<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

潮岬灯台

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

第8次灯台

紀伊半島編 #1~#17

2021年3月20.21.22.23.24.25.26.27.28日

 #1 一日目 2021年3月20日(土)

プロロ~グ 出発

#2 二日目 2021年3月21(日)

時間調整

#3 三日目(1) 2021年3月22(月)

梶取埼灯台 撮影

#4 三日目(2) 2021年3月22(月)

メモ書きの説明 

潮岬灯台撮影1

#5 四日目(1) 2021年3月23(火)

樫野埼灯台撮影1

#6 四日目(2) 2021年3月23(火)

寄り道 潮岬タワー 

灯台参観

#7 四日目(3) 2021年3月23(火)

潮岬灯台撮影2

#8 五日目(1) 2021年3月24(水)

潮岬灯台撮影3

#9 五日目(2) 2021年3月24(水)

樫野埼灯台撮影2 

橋杭岩観光

#10 六日目(1) 2021年3月25(木)

移動 大王埼灯台撮影1

#11 六日目(2) 2021年3月25(木)

安乗埼灯台撮影1

#12 七日目(1) 2021年3月26(金)

大王埼灯台撮影2

#13 七日目(2) 2021年3月26(金)

麦埼灯台撮影

#14 七日目(3) 2021年3月26(金)

安乗埼灯台撮影2 

大王埼灯台撮影3

#15 八日目(1) 2021年3月27(土)

安乗灯台撮影3 

安乗漁港散策

#16 八日目(2) 2021年3月27(土)

大王埼灯台撮影4 

波切漁港散策

#17 九日目 2021年3月28(日)

帰宅 エピローグ

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#1 一日目 2021年3月20日(土)

プロロ~グ 出発

2021年3月20日土曜日。午後9時。今いる場所は、新名神鈴鹿パーキングエリア。これから車中泊。外は土砂降り。

なんで、こういうことになったのだろう。少し説明しておこう。

紀伊半島灯台巡りの実現、実行を本気で考え始めたのは、3月に入ってからだった。当初は、新幹線・電車・レンタカーの旅を考えていた。何しろ、紀伊の国は遠い。500~600キロある。だが、依然として、年初からのコロナ感染による<緊急事態宣言>が解除されない。それに、寒いしな~。

とはいえ、月一回の灯台旅を心づもりしているのに、前回の旅からは、すでにまる3か月以上たっている。多少、うずうずしている。名古屋までの新幹線の時刻表や運賃、それに近鉄電車の鳥羽へのルート、駅近くのレンタカーやホテルなどをネットで調べた。調べているうちに、実際の行程が、まざまざと目に浮かんできた。と、なんだか、電車旅がめんどくさくなってきた。

やはり、自分の車で行くのがいい。荷物もたくさん持っていけるし、何しろ自由度が全然違う。500キロだろが600キロだろうが、途中で一泊すればいいわけで、ケチな話、その宿代を考えても、レンタカーを借りるよりは安くあがる。それに、車で行くなら<コロナ感染>のリスクも下がる。

車で行くのが一番いいのだけれども、何しろ距離が、と運転体力に関して弱気になっていたのだ。それに、運転時間が長くなれば、その分事故の可能性も増えるわけで、万が一のことも考えられないこともない。いや、これは、ちょっと思っただけだ。

ごちゃごちゃ考えていても、埒が明かない。快に流れる有機体の傾向に身をゆだねよう。紀伊半島の旅、今回も車で行こう、ということに相成った。

決断した後は早かった。すぐに、実際の行程を詳細に検討しだした。これまでの高速走行の経験から、まあ、1日400キロくらいが限度だろう。一時間に60キロ移動するつもりで走るなら、高速運転もさほどきつくはない。つまり、1日8時間運転して、480キロ進めるわけだ。今回の場合<津>がそのあたりだ。いや正確に言えば、<津>までは400キロだ。

<津>で一泊して、次の日に200キロ移動する。このうち半分は一般道で、検索によれば、約4時間かかる。ということは4時間半とみればいい。ちょうど昼頃、通り道の<梶取岬灯台>に寄る。この灯台は目的地の30キロ手前、那智勝浦辺りにある。ネット画像で見る限り、ロケーションがよい。ここで、2時間ほど寄り道をしたとしても、紀伊半島の先端、潮岬灯台には、日没前の3時か4時頃までには到達できるだろう。何しろ、お目当ての<潮岬灯台>は夕日がきれい、らしいのだ。

ところで、今回の旅の計画は、天候の問題などもあり、二転三転、いや四転五転している。その経過は、もういいだろう。思い出して何の得になる!決定事項となった最終計画だけ書き記そう。

21日・日曜日は雨、この日に400キロ走って<津>まで移動、ホテルに泊まる。次の日から二日間は晴れそうなので、紀伊半島の東側?を200キロ南下、和歌山県へ移動。<串本>駅付近のビジネスホテルに三泊して、<潮岬灯台><樫野埼灯台>の撮影。25日の木曜日、午前中は雨予想。この間に、200キロ北上して、三重県伊勢志摩方面へ移動。<鵜方>駅付近のビジネスホテルに三泊。<大王埼灯台><安乗灯台><麦埼灯台>の撮影。最終日は500キロ走って、自宅に戻る。

出発の前々日の金曜日には、すべての手配を済ませ、念入りな現地マップシュミレーションも終了。むろん、車への荷物の積み込みも完了していた。

出発前日、土曜日になった。雨はまだ降っていないが、いまにも降り出しそうな空模様。昨日来から、なんとなく胸騒ぎがしていて、出発日の天候を、しょっちゅうスマホで確認していた。実を言うと、御殿場付近からの箱根の山越えが気になっていたのだ。三時間降水量が16mmくらいあり、かなり多い。雨の日に出発する、というのも気が重いが、高速道路で強い雨風に出っくわすのは、もっと嫌だ。以前、若い頃に暴風雨の中、東名を名古屋から東京まで走った経験がある。あれはかなりきつかった!

時刻は、午後の一時半だった。このまま、ぐずぐずしていてもしようがない。決断した。出発を一日前倒しして、雨の降らないうちに箱根の山を越えてしまおう。宿は、いまから予約できるはずもないので、今から、走れるだけ走って、高速のパーキングで車中泊だ。天候的には、暑くもなく、それほど寒いということもないだろう。

幸いなことに、と言うべきか?旅の用意はすべて完了していた。あとは着替えだけだ。何と言うか、せっかちというか、小心というか、当初の計画をあっさり反故にして、前日の午後二時に出発してしまった。この辺は、かなり気ままで、多少小気味よかった。

五、六時間、曇り空の中、高速を走った。東名から伊勢湾岸道に入る辺りで、雨がパラパラ降ってきた。同時に暗くなってきたが、夜間運転が目に眩しいこともなかった。ふと、二十年ほど前の、眼発作を思い出した。あの時は、車のヘッドライトが異様に眩しくて、夜間運転など、まったく不可能だった。失明の危機を脱して、今こうして、自在に車を運転できる自分が、不可思議であり、奇跡のようだと、内心ニヤリとした。

というわけで、これから、土砂降りの鈴鹿パーキングで車中泊をしようというわけだ。おもえば、この車で車中泊をしたことは、一度もない。いわば初体験だが、食事、洗面、就寝、排尿などのシュミレーションは、ちゃんとしている。問題はない。

と思ったが、歯磨きの際に、ちょっとした齟齬を感じた。コップを持参するのを忘れたのだ。ま、今日のところは、歯磨き粉は使わずに、歯ブラシを水にぬらして、口の中でごしごしして、その後は、飲み込んでしまった。汚いと思えば汚いが、ま、臨機応変、そんなこともできるんだ。

その後は、まだ眠くなかったので、ちょっと長いメモ書きをした。30分ほどして、それにも飽きて、21時15分、耳栓をして消燈。しかし、23時半ころ、車の野太いエンジン音に驚かされて、目が覚めた。もっとも、おしっこタイムでもあり、おしっこ缶にイチモツの先っちょを差し入れて、粗相の無いように排尿した。この行為も、なんだか滑稽で面白いとさえ思えてきた。

オシッコ缶は、この時のために、4、5本、持参している。問題ないと思っていたが、あにはからんや、なぜか、1時間おきくらいの排尿で、朝になるまでには、すべての缶がいっぱいになってしまった。・・・こんなに水分を取ったのかと思った!

ほぼ1時間おきのおしっこタイムに加えて、例の、野太いエンジン音が、一晩中、やはり、1時間おきくらいに聞こえてきた。しかも、かなりの時間、駐車場内でアイドリングしていて、その振動が不快でもあり、気になり寝付けない。そのうち、爆音を轟かせて、遠ざかっていく。同じようなことが、4、5回あったような気がするが、あれは、幻聴だったのか?いや、そうではないだろう。何しろ、ここは<鈴鹿>だ。その種のスポーツカーが集まってくる場所だったのかもしれない。翌朝、ふとそう思った。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#2 二日目 2021年3月21(日)

時間調整

2021年3月21日、日曜日。昨晩は、慣れない車中泊で、ほとんど熟睡できなかった。それにしても、真夜中の断続的な野太いエンジン音と爆音が、想定外だった。どこの誰だか知らないが、忌々しい感じがした。

朝の6時過ぎには目が覚めていた。だが、もう少し寝ていようと思った。何しろ今日は小一時間走って、午後の3時過ぎに<津>インター近くのホテルにチェックインするだけだ。

日除けシェードの隙間から外を見ると、まだ薄暗くて、土砂降りだ。午後の3時まで、どこで暇をつぶすかな?雨だし、写真も無理だろう。もっとも、<津>付近の灯台などは調べていなかった。というのも、当初の計画では、<津>インター付近のホテルに夕方着き、一泊して、翌朝すぐに移動を開始するつもりだったからだ。

雨音や車の出入りの音、人の声などを聞くともなく聞きながら、小一時間、横になったまま、寝ているでもなく、起きているでもなく、なんとも中途半端な、しかし、なぜか懐かしい、平安な時の流れに身をゆだねていた。

<津>か~~?海が近いし、港がある筈だ。港があれば、そこには必ず灯台がある。雨降りだから、写真は撮れないまでも、海岸縁でぼうっとしているのも一興だな。だんだんと意識がはっきりしてきた。

7時半に起きた。車内で朝の支度をした。細かくは、書かない。まずおしっこ缶に排尿。これですべての缶が満杯になった。次に、ブラシで髪をとかし、洗面桶に少し水を入れ、手ですくって、顔を何度か洗った。さらに、口に少し水を含み、歯磨き粉をつけない歯ブラシで、歯を磨いた。そのあと、口の中にある水を、洗面桶に、ぺっと吐き出した。朝食は、昨日買っておいた牛乳と赤飯おにぎり、それに菓子パンだ。まったく食欲がなく、しかも、赤飯握りは、バサバサで食えたもんじゃない。半分残した。

そのうち、かすかな便意を感じ、トイレに行きたいような気がしてきた。だが、外は土砂降り。濡れネズミはごめんだな。とたんに、便意が消えてしまった。そうだ、<津>付近の灯台だ。ナビで調べてみた。あ~、<贄埼灯台>。漢字が読めないので、名前がわからない。とはいえ、ネットの<灯台サイト>で何度か目にした名前だ。ま、行ってみるか。

午前9時前、雨の中、鈴鹿パーキングを出発。やっぱり、この歳になって、車中泊なんて無理だよな。とはいえ、無理なことがわかったわけで、後悔はなかった。

<津>の市街地を通り抜け、ナビの案内に従った。ものの一時間もたたないうちに、現地に着いた。<贄埼=にえさき灯台>は、通行禁止の防潮堤の終点に立っていた。ま、<通行禁止>ではあるが、車が通れる。しかも、都合がいいことに、終点に車一台分くらいの駐車スペースがある。念のため、防潮堤の上で、何度か切り返して、車の向きを変えておいた。すぐに逃げられるように、だ!

外に出た。<残念>が二つ重なった。ひとつ目は雨。土砂降りではないものの、降っている。車に常備している大きめのバスタオルでカメラを保護した。頭は、パーカのフードをかぶった。これで撮影できないこともない。だが、ふたつ目の残念だ。灯台は小ぶりながら、石垣の上にのっかっていて、昔の木製の<灯明台>のような形をしている。造形的に面白い。ただし、ロケーションが最低。うしろは民家、そばに電柱と電線があり、緑色の網フェンスできっちり囲まれている。これでは、撮りようがないではないか。

防潮堤を下りた。そこは海岸ではなく、道路だった。目の前に大きな施設があり、高速船のような船が止まっている。なんなのかよくわからない。海沿いに大きな駐車場もあった。ちなみに、この施設は<津エアーポートライン>。対岸の愛知県<中部国際空港>との間を高速船で往復しているらしい。HPには、コロナでずっと休止していたが、19日から再開と書いてあった。

防潮堤の下の道路も、行き止まりで、Uターンするようになっていた。振り返って、灯台を見ると、今度は、反り返った防潮堤が目の前にど~んとある。写真にならん!だが、しつこく、防潮堤の先端まで行って、灯台の全体像を画面におさめた。と言っても、空は空白、電線が斜めにかかった灯台は、まったく絵にならない。石垣の上に立つ<灯明台>的なフォルムが面白いだけに、残念だと本気で思った。

雨は、依然として降っていた。だがまだ、かろうじて写真が撮れる状態だった。向き直って、海のほうを見ると、三角形の赤い防波堤灯台が見えた。近くに白い防波堤灯台も見えたが、こちらの方は、灯台の形を成してない。単なる白い鉄柱のような感じだった。この、雨に煙る名も無き小さな灯台たちを、写真に撮れたらなあ~、とちらっと思ったような気がする。バスタオルで、雨からカメラを保護しながら、何枚かは撮った。

雨足が少し強くなってきた。引き上げ時だ。車に戻った。まだ午前中の十時過ぎだった。昨晩の車中泊のせいだろう、眠気が差してきた。車を止めて、ゆっくり仮眠できる場所をナビで探した。近くに<ヨットハーバー>があり、海岸沿いに車を止められそうだ。行ってみるか。

来た道を、ぐるっと戻る感じで、川ひとつ渡り、海岸沿いの広い駐車場に着いた。車が数台止まっている。隣が<ヨットハーバー>だ。しずかな場所で、仮眠場所にはぴったしだ。窓にシェードを貼りつけ、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。持ち込んだ厚手の布団を一枚掛けたような気もする。暑くもなく寒くもない。横になった途端、眠ってしまったのだろう。目が覚めた時には、昼の十二時を過ぎていた。

頭がすっきりしていた。雨もやんでいた。外に出た。カメラを手にして、目の前にある防潮堤に近づいた。都合がいいことに、階段があり、砂浜におりられた。空も海も鉛色。風が強くて、波が荒い。

視界の左方向に、先ほど見えた三角の赤い防波堤灯台が見えた。距離があるので、ポシェットに括り付けているデジカメの超望遠などでも撮った。天気が悪く、そのうえ逆光気味だから、きれいには撮れない。記念写真にしかならない。それでも、しつこく撮っていたのは、きっと、いまいる場所、時間、気分などが気に入ったからだろう。意味もなく、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。

車に戻った。ホテルのチェックインまでには、まだ時間がある。再度、ナビを見て、付近に何かあるか探してみた。目と鼻の先に<海浜公園>がある。行ってみるか。防潮堤沿いの細い道を少し走ると、道沿いに、なにやら、それらしき場所があった。ただし、海に面しているわけでもなく、普通の駐車場だ。いったん中に入って、すぐにUターンした。

細い道をさらに行くと、なんとなく行き止まり。いや、右直角に道があり、防潮堤の上に出てしまった。防潮堤の上は、というか、正確には、防潮堤の下の道は、かなり広くて、海岸沿いに、ずっと伸びている。車は一台も止まっていない。いや、一台だけ黒いワンボックスカーが止まっていたな。看板があり、むろん、通行禁止だ。景色はいいが、ここに車を止めるわけにもいかないだろう。そのままバック、何回か切り返して戻った。

その後は、また先程のヨットハーバー隣の駐車場へ行って、二度目の昼寝をしたのだと思う。目が覚めた時には、雨は上がっていた。3時少し前だと思う。

・・・唐突だが、ここで言い訳をしておこう。というのは、今現在の日時は、2022年1月2日だ。どういうことなのか、要するに、この旅日誌は、昨年の春先、旅後に、ここまで書いて、放棄してしまったものなのだが、多少の時間が過ぎて、やはり完成させようと思いなおして、書き始めたものなのだ。

旅後の旅日誌の執筆を、灯台旅の約束事としていたにもかかわらず、あっさり反故にした理由は、今となっては、こまごま書くのも煩わしいが、苦労の多い割には実りの少ない駄文にすぎない、とある時確信したからであり、その結果、何かが書けていたように思っていた自分と駄文に嫌気がさしてしまったのだ。ま、ケツをまくったわけだ。

ところがだ、時間の経過とともに、気分も変わり、この<紀伊半島旅>と次の<出雲旅>の旅日誌の執筆は断念したものの、そのあとの<男鹿半島旅><網走旅>の旅日誌は、ちゃんと脱稿した。こうなると、ますます上記二つの旅日誌が書かれていないのが、気になる。整合性がないではないか!いや別に、そんなことはどうでもいいのだけど。

とにかく、気分的には、この二つの、<紀伊半島旅>と<出雲旅>の旅日誌を完成させたいという気持ちが強くなってきた。とはいえ、今更、その当時のことが、思い出せるのか?ま、やってみるしかないな。さいわい、メモ書きと撮った写真が残っている。それを頼りに、頭の中の暗闇を歩き始めてみよう。

・・・午後三時になった。ホテルにチェックインできる時間だ。ナビで見つけた<すき家>で夕食を調達して、幹線道路沿いの大きなビジネスホテルに入った。といっても、細かい事はもちろんのこと、断片的なイメージすら浮かんでこない。まあ、勘で書いていこう。すぐに<風呂、日誌、くつろぐ>。おそらく<牛丼>だろうが、どのタイミングで食べたかも、今となっては、忘却の彼方だ。

なにも、そんなことを思い出すために、苦労することはないだろう。だが、そうした事どもをないがしろにすると、そもそものところ、記述することが、なにもなくなってしまうかもしれない。ま、いい。<明日からの写真撮影 花粉症がひどい はなづまり すでに450キロ以上走っている>。いちおう、メモ書きは転記しておこう。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#3 三日目(1) 2021年3月22(月)

梶取埼灯台 撮影

紀伊半島旅、三日目の朝は、津市内の、大手ビジネスホテルの部屋で目が覚めた。

<5:45 起床 昨晩もほぼ一、二時間おきにトイレ 眠りが浅い>。<>=山カッコ内は、メモ書きからの転用なので、いちおうは事実なのだろう。事実というものが、この世に存在するとしての話だが。

さてと、<6:45 朝食 二階の食堂 バイキング形式 ビニール手袋でトングをつかむ さほど混雑もなく 気分よく自室に戻る 便は出ない>。この大手ビジネスホテルは、朝食バイキングがウリで、何回か利用している。仕事とか出張できている人が多くて、ほとんどは作業着の男たちだ。観光客は少ない。雰囲気的には、ま、好きな方だ。

<7:30 出発 車庫から出る時 左側の(路駐している)車に視界をさえぎられ 車が来るのがわからなかった あわやぶつかる所だった でかいランクルで 狭い道なのにスピードを出しすぎ ヒヤッとする>。自分の不注意よりも、路駐の車とランクルにイラっとした覚えがある。ランクルに乗っている奴にロクな奴はいない。ま、これも、偏見であることに間違いない。

県庁などが見える大通りを抜けて、<津>インターへ向かう。そうか、三重県の県庁所在地は<津>だったのか!どうでもいいことに感心しながら、高速に入る。<伊勢道紀勢道―有料道路>と乗り継いで、熊野市からは一般道に入り、さらに、新宮、那智勝浦方面へと向かう。

途中、きれいな<道の駅>のようなところに寄り、トイレ休憩。ついでに、那智黒石の招き猫を買う。大きさ的には、大中小とあったが、ケチって一番小さいものにした。ま、これは亡きニャンコへのお土産だな。あとは、般若心経が胸に印刷されている黒のTシャツを買った。こっちは、そのうちまた四国巡礼をするときに着るつもりだ。場所柄的に、熊野、新宮、那智とくれば、いまだに山岳信仰のメッカで、自分にも、多少の信仰心が蘇ったのかもしれない。まあ~、一種の衝動買いだな。ちなみに、般若心経の黒Tシャツは、帰宅後すぐに袖を通した。まったく似合っていなかった。むしろ、悪趣味だ。はたして、これを着て、四国の札所を巡る日が来るものなのか、いまのところ定かではない。

熊野古道にも那智の滝にも寄らず、結局は、バカげた妄想の中を漂いながら<ほぼ予定通り、11:30頃に梶取埼(かんとりさき)灯台に着く>。港(太地漁港)を左手に見ながら、急な坂を上り、ナビの案内に従い、うねうね行くと、行き止まりに小さな駐車場があった。

梶取埼灯台は、きれいに手入れされた公園の中にあった。緑の芝生はきっちり刈りこまれ、驚いたことに、二、三本、桜が咲いている。灯台に桜、これは、めったに見られる光景ではあるまい。そばにあったトイレで用を足し、気分良く、撮影開始だ。

そう、距離的には100メートルほどだろうか、真正面に灯台があり、背後には海が見える。灯台の右側は多少広くなっているので、横からも撮れる感じだ。歩き出すと、すぐ右手に大きなクジラが鎮座している。<鯨供養碑>。いちおう記念写真だ。そういえば、さきほど入ったこぎれいなトイレの前にも、捕鯨を主題にした大きなレリーフがあった。それに、灯台のてっぺんの<風見鶏>が、<風見鯨>になっている。これは面白い。

後々になって、気づいたのだけど、ここ太地町は、昔から捕鯨が盛んな土地で、最近では、イルカの追い込み漁が問題になり、反対派などが押しかけ、ひと騒動あったところだ。そんなこととはつゆ知らず、灯台巡りの道すがら、通り道にロケーションのいい灯台があるので、たまたま寄ったまでだ。なんとも脳天気な話だ。

自然保護や環境保護捕鯨やイルカ追い込み漁については、あまりに問題が大きくて複雑なので、ここでは、ノーコメントとしたい。賛成、反対、どちらの人たちも、いわば体を張って闘っているわけで、部外者が、ちょろっと無責任な発言をするような問題じゃない。それが良識というものだろう。いや、良識もヘチマもない。ここは黙って、通り過ぎよう。

…いつものように、撮り歩きしながら灯台に近づいていった。さほど巨大な灯台ではないが、これまでに見たことのない、ちょっと変わった形をしていた。というのは、頭というか顔というか、とにかくてっぺんの方に、海の方へ突き出たベランダがあり、そのベランダの先端部には大きなレンズが設置してあった。つまり、この灯台は、海を照らすレンズを二つ持っているのだ。

その時は、わけがわからなかったが、今調べると、それは、<梶取埼ナミノリ礁照射灯>という、ほとんど読めないような名称だが、要するに、付近の岩礁を照らして、船舶の安全航行に寄与している、ま、灯台のような機能を持つ設備だった。<灯台>に<照射灯>が併設さている結果、いわゆる、一般的な灯台の形が変則的になっている。変った形、いや、個性的な形になっている、と言い換えておこう。

それと、灯台付近にはソテツ?のような植物があって、南国ムードが漂っている。思えば、三月にしては、かなり暖かくて、快適だった。和歌山といえば、すぐに紀州みかんを連想するのは、かなり貧しい想像力と言わねばなるまいが、温暖な気候であることに間違いはない。

灯台の根本に到着した。登れる灯台ではないので、回りをぐるっと歩きながら、かなりの仰角で写真を撮った。もっとも、東側は、ほとんど<引き>がないので、撮らなかった。いずれにしても、近すぎて写真としてはモノにはならない。

と、何やら案内板だ。なになに、と読む前に、まず写真を撮った。あとでゆっくり読めばいい。要するに、さらに海に突き出ている一段低くなった岬の先端部に、鯨を捕っていた頃の<狼煙場>があるようだ。好奇心を多少刺激され、加えて、灯台を海側から撮れるので、ここは行くしかあるまい。

たしか、階段状の小道を十段くらい降りて、また登った。と、両脇が木立になり視界がなくなる。したがって、灯台を、海側から撮る位置取りとしては、小道を少し登ったあたりがよい。梶取埼灯台の全景が見える。ただし背景は空、右側に、少しだけ断崖と海が見える。この時はここで引き返した。<狼煙場>よりも来るときに見かけた漁港の防波堤灯台が気になっていたのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#4 三日目(2) 2021年3月22(月)

メモ書きの説明 潮岬灯台撮影1

紀伊半島旅、三日目の午後から夜にかけてのメモ書きに、少し説明を加えた。

梶取岬灯台の撮影を終えて、岬を下りた。途中で<落合博満・野球記念館>の案内板がまた目に入った。なぜこんなところに?と今度は思った。 いま調べると、ここ和歌山県太地町は、落合博満の故郷らしい。なるほど!長い坂を下り切ると、右手に、閑散とした漁港がある。ハンドルを右に切って、中に入る。広々とした係船岸壁に車を止めた。坂の途中から見えた、赤い防波堤灯台が、すぐ近くに見える。だが、手前の高い岸壁に邪魔されて、写真にならない。

周りを見回すと、沖の方に小島があり、そこに何やら小さな灯台が立っている。さらに目を細めると、はるか沖合にも、同じような小島があり、その上にも、同じような形の灯台が立っている。400ミリ望遠では勝負にならない。ポーチにくっ付けているデジカメを構えて、光学800ミリズームで見てみた。たしかに灯台だ。ま、言ってみれば、ミニ灯台だ。それも二つも。長閑な海景に心が和んだ。

で、この光景をもう少しちゃんと写真に撮っておきたいと思い、場所を移動した。要するに、多少なりとも高い位置からがよろしいのではないか。漁港を出て、少し坂を上り、道路際の駐車スペースに車を入れた。外に出て、重い400ミリ望遠カメラを肩に掛け、えっちらおっちら、坂を登り始めた。車で上がった時は、坂の傾斜など全然気にならなかった。だが、いざ自分の足で登るとなると、この坂はかなり急だ。それに長い。

要するに、平場の漁港から、岬の上へと上がる坂だ。半分くらい登って、息が切れた。もういいだろう。海側には歩道がないので、崖際のガードレールに体を寄せて安全を確保した。そして、海を見た。お~、いい景色!小島のミニ灯台もちゃんと見える。ただ、距離があるだけに、写真的には、なかなか難しい。

新兵器?のデジカメの光学1600ミリズームでも撮ってもみた。だがこれは、解像度があらすぎて、モノにならないことが、帰宅後にわかった。でもこの時は、なんとなく撮れたような気がしていて、六万円で買ったデジカメが役にたった、と気分良く坂を下りた。そうそう、この坂の山側には歩道があり、車を気にすることなくゆっくり歩けるのだ。ぶらぶら行くと、歩道上に鯨がデザインされたマンホールがあった。立ち止まって、つくづく見た。<ご当地マンホール>だな。面白いと思った。

<1:30 このまま 串本町のホテルへ行くか それとも もう一度 梶取灯台を撮って そのまま潮岬灯台の夜の撮影に入るか迷う とにかく まだ時間はある 梶取は二回目 さして時間はかかるまい ということで梶取へ行く 明かりの様子がさきほどとは全然違う 撮りにきてよかった>。

付け加えることがあるとすれば、午前中に比べて、観光客や、犬の散歩をする人が目に付く。次から次へとなので、画面に入り込んでしまう。だが、これはいつものことで、致し方ない。頓着せずに撮った。あとは、きれいに刈り込まれた芝生の上に、大量の糞が、一塊ずつ、ところどころにあった。黒くてコロコロしていたから、これはヤギとか羊とかのものだろう。しかし、辺りに、そうした動物の姿は見えない。意味が分からなかった。

が、そのうち、どこからともなく作業服を着たおじさんが現れて、箒と塵取りを使って、糞をきれいに取り除いていた。今思えば、この公園に隣接するホテルのような、老人ホームのような、きれいな建物と関係があるのかもしれない。そこで飼っている動物を散歩させに来た、ということかな、となると、作業服のおじさんは、その施設の従業員なのか、いや、あの作業服は町役場の臨時職員のようでもあった。ますます訳が分からない。

だが、とにもかくにも、この灯台は、よく整備された、見通しのいい、素晴らしい場所であることに変わりはない。天気もいいし、桜もちらほら咲いていたし、立ち寄ったことに、十分満足していた。

<3:00 いちおう潮岬灯台へ向かう が 途中で気が変わって ビジネスホテルに荷物をおき 撮影に行くことにした なにしろ ホテルは灯台へ行く前に 目の前を通るのだ>。メモ書きの最後のほうが、日本語として成立していない。ようするに、ホテルは灯台へ向かう途中にあるので、寄ったとしても時間的に問題はない、という意味だ。

<3:30 ホテル着 チェックインして 荷物を部屋にはこぶ 受付の女性の応対はよい 自分より一回りくらい若いだろうか やや四角張った面立ち 美しいタイプ 自分の好みかもしれない ま そんなことはいい>。JR串本駅近くの、場末のアパートのような、このビジネスホテルについては、あとで記述することにして、先に進もう。

<3:45 灯台までは15分 (灯台付近はマップ)シュミレーション済みなので (迷わず)有料駐車場に入り ¥300払う 夜おそくまで置いておくが大丈夫かと聞く 耳が遠いいのか 二回ほど聞き返される 75歳(くらいの)後期高齢者のじいさん(だった)>。潮岬灯台の根本に到達するには、ここに車を止めて、小道を百メートルほど歩くようだ。ただし、敷地が狭いので、写真的には難しいだろう、と調べはついている。それに、今日のところは、灯台に夕陽を絡めて撮るつもりなので、灯台には背を向け、道路を歩いて、東側の見晴らしスポットへ直接向かった。

<4:00 撮影開始・・・>。この見晴らしスポットは、正式には<和歌山県朝日夕陽百選(潮岬)>と言って、夕陽が見える観光名所だ。道路際に位置していて、断崖際には柵がちゃんと設置してある。海と灯台に向かって、木製のベンチがいくつかあり、先端の方には小さな東屋が立っている。道の向かい側にはホテルなどが見える。

<陽はまだ高い ゆっくり(撮影)ポジションなどをさぐる 五時すぎても陽が高い 五時半ようやく陽が傾きはじめる と いきなりバイクの音 じじいが三脚をうしろにくっつけて写真を撮りにきたようだ 一瞬 あいさつして 夕日の落ちるポジションを聞こうとおもった だがやめた 白髪の意地の悪そうなじじいだ>。<そのうち ミケ(猫)がどこからともなくあらわれる 人になれていないようで 近づくと逃げていった すこしたって ベンチに座っていると ミケが目の前を走りぬけていった 道路のむこうに民家がある そこでかわれているのだろう>。

<じじいの友達がきた 大きな声でしゃべりはじめた 6:00 もうひとり じじいの知り合いがきた。要するに 夕陽を撮りにくるのが日課なのだろう 6:15 水平線近くに雲があり日没は(見え)ない じじたちは帰っていった そのあとのブルーアワーもたいしたことなかった 灯台の光線 あかりが見えはじめる7:00頃までねばる 寒い 防寒対策は十分にしてきた ただしダウンパーカでなく ダウンベストを持ってきてしまった それでも十分あたたかかった>。

見晴らしスポットには街灯がない。すでに真っ暗だ。写真も、十二分に撮ったし、引き上げよう。額につけたヘッドランプの明かりを頼りに、滑らないように、転ばないように、慎重に歩いて、道路に出た。そのままガードレールに沿って少し歩いて、駐車場に着いた。広い駐車場には、自分の車しか止まっていなかった。料金徴収の小屋も無人だった。

朝っぱら動き回っていたわりには、疲れてもいなかったし、なぜか、さほど腹も空いていなかった。途中で、何か食べたのだろうが、今となっては思い出せない。あたりはうす暗く、人の気配もない。だが、どことなく腹がすわった感じだ。怖くもなく、寂しくもなかった。いわば、平常心だ。いや、限り無く<自由>だったのかもしれない。

追 

読み直してみると、夕暮れの潮岬灯台の撮影をしていながら、その記述がほとんどない。肝心なものが抜けていませんか?おそらく理由はこうだ。<肝心な物=灯台>は、写真に山ほど撮ったわけで、記述する必要性を感じていない。どのような位置取りで、どのようなカメラ操作をして撮ったか、そんなことは、今となっては、思い出すのも、記述するのも億劫だ。百歩譲って、写真の勉強、写真の腕をあげるという意味では、<記述>も多少役に立つかもしれない。だが、最近はその情熱も下火になっている。

もう一つは、灯台撮影時の文学的記述だ。これは、<旅日誌>の執筆当初から、かなり頑張って挑戦してきた事柄だ。だが、苦労が多い割には、たいして面白くならない。風景描写や情景描写、さらには、内面心理の動きや感情の色彩を記述することは、自分にとっては、かなり難しい。至難の業、といってもいい。ありていに言って、小説家のようには書けない。ま、書けたら面白いだろうなとは思うが、目指すところはではない。穴をまくってしまったわけだ。

もっとも、撮影記録にしても、文学的記述にしても、衒いなくすらすら書ければ、書くことにやぶさかではない。だが、脳髄から絞り出さねばならない情況では、やはり、シカとして通り過ぎたほうがいいだろう。でっちあげた文章ほど、胸糞悪い物はない。・・・最後の文章は削除したほうがいい。<あのブドウは酸っぱい>。自己正当化の、最たるものだ!

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#5 四日目(1) 2021年3月23(火)

樫野埼灯台撮影1

紀伊半島旅、四日目の朝も、半島の先端、串本町の駅前ビジネスホテルで目を覚ました。

<6時前後に目がさめる 1、2時間おきにトイレ ひと晩中眠りが浅い>。さてと、昨日は<(夜の)7:00 引き上げ 途中ファミマで夕食調達 7:30 ホテル着 ざっと風呂 食事 日誌 9:15 このあとモニターしてねる>。要するに、記述する事柄はほとんどなかったようだ。先に進もう。

<6時半起床 朝の支度 朝食・パン 赤飯にぎり 牛乳など ウンコはでない 7時半出発 樫野埼灯台(へ向かう) 30分くらいかかる。駐車場からけっこう歩く。疲労を感じる。灯台はおもった通り ほとんど撮影ポイントがない。360度周囲を歩く>。

<帰り(戻り)道 トルコ(の)みやげ物屋による 絵皿を見ていると 奥から主人がでてくる。大きなもので1万以上 中ぐらいのものでも7、8千円する。きれいな色合いが、なんだかふ(腑)におちない 主人に製作(方法)などを聞く 答えはあいまいな感じ 値段のことを言うと つぎたし(継ぎ足し)た皿なら2000円ほどだと見せてくれたが、そもそも商品ではないだろう ていよくことわり(店を)出る それにしても朝から徒労。トルコの海難事故とか 天皇が見にきたとか そんなことはどうでもいいのだ>(そのようなことにはさほど関心がないのだ、と読み換えていただきたい)。

灯台は個性的な形(をしていた) なんと形容していいのかわからない>。まったくもって、情景描写は苦手だ。だが、撮った写真がある。それを参考にして、この時の撮影情況を多少なりとも思い出してみよう。

立派な橋(串本大橋)を通過して、島(紀伊大島)に渡った。大きな島で、森の中をかなり走った。その行き止まりに、駐車場がある。トイレやちょっとしたカフェもあり、定期バスの停留所もあった。駐車場の先は、車両進入禁止の道路で、カメラを一台、肩から斜め掛けして、ぶらぶら歩きだした。たしか軽い方のカメラだったと思う、望遠カメラも三脚も必要ない、と事前の下調べで判断していた。

広々した道の両側には、大きな碑や土産物店が点在していた。そうだ、たしか、桜の木があって、満開だった。道の行きつくところは、広い芝生広場になっていて、二百メートル位先に<樫野埼灯台>が見えた。見えたと言っても、灯台の敷地は背丈ほどの塀にがっちり囲まれている。灯台の頭が少し見えた程度だ。

芝生広場の入口左側にトイレがあった。たしか、大きな案内板もあった。念のために用を足す。というか、公衆トイレを見ると、尿意がなくても、なんとなく入ってしまう。いわば、ワンちゃんの<マーキング>に似ていないこともない。

灯台へと続く、この芝生広場の小道の両側にも、碑や銅像などが点在していた。観光地の雰囲気だな、と思った。ま、いい。目指す灯台は、すぐ目の前だ。灯台の敷地の前で立ち止まった。<樫野埼灯台>と墨守された大きな木の表札?が、門柱の左側にかかっていた。

敷地に足を踏み入れると、右側にガラス張りの資料館のような建物があった。係員の姿は見えず、建物には入れない。ということは、敷地内は入場無料ということだな。向き直ると、思った通り、というか下調べしたとおり、ロケーションが非常に悪い。二階建てくらいの高さの灯台だが、手前左側には大きな木があり、右側には案内板がある。灯台の全景を撮るとすれば、この樹木と案内板が、どうしても画面に入ってしまう。右に振っても、左に振っても、敷地が狭いので、いかんともしがたい。

それに、灯台の左横に、かなり大きな、筒状の螺旋階段が併設されている。灯台の首のあたりまで登れるようだが、こんなに大きな構造物を灯台の横にわざわざ作って、歴史的にも価値のある、美しい灯台の景観を台無しにしている。

とはいえ、登れるのなら登ってみよう。タダだしね。高い所に登りたいのは、自分だけでもあるまい。鉄製の白い螺旋階段を登る。たしかに、見晴らしがいい。観光客にとっては、日本最古の石造り灯台より、太平洋を一望できるこの光景の方が<ごちそう>だろう。気分がいい。

眼下、右手下には、資料館の黒っぽい瓦屋根が見える。瓦の継ぎ目がところどころ白い漆喰?で補修されているのだろうか。いま写真で見ると、その補修跡が幾何学模様になっている。屋根のデザインだったのか?ともかく、なぜか<沖縄の民家>を想起した。<南国>を感じた。さらに、視線を飛ばすと、遥か彼方に岬があって、あっちからもこっちが見えるような位置取りだ。なるほど、あそこが<海金剛>だな。右側面から、樫野埼灯台の全貌が見える唯一の場所だ。下調べで見つけた景勝地で、この後、当然ながら、寄ることになっている。

その前に、いちおう、灯台の周りを360度回ってみた。海側の塀の前には、一つ二つ、崩れかかった木のベンチ置いてあった。灯台は、かろうじて画面におさまるものの、新緑の低木などに邪魔され、ほとんど写真にならない。要するに、この灯台は、前からも後ろからも、むろん左右からも、写真はあきまへん!

灯台の敷地を出た。今一度、門柱の<樫野埼灯台>の表札を見た。その表札を画面左にいれて、敷地の奥にちらっと見える灯台を撮った。灯台写真というよりは、記念写真だね。それから、念のために、塀の外回りを歩いた。樹木が繁茂していて、鉄柵のある断崖からは、ほとんど何も見えなかった。

ただ、西側からは、塀越しに灯台が多少見える。海も少し見える。とはいえ、このアングルだと、灯台よりは、塀の方が主役になってしまう。黒ずんだ、長方形の大きな石を積み上げた塀は、その重厚さ、堅牢さにより、<時代>を<昔>を強く感じさせる。存在感がある。写真を撮り始めた。位置取りを変え、かなりしつこく撮った。ま、絵になる構図だったのだ。

無駄足だったな。駐車場までの長い道を、たらたら歩いて戻った。途中、ひやかしで、トルコの土産物屋に寄ったり、銅像に近づいて、案内板に目をやったりした。やや観光気分だった。

駐車場のトイレで用を足して、車に乗り込んだ。すぐそばの定期バスの停留所に、若い女性がいた。サングラス越しにちらっと見たような気もする。ナビの画面で一応は確認して、<海金剛>へ向かった。分かれ道に案内板があり、すぐに着いた。途中、道の両側に民家並んでいたが、人の姿はなかった。多少広めの駐車場で、トイレがあり、資料館(日米修好資料館)のような建物が正面にあった。

樹木が覆いかぶさった、アーケード状の遊歩道をぷらぷら行くと、海側に凹んだ、人一人が展望できるようなスペースがあった。三脚を担いだまま、二、三歩、踏み込んだ。下は断崖絶壁だが、柵があるので安全だ。なるほど、ここの海景は素晴らしい。三角形の岩が、いくつも海から突き出ている。あとで撮りに来よう。この時は、一枚だけ撮って、遊歩道に戻った。

さらに少し行くと、視界が開けた。展望スペースらしき場所に出た。一段高くなったところには東屋もあった。ちなみに、遊歩道に覆いかぶさっていた樹木は椿だ。一、二輪咲いていたので、あっと思ってよくみると、幹がすべすべだ。椿のアーチとはオツなものだ。帰りに何枚か写真を撮った。

さてと、展望スペースからは、遥か彼方、岬の先端に<樫野埼灯台>が豆粒くらいに見えた。望遠カメラを持ってきたから、早速、断崖際の柵沿いに三脚を立てて撮り始めた。明かりの状態もまずまず、素晴らしい展望である。が、いかんせん、距離がありすぎる。400ミリの望遠では、勝負にならない。

ま、それでも、柵沿いに移動しながら、ベストのアングルを探しながら撮っていた。だが、ここにも観光客だ。見晴らしのいい柵沿いの展望スペースは、ほんの七、八メートルしかない。夫婦連れが、自分のすぐ隣にまで来て、そこをどかんかい!といった雰囲気だ。遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。

となれば、移動せざるを得まい。先ほどちょっと寄った、遊歩道沿いの、極小の展望スペースへ移動して、観光客をやり過ごした。だがしかし、そのあとも、観光客が入れ替わり立ち代わりやって来る。そのたびに、重い三脚を担いで、極小展望スペースへ退避したり、後ろの東屋のあたりへ行って、反対側の海景などを眺めたりした。

天気はいいし、明かりの具合もいい。最高の海景だった。だが、肝心要の、灯台写真が撮れたような気はしなかった。あまりにも遠い。樫野埼灯台が小さすぎる。デジカメの800mm超望遠でも撮ったが、解像度が粗くて、写真にならない。あきらめきれない。明日、もう一度来てみよう、と折り合いをつけた。まったくもって、きりもない話だ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#6 四日目(2) 2021年3月23(火)

寄り道 潮岬タワー1 灯台参観

紀伊半島旅、四日目は、樫野埼灯台の撮影を午前中に終えて、ちょっと寄り道をしてから、灯台の根元、潮岬タワーなど、潮岬灯台の撮影ポイントを回った。

<11時30(分) 岬をおりる。串本大橋のたもとに駐車スペースとトイレがある 海のなかに(も)灯台が二つある。遠目から撮る。昼どき、昼食を食べにきた若い男二人 ネコが何匹も どこからともでてきて 鳴いている エサをねだっているようだ ほかにも熟年夫婦 漁師など あっというまに狭い駐車場がいっぱいになる>。

この情景は比較的よく覚えている。付け加えよう。串本大橋のたもとの駐車スペースは、先ほど<樫野埼灯台>へ行くとき、車の中から見えたので、帰りに寄ってみようと思っていた。車は五、六台しか止められないが、トイレがあり、東屋らしきものもあった。

・・・日陰の急な坂道を下りきったところに駐車場があった。まさに橋のたもとだ。この時は、ほかに車は止まっていなかった、と思う。軽い方のカメラを肩にかけ、まずはトイレで用を足した。そのあと、ちょっと周りを見まわし、すぐに見晴らしのよさそうな東屋へ行った。

はるか沖合の海が、眼に痛いほどキラキラしていた。岩礁(鵜島)には、小さな灯台が立っていた。むろん、遠目過ぎてよくは見えない。眼下、右側にも灯台があった。串本大橋の下から突き出ている岩場(苗我島)の上に立っているもので、ま、これは肉眼でも見える。今調べると、前者は<鵜島灯台>、後者は<苗我島灯台>といって、ちゃんとした名前がある。間違っても<名もなき灯台>などと口走ってはいけない。

眼下の灯台はいいとしても、沖合の灯台は、やはり望遠カメラで撮る必要がある。というか、ちょっと撮ってみたくなった。逆光の中、灯台の横を漁船が通りぬけていく。白くて長い波筋が海面に描かれる。開放的で、明るくて、どことなく長閑な、自分にはほとんど縁のない海景だ。それに、岩礁に立つ灯台の形を、この目ではっきり見たかった。

で、車に戻って、望遠カメラを持ち出し、東屋の断崖沿いの柵際で、盛んに撮っていた。しばらくすると、うしろで何やら話し声が聞こえた。ちょっと振り返ると、若い男が二人、東屋のベンチに腰かけて、弁当を食べ始めた。たしか、駐車場の方には、清掃車のような車が止まっていた。邪魔だとばかり、すぐに引き上げるのも、バツが悪いので、柵際を少し右に移動して、眼下の灯台を、ちょうど、彼らにはお尻を向けて撮っていた。

じきに、集中力も切れた。撮影モードが解けて、少し周りのことが見えてきた。<・・・猫が何匹もどこからともなく出てきて 鳴いている (弁当を食べている男たちに)エサをねだっているようだ>。一人の男が、無造作に、箸につまんだおかずを猫の方へ放り投げている。猫たちが、ぱっと、エサに飛びつく。ふ~ん、猫たちはここでエサがもらえると思って、集まって来たわけか。黒シャツのたくましい男は、猫が好きなのかもしれない。

ただ、ちょっと、割り切れないものが残った。野良猫たちに、気の向いた時に、弁当のお裾分けをするのは、さほど咎めるべきことでもない。猫たちも、欲しがっているのだからね。だが、このあと、猫たちは、どうやって生きていくのだろう。野良猫の生き死にまで頓着していられない。けれども、猫好きな自分は、ついそんなことまで考えてしまう。いや、ちらっと思っただけだ。

引き上げよう。車に戻ろうとしたら、駐車場が、なんだか急に騒がしくなっている。熟年の夫婦づれが車から降りてきて、大きな声で会話している。都会風の、多少あか抜けた格好をしている。車も、大衆車ではなかったと思う。 かと思えば、軽トラが入ってきて、小柄な爺の漁師が荷台を整理している。狭い駐車場だから、もういっぱいだよ。

そくそくと駐車場を出た。橋を渡り、潮岬へ向かった。途中、鄙びた漁港の脇を通り過ぎた。岩礁の上に立つ灯台がふと目に入った。これは、あきらかに、さっきの展望スペース(くしもと大橋ポケットパーク)から見た、海の中の灯台だ。あれ~と思いながら、適当なところに車を止め、見に行った。

見る位置取りが90度ちがう。展望スペースから見た位置を基準にすれば、三時の方向だ、つまり、真横から見ているから、同じ灯台だとは思えなかった。それに、すぐ目の前にある。写真としては、入り組んだ岩礁の奥にあり、手前には防波堤や漁船などがある。ちゃんとは見えない。ロケーションが非常に悪い。ま、いいだろう。ムラサキダイコンの花が崩れた岸壁に咲いていた。画面の一番下に入れて、彩を添えた。記念写真だ。

<橋を渡り 潮岬に向かう 潮岬タワー(¥300)にのぼる 強風 しかも寒い 撮影にならず すぐにおりる 受付の若い女性の応対がつっけんどんだ>。付け加えよう。串本大橋から潮岬までは、ほんの十分ほどだったと思う。灯台前の駐車場をやり過ごして、左カーブすると、道路左側に、かなり巨大な<潮岬タワー>が見える。道路際が、広い駐車場になっていて、けっこう車が止まっている。雰囲気的には、昭和の観光地といった感じだが、このタワーは、潮岬灯台を、見下ろせる唯一の場所だろう。

いちおう、望遠カメラと三脚をもって、エレベーターで展望室まで上がった。円形の展望室はガラス張りだった。だが、やはり、ベランダに出ないことには、写真は撮れない。しかしながら、ドアが外側に開かないほどの強風だ。それでも、むろん出たが、今度は風が冷たくて寒い。肝心の、潮岬灯台はと言えば、手前に建物などがあって、構図的には、やや期待外れだった。ただ、天気はよかった。見渡す限りの海。素晴らしい海景であることに間違いはない。

まあ~、こんな状態では、ゆっくり写真も撮れないので、下見程度で、引き上げることにした。まだ、明日一日ある。そうそう<受付の若い女性の応対がつっけんどんだ>というのは、たしか、再入場できるかと聞いた時、やや納得のいきかねる説明をされて断られたからだろう。今となっては、その時の具体的なやり取りは思い出せない。肉付きのいい、世慣れた感じの、男好きするようなタイプの女性だったような気がする。

さてと、タワーの駐車場の端にあったトイレで用を足し、灯台前の駐車場に移動した。<潮岬灯台 駐車場着 ¥300払って 再入場できるか じいさんに聞く 大丈夫だという 歩いて灯台へ向かう 観光客がひっきりなし (ここでも)¥300とられる ただし ここも 敷地がせまく 引きがとれない 写真にならない>。

潮岬灯台は<登れる灯台>ではあるが、この時も、自分は登らなかった。灯台に登らない理由は、以前にも書いた。灯台に登ってしまえば、灯台は撮れないのだ。屁理屈だよな~。いま思うと、灯台に登らないで、狭い敷地の中をちょっと回っただけで、¥300は高い!むろん、灯台に登らないのは、こっちの都合だが。

それと屁理屈ついでに言ってしまおう。そもそも、灯台の入場料を<参観寄付金>というのが解せない。理由はいろいろあるらしいが、イマイチすっきりしない。<寄付金>なら、果たして、払わなくてもいいのだろうか?良くも悪くも、日本人特有の<曖昧>さだ。何事にも白黒をはっきりさせないのは、世界的に見れば、それも一つの見識なのだろう。たが、それにしても<参観寄付金>というのがひっかかる。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#7 四日目(3) 2021年3月23(火)

潮岬灯台撮影2

移動。灯台の敷地を出て、東側の展望スペースの方へ行く。途中、道沿いに、浜に下りる坂がある。舗装されていて、車が通れるようになっている。車で行けないこともないなと思った。だが、レンタカーだったし、浜の状態なども不明だったので、歩いていくしかないだろう。ちなみに、この浜は、潮岬灯台の立っている岬と、展望スペースのある岬に挟まれていて、岩だらけ、砂利だらけの、プライベートな感じのする砂利浜だ。

坂の降り口に<密漁がどうのこうのというような看板があった>。私有地じゃないだろうな、と少し用心しながら坂の真ん中を歩いた。道が、急角度で右に曲がる。正面に、岬の上に立つ潮岬灯台が見えた。パチリと一枚撮った。だが、遠目過ぎる。ここからは、お得意の?撮り歩きだ。数メートル行っては立ち止ってパチリ、多少左右に動いて、右側から突きでている岬と、左側の水平線との並行関係を調整した。

坂を下りきると、左側に係船岸壁がある。細い入り江になっていて、小型船なら、着岸できるだろう。その手前に、乗用車が四、五台止まっている。釣り人の車だろうと直感した。ということは、ここから釣り船に乗って、海に出ているというわけだ。だが、ひとの気配は全くしなかった。

さらに、撮り歩きしながら前進した。砂利浜は、歩きづらかった。多少よろけもした。軽登山靴を履いていたが、一歩進むごとに、石の中に足の力が吸い取られるようだった。いい天気だったので、多少汗ばんだ。と、なぜか、砂利浜の真ん中に、巨大な岩が佇立している。違和感がある。立ち止まって、つくづく見た、と思う。波打ち際には、大きな岩がごろごろしているのに、ようするに、君は取り残されたわけか?

灯台の立っている岬は、もう目の前に迫っていた。これ以上近づくと、画面から海が消えてしまい、岬だけになってしまう。<灯台の見える風景>としては<不可>となる。前進するのをやめた。立ち止まって、改めて、周りを見回した。漁具の残骸などもあった。人間が立ち去ってから、かなりの年月が経っているのだろう。明るくて、静かだった。

それにしても、岬に立つ灯台を、横から撮るという構図は、いささか飽きたし、マンネリだな。百歩譲って、構図はいいとしても、周辺の、たとえば、海とか空とか雲とか夕陽とか、そうした美しい自然事象を、臨機応変に画面に取り込んで、演出するしかないんだろう。波打ち際の岩場へ歩き始めた。大きな岩に砕ける波しぶきを、画面に取り入れようと思ったのだ。

だが、この思いつきの実現は、おもいのほか難しかった。なにしろ、波しぶきを撮るにしても、波しぶきは、浴びないようにしなければならない。カメラを濡らすわけにはいかないのだ。この段階で、すでに腰が引けている。波しぶきがかからないところで、波しぶきを撮っても、臨場感がない。波しぶきのディテールは撮れない。かといって、ズームでよれば、肝心の岬の灯台が、ぼけてしまう。波しぶきが主題ではないのだ。

あとは、位置取りの問題もある。波しぶきは、横から撮るのがベストだろう。だが、それだと、足場の悪い岩場に入り込み、姿勢を低くしなければならない。こうした態勢も年寄りには堪える。良い波しぶきが来るまで、待つのも辛い。ようするに、気力的にも、技術的にも、体力的にも、灯台に波しぶきを絡めて撮るのは無理、なのだ。

ならばと、往生際が悪いじじいだ、でかい岩がごろごろしている、この波打ち際を前景にして、岬に立つ灯台を撮ろう。この目論見は、ま、身体的には楽で、実現可能だった。ただ、当初の、<波しぶき>の発想から比べると、はるかに保守的で、ダイナミックさに欠ける。それでも、多少の工夫はしたわけで、この枠組みの範囲内では、かなり集中して写真を撮ったつもりである。

何事にしても、集中するということはいいことだ。時間を忘れられるし、成果が得られていなくても、ある種の充足感が得られる。この時もそうだった。タバコをやめていなかったら、間違いなく、この瞬間、タバコに火をつけて、海に向かって、煙を吹き出していただろう。ふ~~、酒も飲んでいないのに、自分に酔っている。

<行きはよいよい 帰りはこわい 長い急な坂を一歩一歩ゆっくり登った 息も切れず といっても 登り切った時にはぜいぜいしていた 足が重いということはなかった 運動公園での 軽ジョギングとウォーキングを想った やはり有効だった>。

<駐車場にもどった 2時すぎだった ちょっと考えた ホテルに戻り 仮眠をとる 3時前にホテル着 きれいに掃除してあった 小一時間仮眠 四時過ぎに目がさめ 四時半に(部屋を)出る 狭い通路 エレベーター前に老年夫婦が出てくる 奥さんの方が マスクをしていない と自分の顔を手でおおう 旦那は いったんは車の中にあると言ったものの こっちに向かってマスクしてなくてすいません と声に出した ていねいに言葉をかえす>。

<5時前に(潮岬灯台の)駐車場(につく) じいさんはいない 駐車場は空 風が強く 寒い 冬支度 完全装備で 東側展望スペースへ行く 昨日と同じ場所に三脚を二本立てる 5時すぎ 陽が傾きはじめる 雲ひとつない夕空 水平線に沈む夕陽が見えるはずだ また きのうのバイクの爺がくるのかと思っていると 爺はこない>。

そのうち<老若男女 いろいろな人間が夕陽の落ちるのをながめにきた 6時すぎ 日没後(の) ブルーアワー イマイチな感じ 灯台点灯 きのうよりは 空が赤く染まる さらに (灯台からの)横一文字の光線を撮るためにねばる そのかいあって 撮影成功 7時引きあげ>。

この時の、夜の撮影について、少し付け加えておこう。水平線に、オレンジ色の火の玉が、今、まさに沈まんとするとき、なぜか、その時間を知っていたかのように、おそらくは、付近に泊まっていた観光客が、展望スペースの柵沿いに、何人も並んでいる。その光景を、写真を撮りながら、ちらっと見た。まるで、映画で見たような、UFOの到来を仰ぎ見ている人間たちだ。なるほどね、落日というものは、なぜか人間を引き付ける。妙な納得の仕方をして、撮影に集中しなおした。

灯台の目から放たれる<横一文字の光線>を撮り終え、引き上げる時のことだ。忘れ物はないかと、ヘッドランプで辺りを照らした。ランプの明かりが、意外に暗くて、よく見えん。それに、三脚二本に、カメラが二台だ。荷物が多い上に、冬場の防寒着で、体が膨れ上がっている。何度も、腰をかがめて、忘れ物はないかとたしかめた。爺の習性だ。

それでも安心はできなかったが、これ以上の長居は無用だ。展望スペースから、道路に出るために、階段状の段差を登った。その登り切ったところあたりで、右足だったか、左足だったか、忘れたが、なにしろ、靴の下でぬるっとした。この感触は、何回か経験している。そうだ、嫌な予感が的中した。犬の糞を踏んでしまったのだ。おいおい、勘弁してくれよ!

迂闊だった、とは言えないだろう。なにしろ、真っ暗で、足元は見えない。見えないことはないが、ヘッドランプの明かりだから、はっきりは見えていない。それに、よりによって、人が歩くところに、犬のウンコを見捨てるものなのか!誰だか知らないけど、かなり頭にきたぜ。道路に出て、靴裏を見ようと、片足立ちになった。だが、手一杯の荷物と着ぶくれで、すぐによろけてしまった。

だが、これは確かめなくても、まちがい、犬の糞だ。靴裏を何度も何度も、道路のアスファルトにこすりつけた。それでも、気が済まないので、再び、展望スペースに足を踏み入れ、地面に足裏をこすりつけた。気分が台無しだ。暗い道をそくそくと車に戻って、すぐに靴を脱いだ。よせばいいのに、匂いを嗅いだ。間違いなかった。

さて、そのあとは、ティッシュで、入念に拭きとった。とはいえ、穿いていたのは軽登山靴だ。裏は、不規則な深い溝が刻まれている。その溝の中に、おぞましいものが入り込んで、なかなか拭き取れないのだ。・・・あ~~、もうやめよう。書いているうちに<臭い>がしてきた。

なんの因果か、落日の崇高な光景ではなく、犬の糞を踏んだという与太話になると、すらすらと言葉が出てくる。おそらくは、そう望んでいるにもかかわらず、人間が、芸術的でも文学的でもない。畢竟<崇高>にはできていないんだ。

<7時引き上げ >。たしか昨日の夜も寄ったファミマで、今晩も夕食の弁当を買った。ホテルに着いてからは、おそらく、先に弁当を食べて、そのあとに風呂に入ったのだろう。なにしろ、朝から、ほぼ飲まず食わずだ。腹が空いていたはずだ。そしてメモ書きの最後には<9時日誌 10時消燈>とある。小一時間も日誌を書いたわけだ。だが、最後の方は疲れてしまい、かなりいい加減になっている。そのことが、あからさまに、文章や筆跡にあらわれていた。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#8 五日目(1) 2021年3月24(水)

潮岬灯台撮影3

紀伊半島旅、五日目の朝も、串本町の駅前ビジネスホテルで目が覚めた。

<2021年3月24日水曜日 晴れ 雲が多い 照ったり陰ったり あたたかい 7時に起きる 比較的よく眠れる 朝の支度 朝食・食パン、牛乳 排便・でない 昼頃 出先で少し出て すっきりする>。この日は、何時ころホテルを出たのか、記述されていない。だが、ファミマで朝のコーヒーを買い、スタンドで給油し、そのあと、はじめに<潮岬タワー>へ行ったようだ。この日の撮影画像を確認すると、九時ちょっとすぎに、タワーから潮岬灯台を撮った写真があった。

<昨日とはちがった受付の女性(だった) 再入場できるかと聞くと 申し訳なさそうに ダメだという 雲が多く ダメもとで登る 風がないので寒くはない タワーの最上階 屋上みたいなところに登って撮る 400ミリ(望遠)を三脚にセット ポジションとしては 水平線と灯台の垂直を考えると ほぼ一か所しかない 何度も迷いながら 確定する (ま、)ベターな場所だから あとはズームでアングルを変えるだけ 照ったりかげったり 多少イライラしながら 陽のさす瞬間を待つ>。

思い違いなのか?いやそうではない。タワーへの再入場ができないのは、昨日聞いてわかっていたのだ。だから、冷やかしはんぶんで、聞いたのだろう。いや、今日の女性は、どう反応するのか、見たかったのかもしれない。たしか、昨日の女性よりは愛想のいい、かわいい娘だったような気がする。

あとは<そうだ タワーの駐車場のトイレで用便をすませた 外観はやや古びていたものの きれいにそうじしてあった 温水便座 多少の抵抗>。少し説明しよう。最近は、観光地の公衆トイレでも、温水便座によくお目にかかる。<痔>持ちの身にとってはありがたいことだ。だが、便座にじかに腰掛けることに、やや抵抗を感じている。

もっともこれは、温水便座に限らず、洋式トイレでも同じだろう、とおっしゃるのかな?それが、若干違う。温水便座の場合、当たり前のことだが、便座が温かい。この暖かさが、曲者だ。誰だか知らないが、不特定多数の人間が座っていた、ということを、この、ほど良い暖かさは、思い起こさせてくれる。人間の肌のぬくもりだ。そんなことは、正直なところ思い出したくない。便座が冷たくて、ひえ~~としながら、さっと用をすませば、いらんことを思い出さなくても済むのだ。痛しかゆしとはこのことだろう。

次に進もう。<潮岬駐車場 今朝は昨日の爺さんとは別の爺さん(だった) 歩いて(東側)展望スペースへ 犬のクソを踏んだ場所をたしかめる 昼間なら見えたが 夜だったので不覚をとった それにしても 飼い主の不始末に腹がたつ 柵際を位置移動しながら、撮り歩く>。

そのあと<犬のウンコを横目で見ながら、浜へ下りる 道端(坂の途中)にいろいろな花が咲いている 名前の知らない花 見たことはあるが名前の知らない花 ムラサキカタバミ カタバミ 西洋タンポポが目立つ 桜も満開 ただし 色の白い桜が多い><浜には7~8台 車が止まっている 漁船もない 無人 これさいわいと 小さな船溜まりと 岩場の間にある防潮堤の上に登り すこし(海)の方へ歩く はば70センチほど 昨日は強風で歩くのが はばかられた>。

<岬の上の灯台と 波しぶきがあがる岩場が視界に入る 新しいポジションだ うしろから船が来る 振り向きもせず 防潮堤を歩いて岩場へ行く 何か言われやしないかと思った がやがやするので振り返ると 釣り人らしき装備の男たちが 6~7名 船からおりて めいめいの車へ向かっていく なるほど 釣り船だったんだ 非合法の禁漁区と(立て看板に書いて)あったような気がする(が)>。

<そのあと 岩場でゆっくり写真を撮る 波の音がいい ・・・ 岩場の水たまりに 10センチくらいの黒い魚が 取り残されていた 死んでいるようだった。灯台の上には ひっきりなしに人影 今回も灯台に登らなかった 疲労(と) 密になるのが嫌(だった) 三百円払ったのに>。

潮岬灯台の撮影ポイント三か所、すなわち、潮岬タワー、東側展望スペース、東側の岩場で律儀に撮って、樫野埼灯台へ向かった。どのポイントも二回目なので、さほど心は動かなかった。

<移動 樫野埼へ向かう (その前に)海金剛(へ寄る) (遠目から樫野埼灯台を狙う) 三脚を立てる 元気が少し回復 すばらしい海景 (まさに筆舌に尽くしがたい!うまい言い訳の言葉を知っているではないか) 灯台はかなり小さい しずか 途中 ひとりだけ ボウズ頭の 白髪 魚屋のような男がきた 防寒靴をはいていたから バイク野郎かも(しれない) すぐにいなくなったか(と思ったら) うしろの東屋のベンチで ひざをたてて ひっくり返っていた もう一人は 小柄な女性 ちょっとこちらに会釈して 海をスマホでとって すぐにいなくなった ここでも少し粘る>。

海金剛から樫野埼灯台が見える場所は、前にもちょっと触れたが、椿小道の途中にある、ひと二人しか?立てない極小展望スペースと、行き止まりの展望スペースの海沿い柵際、七、八メートルしかない。したがって、この日は、まず極小スペースで撮って、そのあと、海沿いの柵際で粘ったというわけだ。したがって、ボウズ頭も小柄な女性も、海沿いの柵際で粘っていた時に見たのだろう。極小スペースの方は、小道から海側に突き出した場所だから、振り返らない限り、人の姿は見えない。ま、うしろで人の気配がすれば、振り向きもしようが、撮影に集中していたのだろうから、気づいたとしても無視したと思う。

撮影を終え、展望スペースから下りて、椿の小道を戻った。<日米修好館の前に また この(小柄な)女性がいた こちらに気づいて ちょっと会釈して 館にはいって行った なるほど 学芸員なのかもしれない 知的な感じだった 駐車場には おそらくは 彼女のうす緑の軽と 自分の(車)だけだった と 原チャリに乗ったじじいが なにしにきたのか 海を見にきたのか(小道の入り口で) 夏ミカン?がなっているのを発見し その辺りを動き回っている>。

少し付け加えよう。おそらくは、小一時間、はるか彼方に見える樫野埼灯台を、望遠カメラなどで撮って、駐車場に戻ってきたのだろう。失われたというか、忘却の彼方にあった、記憶が少し蘇ってきた。駐車場の海沿いの柵際に、無人販売用の、小さな、崩れかかった台が置いてあった。前の日だと思うが、気まぐれに、近寄って、覗いてみた。こぶし大の、ごつごつした夏ミカンのようなものが、幾つか置いてあった。こんなものを、こんなところで買う人間がいるのだろうか?と思ったような気がする。

比較的きれいな公衆トイレで用を足し、さてと、出発しようとしたとき、駐車場の出入り口の方から、乳母車を押した、腰の曲がった老婆が、やってきた。一直線に、無人販売の台へ向かっている。あの婆さんが、庭木にでもなっている、ごつごつの夏ミカンを、乳母車に載せて、持ってきているのだろう。婆さんは、台の辺りで、ちょっと間、何かごそごそしていた。そしてまた、ゆっくり戻って行った。

きっと、この日課が、彼女の生きがいなのだろう。最果ての岬無人販売用の崩れかかった台、色の褪めた乳母車、ごつごつした、見るからにすっぱそうな夏ミカン、もうこれだけで十分だった。感傷の波しぶきを避けるようにして、<海金剛>の駐車場を後にした。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#9 五日目(2) 2021年3月24(水)

樫野埼灯台撮影2

橋杭岩観光

 紀伊半島旅、五日目の午後は、樫野埼灯台を、ダメ元でもう一度撮りに行き、ホテルに戻る前に、<橋杭岩>を観光した。

樫野埼灯台-2回目 照ったり陰ったり 灯台に上る人が多い (撮影ポイントで)何枚も撮る 昨日よりは 空に変化があるのでよい それに (灯台に)陽のあたる感じも やはり 午後のほうがよい (敷地内に一か所、冬枯れた花壇のようなところがあった) その中に分け入って 写真を撮った形跡がある 自分も踏みこんで 撮った なにしろ引きが取れない場所なのだ>。しかしながら、これはよくないことだ。気が引けていたから、腰も引けている。当然、写真もモノにはならなかった。

あとは、敷地から出て、灯台の周りを、塀沿いにぐるっと一周しながら、撮り歩きした。昨日と同じだ。ただ今日は、海側の、断崖の<柵際に、カゴ付きの原チャリ(があった) 無人 下に降りてなにかとっているのかもしれない>。柵から身を乗り出して、下をのぞいてみた。樹木が生い茂り、険しい断崖だ。とうてい人が上り下りできる場所じゃない。と、そばの比較的太い木に、ロープが巻いてあって、下に垂れ下がっている。なるほど、これで、上り下りしているのか。そうまでして、いったい何が採れるのだろう。ま、深くは考えずに、その場を後にした。

灯台の正面に戻って来た。たしか、もう一度<樫野埼灯台>と書かれた、門柱左側にかかっている、立派な表札を眺めた。そして、これが今生の見納めと思ったのだろうか、今一度、灯台の敷地に入った。すでに、写真は撮り終えている。まともな写真が一枚も撮れていないことを、ほぼ確信していた。立ち去り難い気分になったのは、多少の未練も影響していたようだ。

戻り道。<トルコの土産物店(の前)を通る際 なんとなくバツが悪い 主人がでてきて 声でもかけられたらどうしよう 明日来るって言ったでしょ!>。さいわいにも、店の前はひっそりしていて、主人が通りの様子を窺がっているわけでもなかった。いい加減なことを言って、かえってヤブ蛇になることがよくある、と思った。広い通路の真ん中を歩いた。満開の白い桜をチラッと見た。心が軽く、楽しい気分だった。

樫野埼灯台の駐車場を後にした。岬を下り終えたところ、串本大橋のたもとの駐車場は、車がいっぱいだった。<だが無人 密漁か?>寄り道するつもりだったので、肩すかしを食わされた感じだ。そのまま橋を渡って、右折して串本駅の方へ向かった。潮岬灯台の夕景は、すでに二回撮っているので、今日は行かない。そのかわり、ホテルの部屋から見えた、白い防波堤灯台を見に行くことにした。

いちおう、ナビに、その辺りの地点を指示したので、近くまでは行けた。低い防潮堤沿いの道だ。近くに車を止めるスペースはない。路駐した。防潮堤際まで行って、何枚か撮った。ホテルの部屋から見た時は、そこはかとない哀愁を感じた。だが、近くで見ると、なんということはなかった。ただ、湾の出口、海の奥に 串本大橋の全景が見えた。自分がいまさっき通った橋だ。<この橋は 一連アーチの銀色 なんか好きだな>。

執着せずに、移動。<橋杭岩に行く 奇岩が連なる 天然記念物>だ。おとといの日、串本町に入った時、道沿いに大きな駐車場があり、変な形の岩が、海の中にずらっと並んでいるのを、ちらっと見た。時間があれば、寄ってみようと思った。樫野埼灯台はダメだったが、潮岬灯台の方は、まずまずの写真が撮れたような気がしていた。多少なりとも、気分が楽になっていたわけで、観光する余裕ができたようだ。案内板には<串本から大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。吉野熊野国立公園地域にあり、国の天然記念物に指定されています。>とあった。

たしかに、面白い光景であることに間違いはない。スケベ心が出て、モノにしてやろうと写真を撮り始めた。だがなかなか難しい。照ったり陰ったりの天気で、奇岩たちに明かりが当たらない。それに、駐車場の柵際から撮っている限り、海の中に並んでいる奇岩たちとは平行関係にならない。いわば<ねじれの関係>だ。構図的にどうもよろしくない。

駐車場の右端の方へ移動した。係船岸壁が、海に突き出ているので、多少は、奇岩たちとの平行関係がつくれそうだ。でも、それでも不十分だった。浅瀬の岩場の浜だから、下に下りることもできる。位置取りとしては、奇岩たちに近づける。だが、自分と奇岩たちの布置そのものは変わらない。ま、ここで、写真を撮るのをあきらめた。

ただ、奇岩たちの岩肌の質感くらいは、写真におさめたいと思い、陽が当たる瞬間を待った。午後おそくのオレンジ色っぽい西日が、かっと、奇岩たちにきた。何枚か夢中で撮った。だが、モニターすると、結果は最悪で、奇岩たちは、変な感じに赤っ茶けて並んでいた。これなら、まだ、陽のあたらない写真の方がましだ。あ~あ、引き上げよう。

駐車場の柵沿いに歩いて、車に戻りかけた。と、ふと思って、売店のある建物の方へそのまま進んだ。お決まりの<マーキング>だ。売店の中をチラッと覗いて、トイレに入った。きれいに掃除してあった。そういえば、売店の床を掃除している人もいたし、柵沿いの花壇をきれいにしている人もいた。就業時間の終わりに、みなして掃除をするのが、ここの決まりなのか。

いいや、そうじゃないだろう。働いている人が、都会のコンビニの従業員のような不機嫌な顔じゃなかった。おそらく、みなして、この観光資源と施設を大切にしているのだろう。<橋杭岩>、素晴らしい自然の景観だったし、気持ちよく観光できたな、と思った。

ホテルへ帰ろう。来た道を戻った。夕食の調達だが、たしか、駅前の道沿いに<ぎょうざの王将>があったはずだ。寄ってみようかと、左側を注意してみていると、店は休店しているようだった。少しがっかりだ。コンビニ弁当ばかりで飽きていたのだ。でもしょうがない、ファマミマによって食料を調達、4時半にホテルに着いた。

ホテルの受付には、老年の女性が座っていた。毎日、受付の人が変わっている。これで三人目だ。みなパートのおばさんなのだろう。<風呂 頭を洗う 相撲を見ながら弁当 鳥唐チャーハン そのうち 隣から 鼻歌が聞こえる 若い奴が一人で歌ってるようだ>。<18時 昼寝 21時に起きる お菓子類を食べる 日誌をつける 22:45分 再度寝る 花粉症がひどい 鼻づまり!!!>。

若い奴の鼻歌、まったく記憶にございません!メモ書きに書いてあるのだから、たしかに聞いたのだろう。それよりも、この時は、遅い昼寝の前に、窓を開けて、外の景色を撮った。泊まっていた部屋が、四階?だったので眺めがよかった。建物の屋根越しに港が見えた。防波堤灯台があり、串本大橋まで見通せた。そこに、おりしも、夕陽が差してきた。本州最南端の港町がオレンジ色に染まった。窓から身を乗り出して、視界に入る風景すべてを写真におさめた。左端に、樫野埼灯台が、小さく見えたのも予想外で、なぜか、うれしくなった。

旅が半分終わった。体力的には、全然問題はなく、明日は200キロ北上して、伊勢志摩の灯台を撮りに行く。多少の感傷と多少の気合いが入り混じった、ほど良い心持だった。窓を閉めるとき、眼下のビルの駐車場が目に入った。車が四、五台止まっていた。ホテルの隣は、さびれたパチンコ屋だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#10 六日目(1) 2021年3月25(木)

移動

大王埼灯台撮影1

紀伊半島の旅も、折り返しに入り、半島の先端部から、反時計回りに東側の海沿いを200キロほど北上して、三重県伊勢志摩地方に入った。

<2021年3月25日 木曜日 朝から雨 夕方にやむ 6時半起床 7:30分出発 小雨 (国道を)那智勝浦 新宮 熊野と走って 尾鷲から高速 といっても 途中(で) ほぼ高速っぽい 有料道路を乗り継ぐ 今日はなぜか¥300取られなかった 平日だから係員をおかないのか?途中で何度も休憩 紀北PAではおみやげを買う 那智の黒あめ ¥1000 (高速道路を)伊勢西で降りてからが長かった 疲労を感じる とくに峠越えが疲れた そのあと なかなか大王埼灯台に着かない 着いたのは 12:00時 ほぼ4時間30分!>。

和歌山県串本駅近くのビジネスホテルには三泊した。このホテルの駐車場は、二か所あり、一か所は、ホテルの向かい側、住居を壊した後の更地だ。五、六台は止められるだろう。もう一か所は、歩いてすぐの、駅前ロータリーに隣接している、ちゃんとした?駐車場だ。十五、六台は止められるだろう。

できれば、車はホテルに近い、向かい側に止めたい。誰しもがそう思っているから、潮岬灯台の夕景を撮った日は、二日とも帰りが遅くなったので、駐車場はすでいっぱいだった。で、駅前ロータリーの方に止めた。ま、たいした距離ではないので、ぼやくほどのことでもないが。

もっとも、昨日は、夕方の五時前にホテルに着到したから、近い方の駐車場に止められた。二列縦列の駐車場だから、奥に入れては、朝出られないこともある。ので、すぐに出られるようにと、手前にとめた。当然、後ろが空いているわけで、変な止め方だ。あとから来た人が、自分の車が邪魔になって、駐車しにくいのが、車から降りた時、まざまざとわかった。ちょっと考えたものの、シカとした。不都合があれは、部屋に連絡してくるだろう。初日の日に、車のナンバーは教えたのだ。

そのあと、その日の夜の、向かい側の駐車場の状態が、どうなっているのか、<あっしには かかわりないことで ござんす>。まったく、気にもしなかった。朝になった。昨晩受付に居た、老年女性の、ビジネスライクな<ありがとうございました>の声を背にうけ、ホテルを出た。はす向かいの駐車場を見た。止まっているのは、自分の車だけだった。いや、あと、一、二台、止まっていたかもしれないが、とにかく駐車場はスカスカだった。些細なことに、気を回した自分がアホに思えた。

さてと、出発だ。小雨だったとメモ書きにはあるが、まったく覚えていない。記憶が蘇ってくるのは、高速道路の乗り口を間違えないようにと、熊野の市街地を過ぎたあたりからだ。あの時は、雨はやんでいたように思う。そして、無事に高速に乗ってからは、運転も楽になり、一息つけた感じだった。

小一時間、走ったのだろうか、伊勢西で高速を降りた。このまま一般道を南下すれば、目的地の大王埼灯台だ。途中、伊勢神宮の横を通った。道沿いには、<赤福>の立派な店舗が見えた。寄ってみたい気もしたが、寄るとしても、帰りだな。帰りもこの道を通るわけだしと思った。ちなみに、帰りは帰りで、三重県から一気に帰宅すること、高速を500キロ走破することで、頭がいっぱいで、伊勢神宮赤福も素通りしてしまった。

赤福>を通り過ぎて、先が見えたと思ったとたん、気が緩んだのか、このあとの峠越えがきつかった。道が狭いうえに急カーブだ。それに、旅疲れ、運転疲れも重なっていたのだろう。かなりの緊張を強いられた。とはいえ、時間的には、そう長くはなかった。じきに、下りになり、視界が開けてきた。両脇に民家が立ち並んでいる。どこかで見たような光景だ。下調べで、グーグルマップで見た坂道だった。

さらに行くと小さな漁港が見えてきた。突き当りを右に曲がると、灯台に一番近い有料駐車場がある。ガラガラだ。料金所はなく、カネはどこで払うのかと思っていると、正面の小屋から<爺さんが顔を出す 愛想がいい>。駐車料金300円を払って、灯台撮影に出発。曇りだったが、条件反射的に、重いカメラバックを背負った。前を見た。少し上り坂になっている。車が通れる道で、両脇には、土産物屋や旅館などが立ち並んでいた。

だが道は、すぐに高い防潮堤にぶつかって行き止まり。たしか、休憩用の小さな東屋があった。右手は、防潮堤沿いに海が広がっている。左手は、片側に<真珠屋がならぶ>急な小道で、少し上ると、右側に、細い分かれ道があり、展望スペースに続いていた。ここが、大王埼灯台の、おそらくはベストポイントだ。ネットにあがっている写真は、ほとんどが、ここから、岬に立っている灯台を横から撮ったものだ。

展望スペースは、正式には<八幡さん公園>という名称だ。東屋があり、比較的きれいなトイレあり、しっかりした柵で囲われている。ベンチもあり、断崖に立つ、大王埼灯台が見える。あと、なぜか<絵描きの銅像>が、狭い公園の真ん中に設置されている。あとで知ったことだが、大王町は、昔から絵描きの町として有名だったらしい。なにしろ、ここからの景色は、絶景と言って間違いない。

おもくるしい、憂鬱な曇り空だった。だが、明日からは晴れの予報が出ている。だから今日は下見だ。柵沿いに撮り歩きながら、岬に立つ灯台のベストポジションを探していた。と、おそらくは父親と息子だろう、高校生っぽい息子が、ドローンを飛ばしている。そのうち、ぽつぽつ、雨粒が落ちてきたような気もする。

下見を終えて、東屋のベンチに置いた、カメラバックを取りに行くと、ドローン父子もそこにいた。なんとなく、目が合って、会釈しあうことになってしまった。そのあと、二、三言、世間話をした。父親が言うには、この場所は、ドローン撮影ができることを市役所で確認済みだという。なるほど、写真を撮っていた人間に対しての、配慮というか、言い訳だな。

普通?の観光客にとって、景観の前で、三脚を立てて写真を撮っている輩は、目障りだろう。一方、写真を撮っている者にとっては、頭の上でドローンが飛び回っているのは、目障りであると同時に、身の危険を感じる。ドローン父子は、その辺の事をわきまえていたのだろう。以前の話だが、知多半島の先端で写真を撮っていた時、狭い展望スペースの真上で、これ見よがしにドローンを飛ばしていた、生意気そうな、若造の歯科医とは、おお違いだと思った。

<八幡さん公園>をあとにして、急な小道をさらに登ると、<灯台がある (敷地)入口の手前が(ちょっとした広場になっていて)開けている こぎれいなトイレなどもある 引きがなく まわりに建物もあり 写真にならない (これは)織り込み済みだ 灯台の敷地には入らない そのまま 急な階段を下りる>。

ここですこし、灯台へと至る急な小道について書き足しておこう。海側は断崖絶壁なので、小道をはさんで、陸側?だけに建物が並んでいる。ほとんどが真珠の土産物屋だ。だが、八割がたシャッターが閉まっていて、開いているお店も、昭和の匂いがする。ま、ほぼ崩れかかっているといってもいい。それでも一、二軒は、きれいに改築している店もあった。高級な真珠を販売しているようで、店の体裁を整える必要があったのだろう。

団体旅行が盛んだった、おそらく昭和四十年以降、ここにも、観光バスで、多くの観光客が訪れたのだろう。なにしろ、伊勢志摩というのは、日本人なら誰もが知る観光地で、とくに、英虞湾の養殖真珠と海女は有名だった。灯台などはどうでもよくて、女性たちは、旅先の開放感からか、お土産に、高価な真珠のブローチやネックスレスを買い求めていったのだろう。狭い小道に、人々の陽気な笑い声があふれかえる。真珠も飛ぶように売れたにちがいない。それも、今は昔。痕跡だけを残して、時代は21世紀になってしまった。

たとえば、自分が女性だったなら、安物の真珠のイヤリングくらいは、お土産に買ったかもしれない。いいや、今思えば、男、女に関係なく、記念に、きれいな真珠の一玉くらい、買ってもよかった筈だ。身に沁み込んだ、ケチくさい、貧乏人根性が、いまだに抜けていない。ま、それでいいのだ。真珠のタイピンをして出かける場所など、思い浮かばない。

話を進めよう。大王埼灯台の、敷地の門柱の前に立ち止まって、塀の間から灯台を見上げた。空が、たしか、鉛色だった。そのあと、広場のこぎれいなトイレに入った。観光地では、尿意など感じなくても、ほぼ条件反射的に、公衆トイレに入ってしまう。人間も<マーキング>をするわけで、ワンちゃんとの違いは、電柱とか、塀とか、植え込みとかをクンクンして、片足をあげたりしないことだ。

灯台を背にして、急な階段を降り始めた。ほぼ一直線で、かなりの長いぞ。下りは楽だが、上りは大変だなと思った。要するに、灯台の立っている岬を断崖沿いに下っているのだ。もっとも、海側には、高い防潮堤があり、安全は確保されている。誇張なく、ここからの景色は絶景だ。だが、この日は曇り空で、そうした感動はなく、階段を踏み外さないように、一段一段、ゆっくり下りた。

階段を下りきったあたりに、崩れかけた旅館が防潮堤沿いの道に建っている。その奥は平地になっていて、民家が見える。平場になった防潮堤には、一か所、階段がついていて浜に下りられる。いわゆる砂利浜で、えらく歩きづらかった。見上げると、おなじみの構図だ。手前は、少し弧を描いた浜で、右手からは岬が突き出して来る。断崖絶壁の岬に灯台の白い胴体が見え、左手は海、水平線が見えた。

今日はあくまでも下見だ。砂利浜からのベストポジションを、軽く確かめただけで、長居はせず、防潮堤沿いの道に戻った。さてと、回りを見回すと、小さな東屋があり、さらに行くと、道沿い左手に、ほとんど廃屋に近い二階建てがある。朽ち果てた看板には<旅館>の文字が読み取れる。その横には、りっぱな石の鳥居があった。

防潮堤沿いの道は、ここで行き止まり。振り返ると、岬の上に灯台が見える。かなり小さい。だが、まあ、ここも、撮影ポイントだろう。改めて、今歩いてきた道を眼で追った。断崖沿いの急な階段が、かなり長い。戻るには、あれを登るしかない。うんざりだ。できれば、登りたくない。一方、鳥居の中にも、いきなりの急な石段だ。上に神社があるのだろう。行くも戻るも、急な階段、か。瞬時に判断した。断崖の階段よりは、鳥居の階段の方が短い。

鳥居をくぐった。上を見上げた。大した段数じゃない。登り始めた。半分くらいで息が切れた。思いのほか傾斜がきつい。重いカメラバックを背負っているんだ。一息入れた。少しハアハアしている。気持ちを取り直し、さらにゆっくり階段を上った。

展望はない。だが、登りきったところには、なんというか、静寂が支配していた。人の姿は見えないが、人間の気配を感じた。左側に社務所があり、突き当りが、塀に囲まれた立派な神社だった。境内には入らず、塀に沿って、右へ行く。ちらっと見て、左は行き止まりだと判断したのだ。比較的広い、踏み固められた土の道だった。椿の花が、どっさり落ちていた。

うっそうとした林の中を少し行くと、右手に鉄の門があった。なんでこんなところにと思って、歩み寄ると、門の向こうには、多少起伏のある緑の平地が広がっていた。ぽつんと、白壁の、なにかの施設のような建物が立っている。<大王埼無線方位信号所>と門柱にあった。鉄門の格子の間にカメラのレンズを入れ、中の風景を一枚だけ撮った。

土の道に戻り、さらに進むと、いきなり視界が開ける。ちょっとした広場公園になっている。入口脇に、お決まりかのように、外からでも臭ってきそうな公衆便所があり、広場の中には朽ち果てた木のベンチが間隔を置いて、幾つかあった。断崖際には柵があり、眼下に、不自然ほど海の中にせり出した防波堤が見えた。がっちりと波消しブロックに守られている。いやむしろ、覆われているといってもいいが、その先端に灯台が立っていた。曇り空で、写真を撮ってもしょうがない。わかってはいたが、カメラバックを下ろして、カメラを向けた。海という大自然の中では、人間の作った膨大な工作物も、やけにちっぽけに感じられるものだ。

柵際で、この光景を、しつこく撮っていると、うしろで声がした。振り向くと、家族連れの観光客だった。中学生の男の子と中年の夫婦だったと思う。たしか、自分とは少し離れた柵際まで来て、そのあとは、海をちらっと見て、なにか話しながら、行ってしまった。また、静寂が戻った。柵際を左手に少し移動して、今度は眼下の漁港を眺めた。係船岸壁に灯台が立っていたので、何枚か写真に撮った。距離があるので、望遠でも撮った。ファインダーの中で人間がうごめいている。まさに、神の目で下界の人間を見ている感じだった。

ここでも、さほどの長居はせず、広場公園を立ち去ろうとした。と、林の中から、声が聞こえてきて、先ほどの家族連れが現れた。意外だった。というのも、てっきり引き返したものと思っていたからだ。来た道を戻るつもりだったが、気が変わった。汚い公衆便所で用を足して、家族連れが現れた方へ歩き出した。見通しのない、薄暗い岬の下り坂だった。

頭の中で、この周辺の地形を思い出そうとした。つまりはこうだ。大王埼灯台の立っている岬に、まず登って、そのあと、海沿いに移動して、神社の立っている隣の岬に登ったわけだ。そして、おそらくは、このまま下っていけば、漁港に出るはずだ。有料駐車場は漁港の右端にあったのだから、要するに、左回りに、二つの岬を上り下りしたことになる。ぐるっと一周したわけだ。

岬のうす暗い坂道を下りながら、さっき砂利浜から見上げた、大王埼灯台へと至る急な階段道を想った。戻らなくて正解だった。だが、伏兵というのは、どこに隠れているのかわからない。坂道が終わって、目の前に海が見えてからが長かった。かなりの距離を歩かされた。というのは、下りてきたところは、神社の立っている岬のほぼ先端部で、岬の根本にある漁港までは、その縁をずっと歩かなければならなかったのだ。下りたところが漁港だと思っていた分、落胆?は大きい。とはいえ、これは否応がない。遠かろうが近かろうが、自分の車までは、歩かねばならないのだ。

先程、<神の目>で眺めた漁港が見えてきた。カメラバックが、ずっしりと重い。それでも、首にかけているカメラで、雑駁な、というか、わびしい漁港の風景を歩きながら撮った。ま、これは、趣味の写真で、人に見せるつもりはない。さらに、岬の縁を回り込むと、前方に、車を止めた駐車場などが見えた。下界に下りてきた感じがした。

右手の入り江には、小型漁船が、何隻も停泊していた。近くで見ると、わりと大きい。左手は、切り立つような岬だ。たらたら歩いていくと、大きな石の鳥居が見えてきた。通りすがりに、腰をかがめて、鳥居の中を覗いた。と、一見して登りたくないような、極端に急で長い石段が、岬のどてっぱらに、梯子のようにかかっていた。

なるほどね。おそらく、海岸の石段から神社に登ったた場合、塀に沿って左に行けば、この階段に到達するわけだ。さきほどの判断は、間違いだったわけで、右に行った俺は、かなりの遠回りだ。灯台撮影の下見のついで、とはいえ、重いカメラバックを背負って、無駄な体力を使ったような気もした。ま、いいだろう。これまでも無駄なことばかりしてきたのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#11 六日目(2) 2021年3月25(木)

安乗埼灯台撮影1

紀伊半島旅の六日目の午後は、昼頃、大王埼灯台から安乗埼灯台へと移動した。

<移動 安乗埼(あのりさき)灯台へ向かう 30分ほど(かかる) けっこうある 最後は 防潮堤の上を走り 狭い道をうねうね行った (その)つきあたりに広い駐車場=これも了解済み 小雨の中 下見 芝生広場 柵沿いに東屋 こじゃれた建物 芋スイート店 有名なのか 中にけっこう人がいる 車(に戻る) 腹がへり 菓子パンをむさぼり食う>。

このメモ書きを書いたのは、むろんこの日の夜である。かなりいい加減になっている。少し書き足しておこう。

ナビを安乗埼灯台にセットして、大王崎を後にした。そのあと、どこをどう走ったのか、よく思い出せない。イメージが出てくるのは、海岸沿いの比較的広い道だ。右手に防潮堤があって、砂浜は見えない。道路沿いに駐車スペースがあったので、車を寄せる。外に出ると左手に岬が見えた。岬のどてっぱらに道があり、両側に民家が並んでいる。あの坂を登った先に、灯台があるのだろうと思った。灰色の空だ。海を見ることはせず、すぐにまた車を走らせた。

海岸沿いの道から、ナビの指示に従い、右方向へとハンドルを切り、防潮堤沿いの道に上がった。かなり狭い。さらにその先には、短い橋のようなものがあり、対面通行はできない。橋の前でスピードを落として通過。要するに、これで、安乗埼灯台のある岬に渡ったということなのだろう。

一気に坂を登る。ほぼ登りあがったあたりからは、さらに道が狭くなり、両脇民家の、くねくね道だ。退避する場所もないし、向うから車が来たらどうするんだ。ひやひやしながら走っていると、案の定、目の前に車が現れた。このままいけば、正面衝突だ。あわててブレーキを踏んだ。多少広くなった所があったので、車を端に寄せると、何とかすれ違いができた。

こんな狭い道の先に灯台の駐車場があるのだろうか?それがあるのだ。事前にグーグルマップで検索、了解済みだった。目の前に、こんもりした駐車場が見えた。松の木などが周りに生えている、かなり広い。しかも無料なのだ。平日にもかかわらず、車がけっこう止まっていた。どこに止めようかな?と思いながら、入っていくと、正面突き当りに建物が見えた。

実を言うと、この後の、安乗埼灯台の下見については、ほとんど何も思い出せない。だが、時間軸にそった撮影画像のラッシュがある。それらの画像を参考にしながら、この日の下見を再構成してみる。

軽い方のカメラだけ持って、建物の裏手に回った。がけっぷちに柵がしてある。その並んだ柵の先に、灯台が、ちょこっと見えた。柵を乗り越えて、がけっぷちに踏みこめば、もう少し灯台がよく見えるだろう。だが、やめた。というのも、建物はレストランのようで、今自分の居る場所は、その窓際の席から丸見えなのだ。人目を気にしたわけだ。それに、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。写真にならない。危険を冒してまで踏み込む場所じゃない。そもそもが、今日は下見だろう。

それよりも、柵の向こうの海の中に、陸地側から海側へと、不自然なほどに突き出した防波堤が見えた。その先端には灯台が立っている。さきほど、大王崎の神社の岬で見たのと同じような仕様で、防波堤は、波消しブロックでがっちり覆われている。曇り空ということもある。なんとなく物悲しい、寒々とした、すっからかんな風景だ。カメラを向けた。

対岸は、入り組んだ地形になっていた。こんもりした岬が折り重なっている。おそらく、懐の深い入り江になっているのだろう。したがって、今見えている、防波堤灯台は、漁港(安乗漁港)に入る船のためのものだ。となれば、対岸にはペアの赤い防波堤灯台がある筈だ。

目を細めて探す。たしかにあるが、遠すぎてよく見えない。横着して、望遠カメラを持ってこなかったことを少し悔いた。いや、800ミリ望遠が利くデジカメを、ポーチにくっつけて、いつも携帯しているのだから、それで見たのかもしれない。ただ画面が小さいから、なおさらよく見えなかったのだろう。まあ、いい、とにかく、明日は望遠カメラも持ってこようと思った。

下見を続けよう。灯台を目指して、柵沿いに歩き始めた。灯台は、岬の先端部に位置している。途中、左側に花壇のような場所があり、何かの記念碑が立っていた。灯台の入口の前にも小さな花壇があり、八重桜が満開だった。曇り空だから、色合い的には、イマイチだが、濃い紅色に心が和んだ。向き直ると、敷地の門柱の前に小さなプレハブがある。なるほど、受付だな。入場料=参観料を払うのだろう。むろん、この日は、灯台に登る気も、敷地の中に入る気もなかったので、素通りした。

灯台に背を向けて、さらに柵際を歩いていくと、東屋があった。ちょうど断崖際に立っていて、左手の展望がいい。海だ。むろん灯台も見える。おそらく、ここからのアングルが、安乗埼灯台のベストポイントだろう。ただ、先ほど<八幡さん公園>から見た大王埼灯台の景観と、酷似している。おそらく、灯台手前の断崖の補強された法面が、ほぼ同じ位置にあることが、その主なる理由だろう。

もっとも、この二つの灯台とかぎらず、岬に立つ灯台を横から見た場合、岬が右からせり出しているか、それとも左なのか、の違いがある程度で、それほど大きな違いはない。と、最近では思っている。とはいえ、灯台そのものの形は、唯一無二のもので、安乗埼灯台と大王埼灯台に関して言えば、前者は四角柱、後者は円筒型だ。まあ、自分にとって、灯台巡りの旅の楽しさは<灯台のある風景>を見つけることが、第一義的ではあるが、灯台の歴史を知り、その造形の美しさを堪能することも、楽しみの一つではある。そういった意味では、安乗埼灯台の造形は、なんか面白い感じがして、確実に記憶に残りそうだ。

芝生広場を突っ切りながら、横目でちらっと灯台を見て、そんなことを思ったのかもしれない。いや、これはウソだろう。おそらく、この時思ったことは、芝生広場からは、写真にならない、ということだ。つまり、樹木が邪魔で、灯台の上半分くらいしか見えない。それに遠目過ぎる。雨がぽつぽつ落ちてきた。引き上げよう。

<3時 (安乗漁)港の防波堤灯台に寄るつもりが 道をまちがえる 行き着けない めんどうなので 明日にして帰路 ナビどおりに走っているのに、なんか道がちがう 新しい道(なのでナビが認識できない) 買いかえる決心をする>。ちなみに、いまだにナビは更新していない。二万以上かかると言われたので、我慢することにした。不便なのは旅に出た時だけだ。ケチだなあ~!

<16時過ぎ ファミマで食料(の調達) 筋向いのビルが(今日泊まるホテルだ) 2階が受け付け エレベーターがない 荷物が多いのでちょっとしんどい 中高年の女性 ビジネスライク(の応対) 書くことはない ただ部屋に電気ポットがない 温水便座でない 天井にライトがない うす暗い 窓の外は隣のビル ガラス窓越しに机などが見える これで6000円は高いな! いわゆる安ホテルだ ま いい 風呂 ビール 昼寝 18時すぎに起きて夕食 そのあと日誌・・・>。

朝っぱらから、動き回っていたわりには、さほど疲れていなかった。こんな安ホテルに三泊もするのかと思って、ややうんざりしたような気もする。ただ、非常に静かなホテルだった。それに、目の前にコンビニがあるのも便利だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#12 七日目(1) 2021年3月26(金)

大王埼灯台撮影2

紀伊半島旅、七日目の朝は、近鉄志摩線の鵜方駅近くのビジネスホテルで目が覚めた。

<6時半起床 7時半出発 8時大王埼灯台>。おそらくは、旅も後半になり、疲れてきて、詳細なメモを書くのが嫌になったのだろう。したがって、今からは、思い出す、という精神的な労力が、多少必要となる。面倒ではあるが、ボケ防止のために、頭を使ってみよう。

近鉄志摩線の鵜方駅近くのビジネスホテルは、国道に面していた。大王埼灯台までは、この道をほぼ一直線に南下(正確に言えば南南東下)すればいい。かなりいい道で、走りやすかった。しかし、普通の市街地走行とほぼ変わらないので、面白みはない。書き残しておくことがあるとすれば、<甲賀>という地名のことだ。たしか、公園かなにかの名前になっていて、大きな案内板が目に付いた。

<甲賀>といえば、条件反射的に<伊賀>だろう。<忍者>だね。その忍者の里が、ええ~、この辺なのかと思った。しかしこれは、まったくの勘違いだったことが、先ほど調べてわかった。徳川家康の<伊賀越え>で有名な、甲賀衆は現在の滋賀県甲賀市付近が本拠地だったらしい。敵対関係にあったとされる<伊賀衆>は、その少し南の三重県の西部だ。それと、甲賀は<こうが>と発音するものとばかり思っていたが、<こうか>とも読み、この方が一般的らしい。したがって、眼にした案内板の甲賀の文字も<こうか>と読む。要するに、二重の勘違いをしていたことになる。ま、それにしても、子供の頃に夢中で読んだ、忍者漫画は面白かった。<伊賀の影丸>が最初で、そのあとの、白土三平の<サスケ>と<カムイ外伝>が特に好きだった。比較的幸せな時代だった。

ジジイに戻ろう。8時過ぎに大王崎の有料駐車場に着いたのだろう。たしか正面の小屋に料金を払いに行ったような気がする。愛想のいい爺が出てきたので、再駐車できるかと聞くと、領収書のような紙切れを渡され、それ見えるところに置いてくれと言われた、のかな?よくは思い出せないが、いい天気だったことは確かだ。

昨日の下見で、撮影ポイントは二か所だけだとわかっていた。一か所目の<八幡さん公園>に登った。もろ、逆光で写真にならない。とはいえ、いちおうは撮ってみた。またあとで来よう。あっさり公園から下りて、うす暗い急な遊歩道を上った。灯台の前を通り過ぎ、今度は、急な階段を下った。防潮堤沿いの崩れかかった旅館をちらっと見て、砂利浜に降り立った。ここが二か所目の撮影ポインドだ。明かりもほぼ順光、灯台に当たっている。砂利浜を歩き撮りしながら、灯台の立っている岬へと向かっていった。

狭い砂利浜で、背後には防潮堤がそびえたっている。さらに行くと、砂利浜はなくなり、かわりに、テトラポットが防潮堤の前にゴロゴロと寝そべっている。なるほどね、すぐ上には例の旅館があった。波しぶきをテトラが防御しているわけだ。この先は、行けないこともないが、じきに法面加工の断崖で行き止まりだ。

それに、岬のほぼ真下あたりに来ている。すでに灯台も見えない。引き上げようかな、と思ったが、浜の行き止まりに、羊羹のような形をした巨大なコンクリートがある。これは、明らかに、防潮堤を波しぶきから守っている代物だ。いわば、テトラのかわりに設置したのだろう。それにしても、中途半端な感じで、不自然さが際立っている。

なにかの衝動に駆られたようだ。テトラに足をかけ、羊羹コンクリートの上に登った。別にどうということもない。周りを見回した。海がきれいで、広々していて気持ちがいい。ただ、弧になった砂利浜の反対側の断崖が、無残に崩れていて、赤肌をさらしている。しかも規模が大きい。それに、長い間、放置されたままなのだろう。ま、復旧工事の法面加工も並大抵じゃない。予算がないんだな。

滑らないように、というのは、羊羹の上は時々波しぶきに襲われ、濡れていたからだが、慎重に巨大コンクリートの上から下りた。前を見ると、波打ち際に、テトラが一基、砂の中にほとんど埋まりかけている。これまた不自然な光景だと思った。ほとんどの仲間は、防潮堤際でごろごろしている。したがって、このテトラ君だけが猛烈な波しぶきに耐えきれず、波打ち際まで転がり落ちたのだろうか?いや、ひょっとすると、犠牲者はもっといて、砂の中にたくさん埋まっているのかもしれない。

とにかく、波打ち際に太い腿が一本、天に向かって突き出している。近づいてみると、コンクリの表面が風化していて、中の砂利が見えている。貝なども付着している。記念にと、いちおう、周りの風景も入れて写真を撮った。さらに、おもしろ半分でテトラ軍団に近づくと、最前線の兵士たちも、かなり風化している。のっぺりした、不愛想な灰色のコンクリが、いい塩梅にオブジェ化している。灯台と絡めて、撮れないものかと、少し真面目になってアングルを探った。だが、無理だった。背景の灯台が小さすぎる。それに、浜辺の風化したテトラポットなどは、よほどの思い入れがない限り、いくらなんでも、写真にはならないだろう。

砂利浜に足をとられながら、防潮堤の上に戻った。いまさっき下りてきた急な階段を見上げた。また<八幡さま公園>に戻って、灯台を撮ろう。例の崩れかかった旅館の横を通り過ぎた時、ガラスの引き戸越しに、中をチラッと覗き見た。誰もいなかったが、いい感じで日が差し込んでいる。日向ぼっこには最適だなと思った。

防潮堤が終わる所からは、急な階段だ。左手は海、絶景!右手は断崖で、石を積んだ壁で補強してある。この石の壁には、なぜか、ところどころに大きな暗渠があり、それがドクロの目と鼻のように見えて面白かった。それと、コンクリで塗り固めた壁よりも、趣があり、きれいに積みあげられた石たちには、どこか人間的な温かみがあった。職人の技が、人間の生活を守り、違和感なく、自然の風景の中に溶け込んでいるように思えた。

階段を登り切ったところには、桜の木が一本あって、白い花が咲いていた。少し手前で立ち止まって、記念に一枚だけ写真を撮った。この<記念に一枚>というのも、わけのわからない衝動のひとつで、やや<マーキング>に似ていないこともない。

そのあとは、灯台の敷地に入った。入場料を払い、灯台の正面に回ってみた。というのも、大王埼灯台の特徴として、正面、というか、海側から見た造形が独特なのだ。何本もの柱で支えられた回廊?が灯台の底部を構成している。それが、タコが八本の足で立っているように、自分には見えるのだ。ただ、惜しいかな、引きがない。自分のレンズでは、タコ足を含めた灯台の全景が、画面におさまり切れなかった。

灯台にも登ってみた。上からの眺めは最高だった。南側は、まさに大海原。西側には、<八幡さま公園>。展望スペースの全景が見えた。さらに、北側には、上半分に錆のでている電波塔があり、その背後には、思いのほか、人間の住居が密集していた。大海原とマッチ箱のような住居との対比が、なぜか小気味よかった。やはり、これもいわば<神の目>なのだろう。自分が、ちっぽけな住居で生活している、ちっぽけな人間だということを一瞬、忘れさせてくれる。

灯台内部の大きなレンズや、どてっぱらのガラス窓から見える外の景色などを、冷やかし半分に撮りながら、極端に急で狭いらせん階段を降りた。そのあとすぐに灯台の敷地を出た。太陽がだいぶあがってきていて、薄暗い遊歩道の、ところどころに、日が差し込んでいる。再度<八幡さん公園>に上がった。岬に立つ大王埼灯台を横から狙った。天気もいいし、ちょうど灯台の右半分に明かりが当たっている。今が勝負時だと思って、気合が入った。

断崖の柵際を行ったり来たりしながら、右側の水平線と灯台の垂直が確保できるベストポジションを探した。だが、そもそものところ、水平線と、灯台の立っている岬は、<ねじれ>の関係になっている。水平線の水平を確保すれば、灯台が傾くし、灯台の垂直を確保しようとすれば、水平線が傾く。

とはいえ、このジレンマは、おなじみのものだった。もっとやさしい条件、たとえば、灯台だけを撮るときにも、水平線だけを撮るときにも、このジレンマは出現してくるのだ。つまり、ほとんどの場合、自分の立ち位置と、地上の事物が、正対していることはない。<ねじれ>の関係だ。ならば、そういう時にはどうするか、カメラを少し傾けて、画面内での灯台の垂直とか水平線の水平を確保するのだ。

ただし、こうして撮った写真は、画面内のほかの事物に<不自然さ>を強いる。ので、最終的には、画像編集ソフトを使って、画面内にあるすべて事物の、水平、垂直を補正せざるを得なくなる。ようするに、その時自分の見たものが<本物>だとすれば、シャッターを押した瞬間から、ウソがはじまり、さらには、補正作業で、ウソの上塗りをしていることになる。

しかしながら、こうも考えられる。そもそものところ、果たして、自分がその時見たものが<本物>だったのか?そう思っているだけなのではないか?<知覚>そのものを懐疑すると、真偽の境は曖昧になる。実際には存在しえない、写真の中の<風景>を何度も見ていると、それが<本物>に思えてくる。そのうちには、カメラやソフトでウソにウソを重ねた風景が<本物>になってしまう。実視から幻視を錬金する行為とは、ある意味では<イカサマ>だろう。だが、<空中に花挿す行為>だとロマチックに語ることもできるのだ。

大王埼灯台が見える、断崖の柵際で、行ったり来たりしながら写真を撮っていた。そのうちには、どこがベストポジションなのか、よくわからなくなった。だが、<ローラー作戦>よろしく、ほぼ一メートル間隔で撮っているのだから、なんとかなるだろう。それよりも、柵際に群れ咲いている<ムラサキダイコン>に、やや感傷的になっていた。お花たちをこの風景の中に取り込むことができないだろうか。何枚も何枚も、同じような構図で撮った。岬も灯台も断崖も、海も空も太陽も、そして風も光も、全ての物が、紫色の小さなお花たちの脇役にまわった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#13 七日目(2) 2021年3月26(金)

麦埼灯台撮影

七日目の二か所目の撮影地は、大王埼灯台から南西方向へ20キロほど下った麦埼灯台だ。地理的には、伊勢志摩地方の最南端である。

<10:30 移動 11時 麦埼灯台着>。ナビに、麦埼灯台を指示してから、そのあと、どこをどう走ったのか、ほとんど思い出せない。しっかりとしたイメージが出てくるのは、民家の立ち並ぶ細い道を、うねうねと走った先にあった、日当たりのいい漁港だ。その(片田)漁港は、幾本もの防波堤に守られていて、浜沿いに、係船岸壁がずっと続いている。広々しているわりには、漁船の数が少ない。人の姿も見えない。静かな場所だった。

麦埼灯台は、観光灯台ではないので、付近に駐車場はない。道が狭くて、路駐もできない。これは、事前の下調べでわかっていた。とはいえ、車はどこかに止めなければならない。グーグルマップで調べていると、灯台のかなり手前に漁港があり、その係船岸壁の一番端に駐車できそうだ。というか、ここしかないのだ。だが、私有地だろう、無断駐車が可能なのか?とやや不安であった。

漁港の入り口には、関係者立ち入り禁止の看板もなく、ロープも張ってない。自由に出入りできそうだ。これ幸いと、ゆるゆると岸壁に入り込み、行き止まりまで行った。目の前には海に突き出た防波堤があり、背後の防潮堤には、都合のいいことに、うえの道に上がる階段がついていた。大きなワゴン車も一、二台止まっていて、あきらかに釣り人の車だ。ここなら、駐車しても、とがめられることはないだろう。

少しやる気になっていた。身体が、いわゆる、撮影モードに入っている。防潮提の階段を登り、道に上がった。灯台など、どこにも見えない。だが、カンを働かせて、灯台があるであろう方向へと、防潮堤沿いの道を歩き出した。しかし、じきに道は行き止まり。さてと、見回すと、左手の方に、ゴミの集積所があり、民家が見える。近づいてみると、<麦埼灯台>の案内板があった。

案内板の矢印に従って、進んだ。すぐに分かれ道になるが、そこにも案内板があり、矢印に従って、右に曲がった。民家が点在する林の中の細い道だ。少し坂になっている。あれ~と思って、進んでいくと、なんとなく、行き止まりになってしまった。

間違ったかな。今来た道を戻った。と、庭の手入れをしている女性がいたので、道をたずねた。教えてくれたのは、さらに林の中に入っていく、道なき道だ。半信半疑で、教えられた方向へ進む。軽自動車一台がやっと通れるほどの坂道だ。両脇には背の高い竹が鬱蒼としていたが、木洩れ日がいい感じだ。そんなことよりも、この先に本当に灯台があるのかと少し疑った。だが、方向的には間違いないとも思った。

さして長い坂でもなかった。登りきったところは、当然ながら、少し高い位置だ。正面少し下、竹林に挟まれた視界の真ん中に、白い灯台がちらっと見えた。その向こうには、水平線があった。やっと見つけた、というほどの感動ではない。だが、文字通り、目の前がパッと開けた感じがして、気持ちが明るくなった。

どれどれどれ、灯台に近づいていった。お決まりのように、灯台の近くには、小さな公衆トイレがあり、剥げかけた案内板があった。(文飾的にはこの方がいいが、これは間違いだ。最近設置した感じの立派な案内板だった。)

とにかく、まずもって、裏?からは、まったく写真にならなかった。中型灯台だが、地上部に四角い建物が付属していて、灯台の底部を隠している。ほかにも、電信柱が横にあり、その電線が、灯台の胴体にかかっている。見た目、なんとなく、雑然としている。

裏がだめなら正面だ。岬の突端部、海側に回ってみた。海側には、小さな東屋があり、休憩できそうだ。もっとも、休憩している場合でもない。向き直って、灯台に正対した。だが、これまた、お決まりのように、引きがなく、灯台の全景は撮れない。さてと、見回すと、海女の姿をかたどった白い看板のようなものが目についた。なるほど、記念撮影用だ。で、海女さんをパチリと一枚撮ったのか?いま撮影ラッシュを見直すと、このちょっとあと、海を背景に、シナを作った、ややセクシーな海女さんの看板を一枚だけ撮っていた。よほど気分がよかったのだろう。

東屋を囲っている柵の下には、断崖沿いに、コンクリの小道があり、防潮堤に付帯している階段まで続いていた。ということは、下の海岸に下りられるということだ。階段に近づき、下を覗き見た。岩場になっている。下りないわけにはいかないだろう。とはいえ、写真的には、ほぼ無理だった。画面の下半分はコンクリの反り返った防潮提で、その上に、灯台がちょこんと見えるだけだ。これでは、完全に、防潮堤が主役だ。別に、防潮堤を撮りたいわけではないのだ。もっともこの場所は、観光で来た家族が、磯遊びするには最高の場所だろう。見渡す限り、穏やか海だった。

念のために、岩場づたいに、左手に回り込んでみた。灯台は死角になり、ほとんど何も見えない。ついでに、右手というか東側にも回り込んだ。岩場はさらに狭くなり、首が痛くなるほど見上げても、灯台は見えなかった。そのあと、また東屋まで戻って、気晴らしに、海女さんの看板を撮ったのだろう。そして、最後の望みとも言うべき、というのは、これまでに麦埼灯台の、まともな写真は一枚も撮れていないわけで、灯台の西側にある広場へ行った。

断崖沿いの、雑草の繁茂した細長い広場だった。柵沿いに、崩れかけたベンチが、いくつかあった。もろに陽が来ていて、眩しい。この広場は、灯台の斜め右後ろに位置しているものの、灯台が、わりとかっこよく見える。アングルとしては、こうだ。中央やや左寄りに灯台、右側には海があり、水平線が見える。ま、お決まりの構図だな。断崖沿いの柵とベンチを入れて、雑草で緑に染まっている手前の広場から垂直にパンする。明かり的には、やや斜光気味で、申し分ない。

だが、ここでも、例の<ジレンマ>に悩まされた。お馴染みの、灯台の垂直と、水平線の水平の両立だ。ま、今回は、岬と水平線との<ねじれ>関係がきついので、両立どころか、水平線を画面に取り込むことさえ、かなり難しい。つまりは、灯台が、画面の左寄りではなく、中央寄りになり、広場左側のなんということもない木立が、やけに目立ってしまう。

こうなれば、ベストポジションもヘチマもない。<ローラー作戦>開始だ。ほぼ一メートル間隔で、広場の周囲を撮り歩きした。あとは、例の<ジレンマ>から逃れるために、灯台だけをアップで撮ったりもした。しかし、これは、その場でモニターした時、一目で、モノにならないと思った。

時間にして、どうだろう、三、四十分集中して撮影していたのだろうか、<ローラー作戦>を終了して一息入れた。日差しがきついが、柵沿いのベンチに座って、今一度撮影画像のラッシュを見た。すべてが、箸にも棒にもかからない、と言う程ではなかった。少し安心した。

さてと、立ち上がった。目の前の海が広々している。キラキラしていてきれいだ。目を細めると、はるか彼方に、小さな島が二つあり、その右側に、灯台らしきものが見えた。先程、漁港の防潮堤沿いの道から見えた、海の中に浮かんでいた灯台だ。デジカメの望遠を利かせて、確かめた。岩礁に立つ深緑色のロケットのような形をした灯台だった。

カタチが、ごつくて、いかにも時代を感じる。なんであんなところ一基だけ立っているのか?と思いながら、デジカメで何枚も撮った。そのうちには、ロケット灯台の横を、小さな漁船が真一文字に疾走していく。三角の高波を次々と乗り越え、波しぶきをあげている。勇ましいというか、爽快だね。でも、あんなことは、俺にはできないな、と思った。

引きあげだ。その際、色とりどりのお花をつけて、広場一面に咲き乱れている雑草たちに、多少心が動いた。観光客が大勢来る広場だったら、雑草も生えないだろう。だが、ここには、ほとんど誰も来ない。雑草の繁茂がそれを証明している。そういえば、こんなにいい天気なのに、人の姿が全くない。虫や草や木、青空や太陽の息づかいが聞こえる。いや、これは比喩だ。それほど、静かだった。

東屋の下のコンクリの小道を歩いて、戻った。ダメもとで、というか記念写真のつもりで、見上げるような感じで、灯台を撮った。むろん、手前に、東屋や柵が入ってしまう。そればかりか、このとき、改めて気づいたのだが、幟をたてるような、かなり長い竿が立っていた。竿は先のほうで直角に曲げられていて、その曲げられた棒の先端は紐で、柵に固定されている。どのような用途で使用されているものか、その時も、今も正確にはわからない。ただ、写真的には、非常に邪魔だ。灯台の左横での存在感が強すぎる。人間の気配、漁民の雄々しい生活を直感したのかもしれない。

少し坂になった小道を登り、灯台を追い越した。公衆トイレの手前あたりだっただろうか、立ち止まって振り返った。もろ、逆光だ。視界が暗くなり、灯台はよく見えなかった。名残惜しい、とは思わなかった。その場を立ち去るときに、忘れ物はないかと振り返る、いつもの癖に近かった。忘れ物はない。向き直って、竹林の中の坂を下りた。木漏れ日というよりは、背後から陽が差し込んでいて、妙に明るかった。

竹林の坂を下りきって、少し視界が開けた。道をたずねた女性の姿を眼で探したが、ひとっ子一人いない。突き当りを左に曲がり、からっぽのゴミの集積所をチラッと見て、防潮堤沿いの道に出た。途中で止まって、海の中の緑色のロケット灯台を、またデジカメで撮った。構図的にも距離的にも、無理だとわかっていたが、写真にしたかった。未練だな。

さらに行くと、防波堤の先端に赤い灯台が見えた。ちょうど、車を駐車したあたりだ。出発するときは、前へ前へと、気持ちも体も急いていたのだろう、赤い防波堤灯台のことは、ほとんど目に入らなかった。だが、今は、気分的にはフラットになっていたし、そのうえ、いやおうなく目の前に見えるのだ。反射的に、カメラを向けた。

そのあとは、防潮堤の上を、撮り歩きしながら、自分の車へと向かっていった。防潮堤の下は浅瀬の岩場で、海の色がコバルトブルーだ。驚くほど透明で、瑞々しい。撮れないとわかっていても、カメラを向けないではいられなかった。

防潮堤の階段を下りた。そばに、白いワゴン車が何台か止まっていた。明らかに仕事車で、作業着を着た男たちが三、四人、防波堤の上に居る。何か話しながら、赤い灯台の方へ向かっていく。灯台の見回りだなと思った。

車に乗った。ナビに<安乗埼灯台>を指示して、出発した。広い岸壁をゆるゆる走って、漁港を後にした。いや、気まぐれだ。ユーターンして、少し戻った。中途半端な所に車を止め、カメラをもって外に出た。逆光の中、防波堤の赤い灯台が、何か言っている。いや、そんなことはない。だれかに促されて、そのハードな光景を撮っただけだ。撮っておかないと、あとで後悔するような気がしたのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#14 七日目(3) 2021年3月26(金)

安乗埼灯台撮影2

大王埼灯台撮影3

紀伊半島灯台巡りの旅、七日目の午後は、安乗埼灯台の二度目の撮影と、大王埼灯台の三度目の撮影だった。

<12:30 移動 13:30 安乗埼灯台>到着。この日の安乗埼灯台の撮影画像を見直してみた。というのは、まったくなにも思い出せないからだ。もっとも、画像を見ても、その時の実感やら、その場の空気感やらは蘇ってこなかった。したがって、書き記すことは、何もない。いや、ひとつだけ、浮かび上がってきたことがある。足取りと、この唯一のイメージだけを書き記して次に進もう。

昨日下見したので、撮影ポイントは、ほぼ押さえていた。ひとつ目は、レストランの裏手だ。天気は、昨日とはうってかわって、さわやかな快晴だった。今日は、ためらうことなく、柵を乗り越え、崖に斜めに立った。この場所だけが、樹木が伐採されているのだ。おそらくは、柵際から、灯台がよく見えるようにする配慮なのだろう。

そのおかげで、アングル的には、左側に大きく海を取り込んで、岬に立つ四角柱の灯台をしっかりと撮ることができた。自分的には、ここが、安乗埼灯台のベストポイントだと思う。ちなみに、撮影画像からは、柵際の、伐採を免れた二本の松の木を、どんな感じで、画面に取り込むか、苦労した様子が記録されていた。

次に向かったのは、灯台の正面だ。受付小屋の前にある八重桜が満開で、鮮やかだった。受付小屋は、灯台の敷地外、門柱の左脇にあった。入場料を払うと、仕切り板の向こうに居る人から、<ありがとうございました>と丁寧な言葉が返ってきた。

老年の男性の、穏やか声だった。この声の感じが、この日の安乗埼灯台での、記憶にしっかりと刻まれている唯一の(音声的)イメージだ。たかが、三百円の入場料を払って、これほど感謝の念がこもっている<ありがとうございました>を聞いたのは、初めてだ。受付の老年男性は、おそらくは、パートだろう。なおのこと、人間として立派だと思った。

入場料を払って、狭い門柱の間を通り抜け、敷地に入った。廊下のような通路の先に、灯台が聳え立っていた。これは、写真的には難しい。灯台の垂直を、この直線的な通路が邪魔している。灯台と通路とが一直線にならないように、通路を右に左にと寄りながら、撮り歩きして、灯台前の階段に到達した。灯台の全景は、これ以上進むと撮れない。ということは、ま、ここからは観光だ。気楽な気分で、その五、六段のコンクリ階段を登り、扉のぽっかり開いている灯台の中に入った。

いやその前に、いつもの癖で、灯台の周りをぐるりと回ったような気がする。裏側、というか北側には、灯台に付帯している機械室のような建物があり、その白壁に、安乗埼灯台の絵が描かれていた。むろん、落書きなどではない。灯台の特徴を見事にとらえている。絵心のある画家の作品だと思った。

あとは、デジカメの望遠を使って、はるか彼方の岬に立っている灯台を撮った。あんなところにも灯台があるのか、と意味もなく感心した。その時も、今になっても、その灯台の名前はわからない。…追 どうやら、<鎧埼灯台>だったらしい。

灯台の中に入った。内側の壁には、色の褪めたポスターやら写真やらが、べたべた貼ってあったような気もする。いちいち写真に撮らなかったので、あるいは、ほかの灯台だったかもしれない。螺旋階段は、中型灯台だから、それほど長くなく、さして息切れすることもなかった。小判型の扉をくぐって、展望デッキ?に出ると、まさに絶景で、ほぼ360度、海が見回せた。ここでも、なんか気になる、北側の、海の中に突き出た防波堤の灯台にカメラを向けた。あとは、眼下の、これから行くつもりの西側の東屋などを眺めた。意外に高いので、少し怖いような気がした。高い所は苦手なのだ。

螺旋階段を下りて、灯台の中から出た。コンクリ階段を下り、通路を後退しながら、撮り歩きして、敷地の外に出た。受付の前を通り過ぎる時、ちらっと中を見ると、シルエットになった人間の上半身が見えたような気がした。と同時に、<ありがとうございました>と、穏やかな老年男性の声が聞こえた。通り一遍の<ありがとうございました>ではなない。またしても、感謝の念というか、心がこもっていた。

灯台の正面を去るときに、今一度振り返って、左側の満開の八重桜と、手前の小さな花壇、それに、狭い門柱の間から見える灯台を撮った。ごちゃごちゃしていて、灯台写真にはならないが、記念写真としてはいいと思った。

あとは、断崖際の柵沿いの小道を、振り返りながら、撮り歩きして、東屋へ行った。左側から岬がつき出しているので、先ほどの、レストラン裏手からのアングルとは、なんと言うか、正反対になる。それに、そう、ちょうど、大王埼灯台の<八幡さま公園>からのアングルに酷似している。手前の断崖の分厚いコンクリ補強なども同じような感じだ。ただ、安乗埼灯台は四角柱、大王埼灯台は円柱、という違いはある。ま、とにかく、<デジャブ=既視感>に似た感覚を一瞬、味わったような気がする。

やはり、レストラン裏手からのアングルがベストだな、と思ったのだろうか、東屋からの撮影は、さほど粘りもせず、あっさり終わりにした。芝生広場を横切りながら、樹木の上に半分くらい見える灯台を何枚か撮って、車に戻った。一息入れて、ナビに<大王埼灯台>を指示し、安乗埼灯台をあとにした。午前と午後では、明かりの状態が違う、明日は、午前中に来よう、と思った。

<15:00 移動><15:30 大王埼灯台>。どこをどう走ったのか、ほとんど思いだせない。ま、とにかく、大王埼灯台に一番近い駐車場に、再入場した。料金受領書の紙切れをダッシュボードにおいて、フル装備で出発した。フル装備というのは、カメラ二台、三脚一台、予備の電池すべて、防寒着、ペットボトルの水、お菓子類、と言ったところだ。

撮影ポイントは、ほぼ決まっていた。すなわち、まず西側の<八幡さま公園>に登り、午後の明かりで灯台を撮る。次に、灯台の前を通り過ぎ、撮り歩きしながら階段を降りて、防潮堤の終わりまで行く。神社の鳥居があるところだ。さらに、砂利浜の海岸に下りて、西日を受けた岬の灯台を狙う。日没前に、この日の日没は午後五時半頃だったと思うが、<八幡さま公園>に戻って、夕陽の撮影、日没後には明かりの灯った灯台を撮る。朝っぱらから動き回っている割には、かなり元気で、やる気十分だった。

すでに二回、回っているルートだが、快晴の日の午後の明かりは柔らかくて、景色が優しく感じられた。とくに、<八幡さま公園>からの、灯台を主題にした風景には、郷愁、とでも言っておこうか、ある種のせつなさを感じた。だが、東側の階段、防潮堤、さらには、砂利浜からの風景は、逆光のため、画面が黒っぽくなり、あまりよろしくない。それでも、この日は、目の前に広がる海や、打ち寄せる波にも、しばしばカメラを向けた。マリンブルーやコバルトブルーが入り混じった海には、西日が差し込んでいたし、波打ち際の砂利たちが立てる音が、心に響いてきて、心地よかった。

<八幡さま公園>に戻って来たのは、午後の四時半過ぎだった。日没が、五時半過ぎだったので、一時間前からスタンバイだ。この時、太陽は、すでに西に大きく傾いていた。風景全体が、オレンジ色っぽくなっていて、灯台も、やや茜色に染まっていた。崖際の柵沿いで、ひと通り撮って、反対側の崖際の柵へ行った。はるか彼方、画面右から岬がせり出している。そのシルエットの少し上に、目視できないほど眩しい光の塊があった。要するに、太陽は、水平線にではなく、この岬の横腹の中に落ちていくのだ。

そのあとの、日没までの時間は、かなりせわしないものだった。灯台側と落日側との柵の間を行ったり来たりしながら、太陽の落下にともない、刻一刻と変化していく眼前の光景を、逐一撮影した。だが、太陽が赤い球となって、岬のすぐ上辺りに見え始めてからは、落日側の柵際に張り付いて、火の玉がゆっくりと、それこそ、じれったいほどゆっくりと落ちていくのを、数十秒おきに撮った。

そんなものを撮っても、しょうがないだろう、などとは思わなかった。なにか、厳粛な雰囲気の中で、撮らずにはいられなかった。<感動>を安売りしたくないが、毎度のことながら<落日>には、無条件に感動する。これは、<類>としての古い<DNA>なのだ、とでも言っておこう。

さてと、火の玉が岬の下に落下した後は、灯台側の柵の前に移動した。夕空がほのかに青い。その青が、少しずつ、深い紺色に変わっていく。そして、点灯。意外なことに、大王埼灯台の目は真っ赤だった。世界が、紺碧の天空に支配されていく中で、色彩的にはきれいだな。ちなみに、大王埼灯台のレンズは、<閃白赤互光 毎30秒に白1閃光 赤1閃光>ということで、今になって思えば、たしかに三十秒に一回くらい、赤い目がこっちを向いて、ぴかっと光っていた。

ただし、白い光は、まったく見えず、横一文字の光線も、確認できなかった。もっとも、これまでの経験からして、灯台の発する光線を撮るのは至難の業で、撮れたためしがない。すっかり諦念していて、漆黒の闇を照らす横一文字の光線に挑戦しよう、などとは思わなかった。点灯している、しかも、しっかりと目がこちらに向いている夜の灯台が撮れればいいのだ。

長い一日が、終わろうとしていた。あたり一面、暗闇になり、下からのライトで、多少明るくなった灯台の輪郭が見えるだけだ。数十秒おきに巡ってくる、灯台の赤い目にも慣れっこになり、これ以上粘っても、この光景が夜明けまで続くわけで、意味がないだろうと思った。引き上げだな。大きくため息をついた、かどうかはさだかではない。ただ、撮影モードが解けて、脳が少し弛緩したのだろう、中天に満月が見えた。

おお~、灯台と満月の取り合わせもいいね。とはいえ、両者は離れすぎていた。広角で、一つ画面に入れると、灯台も満月も極端に小さくなり、灯台などは、完全に傾いている。これでは写真にならない。理想を言えば、灯台の横とか、少し上に満月があれば、構図的にはベストだ。だが、明かりの問題もある。<夜空=闇>と<満月=光>とには露出差がありすぎる。月を撮るのもまた至難の業なのだ。

撮るのを、あっさり諦めた。ただ記念にと、いったい何の記念なのだろう、満月だけにカメラを向けた。月の微妙な色合いなどは、端から期待していない。とはいえ、モニターすると、完全に白飛びしていて、ただの白色の円になっている。やっぱり、こうなるよな。何度か経験しているので、さほど残念でもなかった。

さてと、引き上げだ。向き直って<八幡さま公園>から降りようとした時だ。陸地側に、点々と明かりが見えた。それが意外に多い。やさしい光景だった。と同時に<モロイ>の一節を思い出した。≪夕方になると・バリーの明かりの方を向いて、それが次第に輝きを増していき、それからほぼ全部が・一度に消えてしまうのを眺めたものだ。怯え切った人間どもの、まばたく小さなけち臭い明り。そして思うのだった。もしもこんな不運に遇わなかったら、今頃はあそこにいたかも知れないのに、などと!≫。備考 著者・サミュエルベケット 訳者・安藤元雄 筑摩世界文学大系82モロイ 筑摩書房1982

もちろん、思い出したのは、この文章そのものではなく、文章によって喚起された、読者としての自分の情感的なイメージだ。それは、いってみれば、追放された者のわずかばかりの郷愁だ。たまには、俺にもカッコをつけさせてもらおう。

こうして、長い一日が終わった。2021年3月26日の金曜日の夜だった。この時、紀伊半島の、とある岬の、とある展望公園に自分が居たなんて、誰が信じるだろうか。これが<奇跡>というものなのだろう。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#15 八日目(1) 2021年3月27(土)

安乗灯台撮影3

安乗漁港散策

<2021.3/27(土)晴れ、午後から雲が多い 照ったり陰ったり 6:30起床 8:00出発 8:30 安乗埼灯台>。

近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで、二回目の朝を迎えたが、詳細なメモ書きを放棄しているので、昨晩から、この時まで、いったい何をしていたのか、何があったのか、ほとんど思い出せない。ということはつまり、書き記しておくようなことは、何もなかったということだ。だが、今にして思えば、朝、何を食べたかくらいはメモしておくべきだった。その日のはじまりを思い出す、ヒントくらいにはなったかもしれない。

さてと、撮影画像を見直すと、この日の一枚目の写真は、浜辺からすぐの海中にあった、波消しブロックの隊列だ。弓なりのきれい浜だったので、不自然な感じがして、気になったようだ。そうそう、駐車したのは、海沿いの道で、初日にも駐車した、道路沿いの駐車スペースだ。海がきらきら光っていた。それから、これから登りあがる、左手の岬を眺めた。岬の斜面には、おもちゃのような民家が点在していた。

細い坂道を、うねうね登って行った。行き止まりは松林の中で、細長い駐車場に着いた。これで三回目だ。たしか、カメラを二台、それぞれ首掛け、肩掛けして、レストランの裏手に回った。柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、午前の明かりの安乗埼灯台を撮った。灯台に日が当たってなくて、イマイチな感じだ。と、遠慮がちな、心配するような感じの声が聞こえた。<おちないように気をつけなよ>。

カメラから目を放して、声の方を向くと、乳母車を引いた、小柄な、腰の曲がった老婆だった。柵を乗り越えていることを、やんわり諌められた、と思ったので、すぐに柵から出た。そのあと、柵沿いの小道を歩きながら、老婆と少し世間話をした。毎朝の散歩だという。海難碑の前に来ると、老婆は立ち止り、その前を素通りしていく観光客たちを、やや激しい調子で揶揄した。いつも思っていたことなのだろう。

海難碑について尋ねると、謂れなどを、いろいろ教えてくれた。かなりの物知りで、耳もさほど遠くない。ただ、碑を無視する観光客たちへの怒りはおさまらず、これ以上話し相手になっていても時間の無駄だ。灯台の前を通り過ぎ、東屋へ向かうところで、老婆に別れ告げた。

東屋には寄らないで、というのは、老婆がしつこく話しかけてきそうだったからだが、さらに奥の松林の中へ入った。木漏れ日の中、崩れかけた建物があり、門の前に、これは何だろう?<灯台の目>が、鉄枠にがっちりと保護され、ランタンのような形になって、台座の上に立っていた。

建物は、<旧灯台資料館>らしい。新しい資料館は芝生広場側にあり、その裏手に、ひっそり残されたままになっている。<灯台の目>は、案内板によれば<・・・300ミリ灯ろうと300ミリレンズを組み合わせたもので、防波堤灯台や鎧埼、石鏡(いじか)灯台等、岬にある小型灯台に使われているもの・・・>。とある。

あの時は、案内板を写真に撮っただけで、よく読まなかったわけで、てっきり、安乗埼灯台の、交換されたレンズだと思った。ま、それにしても、少し錆がきている、このオブジェの風格に恐れ入って、何枚も写真を撮った。ほぼ打ち捨てられた物なのに、存在感が半端ない。

そのあとは、今来た道を戻る形で、撮り歩きしながら、レストランの裏手に戻った。その際、芝生広場をチラッと見回した。例の老場の姿はどこにも見えなかった。そして再度、性懲りもなく、柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、安乗埼灯台のベストショットを狙った。陽が高くなり、明かりが少し回ってきていた。先ほどに比べて、灯台の左側が明るい。四角柱に陰影がついている。海と空、岬と灯台、それと、右端に伐採を免れたひょろっとした松を一本だけ入れて、慎重にシャッターを押した。

これで、安乗埼灯台の撮影は終わった、と思った。引き上げ際に、レストランに付帯しているトイレに寄った。おしゃれできれいなトイレだった。だが、自分には、ちょっと場違いな感じがした。それは、レストランも同様で、せっかくなのだから、記念に<芋スイーツ>を食べてもよかったのだが、若い家族づれや女性が好みそうな、こじゃれた雰囲気の中で物を食するのは、今の自分には似つかわしくないと思った。

車に戻った。ナビの地図画面に、行き先の<安乗漁港>を指先でポイントした。<安乗漁港>には、赤と白の防波堤灯台があり、下調べの段階でも寄ることにしていた。もっとも、昨日も行こうとしたが、なぜか、ナビが道を間違え、行きつけなかった。今日は時間もあるし、必ず行き着くつもりでいた。

岬の狭い坂をゆるゆる下り始めた。天気がいいのと、この日が土曜だったので(これは今気づいたことだが)、登ってくる観光客の車が意外に多い。そもそもが、すれ違いの難しい狭い坂道だ。何回か、止まったり、端に寄せたりして、対向車をかわしていると、眼の先に、例の乳母車の老婆が見えた。狭い坂道の端で、ややあぶなげだ。

助手席の窓を開け、サングラスを取って、老婆に<元気でな>と声をかけた。老婆は、一瞬、驚いたような顔でこちらを見たが、すぐに声の主が、先ほど広場で立ち話をした男だと気づいて、窓の方へ寄ってきた。そして<あんたもな>と応じた。愛想のない、少しケンのある声だった。年寄り扱いされたことに、少しイラっとしたのかもしれない。あの婆さんなら、ありそうなことだ。

旅中に、自分としては珍しく、人間に話しかけたわけで、おそらくは、かなり気分がよかったのだろう。いい天気だったからな。それに、いくぶんかは、狭い坂道を、車の往来を気にしながら、乳母車に縋って歩く老婆への、いたわりの気持ちがあったのかもしれない。いや、まてよ、優越感だったのかもしれない。

そのあとは、運転に集中した。ナビの細かい指示に忠実に従い、脇道に入り込み、狭い坂を下って、漁港らしきところに出た。だが、赤い防波堤灯台はどこにも見えない。複雑な地形で、入り江がいくつも重なっている。係船岸壁に沿って細い道が曲がりくねっていて、道路際には民宿や民家が軒を連ねている。長閑かな漁港の光景と言えないこともない。だが、人の姿が全くない。このままで行きつけるのか、多少不安になった。そして、無情にも、なぜか、ナビの案内が終了してしまった。

とはいえ、ここは行くしかないでしょう。速度を落とし、身を乗り出すように前方を見ながら走った。行き止まり、ということもありうるな。最悪の場合は、狭い道をバックで戻ってくるしかない。思っただけで緊張した。だが、幸いにも、彼方先に、赤い防波堤灯台がちらっと見えた。道もまだ続いている。そして、道の切れたところが終点で、比較的広い係船岸壁になっていた。車が何台も止まっていて、なるほど、釣り場になっている。やっと着いたわけだ。

適当なところに車を止めて、外に出た。両腕を天に突き上げて、少し伸びをしたのかもしれない。そしてすぐに、散歩がてら、カメラ一台を肩掛けして、撮り歩きを始めた。少し離れた、向かって左手の防波堤の先には赤い灯台、右手のすぐそばには白い灯台があった。セオリー通りで、これは外海から入り江に入ってくる船舶から見れば、右舷が赤、左舷が白、ということになる。いずれにしても、昼は紅と白との色で、夜は赤と緑との点滅光源で、必ず、お出迎えしてくれるペアの防波堤灯台だ。

しかしながら、両者ともに、形がいまひとつだった。むろん、布置の関係もある。絶対にものにするという覚悟があれば、異なったベターな、ないしはベストな位置取りを探しただろう。だが、この時は、その気になれなかった。いや、防波堤灯台の造形に関しては、最近は、やや淡白になっている。写真的な主題が、いわば<防波堤灯台のある風景>に横滑りしているのだ。とはいえ、やはり主役の灯台の姿形は気になるものだ。

ちなみに、赤い灯台は<安乗港沖防波堤東灯台>という名前で、海中に設置された<消波提>の先端にある。形は、ここから見る限り、吉田拓郎の<赤燈台>という曲で歌われている<胴長ふとっちょ>型だ。一方、白い灯台は<安乗港弁天防波堤灯台>という名前で、係船岸壁の先端にある。鉄骨やぐら型で、言ってみれば<火の見櫓>のような形をしていて、灯台らしくない。それと、なぜか、係船岸壁の灯台の根本には、必ず釣り人がいる。この時もそうだった。

風もなく、穏やかで、いい天気だった。しかし、カメラを持って歩いている以上、どんな灯台にしろ、どんな風景にしろ、撮らないわけにはいかないだろう。なにしろ、そのためにわざわざ、自宅から500キロ以上離れたところに来ているのだ。

さてと、赤と白の灯台を、ひとつ画面に入れると、あまりに普通すぎて、写真にならない。かといって、個別に撮ってみても、背景が、やはり何気なさすぎる。海があり、彼方に黒々した岬が見えるだけだ。そのうえ、灯台の造形そのものに、さほどの魅力を感じていないのだから、手の打ちようがない。とはいえ、いつもの習慣で、可能な限りは、灯台に近づいた。しかし、この時は、距離的に近づけば近づくほど、灯台は、というか、灯台の垂直感からは遠ざかってしまった。まったく写真にならん!

あっさり、写真はあきらめた。あとは、ぶらっと散歩だな。岸壁を歩きだした。すると、変な物たちが目に入ってきた。打ち捨てられた錆びた錨とか、ぶっとい友綱とか、漁船の舳先にあるレーダーのような機械とか、さらには、対岸のがらんとした倉庫や水揚げ場などだ。面白半分、興の向くまま、また写真を撮った。撮ったところで、意味のないことは百も承知していた。<不在>を撮ることは、俺の腕では無理なのだ。だが、なにしろ、いい天気だった。気分がよかったのだろう。記念写真だよ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#16 八日目(2) 2021年3月27(土)

大王埼灯台撮影4

波切漁港散策

ナビに、大王埼灯台を指示して、安乗漁港をあとにしたのは<11:00>頃だった。岬を上り下りして、海岸に出た。防潮堤際の、ちょっとしたスペースに車を止め、目の前に広がる弓なりの浜辺を見回した。逆光でまぶしかった。手前の砂浜の、すぐ先の海中には、一文字の消波堤が、幾本も横並びしている。景観的には、あまりよろしくない。この時は、なぜこんなところに波消しテトラが並んでいるのか、よくわからなった。今思えば、自分が立っていた防波堤もかなり高かった。高波が押し寄せ、防潮堤を乗り越え、道路際の民家に被害が及ぶかもしれない。いわば、危険個所だ。生命財産を守るため、景観の問題は度外視して、海中に消波堤を設置したのだろう。

さらに、視線を、弓なり海岸の、はるか彼方に向けると、海の中に、黒い点々がたくさん見えた。半端な数じゃない。あきらかにサーファーたちだ。ヒマな奴が大勢いるなあ~、と思いながら記念写真を一枚だけ撮った。調べてみると、やはりサーフィンの名所で<国府(こう)の白浜>とあった。

<大王埼灯台 11時半着>。灯台に一番近い有料駐車場には、けっこう車が止まっていた、ような気がする。気丈夫な漁師のおかみさんといった感じのおばさんが、次々に入ってくる車から、料金を徴収していた。

スカッとした青空ではなく、なんとなく、ぼんやりした空だった。弱い日差しだったが、撮影には問題ない。この日も、重いカメラバックを背負ったのだろうか、この男のことだから、おそらくは、背負ったに違いない。灯台へと至る、細い遊歩道を登り、まずは<八幡さま公園>だ。岬の灯台は、明かりの状態がイマイチだったので、断崖の柵際でひと通り撮って、粘らずにすぐ移動した。灯台の正面を通り過ぎ、防潮堤沿いの階段を一段一段、ゆっくり下りた。別に疲れていたわけじゃない、眼下の海が、あまりにもきれいだったからだ。

よく見ると、浅瀬に岩礁があって、海の色がコバルトブルーだ。岩礁は、かなり広範囲で、ところどころに岩の頭が露出している。そこに沖からの波が押し寄せ、砕けて、白いしぶきが上がっている。天然の防波堤といった感じで、漁船なども、この浜へは近づけまい。人間の出入りがない分、海の色が、なお一層きれいなのかもしれない。

階段を下りきって、崩れかけた旅館の前を通り過ぎ時、ガラスの引き戸のむこうに、黒っぽい人間の上半身が見えた。ちらっと見ると、髪を後ろに結んだ三十代くらいの女性だった。一見してサーファーだとわかった。じろじろ見ることはしないで、すぐに視線を戻した。いまだに、臆病というかシャイですな。少し笑って、会釈したっていいじゃないか。それができれば、もっといろいろな女性と付き合えたかもしれないぜ。爺の繰り言だ。目の前の浜にサーファーはいない。岩礁だらけで、サーフィンなどはできまい。女性サーファーだと思ったのは、勘違いかも知れない。

防潮堤の行き止まりまで来た。振り返って、岬の灯台を撮った。今おりて来た長い階段も、しっかり画面におさまっていた。ただし、逆光になっていて、写真にはならない。それに午後になると、日陰になってしまうのだ。それでも、神社の鳥居などを脇に入れ、すこし構図を探った。だが、無理だった。

さて、どうしようかと、目の前の長い石段を見上げた。今日は写真撮影の最終日だ。この上の、見晴らし公園から、今一度、海中の防波堤灯台を撮ってみようか。思い切って、石段を登り始めた。途中で、足が重くなり、息が切れた。とはいえ、これしきの階段でと、すこし意地になって一気に登った。やはり、重いカメラバックは背負っていたのだ。

登り切って、一息入れて、神社の方へ歩き出した。今日は明るい雰囲気の、陽気な静けさが漂っていた。突き当りを右に曲がって、木立の中を進むと、椿がたくさん落ちていた。その赤が、むき出しの地面の上で生々しかった。見晴らし公園からの眺めは、予想に反し、イマイチだった。というのは、薄い雲が出てきて、青空が少ししかない。これでは、曇り空の先日とあまり変わらない。海に突き出た長い防波堤も、その先端にある灯台も、青空と光り輝く海があってこそ、写真になるわけで、二、三枚撮って、あっさり引き上げた。ま、それでも、先日の曇天の写真よりは、多少陽射しがある分、ましだろう。おしよせる徒労感を払いのけた。

ながい石段を、ゆっくり下りた。鳥居をくぐって、防潮堤の上から、岬の灯台を眺めた。当然ながら、日陰になっていて、写真を撮る気にはなれない。ただ、海の方に、多少日が当たっているところがあり、コバルトブルーがきれいだ。夕暮れまでにはまだ時間がある。最後にもう一度、浜に下りてみようか。向き直った。

防潮堤の、浜へと下りる階段付近に、若い女性が二人、互いに記念写真などを撮ったりしているのが見えた。人気のない、日陰の海岸で、しなやかな生き物が、声を発しながら動き回っている。俺が若者なら、近づいて行って、声でもかけたいくらいだ。だが、爺ではあるし、自分の性格からいって、旅先で女の子をナンパする度胸などない。

わざと、女の子たちを無視するようにして、浜に下りた。砂利浜を歩きながら、灯台の立っている岬へ向けて、最後の記念写真を撮った。崩れかかったテトラポットも撮った。打ち寄せる波も撮った。そうこうしているうちに、背後が静かになった。女の子たちがいなくなった日陰の海岸は、波と戯れる、無数の砂利たちのざわめきで満たされた。

旅の最後の日、やや感傷的な気分になったのだろう。自分へのお土産として、いわゆる<那智黒石>を拾い始めた。中指の爪くらいの大きさがいい。つるつるしていて、流線型の、形のいいものを探した。最初は<16個>だけ拾うつもりだった。だが、興に乗って、手のひら一杯ほどの石を拾い上げ、ポケットに入れた。そのうちの一つを取り出し、口の中に入れた。<モロイ>の言うように、この<おしゃぶり石>は、飢えと渇きを、不安と孤独を、癒してくれるのだろうか?石は、すこし苦くて、しょっぱくて、埃っぽい味がした。ただ、口の中で転がすと、滑らかで、気分が落ち着くような気がしないでもなかった。

再度、<八幡さま公園>に戻った時には、陽が傾きはじめていた。灯台と岬にもろ西日が当たっていて、全体的にオレンジっぽい変な色合いになっていた。それに、空の色合いも、上空に薄い雲にかかっているのだろうか、さえない水色だ。もっとも、さほど残念でもなかった。この位置取りからの写真は、すでにゴマンと撮っている。なかには、わりとよく撮れているのもあったような気がしていたからだ。

それよりも、断崖の柵際に群れ咲く、ムラサキダイコンが気になった。これまでは、灯台の前景としてしか画面に入れていない。お花たちを主役にしてみよう。背景は、海と空だけだ。おりしも、画面左側から貨物船が現れた。船体が、きれいなミントグリーンだった。布置的には、西日を横から受ける形となり、色かぶりが減少して、花の紫、葉の緑、海の青、空の水色などが、見た目に近い感じで、撮れていた。それに、岩礁に砕ける波なども入っている。全体的にさわやかな感じで、自分の好きな抒情的な光景だ。もっとも、写真的にはたんなる記念写真だ。すでに、本筋の灯台写真の撮影は終わっていて、観光気分で写真撮影を楽しんでいたのだろう。

さらに陽は傾き、灯台とは反対側の、はるか彼方の岬の上に、目視できない、巨大な光の塊が出現した。落日までは三十分くらいだろう。さてと、ここで引き上げだな。今日は夕陽や夜の撮影はしないで、早めに引き上げることにしていた。明日が、帰宅日ということもあるが、夕陽にしろ、夜の灯台にしろ、昨日、十二分に撮っている。たとえ今日粘って撮ったとしても、昨日以上のものが撮れるとも思えなかった。それに、今日は薄い雲がかかっている。きれいな夕焼けにはならないだろうし、だいいち、すでに頭も体も弛緩していて、やる気が起きない。意識しなかったが、長旅で、体力、気力ともに、限界だったのかもしれない。最後に、今一度、太陽が沈む方角を見たような気がする。水平線近くの海がきらきらと銀色に光っていた。

<八幡さま公園>を立ち去る時、何回この公園を上り下りしたのだろうかと思った、ような気もする。遊歩道を下りきった所には、ちょっとしたスペースがあり、顔をあげると、防潮堤沿いに弓なりの浜が広がっていた。落日間近の銀色の海が、さざめいている。若者四人の黒いシルエットが、その狭いスペースを占拠して、海を眺めながら話をしていた。男だけで旅行に来ているのだろう、<青春>がちょっとだけ羨ましかった。

海に背を向け、なだらかな坂をぶらぶら歩いて、有料駐車場に向かった。両側には民宿や土産物屋がならんでいる。まずは機材を車におろし、軽登山靴をサンダルに履き替えた。まだ明るかったので、再び、カメラを一台首にかけ、駐車場の周辺を探索した。土産物屋の店先には、青い金網の上に、アジがひらかれて、きれいに並んでいた。一瞬、土産に買っていこうかと思った。ま、アジの干物は好物だ。だが、即座にその考えを打ち消した。まずもって、明日帰るわけだし、一晩、アジの干物を車の中に置くわけにもいかんだろう。生臭いにおいが、車内に充満したら、目も当てられない。

次に目についたのは、<海女専用>と書かれた表示板だ。そこは係船岸壁の奥まった一角で、コンクリの敲きが、海に向かって斜めに打ってある。サザエをたくさん獲った海女さんたちの船が陸付けされるのだろうか、あるいは、海女さん専用の駐車場ということなのだろうか、判断に迷った。ま、どっちでもいいけど、周辺には、植木鉢なども置かれていて、使用しているとも思えなかった。<海女>>いう文字に対面するのは久しぶりなので、一瞬、昭和の時代へ戻ったような気がした。

向き直って、その場を立ち去ろうとしたとき、コンクリの敲きと道路との隙間に、ピンクの小さなお花をたくさんつけた、一塊の植物が目に入った。二十センチほどの高さで、どこかで見たような気がした。そばにしゃがみこんで、よくよく見たものの、名前は思い出せなかった。だが、けなげな美しさに打たれて、謙虚な気持ちになった。二、三枚、位置取りを変えながら、写真を撮った。いま調べてみると、どうやら<ヒメキンギョソウ>らしい。海女には姫金魚草がよく似合う、なんてね。

車からは、さらに離れて、道の曲がり角まで来た。小さな漁港だが、防波堤が入り組んでいて、その先端にそれぞれ、白い小さな灯台が見えた。二つとも、先ほど、岬の上の見晴らし公園から見たものだ。ただ、位置取りが全く違うので、同じ灯台とは思えなかった。あと、防波堤には、三々五々、釣り人の姿が見えた。岬の上から見た時は、人間の姿など、ほとんど気にならなかった。平場に下りて来たとたん、同類が気になるらしい。

曲がり角に立ち止まって、さらに念入りに辺りを見回した。小さな漁港の風景だ。対岸には、お寺らしきものがあり、自分がさっき歩いた岸壁沿いの道を、人間が幾人か連れ添って境内の中へ入っていく。神社に登る急な石段も見える。背後は、三角おにぎりを二つ並べたような地形になっていて、左手は神社のある岬、右手は大王埼灯台のある岬だ。意外なことに、その三角おにぎりの谷間辺りに大王埼灯台が少し見えた。しかし、残念かな、ここからでは、位置取りが悪すぎる。<灯台の見える風景>とまでは言えない。

今一度、辺りを見回した。岸壁沿いの道を、このままずっと歩いていくと、道路際に空地のようなものがみえる。<灯台の見える風景>は、布置的には、あそこしかないだろう。ただ、サンダル履きで歩いていくには、ちと遠い。すぐに車に戻った。有料駐車場をあとにして、空地に車を乗り入れた。思った通り、いい感じで、岬に立つ大王埼灯台が見えた。カメラのファインダーを覗き、構図を探りながら、灯台が、漁港とそこに暮らす人間の家々を見守っている、と思った。そこはかとない郷愁を感じた。

ただ、ここは自分の場所ではない、とも思った。自分の場所は、ここから車で高速を500キロ走った、関東平野の西側だ。海もなければ灯台もない、マッチ箱のような家がひしめく住宅街のアパートの一室だ。そのことを時々忘れてしまう。忘れてしまって、息苦しくなる。広い所に飛び出したくなる。だが、飛び出したものの、じきに自分の場所が恋しくなって、戻りたくなるのだ。

八泊九日の、紀伊半島の旅が終わろうとしていた。今の関心は、明日、高速道路を500キロ走破して、無事に自室へと戻ることだ。体は紀伊半島東岸にあったが、心はすでに関東平野へと向かっていた。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島

#17 九日目 2021年3月28(日)

帰宅

エピローグ

帰宅日の朝も、近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで目が覚めた。このホテルにも三連泊したことになる。

<6時起床 7時出発 13時30分自宅着>。帰宅日のことで、まず思い浮かぶことは、<伊勢神宮>前の道路を通過したときのことだ。ふと、寄ってみようかな、と思った。そう思っただけで、結局は寄らなかったが、千載一遇の機会なのに、なぜ寄らなかったのか?帰宅することに気が急いていたからだろう。べつに早く帰っても、待っているのは、骨壺の中のニャンコだけだが、ともかく、観光気分にはなれなかった。それと、<伊勢神宮>に限らず、神社仏閣を見学することが、いまいち億劫な気がしている。要するに、つまらないのだ。

旅の最後のメモ書きにも、行間には<つまらない>という心情が流れていた。懐疑的な言葉が書きなぐられているのだ。<・・・従来通りの<旅日誌>を書くことに懐疑的 ・・・変更(して)<灯台のある風景>として、スナップを入れることにする。・・・ホテル到着後のモニター、灯台写真もスナップも枚数だけ多くてロクなものはない。・・・あるいは<大王埼灯台物語><安乗埼灯台物語>として、日誌風のエッセー(にしようか、しかし)物語は大げさだろう>。<旅日誌>を書くことを、この時点で、ほぼ断念していたようだ。で、結局、この<灯台紀行 旅日誌 紀伊半島編>は、帰宅後には書かれなかった。流石に、撮影画像の選択、補正はしたけれどね。

話しを帰宅日のことに戻そう。<伊勢神宮>には寄らぬまでも、道路沿いの<赤福>の立派な店舗を見て、お土産に買っていこうか、とも思った。だが、まだ時間がはやくて、店は閉まっているようだった。そのあとの記憶は、ほとんどない。スナップ写真も一枚もない。思いだそうとしても、思い出せない。

ただ、かなりの蓋然性をもって言えることは、高速に乗ってからは、ほぼ一時間おきにトイレ休憩をした、ということだ。高速走行に関して、一時間走ったらトイレ休憩、と自分の中で決めていたからだ。それから、そうだ、眠気に襲われることもなかったし、極端な疲労感もなかった。東名から圏央道に入った時には、もう一息だ、と思ったような気もする。そして、最寄りの圏央道のインターで降りて、見慣れた一般道に入った時には、ほっとしたにちがいない。

たしか、比較的明るい曇りの日だった。駐車場に車を入れて、荷物や機材を一階のアトリエに運び入れた。紀伊半島から、意外に早く戻ってこられたし、身も蓋もないほどには疲れていなかった。やるべきことを終え、手荷物だけ持って、階段を登り、二階の自室のドアを開けた。その際、誰にというわけではないが、いわば、虚空のニャンコに、ただいま、とやさしい声でつぶやいた。そのあとは、とにもかくにも、昼寝だ。旅の気分を一掃して、日常に戻るのだ。

・・・自分としては、八泊九日の旅は、これまでで最長かもしれない。二、三日は、何もしないでぼうっとしていた、と言いたいところだが、この男の性質上、そうもしていられない。翌日から、撮影画像の選択と、補正の作業を始めた。なにしろ、期間が長かった分、撮影枚数も多い。1000枚は軽く越えていたと思う。かなりしんどかった。

それでも、<旅日誌>を書くことは断念していたので、その分、気は楽だった。なにしろ、画像の選択、補正の作業には、かなり慣れていて、なかば自動的にできるようになっていたからだ。多少、語弊はあるが、頭をそれほど使わなくても済む作業で、そのかわり、集中力と判断力、それに忍耐力とが求められる。ま、短期決戦ならば、頭を使う作業よりは得意かもしれない。

ともかく、この作業は、二、三週間くらいで完了したと思う。先が見えてきた段階で、心は早くも、次なる灯台旅へと向かっていた。飛行機で出雲まで行って、そのあとはレンタカー、日本一高い<出雲日御碕岬灯台>へ行く計画だ。島根県は、埼玉から陸路で行くには、あまりに遠すぎる。

ただ、画像編集の作業を終えた後に、ふと、何か物足りないような、もの忘れをしたような気分になった。若い頃に勉強した心理学の用語を借りれば、<超自我>が疼いている感じだ。やるべきことをやらずに、遊び呆けている時に、どこからともなく滲出してくるものだ。たいていの場合、そんなものは無視して、<自我>に身をゆだねて、<快>に流れてしまう。それで済んでしまえばいいのだが、往々にして、自分の場合、そうはいかないようだ。

というのは、精神力というか、気力がないので、長文の<旅日誌>は書けないが、メモ書きにちょっと毛が生えたくらいのものなら書けるだろう。旅の記録として、そのくらいは残しておこうかと思ったのだ。そして、実際に、すこしだけ書いてみた。しかしながら、これとて、多少の精神力は必要で、一度弛緩した神経細胞を復元するのは容易なことではない。すぐに頓挫してしまった。<もの>を書く、という精神状態からは、程遠い所に居たわけで、気持ちが<内>ではなく、<外>へと向かっていた。内省よりは行動だ。いわば<物狂い>の状態が<超自我>を圧倒していた。

で、結局は、<旅日誌>どころか、<旅の記録>もろくに記述しないまま、一か月後には、いそいそと<出雲旅>へと出かけてしまった。比較的楽な、画像の選択補正という作業だけは終わらせて、最低限のことはやったのだと、自分に言い聞かせたのだ。<自己欺瞞>というには、言葉が大仰すぎる。だが、<なにか>に言い訳して、べつの<なにか>に身を委ねたような気がする。これだけは確かだ。

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編 #1~#17 終了。