<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020 犬吠埼灯台編

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

 

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

 

第10次灯台

 

男鹿半島編 #1~#10

 

2021年7月14.15.16日

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#1 一日目(1) 2021年7月14日

 

プロローグ1

 

プロローグ2

 

前回の出雲旅から、ほぼ三か月がたっている。この間、何をやっていたのか?正直に言えば、ほとんど何もやっていない。いや、ちゃんと生活していた、ともいえるだろう。何回か、旧友と日帰りで温泉に行ったし、その旧友に刺激されて、五十年ぶりに、またジャズを聴き始めた。

あとは、前々回の紀伊半島旅、前回の出雲旅の撮影画像の選択、補正だ。旅日誌を脱稿し、撮影画像の補正を終えてから次の旅に出る、という自分で決めた約束事を破って、前回も、前々回も旅に出てしまった結果である。つまりは、灯台旅二回分の撮影画像の補正をしなければならなかったわけだ。ちなみに、この時点ですでに、<旅日誌>の方は、書くことを放棄していた。理由はいろいろあるが、詳細はあとにしよう。

蛇足ながら、もう少し正確に言えば、前々回の紀伊半島旅から帰ってきて、撮影画像の補正だけは、いちおうやったのだ。<いちおう>というのは、いつもの画像編集ソフトを使わないで、PCに付属している簡易的な画像編集アプリを使って、手を抜いたというか、手間を省いたのだ。

実際のところ、時間も短縮できたし、労力も、いつもよりかからなかった。だが、うかつにもその時は気がつかなかったが、画像の解像度が低くて、とてもじゃないが、画像投稿サイトにアップできる代物ではなかった。したがって、ま、それなりの手間をかけた補正作業が、すべて無駄になってしまったわけだ。

このことに、かなりうんざりして、紀伊半島旅の画像補正をほったらかして、いわば、宿題を残したままで、出雲旅に出てしまった。本来ならば、この宿題は、出雲旅から帰宅した後に、いの一番で果たさねばならぬものだったが、帰宅後、一週間くらいは、持病の<痔>が悪化して、PCに向かっての、神経を使う補正作業ができなかった。

宿題の量が、倍増しているにもかかわらず、体力的にそれらに取りかかれない。気力的にも、旅疲れということがあって、あのときは、なんだか、何もかもいやになってしまった。ちょうど、試験で<O点>でもいいや、と開き直った感じだ。なにしろ、宿題などはやりたくない、という気持ちが自分を圧倒していた。

こうなると、元も子もない話になってしまうのが、いつものことだ。灯台撮影そのものに対する、懐疑が出てきた。金と時間と体力とを使って、と言いたいところだが、<時間>に関しては除外しよう。<時間>はいくらでもあるのだ。とにかく、灯台旅、旅日誌、灯台写真に対する熱が少し冷めてしまったようなのだ。これには、ニャンコを看取って、ほぼ一年がたち<ペットロス>からも回復したことが影響しているのだろう。

それと、撮影旅行としては、紀伊半島旅が八泊九日、出雲旅は五泊六日で、日程が長かったこともあり、灯台撮影そのものに対して、体力の限界を感じたことも、<懐疑心>ができきた要因のひとつだと思う。

それならば、これまでの撮影流儀を変更して、手を抜けばよかったのではないか。しかしそれができない。その辺は、融通が利かない、愚図だ。どうしても、ゼロか百か、という思考回路が優勢で、一度決めたことを、状況に応じて変化させるということができない。それが、いまにして思えば、人生の挫折と喪失感につながっている。ま、いい。話がでかくなりすぎた。

前回の出雲旅から、今回の男鹿半島旅まで、三か月空いてしまった理由は、おそらくこうだ。<ペットロス>による心の空白を<灯台旅>に夢中になることで、いちおうは乗り切ったわけで、<灯台旅>の実存的な必要性が後退したのだ、と。悲しみや苦しみから逃れるために、なにかに夢中になる必要がなくなったのだ。撮影画像の補正作業に身が入らずに、たらたら、だらだらと三か月過ごしてしまった所以である。

ところで、目先の課題は見失っていたが、目先の楽しみを見つけたことも確かで、そのことが<灯台旅>への執着をさらに弱めた。高校生の頃に熱中して聞いていた<ジャズ>だ。しかも、今回は、旧友が同好の志であることから、彼とジャズ談義を楽しむことができるようになった。趣味というものは、同好の友だちがいると、余計に面白くなるもので、アマゾンやユーチューブで、終日ジャズを聞くようになってしまった。

それに、高校生の頃もそうだったが、ジャズ関連の本を読むようになった。自分にとって<読書>というのは、一種の<麻薬>と同じで、その時間は<人生の憂さ>を忘れさせてくれる。だが、その<読書>は、二十年前に眼病を患い、目が悪くなってからは、ほとんどしていない。目が疲れるし、実際問題、細かい字が見えにくいのだ。

ところが、眼病が寛解した今、意外にすらすらと、疲れもせずに読むことができた。昔の習慣を取り戻せたわけで、要するに、体力の限界が試されるような、灯台旅に出なくても、ジャズと読書で、その日その日を、やり過ごすことができるようになったのだ。

一時は、灯台旅など、もうやめてしまおうかと思ったりもした。だが、倍増した宿題、すなわち、灯台旅二回分の撮影画像の補正を、まがりなりにも、すべて終えた時、なんだか、宙ぶらりんな気持ちになった。灯台旅を、ここでやめるわけにはいかないだろう。たとえ、灯台熱が冷めたとしても、だ。

というのは、かなり近い将来、おそらく、三年か五年か、あるいは、三か月先かもしれない、体力的な問題で、否応なく、灯台旅ができなくなることが予想されるからだ。まずもって、灯台は辺鄙なところに立っていることが多い。そこまで行くことが大変だし、その撮影となると、急な岩場を登ったり下りたりと、体力勝負という一面もある。この一年の灯台行で、いやというほど実感したことだ。

<健康年齢>という概念があるが、自分の場合<灯台年齢?>はおそらく、あとわずかであろう。それに比べて、ジャズと読書は、灯台旅に行けなくなっても継続できる趣味だ。そんなことを考えているうちに、やはり、また灯台旅に出たくなった。要するに、灯台旅ができるのは、今しかないのだ。しかしながら、旅の当初の動機や目的は、すでに過去のものとなっていた。<ペットロス>は解消していたし、絶景を求めての<写真撮影>にも、さほど魅力を感じなくなっていた。

それよりは、車を運転し、あるいは新幹線や飛行機に乗って、最果ての灯台まで行き、写真を撮ることが、いつまでできるのか?自分の、その体力と気力の限界を見極めたいと思った。灯台旅ができなくなるまで、灯台旅を続けることが、灯台旅の目的となったのだ。

本末転倒と言えないこともない。だが、灯台に魅せられて、灯台を見に行くとか、写真を撮りに行くとか、表層的な、世間向けの言い訳は、もういいだろう。灯台旅を続けながら、灯台の写真を撮り続けることは、すなわち、自分と向き合うことだ。また、話がでかくなりすぎた。能書きはこのくらいして、先に進もうではないか。

 

プロローグ2

 

さてと、世の中、四回目の緊急事態宣言が出されている。自分の住んでいる地域にも、蔓延防止措置が発出されている。コロナだよ!もう一年半以上にもなる。もっとも、こっちは、そんなことにはお構いなしに、灯台旅を九回も敢行している。幸い、感染はしていない。だいいち、感染しそうな所へは行かないし、臆病だから、マスクとか手洗いとか、神経質なほど徹底している。とはいえ、感染しない、という保証はない。

七月の三十日に、コロナの一回目のワクチン接種が決まっている。十回目の灯台旅はそのあとだ、と心づもりしていた。だが、予想に反して、梅雨が早くあけそうだ。次なる獲物?は、すでに決まっていた。男鹿半島の先端にある、入道埼灯台である。白黒の灯台で、ロケーションがいい。それに、秋田県には足を踏み入れたことがないし、<なまはげ>のいる男鹿半島なんて、面白そうじゃないか。

ただし、だ。宿の予約に難儀した。以前にも書いたが、宿は、灯台に近ければ近いほどいい。これは説明する必要ないだろう。で、灯台に近い所に、といっても五、六キロ離れているが、男鹿温泉郷があり、そこの旅館に泊るのがベストだ。

だが、旅館なので、お一人様での予約プランがない。宿泊できない。ただ一軒だけ、お一人様が可能な旅館がある。一泊二食付きで¥11500、ま、安い方だ。しかしながら、天気との兼ね合いもあり、なかなか二泊、三泊といった連泊の予約が取れない。

男鹿半島、入道埼灯台へは、新幹線で秋田駅まで行き、レンタカー移動となる。秋田駅から入道埼までは、約58キロ、一時間半以上はかかるだろう。秋田駅周辺にはビジネスホテルがたくさんあるので、予約は取りやすい。だが、いかんせん、灯台まで遠すぎる。往復三時間、四時間前後の道のりは、限界を超えている。と、思いついて、能代駅の付近も検索してみた。能代から入道埼までは、約50キロ、ネットには、一時間と書いてあるが、一般道なのだから、やはり、一時間半くらいはかかるだろう。

秋田駅能代駅も、ダメ。ほかにないのか?これらの街と灯台の間には、もちろん、何軒か旅館・ホテルのようなものがある。が、お決まりのように、お一人様では泊まれない。まれに、一、二軒、お一人様プランもあるにはあるが、高い!一泊二食で¥18000もする。けち臭い話だが、男鹿半島へ行くには、新幹線とレンタカーで、五万以上かかるのだ。節約できる箇所は、宿泊場所しかない。結局、例の男鹿温泉郷の、お一人様プランのある旅館しかないわけだ。

四月の後半に出雲旅から戻ってきて、あっという間に五月、六月が過ぎ、七月になった。梅雨真っ盛りではあるが、画像補正をなんとか終えると、気持ちが、また灯台旅に向いてきた。旅日誌はと言えば、とうとう書かなかった。もっとも、三月の大旅行、紀伊半島旅に関しては、当初は書く気でいた。が、なんとなく気乗りしないまま、ずるずると時がたち、書こうかなと思ったときには、時間がたちすぎていて、書くことが思い浮かばなかった。

四月の出雲旅では、旅に出る前から、旅日誌は書かないことにしていた。そうだな、旅日誌のことについて、少し触れないわけにはいかないだろう。

何はともあれ、2020年の七回目までの灯台旅に関しては、長文の旅日誌を書いた。まったくもって、精も根も尽き果てるような作業ではあったが、書き抜いた。2021年の八回目の旅、八泊九日の紀伊半島旅に出かけたのは三月だった。前の旅、愛知旅からは、おおよそ四か月くらいたっていた。年初から、コロナの緊急事態宣言が出ていたし、寒い!ということが、旅に出ることをためらわせていた。むろんそればかりでもなかったと思うが、いまでは、よく思い出せない。

とにかく、その間に、ふと思いついて、旅日誌を朗読して、ユーチューブにアップしようとした。試作を作り、聞いてみた。まるっきり面白くない。朗読など、とんでもない!文章そのものが、面白くないのだ。そんな文章のために、何百時間も費やしたなんて、まったくもって、ばかげている。ま、百歩譲って、自分だけの覚書、という意味でなら、冗長な文章も許せるだろう。

しかし、この長文の旅日誌は、ブログにアップし、HPにも掲載するつもりだった。自分のためだけじゃない。人様に見せる、読んでもらう、発表するつもりで、書かれたものだ。だいいち、そうした動因なしには、長文の旅日誌など、書けなかったろう。

自分の文章を、自分で朗読してみて、その浅薄さ、稚拙さを、認めたくなかったが、認めざるを得なくなったのだ。

しょうがないだろう、要するに、書きなぐった文章だ。それをおこがましくも、なにかひと仕事しているような気分になって、アップしていたのだから、バカに付ける薬はない。少しの間、自己嫌悪に陥った。そして、旅日誌は、もう書くまいと思った。

話しを戻そう。七月の初旬に、灯台旅二回分の画像補正を終え、ほっとした。とりあえず、やるべきことはやった。宿題は終わったのだ。しかし、ある意味では、表層的な、目先のやるべきことが終わっただけで、本当にやるべきことは、依然として残っていた。ふん、やるべきことなんか、本当はないんだが、やるべきことがないと、どうにもこうにも、身を持て余してしまう。

本当にやるべきことは、と自分に言い聞かせていることは、<モロイ朗読>の新・改訂版を作ることだ。あるいは<マロウン>の朗読、あるいは<名づけえぬもの>の朗読だ。

いちおう、三つとも、ちょっとは手を出してみた。<モロイ朗読>新・改訂版は、始めの<1-1 書き出し>の録音は完了した。しかし、なぜか、その後が続けられない。<モロイ>新・改訂版は、一番実現可能な<やるべきこと>ではあるが、それとて、今の精神状態では<そこ=モロイ>に戻っていくのが辛いのだ。

マロウン>に関しても<1-1>は朗読して録音した。だが、こちらは、どうにもこうにも、重すぎる。なにしろ、死の床についている爺さんの独白だ。絵空事で、文字を音声化することならできる。だが、言葉=文章を、自分に引き付けて発語=朗読するには、それなりの覚悟というか、感情移入が必要だろう。今の自分には、その覚悟もないし、死の床についている爺さんへの感情移入もできない。ま、いつかは、できる時が来るさ。あと五年もたてば、俺だって、病気や死が現実問題になるんだ。ということで、あっさり保留にしてしまった。

ついでながらに書いておくと、<名づけえぬもの>も、少し朗読した。しかし、こっちは、<マロウン>よりも、なお遠い。雲をつかむような感じだ。朗読なんて、とんでもない!ということで、こちらもあっさり保留にした。

ということで、やはり、目先の課題としては、灯台旅が照準された。旅の準備をし、実際に旅をするとなれば、頭の中の<空白な時間>は霧散するし、ウソでも、偽善でも、何かをやっていれば<やるべきこと>からは解放される。いや、<やるべきこと>をやらない口実にはなる。いや、多少先延ばしすることができるのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#2 一日目(2) 2021年7月14日

 

出発

 

移動1

 

今年の梅雨入りは早かった。五月の下旬あたりから、天気がよくなかったので、梅雨明けは早いだろう、と予想していた。案の定、七月の中旬からは、天気予報に、晴れマークがずらっと並んでいる。一瞬迷った。灯台に行くべきか、行かざるべきか!灯台熱も、以前ほどではなく、それに、金もかかるしな。とはいえ、このまま、ずるずると、なし崩しのような、ジャズと読書の日々もつまらない!

ま、気分転換に、行ってみるか、と決断した。もっとも、気分的なことや金銭的なこと、それに体力的なことも考慮して、旅の日程は縮小した。つまり、灯台旅の流儀を少し変えた。まず、標的としている灯台だけを撮る。そのほかの、近辺の灯台には目をつぶる。次に、実際の撮影期間は、一日にする。前後の日は、予備として考える。

こうすれば、灯台旅は二泊三日に縮小できる。一日目は移動と予備としての夕方撮影、二日目は朝から晩まで撮影、三日目は予備としての午前撮影と移動。期間が短ければ、体力的にも金銭的にも、負担は少ない。これで、ますます気が楽になった。

ということで、七月十二日に、旅の手配と準備を始めた。例の旅館が、ちょうど、14日、15日と連泊できる。新幹線もレンタカーもネットで予約できた。旅の準備も、二時間ほどで終了。前日に、パッキングすればいいだけになった。それに、行くところが一か所なので、事前の調査も、さして時間がかからない。

入道埼灯台の、ネットにあげられている画像をざっと見て、どのあたりがベストポジションなのか検討した。だが、以前のように、綿密には検討しなかった。ま、熱が冷めている証拠だ。それに、実際に行ってみないことには、正確な判断はできないだろう。いや、現地に行っても、正確な判断などできないのだ。

とにかく、入道埼灯台は、周辺が芝生の広場で、その周りを360度見て回れば、何とかなるだろう。あ~あ、いつもの感じだ。かなり<てきとう>になっている。

小学校での担任のY先生に、学級委員でありながら、掃除をさぼったり、適当な学習態度がよくない、というようなことを通信簿に書かれた。なんだか、その時は、叱責されたような感じがして、気持ちが重かった。ややトラウマにもなっていた。だが、いま思えば、一般的な価値観で、人間を一刀両断にしているわけで、いまでは<てきとう>ということが、それほど悪いこととは思えない。むしろ、<てきとう>である方が、よいこともある。ま、思想、哲学的には、昭和の小学校の教員をはるかに超えてしまったわけだ。

灯台撮影に関しては、かなり<てきとう>に考えて、次に進んだ。日程については、少し書き残しておこう。14日9:32分の大宮発、秋田新幹線<こまち11号>に乗る。そのためには、七時過ぎには自宅を出て、最寄り駅から電車に乗らなければならない。さらに、逆算して、五時半に起きれば、七時には出られる。さらにさらに、五時半に起きるということは、前の日、夜の九時に寝ればいいわけだ。

さてと、前置きが長くて、失礼しました。ついに、第十回目の灯台旅、男鹿半島旅が始まる。前の晩は、予定どおり、すべての準備を完了して、夜の九時にベッドに入った。だが、眠くない。当たり前だ。いつもは、だいたい、午前零時前後に寝ているわけで、寝られるはずがない。で、最近の習慣で、ベッドで読書。ジャズ関連の本だ。うかうかと読んでしまい、あっという間に、十一時近くになってしまった。いかん、いかん。消燈。

灯台旅も慣れてきたので、しかも、車で高速運転するわけでもないので、気楽だった。以前のように、遠足の前の小学生みたいに、緊張して眠れないということはなかった。とはいえ、一、二時間おきに、夜間トイレ。これは、ま、いつもの習慣だ。で、ふと目覚まし時計を見たら、すでに午前五時過ぎになっていた。よく寝られた方だ。眠気はない。すっと起きた。

整頓、洗面、朝食・豆腐入りのお茶漬け、バナナ、牛乳。排便は小量。そのあとに、着替えた。どんな<出で立ち>なのか、たまには書き記しておこう。

足元は<ダナー>の灰色っぽい軽登山靴。中に、こげ茶色の厚めの靴下をはいている。ズボンは、おなじみになった<ギャップ>のホワイトジーン。ウェストが少し緩いので、太目の黒いベルトをつけた。上は、中に茶色のTシャツ、羽織るものとして、同じく茶色の長袖シャツ。これは、やや麻っぽい風合いである。あと、首に、浅黄色の綿マフラーを巻いた。ま、これは手ぬぐい代わりだな。自分で言うのもおかしいが、全体的に若作りで、70歳にもなろうとしている爺には見えないかもしれない。頭の毛も黒々としていているしね。

あとは小物。ベルト通しに磁石と腕時計をくっ付けた。<エース>の黒のポシェットを肩掛けし、そのストラップに黒い袋を取り付け、中に<ニコン>のコンデジを入れている。青色スカイのバックパックを背負い、キャスター付きの、飛行機持ち込み可能な黒いカメラバックを手で引きながら移動するつもりである。

いざ、出発。おっと、ニャンコに<行ってきます>というのを忘れた。だが、もういいだろう。<ペットロス>からは回復していたし、ニャンコのことは、ほとんど思い出さなくなっていた。

移動1

 

大宮に着いたのは、八時過ぎだったと思う。通勤時間帯だったので、車内が混んでいた。一応、周りの目を気にして、バックパックを、前に抱えるように背負った。背中でなく体の前面に背負ったわけだ。かなり大きなものだったので、胸が圧迫され、息苦しいような気がした。が、がまんした。

車内でバックパックを、前に抱えるという習慣は、最近のものだ。通勤、通学の際に、手持ちのバックではなく、バックパックを背負うことが常態化した結果で、車内での小競り合いが増えたからだろう。たしかに、自分も、電車の中で、背中をどんと押されるような経験をしたことがある。バックを背負っている奴は、それも、バックが大きければ大きいほど、他人にぶつけていることに気づかないのだ。

狭い車内、他人とぶつかったら、目礼したり、すいませんとか何とか、ちょっとした言葉をかけあえば、全然問題はない。だが、ドカンとぶつかってきて、知らん顔、いや本人は気づいていないのだから、知らん顔ではないのだが、ともかく、シカとされると、やや気分が悪い。小心で、臆病な自分でさえ、虫の居所が悪ければ、文句のひとつでも言いたいところだ。そんなこんなで、多少混んでいる電車では、バックは前に抱えるというマナーが定着したのだろう。自分もそれに従って、朝の通勤電車に乗り、大宮駅に着いた。

大宮の駅は、久しぶりだ。きれいになり広くなっていたので、新幹線の乗り場はすぐにわかった。ポシェットから<PASMO>を取り出し、右手の掌の中に包み込むように持って、改札口の所定の場所に押し当てた。すると、ピッと音がして、小さなゲートが開いた。ほ~、ちゃんと通れたよ。

JR東日本の<えきねっと>というシステムで、事前予約していて、料金もすでに引き落とされている。PCで予約ができ、しかも、手持ちの<ICカード>で改札を通過できるなら、事前に駅まで行って、切符を予約したり、買ったりという手間が省け、かなり楽ちんだ。そういえば、以前、テレビでこのシステムのことを宣伝していたっけ。

だが、疑り深い性質であるからして、新しい物やシステムには、多少の警戒心が働く。心のどこかでは、なにか齟齬があって、通れなかったらどうしようと思っている。出発時刻の一時間以上も前に着いたのは、そうした不安が払拭しきれなかったからでもある。一時間もあれば、たとえ不都合があったとしても、処理できるだろう。

ちなみに、不安の源泉は、普通の切符ではなくて、15%割引の<トクだ値>という切符で予約したからだ。この切符は、列車、日時の変更ができない。しかも、乗り損ねたら、それでおしまい。払い戻しされないようだ。いや、全額ではないらしいが、とにかく、予約した<こまち11号>大宮発9:32には、絶対に乗らねばならないのだ。ま、金のことを考えなければ、絶対に乗らねばならない、ということはない。

もっとも、<PASMO>で改札を通過できたといっても、秋田駅ですんなり出られるという保証はない。まったく疑り深い性質だ。だが、秋田駅まで行ってしまえば、齟齬があろうがなかろうが、そんなことは、たいした問題ではない。

で、案ずるよりは産むがやすし。あっさり、新幹線乗り場へ入った。出発までには、まだ時間がある。ホームには上がらず、待合室のような、広場のような所で、時間調整だ。ぐるっと見まわし、ちょうど、案内板が見えるベンチが空いていたので、そこに腰掛け、くつろいだ。

案内板には、まだ<こまち11号>の文字はなかった。ぼうっとしていると、七、八メートル離れたとここで、爺たちが三、四人、立ち話をしている。それもでかい声で。マスクはしているが、騒々しい。このコロナ禍の中、公共の場所で、なぜあんなにでかい声でしゃべっているのか、やや不快である。思うに、声のでかさと知性とは反比例するようだ。いや、これは偏見だろう。

さてと、九時十分も過ぎた頃、案内板の中の<こまち11号>の文字を、再再度確かめ、長いエスカレーターに乗って、ホームへ上がった。マナーに従って、エスカレーターの左側に立ち、キャリーバックは、立ち位置の一段上に置いた。お行儀がいいことだ。

出発時間には、まだ二十分も早いが、数人すでに待っている。まずもって、日本人は気が早い。並ぶほどでもないので、ベンチに腰掛けた。ふと思いついて、そばの自販機で、アルミボトルのコーヒーを買った。一口、二口飲んで、ちゃんと蓋を閉めた。あとは、車内に持ち込み、飲むつもりだ。

九時二十分頃に、鼻先がひゅっと赤い<こまち>がホームに入ってきた。あわててコンデジを取り出し、一枚撮った。自分の後ろには、大きなバックを抱えた、大学生たちが五、六人いた。おそらく、野球部か何かの合宿だろう。<14号車>と案内のある場所から、列車に乗った。

急かされるような感じで、列車内の通路に立ち入ったが、座席番号をど忘れして、一瞬、通路で立ち往生してしまった。後ろに人の気配がしたので、すぐに座席側に入って、大学生たちをやり過ごした。その後、手帳で座席番号を確かめて、再度通路を歩き出す。と、今度は大学生たちが、通路で、荷物を棚にあげたりしていて、通れない。無理して、横を通り抜けようとしたら、後ろから、すいません、というような声が聞こえた。あたふたしている後輩の非礼に気づいて、先輩がフォローしたわけだ。まあ~、若いのに、礼儀正しい。いや、むしろ、若い奴の方が、中高年より、礼儀正しいような気がする。ただし、若い女は、全くダメだな。いや、これも偏見だね。

窓際の席に落ちついた。あっという間に<こまち11号>は走りだした。黄色っぽい、クッションのいい座席で、足元も広い。ひじ掛けの内側に黒いボタンがあり、押すとリクライニングできた。むろん、リクライニングするときに、後ろを確認した。座っている人がいたら、一言、ちょっと下げます、とか何とか言うのがマナーだろう。ただし、このマナーは、必ずしも守られていないような気がする。いきなり、前の座席が、がくんと倒れて来る、というような経験が、自分にすら、二、三度ある。

今回は、そんな気遣いは無用。コロナ禍での、平日の秋田行きだ。ちらっとうしろをふり返えると、例の大学生のグループのほかは、四、五人しか乗っていない。ガラガラだ。軽登山靴を脱いで、くつろいだ。そのあとは、条件反射的に、窓の外の景色を眺めていた。これから旅が始まる、というようなワクワク感は、まるでなく、気分的には平静だ。ただ、久しぶりの新幹線、やっぱ速いなと思った。前橋ありからは、さらにスピードが上がり、風を切る音が大きくなる。すこし怖い感じがした。

いま調べたら、<こまち>の最大スピードは、320キロくらいあるらしい。どおりで、一時間ほどで仙台に到着してしまうわけだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#3 一日目(3) 2021年7月14日

 

移動2

 

仙台駅では数人降り、数人乗ってきた。次の停車駅の盛岡駅でも、同じような感じだった。と、アナウンスが耳に入ってきた。車両を切り離し、盛岡駅からは、進行方向が逆になるらしい。どういうことなのか?自分が乗った<こまち11号>は実体的には、<はやぶさ11号>と<こまち11号>が連結されたもので、<はやぶさ>の方は、いわゆる東北新幹線で、新青森まで行く。一方<こまち>の方は、盛岡で切り離されて、在来線を走って、秋田まで行く、というわけだ。

と、ここからはいま調べたことだが、本来、新幹線と在来線とでは、線路の幅が違う。これは、たしか、小学生の頃に教わったことがある。となると、新幹線である<こまち>は、盛岡から秋田までの区間、在来線を使うことはできないのではないか?これは、半分は正解で、半分は間違い。在来線の田沢湖線(盛岡~大曲)と奥羽本線の一部(大曲~秋田)のレール幅を改良工事で大きくして、新幹線が走れるようにしているのだ。

時間と空間を戻そう。二時間足らずで、盛岡駅に着き、車内アナウンス通り、列車が反対方向へ動き出した。なんだか変。戻っている感じがする。だが、もっと変なことに気づいた。線路に柵がない。スピードが遅い。待ち合わせとか言って、頻繁に停車する。なんだこりゃ~!車両は新幹線だが、内容的には<特急>だ。しかも<待ち合わせ>ということは、<単線>だ。

秋田新幹線<こまち11号>は、大宮駅から秋田駅まで、およそ三時間半だ。だが、大宮から盛岡まで二時間弱で着いた。となれば、あとの一時間半が、盛岡から秋田までの走行時間となる。これからまだ、一時間半も、たらたら行くのか、と思いながら、窓の景色を眺めた。山間部をぬって走っている感じで、何の面白みもない。雫石、田沢湖、角館、大曲と停車して、秋田駅には、予定通り、一時ちょい過ぎに着いた。

駅構内は閑散としていた。改札は<PASMO>で何の問題もなく、ピッと通過できた。東口から、長い階段を下りて、外に出た。駅前広場は、整備され広々としている。その分、さらに閑散としている。すぐ近くのNレンタカーまで、キャリーバックをごろごろ転がしながら歩いた。梅雨明け十日!雲一つない晴天、こりゃあ~、猛暑だな。

Nレンタカーの事務所に入って、手続きをした。予約は、14時からだから、四十五分ほど早い。その分、追加料金を¥1000、取られた。請求書が出てくる前に、何も説明がなかったので、少しごねた。係の若者は、ではいったん契約解除して、やり直しますかと聞いてきた。だが、この暑い中、時間をつぶす所もないし、すでに現地入りしているわけで、男鹿半島へ向けて、早く出発したかった。そのままでいい。カードで支払いを済ませ、用意してあった車に乗った。

出雲旅の時と同じだ。灰色の<スイフト>だった。ナビの操作などを、ちょっと教えてもらい、すぐに出発した。その際、<入道埼灯台>まで、高速でも一般道でも、あまり変わらない、と係の若者がアドバイスしてくれたので、一般道を選択した。どちらも、ほぼ58キロ、二時間弱の行程だ。

一時間半くらいだと思っていたが、二時間かかるのか!秋田に泊まらなくてよかったよ。それに、高速を使わないのなら、¥1000オーバーしたぶん、差し引きゼロだ。みみっちいことを思いながら、秋田の市街地を走り抜けた。道は広く、きれいな大きな町だった。

その時は思わなかったが、帰路、同じルートを通った時に、ふと思った。市街地に、これだけ大きな道があるのは、<空襲>を受けたんじゃないか、と。いま調べたら、カンが当たっていた。

1945年8月14日の夜から、翌15日にかけて、B29が130機飛来。海岸沿いにある製油施設と、市街地が被害を受け、250人以上が犠牲になった。<土崎大空襲>。大日本帝国が、米軍から受けた、最後の空襲だった。そういえば、自分の住んでいる埼玉県の熊谷も、同日、ほぼ同時刻に空襲を受けている。<熊谷空襲>。1945年8月15日。敗戦の日に、ここでも、多くの人命が失われている。この二つの空襲は、今から76年前だ。かなり前とはいえ、自分の生まれる、ほんの七年前のことだ。自分にとっては、そんなに昔のことじゃない。

市街地を抜けると、左手に海が見えた。海岸沿いに、大きな施設が見える。そう、秋田には、たしか海底油田があったはずだ。となると、あれは製油施設だな。片側二車線の広い道を、気分良く、さらに行くと、巨大な<なまはげ>の立像が二体、目に入った。ハンドルを左に切って、<男鹿総合観光案内所>の駐車場に入った。

車の外に出た。暑い!キャリーバックからカメラを取りだして、巨大な<なまはげ>を何枚か撮った。正面からは、逆光だ。うしろに回って、出刃を振り上げている後姿も撮った。おもしろい!近寄って、どんな材質でできているのか、触ってみた。硬かったが、樹脂のような感じだった。

施設の中に入り、お土産を物色した。小さな<なまはげ>の置物があった。中に何か入っていて、カラカラと音がする。¥770の、手のひらに収まる程度のものを買った。ただ、いま思い出してみると、顔が赤いのと青いのがある。たしか、どちらも出刃と桶を持っていたような気がする?

帰宅後に調べてみると、例の、巨大な<なまはげ>も、ネットで出てくる<なまはげ>の画像も、ほぼすべて<出刃と桶>は青い<なまはげ>が持ち、赤い<なまはげ>は<御幣=ごへい>という棒の先にひらひらした紙がついているものを持っている。ちなみにこの<御幣>は、神様であることの印らしい。

ベッドの背もたれの上を見た。ニャンコの白い骨壺と愛知旅で買った<三毛の招き猫>が並んでいる。その前に、紀伊半島旅で買った那智黒石の小さな招き猫と顔の赤い<なまはげ>がいる。やはり<出刃と桶>を持っている。これは、おかしいだろう?赤い<なまはげ>は<御幣>を持っているはずだ。これは、たんなるミステイクなのか?あるいは、素材的に<御幣>を作るのが難しかったのか?

ヒマなんだから、真相について調べることもできるだろう。だが、めんどくさい。それに、<なまはげ>は地域、地域によって、多種多様らしい。赤い<なまはげ>が<出刃と桶>を持っていることも、許されるのだろう。

なお、この<出刃と桶>は、炉端で低温火傷したときにできる<かさぶた>を削り取って入れるものらしい?しかし、この説明は説得力に欠けるな。<出刃>を振りかざす<なまはげ>は、暴力的で、恐怖を呼び起こす。持っている<桶>は<出刃>で切り刻んだ、人間の部位を入れるものではないのか?怖いもの見たさが、恐ろしいイメージを喚起する。

あと、赤い方が爺、青い方が婆で、二人は夫婦らしい。<なまはげ>が夫婦であったというのも、驚きだが、頭が大きくて、わけのわからないアイテムを持っている姿は、アニメのキャラクターのようで、滑稽味がある。しかし、幼児にとっては、今でも恐怖の対象だし、一方、大人にとっては、郷愁の産物となっている。自分も、<なまはげ>には、なんとなく魅かれるところがある。

巨大<なまはげ>を後にして、男鹿市の手前で<なまはげライン>に入った。その際、どこの港なのか?海に突き出た長い防波堤の先に、灯台が小さく見えた。帰りに寄ろうと思った。(この防波堤灯台は、船川港の<船川防波堤灯台>だと、今調べてわかった)。小一時間、さほど山深くもない山間部を、貸し切り状態で走った。そのうち、点在する民家もなくなり、少し急な登りになった。

さらにナビに従っていくと、道は平らになり、半島の上に上がったようだ。と、<男鹿温泉郷>という看板が見えた。なるほど、宿はあっちの方だなと思いながら、さらに直進。すると、右側にチラッと海が見えた。木立があり展望はよくない。どうやら絶壁になっているようだ。

前を向くと、本格的なキャンピングカーがたらたら走っている。道が狭いから、追い抜くことは危険だし、それに億劫だ。と、道の両側に民家が建てこんできた。灯台が近いなと思った。案の定、正面の建物の上に、白黒の灯台の上半分くらいが見えた。やっと着いたよ。途中、ちょっと寄り道したものの、秋田駅から入道埼灯台まで、やはり二時間ほどかかっていた。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#4 一日目(4) 2021年7月14日

 

入道埼灯台撮影1

 

      入道埼灯台撮影2  

 

男鹿半島の先端、入道埼灯台に着いたのは午後の三時半頃だった。快晴で、空は真っ青だ。陽は少し傾きかけていたが、真夏の太陽が、ギラギラしていた。広い駐車場には、前を走っていたキャンピングカーのほか、二、三台の車が止まっているだけだ。それと、横一列に、五、六軒並んでいる土産物屋は、すでにシャッターを下ろしていた。閑散としている。だが、さびれた感じはしない。広々していて、気持ちのいいところだ。

灯台の周辺は、芝生広場になっていて、緑が鮮やかだった。正面には、海があり、少し上に、まともに見られないほど眩しい太陽があった。車から出て、さっそく磁石で方位を確認した。灯台は、やや北西方向にあり、夕陽と絡めて撮るのは難しいかもしれない。つまり、灯台と夕陽の間には、かなりの距離があり、自分のカメラの画角では、両者を一枚の写真におさめることはできそうにない。ま、これは、予期していたことだ。ネットには、そうした、夕陽と絡んだ入道埼灯台の写真は、ほぼ一枚もなかった。これは、灯台と太陽の位置関係からして、物理的に無理なのだろう。

駐車場と芝生広場の間には道路があった。といっても、通る車はほとんどない。左右を気にせず道を渡り、広場に入った。芝生だと思った緑のじゅうたんは、少し背の高い牧草のような草(芝草)で、ところどころにアカツメグサが群生している。白黒の灯台との距離は、そうだな、70~80mくらいかな?思ったほど巨大ではない。

左側には資料室のような平屋の建物が立っている。右側にも、何とも形容しがたいが、骨だけになった雨傘を逆さに立てたような、無線アンテナ(中波無線標識か?)がある。さらにその横に、灯台よりも大きなレーダー塔(無線方位信号所)が立っている。景観という観点に立てば、邪魔といえば邪魔だな。だが今日日、これらの鉄の構造物は、灯台付近に、必ずといっていいほど併設されている設備で、致し方ない。

カメラ一台を首にかけ、撮り始めた。念のために、予備の電池を一個、黒いポシェットの中に放り込んだ。ためし撮りなので、すぐには、灯台の正面にはいかず、広場の中の遊歩道を歩きながら、五、六歩行っては、立ち止まり、灯台にカメラを向けた。遊歩道の先には、なにか黒っぽいモニュメントが立っている。広場の中にも、それよりは小さい物体が点在している。ま、これらは、眼前に広がる、緑のじゅうたんと灯台と空との、いわば全体的な布置の中では小さなもので、ほとんど気にならない。

遊歩道からそれて、草深い中を、海へ向かって少し行くと、断崖になっているようだ。用心して、三、四歩前で立ち止まる。臆病で、爺になっているので<断崖>を覗きこむようなことはしない。行き止まりだということを確認して、こんどは<断崖>沿いに、モニュメントの方へ行く。

ちなみに、広場に足を踏み入れた時から、灯台の全景は見なくなり、資料室の屋根越しとなる。しかも、灯台と水平線を一つ画面におさめるには、<断崖>に近づきすぎてもよくない。広場の真ん中あたりが、一番マシ、ということだ。

撮り歩きしながら、モニュメントに到着した。自分の背丈以上あり、黒い石の立派な構造物だった。回りに円形状の腰掛もあり、そばに、むろん、案内板もあった。だが、気持ちが急いていたので、案内板は見なかった。とういうのも、灯台周りの探索を早く済ませ、いったん宿に入って、再度、日没の一時間前くらいから、撮影したかったからだ。いわゆる<ゴールデンタイム>だ。

なんというか、瑣末なことばかりが気にかかる。例えば、今回の場合、宿の夕食は、七時からということになっている。部屋に持ってきてくれるそうだが、それにしても、チェックインが七時過ぎるのはまずいだろう。ちょうどこの日、日没は午後七時十分ころだ。夕食と日没の時間が重なっている。どっちか取れ、というなら、最初で最後の夕陽のきれいな男鹿半島に来ているんだ、日没の撮影を取る。ま、旅館の夕食も、楽しみではあるが、千載一遇、夕陽に染まる入道埼灯台を逃すわけにはいかないだろう。

とにかく、早く、灯台周りの探索を終えねばならない。いま居るモニュメントの位置は、灯台から50m位離れた断崖沿いだ。ということは、海に背を向けている。構図としては、灯台が真ん中にあり、その左側に、資料室の建物、雨傘の骨組み(無線標識)、巨大なレーダー塔が横並びしている。快晴だから、空は<青>。要するに、水平線が見えない分、奥行き感、遠近感がなく、平板な構図だ。

最近は、写真の奥行き感、遠近感にこだわっている。というのも、自分で撮った灯台写真を選別する際、そこに、水平線があるかないかで、写真の見え方が全然違うのだ。写真の中に水平線があると、単純に言って、開放感がある。灯台の垂直は視線を上下させ、海の水平線はそれを左右に動かす。さらには、焦点距離が伸ばされ無限大になる。左右上下、遠近の、この目の動きが、奥行き感、遠近感、さらには解放感といったことの身体的根拠なのかもしれない。

それはともかく、最近の撮影では、構図的、絵面的な<ベストポイント>に、さほどこだわらなくなってきた。灯台という構造物と付近の景観が、あるていど調和しているなら、ベスト、ベターは、事後の選別の際に決めればいい。むろん、これまで通り、撮影の際は、いちおう灯台の周りを360度撮り歩くが、やみくもに全方位的に撮りまくることはなくなった。つまり、灯台と水平線がひとつ画面におさまる場所を重点的に撮るようになった。構図や絵面の美しさよりも、写真の中にある遠近感や開放感の方が面白いと感じているわけだ。

したがって、海を背にしてしまうと、とたんに、撮影テンションが下がった。空の景色がよければ、まだましだが、<青>一色だ。とはいえ、灯台の裏側も見て回らないわけにはいかないだろう。断崖に沿って、撮り歩きを始めた。おそらく、一時間以上はたっている。猛暑だ。体力的には、もう限界に近かった。うんざりしたのを覚えている。

 

入道埼灯台撮影2

 

入道埼灯台は、地形的に280度くらいの展望=明弧があるらしい。つまり、海から見た場合、灯台の光が見える範囲が広い。陸地から見た場合は、要するに、ぐるっと海が見わたせるわけだ。したがって、西側だけでなく、北側の展望もいい。目を細めると、はるか遠くに、細長い陸地が見え、そこに、巨大風車が等間隔に並んでいる。それがどのへんなのか、頭の中で考えた。能代あたりだろうか?ま、いい。

北側からの、灯台はといえば、こんもりした林にさえぎられて、上半分が見えるだけだ。まるっきり写真にならない。林に沿って、遊歩道のような道がある。このままいけば、灯台の正面に出られるだろう。と、断崖の下に遊覧船が止まっているのが見えた。そばに看板もある。<遊覧透視船>。なるほど、海がきれいだから、船底から海底を覗くような仕掛けになっているのかもしれない。ただし、<欠航中>。

断崖に近寄って、下を覗きこんだ。渡船場があり、その先端に遊覧船が係留されている。手前には、大きな建物があり、オレンジ色の屋根に<遊覧船待合所>と書いてある。炎天下の中、ひとっ子一人いない。船も看板も建物も、ふるびて時代がかっている。さびれた観光地だ。だが、ここからの景色が絶景であり、海の色が驚くほどきれいであることに、間違いはない。

こんもりとした樹木に沿って歩いた。そこが唯一日陰になっている。すぐに、灯台の正面側、つまり、駐車場の北側にでた。右を向くと、広めの遊歩道の先に、灯台資料館が見えた。トイレがすぐそばにあったので、用を足した。

さてと、灯台は資料館の右側にある。だが、距離が近すぎる。それに、周辺に巨大なレーダー塔など、いろいろごちゃごちゃしていて、まるっきり写真にならない。とはいえ、一応、灯台を見に行った。

資料館の受付は閉まっていた。灯台内部に入れるのは、午後四時までらしい。もっとも、暑さでぐったりしていたので、登るつもりもなかったが。灯台周りにも、いろいろな案内板があった。だが、目を通す気力もなく、とにもかくにも、灯台の入口の前まで行った。

ここまでは、比較的遠目から見ていたので、灯台のその巨大さに、ちょっとびっくりした。見上げると、ぶっとい白黒の胴体の先、つまり灯台の頭部は、死角になってよく見えない。したがって、いわゆる<灯台>のフォルムではない。むろん、写真も撮らなかった。とはいえ、あした体調を整えて登ってみようと思った。いや、ここまで来たんだ、登るべきだと思った。

灯台に背を向け、駐車場沿いに歩いていくと、シルバーの小さな車がポツンと止まっているのが見えた。自分のレンタカーだ。ふと、気まぐれを起こし、また、広場に踏みこんだ。灯台に正対した。同じ構図だが、さっき来た時とは、明かりの具合が違う。念のためだ。まだ、気力、体力に余力が残っていたのだろう。

車に戻った。午後五時少し前だったと思う。宿までは、十分足らずだ。チェックインだけ済ませ、夕方の撮影のために、すぐに戻ってくる、という予定を立てた。遅くとも、午後六時過ぎには撮影を再開できるだろう。一息入れて、駐車場を出た。意外に疲れていない。新幹線で来たからな、と思った。高速道路を何百キロも運転してきたのではない。疲労度が全然違うのだ。

<男鹿温泉郷>に入って、突き当りを右に行くと、十階建てくらいの大きな旅館がいくつもある。その一角に、予約した旅館があった。外見はそんなに悪くない。それに、受付の女性が、おもいのほか愛想がよくて、ま、美人だった。ところが、エレベーターに乗って、部屋に入ると、とことん老朽化している。畳こそ、すり切れていないが、壁はシミだらけ、縁がめくれている。さらに洗面所も、風呂も、かなり汚い。二泊だから、我慢だな。それに今は急いでいる。部屋の汚さにこだわっている場合ではない。

すぐに下に下りて、受付の女性に、戻ってくるのが午後七時半過ぎになることを伝えた。部屋に食事を運んでおいてくれるとのこと。これで安心して、出かけられる。ビジネスライクだが、それにしても、愛想がいい。

予定通り、午後の六時過ぎに、入道埼灯台に戻った。黄色っぽくなった太陽は、水平線の三十センチくらい上の辺りまで下がっていた。だが、依然として、まぶしくて、まともには見られない。日没は午後七時過ぎだ。

遊歩道の入口から、芝草広場に足を踏み入れた。すぐに道からそれて、草深い中に入った。灯台と水平線が一つ画面に入る場所を、カメラで確認しながら、ぶらぶら撮り歩きした。断崖に近づきすぎても、よくない。灯台が見切れてしまうのだ。流石に、暑さはおさまってきて、辺りが、なんとなくオレンジ色っぽい。

芝草広場には、アカツメクサのほか、名前の知らない白い花なども咲いている。お花たちを踏まないように歩いた。だが、ま、ここは勘弁してもらう、おそらく踏んづけているだろう。

さてと、太陽がかなり下がってきた。今や水平線のほんの少し上にある。その夕陽と灯台とをひとつ画面に収めたいのだが、両者に距離がありすぎて、構図的なバランスが悪い。ま、それでも、道路際の広場への入口辺りがベストだろう。三脚を車に取りに戻った。その際、ふっと辺りを見回すと、なんとなく人影が増えたような気がした。入道埼は、夕陽の名所だから、観光客たちが、日没の時間に集まってきているのだ。

沈む夕陽と灯台を一つ画面入れる。入道埼灯台の、そんな写真は見たことがない。要するに、地理的関係で無理なのだ。だがそうでもないぞ。道路際に並んでいる木の柵沿いに三脚を立てた。そばに、若い女の子が二人、スマホを夕陽に向けている。

夕陽と灯台をひとつ画面に収めることはできる。ただし、夕陽は左端、灯台は右端。構図的には、はなはだ心もとない。とはいえ、ちょっと真剣になって撮った。まさに<ゴールデンアワー>だった。刻一刻と、太陽が水平線に近づいていく。空も海も広場も灯台も、ますますオレンジ色に染め上げられていく。周辺にいる誰もが、スマホやカメラを夕陽に向けていた。妙に静かだった。

夕陽が水平線に到着した。周囲が、少しざわついたような気もする。自分も、灯台をそっちのけにして、その光景を撮った。黄色の丸は、水平線にかかると、あっという間に半円になり、姿を消した。その間五分くらいだろうか?とたんに、神々しい雰囲気は霧散して、ざわざわしはじめた。広場の中、断崖やモミュメント付近にいた見物客たちが戻ってきた。午後の七時十五分頃だった。

この後の<ブルーアワー>は、明日撮ることにして、自分も車に戻った。駐車場の車やバイクは、あっという間に、蜘蛛の子を散らすように引き上げていった。あとには、自分の車と、例のキャンピングカーしか止まっていない。あたりは薄暗くなっていた。キャンピングカーは、今晩ここで車中泊するのだろう。

水平線に沈む夕日は、たしかに美しいし、希少価値がある。ただし、今回は、さほど感動しなかった。写真としても、記念写真の域を出ていない。<日没>は、本当に美しいのか?べつに、それほどでもないよな。いつもの天邪鬼だ。宿へ向かった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#5 一日目(5) 2021年7月14日

 

最果ての温泉旅館

 

ほぼ午後七時半に宿に着いた。受付で、愛想のいい女将からの挨拶を受け、エレベーターに乗った。部屋に入ると、座卓の上に夕食が並べられていた。シャワーでも浴びたい気分だったが、腹が減っている。でも一応、ユニットバスを覗いてみた。先ほど、駆除し損ねた<ヤスデ>が気になっていたのだ。

そうよ、チェックイン時に、ユニットバスを確認した際、桶に隠れていた<ヤスデ>に出っくわしたのだ。え~~~~~!と思った瞬間、奴は、排水溝の中に逃げ込んだ。どうしようもないではないか。ぴたりとドアをしめた。這い出る隙間なないよな、奴を閉じ込め、ユニットバスには絶対入るまいと思った。

ヤスデ>の姿は見えなかった。いや、気持ち悪いので、よくは確認しなかった。ところがだ、夕食の席に着く際、脇にあったポットをどかしたら、黒い影が急に動き出した。畳の上を、たくさんの足が大慌てで動いている。ややパニックになったが、すぐ冷静になり、駆除するものはないかと、辺りを見回した。新聞紙か雑誌があれば最高だが、そんなものはどこにもない。仕方ない、座卓の上にあった茶色い案内冊子を手に取り、狙いを定めた。うまく仕留めた。だが、もうこれ以上書く気がしない。殺生はしたくはなかったのだ。

気持ちを取り直して、夕食の席に着いた。食べるものが山ほどある。ほとんどが魚料理で、量も多い。とくに刺身はうまかった。場所柄なのだろう。完食して、満腹だ。さてと、寝る前に温泉だな。ポシェットとカメラを、備え付けの金庫に入れた。金庫の鍵は、冷蔵庫の上のカップ入れの後ろに隠した。まずもって、小心なのだ。

バスタオルとペラペラの手ぬぐいをもって、エレベーターで二階に下りた。温泉の入り口には、青い暖簾がかかっている。<男>の文字が白抜きしてある。温泉には誰もいなかった。まずまず広くてきれいだ。湯船では、手足を伸ばして、ゆっくりくつろいだ。食事と温泉は、まずまずだが、部屋が汚すぎる。一泊¥11500。値段的に、高いのか安いのか、判断に迷った。

部屋に戻った。座卓の上に、食い散らかした夕食が、置きっぱなしだ。このまま、というわけにもいかないだろう。受付に内線電話をかけると、例の愛想のいい女将が出て、下げに伺いますとのこと。少したって、廊下で音が聞こえた。ドアを開けると、紺の作務衣のような服装の、白いマスクをした<ゆりやん>のような若い女性がいた。

仲居さんというか、旅館の従業員は、婆さんばかりだと思っていたので、やや意外だった。彼女は、アルバイトなのか、ぎこちない感じで、控え目だ。ふと思いついて、財布から、千円札を一枚取り出し、彼女に渡した。別に下心があったわけではない。ある程度の旅館に泊まったら、仲居さんへの心付けは、マナーだろう。昭和の時代には、それが当たり前だった。彼女は遠慮したが、出したものを引っ込めるわけにもいかず、やや強引に受け取らせた。

今の時代でも、仲居さんに心付けをするのがマナーなのか、よくわからないので、ネットで調べた。やはり、<心付け>の習慣は、いまだに活きているようで、とくに、何か特別なことをしてもらったら、感謝の意味で渡した方がいいらしい。ただし、財布から現金をだして、そのまま渡すのはNG。なにかに包んで渡すのが礼儀らしい。急なときには、テッシュでもいい。なるほど、そこまでは気が回らなかった。ま、その点は、勘弁してもらおう。

ゆりやん>は食器類を廊下に出し、ふり返って、丁重に、おやすみなさいといって、部屋から出て行った。マスクをしているので、器量のよしあしは、しかとは判断できない。だが、色は白いような気がした。秋田美人、という言葉が思い浮かんだ。雪国で、陽に当たることが少ないので、色白なのだという。一見もっともらしい話だが、本当なのか?

ちょっと調べてみると、秋田県は日照時間も少ないらしいので多少蓋然性があるようだ。あとは、ウソかホントか、大昔、ロシアやヨーロッパから渡ってきて人達の、白人しかもっていないウイルスの遺伝子が、十人に一人の割合で残っているからだ、という説もある。そのほか、温泉とか食べ物とか、きりもない話だ。

とはいえ、日本三大美人(京美人、秋田美人、越後美人)という俗説の中に、雪国が二つも入っている。そういえば、<雪女>も美人の妖怪だ。雪と美人は、なにか関わりがあるのかもしれない。思えば、受付の女将も美人だった。自分の都合の良いことだけが、脳裏に浮かんできて、勝手に思い込んでいるだけだ。なかば迷信のような、俗説を信じてはいけない。

座卓の横の布団に寝転がった。布団は、温泉に行く前に自分で敷いておいた。横になると、クッションがよくないので、押し入れからマットレスをもう一枚出して二枚重ねにした。枕も、もう一個出して、二つに重ねた。部屋は汚かったが、敷布や布団カバーは、パリッと糊がきいていて、気持ちよかった。一瞬、<ヤスデ>がまだどこかにいるような気もしたが、考えないことにした。

蒲団の上に座りなおして、手帳に、日誌を走り書きした。そのあと、のどが渇いたので、飲み物を買いに、二階に下りた。猛暑での撮影と温泉とで、脱水気味なのかもしれない、などと思った。薄暗い館内に、人の気配はなく、なんとなくかび臭い。自販機の前に立った。ビールはあるが、ノンアルビールはない。コーラを買って、戻った。

寝る前に、歯磨きだ。歯ブラシは持参している。歯磨き粉は、面台に置いてあった、アメニティーの白い小指ほどのチューブを使った。その際、破った紙片を捨てようと、下にあった、ゴミ箱を見た。普通、ゴミ箱には内側にレジ袋のようなものがぶせてある。掃除する時に手間がかからず、ゴミ箱も汚れないからだ。そういえば、小さな鏡台の横にあったゴミ箱も、いわば<裸>だった。なんとなく、汚らしい感じがした。

歯を磨きながら、洗面所周りを見た。設備が古いのは致し方ない。だが、掃除が行き届いていない。いや、汚い。それに、壁紙が茶系のストライプ柄、床もこげ茶色なのに、洗面器の色がきれいなピンク色だ。そうだ、便器もピンクだった。なぜ、一般的な白でなくピンクを取り付けたのか、理解に苦しむ。

そう、最高にシュールだったのは、トイレだ。一応、温水便座だから、自分にとっての最低ラインはクリアしている。だが、使用中に、辺りを見回すと、床、天井、壁が、それぞれ、まったく異なった材質のフローリングや壁紙で内装されていて、色合いにも統一感がない。これあきらかに、その都度、劣化した部分を、一か所ずつ交換修繕したからだろう。むろん、その中に、ピンクの便器も入るわけだ。

建物自体は、おそらく、1970年前後に建てられたものだと思う。高度成長時代になり、庶民の団体旅行が流行り出した時期だ。この最果ての<男鹿半島>も、<なまはげ>を売り物にして、<ディスカバージャパン>の波に乗ったのだろう。

とすれば、すでに築五十年以上たっている建物だ。部屋が古くて汚いのは値段相応、ということで、客も我慢する。だが、トイレ、風呂、洗面所など、水回り系の不備にはクレームをつける。旅館側としても、最小限の修繕はせざるを得ない。一気に修理すると修理代がかさむから、不備なところだけを修理する。いきおい、ちぐはぐな感じになる。それが、トイレという狭い空間の中では、ことさら際立ったのだろう。

それにしても、このデタラメな内装は、人間の美的観念を大きく逸脱している。意図してデザインできるものではない。と考えると、居心地の悪かったトイレ空間が、なにやら<シュール>な感じがしてきて、じっと座っていることが、それほど苦痛ではなくなった。生理的な嫌悪感ですら、ある程度は、知性で相殺できる。哲学的知見の実証例のような気がした。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#6 二日目(1) 2021年7月15日

 

大広間で朝食

 

入道埼灯台撮影3

 

時間調整

 

男鹿半島旅、二日目の朝は、最果ての温泉旅館の一室で目が覚めた。すでに朝の六時半だった。昨晩の記憶は定かではなく、<走り書き>にも何時に寝たかは書いてない。だが、おそらく、夜の十時過ぎには寝ていたのだろう。寝不足感はない。夜中に、物音もしなかったし、熟睡できたほうだ。洗面などをすませ、着替えた。七時半に、二階の大広間で朝食、という予定になっている。

七時半少し前に部屋を出て、大広間へ行った。入った途端にカビ臭い。これは、自分が匂いに敏感だから、といったレベルの話じゃない。かなりカビ臭い。ま、文句を言うわけにもいかず、席に着いた。その際、ちらっと大広間を見回すと、かなり遠くに、年配の夫婦連れが一組だけいた。

席に着くと、どこからともなく<ゆりやん>が現れて、ご飯とお茶、味噌汁を持ってきてくれた。目の前のお膳には、朝食とはいえ、かなりたくさんのおかずが並んでいた。ほぼ完食してしまったが、まずくはないが、うまいとも思わなかった。あと、<ゆりやん>のよそってくれたご飯だけでは、ものたりず、すぐ近く置いてあった電気釜まで行って、茶碗に山盛りのごはんをよそった。これだけ食べれば、夕方までもつだろう。

電光石火、あっという間に平らげて、満腹。ただ、添えてあった<ヤクルト>は、部屋で飲もうと思って、手をつけなかった。食後、お茶をのみながら、今一度辺りを見回した。またカビ臭いにおいがしてきた。なるほど、たしかに、大広間だ。半分で仕切ってあるが、それを取り除けば、小さな体育館くらいの大きさはある。

ちなみに、舞台もあった。最盛期には、あそこで<なまはげショー>や<歌謡ショー>が繰り広げられたのかもしれない。経験的に言えば、<ストリップショー>もやっていたはずだ。若い頃、バイト先で、半強制的に連れていかれた社員旅行での出来事だ。ストリッパーや社員たちの俗悪さに、慄然としたものだ。

お茶を飲み終えて、すぐに席を立った。またカビ臭いにおがした。老夫婦は、まだ食べている最中だった。大広間を出ると、横の調理場から、<ゆりあん>が出てきた。<ごちそうさま>と声をかけると、丁重に<お気つけて行ってらっしゃいませ>とか言って頭を下げた。訛りはなかったような気がする。

部屋に戻り、<ヤクルト>を飲んだ後に、出発準備をした。ふと思いついて、カメラで室内の様子を、二、三枚撮った。むろん明日のチェックアウト時でもいいのだが、同じことだろう。だが流石に、ユニットバスの扉は開けなかった。<ヤスデ>がトラウマ?になっている。排便は、多少出たので、気分はよかった。<シュール>なトイレではあるが、温水便座はちゃんと機能していた。

下におりた。受け付けカンターへ行き、金属製のベルを<チン>と押すと、奥からすぐに女将が出てきた。マスクをしているので、表情はよくはわからない。とはいえ、笑顔でお愛想を言っている。鍵をあずけ、美人の声を背中に受け、広い玄関口に立った。下を向くと、自分の軽登山靴が、きちんとそろえて置いてある。さらに少し離れたところに、男物と女物の靴が二足、並んでいる。大広間に居た老夫婦のものだろう。とすると、泊っていた客は、三人だけか!どおりで人の気配がしないわけだ。

 

入道埼灯台撮影3

 

<8:00出発>と手帳に書いてある。外に出た。朝から暑い。今日も快晴、雲一つない。駐車場には、何台か車が止まっていた。宿泊客は、自分のほかには老夫婦だけだから、誰の車なのだろう?ほかにも宿泊客がいたのかな、どうでもいいこと思いながら、車に乗った。ナビはセットしなかった。灯台への道順は覚えている。というか、出てすぐ左に曲がって、突き当りを右に行けばいいだけだ。

<8:30 入道埼 さつえい>。灯台前の駐車場には、一、二台、車が止まっていた。土産物屋はまだ閉まっている。閑散とした感じだったが、朝から陽射しが強く、すでにげっそりするほどの暑さだ。灯台はといえば、東からの斜光を受けて、いい塩梅だ。まだ太陽が低いので、広場の緑も鮮やかだった。

<撮影は午前中>と、なにかで読んだ覚えがある。たしかに、陽が昇るにつれて、地上の色合い、とくに緑色が、黒っぽくなっていく。きれいには撮れない。とはいえ、自宅から700キロも離れた、この最果ての地に来て、午前中だけしか撮らない、なんてことはあり得ないだろう。

写真がきれいとか汚いとか、そんなことは問題ではない。午前、昼、午後、夕方、夜と、最低限、このバリエーションだけは撮るつもりでいた。時間とともに変化する灯台と、その風景を、この目で確かめたいと思った。なぜだかわからない。とにもかくにも、丸一日、灯台と向き合うつもりで、ここまで来たのだ。カメラは、その行為をサポートしてくれる相棒だし、写真はその行為の記録なのだ。

まずはじめに、道路際から、灯台の正面を撮った。次に広場の遊歩道に入って少し撮り、そのあと、遊歩道から草深い中に入った。みな、構図的には、昨日とほぼ同じだ。だが、明かりの具合で、写真が全然違う。なにしろ、広場の緑が鮮やかだ。これは、東からの斜光のおかげだ。なので、断崖に近づけば近づくほど、つまり西側に移動していくと、いきおい逆光気味になり、緑の鮮やかさが失われる。太陽が東側にある時に、西側から撮れば逆光になる。おわかりいただけるだろうか。

したがって、二日目午前の撮影は、広場入口から、ほんの50mほど移動しただけだった。とはいえ、同じルートを戻ったのではない。復路は、往路よりは、灯台に対して、遠目を歩いた。見え方が多少はちがうだろう。もっとも、構図的にはたいして変わらないから、ほとんど意味はなかった。そうはいっても、同じ道を戻るわけにはいない。それが、自分で決めた撮影流儀だからだ。しかし、暑いということもあり、やる気がでない。とりあえずは車で休憩だな。まだ<9:30>だった。小一時間の撮影だが、むせかえるような暑さに、げんなりしていた。

 

時間調整

 

車に戻った。エアコン全開で、水分補給をしたような気もする。靴と靴下を脱ぎ、さてと、これからの予定を考えた。少なくとも、あと一、二時間、お昼までは、この明かりの延長上の情景で、見え方に劇的な違いはあるまい。終日、入道埼灯台で粘るつもりでいたものの、あまりに暑すぎる。それに日陰もない。

そこで、日程の都合でカットした男鹿半島の南側、<塩瀬埼灯台>と、その付近にある<ゴジラ岩>を見に行くことにした。距離的には往復で一時間半くらい。遅くとも午後の一時には戻ってこられる。移動中は、車のエアコンがきいているから涼しいだろう。一息つけるし、男鹿半島の縁をたらたら走るのも一興だ。<10:00 出発>、駐車場を後にした。

男鹿半島は、地図で見る限り、何とも形容しがたい形をしている。半島の首根っこには、干拓されてしまった<八郎潟>がある。半島自体は、親指を立てたような形で、西側の日本海に突き出ている。親指の先っちょに入道埼灯台があり、今走ろうとしている<塩瀬埼灯台>と<ゴジラ岩>は、その下側の小指あたりにある。その間の距離はおよそ25キロ、時間にして三十分くらいらしい。ちょこっと行って帰って来るにはちょうどいい。なにしろ、昼過ぎには入道埼灯台に戻ってきて、一応は、太陽の一番高い時間帯にも、写真を撮っておきたいのだ。

走りだした。山が急角度で、海に落ち込んでいる。右側は海で、道路の下は断崖絶壁だ。左側は、剥き出しの、垂直に切り立つ岩場で、つまり、なんというか、山の斜面に道路を作ったのだろう。素人目にも、難工事がうかがえる。幸い、ほとんど車は走っていない。時速40キロくらいで、ゆっくり走りながら、景色を楽しんだ。

道路わきには、ところどころに展望スペースがあった。帰りに寄ってみよう。そのうち、下り坂になった。下りきったところは、漁港になっていた。真っ青な空と海。少し沖合の消波提に、赤い灯台戸賀港南消波提灯台)が立っている。すごく目立つし、いい感じだ。ただ以前のように、写真として、モノにしてやろうという気にはならなかった。最近は、写真的に見栄えのいい、大型灯台の撮影に重きを置いているからだ。とはいえ、この海景は、撮っておきたい。

道路沿いに、細長い駐車スペースが目に入ったので、ハンドルを左に切った。公園というほどでもないが、なぜか、縁にアジサイがたくさん植えられている。満開だ。海とアジサイの取り合わせが新鮮だった。外に出て、道路を渡り、道路際の防潮堤に寄りかかりながら、湾の中の赤い灯台を見た。あまりにも遠目過ぎる。それよりも、左の方に、白い灯台(戸賀灯台)がある。こちらのほうは、やや近目だが、まるっきり絵にならない。

写真はほとんど撮らず、すぐに出発した。海岸沿いに大きな施設が見えた。<男鹿水族館>だ。横に、広い駐車場もある。ここも帰りに寄ってみよう。道は、ここからまた上り坂になる。山深いというか、秘境だな。さらに行くと、左側の切り立った岩場に、落石除けのフェンスとか鉄のアーチとかが目立ってくる。そのうち、がけ崩れの補修工事なのか、片側通行になる。そういえば、二、三日前、秋田県には大雨が降ったのだ。

ま、ヤバイ場所であることに間違いはない。と、また道が下り坂になり、砂浜が見えた。目的地が近い。きょろきょろしながら、ゆっくり行くと、岩場の上に灯台らしきものが見えた。あれだな。ただし、道路際の駐車スペースを改修工事しているようで、止められない。あれ~、という間に、通り過ぎてしまった。しかも、いけどもいけども、駐車できる場所がない。

猛暑だった。長い距離は歩きたくない。いい加減行き過ぎて、Uターンした。ふと見ると、工事用フェンスの横に、<ゴジラ岩はここから>という案内板があった。だが、周りに、駐車場がないのに、どうやってここまで来るのか?それに、灯台へと至る岩場の降り口にも、<立ち入り禁止>の看板がある。車を止められたとしても、灯台に近づくことはできないのだ。あきらめよう。工事中の灯台をチラッと横目で見て、来た道を引き返した。

復路は、来る時に目星をつけておいた、水族館の駐車場や道路際のアジサイの咲いている小さな駐車スペース、さらには、山道の展望スペースなどに、何回も止まりながら、防波堤灯台や海景を撮った。観光気分になっていて、ま、記念写真だね。

坂道の途中にあった展望のいい駐車場には、大きな<なまはげ>がいた。比較的きれいなトイレもあり、用を足したあとに、カンカン照りの中、<なまはげ>を撮った。漁港を見下ろす断崖の柵際には、色の褪めたパラソルが二つ並んでいて、その一つの下に、大きな日除け帽子をかぶったおばさんが座っていた。どうやら、サザエなどを売っているようだ。

そのうち、どこからともなく黒い軽のバンがやってきて、黒シャツの中年男がおばさんに、なにか盛んにしゃべっている。はじめは客かなと思ったが、かなり気安い感じだ。知り合いなのかもしれない。男は大声でしゃべっているが、早口であるうえに、訛りがきつい。話の内容はよく理解できない。一方、おばさんの方は、訥々とした感じで、言葉少なげに応対している。

おばさんをちらっと横目で見た。大きな日除け帽子で、少し影になっていたが、色白で顔立ちがいい。漁師の女将さんなのだろうか、<秋田美人>だ。とっさに、あの野郎、おばさんに気があるなと思った。この最果ての地でも、色恋沙汰が進行中だ。おばさんはともかく、声の大きい、あつかましい中年男に、心の中で舌打ちした。すぐに女にちょっかいを出す、どこにでもいるタイプの男だ。軽薄な野郎だ。いや、ひょっとしたら、やっかんでいるのかもしれない。気軽に女性を口説ける男が羨ましいのだろう。ここでもう一度、舌打ちした。今度は自分に、だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#7 二日目(3) 2021年7月15日

 

入道埼灯台撮影4

 

休憩

 

入道埼灯台撮影5

 

入道埼灯台には、十二時半頃に戻ってきた。十時に出たのだから、往復で約二時間半かかったわけだ。ま、行って帰って来ただけだ。車の中で、一息入れて、昼の撮影を開始した。暑い。だが、昨日ほどではない。多少風があるのだ。位置取り、撮り歩きのコースは、基本的には午前中とほぼ変わらない。つまり、灯台をやや右手に見ながら、草深い広場の南西側を歩いて、断崖の縁まで行く。ただ、午前中より、さらに、50mほど遠目を歩き回った。

すると、黒い石のモニュメントが、等間隔に並んでいるのがよく見えるようになった。結果、緑の広場に点在する、このモニュメントたちを画面に取り込みながら写真を撮った。

あとで知ったのだが、このモニュメントたちは、<北緯40度>のラインを示しているらしい。あの時は、まるっきり気にも留めなかったが、この<北緯40度>のラインは、北朝鮮とか中国とか、さらには中東、エーゲ海や地中海、イタリア、スペイン、そして大西洋を横切って、アメリカにまで到達するらしい。う~ん、モニュメントを背にして、海を見ながら、多少の感傷に耽ってもよかった筈だ。とはいえ、暑いということもあったが、完全に撮影モードになっていて、それどころじゃなかった。心に余裕がなかった。いいや、そんな余裕などいらない。灯台と向かい合うために、最果ての地に来ているのだ。

小一時間、草深い広場の中を歩き回って、駐車場に戻ってきた。車の中で休憩したかったが、腹が張っている。かなりきつい便意だ。駐車場の北側にあるトイレに入った。温水便座付きで、きれいだ。腰かけたとたんに、どっと出た。そういえば、昨晩も、今朝も、ろくに出ていない。それに、朝飯をごってり食べたので、腹がややゆるくなったのかもしれない。トイレを出た時には、体調が戻り、元気が回復していた。休憩する必要もない。そのまま、灯台へと続く遊歩道を撮り歩きした。だが、構図的には、どうもよろしくない。

<資料館>らしき建物まで来た。今回は、なぜか、灯台にのぼる気分になっていた。灯台の<参観料>¥300を払って、受付を済ませた。二、三段、コンクリの階段を登って、灯台の敷地に入った。灯台は巨大で、すでに、写真の画面にはおさまらない。中に入ると、螺旋階段がある。すぐ登り始めた。割と広くて、すれ違いできる感じだ。それに、さすがに、外よりは涼しい。今回は、重いカメラバックは背負っていない。カメラ一台を肩に掛けているだけだ。ほとんど息も切らさず、一気に登った。それでも、最後の二十段くらいは、多少ハアハアした。

小さな扉をくぐって、ドーナツ型の展望スペースに出た。誰もいない。風が心地よい。それに、ほぼ300度の視界がある。いや、270度くらいかもしれない。展望スペースをぐるっと一周することはできないのだ。とはいえ、左回りの行き止まりと、右回りの行き止まりとの間に、あまり距離がないから、展望的には、360度見回せる。

いい眺めだ。駐車場の、自分のレンタ―を眼で探した。ゴマ粒ほどの大きだ。あとは、緑色の広場全体を見下ろした。例のモミュメントへ向かって、ちょろちょろと、人が行ったり来たりしている。ああなるほど、自分もあの辺を歩き回ったわけだ。

海も水平線も、すべてのアングルを撮った。そのうち、人が登って来た。しょうがない、場所移動だ。また、左回りの行き止まりまで行った。そこで、柵に肘をかけながら、広大な空間をしばらく眺めていた。ま~~、これといった感動もないが、高くて、見晴らしのいい所は、やはり気持ちがいい。

かなり長居した。いや、ほんの十分ほどだろう。螺旋階段を降り始めた。登るときにも気づいていたが、壁(胴体の内側)に、灯台の、色の褪めた写真が、べたべた貼ってある。写真コンテストで、賞をもらった写真らしい。構図的には、ほぼ自分も撮っている写真が多い。ただ一枚だけ、これは、どこから撮ったのだろうか、という写真があった。

それは、灯台の立っている岬を、横位置で、別の岬から撮ったものだ。したがって、かなり遠目ではあるが、断崖などが左側に写っていて、なかなか面白い。螺旋階段を下りながら、頭の中で考えた。灯台の位置関係からして、南西側の広場の後方だ。しかし、あの辺に<別の岬>などなかった筈だ。いや、ちゃんと確かめたわけじゃない。それに、入道埼灯台は、岬の先端に立っているのではなく、陸地側に入り込んでいる。したがって、灯台の立っている岬を横から撮るには、それよりも、さらに海に突き出ている岬からでないと、灯台と断崖は、ひとつの画面におさまらないはずだ。

なんだかよくわからないまま、灯台を後にして、広場の南西側のはずれまで行った。断崖のすぐ手前で立ち止まった。向き直って、つくづくと白黒の灯台を見た。やはり、断崖などは見えしない。と、さらにうしろにも、もっと草深い、膝あたりまで草の生い茂った、やや海側にせり出した空間がある。背伸びしてみた。行っていけないこともない。

草が、腰のあたりまで生い茂っていたら、さすがに、前進する気にはなれなかったろう。だが、膝の辺りなので、思い切って、その未踏の地に踏みこんだ。ヘビは居ないだろうな。でも、なにか、わけのわからない虫だのクモだのダニだのが、靴やズボンにくっつくかもしれない。やや気持ち悪かったので、ささっと早歩きして、断崖の一、二メートル前あたりで止まった。向き直って灯台を見た。たしかに、灯台の立っている岬の断崖が見える。ただし、断崖の下の海はほとんど見えない。さっきの写真には、断崖の下の海と岩場が写っていた。撮ったのはこの場所ではない。それに、構図的にも、あまりよくない。

そのまま引き返そうと思ったが、見回すと、さらに後方に、やや海に突き出た草深い空間がある。この際だ。何も考えず、草を踏み倒して進んだ。なるほど、ここまでくると、断崖の下の岩場が見える。ただし、その岩場は、灯台の立っている岬の岩場ではなく、手前に見える、幾重にも連なる断崖の岩場だ。

つまり、いま目にしている断崖の連なりが、左カーブしているので、残念なことに、灯台の立っている断崖は、その陰に隠れて見えないのだ。もうこれ以上は、後ろに下がっても意味がない。あきらめた。展示されていた写真の位置取り、すなわち、灯台と断崖と海とが、ひとつの画面におさまる位置取りは、とうとう見つけられなかった。

ただ、新たな発見があった。なぜかチャリが一台、断崖際に止まっていた。あれと思って、辺りをよく見ると、下の岩場へと降りる階段があったのだ。しかし、猛暑の中、小一時間撮り歩きして、やや疲れていた。熱中症にも警戒しよう。草深い坂を、植物たちを踏み倒しながら、足早に戻った。車の中で一息入れよう。

 

休憩

 

<15:00 車で休けい 日誌をつける>、とメモにあった。今その時のことを思い出すと、二つの情景が浮かんでくる。ひとつは、夕食が遅くなるので、今のうちに何か腹に入れておこうと、土産物屋の前に行って、店先のメニューなどを見たことだ。<うに丼>とか<海鮮丼>とか、写真的にはきれいで、うまそうだ。ただし、高い!たしか¥2500くらいしたと思う。まずそうなラーメンでさえ¥800くらいした。

隣の店のメニューも見た。同じようなものだ。それに、店の中には誰もいなくて、おばさんが、もう閉店の準備をしている。そばで客がメニューを見て、迷っているのに<いらっしゃいませ>のお愛想もない。腹も、それほど減っていない。高いし、愛想はないし、わざわざ食べることもないな、と思って車に引き返した。

二つ目の情景は、車の中で、手帳にメモ書きしている時だ。ふと前を見ると、ほとんど車のいなくなった駐車場に、でかいバイクが一台止まっていた。いや、爆音を轟かして、どこかからやってきたのかもしれない。とにかく、黒ずくめのライダーが、バイクを下りて、フルフェイスのヘルメットを頭から外した。長い髪が見えた。首を斜め後ろにふって、髪をかき分けている。女のしぐさだ。年齢的には三十代の、大柄な、すこし太めの女性ソロライダーだった。

あれ~と思って、見ることもなく、チラチラ見ていた。黒ずくめの女性のソロライダー、やはり、勝ち気で気の強い、姉御タイプの女性なのかな。ま、あの堂々とした態度は、けっして、おとなしいタイプじゃない。メモ書きしながら、妄想をたくましくしていたが、そのうち、ヘルメットをバイクのサイドミラーにかぶせ、ほとんど手ぶらで、灯台の方へ行ってしまった。

不用心だな。バイクの後ろには、黒いバックが結びつけてあるし、ヘルメットだって、ちょっと失敬、簡単に持ち去ることができる。とはいえ、駐車場にはほとんど車も止まってないし、こんな最果ての灯台まで来て、わざわざ悪事を働く奴もいないだろう。彼女も、そう思ったにちがいない、と思った。その後は、メモ書きに少し集中していた。

そんなに長い時間ではない。そのうち、姉御ライダーが戻ってきた。すぐには出て行かないで、バイクの下をのぞき込んだり、うしろの黒いバックを点検したり、なんだかんだと時間をつぶしている感じだ。なるほど、せっかくここまで来て、すぐに立ち去るというもの、もったいない。男鹿半島<入道埼灯台>に来たことを、じっくり味わい、記憶にとどめておこうというわけだ。

俺が若くて、ライダーだったら、声をかけただろうな、と絶対あり得ないことを思った。いいや、爺のライダーだとしても声をかけたろう。とはいえ、自分がライダーだったら、という仮定は、ほぼ1000%あり得ない。というのも、バイクのスピード感が死ぬほど怖いからだ。高校生の頃、友達のバイクの後ろに乗せてもらったことがある。まさに、比喩ではなく、生きた心地がしなかった。ライダーのカッコよさには憧れている。だがバイクに乗りたいと思ったことは、正直、これまで一度もない。<カッコよさ>よりは恐怖心の方がはるかに勝っている。臆病なのだ。

さてと、メモ書きも終わったし、そろそろ行ってみるか。そうだ、断崖の下に下りて、海岸の岩場から灯台を見てみる、という課題が、夜の撮影の前にまだ残っていた。姉御ライダーはといえば、長い髪をかき上げて、ヘルメットをかぶっている最中だ。仕草は女だが、一見、そうと知らなければ、男のようにも見える。女性の体のラインを、黒皮のライダールックが消しているからだ。と、彼女がバイクにまたがった。ブルルンとエンジンが始動した。目の前を、黒いバイクが爆音を轟かせて横切って行った。どこへ行くのだろう、ま、俺の知ったことではないな。

 

入道埼灯台撮影5

 

<15:45 さつえい>開始。広場の一番はずれにあるモニュメントを目印にして、草深い中を歩いて行った。断崖際のチャリは、まだそこにあった。数メートル左に、岩場に下りる階段がある。だいぶ老朽化している。ゆっくり下りて行った。

断崖の下に下りた。目の前には、大きな岩が海の中に幾つも並んでいて、水平線を遮っている。砂浜はほとんどなく、岩が凸凹していて、その間に石がごろごろ転がっている。歩きづらい。断崖は、下から見ると、かなり高くて、そうだな、二、三十メートルはある。ところどころ岩が露出しているものの、ほぼ緑に覆われていて、柔らかな感じがする。

ただし、灯台は、どこにも見えない。なるほど、このうねうねとした緑の断崖の影に隠れている。とにもかくにも、前に進むほかない。午後の四時前後だと思うが、日差しが強くて、暑い!できれば、無駄な歩行はしたくないと思った。でも、灯台の見える所までは行く、という意志が勝った。下を向き、平らなところを探しながら歩いた。

うねうねした断崖の波が切れた。と、そこには、別の断崖が連なっていた。見上げた。灯台は見えない。断崖との距離が近すぎるのだ。海の中にある大きな岩の上に登って、伸びあがった。だが、それでも灯台は見えない。ややうんざりしていたが、さらに進んだ。もういいだろうと思い、また海の中の、さらに大きな岩に登った。たしかに、灯台は見えた。ただ、上の方がちょこっとだけだ。まったくもって、写真にならない。

あ~~あ、まったくの無駄足だった。だいたいにおいて、<入道埼灯台>は、岬の先端に立っているわけじゃない。かなり陸地側あるのだから、断崖の下から見えるはずがないのだ。ちょっと考えればわかることだろう。チェ!

戻った、ま、辺りの景観は、それなりに素晴らしいので、多少の慰めにはなった。と、彼方向こうの岩場の上に、人影が見えた。誰だかは、すぐに分かった。自分の後から、階段を下りてきた熟年の男女だ。彼らのことは、何度も目撃している。一番初めは、<ゴジラ岩>からの帰り道、展望のいい駐車スペースで。不釣り合いなカップルで、夫婦でも恋人関係でもなさそうだなと思った。

二回目は、灯台の駐車場だった。二人して土産物屋で食事をした後、灯台の方へ向かっていった。男の方は、俺と同じくらいの爺で、それ用のベストを着こみ、手にドローンを持っている。女の方は、爺よりはやや若い感じで、品のいい格好をしている。雰囲気的には、付き添いというか、ドローン撮影の見物、といった感じだ。

ようするに、<入道埼灯台>をドローンで撮りに来た男女だ。これ以上の詮索は無用。どうということもない。勝手にやってくれ。そんなことを思いながら、階段を登った。下りる時はなんでもなかったが、一気には登れず、途中で一息入れた。と、階段下の大きな岩陰に、身を隠すような感じで、やや若めの男が座っていた。

はは~~ん、あいつが断崖際に置いてあったチャリの持ち主だな。それにしても、あんなところで、何をやっているんだ。一瞬、<クスリ>でもやっているのではないかと思った。ま、それも、どうでもいいことだ。とにかく、車でひと休みしよう。駐車場へと向かった。暑い中、灯台や断崖を上り下りしたにもかかわらず、さほど疲れていなかった。自分のことながら、これは意外だった。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#8 二日目(2) 2021年7月15日

 

入道埼灯台撮影6

 

入道埼灯台撮影7

 

遅い夕食

 

<16:40 休ケイ>。断崖の下まで行って帰って来ただけで、それでも一時間くらいかかっていた。車のドアを半分くらい開け放った。熱中症対策だ。ペットボトルの水を飲んだ。ぬるくなっていて、まずい。太陽はだいぶ傾き始めていたが、まだまだ明るかった。このあとの夜の撮影についてすこし考えた。昨日の道路際のポイントがベストではある。だが、二日連続で同じ場所、というのも能がない。

暗くなるにつれて、灯台はシルエットになってしまう。ということは、灯台が資料室の陰に多少隠れても、さほど問題ではない。撮るべきは、灯台のシルエットを含みこんだ夕空、あるいは夜の空なのだ。となれば、広場なかばあたりの位置取りが、構図的にはバランスがいい。

<17:00 たらたら さつえい開始>。日没までには、まだ二時間もある。辺りは明るかった。だから、車の中でもう少しくつろいでいてもよかったのだが、日差しが弱まり、外の方が風が吹いていて涼しい。わざわざ狭い車の中にいる必要はない。三脚を手に持ち、<たらたら>と草深い広場の中に入って行った。

夜の撮影ポイントの目星はついていた。広場のやや後方、真ん中あたりに段差がある。その上辺りだろう。草深い中を、アカツメグサの、赤紫色のお花たちを踏みつけないように歩いた。だが、足元は多少暗くなり、よくは見えなくなっていた。たぶん、かなりの数、踏みつけているだろう。勘弁してもらうしかない。

段差の上の撮影ポイントに着いた。カメラのファインダーを覗いて、構図を確かめた。う~ん、バランス的には、灯台の右横に、例の、無粋な無線アンテナが入ってしまう。できれば、画面から外した方がいい。だがそうすると、灯台が右端により過ぎて、構図的なバランスが崩れる。

ま、昨日の夜は、ほぼベストの構図で撮っている。それに、今日も雲一つない快晴。空の様子も全く変わらない。ならば、多少冒険して、ベターな構図で勝負してもいいのではないか。決まりだな。今立っているベターな撮影ポイントを記憶しようと、目印になるものを探した。適当な物がなかったので、周辺の布置をしっかり記憶した。

さてと、<ゴールデンアワー>には、まだ時間があった。今一度、灯台を右に見ながら、ゆるゆると、広場の中をひと回りした。ベストポジションの道路際にも行って、念には念をと、ダメ押しとでもいうべき写真を撮影した。そうこうしているうちに、辺りがオレンジ色にそまってきた。ふと、この場所に、もう一度来てみたいと思った。今度は、季節のいい時期に、だ。車からチェアーを持ち出し、広場の真ん中や断崖際に座って、灯台の写真を撮ったり、海を眺がめたりしながら、地球の動きを感じるのも、いいなと思った。だが一方では、もう二度と、この場所に来ることはないだろうとも思った。

夕刻、六時過ぎに、広場中央の段差に戻ってきた。あたりを見回し、先ほど記憶した場所に三脚を立てた。昨日は、灯台と沈む太陽とを一つの画面に入れようと頑張った。だが、構図的に破綻していたので、モノにはならなかった。したがって、今日は、沈む太陽は無視して、灯台のシルエットと、その背景の夕空を主題にするつもりだ。

三脚にカメラを取り付け、アングルを決めて、撮り始めた。広場と灯台が、夕日に染まり始めた。昼間の暑さがウソのようで、海風が心地よい。だが、しだいに、辺りがざわざわし始めた。バイクや車のエンジン音、ドアの開け閉め、人の声。人影が急に多くなり、目の前を行ったり来たりしている。この雰囲気、この情景は、昨日と同じだ。観光客たちが夕陽を見に来たのだ。

そのうち、道路際に白いミニバスが止まった。なかから、熟年の女性が二人降りて来た。運転手も降りてきて、その場で、夕陽がどうのこうの、あとで迎えに来るだの、大きな声でしゃべっている。おそらく旅館か何かの送迎車だろう。そのうち、女性たちは、広場の遊歩道を歩いて、モニュメントの方へ行ってしまった。送迎バスは、いったんどこかへ消えたが、すぐに同じ場所に戻ってきた。年配の運転手が降りてきて、バスに寄っかかりながらタバコをふかしている。夕陽見物の女性たちを待っているのだろう。

送迎バスは、昨日、自分が三脚を立てた歩道の前に止まっている。そこが、灯台を撮るベストポイントなのだ、などとは、運転手が知る由もないから、おそらく、広場に入る遊歩道の真ん前、という理由で車を止めているのだろう。客へのちょっとした気遣い、サービスだな。ま、それにしても、昨日撮っておいてよかったよ。楽しみにしていた<ゴールデンアワー>の灯台撮影だ。すぐ後ろにバスが止まっていて、運転手がタバコをふかしている、なんてことは、許されないだろう。退屈まぎれに、運転手が話しかけてくるかもしれない。神々しくも美しい、静寂だ。俗世界とは一切関わりたくない。解放されたいのだ。

夕陽でオレンジ色に染まる<芝草>の広場、その後ろに、白黒の灯台が屹立している。まさに千載一遇の情景だった。だが、またしても雑念だ。目の前にちょろちょろと、さっきの<ドローン男女>が登場した。まだいたのか!なんとなく忌々しい気持ちで、眺めていると、なぜか広場からなかなか立ち去らない。写真の画面に入り込んでしまう。邪魔だな。とはいえ、彼らもまた、夕陽に染まる<入道埼>の光景を撮りに来たわけで、これは致し方ない。あきらめて、しばらく、ファインダー越しに、彼らの行動を見るともなく見ていた。やはり、服装や雰囲気からして、不釣り合いな熟年の男女だ。どういう関係なのか?いやいや、今はそんなことに関わっている場合じゃない。<ゴールデンアワー>の灯台撮影に集中しよう。

ゴールデンアワー>の入道埼灯台は、昨日撮っていた。構図は多少違うが、今日も昨日同様、快晴で雲ひとつない。ゆえに、空の様子もほとんど変わりない。さほどの感動はなかった。

日没前後の撮影に関しては、歳なのか?カメラ操作の細かい事を全く忘れてしまった。測光ボタンくらいは、いじくりまわしたが、それ以上の操作ができない。ただ、モニターした段階では、まずまず撮れている。それに、画像編集ソフトで、空の色など、いかようにも補正できるわけで、<白飛び>してない限り、何とかなる。撮影に関して、かなり安易になっている自分を感じた。

そうこうしているうちに、黄色い小さな太陽が、水平線に近づいてきた。今日もきれいな日没だ。とはいえ、日没には多少飽きている。どこでも、だいたい同じ感じだ。昨日撮ったから、今日はいいだろうと思っていた。だが、いざ、この光景を目の前にすると、なぜか、撮っておきたくなった。

三脚のカメラは、灯台を狙っている。はずすのも面倒だ。もう一台のカメラを車に取りに行った。ふと気になって振り向くと、薄暗くなった広場の真ん中に、カメラ付きの三脚がポツンと立っている。不用心だなと一瞬思った。だが、辺りに人影なない。それに、車はすぐそこだ。少し早足になった。

もう一台のカメラには、重い望遠ではなく、軽い60mmのマクロレンズをつけてきた。多少でも荷物を軽くしたかったのだ。ただ、水平線に沈む太陽を撮るには、60mmのマクロレンズでは、遠目過ぎる。多少後悔したが、致し方ない。

二台のカメラで、一方は灯台を、一方は日没を撮った。そのほんの十分くらいの間は、さすがに、撮影に集中していた。なにものにも煩わされなかった。ただ、灯台の方はまだしも、日没の方は、なんだか色合いがよくない。レンズのせいなのか、カメラ操作のせいなのか、よくわからない。もっとも、太陽が小さすぎて、日没写真としては、モノにはなるまい。そもそものところ、日没写真をモノにしようとも思っていない。記念撮影、記念写真として、楽しめればいいんだ。

黄色い小さな太陽が、少しずつ少しずつ、水平線に沈んでいく。じれったいような、それでいて、なにかが終わってしまうかのような、郷愁が漂う光景だ。この時、広場に居たすべての人間が感じたにちがいない。神々しくも美しい時間だった。何枚も何枚も写真を撮った。

入道埼灯台撮影7

 

日没は、午後七時十五分頃だった。その瞬間、昨日と同じように、ため息と安堵感が広場に広がった。しかしすぐに、ざわざわしはじめ、人影が目の前を行ったり来たり、甲高い人の話し声や、車のエンジン音などが聞こえてきた。夕陽見物の熟年女性たちも、送迎バスに戻ってきた。運転手に、感動したとかなんとか、大きな声でしゃべっている。

太陽が水平線に消えた後は、一瞬、しらけた雰囲気になる。明かりが消えた瞬間、目の前が暗くなるのに似ている。だが、暗さに目が慣れると、しだいに回りが見えるようになる。瞳孔が、ニャンコの目のように大きくなるのだ。そのおかげで、いわゆる<ブルーアワー>が体験できる。日没後の残照で、空が水色から青、さらには紺碧に変わっていくのだ。もっとも、この<ブルーアワー>も昨日経験したので、さほど感動せず、ありがたみも感じなかった。

今日は、さらにその後、<ブルーアワー>が終わり、辺りがほぼ暗くなって、灯台の目が光り始めたところを、撮りたいのだ。ところが、空の色合いも消えて、さらに薄暗くなり、観光客が、三々五々、引き上げていったのに、灯台の目は光らない。写真に撮るような情景でもなく、妙にしらけた<待ち>の時間だ。ポシェットからヘッドランプを取り出し、額に巻いた。

駐車場の街灯が、オレンジ色にともっていた。夕暮れから夜に移行する半端な時間、早く帰らなければと急き立てる声が聞こえてくるような気もする。と、ほとんどシルエットになった灯台の目が光った。おっ、と思って、カメラのレリースボタンを指先で押した。ただ、光がむこう向きだ。ぴかりとは来ない。

灯台は、海に向かって光を投げかけている。当然だ。自分の位置する場所は、灯台の斜め左うしろであるからして、灯台の目はこちらまでは向かない。ただし、目が一番左側に来る時には、光っているのがちゃんと見える。それで十分だろう。なにしろ、目からの光線を撮るのは、至難の業で、かなり以前から諦めている事柄だ。とにかく、暗くなった広場で、目の光っている灯台を撮った。ま、写真の出来不出来は別として、課題は達成したわけだ。

日没からすで小一時間たっていた。空と海との境が見えなくなり、あたりは、ほぼ漆黒の闇だ。いや、灯台の資料室や駐車場の街灯で、真っ暗というわけでもない。時計を見たのだろう、夜の八時を過ぎていた。そろそろ引き上げだ。最後に、もう一度、ファインダーを見て、慎重にレリースを押した。

その際、左端に、なにか、針先ほど小さな白いものがはっきり見えた。先ほどからなんとなくは気づいていたが、あえて意識することはなかった。何しろ小さいからね。カメラから目を放して、実眼?で、そのあたりを見た。ああ~、灯台前の岩礁に立っていた物体だ。光を発するものでないことは、昼間、灯台の上から確認している。

その時、あっ、と思った。灯台から、斜めに光線が出ていて、この物体を照らしている。だから、闇の中でも見えたわけだ。ちょっと混乱した。灯台の目は、左右に移動しながら、海を照らしているのだろう。而して、古い言い回しだな、いま目にしている光線は、灯台から一直線に岩礁に向かっている。しかも、位置的に、灯台の目から発せられているのではない。では一体なんなんだ?

不明、わからなかった。いや、わかろうとしなかった。すでに、理解しようとする気力が失せていた。<入道埼灯台>の夜の撮影は完了したのだ。正直に言えば、早く宿に戻って、夕食にありつきたかった。朝から何も食べていないので、かなり腹が空いていたのだろう。体内のアドレナリンが低下した結果、血糖値の減少が意識された、というわけだ。

ちなみに、今この<不明>を調べた。入道埼灯台には、<入道埼水島照射塔>が併設されている。<照射塔>とは、陸地に近い所にある岩礁や暗礁を船舶に知らせる航路標識で、今問題になっている岩礁(水島)の物体は、その標柱である。つまり、入道埼灯台には、海を照らす動く目と<標柱>を照らす固定された目があったわけだ。たしかに、灯台正面?の写真には、動く目の下に、四角い窓があり、その奥に大きな照射器が鎮座しているのだ。カメラで例えるなら、二眼レフだ。いや、違うだろう。上の目が横に180度以上移動するのだから、機能的には<三つ目小僧>に近いかもしれない。

ヘッドランプで、地面を照らした。忘れもの、落し物がないか、確認した。大丈夫だろう。カメラを装着した三脚を肩に担いで、広場を後にした。一仕事終えた気分だった。駐車場には、一、二台、車が止まっていた。うち一台は、自分のレンタカーだ。そしてもう一台は、また遭遇?したよ、例の<ドローン男女>だった。まだいたのか!結局のところ、灯台に明かりがともり、一文字の光線が、漆黒の海を照らすところを撮影したかったわけだ。みるともなく見ていると、そのうち、二人して車に乗り込み出て行った。その後のことは想像しまい。

 

遅い夕食

 

宿に戻ったのは、八時半少し前だった。受付で美人の女将に、食事はいちおう用意しておきました、生ものなどがあるので八時半までに終わらせてください、と婉曲的な感じで言われた。だから、朝出かける時に、戻るのは八時半過ぎるかもしれない、と言ったではないか。少しカチンとした。だが、現に、部屋には夕食が用意されているのだし、女将の態度も、腹を立てるほどでもない。心の言葉は口にださなかった。それに腹ペコだったのだ。

部屋に入ると、座卓の上に、夕食がずらっと並んでいた。脇に敷いてあった蒲団のシーツや枕カバーなども、きちんと取り換えられていた。八時半を過ぎていた。<ゆりやん>が食事を下げに来るかもしれない。着替えもせずに、食べ始めた。食べ始めて気づいたのだが、おかずの数は、昨日と同じだが、その分量が多少多いような気がした。刺身もひと切れ二切れ、切り身の焼き魚もひと切れ、たしかに多い。昨日の<チップ>がきいて、サービスしているのかもしれない、と思った。

一皿ずつ完食していった。ので、しだいに腹が苦しくなってきた。最後の方は、なかば、意地になって爆食した。出された食物を残すことに、いまだに抵抗があるわけで、なにも頑張る必要などないのに、頑張って、すべてを完食した。やっぱ、ちょっと食べすぎたな!

八時半はすでに回っていた。内線電話で、食事の終わったことを伝えた。浴衣に着替えて、温泉へ行く準備をしていると、<ゆりやん>が食器類を片付けに来た。態度は昨日と全く同じ。控え目で、どことなくぎこちない。自分としては、こうした娘に、話しかけたり、お愛想を言ったりするのは苦手だ。ただ、好意だけは示そうと、お膳運びを手伝おうとした。だが、そのお膳が意外に重い。下手に持ち上げると、上に重ねてある食器類が崩れ落ちそうだ。躊躇していると、すかさず<ゆりやん>がそばまで来て、重いお膳を、少し腰を落として、ぐいと持ち上げた。なるほど、やはり慣れている。非力な爺が見栄を張ったわけで、恥ずかしかった。

二階の大浴場は、今日も貸し切りだった。癖のない温泉で、温度もちょうどいい。広い湯船でゆったりした。部屋戻って、<21:45 日誌 くつろぐ>。今日は自販機でコーラなどは買わなかった。というのも、冷水入りの小さなポットが、座卓の下にあったからだ。昨日はなかったのだから、おそらく、<ゆりやん>が部屋を掃除した際、コーラの空き缶などを見つけて、気を利かせたのだろう。

性格的に、だろうが、彼女は、そんなことは、おくびにも出さなかった。ふと、東北の女性を感じた。しかしこれは、一般化しすぎだ。東北の女性が、押しなべて<控え目>などということはない。ま、百歩譲って、そうした傾向があるような気もするが、やはり、おかずの増量や冷水ポットは、<チップ>の効能だろう。あるいは、<ゆりやん>を含めた、これらすべてのことが、まったくの勘違いかも知れない。十分あり得ることだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#9 三日目(1) 2021年7月16日

 

朝食

 

入道埼灯台撮影8

 

鵜ノ崎海岸 観光

 

男鹿市船川港 観光

 

男鹿半島旅、三日目の朝は、<6:30 起きる>。夜中に物音で起こされることもなく、ゆっくり寝られた方だ。洗面、着替え、出発の支度など、七時半前に完了した。そのあと、部屋を出て二階の大広間へ朝食を食べに行った。

大広間に入った途端、またかび臭かった。見回すと、五、六組の泊り客がいて、すでに食べ始めていた。<ソーシャルデスタンス>をかなりとって、それぞれの場所に、背丈ほどの間仕切りが一枚たてられている。ま、<蜜>という感じではない。

席に着くと、すぐに、坊主頭の高校生くらいの男の子がご飯とみそ汁を持ってきた。きちっと、紺の作務衣のようなものを着ている。てっきり、今朝も<ゆりやん>が給仕に出てくるものと思っていたので、ちょっと肩すかしをくらわされた感じだ。

彼に、<ゆりやん>はどうしたの?なんてことは、聞けるはずもない。ま、いい。朝食のおかずは、十分すぎた。だが、昨日と似たりよったりだ。もっとも、<うまい>とか<まずい>とかはどうでもいい。エネルギー補給ということで、超特急で完食した。

お茶をすすって、そのあと、すぐに大広間を出た。と、横の調理場から、例の、坊主の高校生が姿を現した。客慣れしない感じではあるが、丁寧に<ありがとうございました>と少し頭を下げた。<ゆりやん>と同じように、この<坊主>にも好感が持てた。<ごちそうさま>と少し大きな声で応えた。

部屋に戻った。ひと息入れて、排便を試みた。ほんの少し出た。だが、それ以上の努力はしなかった。前回の旅では、無理な排便で肛門に負担をかけ<痔>を悪化させてしまったのだ。<排便時間を短くする>、これが<痔>の予防に役立つ。<T肛門病院>の、強面の、感じの悪い先生のアドバイスだ。

部屋を出る時、忘れ物がないか、もう一度室内を見回した。大丈夫だ。下に下りて、受付で支払いを済ませた。二泊二食付きで¥23300。安いとも高いとも思わなかった。玄関口には、昨日同様、軽登山靴が、きちんと置かれていた。そばに、女将の父親と思しき老人がいて、丁寧に<ありがとうございました>といわれた。女将の声も後ろから聞こえた。

 

入道埼灯台撮影8

 

さて、行くとするか。三日目の朝も、雲一つない晴天だった。朝から陽射しが強くて、暑い。帰りの新幹線は、秋田駅発16:00だから、Nレンタカーには、遅くとも15:00までに入ればいい。まだ、朝の八時だ。入道埼灯台へ向かった。念のために、もう一回撮っておこうというわけだ。

 

入道埼灯台の駐車場には、一、二台、車が止まっていた。車から出て、広場に入った。東からの陽を受けて、灯台の白が目に眩しい。朝っぱらから、くらくらする暑さだ。とたんに、やる気がなくなった。この明かりの状態は昨日も撮ってるしな、と<やる気のなさ>を正当化した。しかも、われながら驚いたことには、すでに、帰宅モードになっていることだ。

これは、最終日は帰宅日、というこれまでの灯台旅の習慣を引きずっているだけだ。と思い直して、遊歩道を歩きながら、撮りだした。だが、目の前に広がる光景が、目にというか、頭に入ってこない。昨日、一昨日と、あれほど感動的に見えた風景が、しらっちゃけて見える。しかも、極端に暑くて、不快だ。

今写真のラッシュを見ると、この時は二十分ほどで車に戻っている。昨日見つけた、よさげな構図だけを、ちょこちょこっと撮っただけだ。すでに戦意喪失、撮影モードには戻れなかった。

まだ朝の九時前だ。帰りの新幹線は午後の四時。それまでの間、どうする?頭の中で予定を立てた。ま、寄ってみたいところは、来るときに見た、海の中に突き出た防波堤の先端にある灯台だ。あれは、どこなのだろう?ナビで調べてみた。男鹿市の船川漁港の辺りだ。ぶらぶら行ってみるか。完全に観光気分になっていた。

<9:00 入道埼出発>。灯台を後にした。と、少し走って、ふと気まぐれで、車を路肩に止めた。右手の緑の断崖、小山の上に、お地蔵さんなのか、海難供養碑なのか、小さな石の物体が見える。この物体は、昨日、ここを通った時に気づいていた。いや正確に言えば、一昨日、広場から目にしていた。付近に駐車スペースがないので、素通りしたのだ。

断崖沿いの道は片側一車線で、路駐すると、やや通行の邪魔になる。が、車なんて通っていない。それに小ぶりなレンタカーだ。大丈夫だろう。車の外に出た。ちょっと、様子を見てくるだけだ。それでも、いちおう、ハザードランプをつけておいた。

道路から、草に覆われた断崖際へ踏み出そうとした。が、なにか、道らしきものがある。そろそろと辿って行くと、なるほど、小山の縁を回っている道だ。はは~ん、海難碑?にお参りするための道だな。さらに行くと、はるか彼方に、白黒の灯台が見えた。左側には、断崖と岩場、それに海が見えた。

昨日見た、灯台の中に貼ってあった写真の構図に、極めて近い。なるほど、この辺りから狙ったのか。比喩でなく、腰高の草むらをかき分けて、断崖際まで行った。間違いない、ここだ。カメラを構えた。ただし、灯台と、断崖やその下の岩場や海とが、離れすぎているので、構図的なバランスが悪い。ま、<灯台のある風景>ということなら、許容できるが。

白黒の灯台は、風景の中の点景になっていた。見ようによっては、それでも存在感がある。しかし、自分の撮りたい灯台写真ではない。もう少しましな位置取りはないものかと、さらに、断崖際の草むらを歩き回った。暑かった。それに、ヘビとかクモとか虫とかがいるようで、何となく気持ち悪い。撮影モードに入っていれば、さほど気にならないが、すでに気持ちは切れていた。ま、じっくり撮るのは次回だな、と思いながら足早に引き上げた。果たして<次回>はあるのか、いやはや、なんとも答えようがない。

 

鵜ノ崎海岸 観光

 

車に戻った。のんびり行くか。四、五十キロのスピードで、断崖際の道を走った。前にも後ろにも、車の影すらない。男鹿半島の<秘境感>を楽しみながら、<塩瀬埼灯台>を通り過ぎ、平場に下りてきた。海岸沿いの道を、さらに行くと、道路際に整備された駐車場があった。海水浴場の駐車場のようで、トイレやシャワーもある。車もかなり止まっている。小一時間走ってきたので、トイレ休憩だ。

ここは、男鹿半島の首根っこにある<鵜ノ崎海岸>らしい。案内板には、<日本渚百選>とか<日本奇石百選>とか<鬼の洗濯板・小豆岩>とかある。狭い砂浜には、家族連れの海水浴客が何組かいて、泳ぐというよりは水遊びしている。遠浅らしく、彼方向こうの方にも、人影が見える。

この海岸の風景は、たしかに珍しい。遠浅の海に、石ころをばらまいたような感じだ。これらの石というか岩は、海底の地層が隆起したもので、干潮になると、水面に顔を出す。その波打つ地層が<鬼の洗濯板>と呼ばれている。さらに、一抱えもある大きな<丸い岩>が点在していて、これは<小豆石>というらしい。たしかに、いま、撮った写真を拡大してみると、遠浅の海の中に、巨大な饅頭のような岩が、いくつか見える。

まったくの観光気分になっていた。初めて見る、<鬼の洗濯板>を気分良く写真におさめた。さらに、ナビによれば、すぐ後ろに<鵜ノ崎灯台>があるらしい。振り返って見ると、こんもりした小高い丘になっている。だが、それらしいものは見当たらない。ナビをさらに拡大してみると、灯台へ行く道がある。ま、いってみるか。

<鬼の洗濯板>を後にして、<鵜ノ崎灯台>を探しに行った。海岸沿いの道から、狭い道に入った。ゆっくり走りながら、この辺りだろうと、窓越しに左側のこんもりした林を見上げた。樹木の間から、赤白の灯台の胴体がちらっと見えた。あそこか。とはいえ、車を止める場所がない。狭い道なので路駐はできない。そのまま、うかうか走っていくと、道はさらに細くなり、このまま行くと、行き止まりの可能性が高い。

適当なところでUターンした。ほとんど展望のない灯台で、しかも、到達することが容易でない。それに駐車できないのだから、とあっさり諦め、海岸沿いの道に戻った。左折して、次なる目的地、というか時間調整場所、男鹿市の船川防波堤灯台へと向かった。

 

男鹿市船川港 観光

 

午前十時ころに<鵜ノ崎海岸>を後にして、男鹿市に入った。市街地を、ナビに従い走っていくと、海が見えた。さらに行くと、埋め立て地のような、だだっ広い所だ。大きな病院があり、周辺が公園になっている。行き止まりまで行くと、駐車場があった。カンカン照りなので、松の枝で、ちょっと日陰になっているところに車を止めた。

外に出た。信じられないような暑さだ!駐車場のすぐ目の前には防潮堤があった。さらにその先に短い突堤があり、真新しい赤い灯台(船川東防波堤灯台)が立っている。高さは、そうだな、背丈の二倍くらいかな。ただし、円筒形をしていて、頭に何か、電子機器がついている感じだ。目指していた灯台とは違うが、ここまでせっかく来たんだ、写真を撮りながら、そばまで行った。

新型?の赤い灯台の根本に立って、海を眺めた。目指している灯台は、はるか彼方、海の中に、横一文字に突き出た突堤の先に見える。突堤の付け根には、巨大風車が一基建っている。視線をさらに右に移動すると、何やら、倉庫のような資材置き場のような、雑然とした港湾施設といった感じになっていて、赤白の煙突が四本ほど見える。まあまあ、好きな風景だ。

赤白の煙突をポイントにして、海景というか、港の風景を何枚か写真に撮った。そして、ふと思いついて、ポーチにくっ付けている<コンデジ>を引っ張り出し、最大望遠800ミリで、いま目で見た場所を確認した。なるほど、巨大風車の辺りが、緑の芝生になっている。あそこまでは、入り込めるかもしれない。さらに、港湾施設に目を転じると、岸壁に材木などが野積みされている。船が出入りしている感じだが、船は見えない。要するに、防潮堤沿いにぐるっと左に回り込めば、目指している灯台に近づけるわけだ。

車に戻って、一応、ナビで確認してみた。いま目で見た、横一文字の突堤の先に、なぜか灯台のアイコンがない。が、手前の岸壁に灯台アイコンがあった。それを指で軽く押して、到着場所に指定した。

カンカン照りの駐車場を出た。ナビの指示に従い、うねうねと走って、広い岸壁に入り込んだ。たしかに、岸壁の先端には灯台があった。しかし、これも、目指していた灯台ではない。さらに近づいていくと、この灯台(船川南平沢防波堤灯台)は、先ほど見た新型?の赤い灯台と瓜二つだ。しかも、あろうことか!灯台の真ん前に車が止まっていて、そばで若い奴が二人、釣りをしている。

よくあることだ。なぜか、釣り人は、先端部にある灯台の根本を好む。荷物を置くのに便利だからか、少しでも沖の方が釣れるのか、灯台が日陰、風よけになるからか、ま、どうでもいいことだ。とにかく、奴らと二十メートルくらいの距離をとって、防潮堤の前に車を止めた。

外に出て、あらためて回りを見ると、けっこう車が止まっている。釣り人が、防潮堤の上や、その下の波消しブロックの上で釣りをしている。赤い灯台はといえば、真ん前に黒い車が止まっているのだから、まるっきり絵にならない。ので、証拠写真?を一枚だけ撮って、防潮堤沿いぶらぶら歩きながら、右手の海を見た。

海と陸地の間に、防潮堤と波消しブロックが、ずうっと続いている。背景には、山並みがあり、鮮やかな緑の斜面などが、手に取るように見える。そして、超巨大な雲が、その上に乗っかっている。まさに、真夏の光景だ。

カメラを構えた。ポイントは、何と言っても、もくもくした巨大な雲だ。と、画面下に豆粒ほどの赤い灯台が見えた。あれは、先ほど根元まで行った新型?灯台(船川東防波堤灯台)なのか?レンズを望遠側にして、確かめた。短い突堤の背後には、樹木の影が見える。あの下に車を止めたんだ。移動距離が短い割には、はるか彼方だったので、すぐにはピンと来なかった。それに、布置的なものもある。はじめは陸側の至近距離から、今は海側のはるか彼方から見ているのだ。

とにかく、目の前には、赤い灯台が点景となった、広大かつ雄大な空間が広がっていた。真夏の雲と山と海だ。少し慎重にシャッターを押した。三、四枚撮ったと思う。今日で夏休みが終わってしまう。ちょっと甘酸っぱい気持ちになった。だが、すぐに、ここが男鹿半島で、自分が爺だということを思い出した。幼い感傷が、気恥ずかしかった。

移動。広い岸壁を後にした。ナビには、先端に灯台アイコンのない突堤を指示した。すぐに、そのあたりに着いた。だが、道の先には、守衛所付きの門があり、これ以上進めない。少し手前の路肩に車を止めて、よくよく見た。どうやら、門から向こうは会社だな。ということは、目指している灯台は、企業の敷地内にあるのか?

守衛に、灯台を撮らせてくださいと言ってみることもできる。ただし、<ノー>といわれる可能性が強い。その筋の紹介状でも持っていれば、話は別だろう。だが、どこの馬の骨ともわからない人間をシャットアウトするために、守衛所があるのだ。もっとも、ぜひとも撮りたい灯台なら、そのくらいの手間は惜しまない。だが、違うだろう。観光気分の時間調整的な撮影だ。駄目とわかっていて、守衛に頭を下げる必要はない。

Uターンした。まだ十二時前だ。さっき目にした<道の駅>で休憩だ。しかしね~、そもそも<灯台>というのは、海上保安庁とか、要するに国が管理しているものなのではないか?一企業の敷地内にあるのはおかしい。あの時は、会社が<海保>から灯台の管理を委託されているのかもしれない、あるいは、<私設>灯台なのかもしれないと思った。

だがそうじゃない。今、地図で確認すると、この場所は<石油備蓄基地>だった。民間企業の施設とは言え、半公共的な重要な施設だ。一方、灯台は、やはり<海保>が管理しているのだろう。<海保>の職員は、守衛に身分証を見せて<石油備蓄基地>の中を通り抜け、灯台の点検管理に向かうのだ。おそらく、そうなのだろう。

道の駅に着いた。駐車場は、ほぼ満車に近い。え~と、日陰はないよな。カンカン照りの駐車場だ。エアコン全開の車内にいるより、施設の中の方が涼しいだろう。そう思って、入口に向かった。施設(物品売り場)の一角に、観光案内所のような、休憩室のような所がある。中に入った。意外にも人が大勢いる。<蜜>な状態だ。それに、ホームレスっぽいオヤジが、床に倒れ込んで寝ている。暑い時には、誰しもが考えることだ。地元の人間も観光客も、涼しい所に退避しているのだ。

座る場所もないので、すぐに出た。時計を見たのだろう、まだ十二時前だった。レンタカーの返却は二時だから、ここを十二時に出れば、十分だ。時間調整だな。物品売り場へ入った。ここも、人が多い。<おみやげ>はすでに買っているから、別にほしい物もない。が、時間調整だ、店内をぶらぶら見て回った。

ほぼ、普通のスーパーと変わりない。とはいえ、多少、観光客にとっては珍しい、地元の物産なども陳列されている。なにか、手に取ってみたような気がするが、忘れてしまった。ただ、鮮魚コーナーの魚介類は新鮮で安かった。大きなカニが千円とか、山盛りの刺身が五百円とか、それに、何と言っても、ケースの中に並べられている魚たちが、色鮮やかできらきらしていた。種類も豊富で、みな、目が真っ黒だった。

今朝、その辺の海で捕れた魚たちだろう。秋田県男鹿半島の首根っこに居るんだ。遠くへ来ていることを実感した。だが、店内が盛況のせいか、<最果て感>はなかった。そう、首都圏の人間が<秋田県男鹿半島>に<最果て感>を感じるのは、やはり、一種の偏見なのだ。

 

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島

 

#10 三日目(2) 2021年7月16日

 

帰路1

 

帰路2

 

二泊三日の男鹿半島の旅は、もはや、実質的には終了していた。レンタカーを返すまでの時間調整で寄った<道の駅おが=なまはげの里オガーレ>の駐車場は、カンカン照りで、いや~、暑いのなんのって、車の中に入った瞬間、汗が噴き出した。すぐにエアコン全開、運転席側のドアを半開きにした。さ~てと、帰るか。<12:00 出発>、男鹿市を後にした。

すでに、完全に、帰宅モードになっていた。途中、コンビニで、コーラとあんパンを買って、車の中で食した。あとは、秋田市の市街地に入り、セルフで給油をした。レシートを見ると、¥2200ほどだった。リッター¥154で、14Lほど入れたわけだ。ということは、三日間で、どのくらい走ったんだ?車の燃費が、リッター17キロくらいだから、ま、200キロ以上は走ったわけだ。

レンタカー代が約¥13000、ガソリンが約¥2000、合計で¥15000。新幹線が往復で約¥30000、よって、交通費の合計は¥45000。妥当だなと思った。旅の余韻を楽しむのではなく、<せこい>カネ勘定をしながら、秋田駅のNレンタカーへ向かった。

途中、深い緑色の、小高い丘の上に、小さな天守閣のようなものが見えた。秋田にもお城があったのか、とその時は思った。今調べてみると、それは、<千秋公園>内の<久保田城 御隅櫓>を復元したものだった。ちなみに、<久保田城>は、家康に改易された佐竹義宣が築城した、天守も石垣もない平城だ。秋田県江戸幕府開府以来<久保田藩秋田藩>であり、禄高二十万石の大名、佐竹氏が統治していた国だった。この歳になって、ちょっとした<うんちく>を仕入れたわけだ。

さてと、Nレンタカーに到着した。時間的には、13時半前だったと思う。若くて元気な、小柄な女性が応対してくれた。なにやら、現金で¥650 、返金してくれるようだ。それと、東北で今年いっぱい使える、Nレンタカーのクーポン券¥500分をくれた。返却時間がはやかったので、当初の契約をいったん解約して、その後に清算したらしい。とにかく、少し安くなったので、文句はない。

女性の元気な声に送られて、営業所を後にした。いやはや、なんという暑さだ!秋田駅に着いたのは、午後の二時前だった。帰りの新幹線は<16:12分 こまち38号>、まだ、二時間以上もある。時間調整だな。新幹線の改札口の前で、辺りを見回した。東口と西口を繋ぐ、駅構内の広い通路の真ん中に、太い柱が何本か間隔を置いて並んでいて、その下部にはドーナツ状のベンチがある。改札の向かい側は店舗で、ずらっと並んでいる。

そこに、観光案内所のような待合室のような場所があった。これ幸いと、キャスター付きのカメラバックを、ゴロゴロ引きながら中に入った。意外に混んでいる。教室ひとつ分くらいの広さだ。幅広のソファーが並んでいて、窓際はカウンター席、透明の仕切り版がついている。立ち止まった。座る席がないことはない。というのは、<コロナ>を警戒して、ソファー席は、みな、ひとつ置きに座っているからだ。

一方、カウンター席の方は、びっしり埋まっている。若いやつらが、飲み物をそばにおいて、パソコンやらスマホやらをいじっている。今風の光景ではあるが、奴らが列車や新幹線を待っているようには見えない。駅の待合室を喫茶店代わりにしているんだ。少し迷ったが、突っ立っていてもしょうがない。通路際の空いているソファーに腰かけた。

ふ~、まあまあ涼しい。だが、目の前に自動ドアがあり、開いたり閉まったり、人の出入りが激しい。それに、斜め後ろの、中年の太った男が、でかい声でスマホで話し始めた。すぐ終わるのかと思いきや、延々と話している。どういう神経をしているのか!うるさくて、ゆっくりできない。チェッ、舌打ちこそしなかったが、立ち上がって待合室を出た。左手には、階段があり、降りたあたりに<スターバックス>があった。外から店内を覗いてみた。ま、座れないこともない。だが、そうだ、<スタバ>の腰掛は窮屈なんだ。それに、コーヒーを飲みたいわけでもない。引き返した。

階段を登って、先程、ちらっと見た、通路のドーナツ状のベンチに近づいた。幸い、誰も座っていないベンチがあった。ただ、腰かけるところが、木製なので、座り心地はよくない。むろん背もたれもない。が、真ん中のぶっといコンクリの柱に木片が巻き付けられている。寄りかかれないこともない。それに、通路が広いので、そばを人が通ることはない。待合室より静かだし、解放空間だから<コロナ>の心配もない。

軽登山靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。両足を投げ出し、くつろいだ気分で、回りを見ることもなく見ていた。すぐ目の前には、立ち食い蕎麦屋があった。匂いがしてきたので、食べたいような気もした。が、いましがた脱いだ靴をまた履くのが億劫だった。首を垂れ、目を閉じていると、しだいに、体の力が抜けていくのがわかった。

ふと気づくと、右横背後で、何やら話し声が聞こえた。ドーナツベンチだから、ふり返らないと、誰なのか見えない。姿勢をかえるフリをして、ふり返った。婆さんが三人いた。手荷物が床に置いてあるので、列車待ち、新幹線待ちだなと思った。場所移動するのも面倒なので、先ほどの体勢に戻って、目を閉じた。

婆さんたちは、たがいに、ひっきりなしに話していた。だが、話し声が気に障るほど大きくはない。聞くともなく聞いていた。と、ああ~、これが秋田弁なのか?いわゆる<ズーズー弁>ではなく、どことなく、品がある。とはいえ、話している内容が、ほとんど理解できないので、話し声を<音>として聞いていた。

補注:<ズーズー弁>は、東北方言の俗称らしい。ただし、差別的な意味合いがあり、いわゆる<差別用語>だ。たしかに、東北六県の方言を<ズーズー弁>の一語で括るのは、乱暴だろう。青森と福島とでは、言葉の聞こえ方がかなり違う。おそらく、これは、都市民の地方民への根拠のない優越感や差別意識が根っこにあるような気がする。

婆さん三人が、すぐ隣、というか後ろで話しているにもかかわらず、うとうとしてしまった。・・・初めてのひとり旅。若い頃だ。夜行列車で上野から青森、さらに、陸奥まで行った。目的地は、<恐山>。季節は二月の半ば、真冬だった。・・・<恐山>行きのバスは運行中止になっていた。このまま帰るわけにもいかず、予定を変更して、当時のバス路線の終点<佐井>まで行くことにした。・・・朝の八時頃だったのだろうか、蒸気で濛々としている駅の待合室だ。木のベンチに腰掛け、うとうとしながらバスを待っていた。・・・ほっかぶりした婆が多い。しかも、喋っている言葉が、まったく理解できない。興味半分に、そばに座っている婆の顔を覗いた。婆じゃない!色白のふくよかな中年女性だ。唇がうっすら赤い。厳しい自然と辺境の生活が、女性をすぐに婆にかえてしまうのだ。

意識が遠のいていた。いい気持ちだった。窮屈な姿勢なので座りなおした。と、婆さんたちが立ち上がって、あいさつを交わしている。荷物を手に持って、改札口のほうへ向かっていく。なるほど、新幹線待ちではなく、列車待ちだったのだ。

秋田駅からは、能代五所川原弘前・青森へ行ける。あるいは、南下して、酒田・鶴岡、さらには村上・新発田・新潟にまで行ける。秋田駅は、いわば、日本の豪雪地帯の交通の要なのだろう。はたして、三人の婆さんたちは、それぞれ、どこへ向かうのだろうかと、一瞬間、思った。

 

帰路2

 

婆さんたちが立ち去った後も、なおしばらく、ベンチに座っていた。だが、目をつぶっても、頭がはっきりしている。腕時計を見たのか、改札口の時刻表示板を見のか、まだ三時過ぎだった。三時半になったら、新幹線のホームへ行こう。そのあいだ、通路を行き交う人間たちを眺めていた。

若いおしゃれな女性が多い。グループの女子高生なども、どことなくあか抜けている。むろん、観光客もいたが、こっちは、老若男女、みな観光スタイルだ。あとは、ワイシャツ姿の出張族だな。と、先ほど、スタバに入って行った男女が、何か話しながら、また、目の前を通り過ぎて行った。男はやや太り気味の中年の上司で、女は二十代の部下だろう。多少、情が通い合っているようにも思える。ま、すべからく、見ていて楽しいのは、人間の女性だ。本能なのだろう。

さてと、時間だ。新幹線の改札を通った。階段を下りて、ホームの先端の方へ歩きながら、座るところを探した。人間はほとんどいない。乗車口番号を確認して、そのすぐ近くのベンチに腰をおろした。靴と靴下を脱いで、くつろいだ。吹き抜けていく風が涼しくて、気持ちがいい。

目の前の、線路際の道沿いには、駐車場あり、時々、車が出入りしている。おそらく、右手の大きなビルの駐車場だろう。目の端にちらっと、ジグザグに上昇する非常階段、その踊り場に、ワイシャツ姿の人間が見えたような気もする。

静かだった。旅が終わった、という感傷よりは、今回も無事に旅を終えられた、という安堵感の方が強かった。それに、日常生活に戻るのが嫌でもなかった。涼しい風が足元を流れていく。また、うとうとしたようだ。

ホームのアナウンスが、はっきり聞こえた。そろそろ出発の時間だ。靴を履いていると、階段の方から、ワイシャツ姿の出張族が、四、五人、やってきた。がやがやしながら、陽のあたる、ホームの先端の方へと歩いて行った。立ち上がってバックを背負った。じきに<16:12分 こまち38号>がすうっとホームに入ってきた。

座席番号<14号2番D>をたしかめ、窓際の席に着いた。通路を、乗客が通り過ぎていく。意外にたくさん乗ってくる。なるほど、金曜日の遅い午後だから、出張族が都会に戻るんだ。途中、大曲駅でも、けっこう乗ってきた。人間が隣に来なければいいなと思っていると、真後ろに爺が座ってしまった。気が弱いので、座席のリクライニングを戻した。うしろから、なにか声が聞こえたが、口ごもってしまい、ちゃんとした返事は返さなかった。

爺には、何人か仲間いて、それぞれ、窓際の席に陣取っているようだ。そのうち、後ろでガサガサ、ガサガサ、音が聞こえる。駅弁でも食べているのか、それとも、新聞でも読んでいるのか、やけに長い。

かなりの時間がたち、やっと静かになった。座席のリクライニングを戻したので、やや窮屈な感じがしてきた。とはいえ、また下げるわけにもいかず、我慢していた。と、携帯の着信音が列車内に響き渡る。ああ~ん!うしろの爺だ。大きな声でしゃべり始めた。ちょっと、こみ入った内容だ。すこし声を潜めたが、ほとんど筒抜けだ。しかも、これまた、くどくどと長い。相手も年寄りなのだろう。

ようするに、仲間の一人が、部屋から何も言わずに出て行った、とか何とかで、グループ内でのいざこざだな。聞きたくもない、他人の痴話話を聞かされている。まったく!と思いながらも、じっと耳をすませていた。そのうち、やっとのことで長電話が終わった。やれやれ。と、おもむろに、爺が立ち上がった。こんどは、通路に突っ立って、後ろの連れに、話の内容、事の顛末を、これまた、くどくど話し聞かせている。もう勘弁してくれよ。無視して、目をつぶっていた。そのうち、さすがに遠慮したのか、二人して、トイレのある連結部の方へ行ってしまった。列車内は静かになり、新幹線の走行音しか聞こえなくなった。

その後は、窓の外の、流れる景色をぼうっと眺めていた。途中、何度かうとうとしたのかもしれない。まもなく盛岡駅に着いた。一時間半かかっているはずだが、気分的には、あっという間だった。盛岡では、何人かが降り、何人かが乗ってきた。

走りだすと、これまでとは比べ物にならないほどのスピードだ。<こまち>の最大速度に近い、時速300キロくらい、出ているのかもしれない。陽はしだいに傾き始め、山並みの上に、巨大な積乱雲が現れた。その雲が、オレンジ色に少し染まっている。だが、<こまち>は、恐ろしいほどの速さで、巨大雲たちを次々と追い越していく。

少し赤みを帯びた太陽が、少しずつ少しずつ、山の端に近づいてきた。そのあたりが、きれいに染まっている。お~、車窓から、夕陽が眺められる。初めての体験かもしれない。はじめのうちは、夕陽は、窓枠の中央にあった。時速300キロだ。しだいしだいに、夕陽は窓枠の右側に移動していく。一緒に、首も右にまわっていく。

見た目には、地球の動きをはるかに超絶した速度だ。だが、なにか、引っかかった。このスピードは、手放しで感動できない。むしろ、うしろめたい、ような気もした。地球の表面に生息している以上、地球の動きは、生存の大前提だろう。だが、人間だけが、その大前提を踏み越えている。その行き着く先は、もはや明白だ。といっても、自分も人間だ。どうしようもないではないか!諦念と憤怒。<時速300キロ>で移動しながら、ちと哲学的になった。

すでに窓枠の中に夕陽はなかった。態勢をかえて、後ろを振り返った。夕陽が、まさに、山並みに沈む瞬間だった。旅が終わった、と思った。

 

2021-14.15.16日、二泊三日 男鹿半島旅の収支

 

新幹線往復¥29160 ニッポンレンタカー¥12738

 

男鹿萬世閣¥21700 ガソリン・走行距離約230キロ・¥2200

 

観光¥300 お土産¥770 飲食等¥2130

 

総支出¥69000

 

以上