、応援に来てくれた男の作業員たちに頭を下げている。尾翼の作業員は、また走って、自分の担当部署に戻り、コンベアー担当の作業員も、仮設コンベアーの横に戻った。

小型コンテナが、またコンベアーの上を動き始めた。搬出作業が再開されたのだ。その間、五分くらいあったろうか。しかし、今度は、失敗できないだろう、といらぬ心配をしながら、女性作業員を見ていた。問題は、やはり、くるっと横向きにした牽引車の荷台と仮設コンベアーとの接続だろう。その接続がうまくいけば、コンテナはすんなり牽引車の荷台のレールの上に移動できる。

だが、そこに、隙間があきすぎていたり、牽引車の荷台とコンベアーとが一直線でなかったりしたら、齟齬が起きる。つまりは、一番最初の、コンテナ牽引車の横づけがポイントだ。あの時点で、ぴたりと正確な位置に横付けできていれば、牽引車の荷台とコンベアーの接続は、ほぼ成功したようなものだ。しかし、前に書いたように、それには、かなりの熟練がいるように思える。

プレッシャーの中、果たして、彼女は、今度は、うまくできるのかな。横向きになった牽引車の荷台とコンベアーの間に、少し隙間があるぞ。あれで、コンテナが、すんなり、牽引車の荷台に乗るのかな。だが、あにはからんや、コンテナはガクンと動いて、横向きになった牽引車の荷台に移動した。そして彼女は、その荷台の上のコンテナを、両手で、くるっと90度回転させ、元の位置に戻した。

さらに、コンテナをぐいぐい押して、荷台の一番前まで移動し、固定した。ちなみに、六両編成の荷台は、つながると、いわば一本のレールになり、二番目の荷台を起点にして、コンテナを前にも後ろにも積み込むことができるようになっている。毎回、二番目の荷台を、横にしたり縦にしたりする必要はあるが、ま、すぐれものだ!

そのあとの作業は、順調だった。六個のコンテナを荷台に積み終え、彼女の運転する長いヘビはにょろにょろと、所定の位置に移動した。たしか、ヘビは三匹いた。そうだ、竹細工のヘビのおもちゃのようだと思ったのだ。

そいつは、たしか、緑色していて、目が赤かった。いくつかのみじかい節で接続されていて、ぎこちなく動く。にょろにょろした感じに造形することもできた。面白いような、それでいて、気味が悪いような気もした。誰に、どこで買ってもらったのかは思い出せない。ただ、小学校へ入る前で、三軒長屋のうす暗い納戸の中で、この緑のヘビと遊んだ覚えがあるのだ。

一日目 #4 空間移動

羽田発エアドゥー77便は、出発が少し遅れるようだ。空港内の離着陸や清掃作業に手間取っているらしい。緊急事態宣言が全国的に解除されて、乗客の数が一気に増えたからだろう。ふり返ると、出発ロビーには、たくさんの人の頭が見えた。もっとも、遅れるといっても、たかが五分だ。問題はない。

十一時半になると、女満別便の搭乗が始まった。二時間半ほど待ったわけだが、待ちくたびれたという感じはしなかった。まずは、優先搭乗といって、赤ちゃんや小さな子供連れ、それに妊婦などが先に搭乗する。車いすなどもこの部類に入るようだ。その次は、後部座席の窓際の席から案内される。搭乗券に、グループ分けの番号があり、若い番号順に搭乗できる。自分は、1グループだったので、最初に搭乗できた。何事も一番初めというのは気分がいいものだ。

蛇腹の中を通って、機内に入った。中央通路を、キャリーバッグを後ろ手に引いて歩いたが、バッグが何回か、座席の角にぶつかり、歩行が滞った。通路が意外に狭いのだ。もっとも、バッグが縦方向に動けば、すんなり通れるわけだが、自分のキャリーバッグは横方向にしか動かない。四輪のキャリーなら縦方向へも動くが、二輪は横方向にしか動かないのだ。

カメラバックだからと、あえて自在に動く四輪ではなく、安定性のいい二輪にしたのだが、改めて今、押入からキャリーバッグを取り出して、ひっくり返してみた。たしかに車輪は二つで、反対側には、なんというか、細長い大きな手持ちフックのようなものが、底についている。なるほど、これなら、バッグが自立して立っていられるし、両手で持ち上げる時に便利だ。だが、機動性に問題があるとは、購入時には思い至らなかった。

自分の座席を確認して、そのキャリーバッグとリックサックを、頭上の荷物棚に横向きに入れた。ちょっと、重たいと感じだ。と、ちょうど通りかかった女性のアテンダントが、縦向きにできないかと言ってきた。なるほど、その方が荷物はたくさん入るわけだ。荷物の向きをすぐに変えた。そして、大きな蓋を両手で閉めた。出っ張ることはなかった。

その時ふと思った。手荷物の<機内持ち込みサイズ>というのは、おそらく、この荷物棚に収納できるか否かが、基準になっているのだろうな、と。たしか、縦・横・高さ総計が115センチ以内だったかな。それと、個数は二つで、総重量は10キロだ。しかし、自分の場合、重量は多少オーバーしているかもしれない。なにしろ、キャリーバッグが重いのだ。いや、この話はこのへんでやめておこう。ヤブ蛇になるといかん!

平日だが、席は四、五割うまっていたようだ。乗客が全員席に着くかつかないうちに、飛行機が、ゆっくり動き出した。たらたらと空港内を、いいかげん走った後に、大きく旋回して、滑走路に入った、のだろう。そこから、一気にスピードが増した。轟音が響き渡り、車輪のガタガタする音が尋常じゃない。パンクしたまま走っているようにも思えた。

そんなことにはお構いなしに、飛行機は、さらにスピードを増していく。なかなか離陸しない。気のせいか、ガタガタする音が小さくなった。と同時に、機体が浮き上がった。天空へ向け、斜め45度の角度で、有無を言わさず上昇していく。

見る見るうちに、地上の物体が、小さくなっていく。ふと、飛行機事故は離陸時と着陸時に可能性が高いのだ、と思った。それから、自動車の事故は、八十パーセントは交差点で起こる、とも思った。要するに、多少不安になっていたのだ。

窓に額をくっつけて、一心に地上を見下ろしていた。すでに、ちぎれ雲の上にまで到達して、さらに上昇を続けている。もうじたばたしてもしょうがないなと思った。この高さだ、いったん事が起きれば、命はあるまい。少し不安が和らいだ。デジカメを取り出して、窓越しに地上の光景を何枚か撮った。ほぼ平静になった頃には、飛行機はすでに雲の上に到達していて、このうえもない青空の中を水平飛行していた。眼下には純白な雲の層だ。地上などは全く見えない。それでも、退屈まぎれに、窓の外を見ていた。

自分の席は、ちょうど、右主翼の後ろあたりだった。砲弾型のジェットエンジンと、翼がよく見えた。翼をよくよく見ると、なんだか作りがちゃっちいように思えた。ジュラルミン製なのだろうが、こんなんで、高度一万メートルを飛ぶことができるのか!我ながら、恥ずかしいほどの愚問だ。いま、実際に飛んでいるし、世界中で数えきれない飛行機が飛んでいる。しかも、墜落したという話は、めったに聞かない。

それから、これは、帰りの機内ビデオで知ったことだが、高度一万メートルで飛んでいる飛行機の速度は、時速700キロ以上にも達する、ということだ。にもかかわらず、いや、それゆえにか?飛行機は揺れもしないし、窓外の翼も、微動だにしない。雲の上の、真っ青な空の中で、停止しているかのようだ。

不思議な感覚だった。実際は、空の上を高速移動しているにもかかわらず、体感的には静止している。視覚的にも、高速移動している事象は確認できず、窓外には、翼と雲と青空の静止画が、べったり張り付いたままだ。

唐突に、人間は<偉大>でもあるし<不遜>でもある、と思った。<神の目>でしか見ることのできない光景が、眼前に広がっていた。人間は、限り無く<神>に近づこうとしている。しかし、それは<不遜>なのではないのか。おそらくは、近い将来、この人間の<偉大さ>と<不遜さ>が、人類の滅亡につながるにちがいない、とも思った。

やや哲学的なこと、ま、どうでもいいようなことを夢想しているうちに、眼下の雲の状態が変化してきた。雲の層に多少の凸凹があり、それが陰影を作り、まるで、雪原のようだ。そう、雪原の上を飛んでいるような感じだ。ここはどこなのか?南極か?北極か?はたまた、アラスカなのだろうか?なんだか、愉快な気分だ。感動していたといってもいい。何枚か、デジカメで写真を撮ったが、デジカメ画像と脳内の感動との落差が大きすぎる。すぐに撮るのをやめてしまった。

しばらくは、字義通り、雲の上に居るような気分だった。幸せな時間だったと思う。しかし、毎度おなじみで<しあわせ>などというものは長続きしない。機内アナウンスがあり、じきに降下を始めるとのこと。そうなれば、席から立つことができない。トイレに立った。最後部のトイレまではすぐだ。ドアの前に立つと、中から女性アテンダントが出てきて、鉢合わせになった。なんだか、ばつが悪かった。いや、生々しい現実に引き戻された気がした。

狭い密閉空間で用を足し、席に戻った。いくらもしないうちに、シートベルトの点灯ランプがついた。アナウンスがあり、機体が降下し始めた。といっても、いらいらするほどゆっくりだ。高度一万メートルから、徐々に高度を下げながら、着陸するのだから、当然だろう。

そうだ、言おう言おうを思って忘れていたが、二つ前あたりの座席の上の天井から、小型テレビが吊り下がっていたのだ。こいつは、離陸時にも、天井から降りてきて、緊急時の酸素マスクや救命胴衣の説明ビデオを流していた。今、画面には日本地図があり、その上を飛行機のアイコンが刻一刻、少しずつ移動している。むろんこれは、現在位置を明示しているわけだ。その際、時速とか飛行距離とか到着時間とかの情報が、その都度提供される。アニメーションの質も高く、カット割りなども、よく工夫されていて、なかなか面白い。

高度は、6600メートルほどだったと思う。ちょうど、釧路市辺りから北海道の上空に入り、そのまま北上しながら降下し続け、女満別空港に着陸しようとしている。こうしたことの、ほぼすべてがテレビ画面に、アニメーションで映し出されている。ちなみに、これまで飛んだルートも示されている。羽田空港から八戸までは、太平洋岸の陸地の上を飛んで、そのあとは、太平洋の上を飛んで、北海道に来たのだ。

高度が下がってきた。機体が下に傾いている。そのうち、雲の中に入ったのか、まったく何も見えなくなった。また、やや不安になった。前が見えなくても大丈夫なのか?最低な質問だ。<レーダー>というものがあるだろう。

テレビ画面を見た。高度は3000メートルくらいに下がっていた。日本地図上の、飛行機のアイコンも、釧路市網走市の真ん中あたりに移動していた。もうすぐだなと思ったとき、たしか、機長のアナウンスがあった。この先、気流の関係で少し揺れるが心配ないとのこと。

そのうち、窓の外が明るくなった。千切れ雲の間から、地上の事物が見えだした。離陸時の首都圏の光景とは全く違っていた。なだらかな丘に緑や茶色の畑が、うねうねと、きれいに並んでいる。その一角に、オレンジ色や青色の屋根だ。かまぼこ型の大きな建物が見える。まわりには、小さな建物が幾つも寄り添っている。

周辺には、まだ林なども残っていた。この100年の間に、人間が原生林を開墾して、食物の取れる畑を作り出したのだろう。その連綿たる労苦!!!ま、とにもかくにも、眼下には北海道の牧歌的な光景が広がっていたのだ。

飛行距離、約1000キロ。1000キロも北に移動したのか、という感じはしない。ほんの数時間、飛行機に乗っただけだ。だが、空の上から、いわば<神の目>で、いろいろ見られたし、なかなか楽しい空の旅だった。

一日目 #5 地上移動

女満別空港に着陸した。着陸は、離陸に比べて、怖がっている暇もなく、あっという間だった。押し出されるようにして、閑散とした飛行場に降り立ち、ゆっくりと、何の変哲もないコンクリの建物に、吸い寄せられて行った。

あいにくの曇り空だったが、機内の雰囲気は、心持ち熱っぽかった。北海道に着いたぞ、といった感じだな。アナウンスが、前の座席の人から案内するから、そのほかの人は、荷物などは取りださないで、座ってて下さい、と言っているのに、後ろの若いカップルも、斜め前の中年の出張族も、立ち上がって、荷物棚から荷物を取り出しはじめた。すかさず、女性アテンダントが来て、やんわり注意している。なにしろ、最後部には、女性アテンダントが二人いて、機内に目を光らせているのだ。

そのあとは、順番通りだ。狭い通路での小競り合いもなく、粛々と機外に出て、空港内の通路を、さっさと歩いた。エスカレーターを下りると、一階入り口付近に、レンタカー会社の専用カウンターがあった。五、六社あったが、自分の予約していたNレンタカーに、多少、人が集まっている。

カウンターで、名前を言うと、大きな紙の番号札を渡された。<4>と書いてある。つまり、四番目に案内するということだ。ロビーで少し待っていると、出入り口に送迎用ミニバンが来た。運転手に、番号札を渡そうとしたら、営業所で受付するときに出してくださいと言われた。バタバタっとした感じで、車に乗りこむと、車には先客がいて、なんとなくせまっ苦しい。だが、出発すると、すぐにレンタカーの営業所についた。

営業所のカウンターでは、三人体制で、客に対応していた。番号札が<4>なのだから、先の人の受付が終わるまで少し待った。応対したのは、ほんの若い坊やだった。動物との衝突事故が増えているので注意してくださいとのこと。狐かな、と自分が言うと、いや、鹿もいますと彼は答えた。オプションの<保険>に入らせるための営業トークだと思って聞き流した。とはいえ、これは、本当の話だったようだ。実際、夜道で大きな鹿に出っくわした。それも二晩続けてだ。

カードで支払いを済ませ、サインした。そのあと、四十代くらいの女性に先導されて、レンタカーのそばまで行った。シルバーのホンダのフィットだった。ギアシフトが、初めて触るものだったので、操作の仕方を少したずねた。あと、とりあえず、ナビに<のとりみさき>と設定してくれ、と頼んだ。ところが、読み方がどうのこうのと、手元のタブレットなどを見ていて、要領を得ない。すっと設定できないのだ。

ああ~ん、地元のレンタカー会社の従業員が、観光名所の<能取岬>の正確な読み方を知らない、だと~。もっとも、この時、自分も<のとろみさき>を<のとりみさき>と言っていたのだが。とにかく、名称検索ができないなら、画面上で指示することもできるでしょ。女性に画面を操作させた。灯台のアイコンが出てきた。そこだ、と言っているのに、こっちの言うことは聞かないで、中途半端なポイントで設定している。頼りない上に、謙虚さも欠けている。こりゃ、急ごしらえのパートだな。真面目に聞くことをやめた。あとで自分でちゃんと設定しよう。

エンジン始動、正面を見た。営業所は国道に面している。網走は、右か?と窓越しに、パートの中年女性にたずねた。すると、これまた自信なげに、左だと思いますよ、と答えた。おいおい、かんべんしてくれよ。でも、ま、これは信用した。

北海道の道をレンタカーで走りだした。午後の二時前だったと思う。小一時間で、能取岬灯台には到着できるはずだ。それにしても、どんよりした曇り空だ。今日は、撮影地の灯台の下見だけして、早めに宿に入ろう。ナビと道路標識を確認しながら、とりあえずは網走の市街地へ向かった。

途中、<メルヘンの丘>に寄った。ここは、通りすがりの国道沿いにあり、写真スポットになっている。曇り空で、写真にならないが、一応、広くなった路肩に車を寄せて、外に出た。いや~、さむい!空気がひんやりしている。リックサックから、ヒートテックを取り出し、ジーンズの下に穿いた。長袖シャツの上にも、パーカをきっちり着て、フードもかぶった。

さてと、向き直った。手前は、キャベツ畑だろうか?なだらかな丘の上に、樹木が何本か、間隔をあけて並んでいる。そのはるか向こうには、山が見える。なるほどね、お決まりだけれども、北海道らしい良い景色だ。だが、どんよりした曇り空。帰宅日は晴れるだろうから、その時には真面目に撮ろう。そう思って、四、五回、気のないシャッターを押して、すぐに車に戻った。

辺りを見ながら、60キロくらいで走った。交通量は少なく、走りやすい。要所要所で、大きく右方向に曲がって、網走の市街地に到達した。片側二車線の広い道だ。右側に<すき家>があり、宿泊するTビシネスホテルが見えた。その建物沿いに左折して、すぐに橋を渡り、少し行くと交差点の角に<セブンイレブン>がある。<食>と<住>の調達場所は、来る前にグーグルマップで確認済みだった。

そのうち、海沿いの道に出た。弓なりの砂浜が見え、その先端は岬だ。その岬に寄り添うように、大きなホテルが立っている。さらに走っていくと、ホテルの前あたりで、大勢の人が海に向かって竿を振っている。なにが釣れるのだろう?と思いながら、岬の急な坂を上った。

登り切ると、視界が開け、両側は、少し紅葉した森だった。その中を、道路が一直線に走っている。気持ちがいい。ふと、おやっと思った。道路脇に、赤白だんだら模様の電信柱のようなものが等間隔に立っていて、上の方に下向きの矢印が付いている。お初のモノだ。その矢印の先に視線を落とした。歩道と道路の間にある縁石だ。その瞬間、理解した。積雪したときの注意喚起だ。この矢印の下が、道路と路肩の境界を表している。なるほど、北海道らしい。愉快な気分になった。

備考 この矢印は<矢羽根>という。正式には<固定式視線誘導柱>というらしい。

そのあとも、紅葉を楽しみながらの、快適なドライブだった。と、久しぶりに、ナビの案内があって、道を右折した。少し行くと、正面に、おおっと、海を背にした、白黒灯台が見えた。両脇は森で、要するに、道路の先に灯台の上半分くらいが見えたのだ。

あわてて止まった。車から降りて、道路の真ん中に立って眺めた。写真に撮るには、もう少し先の方がいいかな。また走りだした。だが、この判断は間違いだった。道が波打っていたからで、すぐ下り坂になり、灯台は、道のうねりに邪魔されて、さっきよりも見えにくくなった。

一瞬戻ろうかなと思ったが、走り出すと、ぱっと視界が大きく開けた。緑の丘の下に、オホーツク海を背にした、白黒の<能取岬灯台>の全景が見えた。心の中で、おお~っと声をあげた。

一日目 #6 能取岬灯台下見

能取岬灯台に着いたのは、午後の三時頃だった。残念だが、曇り空。写真にはならない。でも、ま、明日の下見だ。気を取り直して、車から外に出た。寒い!真冬の寒さだ。急いで、ウォーマーを上下着用した。念のため、ネックウォーマーと手袋もした。

さほど広くはない駐車場には、二、三台車が止まっていた。だが、人の姿はどこにも見えない。先程の、丘の上からのすばらしい光景は、事前のネット検索では、見つけ出せなかった。ま、あとでゆっくり見に行くとして、まずは、灯台周りだ。カメラを一台首にかけ、歩き始めた。

灯台へと向かう歩道の前には、鉄のポールが何本か立っていた。つまりは、ここからは徒歩で行きなさい、ということだ。車やバイクは進入禁止!広々した、緑の敷地の中を歩いていくと、木製の大きな看板がある。<網走国定公園 能取岬 CAPE NOTORO >。あれま、<のとろ>とちゃんと書いてあるではないか。帰宅するまで、<のとり>だとばかり思っていた。

磁石を見て、方角を確認した、と思う。たしか、灯台の斜め右後ろが東で、斜め左前が西だ。ということは、登る朝日は後ろの山にさえぎられて拝めない。沈む夕陽は、というと、水平線が分厚い雲に覆われている。今日のところは定かではない。もっとも、灯台と落日方向が離れすぎている。絡めて撮ることは不可能だろう。

とはいえ、海を前にした場合、灯台には、右側から朝日が当たり始め、正午前には正面、そして日没時には左側から夕陽があたるのだろう。それに、周囲は、緑の芝草広場になっていて、どの位置からでも撮影できる。ロケーションとしては、やはり、予想していたとおり、最高だ。

ただし、しつこいようだが、今日のところは曇り空だ。いまにも降り出しそうな暗い、鉛色の空だ。それに、寒い。下見、といっても、イマイチやる気が出ない。それでも、ここまで来た以上は、見て回るしかないだろう。

とりあえずは、足元の悪そうな、緑の広場には踏み込まないで、歩道を、灯台に向かって歩いた。左側には、柵に囲まれた背の高い鉄柱が一本立っている。電波塔なのだろうか?その後ろに少し海が見えるが、ほんの少しだけだ。右側は、広場がゆるやかに傾斜しているからなのか?断崖沿いの柵が、多少波打ってみえる。

灯台の正面に来た。手前にえんじ色の一直線の歩道だ。ま、いわば<レッドカーペット>だな。その10メートルほど先に、灯台の入り口がある。灯台の下の方には、細長い長方形の建物があり、屋根の上には、太陽光パネルが、こっちを向いて、ずらっと並んでいる。<レッドカーペット>の上は歩かないで、そのまま、通り過ぎた。近づきすぎると、灯台の全景がカメラの画面に収まらないからだ。

すぐに広場の行き止まりで、断崖沿いの柵だ。その柵沿いに、つまり、北東方向には遊歩道があり、かなり先に、なにかのモニュメント(オホーツクの像)がみえる。灯台から遠ざかるだけで、行ってもしょうがないだろう、と自分に言い訳して、そっちには行かないで、柵にもたれ、正面の海を眺めた。海も、曇り空の時には、何の面白みもない。が、視線を右に移すと、はるか彼方に山並みが見える。それがどこなのか、あとで知ったのだが、知床半島だった。

柵沿いに、今度は、北西方向に歩き出した。ちょうど、灯台を右横から見る位置取りだ。絵面としては、正面よりも、なお悪い。背景は、多少開けていて、広場の東屋が見え、彼方には、幾重となく重なり合った岬が見える。見えるといっても、あまりに遠すぎて、それが垂れ込めている雲なのか、判別し難い。

さらに、灯台の前面、というか、自分が海を背にして灯台を見る位置取りだが、この辺りは、鉄柱を囲んだステンの柵が、灯台の左横、そのうちには正面にまでに出しゃばってきて、まるっきり絵にならない。写真すら撮らなかった。

なおも、断崖沿いの柵に沿って、回り込んでいくと、四人掛けの大きな木製テーブルと椅子のセットが、柵沿いに続いている。ここまでくると、鉄柱を囲んだステンの柵は、灯台の建物から離れ、絵面的には、まずまずだ。背景も、左に少し海が見え、右側は山並みだ。参考に、いったい何のための参考なのか定かではないが、何枚か撮った。だが、まだ、なにか物足りない。

柵から少し離れて、緑の芝草の中に踏みこんだ。灯台までの距離は、二十メートルほどだ。少し傾斜している広場には、木製のベンチが点在している。なかには崩れかかったものもある。多少、見上げた感じになるからだろうか?それとも、芝草の中にベンチが点在しているからだろうか?どことなく、優しい光景だ。

ここが、今まで見た中では、一番いい風景だと思った。数歩ずつ、前に行ったり、左に行ったり、下がったり、そしてまた右に行ったりと、ベストポイントを探しながら、あたりを撮り歩きした。灯台に近づきすぎてもいけないし、遠ざかりすぎてもいけない、などと真面目に考えたりもした。

そうこうしているうちに、最初の場所に戻ってきた。灯台の周りを360度回ったことになる。単に回っただけだが、それでも、今日の予定、やるべきことは果たしたわけだ。いや、まだだ。さっき、丘の上からちらっと見た、オホーツク海を背にした灯台の景観だ。そう、たしか、丘の上には、車を止める場所があったような気がする。

それは、坂の途中の道路際で、牧場への出入り口だった。車を止め、外へ出て、牧場を見渡した。建物はちゃんとしているが、人も馬も、生き物のらしきものは何も見えない。ただ、牧草地は、きれいに刈り込まれていて、青々としている。念のために、牧場の出入り口をたしかめた。ロープが張ってある。しかも、かなり古びた感じで、出入りしている様子はない。たしか看板があり<美岬牧場>と書かれていた。

あの時は、閉鎖されたのだろう、くらいにしか思わなかったが、今ネット検索してみると<網走市営美岬牧場>とちゃんと出てきた。観光牧場らしいが、なぜか、HPは削除されていて、最近の様子はわからない。おもうに、コロナ禍で観光客が激減して、閉鎖されたのかもしれない。

とにかく、牧場への出入り口ではあるが、車の出入りがないのだから、安心して駐車できる。車の後ろに回ってリアドアを開け、中からカメラを一台取り出した。重い望遠カメラの方は、ま、曇り空だしなと言い訳して、持ち出さなかった。

さてと、今度は、灯台の方を眺めた。丘の先端に出れば、眼前に遮るものはなく、ほぼベストポジションだろう。手前は、草深い感じだが、一応除草されている。踏み込めないこともない。それに、都合がいいことに、道路際に柵はなく、溝を渡れば行けそうだ。

だが、いざ踏み込んでみると、かなり歩きづらかった。まずもって、水こそなかったが、溝がけっこう鋭角で深かった。溝から上がると、除草されているとはいえ、低木の幹が、至る所に突き出ていて、足をおろす場所を見つけながら進まなければならなかった。もっとも、丘の先端までは、ほんの二十メートルほどだ。苦労した、というほどでもない。

丘の先端には、なぜか、背丈ほどの細い木が、四、五本かたまって、生えていた。これは、わざと切り残したようにも思われた。ということは、道路と牧場の柵との間の、この20平米ほどくらいの場所は、丘の下の灯台を見るために、誰かが整備したのではないのか?おそらくそうだろう。

また、先端部には、牧場と牧草地とを仕切る長い柵があり、そこから下は、きれいに刈り込まれた芝草の傾斜だ。その緑の傾斜が終わるところに灯台がある。したがって、柵越しに、灯台を見下ろす感じになる。言うまでもないことだが、灯台よりも高い位置取りなので、灯台が、背後の海を背負う形になる。この光景は、なかなか見られるものではない。

灯台よりも高い場所(塔とか展望台、山頂)から、灯台を見ると、これまでの経験によると、だいたいは灯台が小さすぎる。さもなければ、周囲の事物に邪魔されて、見えにくくなる。ところが、能取岬灯台は、違う。なにしろ、肉眼ではっきり見える距離だし、周囲には、空と海と牧草地しかないのだ。現地でこのベストなポジションを見つけた、ということも大きいが、大げさだが、感動していたといってもいい。ただし、だ。曇り空がいただけない。これだけの、いわば<絶景>だが、曇り空では写真にはならないのだ。

それに、今居る場所もベストではない。と、柵沿いに視線を右に移すと、丘の先端部と斜面を区切っている柵が、すぐそこで、開いている。これは、牧舎から馬たちを連れだし、斜面の牧草地へと放牧するための扉なのだろう。馬たちが、いやあるいは、牛かもしれないが、とにかく、彼らがいないのに、扉が開いているのは、ま、不自然だが、こちらにとっては、かなり都合がいい。すんなり、斜面の牧草地に入れるということだ。そここそが、まさに、字義通り、能取岬灯台のベストポジションだろう。

だが、今居る場所を動かなかった。お楽しみは明日だ。明日は午前中から晴れマークがついている。三脚を立てて、じっくり撮ろう。あたりが少し暗くなっていた。腕時計を見たのかもしれない、メモ書きには<16:00 引き上げ>とあった。

二日目 #7 能取岬灯台撮影1

2021年10月6日水曜日。午前五時に目が覚めた。北海道網走市の大手ビジネスホテルの一室だ。<六時に起床 朝の支度>。と、その前に、昨晩、ホテルに着いてからのことを少し書き残しておこう。

能取岬灯台から網走の市街地までは、ほんの二十分ほどだ。途中で、コンビニに寄り、食料調達、次に<すき家>で牛丼の特盛を買った。ホテルの駐車場は、思いのほか混んでいて、平面駐車場はほぼいっぱい。立体駐車場に行ってくれと言われたが、係りのおじさんに、無理を言って、平面駐車場の端の方に止めた。駐車しづらい場所が、一台空いていたのだ。

ホテルのフロントには、何人か客がいた。少し待って、黄色の制服を着た女性の応対を受けた。ビジネスライクで問題はない。鍵をもらって、行こうとしたとき、今日は<カレー>のサービスがありますから、と言われた。午後七時に一階のロビーで、先着40食限定、と張り紙にもあった。

部屋に入ると、たばこの臭いがした。禁煙部屋が取れずに、喫煙部屋なのだ。壁のハンガー掛けにぶら下がっていた<消臭剤>のスプレーを、これでもかというほど、部屋中にふりまいた。

省略しよう。特盛牛丼を食べて、<17:30>昼寝。<18:30>に起き、<19:00>ちょっと前に部屋を出て、一階に<カレー>を取りに行く。その際、エレベーターが混んでいて、待たされる。これだけ大きなホテルなのに、エレベーターが一台しかない!しかも、四、五人乗ればいっぱいだ。ま、いい。管理上の問題で、わざと一台にしているのだろう。

夕食は済ませてしまったので、ゲットした<カレー>は明日の昼食用としよう。いったん外に出て、駐車場の車の中に入れた。このとき、たしか、上下グレーのスウェットだったと思う。というのも、ホテルの部屋着は各自、エレベーター横の棚から持っていくシステムになっていて、先ほど部屋に上がる際、取り忘れたのだ。

もっとも、ホテルの部屋着で、室外に出るようなことはしない。若い頃、ホテルの廊下やロビーは、街中と同じ、と誰かに聞いたことがあり、そのへんはいまだに、お利口さんだ。あとは、これといったこともなかった。部屋に戻り、テレビをつけ、日誌のメモ書きをした。<9時 ねる 眠りが浅い 物音がうるさい>。

朝になった。洗面、身支度など、すべて終え、少し時間調整して、六時半ちょっと前に、一階に朝食弁当を取りに行く。そうだ、昨晩の<カレー>の配給?の時もそうだったが、朝の弁当の時も多少の列ができて、並んだ。ビジネスホテルの宿命だと、端から諦めてはいるが、なんだか、自分が貧乏人のような気がした。事実、貧乏人ではあるが、たまの旅行で、朝食弁当をもらうために、あさっぱらから、並ばされるほど貧乏だとは思っていないのだ。

<7:30 出発 道をまちがえる>。灯台へ行く道は、もう覚えた、と思ったので、ナビはセットしなかった。コンビニの交差点を左折、突き当りを右折、あとはほぼ一本道だ。しかし、これは思い違いだったわけで、実際は、もう少し複雑で、あと一、二回、右左折を繰り返さなければ、ダメだったのだ。

途中で、方向が違うことに気づいた。なんだか元に戻っている。そのうち、とうとう、さっきのコンビニに戻ってしまった。一瞬、キツネにつままれたようだった。自分の思い違いを了解できず、同じようなコンビニが二軒あるのかな、とさえ思った。急いでナビをセットして、案内を仰いだ。再び、大きな道路を左折し、坂を上っていくと、見覚えのある海沿いの道で出た。一件落着。

朝の八時半過ぎに、能取岬灯台に着いた。ほぼ快晴、いい天気だ。まずは、牧場の出入り口に駐車して、丘の下の灯台を何枚か撮った。ま、これはちょっとした下見だ。能取岬灯台のベストポイントが、晴れた日には、どのような感じになっているのか、見たかったのだ。やはり、最高だった。あとでゆっくり撮りに来よう。

長居はせず、すぐに、下に下りた。駐車場に車を止め、さっそく灯台周りの午前の撮影を開始した。能取岬灯台は、八角形をしている。いま見えているのは、そのうちの三面だが、右側の面に日が当たっている。立体的に見え、実にいい。日差しを受け、広場の緑も、空も、海も、周囲に群生しているクマ笹さえもが、美しい色合いだ。

昨日下見した道順で、歩き撮りを始めた。ただし、まったく同じ道順ではなく、灯台に近寄ったり、遠ざかったりしながら、ベストのポイントを探した。いや、探したというよりは、どういうふうに見えるのか、という好奇心の方が勝っていた。

昨日の曇り空とは違い、いい天気だ。位置取りは同じでも、灯台は、全く別物に見えた。とくに、白黒の縞が、目に鮮やかだった。灯台のすぐ近くまで寄って、太陽を灯台の先端で隠してみた。おなじみの、逆光撮りだ。だが、これは、二匹目の、いや、三匹目のどじょうかな、面白くなかった。いわゆる、自己模倣というやつで、やってはいけないことだ。

灯台の正面辺りを、ゆるゆる撮り歩きしながら、北東側の柵まで来た。昨日はここで引き返した。だが今日は、柵沿いの道を、灯台を背にして、さらに歩いた。遠ざかるにつれて、柵はすこし左にカーブする。と、<能取岬>の側景、というか、側面が見えた。荒々しい光景で<絶景>だ。

灯台はと言えば、この<能取岬>の先端ではなく、やや平坦になった陸地側に立っている。したがって、灯台と岬の断崖絶壁との間にはかなりの距離がある。しかも、断崖際の柵が、画面を真ん中で二分割している。構図的には、実によろしくない。それでも、しつこく撮った。だが、やはり、無理だ。この位置取りは写真にならない。

向き直った。オホーツク海に面した、柵沿いの道は、断崖沿いに、さらに北東方向へとのびていた。素晴らしい景色だが、引き返した。これ以上行ったら、灯台が、広大な空と海と大地の中に溶け込んでしまう。おそらくは、灯台、あるいは、灯台の見える風景、という概念にこだわっているのだろう。

自然の風景に美しさを感じる。だが、それを写真に撮ろうとは思わない。むろん、それを写し取る力量も持ち合わせていないが、自分が撮りたいのは、美しい自然の中に屹立している事物だ。その違和な風景、異質な調和に魅かれる。写真に撮りたいと思う。目の前に見えている<能取岬灯台>が、その一例だ。

もどそう。踵を返し、柵に沿って、灯台の右側面、さらには、背面辺りにまで来た。この辺りは、例の、鉄柱を囲んだステンの柵が、灯台とかぶってしまうので、ほとんど写真にならない場所だ。やや撮影モードが緩んだのだろう、後ろを振り返って、海や断崖をスナップした。これは、ちょっとしたスケベ心で、後々の≪名づけえぬもの≫朗読の際に、背景画像にしようと思っている。

さらに、柵に沿って回り込んでいくと、木製の大きなテーブルが並んでいる。灯台背面から左側面にかけての場所は、昨日の下見でも思ったが、比較的いい位置取りだ。小山になった芝草広場に点在しているベンチがポイントになり、構図的にも安定している。おりしも、背景の青空に、大きな雲が流れてきた。左端には、少しだが、海が見え、鉄柱を囲んだステンの柵も、灯台から離れて、おとなしくなった。ここぞとばかりに、撮りまくった。

だが、そのうちには、雲も流れ、灯台の背後は、青空、というよりは、<青>一色になった。こうなると、どことなく間が抜けて、バランスが悪い。引き上げ時だ。それに、少し疲れたよ。車に戻った。十時半頃だったと思う。二時間ほど、灯台の周りで撮っていたわけだ。休憩しよう。

二日目 #8 能取岬灯台撮影2

早めの昼食だ。運転席で、ホテルでゲットした<カレー>と昨晩コンビニで買ったおにぎりを食べた。そのあと、一息入れて、丘の上に移動した。空も海も牧草地も、日差しを受けて、輝いている。三脚に望遠カメラを装着して、肩に担いだ。標準ズームの方は首にかけた。これだけでもかなり重い。溝を越え、切り株だらけの地面を見ながら、伐採地をゆっくり進んだ。

丘のふちには柵がある。扉が一か所あり、開いている。四方八方、人の姿は見えない。躊躇うことなく、牧草地へ入り込んだ。さてと、どこに三脚を立てるべきか。水平線と灯台が垂直に交差する地点がよろしい。たしか、三脚を適当なところにおいて、といっても、斜面になっているので、そのまま置いては倒れてしまう。三本ある足のうち、二本を少し短くして、三脚を安定させてから、手ぶらで、少し右に移動した。

眼下の灯台と水平線をじっと見た。斜面が尽きる所に白黒だんだら縞の灯台があり、その向こうが海だ。だが、かなり距離がある。はたして、水平線と灯台が垂直に交差しているのか、ちょっと、判断に迷った。完全に、100%垂直ではないような気がした。右に少し動いた。しかし、結果は、さらに悪い。元居た場所に戻った。こっちの方がまだましだ。

望遠カメラ付きの三脚は、離れたところにポツンと取り残されていた。カメラとレンズ、それに三脚で、60万以上した。自分の力量にはそぐわない、プロ仕様の道具だが、後悔はしていない。それどころか、見るたび、触るたびに、ある種の満足感を覚える。その三脚を持ってきて、斜面にしっかり固定し、撮り出した。望遠最大値の400mmで、灯台は、画面いっぱいに入る。だが、それだと、何か面白くない。周囲の風景も入れなければだめだ。最小値の80mmにまで、徐々にレンズを回した。う~ん、判断が難しい。もう一度400mmに戻して、アップ、近景、中景、遠景と、段階的に撮っておいた。

さてと、あとは、空の様子が変わるまで、このまま待機だ。といっても、じっとしていたわけではない。三脚から離れて、さらに、右へ左へと、辺りをぶらついた。北東側には、知床半島が見える。いい景色だ。肩掛けした標準ズーム付きの軽いカメラで、ぱちぱち撮っているうちに、ふと、牧草地を縦に区切っている柵が気になった。柵の両側一メートルほどが、枯れ草で茶色になっていて、小道のように見える。

この小道が牧草地の中をうねうねしていたら、気にはならなかったろう。茶色の小道が牧草地を縦に分断しているのが気になったのだ。つまり、牧草地、海、空という横広がりの画面の中で、縦ラインは灯台だけにしたい。強調したいがためだ。

となれば、この茶色の小道は、画面から除外してしまえばいい。ま、そう極端に考えなくてもいい。左に位置取りを少しかえれば、小道は画面に入らないだろう。実際にやってみた。だが、そうすると、くどいようだが、水平線と灯台との垂直交差が崩れてしまう。元の位置に戻った。こうなったら仕方ない。小道を画角操作で画面から除外した。

そうこうしているうちに、待望の雲が出てきた。といっても、背景の空にではなくて、真上の太陽の辺りだ。緑一色の牧草地が、部分的に黒くなったり、また元に戻ったり、なかなか面白い。流れ雲の影が、濃くなったり薄くなったり、大きくなったり小さくなったり、自在に変化しているのだ。そのうち、一瞬、眼下の牧草地は真っ黒になってしまった。照ったり陰ったり、というのは写真的には面白い現象だが、陰りっぱなし、では写真にならない。だが少し経つと、雲は流れてしまい、牧草地の鮮やかな緑が戻ってきた。

あとは、三脚を立てた位置を起点にして、緑の斜面をまっすぐ下りながら撮った。灯台に少しずつ近づいて行ったわけだから、ほとんど画面の構図は変わらない。ただ、丘の上に居た時は、灯台の先端まで海があった。それが、丘を下るにつれて、海の位置が下がってきた。つまり、灯台の先端が、空と海の境にかかるようになってきた。ちょっと考えた。これも悪くはない、悪くはないが、灯台の背後は海だけのほうがいい。また、三脚の置いてある丘の上へ戻った。

正面を見ると、それまでは真っ青だった空に、左から雲がかかり始めた。これは、期待していたことで、真っ青な空もいいが、少し雲があった方がいい。ねばったかいがあったわけだ。だが、じきに、雲の量が多くなり、灯台の上から青空が消えていった。もっとも、まだ陽射しがあったので、写真は撮れた。

左側、つまり西の空を見たのだと思う。巨大な雲の層が、こちらへ押し寄せてくる。そのうちには、日差しがなくなるだろう。丘の上からの、ベストポイントでの撮影は、ほぼ完了していたし、満足していた。日差しのなくなる前に、灯台周りの午後の撮影をしよう。躊躇うことなく、三脚をたたみ、引き上げた。

車で坂を下った。下りきったところに路駐して、灯台を、牧草地を手前に入れて四、五枚撮った。例の、垂直交差の問題からすれば、ベターではないけれど、違ったアングル、という意味では、撮っておいても無駄にはなるまい。いやいや、<無駄>など、この世に一つもない!あるとすれば、<人間>だけだろう。おっと、うっかり、口が滑ってしまった。

灯台前の駐車場に着いた。先ほどは気づかなかったが、駐車場の端にある歩道からのアングルが意外にいい。目の前に、腰高のクマ笹が自生している。クマ笹灯台との取り合わせが、いかにも北海道らしい、でしょ。わざわざ、歩道の一番端まで行って、撮り歩きしながら戻ってきた。

灯台広場に入った。午後の撮影開始、と意気込みたいところだが、何やら、空模様が怪しい。広場に踏みこんで、昨日よりは近い位置取りで、灯台を左側面から撮った。さらに、木製のベンチのそばで撮り、背面からも撮った。この間、いくらもたっていないと思うが、刻一刻と、青空が大きな雲の塊に侵食されていった。とはいえ、いまだ多少の日差しがあり、写真的には面白い。

そうだ、日差しの加減で、極端に寒くなったり暑くなったりした。そのたびに、ウォーマーを脱いだり着たりと、難儀した。寒いなら寒いなりに、暑いなら暑いなりに、対処のしようもある。実際、これまでの写真撮影では対処してきたのだ。だが、日差しの如何で、これほど体感温度が変化するのは、今回が初めてだ。風が冷たすぎる。やはり、北海道に来るには、季節が少し遅すぎた。

そのうち、空は大きな灰色の雲に覆われてしまった。少し明るいところもあるが、写真撮影はもう無理でしょ。ま、予報では、三時過ぎからは曇りマークがついている。予期していたこととはいえ、数日前までは、全日晴れマークだったわけで、やや悔しい。雲の押し寄せてくる方向、すなわち、西の空を見た。雲の層はさらに厚くなり、巨大化している。色も灰色から黒くなっている。

ふと思いついて、灯台の右側面に回ってみた。この不穏な雲を背景に、灯台を撮ってみよう。結果は、まあ~、そんなもんでしょう。白黒だんだら縞の灯台には、やはり、青空のほうがよく似合う。空一面の圧倒的な雲軍団の、白から灰色、灰色から黒への諧調が、どれほどか魅力的であっても、写真がモノクロ写真になってしまうのだ。自分の腕では撮ることのできない世界だった。

二日目 #9 能取岬灯台撮影3

車に戻った。午後の三時頃だった。さほど疲れていなかったので、次の行動はすぐに決まった。ナビに、<網走港>辺りを指示して、灯台を後にした。網走市付近の観光地を事前検索した際、<網走港>には寄ってみようと思っていたのだ。防波堤灯台がいくつかあったし、総じて港の景色は好きだ。それに、灯台からは、ほんの二十分ほどでいける距離だ。

少し走ると、森の中の道が濡れていることに気づいた。雨が降ったわけだ。さらに、岬を下りる際、網走港方面に、なんだか、黒い雲が垂れ込めているのが見えた。雨雲が次々と襲来しているようだ。網走の市街地に下りて、大きく左折していくと、すぐに港が見えた。ナビの案内に従っていると、狭い道に誘導され、ついには岸壁で、行き止まりだ。

パラパラと雨粒が落ちている。車から降りて、周囲を見回した。人影もなく、うら寂しい岸壁だった。なるほど、少し沖合に<帽子岩>が見えた。たが、風が冷たい。寒い上に、うす暗い。写真を撮る気にもなれない。が、一応は記念写真だな。ほかにも、海岸際の消波ブロックに、荒々しい波が押し寄せ、砕け散っている。右手の少し高い岸壁には、真新しいテトラポットがずらりと並んでいる。出番を待っているかな。左手の、広い岸壁の向こうには網走の市街地があり、雨雲が垂れ込めていた。

ま、こんなところに用はない。車を回転して、広い道に戻った。そのあとは、カンを働かせて、だだっぴろい漁港に入り込んだ。ひとっ子一人いない。ぐるっと回り込んで、防波堤灯台が一番よく見える所へ行った。

漁港には、立ち入り禁止の看板があったが、シカとした。たが、高い防潮堤に阻まれて、灯台はよく見えない。しかも、登り階段には鉄条網があり、防潮堤の上に立つこともできない。このまま、一枚も撮らずに、引き返すのも癪だ。鉄条網の間から、さして特徴的でもない、よく見るタイプの防波堤灯台を何枚か撮った。

無駄足だった。今来た道を戻った。岬を登り、森の中を走りぬけ、丘の上で車を止めた。ベストポイントから、眼下の灯台にカメラを向けた。だが、日差しが全くないわけで、完全に露出不足。牧草地は真っ黒だし、灯台だってよく見えん!午後の四時には、灯台の駐車場に戻っていた。行って帰ってきて、一時間。それでも、多少の気分転換はできたなと思った。

さてと、灯台の夕方の撮影に入ろう。ただし、天気が良くない。いや~、よくないどころか、辺りはうす暗くなっていて、いまにも降り出しそうだ。まあいい、まあいい、自分をなだめて、外に出た。寒い。ウォーマーを上下、きっちり着た。一度行きかけたが、あまりの寒さに、すぐに車に戻って、ネックウォーマーと手袋も着用した。これでほぼ完全装備だ。もう言い訳はできない。

撮り歩きしながら、灯台の正面に向かった。見た目のうす暗さより、モニターした撮影画像は、もっと暗い。これじゃ、写真にならんな。0.7くらいプラス補正して、画像全体を少し明るくした。当たり前の話だが、灰色の雲が白くなっている。見た目とのギャップがさらに深刻になり、写真としては完全に破綻している。露出を元に戻した。そもそも、写真が撮れるような天候ではないのだ。

写真を撮ることから、少し解放されたからだろうか、背後のクマ笹の中に小道があるのに気づいた。昨日は、灯台の方ばかり見ていたからな。小道の先に目をやると、あ~、モニュメントが見える。しかし、異様な感じがする。二枚合わせの、細長い物体の真ん中辺に人がいる。物体の間には隙間があって、人間が、その隙間から、オホーツク海を覗いているようなのだ。

こんな天気に、変な奴もいるものだ。あるいは、オホーツク海を覗き見するように仕向けるのが、モニュメントのコンセプトなのかもしれない。そろそろと近づいていく。あれ~、人間の姿勢が、一向に変わらない。不動のままだ。しかし、そのうちには、気づいた。人間じゃない、人間の像だ。疑心、暗鬼を呼ぶ、か。

小道の尽きたところが、モニュメントの正面だった。少し広くなっている。二枚の細長い物体は、打ちっぱなしのコンクリで、その前に、黒っぽい立像が、白い台座に載っている。よく見ると、立像は、左の方を指さしている。オホーツク海を覗いている、などというのは、まったく幻想だった。

おいおい、ぽつぽつ降ってきたぞ。カメラを濡らさないように、ウォーマーの前を大きく開けて、中に包み込みこんだ。作者には失礼だが、立像をろくに見ないで、そくそくとその場を去った。戻り道は、柵で仕切られた、断崖沿いの小道だ。たが、すでに写真の撮れるような状況ではない。一刻も早く、車に戻りたかった。

真っ黒な雨雲が頭上を通過しているのだろう。さらに暗くなり、風が強くなってきた。そのうえ、雨だ。さいわい、ざあ~ざあ~降りにはならなかった。とはいえ、雨粒が、ウォーマーにあたって、ぽつぽつと音を立てている。急ぎ足で、灯台の正面を通り過ぎた。と、西側の雲間から、オレンジ色の光が差し込んできた。振り返って、灯台を見た。背景の空には、灰色の雲が層をなしている。しかし、あろうことか、大きな虹がかかっている。これには我ながら、言葉が出なかった。まさに、千載一遇とはこのことだ。

依然として、雨はパラパラ降っているが、ま、写真が撮れないほどでもない。いや、ざあ~ざあ~降っていたって、関係ない。これほど大きな、天を突くような虹は、見たことがない。そのあとは、夢中になって、シャッターを押しまくった。時々、モニターして、虹の色が写っているのか確認した。

そうこうしているうちに、虹が消え始めた。だが、ベストポジションで、きっちり、虹と灯台は撮れたと思ったので、平静な気持ちでいられた。いや、虹が薄れていく空を幸せな気分で眺めていた。すこし名残惜しかった。

虹が消えた後も、オレンジ色の光は、灯台を照らし続けた。これは、期待していた光景で、写真の位置取りとしては、夕陽と灯台とを結ぶ線上に立てばいい。都合のいいことに、この線上には、屋根付きの休憩所があった。いまだ、多少雨がぱらついていたので、雨よけになる。

灯台を撮りながら後退して、休憩所に着いた。この休憩所には、テーブルや椅子はなく、下は地面だ。六畳間くらいの広さで、四本だったか、五本だったか、太い柱で支えられている。その影が、緑色の広場に写っている。たこ足の火星人のような影で愉快だ。灯台にも、西日が当たっている。あたり一面が、オレンジ色に染まっている。落日の瞬間が近づいていた。

しばらくすると、うす暗くなった。休憩所から出て、西の空を眺めた。夕陽は、厚い雲のかかる彼方の山並みに、落ちたようだ。見届けることはできなかった。灯台も暗くなり、辺りも静かになった。場所移動だ。

灯台の右側に回った。雨雲は流れ去り、雨はほぼやんでいた。だが、依然として、西側の空には、厚い雲が垂れ込めていた。思い通りにはいかないものだ。それでも、雲間から差し込んでくる、わずかな夕陽を入れて撮った。そうだ、この時には、三脚を手にしていた。たしか、さっき休憩所に行ったときに、急いで車に戻って、持ってきたような気がする。

とりあえず、三脚は柵に立て掛けて、手持ち撮影でベストポジションを探した。灯台前の建物、その右側面がしっかり見えるあたりがいい。夕日と灯台を結ぶ線上だ。柵際に三脚を立てた。とはいえ、カメラは首にかけたままだった。いまだ、手持ちで撮れる明るさだったからだ。しかしそのうちには、暗くなり、シャッタースピードが、手持ち撮影の限界値を下回った。カメラを三脚に装着した。

ファインダーを覗いた。背景の西側の空、水平線がわずかに明るい。とはいえ、あとは、ほぼ厚い雲に覆われている。期待していた光景とは言えない。それでも粘っていると、辺りがさらに暗くなり、灯台の目が光り始めた。でも光り具合が弱いんじゃない?ぴかっと来ないのだ。おかしい、おかしいと思いながらも、しばらく撮っていた。だが、そのうちには気がついた。位置取りが悪いのだ。

三脚を抱えて、灯台の目がぴかっと光る地点を探した。それは、やや正面よりの、クマ笹沿いの小道あたりだ。結局、灯台に近すぎて、灯台から出る光線が頭の上を通過していたわけだ。と、その時は思ったが、今思うと、もっと違う理由があるような気もする。ともかく、灯台の目と自分の目とがでっくわす、ぴかっと光る位置を確保した。

辺りはすっかり暗闇につつまれていた。灯台はシルエットになっていて、白黒だんだら縞も見えない。ヘッドランプを頭に装着した。完全に夜間撮影になった。幸いなことに、風が止んだのか、さほど寒さは感じなかった。いや、念のために持ってきた長めのダウンパーカを重ね着したからかもしれない。

ライトアップされていない<能取岬灯台>は、こちら側に光線が回ってこないと、真っ暗でほとんど何も見えない。この日は、背景の空に、厚い雲が覆いかぶさっていたので、なおさら暗かったのだろう。ただ、水平線近くに、わずかな隙間があって、その部分がオレンジ色に染まっていた。

雲がなければ、おそらくは、空一面がオレンジ色に染まっていたに違いない。やや残念に思った。もう二度と訪れることはないのだ。ま、それよりは、ぴかっと光る瞬間を撮ることに集中しよう。チラチラとヘッドランプの光が揺れ動いた。自分の姿すら見えない暗闇の中で、頭だけは活発に活動していた。

三日目 #10 能取岬灯台撮影4

昨晩は、ホテルに<18:30>頃着いた。時間的には夕方だが、夜になっていた。<すき家>で調達した豚丼特盛を食べ、風呂に入った。と、足首の周りが、異常に痛痒い。掻いては、いかん!と思いながらも、思いっきり掻いてしまった。風呂から上がってからは、日誌のメモ書き、撮影画像のモニターなどをしていた。おいおい、足首の周りが真っ赤だぜ。しかも、痒さが尋常じゃない。いつものアレルギー性湿疹だ。医者でもらった塗り薬を探した。間抜けなことに、持参していない。なんてことだ。

そういえば、今日の午後辺りから、足首の辺りに違和感があった。ゴムの裾止めがきつすぎた。その部分が蒸れて、擦れて、汗をかき、湿疹ができた。毎回、程度の違いこそあれ、発症するのだから、今回も、気をつけるべきだった。そのうえ、患部をお湯で刺激して、事態をさらに悪化させてしまったのだ。ま、過ぎたことを後悔してもしょうがない。明日からは、裾止めはやめよう。

三日目の朝も六時前に起きた。夜間トイレや足首の痒みで、一、二時間おきに目が覚めたが、寝不足感はさほどなかった。洗面などを済ませ、六時半ちょっと前に朝食弁当を取りに、一階に下りた。エレベーターがなかなか来ないことには、すでに馴らされていた。

一階には、弁当待ちの宿泊客が何人もいた。それとは別に、五、六人の女の子が窓際に座っている。二十歳前後だろうな、雰囲気からして東南アジア系だ。この子たちは、昨日もチェックインカウンターの辺りで見た。素人ではない。いわゆる水商売系だろう。ただ、コロナ禍で、外国人は入国できないはずだが?と思いながらも、ちらっと視線を走らせた。朝っぱらから、機嫌が悪いというか、みなして暗~い感じだ。これからキャバクラで働かされるのだろうか?不幸な境遇なのだろう。それ以上の詮索はしないことにした。

<7:30 出発>。出る前に、部屋の写真を五、六枚撮っておいた。記念写真だ。いつもは、宿泊の最終日に撮っているが、今回は、というか、前回あたりからは、前倒しして撮影している。なんと言うことはない、最終日だと、なにかと気忙しないのだ。

通り道のコンビニでコーヒーを買って、<8:00>には、能取岬灯台を見下ろす丘の上に着いた。晴れてはいるが、薄い雲が空全体をおおっている。牧草地の緑が、ややさえない。それでも、三脚を担いで丘の上に立った。昨日のポイントよりは、さらに右に移動して、新たなアングルを探した。牧草地の柵の小道が、くの字に曲がっているところまで来た。やはり、よくない。戻りながら、昨日の興奮やら感動やらが、すっかり冷めているのを自覚した。日差しが薄いということも影響しているのだろう。

<9:30>には下の駐車場に下りた。一息入れて、クマ笹の前、灯台の左側面など、昨日見つけたポイントを撮り歩きした。空の様子がいい。斜めになった、青白の太いだんだら縞だ。<青>は青空、<白>は雲。このような雲は、お初ではないが、なかなかお目にかかることはできない。

写真的に言えば、水平と垂直で構成されている画面に、この太い斜めラインは、とても印象的で、動的な効果さえ与えている。昨日の<虹>の出現と言い、今日の<雲=巻層雲>といい、珍しい自然現象に出くわした時には、意味もなく興奮するものだ。しかも、それが撮影中ともなれば、なおさらだ。希少価値、ということなのだろうか。

だが、灯台の正面辺りに来ると、空の様子が変化してしまった。というか、位置取りの関係で、青白だんだら縞が、斜めではなく水平になった。しかも、<白>の占める割合が大きいので、感動するほどの光景ではない。

しかし、さらに動いて、右側面辺りに来ると、背景の青白だんだら縞が、また斜めになった。ただし、その向きが、先ほどは左から右だったが、今度は、右から左に落ちている。この180度の変化は、位置取りの関係によるものなのだろうか?それに、正確に言えば、すでに<だんだら縞>ではなく、雲間に青空が、斜めにくさびを差したような模様になっている。

要するに、位置取りの変化と雲の変化とが、複雑に絡み合って、背景の空の様子は、刻一刻と変わっていった、ということなのだろう。別の言い方をすれば、位置取りや雲が変化するにつれ、自分の目に映る風景も灯台も変化していった、と。そして、そのパノラマの中心には、不動の自分がいる。ただし、もう少し長い目で見れば、その不動の自分すらが、刻一刻変わっている。撮りながら、益体もない妄想に耽っていたような気もする。

最後にもう一つ、<妄想>を書き残して、三日目の午前の撮影を終えることにしよう。灯台の右側面まで到達した。だが、背面へは回り込まなかった。背面からのアングルはよくないのだ。それよりも、今一度、灯台に岬を絡めた写真を撮ろうと思って、北東側の小道を柵沿いに移動した。このままいけば、例の<オホーツクの像>にぶつかる。少し行って、振り返った。やはり、柵が邪魔だな。いや、写真を撮る、ということに関してだけだ。柵は<邪魔>どころか、断崖への転落、という危険から人間を守っている。

写真的には、灯台が岬の先端にあればいい。だが、能取<岬>灯台は、その名の通り、岬の上に立っている灯台であって、岬の先端に立っている灯台ではない。先端に位置していたならば、能取<埼>灯台となっていたはずだ。

どうでもいいことだが、話を続けると、陸地から出っ張った岬の面積が大きいのと、先の方が急坂になっているのとで、灯台は、陸地寄りの平坦なところに設置された、のだと思う。したがって、岬の先端部と灯台との距離が離れている。合理性が優先されるのは当たり前の話だ。

布置的な関係で、そもそもが、灯台と岬とを一つ画面に入れるには、無理がある。それに、画面を縦に分割する<柵>がある。<断崖絶壁に立つ灯台>という魅力的な目論見は、端から破綻しているのだ。それでも、位置移動を繰り返し、柵から身を乗り出してまで、しつこく撮った。

撮ったところで、ざまはない。帰宅後の画像選択で、はかない希望は泡と消えた。灯台に岬を絡めた写真は、すべてがモノにならなかった。合理的判断よりも妄想を優先した結果の、いわば<徒労>だった。これまでにも、かような間違いを、何十回も繰り返してきた。それは、写真撮影の問題であると同時に、人生の問題でもあるような気がする。<徒労>を<あがき>として、自己正当化しているようなのだ。これも妄想だな。

三日目 #11 能取岬灯台撮影5

午前の撮影を終えた。さほど腹は減っていなかったが、昼飯にしよう。メモ書きには<11:30 疲れを感じる>とある。車を、駐車場から道路を隔てた駐車スペースの方へ移動した。正面に海が見える、景色のいい所だ。ゆっくりするつもりだったのだ。ところがだ、リアドアを開けた途端、昨晩ホテルでもらったカレーが、買い物袋の中でこぼれている。ちゃんと蓋をしなかったのが原因だ。いや、プラの蓋はちゃんと閉まらなかったぞ。それよりも、早急に後片付けだ。車の中がカレー臭くてたまらん。

べったりと、カレーのついた買い物袋や、そのへんを拭いて、カレー臭くなったタオルを、トイレに行って水洗いした。そうだ、このトイレについて、少し書いておこう。トイレは、駐車場の後方にあり、コンクリ打ちっぱなしの、ちょっとおしゃれなデザインだった。周囲の素晴らしい景観の中でも、さほどの違和感はない。いわゆる作家の<デザイントイレ>?なのかもしれない。

ドアは一か所で、半自動ドアだった。そのドアに張り紙があった。トイレは16:00になると閉鎖されるとのこと。ふ~ん、と思いながら中に入ると、三畳間くらいの空間があり、右手に手洗い場がある。左手にはドアが二つあり、たしか、男性用と女性用だったか、車いす用と一般用だったか、よくは記憶していない。が、とにかく、手で開けて入ると、やはり、日本全国、おなじみの公衆便所の臭いがした。

このトイレは、滞在中、何度も利用したが、その度、なぜ、<16:00>に閉鎖されてしまうのか、引っかかった。一般的には、観光地、しかも、灯台の駐車場のトイレは24時間営業?だ。だが、そのうち、この三畳間くらいの空間には窓がある、ということに気がついた。

窓というか明り取りかもしれないが、トイレの手洗い場にしては、明るくて居心地がいい。なるほど、これで一件落着、<車中泊>ならぬ<トイレ泊>をする輩がいるのだろう。対抗策として、夜は閉鎖というわけだ。

いや、単に管理上の問題だけなのかもしれないぞ。事実、午後の四時頃、トイレ付近に軽が止まっていた。あれは、トイレ掃除に来た業者で、四時に掃除して、閉めてしまえば、そのあと翌日まで汚される心配はない、というわけだ。ま、それにしても、<16:00>に閉鎖されてしまう公衆便所って、なんか変でしょ。あとは野となれ山となれ、か。

話を戻そう。昼飯のカレーはまずかった。半分くらいこぼれてなくなっていたし、御飯が、変に硬くなっていた。それに、昨日コンビニで買ったカレーパンもまずかった。なんでまた、<カレーパン>なんだ!ま、いい。気分を変えて、午後の撮影を始めよう。

午後の一時頃、丘に上がった。薄い雲が、太陽にかかっている。日差しは薄く、明かりの状態としては、午前中よりさらに悪い。それでも、気のないシャッターを押しながら、小一時間ほど、丘の縁をぶらついた。すばらしい風景も、日差しの具合で、素晴らしくは見えないものだ。

二時半頃には、駐車場に戻った。先ほどから、下っ腹が張っていた。こんな状態では撮影はできない。否応なく、公衆便所で排便だ。温水便座だったかな?スッキリした。とはいえ、<疲労感がひどい>。さほど動き回っていないのにな、と思った。

そのあと車の中で一息入れたような気もするが、三時頃から、灯台周りの撮影を開始した。広場に踏みこみ、左側面からしつこく撮った。背景に青空が見えていたし、能取岬灯台の一番いいアングルだ。ただし、日差しがますます薄くなり、緑の芝草が、黒っぽい。写真としては、あまり期待できない。

<秋の日は釣瓶落とし>、と思ったかは定かでない。とにかく、三時半過ぎたころから、日が傾き始めた。しかも残念なことに、西の空は、ほぼ一面、雲に覆われている。今日も、夕陽は期待できない。ただ、水平線近くに、ほんの少しだけ、雲の間に隙間があって、そのあたりがオレンジ色っぽい。

左側面からの撮影を終わりにして、灯台の右側面へと移動した。西の空が背景となるので、灯台は逆光となり、眩しくて、しかとは見えなくなる。だが、一面の雲が、強烈な西日を受け、やや黄金色に輝いている。その形をなさぬ、いわば<不定形>の空が面白い。

さらに太陽の位置が低くなり、水平線際、少しの部分だけが、茜色に染まっている。海に反射して、きらきらしている。かなり遠いし、範囲も狭いが、カメラを向けて撮っていた。と、駐車場の方から、ばらばらとたくさんの人が、こちらに向かってくる。

これは、午後四時前後に到着する、定期観光バスの観光客たちだ。そう断言できるのは、昨日も、同じ時間に、同じバス、同じ光景を目撃しているからだ。驚いたことに、今日も昨日同様、ほぼ定員いっぱいで、四、五十人は居る。仲のいい者同士が連れ立って、がやがやと広場の歩道を歩いてくる。灯台前で記念写真を撮った後に、一部の者たちは、さらに柵沿いの道を<オホーツクの像>へと歩いていく。

いま自分がいる位置、すなわち、灯台の右側面、断崖の柵沿いからは、北東方向に、知床半島が見える。西の空はほぼ雲に覆われていたが、知床半島の上には、青空が広がっていた。すでに<ゴールデンタイム>に入っていて、これは何という色合いなのだろう、淡い青と白と朱との見事な諧調だ。観光客たちも歩みを止め、柵に寄りかかりながら、写真を撮ったりしている。話し声も聞こえた。大雑把だが、関西弁だ。おそらく、関空から北海道ツアーに来たのだろう。関西弁か、なぜか場違いな感じがした。

そのうち、観光客たちは、潮が引くように消えていった。あたりは、ほぼ暗くなっていて、灯台の目が光り始めた。夜間撮影のために、少し移動した。灯台正面やや右側の歩道の後ろだ。そこには、大きな案内板があり、背後は一面、クマ笹の海だ。風が少し吹いていた。だが、さほど寒くはなかった。もっとも、完全装備で、ウォーマーの上にダウンパーカまで着込んでいたのだ。

三日目 #12 能取岬灯台撮影6

昨晩よりは、今晩の位置取りの方が、ベストだと思った。ただし、背景の空の様子が、昨晩とほとんど変わらない。ほぼ九割がた、雲に覆われていて、水平線際が少しオレンジ色に染まっている。ま、その範囲が、昨日よりは多少横広がりになってはいたが、大した違いはない。

ピカリと光る灯台の目は、昨晩同様、うまく撮れた。ただし、光線は、ほとんど目視できなかったし、したがって、撮れなかった。だが、さほど悔しい気持ちにはならなかった。灯台の光線を撮るのは至難の業だ、とほぼ諦めていからだ。それに、心のどこかで、撮れたとしても、<それがどうした>というような、妙に開き直った気持ちにもなっていた。ありていに言えば、暗闇を照らす灯台の横一文字の光線に面白みを感じなくなっていた。<ロマン>や<幻想>に、多少嫌気がさしているからかもしれない。

とにかく、眼だけが光る、灯台の前で写真を撮っていた。暗闇。あたりに人の気配はない。が、その瞬間、背後で何か鳴声がした。人間ではない。動物だ。熊かな?狐かな?おっかなびっくり振り返った。何も見えない。だが、クマ笹の下を、鳴声が移動している。甘えているような声だ。子狐が母狐を探しているのかな。ヘッドランプを、クマ笹の海に向けた。動くものは見えない。だが、鳴声は、ほんのすぐそばを通り過ぎていく。目と耳と神経とを一点に集中していると、鳴声は、少しずつ遠ざかって行った。

そうだ、昨晩もこの辺りで、びっくりしたことがある。書き忘れたのだ。暗闇の中で、三脚を立てて、灯台を撮っていたら、不意に、左から黒い影が、目の前を横切って行った。人間だ。手に小さな懐中電灯を持っている。若い男だ。あれ~と思って目で追っていると、例の<オホーツクの像>の方へ歩いていく。

カメラでも持っていれば、夜景を撮りに来たのだろうと了解できた。だが奴は、手ぶらだ。というか、スマホと懐中電灯だけだ。真っ暗闇の中、なにしに来たのだろう。伸びあがって見た。<オホーツクの像>が、小さな黒いシルエットになっている。そのあたりで、明かりが、チラチラしている。奴の手にしていた懐中電灯だろう。

そのうち、黒い影が立ち止まって、夜の海にスマホを向けている、ようにも思えた。沖の漁船が煌々としていたし、遠くの漁火もきれいだ。スマホに撮る価値はあるなと思った。なるほど、奴は、夜の海を見に来た旅行者だ。それにしても、真っ暗闇の中、ひとりで夜の海を見に来るなんて、変な奴だ。なにか悩みがあるのかもしれない。余計なお世話だろう。

安心して、また写真撮影に戻った。いいかげん撮って、集中力が切れた頃、右から黒い影が横切った。今度は、驚かなった。奴が戻って来たのだ。さてと、俺も引き上げようかな。三脚を肩に担いで、駐車場へと向かった。歩道を照らす、ヘッドランプの明かりが、やや薄くなったようだ。電池交換の時期なのかもしれない。

真っ暗な駐車場には、車が一台止まっていた。ヘッドライトがつけっぱなしなので、眩しい。若い奴らが乗っているようだ。無視して、自分の車に戻った。エンジンをすぐにかけ、こちらも、思いっきりヘッドライトをつけてやった。

能取岬灯台の撮影も、ほぼ終わった。二日半のうち、まあ、いい天気は一日だった。とにもかくにも、天候が不安定で、気温差に悩まされた。それに、足首周辺のアレルギー性湿疹が悪化してしまい、憂鬱でイライラした気分だ。とくに左足首がひどい。昨晩などは、足首だけ、布団から出して寝ていた。布団に入って、体が温まると、猛烈に痒くなるのだ。まったくもって、特効薬の塗り薬を忘れたのが悔やまれる。

丘を登り終え、やや平坦な岬の上の森の中を走っていた。むろん辺りは真っ暗だ。と、前方に、赤い点が見えた。一瞬で、獣の目だとわかった。スピードを落として近づいていくと、熊ではなく鹿だった。少しホッとした。車を止めると、角の立派な、大きな鹿がヘッドライトに照らし出された。ちらっとこちらを見て、ゆっくり道路を横切り、そしてまたこちらをチラッと見て、闇の中に消えていった。いやいや、これは、時間が逆戻りしてしまった。昨日の晩のことだ。

もとい!真っ暗な森の中を、昨晩同様、ホテルへ向かって走っていた。スピードをやや抑え、慎重な運転だ。<動物との衝突が多い>というレンタカー屋の言葉を、今更ながら思い出していた。満更、ウソでもなかった。何しろ、昨晩、実際に大きな鹿に遭遇したのだ。ちょうど、そのあたりに差し掛かった時、おっと、左側の路側帯に、またしても大きな鹿だ。スピードを緩め、止まろうとした。だが、鹿は、ゆっくりと踵を返し、闇の中に消えかけた。

ああ~ん、ほぼ同じ時間、同じ場所、しかも、角の立派な、大きな鹿!それに、ちらっとこっちを見ていたぞ。そこで、閃いた。餌をもらいに来たのかもしれない。観光客がエサやりしたので、学習したのだろう。車を止めて、何かお菓子でもあげようかな、と一瞬思った。だが瞬時にそれを打ち消した。夜間に大きな鹿が自動車に轢かれる!そんな惨事に自分は加担したくない。

といっても、すでに餌付けされ、夜の道路で待っている鹿がいるのも事実なのだ。割り切れない気持ちが残ったが、どうしようもないではないか。再び、車のアクセルを踏んだ。だが、岬から下りた頃には、鹿のことはすっかりシカとしてしまった。

それよりも夕食の調達だ。三日連続で、ホテルの近くの<すき家>の駐車場に入った。おどろいたことに、<テイクアウト>のラインに、五、六台並んでいる。駐車場にも、かなりの数の車が止まっている。すぐに事態を理解した。人手がなくて、大勢の客に対応しきれない。その場で、しばらく待っていた。

なぜ、昨日一昨日は、ほとんど車が止まってなかったのに、今日だけこんなに混んでいるのか?金曜日の六時過ぎだった。なるほど。ちょうど夕飯時だ。一人か二人の従業員が、店内でてんてこ舞いしている姿が容易に想像できた。とはいえ、かなり待ってるぞ。それなのに、一台も車が動かない。

十分以上待ったと思う。いい加減嫌気がさして。駐車場を出た。近くのコンビニまで車を走らせ、まずそうな弁当を買って、ホテルに戻った。ところが、やはり、時間が遅いせいだろう、平面駐車ができなくて、係員に、否応なしに、立体駐車場の前に誘導されてしまった。おわかりだろうか、シャッターがあくと、車一台が、ぎりぎりおさまるようなスペースに、ゆっくり移動するのだ。なにしろ、入れるところが狭い!慣れないレンタカーだ。神経を使ってしまった。

そのあと、もう一つ、この旅中での、最大の齟齬が待ちかまえていた。いわゆる<カレー事件>だ。ホテルでの、<カレー>待ちでの行列で、俺としたことが、爺とちょっとやり合ってしまった。長くなるので、次回にしよう。すでに、一回分の紙数は尽きている。それにしても、真善美よりは、偽悪醜についての方が、よく覚えていて、すらすら書ける、というのはどういうことだろう。悪い思い出は忘れてしまう、と何かの本で読んだような気もするが、事実は逆なのかもしれない。

四日目 #13 網走観光1

四日目の朝は五時過ぎに目が覚めた。スマホで天気予報を見ると、曇りだったはずなのに、午前中に晴れマークがついている。天気がころころ変わりすぎる。帰宅日だけど、ちょこっと灯台を撮りに行こうかな、迷ってしまった。だが、今日の予定をざっと思い浮かべると、なんだかあわただしい。一時過ぎのフライトだ。十二時過ぎには、空港に着いてなくてはならない。撮影する気がなくなった。

もっとも、撮影する気になれなかったのは、時間的な問題だけでもない。まずもって、足首が、特に左の足首辺りから脛にかけて、真っ赤に腫れあがってしまったのだ。パンパンになった足の違和感が尋常でない。体の不調は気分にも影響していて、写真撮影どころではない。ま、幸い、痛痒さは我慢できる程度だった。

ベッドに寝転がりながら、帰宅日の予定を最終的に決めた。ホテルを八時頃出て、観光しながら、十二時前には空港近くのレンタカー屋に着くようにすればいい。観光は、近くの<サンゴ草自生地>、それに、来るときもちょっと寄った<希望の丘>。目と鼻の先にある<網走監獄>は、ま、以前に一度行ったこともあるからパスだな。

六時前に起きて洗面、身支度。六時半ちょっと前に、朝食弁当を取りに部屋を出た。廊下も隣の部屋もし~んとしている。そうだ、昨晩は、九時頃から、隣の部屋がすごくうるさかった。学生だろう。大きな声でしゃべっていて、寝られやしない。しかも、よりによって、隣の部屋に仲間が集まっている。

誰かが面白い話をしているのだろうか、数分おきに、どっと笑い声がする。そのうちの一人の甲高い声が、ほんとに癇に障る。三十分ほど我慢していたが、怒鳴り込むわけにもいかず、耳栓をした。耳栓をした後は、騒ぎ声もさほど気にならなくなり、そのうち眠ってしまった。夜中の十二時過ぎに目が覚めた時には、さすがに静かになっていた。朝になって、隣部屋のドアの前には、へし曲がったビール缶がいくつか転がっていた。酒を飲んでいたわけで、ま、しょうがねえ!

エレベーターに乗った。昨晩の爺と鉢合わせしなければいいなと思った。そう、例の<カレー事件>の爺だ。<カレー>の配給?時には二番目に並んでいたのだから、朝食弁当だって、朝一番で取りに来る可能性が高い。

時間を戻そう。昨晩のことだ。サービスの限定四十食<カレー>を取りに、七時少し前に食堂に下りた。すでにカウンターの前には、仏頂面した中高年のオヤジが並んでいる。その後ろには、椅子に座った黒っぽい爺がいる。並んでいるのか?判断しかねたが、一応爺の後ろに並んだ。

五、六分そのままの状態で過ぎた。食堂には、かなり人が増えてきた。爺はなかなか立ち上がらない。並んでいるんですか、と声をかけた。ソーシャルディスタンスを取らなきゃね、と言いながら爺がやっと立ち上がった。すでに狭い食堂には人がいっぱいだ。<ソーシャル>もヘチマもあったもんじゃない。ワクチン打ってるんでしょ、と俺。すかさず爺が、ワクチン打っても罹るんだ、と語気を強めた。イラっとして、話さなくていい、と言い捨てた。そっちがしゃべりかけてきたんだろ、と爺は食い下がってきたが、今度は無視した。

ちぇ、サービス<カレー>をもらうために行列してたら、このざまだ。横柄な爺にも腹が立ったが、自分が情けなかった。たいしてうまくもない<カレー>をもらうために、行列が嫌いな自分が、さもしい貧乏人に同化して列を作っている。その場でプイと横を向いて、爺にも、回りの人間にも、そして自分にも、もう相手にしません、という態度を誇示した。

じきに<カレー>の配給が始まった。爺が振り返りながら、お先にどうぞ、と言ってきた。どういうことなんだ?いえ、と言って首をふり、相手にしなかった。人間とは関わりたくないんだ!不機嫌なまま、部屋に戻った。<カレー>なんか、食べる気になれなかった。が、まあ、すんだことだ。まずいなと思いつつ、コンビニ弁当ともども、しっかり完食した。

四日目の朝に戻ろう。さいわい、エレベーターでも食堂でも、爺には会わなかった。部屋に戻って、朝食弁当を食べ、七時半にはホテルをチェックアウトした。立体駐車場に行き、車を出してもらった。出してもらったといっても、外ではない。シャッターのあいた建物のなかだ。目の前には、デカい金属のゆりかごに乗った車が現れた。ちらっと、タイヤの下あたりを見た。<ゆりかご>の縁とタイヤの間が五センチほどしかない。まっすぐ移動しないと脱輪する。少し神経を使って、外に移動した。

その際、係の若者に、駐車場に少し止めさせてくれ、と断りを入れた。そんな必要もないだろうが、昨晩以来の、数々の<齟齬>はすでに忘れていた。多少気分がよかったのかもしれない。若者は愛想よく応答してくれた。車を適当なところに止めて、荷物の<パッキング>をした。キャリーバックとリックサックに、すべての持ち物をぴっしり詰めこんだ。これでいつでも飛行機に乗れる。さあ、観光して、帰ろう。

<8:00 出発>。八時半には<サンゴ草自生地>に着いた。正式には<能取湖サンゴ草群落地>という。サンゴのように赤くなった植物(アッケシソウ)が、湖畔一面に広がっている。残念なことに、時期が少し遅い。色がややさめている。ただ、向うの方に、大きな鶴のような鳥が二羽いる。タンチョウだとすぐに気づいた。ギャア~という鳴声が、思いのほかデカい。

改めて、辺りを見回すと、ウッドデッキが湖の方へと伸びていて、自生地の真ん中あたりまで行ける。観光客が多いのに、意外にも近い所にタンチョウが居る。すぐそばで写真を撮っている人間もいる。あんなに近づいちゃ逃げちゃうぞ、と思っていたら、案の定、鳥たちは大きな鳴声を残して、どこかに飛んで行ってしまった。ほらね!

一応ここまで来たのだからと思って、ウッドデッキを歩きながら記念写真を撮った。日差しが強くて、少し汗ばんだ。引き上げようかなと思ったときに、また大きな鳴声が聞こえた。二羽のタンチョウが元居た場所に戻ってきたのだ。赤いサンゴ草の中に二羽のタンチョウ。これは絵になるでしょう。少し距離はあったが、ぐるっと回り込んで、撮りに行った。

近づきすぎて、鳥が逃げてもまずいので、というのは、手前の岸からデカいカメラを向けている爺さんもいたからだが、遠慮して遠目から撮った。したがって、記念写真とは言え、肝心のタンチョウがよく撮れなかった。そのうちには、また、観光客が、タンチョウのすぐ近くまで来て、スマホを向けている。さらには、自生地の入り口付近の旅館から、ぞろぞろ人が出てきて、タンチョウの方へ向かっている。あの旅館は、サンゴ草とタンチョウが<うり>なのだろう。引き上げよう。

四日目 #14 網走観光2~帰路

<9:30 出発 メルヘンの丘へ向かう>。ナビの指示に従い、運転していた。じきに、丘、というか、なだらかな斜面の上に出た。どこを走っているのか、とにかく、女満別空港へ向かっていることに間違いはない。両側にはキャベツ畑、道はうねうねと続き、ゆるやかに波打っている。時々、かまぼこ型の家がみえる。屋根がオレンジ色だ。

人の姿はない。車も一台もない。じつに広々している。それにいい天気だ。心が緩んだ。楽しい。解放された気分だ。この旅の中では一番幸せな時間だった。北海道の大地を、車でぷらぷらドライブするのもいいな、と思った。いや、ありていにいえば、これからは、灯台の撮影は二の次で、北海道ドライブを最優先にしてもいいなと思った。

足首のアレルギー性湿疹の影響もあるかもしれない。今回は、二日目あたりから、疲労感を覚えた。それに、写真撮影が楽しくないのだ。月並みだが、気力、体力が、あきらかに衰えている。それに比べて、交通量の少ない、道のいい北海道のドライブはじつに心地よかった。

市街地に近づいてきたのだろう、車と行き違うようになった。トイレタイムだ。広い道端に車を止めた。周りには誰もいない。無防備な態勢をとった。目の前には、北海道が広がっていた。新たな楽しみが見つかったような気がした。今度は、自分の車で来よう。その時には、車中泊などもして、天候や時間、灯台にも縛れない旅をしよう。

とはいえ、二年足らずで灯台巡りにも飽きてしまったわけで、多少忸怩たるものがあった。大袈裟に言えば、これまでも変節や転向を、幾度となく繰り返してきたのだ。しかし、これは、今やりたいことをやらないで、忍苦しながら頑張ることの方が、より偽善的だと思っているからだ。

一般的には、努力し困難を克服して、ひとつ事を成し遂げることが求められるだろう。だが、<転向>しないで頑張るより、内なる声に従った方が幸せだ。偉くはないが、その方が、尊いような気がする。むろん、自分を含めて、生き物を傷つけない範囲でだが。もっとも、これも、ひとつ事を全うできない人間の屁理屈、言い訳なのだろう。

見覚えのある街中に入ってきた。十時には<メルヘンの丘>に着いた。広い路肩に駐車して、ゆっくり撮った。時間はまだ十分ある。ところがだ、次々と観光客が、写真を撮りに来た。目の前を横切り、話し声が大きい。ま、これは致し方ない。シカとして、広い路肩を右から左まで、撮り歩きした。緑の丘の上に木が並んでいる、お決まりの風景だが、背景の白い山並みまではっきり見える。それに、雲がいい。晴天。いい記念写真を撮って帰りたいと思った。

Nレンタカーの営業所に着いたのは、<11:00>頃だった。隣がガソリンスタンドになっている。車を返す前に、満タンにした。174キロ走って、ガソリン代は¥1900。妥当なところだ。営業所の女性従業員の応対も、ビジネスライクで問題はない。ワゴン車で、空港まで送ってもらい、あっという間に、女満別空港の出発ロビーだ。まだ十一時半前だった。フライトまでには二時間もある。早すぎるでしょ!

搭乗口の前あたりに陣取って、日誌をつけた。そのあとは、ひまつぶしに、ぷらぷらトイレに行ったり売店を覗いたりした。かなり広いロビーのベンチは、ほぼ八割がたうまっていた。コロナの緊急事態宣言が全国的に解除されて、人の往来が増え、北海道にも観光客が戻ってきたのだろう。自分もその一人だ。そのうち、十二時を過ぎると、ひとつ前の便の搭乗案内のアナウンスが始まり、ロビーの人間たちは、みな搭乗口に吸い込まれていった。広いロビーに、自分だけが残された。

靴を脱いで、足を投げ出して、ベンチで待機していた。フライトまでには、まだ一時間あった。旅が終わったという感傷も、日常に舞い戻る嫌悪感もなかった。言ってみれば、極めて平静だった。ただ、帰宅後の旅日誌の執筆と、千枚以上の写真の選択、補正の作業が、やや億劫に感じられた。以前の旅では、それらが楽しみだったのに、何かが確実に変わってしまった。

失恋や愛猫の死を忘れるために始めた<灯台巡り>の旅は、心の傷が癒えたのだろうか、その根拠が空に帰したことで、輝きを失った。いわば、やる気がなくなってしまったわけだ。それに、体力、気力の衰えを実感したこともある。自分が爺であること、年寄りであることを思い知らされた。旅の仕方も、写真の撮り方も、変更を迫られている。ぼおっと、そんなことを考えていたに違いない。あっという間に時間が過ぎて、羽田行きの搭乗案内が始まった。

お決まりのように、優先搭乗だ。車いすや妊婦、それに子供連れが一番最初に案内される。それが終わって、後方の窓際席から、順番に案内される。自分はグループ<1>だから、いの一番だ。優先搭乗の、子供連れが、ゲートをくぐった。立ち上がって、待ち構えていた。ところが、なかなか案内されない。子供連れは、なぜか、機内に案内されることなく、ゲートの内側の通路で待たされている。それとなく見ていると、係りの男性が、そばに寄ってきて、なにか耳打ちしている。アナウンスがあり、機内清掃の遅延とかで出発時刻が遅れるようだ。

飛行機の多少の遅れなど、こちらにとっては全然問題ではない。たとえ<欠航>になったとしてもだ。なにしろ、帰宅したところで、待っている人もいないし、待ち構えている仕事もない。とはいえ、むろんそういう事態にはならなくて、十分ほどの遅れで、機内に案内された。着席すると、飛行機はすぐに動き出し、あっという間に、女満別空港を飛び立った。

帰りも窓際の席だったが、外の景色にも興味を失っていたので、なんとなく退屈だった。いきおい、天井からぶら下がっているモニターに目がいった。飛行機のアイコンが、徐々に南下し、北海道を離れ、東京へと向かう様子が、刻一刻アニメーションで映し出されている。しかし、それにもすぐ飽きてしまい、ぼうっとしていた。

飛行機がある程度まで上昇して、水平飛行になると、通路を女性のアテンダントが、頻繁に行き来するようになった。お飲み物はと聞かれたので、アップルジュースを頼んだ。紙コップで飲むアップルジュースは、心なし味気なかった。あとは、ふと気まぐれを起こして、機内販売で、オニオンスープとじゃがバタースープの詰め合わせを買った。これは、来るときに機内サービスで飲んで、わりとイケると思ったからだ。顆粒状のもので、本数もかなりある。¥1000なら、安いでしょ。

そのあとは、これといったことはなかったと思う。というか、外界の事物や人間にはほとんど興味を示さずに、飛行機から降り、モノレールに乗り、電車で自宅まで戻った。ただ、足首のアレルギー性湿疹が最悪で、ふくらはぎのあたりまで、真っ赤に腫れあがっている。特に左がひどい。そのことばかりが気になっていた。気分が低調だったのは、そのせいかもしれない。

四日目の、夕方、六時半には自室に戻った。すぐに、皮膚科でもらった湿疹の塗り薬を、赤く腫れあがっている、足首、脛、ふくらはぎに入念に塗った。とんだドジを踏んだものだ。この薬さえ持っていけば、こんなにひどくはならなかったんだ。もっとも、よく効く塗り薬ではあるが、すぐさま効果がでるわけでもない。その晩は、ぱんぱんに腫れあがったままだった。だが、疲れていたのだろう、比較的よく眠れた。

翌朝になって、下肢の腫れは少しひいた。とはいえ、いまだ不快な違和感がある。腫れと赤みが完全に引いたのは、そのあと、数日してからだった。ま、かなりの重傷だったわけだ。

千枚にも及ぶ写真の選択と補正、旅日誌の執筆が、今後の作業だ。とはいえ、両方とも、気が進まない。気力が萎えている。だが、やりっぱなしにするわけにもいかない。自分はたしかに、北海道の網走まで行って、灯台を撮ったのだ、という事実を、どのような形にせよ記録、記述して、脳裏に刻み付けておきたいのだ。生きた証が欲しいのだろうか。しかし、そんな証が、何の役に立つ。爺になっても、いまだに幻想から逃れられない。<虚空に花挿す行為>が尊いと思っているのだ。

2021-10-5.6.7.8日、三泊四日 網走旅の収支。

ANA飛行機往復+宿泊三泊 ¥60800

レンタカー¥12900 ガソリン¥1900

行き帰りの電車賃¥2500

お土産¥1800 飲食等¥3000

合計¥83000 

高かったのか安かったのか、それとも妥当な金額なのか、判断がつきかねる。ま、北海道へ行ったんだ。これくらいかかるのは当たり前なのだろう。

#15 網走旅・エピローグ

<いやいやながら医者にされ>という<モリエール>の喜劇があったな。No Matter、そんなことはどうでもいい。<網走旅>から帰ってきてから、いちおう、いやいやながら、撮影写真の選択をしてフォルダを作った。あとは補正するだけだ。次に<旅日誌>を書き始めた。ほぼ一か月、<忍>の一字で頑張って、十一月の中旬も過ぎ、もう少しで終了というところまで、こぎつけた。まあまあのペースだった。

しかし、先が見えたということで、気が緩んだ。それに、次の灯台旅までには間がある。気分的には、来年の五月の連休明けに、車で北海道に行くつもりになっている。これは、灯台旅というよりは、北海道ぶらぶら旅だ。したがって、旅日誌も急いで仕上げる必要はない。なんという<甘さ>!事あるごとに<楽>をしようという習癖が出ている。とたんに、一行も書けなくなった。言葉が出てこない。気持ちの持ちようということだが、これほどまでに、精神的なことに左右される自分が、不思議ですらあった。

灯台旅―写真の選択・補正、旅日誌の執筆-灯台旅、という循環を、二年間で十一回繰り返した。今後もこの循環は続けるつもりだが、循環と循環の間が長くなるだろうし、灯台写真の撮影流儀も変化するだろう。理由は、前章で記述したので繰り返さない。要するに、これからは、もう少しゆったりした旅をしようということだ。体力と気力の低下を、年寄りの知恵で補うつもりだ。

で、気が緩んだとたんに、向かった先が<PCオーディオ>だった。唐突な話で、なんのことか、おわかりにならないだろうから、少し説明しておこう。

<PCオーディオ>。これは、パソコンにオーディオ機器、つまりアンプやスピーカーを接続して、高音質、高音量で音楽を楽しむことだ。もちろん、パソコンでも音楽は聞ける。だが、音質と音量に、どうしても限りがある。一番簡単なのは、アクティブスピーカーと言って、端子をパソコンのヘッドホンジャックに差し込めば、音質もよくなり、音量も増す。これらの製品は、数千円からあって、とても手軽だ。ただし、デスクトップ周りに置く、小さなスピーカーだから、音楽を本格的に、高音質、高音量で楽しむというわけにはいかない。

となると、どうするか?次に出てきたのが、<DAC>という器具だ。これは、PCのデジタル信号をアナログ信号に変える装置で、パソコンとアンプの間に、この器具をかませて、アンプにつながっているスピーカーから音を出すわけだ。

ただ、これらの製品は、数千円から数十万までの幅があって、その違いがしかと理解できない。むろん、高額な物が音もいいのだろうが、どの程度の違いなのか、比べて実際に聞いたことがないので、なんとも言えない。それに、そんなものに、数十万はおろか、数万円出すつもりもない。金はかけないで、音楽を楽しもうとしている、ケチな爺なのだ。

それに、だいいち、自分はアンプもスピーカーも持っていないわけで、この方法は、すでに<アナログ>の再生装置を持っている人間向けだ。そこで、さらに調べると、<DAC>機能が付いたアンプというものがある。しかも、<USB>端子が付いているものもあり、PCと直接つなぐことができる。素人が、ちょっと考えても、PCとアンプとが、<USB>で<直>につながっている方が、音質がいいような気がする。

ここから、この<USB-DAC付きアンプ>のネット検索が始まった。まったくの門外漢なので、専門用語がわからず、調べるのにかなり苦労した。それでも、しだいに事情が、うっすらとではあるが、理解できるようになった。わかったことは、自分が求めている<USB端子付きの-DAC内蔵アンプ>というのは、従来のオーディオ製品にはないもので、各社が、ここ十年くらいの間、開発にしのぎをけずっている製品らしい。

その背景にあるのが、音楽の<ストリーミング>だ。これは、つまり、一種の<サブスト>で、月額千円ほどで、ネット配信されている数千万曲の音楽をPCで聞けるというサービスだ。こうなると、<CD>を買う必要性が薄れる。しかも、<CD>を出し入れする手間も省け、保管する場所もいらない。それに、<ストリーミング>される音楽の音質が、<CD>の音質と同等、あるいはそれ以上の音質なのだから、<LPレコード>が<CD>にとって代わられたように、今度は<CD>が<ストリーミング>に、とって代わられる時代になったようだ。

はなしを戻すと、この<USB端子付きの-DAC内蔵アンプ>の製品調査と購入に、ほぼ一か月の間、何かに取り憑かれたかのごとく、夢中になっていたのだ。とくに、購入に関しては、<メルカリ>と<ヤフオク>に多大な時間を割いた。結局は、相場より、少し高い物を買ってしまったようだが、損をしたという感覚はない。これまで、ネットで<中古>の物を買ったことがなかったので、これはこれで、ひとつの勉強?になった。あと、どうでもいいことだが、<ヤフオク>の落札方式は、ストレスはたまるが、よく考えられた方式だと感心した。ま、<旅日誌>の完結間近に、とんだ逃げを打ってしまったわけだ。

ところで、スピーカーも入れれば数十万にもなる音響機器を買い入れるほど、君は音楽が好きだったっけ?もっともな話で、その疑問に答えよう。

音楽は、基本的に好きである。小学生の頃から、ビートルズどを、お年玉をためて買ったソニートランジスタラジオで聞いていた。高校生になり、ステレオを買ってもらい、R&BやJAZZを、勉強もしないで、深夜まで、ヘッドフォンで聞いていた。だが、大学に入り<演劇>を志してからは、ぴたっと音楽を聴くのをやめてしまった。というか、聴く時間が無くなった。そのまま、あっという間に四十年以上たってしまい、爺になってしまった。

最近は、ほぼ終日、PCの前に座って作業をすることが多くなり、その気晴らしにと、<ユーチューブ>などで欧米のポップスを流すようになった。これが意外に良くて、かなり癒された。才能のある若い歌手がたくさんいて、みな、いい歌を歌っている。

そんな矢先に、ジャズ好きの旧友と再会した。彼の影響でまたジャズを聴き始めた。彼とのジャズ談義の中で、やはり、PCで聞いているだけでは面白くない、という話になって<PCオーディオ>にたどり着いたわけだ。

たしかに、PCの作業に疲れて、一息入れる時などに、外からも聞こえるほどの大音量で曲を流すと、かなりの気分転換になる。むろん、世間から苦情が来ない範囲でだが。それと、<ストリーミング>という方式での音楽鑑賞は、好きなアーチストの音楽を、BGM代わりに、延々と流し続けることができる、という点でも、とても便利だ。なにしろ、この<ストリーミング>には、世界中の、ほぼすべてのアーチストの、ほぼすべての音源が網羅されているのだ。

いまのところ<ユーチューブ・ミュージック>月額¥1180が高いとは思えない。なにしろ、すでに、数千曲以上を<ライブラリー>に保存していて、瞬時に聞くことができる。朝から晩まで、好きなアーチストのジャズやブルースを、かなりの音質で楽しんでいる。もっとも、その弊害?として、PCでの作業がはかどらない、ということもある。音楽に聞き入ってしまう時間が多くなったからだ。

いや~、それはそれで、いいだろう。なにしろ、灯台撮影の流儀をかえたわけだし、時間に追われることもなくなった。それに、寄り道が、本道になっても構いはしないのだ。結局のところ、ぶらぶら、気ままに、興味の向くままに歩いていく方が、楽しいし、性にあっているのかもしれない。

とりあえずは、<網走旅>の撮影画像の補正と旅日誌を終了させて、<マロウンは死ぬ>の朗読を再開しよう。来年の春には、車中泊しながら、北海道の灯台巡りだ。さてと、好きな音楽を聴きながら、ゆるゆる行ってみるか。あと十年くらいは、この幸せな時間が続いてもらいたいものだ。ちょっと、欲張りすぎかな。

2021-12-10 灯台紀行・旅日誌>網走編#1~#15 脱稿