<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編

<日本灯台紀行 旅日誌>出雲編

 

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

 

第9次灯台

 

出雲編

 

2021年4月18.19.20.21.22.23日

 

出雲旅一日目

4:30分起床。朝の支度、朝食・お茶漬け、目玉焼き、牛乳。排便なし。むろん、便意もない。5:35分出発。外はすでに明るくなっていた。5:54分、急行池袋行の電車に乗る。予定より一本早い電車だ。カメラを二台入れた重いカートを引いていくので、少し、というか、だいぶ早めに出発した。

池袋駅東上線にも山手線にもエスカレーターがあるので、助かった。むろん、エスカレーターがホームのどの辺にあるかは下調べした。山手線外回りのホームで少し待って、上野行きに乗る。

7:00分、浜松町到着。モノレール乗り場へ行く。7:30分、<JAL>の第一ターミナルに到着。だいぶ早い。施設内のセブンイレブンでアイスコーヒー¥100を買う。受付カウンター前の、広いロビーの椅子に座って時間調整。

8:00分、保安検査通過。かなり大きめだったリックとカートが、無事に通過した。案ずるよりも生むがやすし、か。歩くエレベーターなどに乗って搭乗口三番へ行く。かなり歩かされる。一番端だ。

8:30分、搭乗口前の待合室で休憩、日誌を書く。9:00分、排便・少し出る。温水便座のきれいなトイレだった。念のために、機内で飲む飲料水¥113を売店で買う。10:10分、羽田空港出発。

11:45分、出雲空港到着。天候不良のため、すぐには空港に下りられず、旋回していたようで、少し遅れる。たしかに、着陸間際には、雲で視界がほとんどなかった。窓から見たのだ。

12:00分、ニッポンレンタカーの営業所着。料金は楽天カードで支払い済み、五日間で¥27720。車はシルバーのスイフト、軽よりは多少大きい。新車で、まだ74キロしか走ってないとのこと。これはラッキーだった。

そういえば、空港から営業所まで送迎してくれた若い社員が、おしゃべりな奴で、車の中で、いろいろ話していた。出雲空港は、宍道湖の上昇気流などの影響で、風が強い。昨日も突風や落雷があった。到着時、飛行機がぐるぐると空港の上を回っているので、降りられるのか心配していた、というのだ。ええ~と思った。乗っている方は、そんなことなど全然知らなかったのだ。

ホテルのチェックインが15:00なので、時間調整方々、<出雲そば・羽根屋大津店>へ行くことにしていた。ホテルからさほど離れていない。ナビに従って国道を走り、たしか大きな橋を渡ったあとすぐの道沿いに、その蕎麦屋はあった。店の前の駐車場が狭い。が、ちょうど一台出たので止められた。

出雲そばの有名店なので、さすがに、入口で二組待っている。名前を書いて待つ。女性の従業員が一人で、客の対応に大童だ。とはいえ、店内はコロナ対策なのか、席の間隔が広く取られていて、四組くらいしか客がいない。

じきにカウンター席に案内される。ひと席あけて、隣で、爺が、ひるまっから、ビールや日本酒を飲んでいる。どういうつもりなのか、車で来たのなら飲酒運転だろう、近所の常連なのか?

 三色割子ソバを頼む。ソバは、かなりうまかった。とくに汁の味がいい。¥1000。気に入ったので、ソバ好きの旧友のお土産にと、乾麺と半なま、それに汁を買う。自分のと合わせて六食分¥2200。だが、汁は失敗だった。店の女性が、店で出しているよりは味が落ちるといっていたが、その言葉通りで、パック詰めだから、しょうがないだろう。

14:00分、ホテルへ引き返す途中、国道沿いに大きな商業施設・ゆめタウンがあった。その中のスーパーに入って、食料の買い出し。飲料水・これは、ホテルの水が飲めたので無駄だった。牛乳、バナナ・これは冷蔵庫を冷やしすぎて凍らせてしまい、皮が真っ黒になり、一本は捨てた。あとは、クロワッサンの袋入りとアンドーナツ、おにぎりなどを買った。¥2260。

それと、ドジなことに、ポシェットの<携帯オロナ>を紛失してしまったので、併設されているドラッグストアで<オロナイン>の大びんを買う。¥620。自宅用もそろそろきれるので、大きいのにしたのだ。ちなみに、オロナインは持病の<切痔>対策で、排便後に局部に塗っている。

14:00分すぎ、ゆめタウン駐車場で待機、激しいにわか雨だったが、すぐにやむ。15:10分、<出雲空港ホテル>にチェックイン。五泊で¥26500、楽天カードで支払い済み。まずまず整った部屋だったが、室内のカーペットの汚れが、我慢の限界を越えている。それに、ストールなどにもタバコの焼け焦げがあった。あと、小型冷蔵庫の内部が少し破損している。もっとも、これは冷蔵機能には問題なさそうだ。

ま、全体的に見れば、一泊¥5300は、安いともいえる。それに、良いところもあった。大きな窓からは、出雲のなだらかな山が見えた。この風景はとてもいい。受付カウンターの対応などは、その都度、受付の人間がちがうので、よく覚えていない。おそらくは、みな、ビジネスライクで問題はなかったのだろう。なにか不快な思いをしたならば、憶えているはずだ。

それと、コロナ対策の検温は、入退館時に必ずあった。これは、いいことだ。あと憶えていることと言えば、部屋のドアの開け方に癖があり、始めは開けられなかったことだ。あれっと思って、ノブに引っ掛けてある注意書きを、メガネを取り出して読んだ。鍵を差し込んで、そのまま押しながら左に回す。やってみたらすぐにできた。

なお、ユニットバスはきれいで、テレビも大きい。ほかの調度品はやや古いが、これは致し方ないことだろう。さてと、夕方の撮影に備えて、すこし寝よう。と思ったが、考えてみれば、時間的に無理だったし、気分が高揚していて、すぐには眠れないだろう。昼寝はあきらめた。

16:00ホテルを出発。ナビに<出雲日御崎=ひのみさき灯台>を指示する。自分の車のナビよりは簡易的なナビだったが、細かい操作はわからない。わからないというか、調べるのが面倒だったので、案内の声がやや大きかったが、そのままにしておいた。

灯台までは27キロほどで、出雲市内を通過して、小一時間ほどで到着。ただし、最後の五、六キロが岬の上へと続く、急な坂道で、道も狭い。やや緊張する。

17:00分、灯台撮影開始。念のために、ウォーマーを上下着込む。何しろ風が強くて寒い。比較的広い駐車場の灯台側に、飲食店などが何件か並んでいて、その前を通っていくと、灯台前の、ちょっとした展望スペースに出る。たしか、ベンチなども置いてあった。

18:30分、灯台点灯、七色のライトアップ。色合い的に、やや品がないが、ここまで来た以上、すべての色を、几帳面に撮った。あとで気づいたことだが、灯台の正面構図は、この時は、敷地内に入れないので撮れないと思っていた。しかし、実際には、敷地をぐるっと囲っている塀の外にスペースがあり、灯台を正面からも撮れる。

さらに、後日になって、塀の上は斜面になっていて、その上に通路があり、そこからも正面構図で撮れることが判明した。これにはちょっと、参った。ま、ともかく、この時は、灯台の側面から、下見したよさげな場所、二か所で撮った。

20:00まで粘る。帰路。急な坂道で、夜の運転に気を使う。21:00前に、ゆめタウンに入り、ボラギノールの注入剤を買う¥2000。これは予想外の出費で、自宅には注入剤がまだある筈だ。とはいえ、痔が悪化してしまった。肛門まわりが腫れていて、違和感がある。これ以上、悪化させるわけにはいかない。金の問題じゃない。

21:00すぎにホテルに着く。すぐに風呂にはいり、そのあと局部に注入剤を入れる。ノンアルビールを一本のみ、ポテチをつまむ。夕食は、おにぎり、餡ドーナツなどを食べたのだろう。そのあと、日誌をつける。いちおう、今日撮った画像のモニターなどもし、23:00すぎには寝たのだと思う。ただし、眠りは浅く、一、二時間おきに夜間トイレに起きた。

ま、それにしても、移動日のわりには、夜間撮影が疲れなかった。やはり、長距離の高速運転よりは、飛行機の方が楽なのだろう。本日の走行距離75キロ。

出雲旅二日目

2021-4-19(月)快晴。5:30過ぎに目が覚める。一、二時間おきにトイレ、眠りが浅い。7:00起床。洗面、朝食・パン、牛乳、おにぎり二個。なお夜中に、菓子パンなどをストレス食い。排便・小が二回。…肛門は注入剤のおかげで違和感はなくなる。

8:30出発。ナビの履歴を見て、出雲日御碕灯台にタッチ。ファミマでコーヒー¥100。途中、大社漁港により、防波堤灯台などをゆっくり撮る。

11:00日御碕灯台着。撮影開始。12:30灯台の周りを、一回りして、いったん終了。そのあと、灯台に登る。¥300。日本一高い灯台なので、覚悟決める。だが、きょうは、カメラバックを背負っていないせいか、楽だった。ただ、最後の二メートル、垂直に架けられた梯子階段が、狭くて急だった。そこはちょうど、灯台の一番細くなっているてっぺんの部分なのだ。

狭い入口をくぐり、外に出る。ものすごい強風。ステンの柵は胸の高さまであり、安心ではある。とはいえ、やや怖い。いちおう360度回りながら、海の写真などを撮る。絶景であることに間違いはない。そういえば、この灯台は、靴を脱いで上がる灯台だった。鉄の螺旋階段を登って行くうちに、足の裏が冷たくなった。真冬は、たまったもんじゃない。

強風にめげて、そうそうに引き上げ。螺旋階段を下り出すと、途中で、何組かの観光客と鉢合わせ、互いに身をかわしてやり過ごす。下に着き、靴を履いていると、受付のおばさんから、手の消毒を促された。島根県は今の時期でも、コロナ感染者が、全国で一番低いのだが、コロナ対策は、灯台に限らず、コンビニ、飲食店などでも、埼玉などより徹底しているような気がした。

そういえば、ちょっと前、島根県知事が<聖火>は来ないでくれと発言し、それに対して、地元の大物政治家が注意しておく、とか言って、権威的な発言が問題になったことがあった。

ついでに書いておくと、出雲地方は、両端の程よい距離に、なだらかな山があり、なんとなく穏やかな感じの風土だ。自動車も、軽が多く、車間をつめたり、あおり、あおられているのを、一度も見なかった。言葉遣いは、あまり訛りがなく、標準語に近い。女性は色が白く、やや控えめな感じ。街並みは、出雲市内はもちろんのこと、周辺部の道も整備されていて、開けた感じがした。

13:00頃だろうな、車で移動。北側?の漁港へ行く。防波堤灯台はない。というか、道が細くて、見つけるのがめんどくさくなった。引き返して、今度は、東側の日御神社へ行く。鮮やかな朱色のやや大きめの社だった。

とはいえ、拝観する気にはなれず、付近の駐車場に車を止めて、目の前の経島=ふみじまにカメラを向けた。ウミネコの生息地で、なるほど、島の斜面にたくさんいる。ただし逆光なので、きれいには撮れない。すぐに車に戻り、一息ついていると、二人組のおばさんから、道をたずねられた。こっちもよくは知らないが、岬の坂を登って行けば、灯台は見えるはずだ。

そうかと思い、おばさんたちがおりて来たのを見計らって、今度は、こっちからたずねた。灯台は見えましたか?見えましたとの返事が返ってきた。ならば、少し行ってみるか。歩き始めると、眼前の坂は、意外に急で距離もあり、しかも、日差しが強くて暑い。すぐに後悔した。それに、灯台は、上半分くらいしか見えず、経島を見下ろす展望台からの眺めも、たいしたことなかった。逆光だしね。

15:00前に灯台の駐車場に戻る。15分くらい車の中で休憩。15:30撮影開始。なんだか、ひどく疲れている感じ。体が重い。下見した場所を、また一回りしながら、写真撮影。今日は、夜間撮影はしない。連日は無理だ。それに今晩は、夕食がわりに、羽根屋本店で出雲そばを食べる予定なのだ。

17:00撮影終了、トイレ脇の自販機で、グレープジュース¥140を買って飲む。炭酸がきいていてうまい。引き上げ。

18:00前に、出雲市内の羽根屋本店に到着。ほとんど客がいない。出雲ソバの有名店で、休日は車が止められないほど混雑するらしいのだが、今日は、ラッキーだ!さっそく、割子ソバと釜揚げソバを頼む。昨日食べたような、うま味、感動はないものの、まずくはなかった。汁は甘めでダシがきいていて、これは昨日の大津店と同じ。そばが固めなので、釜揚げだと柔らかくなり、食べやすい。割子、釜揚げ、両方とも、自分で<そば徳利>から汁をかけて食べる。二人前食べて満腹。¥1640。帰り際に、断りを入れて、店内を撮影させてもらう。

ホテルへ帰る前に、通り道の9号線沿いのゆめタウンで食料の買い出し。パンやおにぎりを買う。¥630。19:00ホテル到着。すぐに風呂、顔に塗った、日焼け止めがいやな感じなので、すぐに洗い流したいのだ。風呂上がりにノンビール、ポテチ。

20:30 疲れた。何とか日誌だけは書いて、寝る。本日の走行距離63キロ。

 

備考

第9次灯台旅、出雲編は、旅後には書かれなかった。というのは、この時期、旅日誌を書く気力がなくなっていたからで、理由はどこかで書いたが、多大な労力をかけた割には、人様に読んでもらうほどの文章になっていないことを、痛切に自覚したからである。要するに、アホな文章を臆面もなく公開していたことに、嫌気がさしたのだ。

とはいうものの、時間が少し経ち、冷静になると、自分用の忘備録として、<メモ書き>を<旅の記録>として、まとめようという気になった。だが、書き始めると、日記風の文章を、旅日誌的な、ある程度ちゃんとした文章にしたいという欲がでてきた。

そこで、少し努力してみたが、すでに、時間がたちすぎていて、灯台撮影の詳細については全く思い出せない。旅の主なる目的が、灯台撮影なのだから、その旅日誌も、当然のごとく、その辺を中心にして、書かれるべきなのに、何も書けないのだ。いや、その努力ができなかったわけで、結局は、<メモ書き>を転写したような文章になってしまった。

したがって、この<出雲編>は、脱稿した時点では、公開するつもりはなかった。だがしかし、徹頭徹尾<いいかげん>であることをお許し願いたいが、いまになって、この<出雲編>だけが公開されないのは、2020年度から始めた、編年体としての<旅日誌>の一貫性が崩れるような気がしてきたのだ。もっとも、アホな文章群に、一貫性もヘチマもないのだが、ともかく、文章的にどうのこうの、というよりは、帳尻を合わせたいという気分が上回ったのだ。

それと、時間がたちすぎていて、現在では<旅日誌>執筆への心境も変わっていて、2023年度以降の<旅日誌>は書かない、あるいは、書けないと諦念している。それだけになおいっそう、せめて、2020年度から2022年度までの<旅日誌>では、その編年体としての一貫性を保持、完遂したいという気にもなったのだろう。

これはちょうど、収集している記念切手が、ある年代だけ欠けているので、気になっている、あるいは、ぜひとも手に入れて、コレクションを完成させたい、という気持ちに似てないこともない。

それはともかく、正直なところ、この第9次灯台旅<出雲編>の文章が、<日記風>な文章になってしまったことを、だれとはなしに、言い訳したかったのである。ご勘弁願いたい。

出雲旅三日目

2021-4-20(火)快晴。5:30過ぎに目が覚める。昨晩も、一、二時間おきにトイレに起きる。眠りが浅い。6:30起床。洗面、朝食・牛乳、バナナ一本、おにぎり二個。排便・少し出る。昨晩も、注入剤を入れたので、痔は少し改善。違和感はない。

7:40出発。ナビの履歴画面を開き、美保関灯台をタッチした。そう、今日は境港の先にある、灯台50選にも選ばれている美保関灯台の撮影だ。走り始めて、すぐに、ファミマでコーヒーを買った。¥100。このあたり、ファミマとローソンはよく見かけるが、セブンはほとんどない。

国道9号線宍道湖沿いに、松江方向へ向かう。大きな湖で、そうだ、シジミの養殖で有名なんだ。<宍道>という漢字も最初読めなかったが、昔の記憶がよみがえったのだ。おそらく<シンジコ>がなまって<シジミ>になったのだろう。9号線は、ほとんど信号がなく、走りやすい。松江の市街地が見えてくるあたりで、9号線から有料道路に入る。と、いきなりの高速運転なので、ちょっと怖かった。

というのも、<スイフト>という車は、80キロくらい出すと、ハンドルがロックされる感じがしたのだ。さいわい、70、80キロで走っていても、後ろからあおられることはなかったし、地元の車も、さほどスピードを出していない。愛知県を走った時とは大違いだ。

有料道路から山陰道へ入ったようなのだが、出る時に料金は取られなかった。高速道路だが無料区間らしい。ちなみにこのルートは、松江の市街地を迂回して美保関に向かう、いわばバイパスだな。

ただし、有料道路を下りてからの一般道が長かった。そもそも、ナビでは、泊っている宿から美保関灯台まで、54キロ、1時間40分も、かかることになっている。距離は、さほどでもないのに時間がかかるらしいのだ。

事前にグーグルマップでみた、境港へと渡る大きな橋が見えてきた。その後は海沿いの道、防波堤灯台や浮標なども見える。景色がいい。そのうち、観光地っぽい漁港が見えてきた。ここには、たしか行燈型をした灯台のようなものが防波堤に立っている。さらに走る。と、道が急になり岬の上にのぼる感じになる。

10:30美保関灯台到着。ほぼ二時間かかったわけで、少し疲れた。駐車場は広く、無料。案内板に従って、少し歩いていくと、灯台の頭が見える。さらに近づいていくと、塀で囲われた敷地内に、何やら建物(灯台カフェ)があり、その奥に灯台がある。

敷地内に入る。灯台50選に選ばれている割には、大きな灯台ではなく、前回の旅で訪れた紀伊半島の<樫野埼灯台>によく似ている。しかし、こっちは階段もなく、上にも登れない。それに、灯台の周りに大きな木や建物などがあり、まったく写真にならない。

灯台正面の<引き>もほとんどなかったが、広角で、かろうじて全景を取った。ただ、そうすると、レンズのゆがみが激しいので、モノにはなるまい。それに、灯台本体に電線がかかってしまう。最悪のロケーションですな。二時間かけてきたのがバカみたいだ。

敷地内での灯台撮影は、早々に諦めて、すぐに敷地外にでた。海側に展望スペースがあり、そこからふり返って、灯台を見ることもできる。が、塀と建物が灯台本体の下半分を隠しているのだから、なんとも中途半端な絵面だ。あとは、駐車場から灯台へと向かう道からのショットで、ま、これが一番まともかな。それにしても、がっかりだ。

12:00いったん引き上げ。下に下りて、美保漁港の防波堤行燈などを撮る。さらに戻って、境港に入り、緑地公園の境港防波堤灯台や台場公園の復元された境港灯台、岸壁際の赤白だんだら灯台などを撮る。暑い、スポーツ飲料¥140を買う。

残念ながら、この四つの灯台の撮影記録は、メモ書きにも残っていない。いまさら思い出すこともできないし、思い出すための努力もできそうにない。もっとも、撮った写真があるので、それを見ながら再構成できないこともないが、今回はやめておこう。なにしろ、努力する、という気力がないのだから。

15:00過ぎに美保関灯台に戻る。陽が少し傾き始めた。ゆっくり一回りして撮る。何度撮っても写真にはならん!

16:30引き上げ。途中ファミマでおにぎりなどを買う¥480。18:30ホテル着。風呂。旧友へメール返信。食事・おにぎり二個、バナナ一本、餡ドーナツなど。カップ麺も食べたかな?20:00消燈。走行距離147キロ。美保関灯台の気に入った写真が撮れなかったので、無駄足したような気分になっていたのだろう、メモ書きもあっさりしたもんだ。

出雲旅四日目

2021-4-21(水)快晴。これで三日連続。6:30起床。洗面、朝食・おにぎり二個、バナナ一本、クロワッサン、牛乳。8:00出発。ナビを日御碕灯台にセットする。ファミマでコーヒー¥100。

9:00日御碕灯台着。きょうはどこにもよらず、一気に走った。というのも、午前中の九時から十一時の時間帯の日御碕灯台は、まだ撮っていないからだ。チェックした撮影ポイントを、きっちり歩き撮りした。修学旅行の生徒たちだろうか、灯台見学に来ていて、やや騒々しい。

ちゃんと撮れたのだろうか、それとも、お昼前後の時間帯は、すでに撮影済みだと思ったのだろうか、11:00移動。出雲大社へ行く。灯台からはほんの十五分だ。立派な神社で、入口の門の太いしめ縄?が印象的だ。案内板の由緒書きは面倒なので、目を通さなかった。なにしろ、大国主命を祭っているのだ。いわゆる大黒様だな。

ここにも修学旅行の生徒が来ている。ただ、境内が広いので、さほど気にならないし、騒がしい感じもしない。それよりも、一般の観光客が、思いのほかたくさんいた。それと、門前や、駐車場の辺りに、何件か、構えのいい出雲蕎麦屋があった。だが、食べる気にはなれなかった。観光地の蕎麦屋がうまいはずがない、という偏見だ。

13:00日御碕灯台へ戻る。いやその前に、出雲大社からの帰り道、きれいな海岸があり、しかも、波打ち際に大きな岩山がある。景観だ。寄ってみた。

稲佐の浜弁天島。何か神話的な由来があるようだ。靴に砂が付くのが嫌で、砂浜には下りなかった。車が汚れるからね。もっとも、防潮堤際からでも十分絵になる写真が撮れる。ただし、ここにも観光客が結構いて、みな岩山の前で記念撮影などをしている。なかには、抱き合ってポーズを取っている。臆面もない!

さてと、日御碕灯台の午後の撮影だ。直射日光の厳しい中、また、灯台の周りを、歩き撮りした。午後の一時から三時半までの時間帯が、いまだ撮影していなかったのだ。何回か歩き回った所なので、やや義務的な感じで、シャッターを押し続けた。

15:30ウミネコの島、経島の展望台まで来た。と、すぐ横にいた女性から話しかけられた。この中年女性は、先ほどから、目の端に映っていた。一人で灯台観光にきているようだ。やや太めの女性で、こちらから、あえて話しかける気にはなれなかった。だが、チラチラ見ていたのを、彼女に感づかれたような気もする。

彼女は、いきなり、ほらそこに、とすぐそばに降り立ったきれいな鳥を指さした。俺に教えてくれているのだ。おそらく、俺の持っているニコンのデカい一眼を見て、海猫を撮りに来たのだろうから、鳥に興味があるのだろうと思ったに違いない。

その後、いろいろと立ち話した。マスクをして、黒っぽい眼鏡をかけていたから、顔はよくわからない。だが、大柄で下腹がすこし出ているとはいえ、洋服の趣味はいい。母親の眼病手術のお守りを近くの薬師様にもらいに来た。そのついでの灯台観光らしい。山口県の角島灯台にも行っているようで、行くことを薦められた。名古屋から飛行機で来ていて、日帰りらしい。

一応こちらも、灯台や花の写真を撮っていること、四国を歩いたことなども話した。四時過ぎまで、展望台で立ち話していた。オヤジの灯台巡り一人旅だ。女性と話すのも一興だろう。ただし、目の覚めるような美人でなかったのが、少々残念だった。六時の飛行機で帰るというので、最後に、HP用のカードを渡した。果たして、自分の写真や文章を見たのだろうか、定かではない。

16:30車に戻り、中で休憩。靴も靴下も脱いで、お菓子類を食べたと思う。17:30日没の撮影開始。とはいえ、なんだか疲れている。集中力がない。

ところで、間の抜けた話だが、今日までの二日間、まるで気づかなかった撮影ポイントを、いまさっき来た時に発見した。それは駐車場のトイレ脇からホテルへとつながる小道だ。私有地だからということで、確かめもせず、ブラインドになってしまったのだ。

小道の崖際には、腰高の立派な柵があり、灯台の正面が見える。かなりいい。灯台に日没を絡めるには絶好の位置だ。ただし、木々の枝などがあり、ベストポイントは、ほぼ一か所だ。ところがだ、先客がいる。

一人はスマホで撮っている男、これは観光客で問題はない。問題はもう一人のワイシャツ姿の会社員風の男だ。彼は、でかい望遠レンズをつけたカメラを手にしていて、手持ち撮影だ。ま、仕事帰りに日没を撮りに来たのか、役所関係の広告写真を撮りに来たのか、その辺は定かではない。もっとも、都合のいいことに、ベストポイントには二人ともいなかったので、早速、そこに三脚を立てた。

陽は次第に下に落ちてきて、今や灯台の左脇、大きな松の枝の中にある。だが、このままいくと、灯台の後ろに沈んでしまうことになり。灯台と落日を絡めることができない。会社員風の男性に声をかけて、日没の位置を聞いた。

地元のアマチュアカメラマンで、よく撮りに来ているらしい。こっちの方がいいと言われて、場所を移動。ただし、灯台との正対が崩れる。ま、いいだろう。少しその男性と話しながら撮影する。たしかに、灯台と落日は絡めることができた。だが、松の枝などが画面に入ってきて、ややうるさいのだ。

陽がほぼ沈みかけたころに、音もなく、三脚を持ったおじさんが現れた。そして、迷いもせず、灯台撮影のベストポイントに三脚を立ててしまった。男性とは知り合いらしく、男性は移動、今度は、二人して、数メートルほど離れた所で世間話をしながら、写真を撮っている。

これには参った。落日の終わった灯台の背後の空がきれいなのだ。しかし、ベストポイントは占領されている。しかも、なかなか立ち去らない。埒が明かない。移動して、下から撮ることにした。男性にお礼を言って、その場を立ち去った。

灯台の横位置から、いろいろ撮って、辺りが真っ暗になってから、再び、さきほどの灯台正面の小道に戻ってきた。流石に、地元のアマチュアカメラマンたちの姿はなかった。ライトアップされ、七色に変化する灯台をゆっくり撮った。<週末ライトアップ>と灯台のHPには告知されていたが、平日もやっているわけだ。ま、これはこれで一興だな。

21:30引き上げ。岬から下る急な夜道も、これが最後だと思うとさほど苦にならなかった。下に下りて、少したって気づいたことだが、今晩は、今まで走ったことのない道をナビが指示している。ま、いいや。途中で、ローソンがあり、夕食用の唐揚げ弁当と、明日の朝食用のおにぎり二個、あんパン、牛乳を買った。ここのレジのおばさんが、ややつっけんどんで、明らかに、いやいやながらのパート仕事です、というのが顔に出ていた。

21:20ホテル着。腹が減ったような気がして、まず食事をした。そのあと風呂、日誌をつけ、寝たのは23:30分過ぎだった。走行距離72キロ。ライトアップされた灯台の正面構図を撮ることができたので、気分はよかった。千載一遇の機会を逃さず、写真をモノにすることができた。昨晩とは大違いだ。十分満足していた。

出雲旅五日目

2021-4-22(木)曇り時々晴れ。6:30起床。眠りが浅い、一、二時間おきにトイレ。朝食・おにぎり二個、パン、牛乳。皮の真っ黒になったバナナ・これは冷蔵庫の製氷棚の下に置いて凍らせてしまったのだ。下の方は、ぐにゃっとしているので食べずに捨てた。

8:00出発。ナビを足立美術館にセット。ファミマでコーヒー¥100。宍道湖沿いに9号線を走り、有料道路を抜けて、安来市の方へ行く。

9:40足立美術館到着。以外に遠かった。入館料が¥2300、ちょっと高いなと思った。庭園は広々していて、細部に至るまで丹精され、気落ちがよい。茶室や喫茶室などに入って、何回も休憩しながら庭園の写真を撮る。横山大観、竹内晴楓、橋本冠雪、魯山人などの作品もゆっくり見る。

15:40引き上げ。途中、宍道湖際のセブンで休憩。写真も撮る。18:00前に出雲市ゆめタウン着。お土産のそば、おにぎりなどを買う。¥830。近くのガソリンスタンドで給油。リッター¥145で約22リットル。¥3330。18:30過ぎにホテル着。風呂、夕食・カップ麺、おにぎり、パンなど。19:30日誌をつける。寝る。

庭園などには、さほど興味もないのに、まる一日かけて、庭園見物をしたのは、この足立美術館が、<日本一>の日本庭園と言われているからでもある。確かに、広大な日本庭園も、館内の設備も、細部の細部に至るまで、丹精され、きちんと管理されていて、とても気持ちのいい空間だった。入る時には高いと思った入館料の¥2300も、出た時には、<高い>とは思わなかった。もっとも、五時間近くも館内にいて、写真を撮りまくっていたのだから、四の五の言う前に、元は完全に取れていた。

出雲旅六日目

2021-4-23(金)曇り。風が冷たくて肌寒い。7:00起床。眠りが浅い。しかも、嫌な夢を何回か見る。ひとつはニャンコについて。階段の踊り場から、寂しそうにこちらを見下ろしている。はっきりといまだにイメージされる。

洗面、朝食・おにぎり二個、牛乳、クロワッサンなど。排便は、出なかったような気もする。そのあと、帰り支度。泊まった部屋の原状回復。8:00出発支度完了。12:15発の羽田行きだ。出るにはまだ早い。テレビなどを見て時間をつぶす。

9:00ホテルをチェックアウト。駐車場で荷物のラッピング。かなり手間取る。お土産のそば類が意外にかさばり、重い。9:40空港近くのニッポンレンタカーへ向かう。すぐに着き、即空港まで送ってもらう。

10:00出雲空港、保安検査通過。搭乗口前の待合室でくつろぐ。日誌を書く。おしっこ、頻繁にトイレ。10:20ニッポンレンタカーから携帯着信。ダウンベストを車内に忘れたようだ。持ってきてくれるという。保安係の若い女の子に、その旨伝えて、近くで待つ。ほんの十分ほどで、保安の女の子が、携帯用の袋に入っているユニクロのダウンベストを、検査用の小さなかごに載せて、持ってきてくれた。

ニッポンレンタカーの人はすでに立ち去っていたので、営業所に電話してお礼を言う。黒くて手のひら大、それにコロコロしているから、座席の下に落ちてしまったのかもしれない。ちょっとした親切に心が和む。

12:15 JAL280便で、出雲空港を出発。座席は非常口の窓際。小窓から外がよく見える。天気もまずまずで、順調なフライト、そのうち、富士山が見えてきた。デジカメで撮りまくった。

13:30羽田空港着。モノレール乗り場へ行き、浜松町で乗り換え。山手線で池袋まで行く。途中、向かい側に東南アジア系の若者が座っていて、大きな声で話している。マスクはしているものの、なんとなく嫌な気がして、席を立つ。池袋で乗り換えて東上線の快速に乗った。

川越市で準急に乗り換え。と思ってホームに降りたとたん、リックを背負っていないことに気づいた。あわてて、閉まりかかったドアの中に飛び込んだ。網棚に載せたリックを探しながら、電車内を歩く。ない!!!そんなはずはないだろう?もう一度探し歩く、と、ちゃんと網棚の上にありました。電車の中で、少しうとうとしたのがいけなかった。頭がはっきりしないうちに急いで降りたのが忘れ物の原因だ。いや、それよりも、これからは網棚に荷物を上げるのはよそう。

快速だから、最寄りの駅には止まらない。二つ先の駅で降りて、引き返してきた。ま、大ごとにならなくてよかった。

16:00最寄り駅着。まだ早いが夕食だ。満州餃子で、きょうは、タンメンでなく、ラーメンと餃子、それに小盛のごはん。¥870だったか、やや高めだ。ま、それよりも、店内に生ビールを飲んでいる会社員風の三、四十代の男が二人いて、けっこう大きな声で話している。ビールを飲むときは、むろんマスクを外すが、その時も話している。席は少し離れているし、というかそういう席を選択したのだが、それに彼らには背中を向けている。だが、なんか、少し嫌な気分だった。

そういえば、行きの飛行機でも、鼻だしマスクで、べちゃべちゃ話していた中年カップルがいたし、帰りの飛行機でも、持ち込んだ食品を食べている若者が、通路を挟んだ横に居た。普通なら、ほとんど意に介さないことでも、今日日、外出時のコロナ感染が、かなりのストレスになっているのだろう。

17:00前に帰宅。さほど疲れていなかった。ざっと後片付け。だが、その後は、眠気が差してきて、たしか、早めに寝たと思う。

2021-4-18.19.20.21.22.23日、五泊六日 出雲旅の収支。

JAL飛行機往復¥50180 ニッポンレンタカー¥27720

出雲空港ホテル五泊¥26100 

ガソリン・走行距離約450キロ¥3320

観光¥5300 お土産¥2800 食品等¥9800

合計¥127000 やや、高めの旅だった。

 

 

 

備考

第9次灯台旅、出雲編は、旅後には書かれなかった。というのは、この時期、旅日誌を書く気力がなくなっていたからで、理由はどこかで書いたが、多大な労力をかけた割には、人様に読んでもらうほどの文章になっていないことを、痛切に自覚したからである。要するに、アホな文章を臆面もなく公開していたことに、嫌気がさしたのだ。

とはいうものの、時間が少し経ち、冷静になると、自分用の忘備録として、<メモ書き>を<旅の記録>として、まとめようという気になった。だが、書き始めると、日記風の文章を、旅日誌的な、ある程度ちゃんとした文章にしたいという欲がでてきた。

そこで、少し努力してみたが、すでに、時間がたちすぎていて、灯台撮影の詳細については全く思い出せない。旅の主なる目的が、灯台撮影なのだから、その旅日誌も、当然、その辺を中心にして、書かれるべきなのに、何も書けないのだ。いや、その努力ができなかったわけで、結局は、<メモ書き>を転写したような文章になってしまった。

したがって、この<出雲編>は、脱稿した時点では、公開するつもりはなかった。だがしかし、徹頭徹尾<いいかげん>であることをお許し願いたいが、いまになって、この<出雲編>だけが公開されないのは、2020年度から始めた、編年体としての<旅日誌>の一貫性が崩れるような気がしてきたのだ。もっとも、アホな文章群に、一貫性もヘチマもないのだが、ともかく、文章的にどうのこうの、というよりは、帳尻を合わせたいという気分が上回ったのだ。

それと、時間がたちすぎていて、現在では<旅日誌>執筆への心境も変わっていて、2023年度以降の<旅日誌>は書かない、あるいは、書けないと諦念している。それだけになおいっそう、せめて、2020年度から2022年度までの<旅日誌>では、その編年体としての一貫性を保持、完遂したいという気にもなったのだろう。

これはちょうど、収集している記念切手が、ある年代だけ欠けているので、気になっている、あるいは、ぜひとも手に入れて、コレクションを完成させたい、という気持ちに似てないこともない。

それはともかく、正直なところ、この第9次灯台旅<出雲編>の文章が、<日記風>な文章になってしまったことを、だれとはなしに、言い訳したかったのである。ご勘弁願いたい。